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自殺の霊的知識を知るっちゃ!

カテゴリ: ★『管理人について』

それで、俺は海岸清掃の仕事に就きました。それは、A班B班C班と三班あり、A班は三浦の方の海岸清掃担当だから全然会わなかったが、B班とC班は主に鎌倉とか湘南地域とか小田原とか、あと静岡の手前までが担当だったので、度々合同で清掃することがあった。
 各班10人ずつで、二人が監督と副監督で日給13000円、二人が運搬員で日給11000円、残りの六名が作業員で日給10000円だった。これは国が失業者対策で金を出していた。だから、あのクソ民間会社みたいにサービス残業なんてなかったし、給与も高かった。けど、これでも、手取りは毎月大体、17〜18万円だった。嵐が来たら作業は無理なので、お休みで、基本、祝日無関係の月から金までの勤務で、土日休みだった。稼働日数の多い月は、まぁ、最大で手取り20万円だった月もあったが、嵐のせいで稼働日が数日休みになった月は、手取りで15万円程度だった。厚生年金と健康保険は会社で入った。まぁ、それは五ヶ月間だけだった。それ以降の延長分の時は、厚生年金も健康保険も無くなったけど。
 それで、俺は最年少なので、作業員になりました。時間は辻堂駅に朝9時までに集合して、午後四時半に同場所にて解散という形でした。だから、今までしてきた民間の仕事に比べれば、とても条件が良かった。ここの財団職員も、定時に来て定時に上がっていたしな。やっぱり、公務員の身分のお方は、現代では、上流階級だな。昔は公務員のなり手がいなかった時代があったとかいうけど・・・今では、まったくの逆だよな。親が子供に就職させたい職業第一位が公務員らしいし。まぁ、こんな酷い民間企業の有様ならば、公務員に殺到するのも頷ける。
 それで、この事業は、財団から給与が出るのではなくて、国が税金で失業者対策で財団にお金を払い、それで財団が指揮を取って、毎日各現場に各班を向かわせて、清掃させるという形です。それで、色々な現場に行きました。
 俺の班は、俺が最年少で、あとはたしか、四十代と五十代と、あと六十代だったかな。失業者対策なので、どうしても年齢は高くなった。まぁ、年金暮らしでお金に余裕があるような爺さんも採用されていたので、完全な失業者対策という訳でもないようだったが。ま、そんな感じで、今までの職業も人生もバラバラの人達が集まって、清掃の班を形成していました。ちなみに、今回はすべての班とも、男ばかりでした。去年は女もいたようだが。やはりトイレの関係とかで、難しいのだろう。
 それで、作業内容は、各自治体のゴミ分別方法に従って、袋ごとに分別して、海岸に散らばるゴミを撤去していった。まぁ、軽いペットボトルとか缶とか、プラゴミとか、あと木屑、流木など。分別はけっこう面倒くさかったが、茅ヶ崎は全部まとめて不燃として処理出来たから楽だった。
 でも、人間関係の問題はどこの職場でも発生するもので、最初の頃はお互いによく知らなかったから遠慮していたようだったが、段々とお互いを知り出すにつれ、反発し合う者も出てきた。まぁ、俺は最年少だし、誰かの悪口など言ったら、そこで生きていけないので言わなかった。だって、金を稼ぐのが目的だったのだから、仕事中のちょっとした不満なんて、別にどうでもいいよ。そんなことをペラペラ喋って、俺の立場というか、居場所がなくなっちまったら、出勤し辛くなるからな。でも、年金暮らしの爺さんとかは、やはり歳を取ると相手の欠点が許せなくなるのか、どんどん不満点を言うようになった。 それで、二つのグループに別れたような感じになった。一つのグループは、大企業でずっとサラリーマンでやってきて、年金暮らしになった二人のグループで、もう一つのグループは、お水の商売をしてきた人と、色んな職業をしてきた人だった。まぁ、価値観が違うからなんだろうけど、でもそれは、やっぱり、口に出してはならないよな。そこは世の中、色々な職業の人がいるのだから、自分の価値観とは合わないから理解しない、拒絶する、軽蔑するというのは、間違っている。まして、この事業は、色んな職業の人の寄せ集めなんだから。寛容な心でないとやっていけないよ。けど、もうジジイの年齢だから、多分、思考が凝り固まっているのだろう。そんな感じで、反発し合っていて、とうとう、四ヶ月目くらいに爆発して、大声で喧嘩し合う事態になった。まぁ、他の人達は、周囲で静観というか、口は挟まなかったけど。俺も、お外でジっとしてました。あくまで金が目的なんだから、そんな価値観の違いなぞ、どうでもいいわい。
  まぁ、そんな感じでした。けど、これはあくまで一時的な仕事なので、仕事が決まった人は、ちょくちょく抜けていった。俺の班には黒人のアフリカ人もいたが、仕事が決まったらしく、抜けて行った。あと、副監督も仕事が決まったので抜けて行った。俺はというと、ろくに仕事を探さずに、現状に甘んじてしまっていた。
 そんな感じで、六月初頭から十一月半ばまでが最初の契約期間だったので、それが終了した。追加で、今度は環境省だかのグリーンニューディール事業だかがあり、それは週四日だが、日給は同額で、期間は三ヶ月という募集があったので、それに応募した。それに関しては、新規に広く募集するのではなく、直前のその仕事をして、もう慣れている皆さんに継続してもらうと有り難いということだった。
 それで、俺はそれに採用された。でも、その時、副監督が誰もいなかった。以前の事業の時に抜けた福監督は、作業員から四十代の人が昇格した。で、追加の事業の時には、以前の事業の時に監督をしていた人が抜けていたし、副監督になった人が監督になったので、副監督のポストが空いていたのだ。だから、年長者から順に誘っていったのだが、六十代の人達は、この歳で責任を負うのは嫌だし、朝早く財団に出勤するのも嫌だということで、みんな断った。ただの作業員ならば、辻堂駅で待っていればいいのだが、監督と福監督と運搬員は朝早く財団本部に出勤して色々準備して、ミーティングをする必要があった。また、途中から参入して来た補充人員の人では、やはり途中からなので駄目ということで、結局、俺がすることになった。 
 人生で初めて、ちょっとだけ人の上に立つ経験が出来た。とはいっても、まぁ、誰もなり手がなかったから、最後の選択肢として選ばれただけだったけど。でも、やはり一番下っ端の作業員時代とは違い、福監督は日給が13000円になったので、ちょっとはひがまれていたとは思う。 でも、俺が主に車を運転して、みんなを作業場所に運んでいました。久しぶりの運転でしたが、なんとか無事に終えました。あ、というのも、以前所有していたデミオは、維持費が払えなくなり、25歳の時の10月頃に、廃車にしました。というのも、傷がありすぎて、売れなかったからです。7年間乗り、総走行距離は77000km程度でした。
 最終日には、みんなで居酒屋で打ち上げをした。でも、大企業でサラリーマンをしていた人だけは呼ばれなかった。その人と親しくしていた同じく大企業で働いていた人が途中からいなくなってしまったので、その人は孤立していた。だから、俺は配慮して、色々とその人と話したりしていたのだ。それで、その人は前述の通り、お水で働いていた人の悪口を散々言っていた。俺もそれに感化されて、段々とそのお水の人が悪い人のように感じていったのだ。しかし、やっぱり物事というのは公平に見るべきものだな。最後の日には、その大企業で働いていた人だけ、みんなから声が掛からなかった。なんか、上から目線でみんなを見下すような言動だったと、みんなが嫌っていたので、一人だけ呼ばれなかったのだ。まぁ、俺も、誰にも言うなよと誘われた時点で言われていたので、その人には言わなかった。最終日に、自分以外の全員で打ち上げをするのを知ったその人は憤慨した。で、俺が説明したのだが、ジジイは頑固だから、聞く耳を持たなかった。それで、それっきりだな。プンプン怒って、改札口を通っていきました。その人は、前の事業の時の監督と大衝突して怒鳴り合いになった人なので、監督が辞める時に、財団の人に、「あの人だけには監督はやらしちゃいけません」と念を押していたようだ。だから、年上だけど、新たな事業の監督業を選定する時にも、リストから外されていたので誘われなかったそうな。
 んで、居酒屋では、散々、その人の悪口だらけだった。それを聞くと、俺が知らないことがたくさん出てきた。お水の人が自腹で全員に缶コーヒーを買ってきて配っても、その人だけお礼を言わず、嫌みみたいなことを言ったというし、別の人が肉まんを全員に配ったときも、その人だけ相手にお礼の一言も言わなかったそうな。その他にも、色々とその人の悪口の話題は尽きなかった。なんか、三時間の宴席のうち、七割はその人の悪口の話題だったな。う〜ん、まあ、俺と話したときも、時々、しゃくに障るというか、貧民を見下すような発言もあったな。まぁ、実際にエリートコースを辿って来た人は、なかなか下々の民の気持ちは分からないということか。
 まぁ、だから、一方の発言だけで、その物事や人物を完全に判断してはならないということだ。やはり、両方の言い分を聞いてからでないと、公平には判断することは出来ないということを、身をもって体験した。まさか、あの人も、宴席で、あれだけみんなにボロクソに自分の悪口が言われていようとは思うまいて。そのくせ、俺が最後の日にその人に事情を説明したら、「いいや、言うなと言われていても、俺だったら言うね。宴会するのならば、予定を空けておいたのに!!!」と憤慨していた。しかし、どうせ出席しても、一人だけ気まずい雰囲気になるに決まっているし、散々、あれだけ悪口を言っていた人と最後に同席したいという気持ちが分からん。それならば、もっと早くから和解するような行動をしていればよかったのに。最後に水に流すという言葉があるが、それはある程度までの許容範囲内での話であり、ダムが決壊するほどの亀裂のある関係ならば、最後の一日程度では、もう関係修復は無理だよ。
 んで、その宴席で俺がみんなに言われたことは、もっと他人とコミュニケーションを取りなさいと。まぁ、でも、最初からいる人達から見れば、俺も途中からやや積極的にみんなと話すようにはなっていたので、最初から比べれば、君は進歩したよと言ってくれた。そして、最後の三ヶ月間、福監督をしたことも、今後の君の人生の糧になるだろうと言ってくれた。まぁ、それは、俺にとっても、よい経験だった。まぁ、本当に夏場は地獄の猛暑で、冬は寒かった。岩場とか滑って危ないし、流木は重たいし。最後の三ヶ月は、俺がチェーンソーを使って、流木を切断していた。まぁ、キツかったと言えば、キツかったです。しかし、やはり俺が今までしてきた民間企業に比べれば、ちゃんと時間内で終わるし、給与も時給で換算すれば高かったし、楽だったな。そんな感じで、その仕事は終了しました。
 あと、この仕事で学んだことは、俺よりもずっと年上の人達が、ある程度力を抜く時は抜いて仕事をしていたということだ。やはり、学校巡回の警備員の時の、あのクソ真面目な対応は、少々真面目すぎたかな。ちょっとばかり、力を抜くことも必要だな。いつも全力で精神を張り詰めて仕事をしても、そりゃ、精神がいつか破綻して、自殺したくなるかもしれないからな。インド人とかジンバブエ人みたいに、もうちょっと気楽に仕事をすることを会得すれば、日本人の自殺率も下がるでしょう。とはいっても、それは職場によるけどな。

 んで、 それで稼いだ金なのだが、いつの間にか無くなってしまったよ。というのも、俺はこの仕事に就くちょっと前に、もうグラフィックデザイナーになる気力はなくなっていた。それで、もう人生の目標というか、また、何をすればよいのかてんで分からない状態に陥った。で、もう性欲と物欲が爆発してしまった。人間、自暴自棄になる時ってあるよね。だから、サクラのいない出会い系サイトで、お金を払ってセックスしたり、ソープに行ったり、あと物欲に関しては、今まで買ったことのなかったブランド物の財布を買ったりした。ルイヴィトンの財布を買ったり、アルフレッドダンヒルの財布を買ったり。なんで財布が二つあるんだとお思いでしょうが、普段用と、スーツ用で買い分けたんだ。あと、新宿のメンズ伊勢丹に行き、高い革靴を買った。あと予備で、横浜高島屋でも革靴を買った。あと、革靴のお手入れグッズとかも。あと、アルマーニの数万円のベルト買った。あと、洋服類も新しく買った。コートも買った。鞄も買った。金運アップのパワーストーンとか、恋愛関係がアップするブレスレットも買った。あと、洋服の青山に行き、高級ブランドのヒルトンタイムのスーツを二着買ったりした。あと、ヒルトンタイムの礼服も買った。そんな感じで、いつの間にか、ちょっとの消費やでかい消費が積み重なって、本当なら140万円くらいの貯金があったはずなのに、終了時にはほとんど無かった。
 それで、気がついた。もうね、俺は、『自殺霊の自殺サイト自殺犯罪ドットコム自殺方法はポイ』があった時には、なんか見知らぬ人と繋がっていて、見知らぬ人達を助けていた感覚があったのだが、それが無くなり、もう、ただの人になってしまった気がしたんだ。何の役にも立たない、ただの人。それは、無意識のうちに、とても大きな喪失感となっていたようだ。だから、無目的に、物欲に走ったり、毎週のようにソープに行ったりしてしまったのだ。だって、目標があれば、こんな荒い行動はせずに、ある程度は自制 することが可能だろうから。
 で、結局、高級品を買ってみた訳だが、今となっては、それはあんまりなぁ・・・まぁ、そりゃ、千円の長財布と比べたら、そりゃ、六万円もした財布の方がよいに決まっているけど・・・果たして、六万円の現金を財布に換える必要があったのだろうか・・。こんな、人生しっかりしていない者が、そんな高級財布買ったからって、一体、何になろうか・・・?で、けっこう後悔しています。ああ、現金のまま残しておけばよかったと。ま、こんな感じです。でも、実際に、ブランド品をかなり買ってみて、ある程度の悟りは出来た。岐阜にいた頃に買った物欲は、それはブランド品を買いあさる浪費ではなくて、ただの物質を買いあさる浪費だったからな。だから、この時の浪費とは、質が違った。そんで、ブランド品を買っても、たいしてどうにもならないということが判明したので、今後は、お金に余裕ができても、ほどほどにしておくよ。まぁ、あまりにも安物ばかりだと、見栄えもよくないし、安物買いの銭失いになりかねないので、そこそこの値段のそこそこの品質のモノを買えばよいと、今では思っています。

 それで、またしても無職になってしまった・・・。本当は、失業者対策の事業だった訳だから、海岸清掃の仕事をしている最中に、どこかに就職するのがそもそもの目的だったのだが・・・それをしなかった。で、辞める一ヶ月前くらいから、俺は本格的に脚本を書き出した。というのも、この仕事を始めてから数ヶ月目に、今度は脚本家になりたいと思って、脚本のことを教えてくれるシナリオスクールの通信講座に応募したのだ。費用は四万円くらいだったかな。で、通信で勉強していくはずが、俺は最初の一回で、課題通りのものを郵送せずに、またアホな突拍子も無い脚本をいきなり添付して送付してしまった。それで、色々と冷たくあしらわれて、それ以来、自分一人でモヤモヤと、やろうかと思っていたのだが、どうもやる気が起きない・・・。で、ついに、仕事を辞める一ヶ月前に、とうとう一つ、脚本を書いてみる気になったんだ。それは、『地獄の警察官』というタイトルでした。内容は、要約すると、警官を殺して制服を奪った犯罪者が、警察官のふりをしてどんどん人殺しをしていき、最後には地獄に堕ちるというストーリーです。それで、それをずっと書いて、仕事を辞めてから数日ほど経過して、やっと完成しました。それで、また俺は、今度は大手の映画会社四社に、コピーしたその脚本を郵送しました。けど、また無視されました。まぁ、たしか東宝だけは、ご丁寧に、返送してきて、『当社ではこういうコンクールを募集しているので、こちらに応募ください』という紙も添えていた。でも、俺の脚本は超残酷で、突拍子もないので、絶対にそんなコンクールに応募しても落とされるだろうと思ったので、映画会社に直接送ったのだった。でも、脚本自体が後からマジマジと見たら稚拙だと判明したので、万が一にも採用されるはずもなかったのだが・・・。その他にも、十代と百十代が結婚するストーリーの『百歳差婚』とか、アドルフ・ヒトラーが現代の日本に復活して総理大臣になって暴政を振るう『日本国首相アドルフ・ヒトラー』とか、あと超暴力刑事が主人公の『凶悪刑事 闇裏暗蔵』とか、もうね、とんでもないストーリーの話ばかり思いつくんだ。そんなの、今から思えば、採用されるはず、無いのにね。あ〜、アホみたい。本当に俺の前世は、下らない、夢見がちなアホだったんだなぁ。それが、現世でも矯正されていない。

 そんなんで、どうにかまた、職に就かねばならない。それで、もう、実家から出たいと思ったので、仕事を辞めた翌日あたりに、ハロワに行った。それは、その数日前に、家のPCで検索して見つけたのだが、福島県の津波被害による瓦礫の撤去の仕事だった。俺は、仕事を辞める三ヶ月前くらいから、けっこう真剣に原発に行こうかと思っていたのだが、さすがに原発本体には、行く気には、最終的にはならなかった。だって、一日たったの実働四時間で高い給与が貰えるってことは、けっこう危ないんじゃないかしら・・・と判断したからだ。で、今度の仕事は、原発からはけっこう離れた区域での仕事なので、それなら心配ないんじゃないかなと思い、応募したって訳。でも、三月になってすぐに応募したのに、なんだかんだで、まだ出発できていない。三月下旬頃かな〜と思っていたら、四月になってからとなるし、その後、四月十日だと言うし、その後、齋藤さんは二十日頃ですと言われたが、未だに連絡はない。まぁ、仲介役の企業からはちょくちょくメールが来ていたのだが。本当は昨日までに雇用先の企業から連絡がある予定だったのだが、まだ来ない。さっき、仲介役の企業にメールで問い合わせたが、まだ返信は無い状態だ。まぁ、でも、きっと、どうにかなるさ。そこは一部屋に四人の共同生活だけど、自殺するよりかははるかによい。日給も13000円だっけかな・・・12000円だっけかな・・・忘れたけど、メモした紙には書いてある。週に六日労働で、厚生年金と健康保険は無しです。雇用と労災だけです。まあ、どうにかなるでしょう。とにかく、自殺しないで生き続けていれば、なんとかはなるだろう。

 まぁ、こんなんが、今の俺の現状、今の俺の、これまでの人生です。ちなみに、今日は2012年4月18日です。恋人は今まで一人もいたことはありません。あ、ただ、脱毛に関しては、この仕事の最中に、湘南美容外科クリニックで全身脱毛三回コースを申し込んで、下半身一回分以外はもう消化した。だから、今は、けっこう奇麗にはなっている。あの、中学や高校の頃に毛抜きで抜きまくっていた頃の、あの汚いモジャモジャの肌ではない。もう、けっこうレーザー脱毛による効果は出ており、かなり当時と比べて奇麗になっています。しかし、まだツルツルではないけどね。俺は今後ともレーザー脱毛を資金が出来次第行い、ツルツルを目指す予定。ツルツルになれば、体毛のコンプレックスもなくなり、恋人も出来るかもしれないからな。 

 俺の人生は、歳はどんどん取ってしまい、見た目にもフケてしまいました。しかし、確実に中学の頃の、あの地獄の心境からはマシになっています。徐々に、俺の人生は良い方向に向かっていると思います。まぁ、最初から順風満帆の人の人生と比べたら、はるかにグタグタだけどね。それでも、なんとか生きています。だから、あなたも生きられると思うよ。

注釈]このページは、[恥の多い人生を送ってきました(18)]よりも古い公開日となっています。しかし、作成日は[恥の多い人生を送ってきました(18)]よりも最新です。それは、作成日は一番最新であっても、公開日を以前公開した記事よりも古くしなければ、以前公開した記事よりも下に位置しないからです。これがブログのシステムなので、ご理解ください。


 まあ、この記事は、今執筆している日時は、2015年の9月22日午後8時41分です。前回の[恥の多い人生を送ってきました(19)]を執筆したのが2012年4月18日なので、三年と五か月が経過したことになります。

 まあ、別に、社会的な状況は大して変化しとらんのやけどね。

 というわけで、ぼちぼち執筆していきます。

 と、まあ、私は地元の平塚の湘南ベルマーレの馬入練習場での練習風景などをたまに見ながら、家で自殺ダメの構築作業をしつつ、福島に行くという話で、業者からの連絡を待っておりました。しかし、いくら待てど暮らせど、実際に赴くという話にはなりませんでした。

 それは、その時、どうやら業者は、求職者をとりあえず自社に留めておいて、空きが出たら、順次電話をかけて補充する、という形だったようです。だから、そこんところの業者は、空きがなかったんだろうね。だから、適当にお茶を濁す形で、「あともう直ぐです」とか言いつつも、ズルズルと引き伸ばしていったのだろう。

 そんなふうにして、時間が経過していきました。ただ、その間、私は無為に過ごしていた訳ではない。仕方がないので、自殺ダメの構築作業を、朝から晩までしていた。そして精神的に疲れたら、ベルマーレの練習風景などを見学しに行っていた。その頃は、まだベルマーレの熱心なファンだったから。あと、たまに川崎のソープランドにも行っていた。性欲が強かったから。

 それで、いつまで経っても呼ばれないので、そこの企業には断りを入れた。そして次に、東京にある何とかっていう建設業者だかが除染の作業員を募集しているとのことで、応募した。東京まで行き、面接した。当初は直ぐに福島に入れる予定だったのが、なんだかんだで、またここもズルズルと延期、延期の繰り返しだった。そんなこんなで、翌年の2013年になってしまいました。

 2012年の10月頃に、金銭的な支援をしてくれていた父方の祖母が死んでしまった。なので、私は資金がなくなった。バイトもせずに、ずっと一日中、自殺ダメの制作作業をしていたのだ。その頃、毎月15000円のリボ払いのライフカードの借金返済があったし、その他の費用もかかった。ピンチであった。でも、なんか、そんな時に、自殺ダメの寄付の募集欄を見た山田さんという人が、支援してくれた。当初は、山田さんは、自宅で可能な転売の方法を教えて私を支援してあげる、とのことであった。しかし、私はその時に、転売する気も暇もなかった。なので、断り、直接的な金銭的な支援をくれ、と要請した。そうしたら、山田さんは、なんだか霊能力があるらしく、善いことをすべき時には小指が痛くなるとのことだった。その時もどうやら小指が痛くなったらしい。なので、私に三万円振り込んでくれた。私の自殺者救済事業に共感したとのことだった。まあ、背後では、善霊が動いて、私を支援してくれたのだろうな。

 自殺ダメを制作していた間、勿論、親からは相当なプレッシャーを受けた。なにせ、30~31歳の間を、自宅でずっと一日中、無職でパソコンに向かい合いながら、タイピングして自殺ダメを制作していたのだからな。私の両親はそういうことには全く理解が及ばないのだ。だから、積極的に支援してくれるタイプではない。だから、相当衝突した。しかし、私には使命感があったので、自殺ダメの制作を貫いた。そりゃ、30過ぎて自宅で無職でブログを制作しまくる人生なんて、聞いたことないよな。まあ、世間的にはニートと同じだ。でも、その時の俺はニートではない。自殺ダメの制作は、後々何十年も、インターネットにおいて、自殺志願者を救うことになるのだから、意味がある作業なのは明白だったから。

 そんなことがありまして、結局、2013年の2月になり、ようやく自殺ダメの本文入力作業は終了しました。勿論、その後も枝葉を付ける作業は、この文章みたいにちょくちょくありました。しかし、骨格となる、幹となる部分の文章入力に関しては、この時点で終了しました。2012年の4月頃から始めて、2013年の2月に完了した。勿論、その時点では、ブログの全体デザインは酷かったし、目次もまだ設置していなかったけどね。

 あと、脚本家になるという夢は、2012年の3月の段階で諦めました。無理だわ。誰も支援してくれないものな。グラフィックデザイナーもダメだったしな。頭が悪いし、記憶力もないからな。諦めるのが早すぎると言うかもしれぬが、諦めも肝心である。もしも諦めずにダラダラと才能もないのに脚本家になる努力を継続していたら、何の世間の役にも立たぬ駄作を量産していただけだったからな。だったら、自殺ダメという霊的自殺防止サイトを制作していた今の人生の方が、遥かに有意義ではないか。だから、まあ、いいんだ。私はクリエイティブな仕事をしたかったので、そういったことに挑戦したのだが、とりあえず、それらの夢は破れたということでOK。

 まあ、今もまだ自殺ダメの総合的な制作は完了していない。まだ、自殺ダメへ自殺志願者を誘導するサイトの制作が待っているからだ。でも、自殺ダメへの誘導サイトの制作も全て完了した暁には、ちゃんとした社会的な仕事に就く努力をするつもりだ。ただ、それまでは、まだ自殺志願者を救うべく、活動を継続せねばなるまい。

 で、2013年の2月に、ようやく福島に行くことが決まりました。それは、楢葉町というところで除染の作業員を募集する求人でした。たしか、日給は15000円で、その内、寮費が出勤日一日辺り5000円を納めるという契約でした。それは、名前は忘れたが、ネットの求人サイトで見たからだ。それまでに応募した除染の仕事は、ダラダラと引き伸ばしされた上に未決定だったが、この求人は、応募から実際に赴くまで、二週間程度しかかからなかった。すんなり決まったのだ。多分、骨格となる自殺ダメの制作作業が終了したので、守護霊が福島に行くことを許可したのだろう。また、この求人の先にある出会いによって、俺が人生の修行が出来ると踏んだのだろうな。だから、すんなり決定したのだろう。だって、この求人の募集はこの時だけであり、そこに丁度、俺が応募したのだから。やはり縁があったと見るべきであろう。
 
 それで、私は実際に福島に行きました。いわき市の中の何とか駅という、小さな田舎の駅に到着しました。すると、すぐ傍に、ボストンバッグを携えた中年のおじさんが一人いました。どうやらその人も、同じ寮に入る人らしかったのです。その後、続々と他の人も集まりました。まあ、総勢10名程度だったかな。その後、寮の管理人である中年の夫婦と、50代の男性が来ました。その三人が、今回の寮のシステムを考案して実施した人達、つまり我々を募集した人達でありました。

 まあ、後から知ったことですが、まず、一番上にゼネコンがある。その下に地元の建設会社がいる。その建設会社が、除染の給与を支払う会社です。そこから更に、その三人が借りた寮のシステムがある、という訳です。だから、その三人も給与を支払う会社の準社員として、我々と同じ身分で新規に入社することになっておりました。しかし、既に寮は借りておりました。我々は、その寮に入って、食事と風呂とかの提供を受ける代わりに、出勤日に限り、一日5000円を寮の管理人の三人に支払う、というシステムでした。だから、地元の人ならば、自宅から通えますが、県外からの出稼ぎ者にとっては、そのシステムしかないのかしら、と思います。

 それで、近くのガストでドリンクを飲ませて頂いてから、簡単な説明を受けて、寮に移動しました。寮とはいえ、そこは古びた古民家、5部屋程度の、築60年以上ありそうな、古びた平屋でした。もう、けっこうボロボロで、一年後には、取り壊す予定の物件らしかったのです。だから、室内には、押し入れ裏には小動物の糞が山積していたり、埃だらけだったり、床板も怪しい部分があったりしました。

 そんな感じで、とりあえず、その日は皆さん一緒に泊まりました。食事は、その三人が近くの弁当屋で買ってきたものを食べました。まあ、その食事は、三人の奢りという形でした。

 あ、あと前回の[恥の多い人生を送ってきました(18)・・・・管理人の人生]のところに、永久脱毛の話が掲載してありますけど、その話の続きとしましては、当初はツルツルを目指す予定でしたが、金銭が尽きたので、無理でした。なので、今でも、まだ毛深いといえば毛深いのですけど、大分間引きされた状態といいますか。とにかく、ツルツルになったらなったで、男なのにツルツルとは恥ずかしく思えてきたので、やはり今の少し残ったすね毛の状態とかでいいのではないか、と思うようにしました。まあ、追加で永久脱毛すれば、また莫大な金がかかるからね。これでいいと、思うようにしました。

注釈]このページは、[恥の多い人生を送ってきました(18)]よりも古い公開日となっています。しかし、作成日は[恥の多い人生を送ってきました(18)]よりも最新です。それは、作成日は一番最新であっても、公開日を以前公開した記事よりも古くしなければ、以前公開した記事よりも下に位置しないからです。これがブログのシステムなので、ご理解ください。


 それで、その三人の管理人と、私の他に9名の作業員と共に、初日は、そのボロい寮で寝ました。しかし寝られる部屋は五部屋の内、四部屋しかありませんでした。そこに分散して寝ました。まあ、夫婦の管理人は一部屋でしたけど。まあ、当然、雑魚寝ですね。

 翌日、起きて、食事が出て、食べました。それで、直接の雇い主である、地元の建設会社の本社に行きました。まあ、建設会社と言っても、別にゼネコンではないので、こじんまりとした小さな二階建ての建物です。倉庫に道具類があり、その奥が小さな部屋で、そこで契約書類とか誓約書とか書きました。これで、契約終了です。

 でも、それで直ぐに働き出せる訳ではないのです。除染は国主導のシステムなので、色々と面倒なのです。ガラズバッジという登録証が出来上がるまでに、登録機関に書類を送付してから一か月程度かかるらしいのでした。だから、それまでは一銭も稼げないのです。仕方がないので、とりあえず寮に帰りました。

 それで、翌日の午前中にいわき市の指定病院にみんなで赴き、健康診断を受けました。その後、各々、集合はガラスバッジが出来上がったら、またこの寮に来る、ということで、解散しました。しかし、私はたったの一か月ぽっちを神奈川に帰ったとしても、何も出来ないし、往復の交通費がもったいないので、そこの寮に留まって、仕事開始までの間、寮の改築というか、まあ、殆ど掃除と補修をすることとなりました。それらをする代わりに、仕事開始までの間、無料で泊めてもらう、という約束でした。

 で、結局、残ったのは、行くアテの無い私と、私と同年代の男と、管理人の50代男性の三人でした。夫婦の管理人は、仕事再開までは、地元に帰りました。その他の作業員の人達も、ひとまず地元に帰りました。だから、この三人で、暮らし始めました。

 しかし、三人で一緒に暮し始めて、たったの翌日だったか、二日目だったかで、私と同年代の作業員志望の男が、去っていきました。その経緯はこうです。その男は、別の地域で除染をしていたのですが、そこが酷いタコ部屋で、六畳に二段ベッドだか三段ベッドだかを設置して、ギュウギュウ詰めで生活していたそうです。しかも、給料が未払いだったそうです。まあ、ヤクザみたいな奴が運営している下請けの除染会社らしかったのです。だから、酷かったので、給与を貰えぬまま、新たな仕事先であるこの職場に応募した、という訳です。それで、一緒に暮らしていたのですが、とにかくその男は面倒臭がりなのでした。

 掃除とか補修作業とか、果ては単なる皿洗いとかも放棄して、どっかに行ってしまったり、いつまでも、昼過ぎまで布団の中でうずくまってだらけていたりしました。それで、管理人の人がキレてしまい、「働かないのなら出ていけ!」ということになり、追い出されてしまいました。その後、男は軽自動車に乗ってやって来ていたのですが、その軽自動車に乗って、寒い中、福島をウロウロしていたようです。なんか、実家に戻れぬ事情があったらしい。と、まあ、その後の消息は不明です。だから、その男は、一銭も稼ぐことなく、ただの無駄足と時間の無駄で、その職場は終了したのでした。なので、管理人と私の二人の生活になりました。

 それで、その後、二人でコツコツ、補修作業をしました。最初、私と管理人は、広い部屋に寝ていたのですが、そこはやがて作業員が来るということで、一番狭い奥の部屋に移動しました。そこで、なぜか私は押し入れの上の部分で寝ることになりました。まあ、少しでも広くする為ですかね。押し入れって、半分の位置に仕切りがあるでしょ。でも、そのままそこに寝れば、バキッと落ちる危険性があるので、下の部分を角材で補強しました。上の奥の部分には、空間があり、そこにボストンバッグとか着替えも置けました。だから、まあ、快適と言えば快適ではあるし、プライバシーもある程度は保てると言えば保てるのですが、やはりいかんせんただの押し入れです。寝返りも狭すぎて打てないのです。狭い空間、棺桶程度の幅しかないのです。一応、縦幅はそれなりにあるので、足がつっかえるということはありませんでした。ただ、横幅が狭いのです。私は太ってはいないのですけど、なにせ布団がかさばっているので、その分狭くなり、寝返りが打てなかったのです。だから、寝ても、疲れが十分に取れませんでした。やはり眠るに際して、広い空間は必要ですね。まあ、電灯は安物の電球を設置したり、コンセントも設置したりしたので、ある程度は快適ではあったのですが。

 まあ、あとはダイソーに行き、安物のキッチン道具を揃えたり、風呂場の桶とかを買ったりして過ごしました。そんなこんなで、三週間くらいが過ぎていき、やがてボチボチ集まりだしました。

 最初に、夫婦の管理人が戻ってきました。その三人の管理人は、どうやら、雇用主の建設会社の部長と話し合って、寮を運営して、その運営費で儲けて、自分達も作業員として働いて、二重に稼ぐ、という目論見だったようです。まあ、除染ではよくある話です。で、夫婦の内、夫の方はとてつもなくエネルギッシュな方で、ゆくゆくはもっとビジネスを拡張していきたい、と話していました。それで、儲かったら、部長さんにお金をいくらか渡す、という形式です。部長さんも、雇用主の建設会社よりも大きな会社から出向してきていたらしいのですが、給与面で冷遇されていたようです。でも、なんだかっていう資格はその部長さんしか所持しておらず、その部長さんがその企業におるお蔭で、その企業は除染の仕事をする資格があるとかなんとか。よく覚えていませんけど、なんかその出向先の会社の社長が娘婿だったかな、なんか家族関係とか人間関係とかも相まって、けっこう複雑なようでした。まあ、俺には関係ねーけどさ。

 その後、作業員の人達が集まってきました。一人脱落済みなので、私も含めて作業員は9名、管理人3名で、狭い平屋で共同生活が始まりました。ちなみに、夫婦の奥さんも一緒に住みましたが、別に一般的に見て、情欲が湧く年齢でも見た目でもないので、周囲が男ばかりであっても、全然問題ありませんでした。

 それで、ようやく三月の初め頃から、働き出せるようになりました。それで、管理人達が用意した八人乗りのミニバンと、軽自動車に乗り、寮から一時間程度走った場所にある、楢葉町の職場に向かいました。

 最初にJビレッジという場所で、講義や心構えを受けた後、ガラスバッジを受けました。これは絶対に紛失してはならないものです。で、その後、実際の職場に向かいました。

 最初の職場は、とある道路脇の山肌でした。そこの山肌の草を草刈り部隊が刈って、その草を熊手で下に落としたり、あと表土を専用の道具で削り取って下に落としたり、下に溜まった石を一か所に集めたりしました。土を、あの黒い巨大な袋に詰める作業は、重機で行いました。けど、石を運ぶのとか、大変でした。

 そこの職場には、30名程度いたと思いますし、他の雇用主の会社の職場には、もっといたように思います。まあ、最初に広い運動場みたいな場所に集まって、朝礼をするんですが、そこには、頂点に某ゼネコンがおり、その下に、色んな地元とかの建設会社がおり、そこに雇われた作業員が大勢いる、という風景です。だから、そこには何百人も集合するのですが、作業服は各会社毎にバラバラで、色とりどりでした。

 たしか、朝八時から、夕方五時までだったかな。朝七時半だったかな?忘れちゃった。まあ、その運動場の駐車場に、高圧洗浄車とかの車も駐車してあり、我々が乗車してきた車も、そこに停めておりました。

 それで、その山肌の職場は、大変と言えば大変だったのですが、単純だったし、簡単だったので、楽でした。けど、我々がそこに配属されてから、たったの一週間程度で、我々はバラバラに他の職場に配属されました。それは、家屋の除染班でした。一軒の家屋に、大体長ければ数週間かけて、徹底的に除染する、という形式でした。

 でもね、その間、というか、山肌の職場でみんなが働いている間に、ある問題が発生しました。それは、働きだして割と直ぐに休日になったのですけど、その時に、寮の酒飲み達が悪酔いして、Oさんという50歳程度の中年男性を苛めたのです。それで、かなり問題になりました。管理人達は、出ていかれたら、収入が減ってしまうので、何とか最初の方はヘコヘコへりくだってなだめていたのですけど、元々が管理人の二人の男もキレやすい性格なので、終いには、双方キレる形となり、その酒飲み達は出ていくことになりました。

 勿論、酒が入っている間は尊大な態度だったその三人程度の作業員も、翌日酒が抜けると、途端にしょぼんとなっていました。しかし、これから長期間一緒に寝食を一つ屋根の下で暮らしていく者なのに、最初からそんなトラブルを起こすような人にはいて欲しくないということで、管理人達が、すまないが、今すぐ出て行ってくれないか・・・と言いました。それで、結局、その三人は、その日の内に出ていきました。だから、一か月もガラスバッジが出来るまで待機していたのに、その人達はたったの数日分の日当、数万円しか稼げませんでした。アホらしい。今度、また別の除染の職場に就職するとしても、また一から、そこのガラスバッジを制作せねばならず、待機期間が発生してしまうでしょう。

 まあ、その三人の内訳は、一人は五十代半ばの男で、なんか話では、大手のガス会社に勤務していて、そこから独立して会社の社長をして、キャバクラで豪遊した、なんて話していた。しかし、それが事実だとしたら、なんでこんな除染の仕事なんかに赴いているんだ?という疑問が、後々湧きました。もう一人は40手前の男で、その人はキレ易い性格であり、それまでにも幾度も除染の仕事を転々としていたが、度々キレてしまい、結局出ていく羽目に陥ったということだ。もう一人は60代後半の男で、年金暮らしらしかったし、奥さんもおり、持ち家もあるのだが、金儲けの為の除染に来ていたらしい。でも、さすがにそんな老齢の男が、こんなカオスな状況に馴染める訳もなかった。まあ、頑固だったしな。頑固さというのは、何か信念を貫く時には重要かもしれぬが、この除染の時のような環境では、柔軟性が求められるからな。こんなカオスな環境で、一歩も他人に譲らない、というような頑固な人間は、やっていける訳がない。

 なにせ、一部屋におじさんやお爺さんが三人とか四人で、四六時中一緒に生活して、心に安らぎがないのです。しかも、俺も含めて、まともな人生を歩んでいる人なんて、来ません。なんで、わざわざ安定した人生を送っている人が、こんなボロ屋の中で、日給手取り一万円で、週六で働いて、家族でもなんでもない赤の他人と集団生活すると思っているんだ?孤児の子供達と暮らすとかではないんだぞ?子供達なら素直な面もあるが、おっさん、それも、管理人達も含めて、人生が上手く行っていない者だらけ、一つ屋根の下で暮らすというのは、精神的に大変過ぎるよ。オナニーとかも出来ないからな。刑務所だったら、刑務官という偉い立場の者が場を取り仕切りますが、ここはそんな偉い人なんていないのです。寮の管理人にしたって、入寮者はお金を払って頂く立場なんだから、ある意味お客さんな訳だしな。

 まあ、みんな、訳ありの者ばかりでした。私も含めて。管理人の50代の男は、一千万円の借金があった。それは沢山のクレジットカード会社の借金であった。でも、トンズラして、そこに潜り込んでいた。借金取りも、まさか福島で除染の仕事をしているなんてことまでは、突き止められなかったようだ。でも、その人のスマートフォンには、頻繁にクレジットカード会社から電話がかかってきていたが、ことごとく無視していた。その人いわく、三年くらい逃げおおせれば、借金がチャラになるらしい。本当かしら?あとの夫婦の管理人の方も、今まで色んな事業をしてきたけど、失敗して、借金が一千万円程度あるらしい。だから、寮の運営費とか、他にも色々と出費があるとかで、一か月に百万円稼いだとしても、とても足りないと言っていた。

 で、なんで俺が福島に行ったのか?と言えば、霊的知識普及の為の本を出版したい、と考えたからだ。それで、出版費用とか、新聞の広告欄への掲載料とかも、実際に調べていた。まあ、後々、青山考明に騙されて、そっちの線は断念しますけど。ただ、青山に騙されるまでは、本気で霊的知識普及の為の本を出版しようと考えていた。まあ、あとはライフカードの借金30万円も返済しようとしていた。あとは、それまで溜めに溜めていた、国民健康保険料の未払いも払おうとしたが、こっちは、親が支払ってくれた。丁度、この時、政府が過去十年まで遡って追納できるという制度を期間限定で設置していたので、なんとかギリギリで未払いの期間も全て支払えた。計160万円程度だったかな。だから、今は、未払いの期間は、とりあえず、ない。まあ、でも殆ど国民年金しか支払っていないので、このままでは老後はピンチですけどね。

注釈]このページは、[恥の多い人生を送ってきました(18)]よりも古い公開日となっています。しかし、作成日は[恥の多い人生を送ってきました(18)]よりも最新です。それは、作成日は一番最新であっても、公開日を以前公開した記事よりも古くしなければ、以前公開した記事よりも下に位置しないからです。これがブログのシステムなので、ご理解ください。


 それで、住宅班は、面倒くさかった。山肌を削っていた時は、単純作業だったが、この住宅班は、住宅の敷地内の物に気を遣いながら作業せねばならない。それで同じ給与なのだから、超嫌だ。庭の表土を剥ぎ取って捨てたり、新しい土を被せたり、落ち葉の清掃とか、砂利を敷いたり、車に繋いだ高圧洗浄機のジェット噴射で、石垣のコケを落としたりさ。とにかく、気を使わねばならないので、面倒だった。あとは庭に捨ててあるタイルを拾い集めたり、まあ、そんなことでした。私も時々、高圧洗浄車のトラックを運転して、水を汲みに行ったりしました。まあ、田舎だから、他の車はそんなに走っていないので、緊張はしなかったけど。

 でも、そんな作業の中でも、残ったメンバーは、え~と、俺も含めてあと六名か。そんで、やはり厳しい管理人の人と折り合いが合わずに、途中でどんどん脱落していってしまいました。一人は40歳位の、家族と子供がいる人でしたが、居心地が悪かったらしく、とっとと新しい除染の職場を見つけて、そっちへ移ってしまいました。あとの一人は、やはり管理人と折り合いがつかず、出て行ってしまいました。50代の管理人さんの、風呂場は水道代や温度がもったいないので、二人同時に入れ、という命令に納得できずに反発して、「ここは刑務所か」と発言してしまったら、その管理人さんがキレてしまいました。それで、テーブルのある部屋で話し合いがなされて、一度はその作業員も納得して居続けるという選択をしたようですが、やはり東京で友達経由で職場が見つかったらしく、そっちに移ってしまいました。だから、残ったのは、私と、あと40歳くらいの穏やかな性格の人、32歳の同い年の穏やかな人、あとは50歳の穏やかと言えば穏やかですが、癖のありそうな人が残りました。まあ、結局、このような状況では、他人と衝突してしまう性格の人は、生き残れなかった、という訳だ。

 でも、その後、その50歳の作業員も、バックレてしまいました。作業開始から一か月が経過した頃から、なんだか、管理人三人と部長さんで、新たに除染の会社を複数立ち上げて、まとめて、新しい職場を作る、という話がありました。その内の一社に、管理人さん達が経営陣の会社を作れ、それで、俺にも多少は儲けさせろ!という部長さんの方針でした。なので、管理人さん達は、寮で儲けるというビジネスは破綻しましたが、今度は、自分達が経営者となり、多くの作業員を雇って大儲け出来る可能性が出てきたのでした。元々、その部長さんと三人とは、たまたま知り合ったらしいのです。その二人の夫婦の管理人と50代の管理人もたまたま会ったし、部長さんとも縁あって会ったらしいのです。それが、作業開始からほんの一月程度で、そんなビッグチャンスが舞い込んで来たので、管理人さん達は有頂天になっていました。

 それで、我々残ったメンバーも、新しい会社に来れば厚遇するから、ということで、勧誘されていました。その50歳の作業員の人も、職長にして厚遇するから!とのことで、説得されていたのです。しかし、ある日、ちょっと実家に帰るということで、確か名古屋に帰ってしまいました。その後、直ぐに帰って来ると思っておったのですが、待てど暮らせど、帰っては来ませんでした。やがて、その人が、寮費の残りを支払いたくないから、バックレた、ということが確定的となり、今まで信じていた管理人さん達も、一斉に罵倒し始めました。しかし、その人の最後の給与は、バックレたということで、直接、その会社に受け取りに来なければならない、ということになってしまいました。それで受け取りに来た時に、管理人さん達で問い詰める、という話になって、その人は、怖くて受け取りに来れなくなったようです。で、今、その最後の給与の行方は知りません。なので、バックレずに普通に[辞めます]と言って、最後の寮費を支払って、給与も受け取って帰れば、万事解決だったのにね。まあ、その人は見た目は怪しかったのですけど、話し方とかはまあまあ穏やかだったし、冗談もよく言う人だったので、信用されていたのでした。しかし、やはり内面は、今までそういうことが度々あったようです。管理人さんがその人の奥さんに電話したら、まあ、その奥さんは東南アジア人なのですが、「ワタシモアノヒトニダマサレタヨ~」なんて言っていたようですから。

 と、いう訳で、残りは私も含めて、作業員三名、管理人三名となりました。でも、もうこの頃には、管理人さん達も、別に寮費で儲ける話ではなく、新たな除染会社を作って大儲けするという方向にシフトしていたので、別に大したダメージではありませんでした。

 で、私達も誘われたのですけど、私以外の一人は実家に帰り、もう一人は新会社に移行しました。

 結局、私は神奈川に帰ることにしました。俺は真面目だから、信頼できるとのことで、是非、新しい会社にも来てくれ、とのことでした。けども、その新しい会社を作るにあたり、「今まで勤めていた除染会社に潜り込みながら、そんな新しいライバルとなる会社を立ち上げることを目論んでいたのか!」というように、元の除染会社の人からキツい目で見られたりしました。また、それまでの煩わしい人間関係にも嫌気がさしておったので、私は臆病でしたから、帰宅を選択してしまったのです。その時に、元の除染会社の運営する寮に移動して、そのまま勤務を続けないか?という話もあったのです。だから、二つの除染会社で働き続けられる可能性はあったのです。けども、私はそのどちらも選択せずに、帰宅するという選択をしてしまいました。後々考えれば、そのままどちらかに残り続けて、大金を稼ぎ続けた方がよかったように思えます。どちらに残るにしても、寮費を引いた後であれ、無能な私にとっては、けっこうな金額を稼げた計算になったのですから。仕事内容も、今までそつなくこなせていたのですから。

 ライフカードの借金は未返済のままでした。まあ、なんとかなるだろう、みたいな、安易な考えで放置しておりました。今から考えれば、ライフカードの借金返済分のみでも、そのまま残り続けて、頑張って稼いだ方が良かったように思えます。まあ、うんと遠い将来的に、微量の放射能を浴び続けたせいでの体への影響のことまでは、知りませんけど。とにかく、私の福島での生活は、二月から始まり、三月から働き出して、五月末辺りまでで終了しました。ごく短期間しかいませんでした。

 で、私は、最初の頃には、新会社なんて上手く行く筈がない、と勝手に思い込んでいたのですが、どうやら、その新会社の様子をネットで見ると、けっこう上手くやっているようです。ただ、最近は新規作業員の募集は見かけないので、今、どうなっているのかは知りませんけど。私も、あの時、半年でもいいから、もうちょっと頑張って留まっておればよかったかなぁ、と、今でも後悔しております。

注釈]このページは、[恥の多い人生を送ってきました(18)]よりも古い公開日となっています。しかし、作成日は[恥の多い人生を送ってきました(18)]よりも最新です。それは、作成日は一番最新であっても、公開日を以前公開した記事よりも古くしなければ、以前公開した記事よりも下に位置しないからです。これがブログのシステムなので、ご理解ください。


 それで、まあ、除染の仕事関連のことは、以上です。まあ、あんまり詳しく書いても、それは他人の個人情報の特定に繋がってしまうので、これでお終いです。

 ここからは、私個人に関することを、少し、というかけっこう書き連ねていきたいと思います。

 んで、最初に福島の寮に集まった時に、皆さん、殆ど、スマートフォンでした。対して、私はその時はまだ、ガラケーでした。スマートフォンなんて不要だと思っておりました。けども、その時、ガラケーではインターネット契約はしていなかったので、純粋な電話専用機でした。それで、周りの皆さんが、スマートフォンでインターネットを閲覧しているのを見て、私も、そろそろスマートフォンに移行した方がよいかな・・・なんて思い立ってしまい、皆さんが一時的に解散した直後に、いわき市のAUショップに赴きました。

 まあ、その時は、たしか2013年の2月頃でした。その頃はまだ、格安SIMなんて知らなかったし、存在していたのかどうかも不明なので、AU一択でした。だって、AUのガラケーだったから。今思えば、ドコモとかソフトバンクに乗り換えとけば、乗換割で安上がりになったのかなぁ、と思いますけど、後の祭りです。

 そんで、AUショップに行ったら、まあ、その当時の最新機種が五機種程度展示してありました。その中で、私は、とりあえず一番重要視したのが電池の持ち時間でしたので、そのラインナップの中で一番電池の持ちが良いと表示されておった、京セラのDIGNO S KYL21という機種にしました。カラーは白色にしました。本心では、ピンク色が良いと直感したのですが、その当時は、男ばかりの職場と寮で、ピンク色のスマートフォンを選択する勇気がありませんでした。でも、今使用中のガラケーはピンクですけど。

 それで、スマホを契約するという話になったのですけど、そこのショップの店員が、上手く私を話術で丸め込みました。それは、こういうことでした。「子供向けの見守りケータイを別途、新規に契約してくれれば、二年間、このスマホ使用料が割引になりますよ!」というものでした。その当時の私は、キッパリと断るとか、相手の本心を見抜くという力が圧倒的に不足していたので、相手の主張するがまま、その形態で契約してしまいました。

 だから、私は、本来の携帯番号のスマホと、あともう一つ、使用する予定のない携帯番号が付与された、子供向けキッズケータイを持つに至りました。当初は、「これで得した!」なんて思っていたのですけど、やはり、子供なんていないのに、なんでキッズケータイなんて契約したんだ・・・という後悔が沸き起こって来ました。で、結局、後に、そのキッズケータイは、直ぐに解約してしまいました。結局、そのキッズケータイの解約料約一万円と、キッズケータイの残債を一括で支払うという、バカげた結果になりました。あの時のAUショップの男、ぶっ殺したい!と思うけど、実際にぶっ殺したら、刑務所に入れられてしまうので、止めときます。

 そんな形で、当初はスマホの使い方に戸惑いながらも、なんとか一か月も経過する頃には、大体の操作及び仕組みは理解しました。それで、色々とインターネットを閲覧しておました。

 その頃、まだ私は、霊的知識普及の為の本を出版することを目標としておりました。なので、支援者、多額の金銭を支援してくれる人なんて、おらんかなぁ~・・・なんていう甘い気持ちで、色々とそのようなキーワードを入力しながら、ネットサーフィンしておりました。そして、雨の日、除染作業が出来なくて休みになった日のことでした。その日、私はいつものように、押し入れの中におり、スマホで支援者を探しておりました。

 すると、青山考明という人物のサイトに行き着きました。その人物は、大金持ちで、カナダ在住であり、イタリアとか世界中でビジネスをしており、主に不動産とかで財を成した人物とありました。その青山考明が、日本の困っている人、40歳以下の、何かをやり遂げたい人に、無償で金銭的な支援をする、という趣旨のブログでした。私はそのブログを発見した時に、「この人だ!この人しかいない!」と、直感で思い、有頂天になりました。遂に、探し求めていた人物に出会ったからです。

 それで、早速、ブログの内容はそこそこ見ただけで、メールで連絡を取りました。すると、直ぐに返信がありました。私はスマホで自分の考えを訴えました。しかし、スマホはご存じの通り、PCのタイピングのように素早くは入力できない。だから、もどかしいので、時間はかかりますが、いわき市のネットカフェに向かいました。もう午後二時頃だったと思いますが、「この人と本格的に連絡を取り合いたい!」と思い、急いでネットカフェに向かいました。

 ネットカフェに到着した後、私は二時間位かけて、自分の熱意を超長文にまとめて、送信しました。それは、霊的知識普及の為の書籍を出版したいので、その執筆の為の部屋を借りる費用、あと新聞へ広告を載せる費用、出版費用、あとはパソコン数台の費用等、合計二千万円を要求しました。それで、青山考明は「それでOKです、齋藤さんの熱意に負けました!」とのことで、OKを貰いました。そんで、「その齋藤さんの熱意が本物かどうか、まずは証明してください、その為に、齋藤さんが、今、私に振り込めるだけの費用を、お振込みください!」というメールが来た。

 私は少し悩んだ。「もしや、詐欺ではないか・・・・?」と。事実、[青山考明]で検索したら、その当時は、[青山考明は詐欺師だ!]というページが幾つか出てきました。でも、青山考明を賛美するページも幾つか出てきました。「私は青山考明さんの支援で、実際に自分の店をオープン出来ました!」という、料理人のブログも発見しました。後に、それは青山考明と名乗っていた詐欺師野郎が自作自演で作った偽のブログだったのですが・・・でも、その当時の俺は、多少は疑心暗鬼になりながらも、「いやいや、このチャンスを逃したら、もう、チャンスなんかないだろ!」ということで、青山考明を信じる方向に突っ走ってしまいました。今から思えば阿呆なのですが、事実阿呆なのです。阿呆なので、実際に自分で痛い目を見なければ、理解出来ないのです。詐欺師が世の中には大勢いるというのは、当時でもニュースで数多く、それまでの人生で認識していたのですが、実際に自分が騙されるとは、思ってもみませんでした。まあ、私のようなバカが沢山いるので、詐欺師もわんさか蛆虫の如く湧いて出てくるのですけどね。

 それで、実際の最初の給与の振込の直後の休日に、いわき市に行って、まずは喫茶店に入りました。そこで、青山考明に再度連絡しました。それで、今から振り込みますと。で、その時も、微かに、というか、心の中では4割位は迷っておりました。「やっぱり詐欺なのではないか?」と・・・。でも、ここまで来たのだから、やるしかない!という思いで、近くのみずほ銀行のATMから、15万円も振り込んでしまいました。

 二千万円くれるんだから、私の熱意を証明する代償として、除染で稼いだ15万円、つまり15日分の給与を、振り込みました。初月の振込は、20万円で、その内の5万円はライフカードの借金返済分とかで取っておいて、あとの15万円を振り込んでしまったのです。

 まあ、結果としましては、やはり詐欺師でした。超絶、後悔しました。地球一周航海してしまうほど、後悔しました。まあ、そんな甘い話は存在しませんでした。その青山考明のブログには、病で苦しむ子供を支援したとか、資金繰りに困っている建設会社の社長に無償で六千万円支援したとか、夢のある若者に五百万円支援したとか書かれていたのです。てっきりそれらは本当の話だと信じてしまったのです、私は。でも、それらは全部、青山考明の自作自演でした。[青山さんへの五歳児の感謝の手紙]みたいなのも載っていて、それには五歳児が青山考明に、心臓病の治療費を支援してくれたことを感謝する簡単な言葉と、グチャグチャな下手くそな絵が描かれていたのですが、それらも全部、青山考明が自作自演した、只の絵でした。あー、バカらしい。

 でも、本当に、疑うことを知らぬ、純粋なバカが見たら、本当に信じてしまうような内容だったのです。他のサイトにも、[青山さんの活動は素晴らしい、私も見習いたい!]みたいな記事があり、思わず信じてしまいました。まあ、知能の高い人からすれば、「バカじゃねえの」と思わず吹き出すような、幼稚な詐欺事件かもしれません。しかし、私は実際に、苦労して苦労して、重たい石とかヒーヒー言いながら運んだり、泥だらけになりながら仕事して稼いだ15日分の日当を、その詐欺師に振り込んでしまったのでした。

 正確に言えば、この後も継続して騙され続けるのですけど、まあ、その話は後程、話します。とにかく、このクソ野郎に、金を毟り取られました。当初は殺してやろうかと思いましたが、居所なんて分からないし・・・警察に被害届を出すにしても、あまりにも欲深なバカげた理由だし・・・別に200万円とか400万円詐取された訳ではなく、15万円という、微妙な額なので・・・結局、警察には訴えずに終わりました。

 これはバカな俺に対する、世の中の厳しい洗礼、授業料だと、そう自分に言い聞かせました。ただ、皆さんに誤解しないで頂きたいのは、騙されたり被害に遭っても、泣き寝入りしろ!ということは、私は絶対に言いません。強姦被害とか、強盗被害とか、詐欺被害に遭ったら、迷わず、絶対に警察に訴えるべきです。そういう事件の被害者ならば、絶対に泣き寝入りするべきではありません。ただ、今回の件に関しては、被害金額も微妙な額ですし、この事件のお陰で、私は多少は賢くなることが出来て、更にアルマジロみたいに用心深くなれた、ということで、プラスに働いた部分もあり、訴えなかっただけです。

 あと、自分が欲深過ぎて騙された、と訴えるのが、どうにも恥ずかしかったからです。あまりにもアホ過ぎだからです。警察署の取調室で、「無償で二千万円くれることを本気で信じたのか?君は」と尋ねられて、「はい」というやり取りをするなんて、あまりにも恥ずかしいと思ったからです。純粋な被害者ならばよいのですが、私の方も大きな欲をかいた結果の被害だったので・・・まあ、青山考明の方も、こういう相手の心理状態も考慮して、詐欺を働いていたのでしょうな。その頭の良さを、世の中を良くする方向に使えばよいのにね。

 そして、この青山考明を名乗ったクソ詐欺師野郎は、神の定めたカルマの法則により、必ずや、俺を騙した分のカルマ、いつか必ずコイツの人生に跳ね返ってくるのは確実なので、後の懲らしめは、神にお任せします。

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