死にたい自殺サイト自殺方法自殺ダメ

当サイトは、死にたい人に自殺に関する霊的知識を与えて、自殺を止めさせる自殺防止サイトです。

自殺の霊的知識を知るっちゃ!

カテゴリ: ★『管理人について』

それで、実家に帰ってきました。そこで、両親に当然怒られました。その後、両親の勧めで、失業保険を貰うことにしました。両親は、正社員の仕事を辞めてきたのだと思っていたようですが、実際には派遣で食いつないでいました。それで、ハロワに行くと、なんとか失業給付の受給条件は満たしていたようなので、失業給付を貰いました。
 それで、毎月雀の涙のような金額を3ヶ月間貰いましたが、結局、その間、何もしませんでした。仕事を探しているふりを、パフォーマンスをしていただけだったかな。受給した給付も、ソープランドとかで散財してしまいました。無職の間は、何していたのだろう・・・。
 で、3ヶ月が経過して、給付は終了しました。う〜んと、その間、一体何をしていたのだろうか?う〜ん、たしか九月から派遣の仕事を九ヶ月したから翌年の六月までで、それから二ヶ月くらいアパートに無職でいて、それから実家に帰って三ヶ月間受給して、あ、そうだ!
 それで、11月から、派遣の仕事をまたし出しました。今度は前の派遣会社とは別会社でした。それは、あるお菓子工場でした。 なぜかというと、その時にクレカの借金残高が20万円くらいあったので、その借金返済のためです。だから、期間限定で二ヶ月、お菓子工場で働くことにしました。もうね、自分の人生を書いていて、あまりにもグタグタで悲しくなりますよ。やはりやり直せるのならば、タイムマシーンで過去に戻りたいね、グスン。失業手当を貰っていたのならば、その金で返済すればよかったのに、それをせずに、ソープとかで散財してしまいました。恋人と性行為をするのならば、自宅ならばタダだし、ラブホテルであっても数千円程度で済みますが、風俗で解消しようとすると、やはりとても大きな金額が必要でした。『人間失格』ですね。ちなみに、実家にいる間は、衣食住全部タダだったし、今もそうです。まぁ、もうすぐ福島に行くんだけどね。
 そして、某メーカーのチョコレートラインに最初に配属されました。小さなチョコがどんどん流れてくるーーーな感じです。不良品の検査みたいな仕事だったかな。しかし、次に配置された職場は、某有名チョコ菓子のラインだったのですが、そこではかなり怒られました。板チョコみたいな菓子の下に敷いてある紙を機械に補充する仕事を主にしていたのですが、その紙が度々詰まりました。紙を絶妙に折り曲げないと、ちゃんと紙が射出されないので、折り方が不出来だと、詰まるのです。その微妙な加減を担当させられたのでした。その度に、チョコが無駄になるとかで、怒られたのです。まぁ、なんとか二ヶ月間耐えて、クレカの借金は返済しました。けど、貯金も数万円しかありませんでした。この間も、祖父母からはお小遣いは貰っていたのに。
 そして、辞めたのが翌年の一月十日くらいだったと思います。また無職になりました。その後、俺は、なぜか自殺に強い興味を持ちました。というのも、やはりこんなグタグタな人生に嫌気がさして、度々自殺したくなっていたからです。でも、スピリチュアリズムの法則を知って、自殺をなんとか思い留まっていたのです。でも、世の中の大半の人達はそんな法則知らないから、どんどん自殺していってしまう。これをなんとか助けたいという気持ちから、自殺防止サイトを制作することにしました。それは、『自殺霊の自殺サイト自殺犯罪ドットコム自殺方法はポイ』というサイトでした。
 なんでこんな長いサイト名なのかというと、SEOの為です。SEOとは、グーグルとかで検索した時に、少しでも検索結果の上位に表示されるように工夫することです。せっかく作ってもサイトが検索結果の240番目とかだったら、誰も見てくれませんから。だから、タイトルにキーワードをたくさん入れるのも、SEOの手法の一つだったから、こんなに長いタイトルになったのです。
 私はホームページビルダーでサイトを制作したのですが、とても難しかった。IQの高い人なら、あの程度のソフトはスラスラと一日でマスターしてしまうのでしょうが、俺は多分、IQはかなり低いだろうし、記憶力も低いので、覚えるのにとても苦労しました。
 う〜ん、よく覚えていないけど、それから半年間くらい、サイト制作に没頭したと思う。まあ、毎日じゃないけれど。とにかく、今から思えば、このサイトみたいにブログで作れば、一からサイトを構築する必要もなかったし、もっと簡単に作れたのにと思うけど、当時の俺は、とにかく一生懸命にサイトを作り、隅々までSEOの手法に則ってサイトを構築していった。
 当然、その半年間は、両親にとても怒られた。早く働けと言われたが、俺は何かに取り憑かれたように、必死にサイトを作っていた。とはいえ、ボーっとしている期間もけっこうあったけど。本当に、俺は複数のことを同時進行することが出来ない。だから、仕事をしながら、休日にサイトを制作するということが出来なかったし、それは単なる怠け癖の言い訳かもしれない。
 それで、なんとか素人くさいながらも、サイトが完成した。けど、それだけではまだ、SEOは完璧ではない。外部サイトからのリンクをどんどん集めないと、人気のあるサイトとは検索エンジンシステムには反映されないので、結局下位に沈んだままなのだ。それで、よくある手法として、外部サイトからのリンクを買える会社が多数あったので、それを買うことにしました。けど、それには何万円も費用がかかるので、また働くことにしました。
 なんでこんなに、特に得にもならない自殺防止サイトの構築に一生懸命になっていたのだろうか。まぁ、それは、今のこの新たな自殺防止サイトにも言えることだが、何かしら、人様の役に立ちたいという思いからだろう。そうすれば、自分は誰かの役に立っていて、存在意義が見い出せるからと。それにしても、俺は福祉の仕事には無興味だったのに、自殺問題に対してはこれほどの熱意を発揮するとは、俺は今回の人生で、自殺者希望者を救うことが大きな使命なのかもしれないな。介護に関しては使命でも何でもないから、無関心だったと。
 でも、今はもう、このサイトはずっと後に述べる理由でなくなっていますが、当時は、とても変なサイトだった。なにせ、俺は散々変なことを今までしてきたような人物だから、このサイトでも、自殺防止をうたっているのに、ミッキーとかピカチュウとかのコスプレの着ぐるみをドンキホーテで買ってきて、その姿の写真を貼ったり・・・。もう、今の俺でも、理解不能だよ。まぁ、俺はもともと、そういう変な部分があるからな。他の自殺防止サイトみたいに、生真面目には作れなかったのだ。それは、面白ければ、自殺防止に一役買うのではないかとの思いもあったからでした。

それで、仕事は、新聞の折り込み求人広告を見ていたら、契約社員の施設警備の仕事が載っていたので、それに応募しました。・・・・・なんかね、もうね、何の人生の計画性もないね、俺は。今更ながら、この時にでも、何か、公務員試験でも受ける方向に持っていければ、また人生違った景色が見えたかもしれないのにね。書いていて、本当にどうしようもない奴だなぁ、と思います。

 それは一年間の契約でした。給料は、月給20万円くらい。労働条件は、丸々一日、つまり仮眠三時間ありの24時間勤務で、翌日は休み。翌々日に出勤。それの繰り返しで、たしか祝日も労働で、勿論土日は無関係だったと思う。勤務先の大手飲料メーカーの工場は土日も無関係にフル稼働だったと思うから。 
 それで、最初は勤務開始までまだ一ヶ月くらい日数があった。最初の数日間は講習だった。みんなオジさんばかりだった。若者は俺一人だけだった。元警察官の中年とかいたけど、警察官の方がはるかに恵まれているのに、どうして辞めちゃったんだろうか?他には、爺さんに近いおじさんとか、とにかく年齢は高かった。そんな中に、俺は二十代なのに、応募してしまったのでした。警備員についても、よく考えずに応募しちゃったからね。俺の人生、とにかく行き当たりばったりすぎるよ。
 新入社員は12人くらいだった。それで、6人くらいは、他の施設にばらけて就職することになって、残りの6人くらいは、大手飲料メーカーの巨大工場の施設警備に回ることになりました。その中の一人が俺でした。
 それで、その時は、その飲料メーカーの警備業務が他の警備会社から、俺んとこの警備会社に引き継がれる時期だった。だから、今回、こんなに6名も採用したんだとさ。ただ、まだインターン、つまり研修期間が始まるまで間があるので、夜間の小中学校の見回りの仕事を、俺だけすることになった。それは、なんだか、俺に警備の仕事とはどういうことかを体験して欲しかったかららしい。その他のおじさん達も、インターンが始まるまでは、それぞれ別の簡単などこかの現場で警備の仕事をしていたらしい。
 そんな感じで、俺は午後六時から翌朝八時まで、地域の小中学校を十数校巡回する仕事を始めた。最初の二回は、先輩のおじさんと一緒に回った。まぁ、窓が開いていたら、俺の警備会社に学校巡回の仕事を依頼している某大手の警備会社のガードセンターに電話連絡して、これから中に入りますということを伝え、警備装置を持参したカードで解除して、学校の中に入って、窓やら扉やらを閉じるということだ。
 それで、最初の二回の訓練回が終わり、いよいよ俺一人ですることになった。二人で回っていた時は、そのおじさんはかなりいい加減で、窓が開いていても、面倒くさいからと無視したりすることがあったが、俺はそういうのはかなり義理堅いというか、真面目というか、見過ごすことは出来なかった。だから、その性格が後に禍いを招くのだった。
 俺は、まず俺の小さな警備会社の本社に行き、鍵がびっしりと入ったアルミのケースを預かる。これは絶対に無くしてはならない。なぜなら、これから巡回するすべての学校の全ての施錠箇所の鍵が入っているからだ。もしもこれを無くしてしまったら、俺の会社が鍵の交換費用を全額弁償することになる。そんな貴重極まるケースを車のトランクに入れ、巡回に出発しました。
 そして、真っ暗な夜の学校を、一人で巡回していました。警察官に呼び止められたこともありますが、俺が警備員だと分かると、笑顔で謝罪し、去っていきました。勿論、警備員の制服は着ていました。ただ、真っ暗だから、警官も分からなかったのだろう。
 夜の学校は本当に怖い。内部には入らずに、建物の周囲を巡回して歩くのだが、学校の花壇の野菜を盗んでいる変な人がいたり、不良がいたり、人間が誰もいなくても、真っ暗な階段とか狭い通路とかを懐中電灯で照らしながら進むのは、リアルバイオハザードです。 
 それで、本当に度々、未施錠の箇所を発見してしまい、それを無視できない真面目な俺としては、その度にガードセンターに電話し、中に入って施錠していました。
 でも、基本的に、やはり俺は、俺の今までの人生を読んできたから分かっていると思うが、基本、『馬鹿』なのだ。だから、この仕事でも、その馬鹿さがいかんなく発揮されました。
 ある日、学校の扉が、持参したその学校の鍵でどうしても施錠できないんだ。えーと、どんな状況だったかな・・・。たしか、施錠したい扉があって、それがどうしても施錠できなかったんだ。あー・・うーーーー、もうね、何言ってるのか不明です。
 で、それを本社の深夜時間に寝泊まりしている担当者に相談したら、ガードセンターに連絡して、機動隊員に来てもらうしかないだろうと言われた。それで、俺は嫌々、仕方なく来てもらいました。本来、機動隊員は一般家庭とか企業とかで何かあった時にすぐ直行する奴らだから、俺のような仕事で一々呼び出してはならないのだ。だから、来た眼鏡の機動隊員も、超不機嫌でした。そんで、必死になって焦りまくりながら俺が説明し、その場で見てもらったら、その扉が施錠できなかった原因は、腰の高さにある鍵穴ではなく、 足下にもう一つ鍵穴があり、それを俺が見逃していたからということが判明した。そいつは低音の声で、「あんた、この前もウチらを呼び出そうとしたよね」と言った。そう、その前にも、何かは忘れてしまったが、俺は一度同様のパニックで呼び出していた。でも機動隊員が来る前に問題が解決したので、急いで電話して、来る前に引き返してもらっていたのだ。それも、たしか、馬鹿みたいな理由だったと思う。そんな感じで、てめえふざけんなクソ野郎みたいな感じで、嫌み言われてそいつは帰りました。まぁ、俺が足下の鍵穴に気づかなかったからいけないんだけど。でも、そんなの普通レベルの知能なら、すぐに気づくだろうに、俺はその時、パニックになって、色んな出入り口をあーでもないこーでもないと、焦りまくっていた。俺はその一件で、とても落ち込んで鬱状態になった。しかし、こんなことで辞めてはいけないと踏ん張り、頑張りました。
 それから数日後、またトラブルがあった。 えーとね、ある中学校で、ある扉がどうしても施錠できなかったんだ。もう、一時間くらい試行錯誤していた。けど、無理だった。それで、本社の夜間担当者に電話したら、機動隊員に来てもらうしかないだろうと言われ、超嫌々ながら電話しました。しかし、機動隊員が来る前に、どういう方法だったか忘れたが、さらに色々と試した結果、その問題は解決したんだ。しかし、問題解決後に機動隊員が、その時は二人組で到着したんだ。経緯を説明すると、その時は一応、そいつは丁寧な口調だったが、内心では怒っているのが見て取れた。「もう、いい加減にしてくださいね」というような感じだ。俺は平身低頭で謝り、帰ってもらった。その後、同一中学校の残りの箇所を巡回したら、また未施錠の箇所があったんだ。それで、その鍵は職員室の中にあるのだった。俺は必死で真っ暗な職員室の中を、懐中電灯で鍵箱を探した。それで、見つけたんだけど、頭の悪い俺は、色々と鍵を試したけど、なかなか合わなかった。で、一時間くらいそんなことをしていたら、ガードセンターから電話があり、「まだ終わりませんか?」と言われたが、まだですと言った。その後、その鍵箱は二重になっていて、横にスライドさせると、新たな鍵が出てきた。それを発見して、これでどうにかなると思ったが、新たに発見した鍵も、全部駄目だった。そんな感じで、必死になって探したけど、結局三時間経っても一向に鍵は見つからなかった。それで、仕方なく、本社に電話したら、また機動隊員に来てもらうしかねえだろうと言われたので、超超超死ぬ思いで、機動隊員を呼び出しました。
 案の定、今度は俺に出会うなり、機動隊員が怒号で「ふざけんなテメーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」と、もう、ものすごい形相と音量で、今にも殺す勢いで怒鳴ってきました。そりゃそうだ。同じ場所に、一日二回も間抜けな下請けの警備員に呼び出されたのだから、怒り心頭でしょう。その時、俺は、もう放心状態で、雨の降りしきる中、白い合羽を着て、「もう・・・クレーム入れてください・・・」なんて、頭を斜めに傾けて死んでいた。「てめえ何逆ギレしてんだよ!!!!!!!」と、相手はキレまくっていましたが、その時の俺は、もはや正常な精神状態ではなかったのです。正確に言えば、その時怒鳴っていたのは先輩にあたる機動隊員で、新入社員らしきもう一人の機動隊員は、俺に「まぁ、気にすることないですよ」などと慰めの言葉をかけてくれていたけど。
 それで、機動隊員が怒鳴りながらも職員室に入って行った。でもそいつでも中々場所が分からなかったらしく、10分くらい探した末にようやく見つけて、施錠した。帰りも、俺は散々怒鳴られた。俺は機動隊員が去った後、雨の中、放心状態で、残りの箇所を一応、巡回した。相手が言うには、まず呼び出す前に、全部の箇所を点検しろ、そしてどうしても分からなかったら呼び出せ!!!!そうすれば何度も呼び出すことないだろうが!!!!ということでした。まったくその通りです。でも、俺はアホだから、そんなことも分からなかった。まったく、賢い頭脳というのが、この時程欲しいと思ったことはない。やっぱり、馬鹿は生き辛いし、とても損だな。 そんな感じで、後日、クレームが俺の会社に入りました。でも、俺の警備会社の上司は、「それは君が真面目にやった末のことだから、今度、ちゃんとすればいいよ」と言ってくれましたが、その時の俺はもう、精神がガタカダでした。きっと、その大手の警備会社の奴らの内輪で、「下請けの○○の齋藤というのはとんでもない馬鹿だよ」と、噂し合っていたでしょう。ガードセンターにかけた時も、やれやれ、またこいつかよ・・みたいな感じの受け答えだったし。もうね、あんまり真面目にしすぎても、馬鹿みたいだ。といっても、あなたの人生はあなたの人生なんだから、自分で時と場合を考慮して、自分で考えて行動してくださいね。
 その他にも、学校の門がどうとか、体育館の扉が開いているとか、電源のコードがどうとか・・・もうね、真面目な馬鹿がやっちゃいけないね。不真面目なら、ひょいひょいと無視して行っちゃうことも出来るが、俺は一カ所でも開いていたら、心残りなので、それが気になって、やっぱり閉めに行っちゃうのだった。で、馬鹿だから解決まで時間がどんどん経過して、いつも朝方ギリギリまでかかったと。朝方八時までが巡回の限界時間なんだけど、度々、部活の朝練の生徒と会ったからな。本来、もっと早く終わらせなきゃならないのに。雨の中、革靴で排水溝に落ちて、足の裏に雑菌が入って皮膚科に行ったり・・・。もう嫌だ。
 そういうことが度々あり、俺の精神は超鬱状態になってしまった。もう、その機動隊員の警備会社のCMをテレビで見るのも超嫌だったし、街中でその警備会社の車両を見かけると鬱になるし、その警備会社のステッカーが家やお店に貼ってあるのを見ると鬱になるしで、もうね、地獄だったな。
 それで、肝心の施設警備に配属された時には、精神はガタガタになっていた。しかし、一応、その飲料メーカーの巨大工場には行きました。でも、俺の警備会社に引き継がれるにも関わらず、その時、他の新規に採用された俺以外のおじさん連中は続々と辞めてしまっていて、残るは俺とおじさん一名になってしまった。そのおじさんは俺に「齋藤くん、私達は頑張ろうね」なんて言っていたけど、その時、俺はもう超辞めたかった。それまでそこで警備していた会社のおじさん達も数名、俺の会社に移籍して、引き続きそこで働くと言っていたが、その時の俺はもう、そこにいるだけで精神ガクガクだった。なんとか第一次世界大戦の最前線の塹壕の中で震えつつも立ち止まっていたが、あるインターンの最中の日、とうとう「辞めていいですか・・」と言った。引き継ぐべく俺に色々と教えていたオジさん警備員は呆れていたが、その後、俺の警備会社に連絡して、翌日、辞めることになりました。一応、俺みたいな若い人は滅多に応募してこないらしくて、他のもっと簡単な施設に異動できるが、そこならどうか?と言われたが、俺はもう震えていたので、拒否しました。それで、そこは終わりました。制服は後日、郵送で送りました。とても迷惑をかけてしまいました。

 なお、その大手の警備会社に対しては、それから数年間、やはりその警備会社関連のあらゆるモノを目撃する度に、その時のことがフラッシュバックされ、鬱状態に陥りましたが、最近はなんとか克服しました。はー・・・やっぱり、自分に合う仕事をするのが一番よいよ。こんな感じで、警備員はもう二度とやらないと心に決めて、終了。

その後、また無職になりました。これから、一体どうしようと考えていました。ちなみに、自殺防止サイトのSEOは少しリンク対策しましたが、それでもほんのちょっとでした。だって、警備員をすぐ辞めちゃったので、ほんのちょっとしかお金を掛けられなかったからである。
 そんな時、ボーっとテレビを見ていると、世界での穀物競争の番組を放送していました。それを見たり、あと、以前から、ほんのちょっと農業に興味があったので、思い切って、農業を体験してみようと思って、ボラバイトというのに申し込みました。
 ボラバイトというのは、ボランティアとアルバイトの合体したようなものです。まぁ、半分ボランティアみたいなものです。そういうサイトがありまして、要は、住まいは農家側が用意するし、食材も、全部または少しは提供してあげるから、その代わり、最低時給未満の金額で雇用できるというものでした。まあ、時給で換算したら、300円くらいだったかな。それで、全国各地で募集していたのですが、俺はその中から、香川県の農家を選んで、申し込みました。そんで、行くことになりました。
 当日、駅に到着すると、そこでボラバイトをしている三十代の人が軽トラで迎えに来てくれました。そんで、農家の社長の家に行くと、横の作業場で、五人くらいでネギとかの野菜を洗ったり選別したり加工していました。 そこにいきなり俺も加わって、ボラバイトが始まりました。その日は午後に到着したので、ちょっと仕事しただけで、宿泊場所に移動しました。
 宿泊場所は、社長が知り合いから貸してもらっている古民家で、敷地内に牛が数頭いました。そこには既に、ボラバイトが二人いました。部屋は五部屋あり、トイレと風呂場はもちろん共同でした。部屋は、その時はまだ人数に対して空いていたので、俺は一部屋を一人で使えた。それから、週六日労働が始まりました。
 まぁ、仕事内容は、季節により違うだろうけど、俺の時は、レタスの苗を畑に植えたり、種を入れ物に数個ずつ入れたり、ネギを収穫したり、運んだり、レタスを収穫したり、その段ボールを運んだり、レタスの寒さ対策で簡易ビニールハウスみたいなのを畑のレタスに被せたり、あと収穫後の畑の腐ったレタスの掃除とか、そんな感じでした。かなり大変でした。あと、水まきもしたな。ホースがなかなか広い畑に奥まで伸びきらずに苦労した。やっぱり、農業は体力を使いますね。泥だらけになるし。
 そこの農家は社長が農業機械を操作して、その他の家族が加工とか収穫を手伝って、あとはインドネシア人の研修生が最初は二人、後に三人になった。あと、若い女性の社員が一人いた。その他は、時々来るボラバイトで労働力を賄っていた。
 とにかく、疲れるな。それで、 途中から、続々とボラバイトの人が増えていった。最初にいた同い歳の人は直ぐに去って行ってしまったが、その後に元会社員の人とか、大学生とか、世界中を放浪した若い日本人とその友達の白人とか、全国をバイクで旅している中年の人とか、あと北海道から農業を学びに来ている農家の人とか。その農家の人は、北海道では主に穀物を作っているので、香川県には野菜類の勉強の為の来ていたらしい。北海道は冬は雪で農業が出来ないので、時間も暇らしい。ちなみに、全員男性です。社長が借りているボラバイト用の家が、その一軒しかないようなので、女は泊められないからだ。
 それで、色々と農業を体験したけど、その感想は、とにかく作業が重労働だということ。そして、農業は土地や機械や栽培技術等、あまりにもハードルが高いということ。まして、人生がグタグタで全く計画性のない俺が参入できるはずのない業界だな。それと、会社員としてどこかの農業法人に就職する手もあるが、それも、俺は農業を実体験して、やりたいとは思えなかったので、止めました。
 まぁ、そんなんで、俺は結局、二ヶ月間だけ農業を体験して去りました。他のボラバイトも、一人は本格的に自分で農業をやりたいからと長期間そこで修行していた人がいたけど、他のボラバイト達は、あくまで一時的な短期間のバイト感覚だったので、俺が来てから来たボラバイトは北海道の人を除いて、またどこかへと去って行きました。ちなみに、一ヶ月の給料は七万円くらいだったかな。
 休日は近くの、といっても自転車で片道二時間くらい遠くにある、ちょっとひらけた街まで行って、食料品などを買い物した。金刀比羅宮にも行きました。それは、車を所有していたボラバイトの人が、そっち方面に用事があるからと、乗っけて行ってくれたのだ。その時は、ニュージーランド人の白人の若者も一緒だった。一緒に金刀比羅宮の前の通りとか、金刀比羅宮に行った。でも、基本的に英語だから、よく分からんかった。そいつは帰りは電車賃がもったいないからと、ヒッチハイクで帰ると言って、一人で元来た方向にとことこ歩いて行った。やっぱり外国人はコミュニケーション力と積極性が違うな。でも、結局、うまく帰って来れなくて、途中のスーパーにいるからと、画像付きのメールを同居のボラバイトの大学生の携帯に送って来た。それで、車を所有するボラバイトの人が迎えに行きました。しかし、そいつは愛嬌があるので、みんな怒っていなかったけど。その白人は、世界中を旅した友達と一緒に来たのだが、やがて友達が体調を崩してしまい去ってしまった。しばらくは留まっていたが、後に、新潟の実家で、その人が亡くなったということを聞いて、葬式に出るからと、去っていきました。その友達がニュジーランドに来たときに、知り合ったらしい。どうやら、末期癌だったようだ。まだ27歳だったかな。癌が発覚するまでは、この世は金がすべてみたいな生き方をしていたらしいが、癌であることを知ってからは、なんだか悟ったような生き方をして、無欲で世界中を放浪していたようだ。俺はその人と何度か喋ったし、作業中、具合が悪いような雰囲気だったのを思い出した。そういう事情があったのかと、納得した。
 社長は、やり手らしく、出来る人であった。厳しかったな。また、他の年上のボラバイトの人などは、叱られることもあったが、なんとか上手く付き合えていた。全体的に、良い人達ばかりであった。けど、やっぱり、農業はあまり好きにはなれなかった。 
 マジで香川県は神奈川の沿岸部と違って、土地が広いな。面積自体は狭いのだが。やはり日本は狭いといっても、それは都市部の話だな。田舎はまた、別だ。あと、銭湯に行ったりした。あと、うどん屋が神奈川県のコンビニ並にそこら中にあった。セブンうどんとか、うどんソンとか、ファミリーうどんみたいな感じだな。 俺はそんなにうどんは好きじゃないので、二軒しか入らなかったが。あと、マルナカというスーパーがやたら多かった。あと、書店が宮脇書店ばかりだった。田舎は競合店が少ないのかな。まぁ、長崎屋とかイオンとか、そこそこ開けた街にはあったが、俺が泊まっていた家の近くは、夜はほぼ真っ暗で、もろ田舎だった。まぁ、田舎には田舎の良さがあるけどね。でも、田舎だと、やはり自動車がないととても不便だ。自転車で移動していては、とても移動時間がかかるし、まして雨の時はとても不便である。
 社長は、俺の働きぶりをみて、正社員にならないかと誘ってきたが、俺にその気はなかったので断った。しかも香川県は、やはり遠すぎる。岐阜県でさえ神奈川から遠いのに、香川県なんてさらに遠いよな。到着するまで超長時間かかりました。やはり地元の神奈川が一番良いかな。それに、週六日で働いても、手取り13万円程度だって言うし、厚生年金とかもないし。その時、正社員だった若い女性社員も、十二月で去って行ったな。やはり、巨大な農業法人でない限り、それなりの給与を、家族以外の人を雇って支払って行くのは、日本の農業では難しいのかもしれない。若いインドネシア人も、研修という名目ではあるが、まぁ、安い賃金だろうしな。でも、気軽に農業を体験可能なボラバイトというシステムは、なかなか良いな。ただし、ネットで他のボラバイトの話を読むと、酷い目に遭った話も載っているので、あなたがもしボラバイトをする場合は、慎重に判断してください。
 年末には、社長がみんなに鍋を奢ってくれました。その後、ボラバイトの人達は大量に、皆の都合で一気にそれぞれ去って行きました。俺も、翌年の一月一日に去りました。帰りの駅までは、自動車を持っているボラバイトの人が送ってくれたのだが、その時、俺は世話になったお礼として、各種のビールを八本くらいプレゼントした。それで、香川県を去りました。

それからまた、悪い癖で、ボーっと、どうしていいのか分からない日々、つまりニートの日々が始まりました。その間、自殺防止サイトを改良したり、ベッドに一日中寝てばかりいました。いや、一見、怠けているだけのように感じるでしょうが、事実は、内心は、とても苦しいのです。俺だって、するべき何か、熱中できる何かを見つけたならば、それに向かって一生懸命に走ることが出来ると思うのに・・・。

 そんな感じで、二月半ば頃まで過ぎましたが、俺はようやく、ある仕事に応募しました。それは、東京での、ネット契約を取る訪問販売の仕事でした。他にもオレンジジュースの訪問販売の仕事とか見つけて、実際に電話してみたのですが、内容を聞き、その時は怖じ気づいてしまいました。が、このネット販売は、頑張れば月収五十万円も可能と書いてあったので、もしかしたら、この仕事が合っていれば、ものすごい金額が稼げるのではないかと思って、応募したのです。 つまり、自分に合っているかどうかはあまり判断せず、単に、出来高の最大値の魅力に取りつかれて、応募したのです。
 そして、俺は東京の本社に向かいました。といっても、そこはとても小さなオフィスでした。社員数が10人程度の小企業でした。しかし、場所は東京の中でも都市部にありました。私は面接を受け、やる気を伝えると、採用されました。どうやら、春の引っ越しシーズンに伴って、毎年新規のネット契約増が見込める時期なので、採用をどっと増やしたようでした。身分はバイトで、時給は千円でした。出来高に関しては、ある件数までは時給千円のままで、それ以上獲得すれば、獲得件数により、給与がどんどん高まっていくというシステムでした。
 そして、仕事が始まりました。最初の二日間くらいは、ネットに関する知識を得る為の講座でした。しかし、難しすぎて、よく理解できませんでした。それが終わると、班のリーダーと一緒に、実際に訪問しに行きました。この会社はオフィスとか店舗とかは無視して、一般家庭の一戸建て及びアパートとマンションの訪問でした。リーダーと一緒に、普通のマンションを訪れて、ポストにチラシを入れたり、インターホンを押して、ネット回線の案内をしたりしました。契約してくれれば、色々な特典がありますよ〜、というものでした。ちなみに、ネット回線はフレッツ光でした。この会社はNTTと代理店契約を結んでいて、契約を一件取れれば、NTTから報酬としていくらか貰えるという業務形態でした。
 まず、なにより、恥ずかしかった。だって、今まで、人と接するのが怖くて、ずっと一人で黙々と出来る工場作業員ばかり選んでいた俺が、今度は真逆の、営業ですよ。しかも、縁のある馴染みのお客さんばかりを相手にする営業でもなければ、ハガキとかメールで反響を受け取った見込みのあるお客さんでもない。なんの縁もゆかりもない赤の他人ばかりを相手にして、商品を売り込む仕事ですよ。そりゃ、超難しいよ。 しかも、ネット契約なんて、もう既に殆どの家庭で契約済だろうし、何十、何百という家庭の中から、まだ未契約で、かつ契約に興味を持っている人を見つけ出して、さらに自社で契約してくれるように説得するという、超至難な営業です。そんなのにいきなり応募するとは、何も考えていないとはいえ、出来高の高い給与に惹かれたとはいえ、俺はすごいな。よく、そんな大胆な仕事をする気になったものだ。
 それで、最初の一日は先輩と同行したのだが、その時も、なかなか契約は取れなかった。なぜなら、午前中に出社して、それから、これからその日に歩き回る地域の地図をコピーする。そして、既に訪問した家は色ペンでチェックしたり、見込みがありそうなところもチェックしたり。とにかく、出発前にも一時間程度作業がある。あと、ポストに投函するチラシや契約書を用意したり。その地域までの交通費は後で貰えたけど。訪問する地域の選定は、あらかじめしてあった。俺は世田谷区の何とかっていう地域だったかなぁ・・・忘れたけど、とにかく、他の人と被らないようにされた。
 先輩と同行した日は、五時間も六時間も歩き回ったのだが、やはりプロの先輩がいても、なかなか難しい。まず、チャイム鳴らしても、昼間はほとんどのアパートやマンションで不在だし、いても居留守使って出てこないし、出てきても結構ですと断られるし。しかも、ネット契約をしたいと思っている人を見つけたとしても、我が社と契約してくれるとは限らないし。だって、ぶっちゃけ、特典としては、家電量販店で契約した方が得なんだもの。もう、契約してくれる人なんて、三つ葉のクローバーの中にたまに存在する四葉のクローバーを見つけるくらい至難の業だな。
 でも、途中、あるアパートで、見込みのある外国人を見つけた。その人は、ADSLを使っていた。ADSLを使っている人も、光通信に変えてもらえれば一件になるので、この人は見込みがあった。だけど、相手は英語しか話せない白人なので、全然言葉が通じなかった。で、結局、意味不明で終了。でも先輩は、あの人は見込みがあるから、後日、英文に翻訳した紙を持参して契約してもらってこいなんて言っていたが、そんな無茶な・・・。一応、会社にいる時に、ヤフーの翻訳機能で試しに作ってみたけど、上手くいかなかった。それに、あらかじめ用意した文章以外のことを質問されたらアウトだしな。
 しかし、同じアパートで、引っ越して来たばかりという、若い男性を見つけた。その男性に対して、最初、俺が話していたのだが、あまりにもオロオロとしていたので、すぐに先輩が出てきて喋った。結果、一件ゲットできました。それは、結果的に先輩がゲットしたものだが、俺にくれた。
 で、翌日からは、俺一人で訪問することになった。とても心細かったが、やるしかなかった。超恥ずかしがりながら、インターホンを押す。ほとんど出てこなかったし、対応しても、冷たくあしらわれた。中には優しく断る人もいたけど。とにかく、何件、何十軒も訪問しても、全然契約が取れなかった。まず、見込みのある人自体、そうそういなかった。大体、一日百軒は訪問したな。あるマンションに行った時は、ポストにチラシを入れていたら、不審者に間違われるし・・・。訪問販売禁止の張り紙のあるマンションには、恐ろしくて入らなかった。だって、監視カメラがあったから。
 当時はマジで、恥ずかしかったよ。一人でスーツにコート着て、脇で子供が遊んでいる公園で、ベンチで落ち込んだりして。でも俺は真面目だから、そんないつまでもサボるようなことはしなかった。とにかく、歩いて歩いて、チャイムを鳴らしまくった。大体、午前十時から午後八時過ぎまで頑張った。午後八時過ぎからは神タイムらしく、その頃には独身者が仕事から続々と帰宅してくる時間帯なので、そこからが契約率が上がるらしかった。しかし、なにせ、俺は湘南地域から電車で片道二時間くらいかかって通勤していたので、そんな遅くまでは無理だった。そう、夜八時まで頑張って、それから直で家に帰り、風呂に入り、寝て、朝四時頃に置き、支度して、出勤した。つまり、睡眠時間は三時間半程度だった。なんか、家に帰ってからも、その日に訪問した地域の家宅をチェックする作業とか、その他にも色々とあったんだ。だから、直ぐに寝る訳にはいかなかった。家にも仕事を持ち帰っていた。
 ああ、なんでとんでもなく遠い場所を仕事場に選んだのだろうか。アホだなぁ。世の中には、家から五分の職場の人もいるというのに・・・。通勤時間なんて、出来れば短い方がよいに決まっている。
 身体はちゃんと休めないからボロボロだし、精神の方も全然契約取れないプレッシャーと、恥ずかしさと、冷遇されてあしらわれることでボロボロだった。
 あるアパートでは、チャイムを鳴らした後、誰も出てこないから、階段で二階に上がろうとしたら、そこの扉が開いて、ヤクザが出てきて、「テメーかこのヤロー!!!起こすんじゃねえよ!!!!」なんて怒鳴られるし。その他にも、忙しいんだから邪魔しないでとか言われるし。まぁ、そりゃそうだろう。既にネットを契約している人からすれば、なんでそんなことで、一々対応しなけりゃならないんだ?という思いはあるだろうし。
 しかも、俺が担当した地域は激戦区で、ポストにチラシを投函しようとすると、既に同業他社のチラシがたくさん入っていた。A社、B社、C社・・・もう、無理でしょ。しかも、特典だって、たいして変わらないし。先輩は、同業他社のチラシを見つけたら、捨てて自社のチラシを入れろと言っていたし。俺も最初の頃は実際にそうしていたけど、俺はなんだか、気が引けたので、次第に止めた。はー・・・やっぱり、競合相手のいない警察とか役所は、いいなぁ〜・・と思いました。競合相手がいないということは、給与に対するプレッシャーが無いからな。それだけでも精神的に楽だからな。民間人は超大変だよ。公務員いいなぁ〜、ま、こんなグタグタな人生の俺じゃなれないけどな。
 それでも、数人は契約してくれそうな人を見つけた。ある学生のアパートでは、ADSLを使っていたので、俺が必死に説明したのだが、結局、その人はADSLの契約者名義の確認とか、面倒くさがってしまい、駄目でした。ある家族のアパートも、見込みがあって、俺が必死にたどたどしいながらも説明して、もう少しで契約出来るかなぁ〜という段階で、結局、ちょっと考えますということになり、後日、また訪問したら、やっぱり要らないわ、ということになってしまった。
 と、いうことでね、結局、二週間頑張っても、一件も自力で取れなかった。取れたのは、訪問販売初日に先輩が獲得して俺にくれた一件だけ。そんなの、俺の功績じゃないし。
 で、結局、辞めたいとリーダーに伝えて、辞めました。先輩は、もう少しやってみれば、それで駄目なら、その時はこっちからクビにするから、と言ってくれたが、その時の俺は、精神的にもうマイっていた。もう、訪問したくない、チャイム鳴らしたくないという気持ちだった。それに、一件も取れないのに、このまま時給千円分の給与を貰い続けるなんて、超給料泥棒だから。それに、ネットの仕組みとか、契約書の書き方とかも、よく理解していなかった。超特急で講座をして、いきなり戦場に出たから、よく咀嚼して理解する時間がなかったし、元来、俺の頭脳は低性能だから、よく分からんかった。そもそも、今でも、円高と円安の違いがよく分からんくらいだし。
 はー、やっぱり、普通の人は、ちゃんと睡眠時間を取らないと駄目だ。睡眠三時間半なんて、それは普通の人がしたら、早死にするな。

まったく俺は、自分で書いていて、自分がどうしようもないと思う。

 それで、暫くはこの次どうしようと、色々とネットで仕事を探していました。すると、家電量販店でのネット契約の派遣社員の仕事を見つけました。時給1300円。これに、応募しました。というのも、この時の俺はまだ、訪問販売では成果を上げられなかったが、もしかしたら、家電量販店という固定された場所での営業ならば、俺でも活躍できるのではないか、なんて、無茶な発想をしていたからでした。もっと言えば、訪問販売で一件も契約できずに終わったのが悔しかったのかもしれません。この後、どうなるかも知らずに・・・・。

 この仕事は五月から始めました。最初の三日間は、ネット知識の勉強でした。でも、よく分かりませんでした。まぁ、あとは、実際の業務をしながら覚えていってくれればいいということでした。その後、実際の店舗に配属されました。その家電量販店は、あの有名な某家電量販店です。場所は東京だった。なんか、その派遣会社のスタッフの派遣先の家電量販店が、俺の近くの家電量販店にはなかったから、結局、またしても通勤時間が片道二時間近くかかる場所になってしまいました。そのせいで、またしても、睡眠時間が五時間以下になってしまいました。俺は起きてからの動作が遅いし、店舗では実際の出勤時間の前にみんなでミーティングがあるし、その前に着替えないといけないし、電車が遅れた時のことを考えて、ギリギリで出勤してはいけなかったから。
 それで、家電量販店の裏口から入って、ロッカーで着替えて、青いフレッツ光の制服を着て、ズボンも定められた色のチノパンを履きました。ワイシャツも着ました。
 その時までは、その店舗のフレッツのスタッフは、色々な派遣会社から集められた人達で構成されていたのだが、俺が採用された時には、俺の派遣会社からのスタッフで統一される時期だったらしい。だから、俺と同期入社の人は、他にも数人いた。それで、フレッツスタッフを取り仕切るフレッツ光の派遣社員のリーダーも、俺の派遣会社から派遣されていた三十代の人だった。
 それで、家電量販店での仕事が始まりました。本当にもう、今から思えば、よくもまぁ、人見知りの俺が、こんな超接客業にチャレンジしたものだ。俺は話力、知力、記憶力というあらゆる能力がないくせに、無駄に行動力はあるから困る。
 家電量販店のシフトは、三つくらいあった。日によって違った。まず、開店前に出勤するシフトの場合は、家電量販店の社員達と一緒に、補充する品物を各場所に補充した。俺は主にインクコーナーにインクを補充したりした。あとは、午前十一時から出勤のシフトや、午後から出勤のシフトがあった。そして、土日はお客がわっと来店するので、絶対に全てのスタッフが出勤だった。祝日は無関係だった。だから、週のうち、平日の二日が休みだった。二日連続で休みの場合もあるし、一日ごとに細切れの場合もあった。まぁ、年中無休の家電量販店というのは、そういうものでしょう。
 そんで、肝心の業務ですが、これが、とても難しかった。まず、本業のネットの契約業務も、契約書の書き方とか、ネットの仕組みとか、ライバルのネット会社の契約形態とか、ライバルに対して自社のネットはどういった点で優れているかとか、本当に色々と難しい。あと、ネット以外でも、パソコンとセットで売るために、店舗にあるすべてのパソコンのスペックとか、特徴とか、あとパソコン関連のあらゆる知識とか、あと発送方法とか、なんでそんな家電量販店の店員がすることまでネット契約係がやらねばならないねん!ということまで、やらねばならなかった。といっても、俺は一応教わったけど、結局、全然出来なかったが。だって、本業のネット契約自体もまともに出来なかったんだから。
 まぁ、本当は、それは違法らしいのだが、どこの家電量販店も、正社員だけじゃ回らないので、ネットのスタッフにやらしているらしい。ま、日本は、こういう灰色の部分がありすぎる。みんな分かっているけど、見て見ぬ振りというか。グレーゾーン金利しかり。欧米だったら、自分の契約している仕事の業務以外のことを無償でやらされたら、ブチキレて即裁判沙汰になるだろうが、日本人は本当に甘い。
 ちなみに、家電量販店が儲ける仕組みは、店舗が各ネット会社からの派遣スタッフを受け入れる代わりに、契約が取れたら、一件につき、ネット会社から数万円が懐に入るという仕組みでした。だから、各ネット会社ごとに、厳しいノルマが設定されていた。店舗のマネージャーからもプレッシャーがかかるし、ネット会社からもプレッシャーがかかった。
 本当に難しい。メモリを買いたいお客さんに対して、メモリが入っているガラスの鍵を開けたり、間違ったメモリを売りつけないように調べたり・・・。一度、俺、マック関連のハードディスクか何かで、本当はそのお客さんのPCでは使えないタイプの機械を間違ってお勧めしちゃったからな。それで、レジの正社員が気づいて、ことなきを得たが。他のスタッフでは、間違って品物を売ってしまって、マネージャーがお詫びに品物をそのお客の家まで届けにいったことがあった。俺もそのままお客が持ち帰っていれば、おれのせいで、マネージャーがお詫びに行っていたかと思うと、俺の普段の成績が悪すぎるだけにゾッとする。つーか、なんでそんなこと、ネット契約係がしなけりゃならないんだよ。駅の清掃員が、お客の対応とかキオスクの販売とか色々するようなものだろ、まったく。おかしいよ、日本は。
 ネット以外のウイルス対策ソフトがどうのこうのとか、CDなんとかはどうなんだとか、ケーブルはどれですかとか・・・その他色々すぎる質問を浴びた。もうね、お客の方は、家電量販店のスタッフと、ネットの獲得のスタッフの見分けがつかないので、構わずに俺にどんどん聞いてくる。それは、ネット以外の、プリンタのインクがどうのとか、もうね、あらゆる家電量販店の品物に関することをだよ。そんなの、俺に分かるわけないじゃん!でも、普通のお客は、ネットのスタッフも家電量販店のスタッフと同じだと思っているから、構わず聞いてくる。ハー・・・。
 記憶力の悪い俺に、あんなに膨大に存在する家電量販店の全ての商品の知識と仕組みを覚えるのなんて、無理だよ。でも、お客さんを邪見に扱う訳にもいかず、また、そこの正社員の数も圧倒的に足りないので、ネットのスタッフで対応するしかないのだ。
 契約業務自体も、俺はてんで分からなかった。いや、一生懸命に頑張ったんだよ。電車の中や、休日にパンフレットを見たりしてさ、一生懸命に覚えようとしたんだよ。だけど結局、元々のスペックが悪すぎるから、どうしてもみんなに追いつけない。同期入社のスタッフ達に、どんどん差をつけられてしまった。まぁ、俺は荷馬車で、他人はスーパーカーみたいな差でした。
 だって、俺、デスクトップパソコンがどこにあるのかさえ、二ヶ月経過しても覚えられなかったし、自分に教えてくれていた先輩スタッフでさえ、一ヶ月経過した段階で、「あれ、この人の名前、何て言ったっけ・・・?」と、突然忘れてしまうような感じなのだ。その人には、陰でフレッツリーダーに、「もう、齋藤さんに教えるのは疲れました・・・」と言っていたらしい。もう、今でも頭がボーっとしているし。だから、俺は記憶力を要求されるような仕事は無理だ。世の中には努力でどうこうできない領域がある。だから、俺は知能の要求されない瓦礫処理の仕事を選んだ訳だが。
 で、同期入社のスタッフはどんどん一人で件数を獲得していったのに対して、俺は二ヶ月経過しても、まだ一人では契約書さえ書けなかった。見込みがありそうな人に話しかけて、その人を先輩に引き継ぐという形だった。本当にもうね、それくらいしか出来なかった。圧倒的に出来なかった。
 そこのPCコーナーのマネージャーはやり手だった。ある時期、ネットスタッフを班ごとに振り分けて、互いに競い合わせて、上位の班には商品券をプレゼントするという褒美を用意し、スタッフのやる気を煽って契約率をアップさせる作戦を発案したのだ。しかし、俺が所属した三人組の班は、他の二人は何件も契約をどんどん獲得したのに、俺が期間中、ほんの一、二件程度しか獲得しなかったので、結局、下位に沈んだ。「齋藤さん〜、しっかりしてくださいよ〜・・ねえ・・・マジで・・・」なんて冷たく言われて、俺は終止、鬱でした。
 フレッツリーダーにも、同期入社の奴らはあんなに成績優秀なのに、なんでお前は未だに契約書さえまともに書けないんだ!と、怒られるし。それも、怒鳴るのではなく、冷たいナイフで刺すような感じで、冷酷に言われた。ああ、もうね、本当に、地獄ですよ。本物の地獄というのは、肉体的なダメージではなくて、精神的なダメージですね。もうね、通勤の途中に、駅のホームで待っている時に、線路をジーっと見て、なんだか飛び込んでしまいそうな気持ちでした。でも、スピリチュアリズムで自殺者の死後の様子などを勉強していたし、なにより、なんでこんなところで死ななきゃならないのか、と思い、思い留まりした。
 しかし、周囲のネットスタッフは大体は良い人で、けっこう分からないことは教えてくれたが、突き放されることも多かった。とにかく、ネットとか家電とかPCとか、本当に難解すぎる。今、この文章を打ち込んでいるマックのPCだって、よく分からないんだから。
 それで、三週間が過ぎる頃に一度、派遣会社に辞めたいと伝えたのだが、辞めさせてくれなかった。というのは、この時期は、前述の通り、この派遣会社への切り替えの時期だったからだ。だから、なんとか説得されて、継続して勤務しました。けど、やはり相変わらずの低空飛行の成績で、チンプンカンプンで、やはり生き地獄でした。しかも、給与が、残業とかも含めると、32万円にも達する時もありました。それが逆に、真面目な俺は、こんな成績でこんなに貰うのは申し訳ないという思いで一杯で、なおさら落ち込んでしまった。
 だって、一日二件獲得しないとNTTは赤字とか聞いたのに、俺は最大で28日間連続無契約の時もあったんだ。これは、もうシャレにならない。同僚の視線も厳しい。超給料泥棒だな。だって、出来高制ではなくて、時給制なので、出来る奴も、俺と給料同じだからな。出来る奴からしたら、怒るだろうな。
 あまりにも俺が契約を獲得できないし、見込みがある人に対して俺が話しかけると、逆に逃してしまう危険性があるということで、俺はついに、PCフロアから追放されました。たしかに、俺が話しかけた時と、その他の人が話しかけた時とでは、契約率が全然違った。俺はすべてのネットスタッフの中で圧倒的に最低の契約率だった。そして、ついに、おもちゃコーナーに追放されました。そこは、任天堂のDSとかと一緒にネットを契約すると値引きが可能という特典があって、それ目当てのお客さんをゲットしろという指令だったのだが、そこでも俺は、相変わらず全然契約が取れなかった。まぁ、PCフロアよりも、携帯ゲーム機コーナーは、ネットに関しては関連性が薄くなる分、やはり難しくなるのだが。そこでも10日連続で無契約とかザラでした。ちなみに、28日間連続無契約の時には、もうお前、宣伝のチケットを入り口で配っていろと言われて、一日中、それを配っていたのだが、やはり俺では中々受け取ってくれなかった。一生懸命に声を出していたのに・・・。しかし、同僚が同じチケット配りをすると、受け取ってくれる率が格段に高まるのだった。俺が六時間かかってさばいたチケットの枚数を、同僚は一時間半程度でさばいてしまった。
 おもちゃコーナーで、俺は、ガラスの中にある携帯ゲーム機の横に立ち、大声を上げて宣伝していてた。携帯ゲーム機に興味のあるお客に、携帯ゲーム機の購入と同時にネット契約してくれれば、とても割引しますよ、と話しかけたのだが、殆どの人は、いや、いいですと、断った。しかし、同じことを同僚がすると、なぜかお客は笑顔で反応して、話を聞いてくれるのだった。やはり、才能というか・・・ぶっちゃけ、この仕事、俺には無理だった!!!

 そりゃもう、契約を獲得する業務において、契約を超長期間獲得出来なかった時の閉塞感、劣等感・・・。しかも、それが一番成績が下の者だとしたら・・・。そりゃ、もう地獄です。
 結局、四ヶ月勤務した時点で、もうさすがに無理ですと再度派遣会社に訴えて、ようやく一ヶ月後に辞めさせてくれることになった。それで、五ヶ月勤務した後、辞めました。

 結局、五ヶ月かかっても、一人で契約できたのは、単身者用のマンション・アパートの一番簡単な契約だけだ。他人にとっちゃ簡単なことでも、俺にとっては至難の業だった。NTTの会社に電話して、設備確認して、それから色々と話をして・・・もうね、無理。なんとか自分一人でやり遂げられたって言ったって、同僚がすれば30分で終わることを、俺は一時間もオロオロ・モタモタしながら、ようやく成し遂げたんだ。だから、ようやく契約書を入れたビニールをお客に渡す頃には、お客は超不機嫌になっていた。それをフレッツリーダーにも指摘されました・・・一応、俺なりに頑張ったのだが・・・。
 本当に、難しいことは、何度勉強しても、覚えられなかった。だから、度々、同僚に助けを求めた。突き放されることもあった。しかし、俺は悟った。いくら努力しても、無理なことは無理なのだ。それに、俺は知能とか記憶力とかの基本スペックがとても低いので、対応可能な仕事の幅がとても狭いことも、身に沁みて分かった。

 結局、多分、五ヶ月働いて、俺一人での総獲得件数は、23件くらいかなぁ・・・。シャレにならないよ。フレッツスタッフ一人当たり一日二件獲得しなけりゃNTTにとっては赤字なのに、週五日勤務を五ヶ月でたったの23件ぽっちなんだから・・・給料泥棒にもほどがある。
 
 やはり、出来ない仕事を続けるほど、辛いものはないね。仕事で貢献してこそ、人間、生き生きと生きられると思うから。全然業績に貢献出来ない仕事を続けるのは、とても辛いよ。
 

↑このページのトップヘ