死にたい自殺サイト自殺方法自殺ダメ

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自殺の霊的知識を知るっちゃ!

カテゴリ: ★『管理人について』

その後、俺は貯金が百数十万円あったはずなのだ。しかし、一体何に使ったのか分からないが、九月末に辞めて、翌年の四月頃までには、もうほとんど空になっていた。多分、風俗とかで、知らないうちにちょっとずつ残高が減っていったのだと思う。
 この金を使って、脱毛の複数回契約をしていれば、その後の人生も、少しは加速しただろうけど、俺は相変わらず、無目的で、散財してしまっていた。美容外科での脱毛を思いついた時には、もう既に、残高がほとんど無かったんだ。本当にもう、どうしようもない浪費に関する支出内訳というのは、記憶に残らないものだ。まぁ、SEOには、十数万円の費用はかけた。その甲斐あって、俺の自殺防止サイトはかなり上位表示されるようになった。それは、かなり誇らしかったし、お礼のメールや質問のメールや相談のメールなどもちょくちょく来ていたので、それらにたまに対応していたりした。
 仕事の方は、十二月頃、今度はビデオボックスの仕事に就いた。これは、日給一万円で、一日十時間労働だったかな。健康保険とか厚生年金とかは一切ありません。休憩時間は、ほんの少ししかなかった。ビデオボックスとは、男性が狭い個室に入り、エロビデオを見て、性欲を解消するという形態のお店です。だから、店内にはエロDVDがたくさん陳列されていた。
 それで、俺は採用されたので、働き始めました。各地の店舗に行かされました。毎日毎日、週六日勤務だった。東京とかの離れたところの店舗にも行かされたな。交通費は自腹でした。そこで、俺は、男性が射精した後のティッシュを捨てたり、個室を布で掃除したり、う〜ん・・・こういう仕事でした・・・。
 店舗の運営の仕事を覚える前に、まずは清掃業務が主な新人の仕事だった。それで、俺は毎日毎日、忙しい時は、あっちの部屋を清掃し、こっちの部屋を清掃しで、忙しかった。店内の仕事だったけど、とても体力を使う肉体労働だった。あとはDVDを元のケースに戻したり。
 結局、これを続けていても仕方がないと思って、二週間で辞めてしまった。それに、単純に、他人の精子のついたティッシュなどの清掃は、嫌だったから。まぁ、なんでここに応募したのだろうか・・・きっと、自分自身がビデオボックスに来店した時に見た求人広告だったかな、忘れた。まぁ、会社の方も、すぐに辞めてしまう奴が大量に発生するのは見越しているので、どんどん新規で採用していた。だって、俺が東京の本社に面接に行った時も、他に面接に来ていたのは浮浪者みたいな人や貧乏そうな人がほとんどだったし。そういう人達が、俺を含めて、何十人も面接しに来ていた。ほとんどの人が私服だった。だから、直ぐに誰かが辞めても、毎週毎週採用しているので、人員は足りていたのかな。まぁ、順調な人生を送っている人は、他人のマスターベーション後のティッシュとか部屋の清掃をする仕事には就かないだろうからな。

 その後、俺の自殺防止サイト経由で知り合った自殺志願者の女性が、自分の旦那が霊能者だとかで、あなたには世話になったから無料で霊視してくれるように頼んであげますということで、俺はその霊能者の人と会いました。
 その人は、接骨院だかを営んでいて、若い頃、霊能者の修行をしていたそうな。それで、患者さんやらを無料で霊視してあげているそうな。それで、俺も、その時、今後、どうやって生きて行けばよいのかてんで分からなかったので、ワラにもすがる思いで、その人に霊視を頼みました。
 その人が俺を霊視すると、詳細は忘れたが、とにかく、俺は将来、何かを植える仕事をするとかなんとか言っていた。土を掘るとかなんとか・・・。俺の守護霊に色々と聞いたらしい。詳しいことはあなたの人生に影響を与えてしまうからと、教えてくれなかった。
 それを聞いて、俺は家に帰り、はて?何かを植える仕事って、一体なんだろう・・・?と悩んだ。それで、思いついたのが、植木屋だった。俺は植木屋の求人をハロワで探して、マジで電話しようかと思ったが、なんかふんぎりがつかなかったので、結局電話しなかった。
 その後、う〜ん・・・やっぱり、植えるといったら、野菜かなんかなのかなぁ〜・・・と思って、マジで農業をしようかと思った。以前にボラバイトで農業は止めたって決めたのに、あの霊能者がああいうことを言ったので、俺はまた農業が適任なんじゃないかと、そっち方面に考えてしまったのだ。それで、その資金を稼ぐ為に、横浜の風俗店に面接に行った。風俗店で住み込みで数年働けば、資金を稼げるかなぁ〜と思ったからだ。だから、東京スポーツに掲載してあった風俗店店員の求人に電話しました。しかし、結果は、なんか色々とトラブルがあって、店長を怒らしてしまい、店舗の裏口から追い出された。ああ、思い出したくないな。
 なんで俺はこんなに馬鹿なのだろうか。そもそも、その霊能者が言うことが本当かどうかなんて分からない。本当にその自称霊能者に霊能力があるのかどうかなんて、霊能力のない俺には判断出来ない。無料で霊視してくれるし、見た目も良い人そうだったので、その時は、「この人は本物だろう」と思い込んでいたが、果たして本当にそうなのだろうか・・・。それは、俺には分からない。
 次に、何かを植える仕事というのは、あくまであの霊能者が言ったことであって、俺が何かを植える仕事をしたいと思っていた訳ではない。なのに、俺は自主的な自分の意見・意志ではなく、まったくの見知らぬ他人の意見に従って、自分の人生を決めてしまうところだった。そんなの、アホすぎる。

 だから、もう、安易に霊能者と呼ばれる人には、近づかないでおこう。だって、その人の霊能力が本物かどうかなんて、俺には分からないからな。たしかに、俺はスピリチュアリズムを信じているので、霊視とか言われると、グラッと気持ちが傾いてしまった。しかし、スピリチュアリズムの本にも書いてあるとおり、世の中には偽者も大勢いるのだから、安易に霊能者に相談するのは良くないな。

 それに、やはり、自分の人生は、自分の意志で決めるべきだ。他人の意見に従って決めたら、それは、その後に上手くいった場合を除いて、きっと後悔するだろうからな。

俺は、五月まで無職でした。その間、一体何をしていたのか、よく思い出せない。しかし、嘘を書く訳にはいかない。書いている途中の今でも、この文章を書いていて、あまりにもグタグタ過ぎて、自分自身でも辛いのだから。

 それで、俺は五月に、ハロワで探した清掃の求人の面接を受けに行った。それは、別に給与が良かった訳でも、その他の待遇が良かった訳でもないんだ。ただ、清掃なら、俺にも持続して出来るかなぁ、と思ったからなんだ。で、面接を受けたけど、年齢に対して、あまりにも経歴がグタグタなのを指摘されて、とても鬱になりました。ただ、その会社でやっている、別事業の食品関連の工場でのアルバイトならば、もしかしたら大丈夫かもしれないということで、申し込みました。時給は800円と聞いていたけど、それでも、その時はもう、それにすがるしか、残された道はなかったように感じたからだ。はぁ〜・・・28歳で時給800円のアルバイトとは、死にたくなるな。

 後日、受かったという連絡が来たので、数日後、出勤しました。そこは、小さなお弁当の工場でした。そこで、俺は最初は、昼勤務で、総菜の盛りつけや、フライのカットなどを担当していました。イカのフライを包丁でカットしたり、トンカツをカットしたり・・・それをパックに入れたり・・総菜をお玉ですくって適量を盛りつけたり。そんな仕事でした。で、夜の八時までだったのだが、そこは、その日の仕事が終わらないと、帰っては行けない会社でした。つまり、世間でよく言う、サービス残業が常態化した会社だったのです。俺はここで、サービス残業という名の理不尽な扱いを受けた。しかも、ただのバイトだったのに・・・。勿論、厚生年金とか健康保険とかはなしで、雇用保険さえも、四ヶ月目からしか、なぜか適用されなかった・・・。何もない、ただのバイトなのに・・・酷すぎるけど、その時は、俺はもう、自分の経歴に対して、どうしようもない思いに囚われていて、これも仕方ないと思い込んでいたようだ。
 だから夜八時までなのに、まだトレーの洗い物が終わらないからと、何十分も、さらには一時間も、さらには一時間数十分も、サービス残業させられた。けど、その時の俺は、重ねて言うが、精神が本当に弱っていて、かつ家にいても、どうしようもないしで・・・・もう本当に、奴隷のような精神状態でした。それに、そこは、他のバイトや正社員達も、当たり前のようにサービス残業をしていたので、なんだか、俺もその雰囲気に飲まれて、それが正常であると思い込んでいたのだ。それに、今まですぐに辞めてしまっていたから、なんとかここで、最低でも一年間は頑張ろうかなんて、今から思えば馬鹿ずきる考えで凝り固まっていたのでした。
 それで、昼の勤務が三週間ほど過ぎた後、俺は突然、夜の勤務に変更になりました。夜の八時から翌朝の五時までという契約でした。ただ、サービス残業が常態化している会社にとっては、こんな時間の縛りなど、無いに等しいのだ。だって、いつも出勤したら、用紙を書かされるんだ。それは、『私は西暦○○○○年○○月○○日、午後八時から午前五時まで働いた』ということを、自筆で書かされる。まだ、その日の勤務は始まったばかりなのに、終了時刻を確定されるのだ。それは、きっと、その人が辞めた後に、裁判を起こされないように、前もっての予防策なのだろう。セコいなぁ。というか、これは殺人だよ。時間泥棒だよ。マジでサービス残業のせいで疲れすぎて、心臓ドクンドクンと異常な速度で脈を打って、本当に死ぬかと思った。毎日睡眠時間が三時間程度だったし。しかも、ここは家から近いにも関わらずだよ。 それが週六日続いた。給与明細だって、なぜか基本給が五万数千円で、残りの十数万円が残業代ということになっていた。は?どういうこと?ふざけんなよ!と、今なら俺ははっきりと言えますが、当時の俺は、まさに奴隷でした。以下、詳細を書く。

 昼勤務の時でも、一時間から一時間半程度のサービス残業をさせられていたが、夜勤務になったら、そりゃもう、酷すぎた。俺はただのバイトなのに。夜勤務は、俺が配置された弁当の盛りつけ班には、おじさんのバイトとおばさんのバイトの二人がいた。そこに、俺が加わったのだ。夜八時から、延々と盛りつけて行くのだ。それが終わったら、清掃とか洗い物とかの片付けと、翌日の準備・・・というか、その日の夜の準備だな。しかし、圧倒的に仕事量に対して人員が足りないので、午前五時までに終了できるはずがなかった。社長は、一生懸命に頑張って、午前五時よりも早く終わらせることが出来れば、とっとと帰っていいよ、とか言っていたらしいが、そんなの無理に決まっている。どんなに効率よくやっても、そりゃ無理だ。だって、休み無しで働き続けて、いつも午前十時とか、酷い時には、正午を過ぎた時まであったんだから。それも、すべてサービス残業という名の搾取だよ。例えば俺が会社の金を10万円盗んだら、警察に逮捕されるのに、会社が10万円分の俺の残業代をサービス残業とかいうふざけた風習に甘えて払わなくても、何の罪にも問われないとは、一体どういうことだ?マジで日本、死んでるな。 
 最初の一日目は、他のバイトの人も俺に配慮して、ちゃんと休憩時間を取らせてくれたよ。だけど、なぜだか、他のバイトの人達は全然休まないんだ。それで、段々と分かって来た。夜勤務は、激務で、とうてい時間内には仕事が終了しないので、バイト達は、必死になって、少しでも早く終わらせようとして、無休憩で働いていたんだ。それに、朝には出荷のトラックが来ちゃうから、それまでに何としてでもすべての弁当を完成しなくちゃいけないんだ。弁当を盛りつけるだけじゃなくて、それからラップをして、各スーパー向けの台車に振り分けなければならない。それにもかなり時間がかかるので、みんな必死になって頑張っていたのだ。だから、その雰囲気の中、俺だけが本来決められた一時間の休憩時間をちゃんと取る訳にはいかないので、翌日から、俺も休憩時間はほんの10分程度の食事の時間だけ取って、後はトイレ休憩だけで、そりゃもう、馬車馬のように働いた。だから、延長分のサービス残業時間分だけじゃなくて、本来の休憩時間分も働き詰めなんだから、その分もサービス労働だよな。
 ふざけんなよ、まったくよ。思い出したら、本当に馬鹿らしい。だって、夜八時から夜十時までは時給800円で、それからは午前五時までは時給1000円だから、日給は7600円なんだよ。休憩時間が間に一時間あることになっているから。だけど、サービス労働分を足すと、時給500円とか、最悪な時は時給400円台の時もあったろう。あー、アホらしい。でも、その時は、周囲が当たり前のようにそれをしているので、それにつられて、俺もそれが当たり前に思っていたんだ。ただ、俺は弁当の盛りつけコーナーにいたのだが、後ろの方にあるラップをかける機械とか台車に乗せるコーナーでは、人が頻繁に入れ替わっていた。ある日、ラップコーナーにおじさんが新しく入って、そこで働き出したのだが、退社時間が来ても当たり前のように働かされる雰囲気に対して、「契約と違うじゃないか!!!!ふざけんな!!!!!」みたいに怒って、帰ってしまい、翌日からは出勤して来なかった。その時は、俺もみんなも、「あ〜ぁ、忍耐力がないなぁ〜」みたいな感じだったのだが、何のことは無い。間違っていたのは俺達だったのだ。たかがバイトの身分で、そんなに一日に四時間も五時間も六時間も七時間もサービス残業させられて、思考が狂っていたのだ。なんか、カルト宗教の信者みたいに、あべこべに考えていたのだ。正しいのは、すぐに辞めたそのおじさんであり、間違っていたのは、サービス残業地獄にこき使われていた俺達だったのだ。
 途中で、正社員の若者が、昼勤務から弁当の盛りつけ班に配置転換されて、その後、後ろのラップや台車のコーナーに配置転換されたけど、ある日、その人は、突然バッくれた。その人は、それまでニコニコと対応していたが、心の中では、もう会社に対してブチキレていたのだろう。会社のマネージャーがその人の家にいっても、会おうとしなかったらしい。あんな穏やかな青年をブチキレさせてバッくれさせるとは。ただ、あの青年にとっては、その方が確実に良かった。多少の空白期間が出来たとしても、あの会社で定年までなんて、無理だし、それはあの青年のためにはならなかった。だって、バイト同士でも、正社員が帰った後の深夜帯で、「こんな会社じゃあ、あの独身の○○、結婚なんて出来ないよ」なんて、愚痴や文句や噂話を言い合っていたし。そりゃそうだ。こんな仕事形態じゃあ、絶対に無理だろう。婚活する時間的余裕も精神的余裕も金銭的余裕もないだろうよ。まぁ、正社員といっても、ボーナスは数万円だけだったとバイトのおじさん経由で聞いたし・・。何がなんでも正社員じゃ、ないよなぁ。正社員という身分にも、ピンからキリまであるよな。本当にもう、正社員の皆さんも、疲れ果てていたよ。顔が疲労で覆われていたな。
 ただ、俺の弁当の盛りつけのコーナーも、作業が遅いとか文句を言われた。くそっ!!何が作業が遅いだ。ただ単に、仕事量に対して人員が圧倒的に足りていないだけだよ。だって、後に、弁当の盛りつけコーナーの人員を二人増やしたら、午前五時で上がれた時もあったんだ。その時は、まだ作業をしていたラップとか台車コーナーの人達から文句が出た。「えー、もう帰っちゃうの〜、早いよ〜」みたいに言われたのだが、それが本来の契約なんだから!!ただ、やはり人員を増やすとコストが増えるから、すぐに人員は削減され、また元のサービス残業地獄に戻りました。いつも帰途につくのは、もう学生達が登校し終わった午前・・・というか、ほぼお昼の午前でした。最悪な時は、マジで12時15分まで仕事させられたからな。マジ、ふざけんなよ、偉ぶりやがってクソ野郎が!!!7時間15分もタダ働きさせられたぜ!!!しかも、休憩時間もほぼ働いていたので、実際はプラス40分くらいだ。ああ、もうね、マジで身体が死ぬよ。家に帰って、風呂とか飯とかでなんだかんだで、寝るのが午後三時・・・で、起きるのが午後五時・・・それから飯食って・・・出勤・・・それから地獄・・マジで、週一日の休日は死んでいたよ。

 でも、正社員の方も、バイトと同様に、サービス残業地獄だったので、いつもピリピリしていた。昼勤務の正社員の人も、作業中にぶっ倒れた人がいたし。午前8時に出勤して、深夜12時過ぎまで残っていた時もあったからな。普通、睡眠時間が8時間だろ。仕事以外のプライベートな時間が8時間って、どういうことですか?マジで、この日本は震える程、間違っている。まぁ、公務員みたいに、きっちりと決まった時間に、定時で上がれる人には分からないでしょうが、日本には、ネットで調べると、日本全国に、こういう職場が至るところにあるという。そのくせ、先進国の中で、一人当たりの時間あたりの効率が最悪なんだってさ。しかも、それはサービス残業時間は含まれていないだろう。マジ、この国って何なの?ドイツとかフランスとかイギリスなら、こんなこと、無いと思うけど・・・。

 ある時なんて、ある正社員の若い女性は、サービス残業と仕事のストレスと上司との人間関係で精神がおかしくなっていて、夜勤務のバイトのおばさんに、「もう、今考えていることは、自動車を運転している時に電柱に突っ込むことだよ」なんて涙を流しながら言っていた。それに対して、バイトのおじさんやおばさんが、「あのねぇ、逃げることも大切だよ。逃げることは卑怯でもなんでもないよ。逃げるが勝ちって言うでしょ。おばさんの息子がもしもあなたみたいになっていたら、間違いなく辞めなさいと言うよ」なんて説得していた。けど、その若い女性社員は、まだここに来て一年も経っていないし、今辞めたら、なんだか負けたような気がするので、まだ頑張るとか言っていました。あー、アホくさい。一方で、自分で自殺したいとか言っているのに、それでもまだそこで頑張るって言う精神構造は、こりゃ、日本人特有のものだな。欧米人ならば、さっさと辞めちまうと思うけどな。そうやって、毎年毎年、大勢、過労死したり、過労自殺したりしているのだな。逃げりゃいいのに・・・まぁ、そりゃ、この時の俺にも言えることだったが。さっさと最初の頃に辞めちまえば良かったのにな・・・。でも、辞めたくても、マジで俺が辞める前に、次々と他の人達が辞めちまったので、俺が辞めるタイミングを逸したというのもある。今から思えば、俺が辞めた後のことなんて無関係なんだから、そんなの一切配慮せずに、辞めちまえばよかったんだ。上司が難色を示したって、そんなの知るかって言ってりゃよかったんだ。なんでこの時の俺は、こんなに俺を虐めている会社に対して、アホな配慮というか、遠慮の気持ちを持っていたのだろうか・・・。マジでアホ過ぎる。
 本当によぉ〜、マジで・・・あの上司とか、超怒鳴って来たけど、ふざけんなよ。こっちは何時間もサービス残業してやってんのによ。しかもバイトなのに・・・。アホらしい。アホらしい。アホらしい×10000000000000000回だよ。本当にもう、アホらしい。ここ辞めてからずっと後で、ユーチューブで、外食産業でサービス残業地獄で過労死しちゃった24歳の若者の話を見たが、ありゃ、本当に殺人だよ。これは、人殺しです。大体、人の身体はそんな頑丈には出来ていない。ちょっとの不調でコロッと死ぬような弱い生物なのに、一日16時間とか労働させるって、どういう神経しているんだ?マジで鬼畜だな。殺人鬼だよ。日本でこんなに過労死があるのは、殺人鬼の経営者が多すぎるからだよ。あと、サービス残業をさせなけりゃマトモな利益が生み出せないという低能な経営者ということだな。合法的な殺人鬼だな。いや、違法なんだけど、日本では見て見ぬ振りされているので、半ば合法化しているって意味だよ。しかも、殆どの過労死は認定されないしな。あー、アホみたいな国だ。その過労死した若者は、やっと正社員になれたので一生懸命に頑張っていたが、やはり身体が限界を超えて、ぶっ倒れて死んでしまいましたとさ。他にも、ネットで見たのだが、やっと正社員になれた28歳の若者が、ジュースを路上の自販機に補充する仕事に就いたけど、とにかくサービス残業地獄だったそうな。けど、やっと就けた正社員の職だからと続けたが、とうとう精神に異常をきたして、自殺してしまったそうな。だから、そりゃ、正社員が非正規に比べて優遇されていて、日本ではブランドみたいな価値があるのは、そりゃ分かる。でも、死んじまったら終わりなんだよ。過労死したり過労自殺しちゃったら、正社員もクソもないよ。本当に、この国は狂っているよ。生きる為に仕事をするはずなのに、この国は仕事の為に命を捨てているからな。
 
 それで、ここは約五ヶ月間在籍しました。本当なら、サービス残業代で、プラスものすごい金を受け取っても良かったはずなのにな。まぁ、俺が辞めた後、そこはどうなるのだ?と、そんなことをかなり心配していた時期もあったのだが、そんなこと、どうでもいいじゃねえか!大体、こんなクソ会社、知りません。俺はどこまでお人好しなんだ、まったく。お弁当の盛りつけが、俺がいなくなったことで間に合わなくなろうが、そんなの知るか馬鹿!!!俺が辞めると同僚のバイトの皆さんに言ったら、そのバイトのおばさんも俺に触発されて、辞めると言い出した。んで、俺が辞めた二週間後に辞める予定らしい。そのおばさんも、最初の頃は、そのおばさんの後に入って来て、すぐに辞めてしまった他のおばさんのバイトの人達のことを、忍耐力が無いみたいな言い方をしていたけど、俺が辞めるということを聞いて、ついに呪縛が解けて、やっと辞めることにしたらしい。だって、そのおばさんは、その仕事の他にも、もう一つ仕事をしていたんだ。一体、いつ睡眠していたのだ?それなのに、毎日毎日、ここでサービス残業で、無駄な時間を五時間も六時間も取られていたんだ。可哀想すぎる。まぁ、そのおばさんは、別の仕事が入っている時は、なんとか他のバイトの人達に懇願して、定時で上がらせてもらっていたけど、それが本来の姿なんだよ。それが正しいの!!!!!何も、申し訳無さそうにする必要はないんだよ!!!!本当に、日本人はお人好しばかりだ。日本全土、洗脳国家だな。だけど、辞める決断をしないと、いつまで経っても、搾取されるだけだからな。日本の労働なんとか署なんて、アテにならんな。アテになるのならば、日本中のサービス残業や違法労働はとっくに駆逐されているだろうに。

 とにかく、アホらしい。アホらしい。アホアホ。仕事で過労死するのもアホ。仕事で過労自殺するのもアホ。そして正社員を過労死・過労自殺させる経営者は鬼畜。まして、バイトにまでサービス残業させるなど、論外だ!!!!ふざけんな馬鹿!!!!まぁ、その他のバイトのおじさん達は、もう他に行くところがないとかで、本当は辞めたいけど、辞められなかったようだ。警備員でもすりゃ、まだマシなんじゃないかなと思うが、それは人様の人生なので、口は挟まないでおく。
 ま、そこは、あまりにも労働に対しての利益が少なすぎる。だって、それだけ社員とバイトが一丸となってサービス残業しまくっていたのに、赤字だと、同僚のバイトのオジさんに対して、正社員のおばさんが叫んでいたからな。みんな、ピリピリしているから、すぐ怒鳴るよ。もうね、利益率が低すぎる。これでは、ビジネスとは言えません。半分、ボランティアだ。これだけ働いて赤字って、何だよマジで・・・。まぁ、それでも、こんな、夜勤なのに7600円しか貰えない仕事でも、世の中にはこの低条件でも仕事せざるを得ない人が大勢いるので、俺やおばさんが辞めるとしても、たいしてダメージではないらしい。まぁ、代わりがいくらでもいるってことだな。そんな希薄な関係なのに、毎日毎日、身体が悲鳴を上げるまでサービス残業をして貢献するなんて、本当に馬鹿みたいだった。サービス残業したって、それが当たり前に見られて、何の感謝もされないしよ。本当にふざけた会社だ。
 けど、俺はここを経験したおかげで、自分につきつけられたふざけたことに関しては、ある程度は、ちゃんと意見できるようにはなったと思う。ここに勤務している最中は洗脳が解けなかったので無理だったが、辞めてから後で振り返ると、マジでハラワタが煮えくりかえるぜ!!!!!!だから、俺に対してこんなふざけた条件をさせるような職場だったら、今後は、はっきりと言うつもりだし、多分、言えるだろう。
 

俺は、仕事の最中の週一の休日は、ずっと寝てばかりいたので、この時、給与はほとんど貯金されていた。だから、俺は長年悩んで来た悩みを、この資金で解消しようと思った。本当は、家電量販店の仕事の給与で、これらを成し遂げていれば、もっと早く人生が進んだろうに。だけど、家電量販店の時の給与は、知らぬ間に、消えてしまっていた。本当にもう、無目的で浪費した使途は、記憶に残らないものだ。

 食品工場の給与は、一ヶ月手取りで20万円位だったので、まぁ、87万円くらいは残っていたかな。でも、辞めてから体力が回復したら、また風俗に行ったりして、また急激に減っていってしまった。これでは、家電量販店の時の給与の二の舞になると危機感を抱いたので、今度はちゃんと目的をもって使うことにした。それは、前々から改善したいと思っていた、脱毛をやるか、それとも包茎手術をやるか、それともレーシックをするかということだった。
 俺はまず最初に、レーシックをすることにした。レーシックとは、目にレーザーを当てて、視力を回復させる手術だ。ただ、保険が適用されないので、かなり高い。俺は小学生の頃から視力が低下し出して、この時には、裸眼視力が左右両方とも0.02程度しかなかった。だから、いつもは眼鏡をかけていたのだが、とても不便だった。それに、今まで彼女がいなかったのも、人生を積極的に生きられなかったのも、多分、視力が悪くて、眼鏡生活だったのもある程度は影響していたと思う。高校生の頃は、東京の視力回復センターに、親に数十万円金を出してもらって、なんとか視力を0.1以上にまで回復させて、警察官か自衛官になろうと、家とセンターで視力回復訓練を努力していた時期もあったが、結局、ろくに回復しなかった。警察官とか自衛官は、裸眼視力で0.1以上ないと、受験しても落とされたからだ。
 そういう経緯で、俺はずっと視力が不便なことを悩んでいた。そりゃ目にレーザーを当てるんだし、人生で初の手術だったから、怖い気持ちもあった。しかし、ここで思い切って一歩を踏み出さないと、この先も不便なままだと思い、手術をしてくれるクリニックを探した。ちなみに、ネットでは、レーシックとかの視力回復手術で失敗して酷い目に遭ったという話が多数掲載されていたので、俺は慎重にクリニックを選定した。その結果、銀座近視クリニックにした。(でも、あなたがもしもレーシックを受けるならば、あくまで自己責任で医院は選定してください。俺がここで成功したからって、あなたもここで成功するとは限らないから)
 そこで、診察を受けたら、どうやら俺は削る厚さが多くて、レーシックでは無理らしく、ラゼックという方法になった。まぁ、違いは自分で勝手にネットで調べてくれ。それで、手術代は17万円くらいだった。手術中、目を思いっきり見開いているのがかなり辛かったが、長い人生のうちの、ほんの数十秒だから、視線を動かさずにジッと見開いて我慢した。そして、終了した時から、なんだか周囲の景色がはっきりと見えて、それからしばらく休んだ後には、かなり鮮明に見えるようになっていた。それから数日は、ラゼック手術特有の反動で、目がチクチクしたが、それが過ぎれば、もう何ともなかった。今でも、ちゃんと左右両方の目で見える。だから、あくまで俺に限れば、あの分厚い眼鏡を捨てて、裸眼で暮らせるようになったので、見た目的にも暮らし的にも良かった。ただ、重ねて言うが、失敗して酷い目にあった話もネットには溢れているので、あくまであなたの判断で決めてくださいね。手術するかどうかもそうだし、どこで手術を受けるかもそうだ。この記事を読んでいざ手術を受けたら失敗した、だから齋藤健一を恨む、なんてことのないように。

 その後、まだお金が余っていたので、次に俺は、包茎手術を受けることにした。それまでは、仮性包茎だったのだ。仮性包茎は、普段は陰茎の先の亀頭の部分に皮が被さっているが、勃起すれば、なんとか皮は自然にむける、あるいは被さっていても手でむけるというものだ。つまり、病気ではないのだが、これが俺の場合、とても不便だった。
 というのは、度々、この皮と陰茎の間に陰毛が挟まってしまい、その度に陰毛が引っ張られて、とても痛かった。でも、いつもペニスを触って皮をむいて陰毛を元に戻すなんてことは、無理だ。街中でも無理だし、仕事中にも無理だ。 これはとても厄介だった。だから、これを解消したかったんだ。
 それで、包茎手術に関しても、失敗談がネットに多く掲載されていたので、俺は慎重に情報収集して、医院を選定した。その結果、横浜にあるエストクリニックにした。ここには、包茎手術歴が20年以上の名医がいると書いてあったので、そこに行きました。
 当日行くと、まず診察室で、その名医が陰茎を診察してくれた。その結果、俺は先日行ったソープでコンジロームという、陰茎にブツブツが出来る性病にかかっていると判明した。放置していると、陰茎がカリフラワーみたいにとんでもない姿になってしまうものだ。ただ、それはまだ小さな段階であり、焼くかなんかして消滅させられるとのことだったので、それも頼んだ。あと、元々亀頭の周囲にブツブツもあったのだが、それはコンジロームとはまた別の、無害な脂肪腺が元で出来たフォアダイスというものだった。しかし、それも前々から気持ち悪く思えていたので、同時に消滅してもらうことにした。そして、肝心の包茎手術だが、長茎手術という、普段の状態の時でも長い状態にしておく手術をしないと、結局包茎手術だけしても、皮の長さの関係で、無意味だと言われたので、併せてそれもお願いすることにした。なんだか、勃起した時の長さで計算して皮を切るので、勃起時ではない普通の時には、結局皮が余ってしまい、包茎になってしまうから、それを防止する為ということだった。
 次に、別室にて、若い助手の先生みたいな人が応対してくれて、 お値段の相談になった。合計で、50万円くらいと言われたが、俺はそんなに手持ちがなかった。貯金も、なんだかんだで浪費しており、もう残り、そんなには無かったのだ。それで、う〜ん、う〜ん、と悩んでいると、あっちも少し譲歩してくれて、じゃあフォアダイス除去代はサービスしますから、これでどうですかと言われ、45万円くらいまで値下げしてくれた。内訳はたしか、長茎手術が20〜25万円くらいで、包茎手術がけっこう高いコースのだった。ホームページには一番安いので数万円でOKと書いてあったが、なんだか包茎手術にも色々と手術法があり、俺が選んだのは、けっこう高い手術方法だったから。まぁ、あちらとしても、当然、高い手術を薦めるわな。とにかく、合計で45万円くらいだった。俺は現金で40万円くらいしか持ち合わせが無かったので、あとの5万円はクレジットカードで支払った。 それで、当日、即、そのまま手術になった。
 それで手術台に寝かされて、局部にブスっと麻酔を打たれた。その後、先生が陰茎を手術し始めた。でも、俺は怖いので、下は見ずに、ずっと天井を見ていた。そして麻酔が効いているので、なんだか自分の陰茎がタイヤのゴムになったような感触で、不思議だった。 先生は手慣れた手つきで、早々と完了して去って行き、あとは助手の中年の先生が包帯を巻いたりして対応した。その後、包帯とか薬を貰って、さようならした。
 それから数日間は、陰茎がグジュグジュしており、とても痛んだ。まぁ、皮を切って繋げたのだから、当然だな。歩くのも、まともに歩けなかった。もう、数メートル進むのに十数秒かかる感じだ。常に陰部が痛んだので、できるだけズボンが陰部に擦れないように移動した。
 そして、一週間くらい経過したので、大分痛みも引いて、傷口もかさぶたになって、かなり楽になった。その間、ずっと家でじっとしていました。それで、抜糸してもらうために再度来院して、抜糸してもらい、終了でした。おかげで、あの陰毛が挟まれる地獄の痛みも無くなったし、通常時でもダランと長い状態になったので、けっこう見た目も良くなった。勿論、包茎もちゃんと解消された。大金をかけた甲斐があった。 

 でも、二つの手術をしたせいで、完全に貯金は底をついた。だから、脱毛に関しては、チャレンジする費用がなくなってしまった。故に、また仕事を探し出した。

 あと、この無職の期間中に、俺は馬鹿だから、また作品を書いて、実際に出版社に送ってしまった。それは、ネット上に自分の人生記を書いて、あと父方の祖父の書いた人生記が出てきたので、それもアップしていたのだ。それのURLを書いて、25社くらいの出版社に送ったのだ。 もしかしたら、俺の人生記が出版されるのではないか、と淡い期待を持っての行動だったが、それは完全に無視されました。ま、丁寧に『当社では一般人の作品は募集しておりません』なんて内容の紙を同封した封筒を送り返してくれた出版社もあったけど。まぁ、今から思えば当然か。 でも、その当時の俺は、なぜか本気で、それが実現すると思い込んでいたのだ。本当に、なんで俺はこうも馬鹿なんでしょうか。普通の人なら恥ずかしがって、そんな行動は取るはずないのに・・・。ちなみに、祖父は俺が香川県での農業体験から帰って来た後に死にました。まぁ、大往生だったし、俺は霊的知識を既に知っていたので、別に死は悲劇ではないと思っていたから、特に泣かなかったけど。まぁ、その時、初めて葬式を体験しました。その時は、まだちゃんとした礼服を持っていなかったので、ただ一つしかなかった紺色のスーツを着ていったんだ。そういう部分も、年齢に対し、あまりにも幼すぎるな。礼服の一つも、ちゃんと持っていなけりゃならないのに、俺はあまりにも世間知らず過ぎた。

 そして、俺は11月から12月末まで、とある大企業のパン製造メーカーの巨大パン工場で、バイトをしました。う〜ん、これは、当時、イセアクリニックというところで、全身脱毛一回を10万円でやってくれるキャンペーンがあったので、その金を稼ぐために、行ったのでした。は〜、本当に、俺の人生、行き当たりばったりだぁ〜。

 う〜ん、もうね、この仕事の最中に29歳になったんだけど、 恥ずかし過ぎる・・・。で、俺は、ある時はクリスマスケーキ製造ラインで、クリスマスケーキの箱を折って大量に積み重ねて用意したり、ラインに入って箱にロウソクを入れたり、ある時は蒸しパン製造ラインに入り、パンを包む紙をトレーに敷いたり、ある時は粉を用意したり、ある時は材料を調合したり、ある時は清掃したり、ある時は焼いた後、機械から出てきて社員が蜂蜜を塗ったパンケーキを裏返したり、ある時はどら焼き製造ラインに入ったり、ある時はピザパン製造ラインに入りチーズをパラパラと適量乗せたり、ある時は曲がっているパンのラインに入り生地を曲げたり、しました。もう、さすがに29歳でこういうバイトをするのは、恥ずかしいな。おじさんのバイトにも、大学生と間違われるし・・。全身白衣で、しかもマスクしているので、よく分からないんだな。
 う〜ん、しかも、そこは仕事は毎回一定量なくて、度々、一日三時間とか四時間程度しか働かせてくれずに、帰らされた。まったく、それじゃあ、数千円の為に、あんな遠いところまで行っていたことになる・・・。
逆に、数日だが、一日10時間仕事した日もあるけど。、時給は千円で、その他は何もありませんでした。
 それでも、なんとかその期間限定の仕事をやり遂げて、僅かばかりのお金を得ました。それで、いよいよ、長年俺を悩ませて来た、あの憎い体毛を殲滅する為に、イセアクリニックに行きました。

 そう、体毛がすべての元凶だった。勿論、俺の体毛が薄くて、体毛のことで一切悩まなかったとしても、俺の人生が上手く運んでいたという確証はないよ。でも、現に俺の人生が狂ったのは、体毛が原因なんだから。体毛が原因で、中学と高校が地獄になり、ウジウジし出して、その結果、林業の専門学校に進むという愚かな決断をしたのだから。それからは、もうグタグタ過ぎる・・・。その元凶を、やっと無くすという実際の効果のある行動に、この時初めて、出たのだ。中学二年生の時から悩み始めて、もう16年か・・・はぁ・・・遅すぎたな。でも、それまでは、なんとか生きるので精一杯だったのだ。実際に、美容外科でのレーザー脱毛じゃなけりゃ効果がないということを知ったのは、もっとずっと後だった。それに、長らく、脱毛なんてやっぱり女だけのものという思い込みがあったので、それも踏ん切りがつかなかった原因というか、思い切って飛び込まなかった原因でもあったように思う。
 
 イセアクリニックの新宿院でカウンセリングを受けて、60万円の五回コースを薦められたが、俺はそんな金はなかったので、とりあえず、10万円の体験の全身脱毛一回コースに申し込んだ。それで、施術室に入って、脚の毛をシェーバーで剃られて、レーザーを当てられた。これで、毛根が死んで、その箇所は長期間、生えて来なくなるらしい。ただ、このレーザー脱毛の歴史が浅いので、一生生えて来ないという保証はないらしいが。イセアは下半身、上半身、そして陰部と手足の先と、三回に分けて別々の日に施術するシステムなので、その日は下半身のみで帰った。そしてその他の日に、他の箇所を照射して終了した。そして陰部の毛は、ツルツルになったらなんか嫌だったので、周囲の毛だけにしておいた。
 とはいえ、美容外科のホームページを見てもらえば分かる通り、レーザー脱毛は、たったの一回では終了しない。なぜなら、レーザー脱毛とは毛の毛根を照射して殺して、二度と生えなくするものだ。しかし、レーザーを当てて効果があるのは、その時点で生えていた毛の毛根だけであり、休眠期の毛根には効果がないからだ。だから、休眠期の毛根には、それが生えて来るタイミングで照射しなければならない。大体、一回の照射で、その箇所の全体の毛量の20%が減るらしい。だから、最速でも五回は照射しないとツルツルにはならない。しかし、まあ、今の俺の実体験から、実際は五回以上はかかるだろう。それで、イセアでの体験脱毛は終了しました。しかし、当然、一回では終わるはずが無い。でも、金はもう尽きてしまいました。ということで、しばらくは脱毛は、またおさらばでした。といっても、一回脱毛しているので、次に生え揃って脱毛可能になるまでは、最速でも2ヶ月はかかるけど。
  

それで、パン工場での仕事が終了した12月末、それでも俺は、将来の目標が何も見つからなかった。それで、その時に、『齋藤健一ドットコム』という個人のブログを開いていたのだ。そこに、思い切って、前から興味のあったグラフィックデザイナーになってみたかったなぁと書き込んだら、それなら挑戦してみなよとコメントされた。その頃、一日百人くらいは重複しない閲覧者がいたのだ。色々、悪意のあるコメントとかされていたけど、励ましや応援のコメントもあったのだ。それは、『自殺霊の自殺サイト自殺犯罪ドットコム自殺方法はポイ』経由での閲覧者が殆どだった。その自殺防止サイトに、個人のブログへのリンクを貼っていたから。
 それで、俺はそれまで、近くの公園でヤケになり、普段は全く吸わない煙草を吸ったりして、晴天の年末に、ボーっと景色を見たりして、絶望していた。しかし、それからは、家のPCに付属していたお絵描きソフトのペイントを使って、色々な広告とかロゴを作って、それをブログをアップしてみた。すると、けっこう好評だった。勿論、悪意のある書き込みをして、俺をおちょくって笑っているようなゲスもいたが。それで、俺は調子に乗って、どんどんペイントで有名企業のロゴとか広告とかを制作しました。すると、やがて、佐藤可士和と名乗る人がコメントしてきました。といっても、それはその本人も言う通り、あの本物の有名グラフィックデザイナーではありません。ただの、ネット上の仮の名らしいです。でも、その人は本当にグラフィックデザイナーをしているらしい。その人は苦労して、人生の途中からグラフィックデザイナーに転職したので、なんだか齋藤さんのことも放っておけないと思ってアドバイスしますとか言っていた。あと、君には才能がありそうだとも言っていた。それで、グラフィックデザイナーになる為のヒントとか、そういうサイトを紹介してくれました。
 それで、俺はその人の言うことをますます信用してしまいました。そして、最終的に、その人が言うには、君の運営している自殺防止サイトだが、あれは将来、君がグラフィックデザイナーになったら、あれが原因で、仕事が貰えないだろう。なぜなら、企業はああいうのを一番嫌うからだ。デザイナー本人は無色透明でなければならないとか、そんなことを熱心に主張しました。その時点で、俺はその人に相当入れ込んでいたので、本当に削除しようかと悩みました。
 でも、あの自殺防止サイトは、俺が半年もかけて熱心に熱中して制作して築き上げたサイトなのです。しかも、その後にも何度も何度も改良したし、それから十何万円もかけてSEOもしました。それまで、そのサイトにはSEO代を寄付してくれるように募集もしてたのですが、実際に数人の方が、合計5万円くらい振り込んでくださったのです。一人は三万円くらい振り込んでくださいました。また、実際に命を救われましたというメールも、けっこう貰っていたのです。そして、とある、サイトを買収する会社から、あなたのその自殺防止サイトを買いたいです、というメールも貰ったことがあったのです。その時は断りましたが。そんな経緯があり、その自殺防止サイトには愛着がありました。ずっと一緒にいた愛犬のような感じです。
 しかし、その時の俺は、本気でグラフィックデザイナーを目指していたような気持ちだったし、本気で才能があると思っていたので、俺は数日間悩んだ末、とうとう、レンタルサーバーにアップしていた自殺防止サイトのデータを消し去りました。PC内のホームページビルダーの中のデータも全て消し去りました。これで、もう二度と、元の姿には復活できなくなりました。まったくの無になりました。なんだか、とてつもない消失感でした。しかし、これで俺は一直線にグラフィックデザイナーの勉強に集中できると思いました。でも、それから数日後、どういう理由だかは忘れましたが、その佐藤可士和と喧嘩になり、そいつはもう二度と訪れませんでした。まぁ、ネット上の、互いのことを殆ど知らないような浅い関係なら、その程度でしょう・・・・俺は激しく自殺防止サイトを抹消したことを後悔しましたが、後の祭りでした。
 でも、一応、俺一人で、その後もグラフィックデザイナーを目指そうと努力することにしました。それで、ハロワで募集していた東京での職業訓練のグラフィックデザインコースに応募したけど、落ちた。倍率超高かったし、やはり遠かったし、俺のこれまでの経歴を見られて落とされたのだと思う。それで、一人でどうにかすることにしました。けど、やっぱり一人ぼっちではよく分からないし、グラフィックデザイナーが使うようなソフトは10万円以上するので、そのお金を稼ぐ為に、また短期の二ヶ月限定の道路工事会社のバイトをすることにしました。

 その会社は家のわりと近くにあったけど、朝は七時半からだった。それで、俺は一生懸命に働きました。あっちやれとか、あれ持って来いとか、もう、超『男』の現場で、肉体的にもキツいけど、精神的にも息つく暇がなく、とても辛かった。もうね、色々、道路工事に関する雑用をしました。それも、その時期は忙しい時期だったので、俺は14日連続で出勤などというハメになり、もうね、身体がガタガタでした。それでもなんとか、最後までやり遂げました。途中、あまりにもキツくて、四人入ったバイトのうち、一人は中途離脱してしまったが、俺はなんとか、最後までやり遂げた。
 それで、最後の給与を受け取りに、仕事辞めてからの平日にその会社の事務所に行ったんだ。その時に、俺は源泉徴収票も頼んでいたんだ。それで、実際に源泉徴収票を見てみたら、一日分、無いんだ。一日分の労働賃金が足りなかった。そこはサービス残業もかなりあったので、その分は、そこでは合計で二万円足してくれていたが、それを差し引いても、やはり一日分足りなかった。それを言えばいいものを、俺は作り笑いのニコニコ顔をしていて、言わなかった。というのも、周囲の応対した社長とか会長とか、まぁ、穏やかな雰囲気でいたし、それにもう、ここに源泉徴収票が出来上がっちゃっているし、それを俺が「あの、一日分の日給、一万円が足りないんですけど・・・」なんて言ったら、なんか険悪な雰囲気になっちゃうかなぁ〜・・・なんて要らん心配をしていたからであった。まぁ、その時の俺も、まだそういうことをはっきりと言えるような人間ではなかったのだ。ということで、内心では怒っていたのに、その時は表面上はニコニコしながら、帰りました。でも、帰途の途中、やはり、なんであんなに仕事中に怒鳴られたのに、あんなに汗水ダラダラで苦労したのに、なのに一日分が貰えないんだ!!!と憤慨しました。でも、その時はやはり言いませんでした。しかし翌日になっても、まだそのムラムラ・モヤモヤは収まらなかったので、とうとう会社に電話しました。しかし、その時は不在らしく、誰も出ませんでした。で、俺はそれ以来、電話していない。もう、これはその場で言わなかった俺が悪いということにした。そう、人間、即、その場でバシッと言わないと、もう手遅れのこともあるのだ。何でもかんでも、後からどうにか出来るような事柄ばかりではないからな。だから、俺はその教訓として、この一万円分の損は、受け取ることにした。この損が、また今後の俺の糧となるだろうから。
 
 それで、合計53万円くらい稼いだ。それで、これは一回目の給与の時に買ったのだが、グラフィックデザインといえばマックだろうということで、YAMADA電機で、マックの一番でかいデスクトップパソコンを買った。その後、グラフィックソフトも必要だということで、ネット上の簡単に低費用で入れるグラフィックデザイナースクールみたいなところに入り、ソフトと学費合計で、えーと、たしか15万円くらいでゲットした。それは、インデザインと、フォトショップと、イラストレーターでした。正規のものなので、とても高かった。そのスクール自体は、学ばなかった。なぜなら、勝手にログインして、勝手に自分一人で学ぶタイプの勉強方法だったので、それなら自分で買った参考書で学べばいいじゃんと思ったからだ。あくまで、学割で買える学生向けのソフトをゲットするのが目的だったのだ。
 それで、けっこう貯金は減りました。あと、また風俗に行ってしまい、また減った。残りで、俺は人生で初めて、自分でスーツを買った。洋服の青山に行って、スーツ二着とワイシャツ二枚、ネクタイピン、あと靴も買った。二着とも縞縞のスーツだった。合計で八万円くらいだった。それで、ほとんど貯金は無くなりました。
 それから、また無職になった。で、俺は当初の目的の、グラフィックデザイナーになるべく、ソフトの勉強本を買ったのだが、これがまったく分からない。いや、少々は分かるが、すぐに忘れてしまう。やはり俺の知能と記憶力は、とても乏しかった。なので、今度は、誰でも金さえ払えば入校できる、東京にある、グラフィックデザインを学べる学校に体験授業を受けに行きました。で、そこでは一時間くらいごく簡単な授業をした後、個別に担当者との面談をして、学費の話になりました。で、色々と、ローンも組めますよとか薦められたのだが、なんだか俺はもう、なんというか・・・そこで学んでも、あんまり意味ないんじゃないかと思っていた。また、金の面でも、もう現時点で金はほとんど無かったし、また長期間にわたってローンを払い続けるのも気が引けたので、この時は、お断りした。まぁ、というよりも、やんわりと、考えておきますみたいな言い方で、その場を逃れた。後日、やはり電話がかかってきたけど、俺は断った。だって、その体験授業でしていたごく簡単な授業でさえ、みんなは出来るのに、俺はチンプンカンプンだったから・・・もうね、俺の知能は、80年代のPCのCPUにも劣るのではなかろうか・・・。だから、なんだか、それからというもの、勿論、家でも分厚い本を読みながらソフトを実践していたのだが、まず初期段階でチンプンカンプンなんだ。本当にもう、理解能力が無かった。そんな感じで、いくら努力しても進歩が見られないので、段々と、やる気が失せていき、とうとう、完全にグラフィックデザイナーになりたいなどという夢は捨て去りました。はぁ・・・努力して、努力に比例して成果がどんどん表れてくるのならば、それは楽しいし、やり甲斐があるだろうが、俺はそうじゃないからな。どんなに努力しても、すぐに忘れてしまうし、そもそも初期段階で覚えられないし、理解出来ない。本当に、俺の脳みその基本スペックは低い。

 そんな感じでした。で、いつまでも無職でいる訳にはいかず、すぐにハロワに行きました。すると、国の失業者対策の、海岸清掃の期間雇用の求人を発見したので、それに応募しました。倍率は三倍だかだったかな、とにかく高かったけど、俺は面接を受けたら、なんと受かった。だから、そこに行くことにしました。新しく買ったスーツを着て行ったのが良かったのかな。でも、私服で来ていた人も多かった。やっぱり面接はスーツだな。

 ちなみに、前述の齋藤健一ドットコムは、自殺霊の自殺サイト自殺犯罪ドットコム自殺方法はポイを閉鎖した一ヶ月後くらいに、追従して閉鎖した。なんだか、毎日の様子をブログにアップしても、意味ないんじゃないかと思ったからだ。もう自殺防止サイトも閉鎖しちゃったし、もう、なんか空疎な感じがして、止めちゃいました。ツイッターもやっていた時期があったが、有名人でもない俺が呟いたところで、誰も見ないし、俺自身も特に面白くないので、止めました。
 今、過去のリンク先から自殺霊の自殺サイト自殺犯罪ドットコム自殺方法はポイを辿ると、そこは一応、ホームページは開く。ただ、それは俺がそのサイトのドメインを放棄した後、誰かがそのドメインを取得し、俺のサイトを真似た形で新たに開いたもので、俺とはもう、一切無関係だ。なんか、今はもう、そっけなくなっているが。あと、齋藤健一ドットコムのドメインの方は知りません。

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