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自殺の霊的知識を知るっちゃ!

カテゴリ: ★『管理人について』

無職になっても、相変わらず、危機感の無い私でした。リサイクルショップに行って買い物したり。
 いや、その頃の俺は、出会い系サイトもしていた。ある出会い系サイトに登録したら、怒濤のようにメールが来て、人生で初めてこんなにモテたと有頂天になってメールに返信しまくっていた。しかし、結局、いつも会えなかった。『近くの○○駅で会いましょう』というメールをもらって、ウキウキしながら車でその駅に向かっている途中に、メールが到着して、『ごめん、都合悪くなっちゃった』というメールが来て、引き返したり。車いすの若い女性からのメールとか来て、私を見捨てないでとか言われて、ついつい大金を投じたり、女子大生と名乗る人とか、看護婦してますとか、女性社長ですとか、とにかく何十通も、昼夜問わず届いた。それを、当時の俺は、本気で、相手は本物の女性とやりとりしているものと思っていたのだが、真実は違った。ま、今もそうだが、それはまったくのデタラメ、サクラばかりのサイトだったのだ。だって、俺は本物の会える出会い系サイトのハッピーメールとかやったことあるけれど、全然女性からメール来ないもの。だから、いかにそのサイトが偽者だらけかが、今は分かる。そして色々と後で調べたら、それらは、全員男が女のふりをして書いていたらしい。そりゃそうだよな。女社長がお金あげますとか、ありえないよな。アホすぎる。でも、そんなバカがいるから、世の中詐欺事件は減らないんだよね。俺みたいなバカがいるからな。そのサイトには、総額10万円くらい遣いました。それも無職だから借金だよね。しかも、数ヶ月後に、知らない男から電話がかかってきて、「未払いの出会い系サイトの料金を払え」なんてかかってくるし。多分、そういうバカには、そういう脅しをすれば、また金を搾り取れると思って、電話してきたんだろう。業者が、俺の登録時の個人情報を悪徳業者に流したんだろうな。「お前の家に行くからな」とか脅迫された。 もう、何回もかかってきたよ。「来るなら来てみろバカ、住所分からねえだろ」なんて言ったり、業者が怒鳴り続けている携帯電話をそのまま放置したりしてたけど。なんとかやり過ごした。一応、強気には出たけど、それでも本当に家に来るんじゃないだろうかと、内心ビクビクしていたよ。

 本当に怖いね。何が怖いって、世の中を何も知らないヒヨコの当時の俺が怖いよ。今の俺も、世の中のこと、そんなによく知らないけどさ。それでも、当時よりかは、いくらか賢くはなったけど。本当に、俺はこんなにバカなんだから、親も何も教えてくれないし、学校でも教育してくれないし・・・実際に自分で痛い目に遭わねば分からないってのは、とても損です。速聴の契約だったそうだし。金の賢い使い方を習得していれば、そんな事態には陥らなかった。けど、俺には誰も教えてくれなかった。

 あと、まともに仕事しようとせずに、俺は近くのおもちゃのお店に行ってスターウォーズやバットマンとかのアメコミのフィギュアを買ったり、ジャニーズの店に行って、ジャニーズのグッズを買って転売すれば儲かるかなとか考えて、実際に買い、ヤフーオークションで転売しようとした。でも、そんなので大きな利益が上がるはずもなく、むしろ送料とか含めると、大幅な赤字でした。その資金も全部借金でした。
 俺の前世って一体?ここまでバカだと、本当にもう、俺の前世はとんでもないバカだろ。きっと、呑気に振る舞えるような地位の世間知らずのお馬鹿さんだったか、ろくでなしの放蕩野郎だったのかもしれない。とにかく、俺の前世は世間知らずだな。前世で上手にやりくりしていれば、ここまで馬鹿な行動はすまいて。

 あと、えーと、ユサナという、アムウェイみたいなものに手を出してしまいました。その資金も全部借金です。ネット上で発見して、おっ、これはいいんじゃないか、と、アホな期待を寄せてしまい、無駄に行動力はあるので、早速申し込みました。
 その組織は、なんだか小太りの30代後半くらいの男性がリーダーで、その人を頂点として、けっこうツリーは出来上がっていました。13人くらいだったのでしょうか。そこでは、毎週、ヤフーのネットで会議が出来るシステムを使って、会議を開いていました。みんな頻繁に意見交換をしていましたが、俺はただ聞いているだけでした。そこでは、とてもポジティブな言葉が交わされており、みんなやる気になっていました。ちなみに、俺は、北海道在住の二十代後半くらいの男性の下につきました。その人とは頻繁にメールでやり取りしながら、「齋藤さん頑張りましょう!」とか言われて、最初の頃は一生懸命にネット上で勧誘活動していましたが、やがてすぐに無理だと思って、勧誘活動を止めてしまいました。活動方法は、主にヤフーオークションの情報ページに高いお金を払って上位に表示してもらい、そこ経由でユサナ会員になってもらう、という目論みでしたが、それを実行しても、一件も応募はありませんでした。他にもネット掲示板にも書き込みましたが、反応はありませんでした。リアルな知り合いがほとんどいないので、手詰まりで、終いには諦めました。
 一ヶ月で15000円くらい、ユサナのサプリメント代がかかっていました。毎月毎月、サプリが送られてきましたが、俺は全然飲んでいませんでした。もともと、そういうサプリなんかには無興味だったのです。あくまで、金持ちになれるという宣伝文句に乗ってしまっただけだったのです。
 それで・・・解約しようにも、俺は変に義理を感じてしまっていて、俺が辞めたら、このツリーの皆さんの利益がその分無くなってしまう・・・今まで色々と励ましてくれたのに、それでは申し訳ない。特に、北海道の○○さんには申し訳ないなんて思ってしまいました。ああ、だったら、無活動でも、せめて会員のままでいればいいかな・・・なんて、馬鹿な考えで、その後も、ダラダラと7ヶ月だか、1年だか、もう忘れちゃいましたが、そのくらい会員でいました。最終的には大量のサプリが、大きな段ボールに山積みになっていました。今から思えば、そんなこと、何の遠慮も不要、すぐに辞めちまえばいいんだ!と、今の俺なら決断出来ますが、当時の俺は、ナヨナヨしていて、とても無理でした。だって、北海道の○○さんは、このビジネスを主体で食っていくつもりとかで、その時に勤めていた会社に辞表を出したとか、ネット会議で言っていたし。それを聞いたリーダーは、それを賞賛したり・・・なんか、宗教ぽかったな。その北海道の○○さんは、他にもヤフーオークションに本から得た情報を、情報ページに出品したりして、本気でそういう方法で食っていくつもりだったらしい。今はどうなっているか知らんけど。とにかく、当時の俺は、どうしようもない世間知らずの優柔不断の馬鹿だった。

 ああ、あと、ペット保険の代理店というのも契約したな。一件ペット保険の契約が取れれば千円くらいの報酬が入るというものだ。それも、おもにヤフーオークションで活動したけど、一件も取れずに終了しました。あとには、大量のペット保険の契約書とパンフレットが残りました。捨てました。これも、二万円くらいの赤字でした。

 あと、なんだか、海外のクレジットカードが、国内でブラック査定受けた人でも手に入るという、全国救済組合なるものにも申し込んだぞ。それは、海外のクレジットカードが作りたいのならば、四万円だっけか。その申し込みの仲介の代理店になりたいのなら、二万円出せば、なれますよ。クレジットカード制作の申し込みでも代理店契約の申し込みでも、どちらでもいいから一件契約取れれば、一万円あなたの口座に振り込みますよ、というものだったと思います。その業者のホームページには、毎日毎日大金が振り込まれた証拠の預金通帳が映っていて、札束の写真が掲示してありました。俺は、これ以上クレジットカードを作るのはさすがにヤバいと思ったので避け、代理店ビジネスに申し込みました。んで、これもヤフーオークションの情報ページに出品しました。結果、三件くらい契約できました。けど、情報ページの上位表示の代金を三万円以上かけてしまったので、赤字でした。また、俺は人がいいから、代理店ビジネスをやる気で電話をかけてきた人が「この仕事、儲かりますかねえ?」なんて聞いてきたら、そこで絶対に儲かると言えばいいのに、馬鹿正直に「いやぁ〜、それは分かりませんねえ」なんて言ってしまいました。結果、お客の熱意もしぼんでしまい、みすみす契約してくれそうなお客を逃してしまったりしていました。俺は、俺に契約させた速聴の営業マンみたいに、神様レベルの営業トークは無理なのだった。
 でも、赤字を出したとはいえ、三万円ゲットしたのは事実なのだから、今度は手法を変えることにしました。ネットサーフィンしていたら、『泥棒市場』なるサイトに行き当たりました。そこは、なんだかとても怪しいサイトでした。窃盗品とか、怪しい情報とかが売買されていました。そこで、俺は全国多重債務者リストなるものを見つけ、それを買いました。値段は忘れましたが、数万円だったかな。それで、データの形で、メール添付で送られてきました。開いてみると、そこには沖縄から北海道まで何万人もの多重債務者の個人情報が載っていました。俺は、この人達に、この海外のクレジットカード情報を送れば、飛びついてくるのではないかと思い、大量に送ることにしました。なにせ、この海外のクレジットカードなるものは、限度額が最大で二百万円だったから、大いに助かるだろうと。もしかしたら、大儲けできるかもしれないと、期待した結果の行動でした。
 コピー機で案内書と契約書を大量にコピーして、それを封筒に入れました。そして、まずは北海道の人達の住所を書いて、まずは百通くらい出しました。数日後、郵便受けには、大量の宛先不明で返送されてきた封筒が何十も詰まっていました。こぼれる程に・・・。それが、次の日も次の日もだったかな。とにかく、返送率八割くらいで、あとの2割は届いたのかもしれないが、結局何の音沙汰もなしで、一件も振り込まれませんでした。今から思えば、酷いことをしてしまいましたね。そしてアホでした。
 それでも、もうこのビジネスしか一発逆転の方法はないと思って、今度は大量のパンフレットをコピーし、A4封筒に入れたものを50通くらい用意しました。そして、今度は直に人々にアピールしようと、変なでかい看板を作りました。1m×60cmくらいの、ピーマンとかトマトとかナスとかのアホな人形を自作して、その看板の中央には『闇金怖いよ〜』なんて文字を書きました。あと、もう一つくらい、変な看板を作りました。それで、電車に乗って、名古屋駅の高島屋の前の路上で、無許可で、メガホンで宣伝し始めました。「こちらは全国救済組合と申します・・・海外のクレジットカードが作れます」とか、超恥ずかしがりながら喋っていた。本当にもう、今から思えば、なんでこんなことをしたのか、分からん。憑依されていたのかしら?今、とても赤面しています。やっぱり、俺は普通じゃない。頭がおかしい、ギャーーー。みんな、クスクス、何あれ〜、馬鹿みたいとか、奇怪なものを見る目で見てきました。
 それでも、俺は契約が欲しかったので、一生懸命に宣伝していたら、一人の貧乏そうな男が興味を示してくれて、パンフレットを受け取ってくれました。あと、スーツを着たもう一人のサラリーマン風の男も受け取ってくれました。そうしたら、しばらくして、警備員がすっ飛んできて、止めてくださいと言われて、帰りました。後日、一万円振り込まれていましたが、それよりも、看板制作費用とか、遠征費用で、またもや赤字でした。はぁぁ・・本当に恥ずかしい。なんで『闇金怖いよ〜』なんて看板、作ったのだろうか。意味不明だ。きっと、闇金よりも、こっちで借りた方がマシですよ、というような訴えだったのかもしれない。これは自分自身のことだが、もう、憑依現象ということで勘弁してくれ。もう思い出したくないです。今ね、もう本当にね、俺って、普通じゃなくて、異常だなぁ〜と、パソコンの前で赤面しています。ま、普通の精神だったら、こんなサイト、作らないかもしれないけどな。
 う〜ん、もうそれっきり、全国救済組合のビジネスは終了しました。結局、四万円の報酬のために、10万円くらいの費用がかかったのかな・・・アハハ、馬鹿みたい。

 あとは、アイエンスという、クレジットカードの現金化の業者の代理店にも応募しました。それは無料だったかな。で、同じくヤフーオークションで高い費用をかけて宣伝しました。それで、数人が実際に応募してくれて、俺には1%が報酬として支払われる契約だったと思うので、6000円が振り込まれた時もありました。あとは2000円だったり。けど、それも結局、上位表示の宣伝費用がかかりすぎて、赤字でした。そんで、止めてしまいました。今から思えば、相手を自分と同じ借金地獄に招き入れるような真似をしてしまい、申し訳なく思いますが、当時の俺は、そんなことにまで思いは至りませんでした。
 
 あとは、絵が好きだったので、絵を描いて売ろうと、画材を買って、描いたり、工作をして売ろうと、名古屋のデパートのそういうお店に行って材料を買ったり。あと、木の板を買って、彫刻刀で彫刻を彫ったりしていた。また、単なるそっけない素焼きの植木鉢に、俺が画材で絵を描いたものをヤフーオークションで販売しました。けど、それらの入札は一件もありませんでした。石に絵を描いて売ろうと、河原に行ったり・・・。もうね、この文章を書いていて、一体どこまで馬鹿なのかと、悲しくなります。だから、俺よりもよっぽど高い人間力の一流企業勤めの人物が自殺するなんて、馬鹿げています。まぁ、そういう人は、プライドの固まりだろうから、少しでも落ちぶれると自殺したくなるのだろうか。とにかく、この時の俺は、銀河級の大バカ者でした。

 それで、次第に精神がおかしくなっていきました。一応、ハロワは一度行ったのかな。けど、岐阜県だし、田舎だったので、時給700円の漬け物工場の求人とかしかなかったな。しかも、その時点では、もう借金まみれで、アイフルの借金額は百万円満額まで近づいていたし、クレジットカードは、ショッピングの借入残高が80万円かな、キャッシングが70万円くらいかな。よく覚えていないけど、危機的状況でした。本当に、馬鹿の極みです。ああ、誰か、馬鹿な俺にお金のことをちゃんと教えてくれる人がいれば、こんなことにはならなかったのに。いや、それ以前に、神奈川県内で就職していれば、祖父母の家も近くだし、実家も近くだったろうから、こんな事態にはならなかっただろう。まったく、風邪の時も、誰も来てくれない。やはり日本は狭いとはいえ、それはアメリカやロシアと比べた時の話だ。岐阜県と神奈川県は離れすぎているよ。誰も助けてくれないし、助言してくれる人もいないし、相談に乗ってくれる人もいなかった。岐阜県は織田信長の領地で、神奈川県は北条一族の領地だったからな。やはり遠すぎる。これも、やはり、今思うと、体毛が濃かったことが原因です。体毛が濃かったが故に、逃げるように意味もなく岐阜県にまで来てしまい、挙げ句の果てに借金地獄に陥ってしまったのですから。本人が言っているんだから間違いない。

 それで、次第に精神状態もおかしくなって、絶望感が支配してきました。絵を描いていた画材には、『おしゃかさまはどこだ・・・おしゃかさまはどこだ・・・』なんて意味不明なことを絶望しながら殴り書きしたり。あと、ポルノサイトばかりを一日中みたり、殺人鬼の残虐行為を紹介しているサイトを見たり。そんな感じで、発狂しているような状態になってしまいました。街に出ても、もう絶望しかなくて、無関係のそこらへんを歩いている他人をぶっ殺したく思ったり。楽しそうにしている奴らを皆殺しにしたくなったり。勿論、実際に誰かに危害を加えたことは一度もなかったが、この時の俺は、それほど追い詰められていた。
 もともと、俺は優しい部分はある。家に訪問してきた世界中の恵まれない人達への寄付を募る業者に、名札を確認したりして疑いつつも一万円を生活費から工面して寄付したことが、専門学校時代にありました。また、それ以前にも、ユニセフに一万円寄付したこともあったり、募金の訴えを街中で見かけた時は、ほぼ必ず、募金していました。
 でも、そんな部分もあるのですが、反対側の、残虐な部分も持ち合わせているのです。それは、今でもそうです。今でも、邪悪な考えに浸ってしまう時も、正直あります。でも、とても優しい気持ち、慈悲深い気分になる時もあります。だから、この時は、残虐な部分ばかりが全面に出てきていました。やはり、人間、精神的に追い詰められた状況で、正気を保つのは至難の業です。まして、俺はもともと残虐な部分を持ち合わせていたし、合わせて殺人鬼の極悪な所行など閲覧していたのですから、なおさら邪悪な想念が増幅していったのでした。

 それで、近所のプロテスタントの教会のチラシが入っていたので、そこの牧師さんに相談に行ったりしましたが、特に何も変わりませんでした。エホバの証人も訪ねてきましたが、その時はお断りしました。そんな感じでした。
 
 その後、どういった経緯か忘れましたが、俺の窮状を電話で察した父親が岐阜まで来て、そのあと、もう帰ってこいということで、アパートを引き払い、神奈川県に帰ることになりました。ちなみに、借金のことは言っていませんでした。まぁ、色々と怒鳴られたように思いますが、もうこの頃は精神状態が正気ではなく、超鬱病みたいな感じだったので、よく記憶がありません。
 神奈川への帰還が決まったので、アパートを掃除し出しました。

 余談ですが、このちょっと前にNHKの契約担当者が家に来た時のことです。まだNHKとは契約していませんでした。俺がアンテナの具合が悪くてNHKの映りが悪いと言ったら、じゃあ確認しますということで、どかどかと家の中まで上がり込んできました。それで、本当にNHKだけ映りが悪いことを確認すると、その人は自分でアンテナだかテレビコードだか忘れたが、とにかく映りが悪いと思われる原因の部分の部品を買ってきて、俺にその部品代を請求し、NHKの契約をさせました。その後、その部品に交換しても、相変わらずNHKはザーザーと画質が悪く、ちゃんと映りませんでした。そのクソNHKの契約担当者が家の中に入ってきた時に言った言葉が、「足の踏み場もない」でした。そのくらい、散らかっていたのです。まぁ、精神状態が崩壊している時に、ちゃんと掃除する気持ちにはなれませんね。

 あと、このアパートは超壁が薄くて、隣の声が丸聞こえでした。それはこっちの物音も同じことです。ある日、隣の部屋の住民の友達の若い男が、酔っぱらいながら俺の部屋に押し掛けてきて、物音がうるさいとケンカ腰で言ってきました。その時、俺は、これ以上入ると不法侵入だぞ!と言ったりして応戦したら、隣の部屋から、「もういいよ、こっちに来い」などという声が聞こえて、その男は帰っていきました。その時、俺は横の流しにあった包丁をちらりと見ていて、本気でそいつを刺そうかなんて、ちらっと思ってしまいました。別の日に、俺がちょっと歌っていたら、隣の部屋から「うるさい!」と怒鳴られました。こっちだってお前の物音はウルせえよ、と思ったけど、何も言いませんでした。その部屋は、横に和室が二部屋じゃなくて、縦に二部屋だったから、どこにいても隣との物音の聞こえる距離は一定でした。しかも、角部屋じゃないので、両方から物音が聞こえるし。やっぱり、防音設備のちゃんとしていない賃貸は、角部屋にすべきですね。はー・・・。

 そんな感じでしたよ。

 んで、片付けの為、品物をどんどん捨てるものは捨てました。速聴のグッズも、速聴のカセットプレーヤーとCDプレーヤー以外のCDは、全部捨ててしまいました。プレーヤーに関しては、今後、英語とかの練習の時に、速度を早めて聴けば、より早く習得可能かなぁ、と思い、取っておいたのです。実際に、その後に英語の学習とかロシア語の学習に使ってみましたが、やはり語学自体に興味があまりなく、すぐに飽きてしまいました。やがて、そのプレーヤーも捨てました。
 脳波測定機みたいなのも捨てました。合計で数十分しか聴きませんでした。それで飽きました。そのくせ、まだローンの返済は1年ちょっとしか済んでおらず、もう不要になったモノのために、これから四年近く毎月35600円を返済し続けるのでした。まったく、岐阜県には何の良い思い出もない。ちなみに、それから数年後、ためしにヤフーオークションでその速聴の道具を検索してみたら、その機械が一万円とか数千円で投げ売りされていました。CDセットでも、数万円程度で中古で買えました。まったく、やはり世の中、助言してくれる師匠のような存在が、世の中を上手く渡っていくためには、必要不可欠ですね。アハハ。

 彫った木の板の彫刻や、リサイクルショップで買った汚い和室用の机などを車に積んで、私は不法投棄の為に夜の山へ出かけました。帰る日にちの関係で、それらは現地で出せないような日程だったのです。真っ暗な山道に車を停めて、まず板を森の中に捨てました。といっても、これは完全な木なので、やがて土に還る。次に、同じ場所ばかりではなんだし、そこは頻繁に車が往来していて、ヘッドライトが眩しく、そのせいでより罪悪感を感じたので、和室用の机は、別の場所に不法投棄することにしました。見知らぬ山道を進んで、迷子になりました。散々浪費していたくせに、一番必要だと思われるカーナビは買っていなかったのです。結局、こんなに大きなものの不法投棄はさすがに気が引けたので、そのまま帰ってきました。それで、翌日、リサイクルショップに売りにいったら、お金は払えないけど、無料なら引き取りますと言われ、手放しました。他にも、CDプレーヤーとか、売れそうなものは売り払いました。けど、まだまだたくさんモノはあって、往復で三回程、岐阜と神奈川を往来して、やっと完了しました。
 大家さんのところに行っても、二年契約なのに、なんで途中で解約するんですかと言われたり、とても気まずかった。けど、いくらかのお金は返してくれて、岐阜県にはさようならしました。

 ハァ・・・・なんで俺は、人生ボロボロになるために、何の縁もゆかりもなかった岐阜県なんぞに行って、破滅したのだろう。まぁ、実際に殺人事件とか起こした訳ではなかったが、本当に極度の鬱状態になり、殺人を考えたり、自殺を考えたりして、もう最悪でした。

 もう、二度と岐阜県には住みません。そんな感じで、俺の岐阜県での生活は終焉を迎えました。ちなみに、往復の費用は、祖父母が出してくれました。その時は、祖父母は俺の借金のことは何も知らずに、ただお小遣いとして、数万円くれたのでした。ま、その後も、借金のことは祖父母には言っていませんが。

 あ〜ぁ、なんなんだろう・・・・。マジで、俺の人生って・・・。書いてて、虚しくなります。楽しいこと、嬉しい思い出が、全然思い浮かびませんよ。これも全部、体毛が濃いせいだ。憎い体毛め!くそっ!!お前のせいで、俺は岐阜県なんぞに来てしまった。本当にもう、人生、下らないことで歯車が狂うことって、けっこうあるんじゃないかしら。恥ずかしいから、他人には言えないだけで、みんなけっこう、下らない理由で自殺しているんじゃないかしら。

 

そんで、神奈川県に帰ってきて、最初の一ヶ月くらいは祖父母の家にいましたが、それから両親の家に来ました。でも、その時には、もう俺が高校生まで使っていた部屋は、妹が使っていたのでした。なぜなら、俺が実家にいた時は、妹は二人で一部屋を使っていたのですが、俺が岐阜に行ってからは、俺の部屋が空いたので、俺の部屋が使われていたからです。だから、俺は一階の居間で寝泊まりしていました。

 こんな状況ですが、本当に精神は最悪で、でもこんな状況なので、どうにかしないといけなくて・・・という八方塞がりな状況でした。しかし、俺の借金のことなど少しも知らない父親は、もう一度、人生やり直せと、専門学校への入学を勧めてきました。それで、以前から俺は美術が好きで、美術系の専門学校のパンフレットを見せて、ここがいいと言ったのですが、そんなところに行っても就職先がないから駄目だと却下されました。それで、介護の仕事なら仕事にあぶれないからと、半ば無理矢理、というか弱っていた俺に対して、かなり強引に、そっち方面へ連れて行かれました。
 俺は、介護なんてヤダと思ったのですが、しかしその時は、お金もないし、生きる気力も仕事する気力もないしで、それに従うしかありませんでした。今の俺なら、どこか給料の良い仕事を探して、働いてなんとか出来るかもしれないが、その時はもう、周囲の流れに従うしか、ギリギリの精神状態だったから、仕方なかったのだ。
 それで、俺は近くの介護系の専門学校を受験して、受かったので、四月から行くことになりました。ちなみに、その前年の五月に仕事を止めて、九月頃まで借金生活の無職で、それから神奈川に帰って、祖父母の家にいたり、実家にいました。しかし、ずっと実家の居間に居続けることは不可能なので、親が、その専門学校の近くのアパートを借りてくれて、生活費、賃料、自動車の維持費とか、全部出してくれました。借金の返済の方は、祖父母から毎月貰う6万円くらいの小遣いと、両親から貰う毎月の生活費8万円くらいがありましたので、それでなんとか凌いでいました。だから、無借金なら、かなりリッチなのに、それも殆ど、借金の返済に消えました。しかも、クレジットカードもサラ金も、グレーゾーン金利が29%で、借入金が、クレカ(ショッピングとキャッシングの合計)170万円、サラ金97万円位の、ほぼ満額借入状態だったので、毎月決められた最低返済額を返済し続けても、完済までは気の遠くなるような年月がかかりそうでした。 しかも、速聴の35600円のローンもあるし。だから、本当は、専門学校でちゃんと勉強できるような精神状態でも経済状態でもなかったのだ。だって、常にこんな重たい借金という不安を抱えながら、フレッシュな18歳やそこらの子達の中で、勉強できないでしょ。

 バイトも、しようとは思いませんでした。というのも、俺は生来呑気な性格で、バイトを出来る精神状態ではなかったということもありましたが、それでもやろうと思えば出来たはずです。しかしやらなかった理由は、やはり祖父母からの収入と、両親からの収入でなんとかやり繰り出来ていたので、それで安心してしまい、それ以上の努力はしようとはしませんでした。勿論、バイトをして、借金の返済をどんどん加速させないと、いつまで経っても、この借金地獄から抜け出すことは不可能なのです。なのに、俺は毎月の最低返済額のみで満足というか、とりあえず安心してしまい、本当に危機感ゼロでした。そのくせ、その借金のせいで、精神状態は常に不安定だったのです。
 俺の祖父母は、祖父は建設省で働いていた人だし、祖母はお針の、着物を縫う仕事を、俺が小さな時までしていたので、その貯金がありました。だから、毎月、そんなに貰えていたのです。あと、両親も、けっこう大きくて安定している勤め先に勤務していたので、けっこう収入がありました。まぁ、だから、金銭面でこんなに甘やかされて、結果、金銭の管理能力がない人物になってしまったのかもしれません。それと、俺の前世から引きずる性質も、関係あったでしょう。俺の前世の人物が、もっとちゃんとした人だったならば、こんな事態は避けられていたでしょうから。
 
 そんな状態で、四月に入学しました。けど、案の定、そんな精神不安定な状態で勉強などまともに出来るはずもなく、未来に希望を抱いているフレッシュな人達の傍らで、俺はなんだか情緒不安定でした。そりゃそうです。自分だけ、莫大な借金を背負って、しかもそれを誰とも共有せずに、ひっそりと秘密として抱え込んでいたのですから。
 で、結局、入学してから六ヶ月後くらいに、とうとう、何らかの精神不安定な状況から、俺の莫大な借金が両親にバレました。そこからは、そんな金利ばかり返済しているようなやり方では、全然何も解決しないということで、両親が、クレカとサラ金の借金は全額一括返済してくれました。しかし、ローンの方は、俺が完済まで、自分で返済していくことになりました。ちなみに、そのクレカとサラ金の返済分は、俺の、両親に対する借金ということで、将来、少しずつ返済していくことになっていたのですが、未だに一円も返済できていません。というのも、今でも俺は、自分一人が生きていくのが精一杯だし、まだあまり、精神的に進歩もしていないからです。ま、ずっと年収200万円台の低空飛行なもので。
 いや、そりゃ、ものすごい剣幕で怒られました。皆さんは、俺の人生を今まで読んできて、本当に人間のクズだなとお思いでしょう。そうです。クズです。だけど、これは事実なのです。嘘をついて、自分の人生を美化して脚色しても、このサイト内では無意味だし、それでは俺の低空飛行な人生を知ってもらって、ああ、自分よりも下の人物がいるのだということで慰めを得てもらい、このサイトの読者に自殺を思い留まってもらうという趣旨から逸脱してしまいますから。

 それで、なんとか借金の重圧からは逃れたものの、相変わらずバイトはしませんでした。それは、やはり、俺は生来の怠け癖があるので、「これで、前よりも楽になったから、バイトはしなくてよくなった」と思ってしまったからでした。両親がクレカとサラ金の借金を全額返済してくれた後でも、そのことは祖父母には知らされませんでしたから、相変わらず、祖父母からは大きなお金が毎月無条件で入ってきていました。それで、俺は安心してしまっていたのです。何もしないでも大金が手に入る状況が常にあったので、人生をナメてしまったのです。だから、これは逆に言えば、俺のせいでもあるし、俺に無条件で大金を与え続けた祖父母と両親の責任でもあると思います。やはり、あまりにも簡単に金を子供や孫に渡すのは、考えものです。本人がそれを有効に使えれば、よいのですが、俺みたいに馬鹿だと、それを無駄遣いするし、それよりももっと悪影響なのは、簡単に金が手に入ることにより、そいつの社会生活能力が発達しないということです。だから、俺はもしも今後、結婚出来たとして子供が出来たら、ちゃんと俺の子供には、金銭教育はする予定。まぁ、それ以前に、結構相手、いないけど。

  それで、借金の重圧が大分軽くなったので、福祉の勉強には熱が入ったのかというと、全然入りませんでした。だって、俺は、元々、福祉をやりたくて入学したわけではなかったし。むしろ、福祉には無興味でした。それでも、精神状態が不安定極まる時に、父親が福祉の専門学校に行けと、恐ろしい顔で言ったら、その時の俺は、逆らえませんでした。だから、表面上は納得というか、渋々前向きになったつもりだったけど、内心は、心の奥底の本心では、やはり福祉なんてやりたくなかったのだろう。実際に、知的障害者や身体障害者や老人の施設に研修に行ったけど、全然、何の感動も湧かなかった。なんで俺、こんなことをしているんだという気持ちでした。俺ははっきり言って、障害者や老人には無興味なのです。それは今でも、ほぼそうです。一人の人間として、障害者の○○さんや、老人の○○さんと話すというのなら出来るし、それは大丈夫だけど、介護とか介助という形で接することに対しては、全く興味がありませんでした。そう、まったく興味のない分野の専門学校に、またしても行ってしまったのです。ある施設での研修時には、身体障害者と話すことがなくなって、休憩室で漫画をチラっと読んだら、それをその施設のスタッフに見られて、そんな気持ちだったらもう来るな!みたいに怒鳴られました。その時はどうもすみませんと、平身低頭で必死に謝ってばかりいたが、元々俺は、身体障害者には無興味なのだ。介助の仕方とか、どうでもよい。NHKの介護や介助の番組とか全然観ていなかったし、今でも全然観ない。どうでもいいや。
 だから、結局は、興味のない分野に進んで、無理矢理学ばせても、我慢の出来る人物ならばやっていけるだろうが、俺の場合は無理だ。身体障害者とか老人とか知的障害者の世話をしていても、何の感動も湧かなかったし、むしろ嫌でした。やりたくもない仕事を嫌々してたら、相手も鋭いから、それを察知するだろうしね。それに、福祉の分野の給与は総じて低いし。まあ、今のこの、漂流している俺と比べたら、安定しているし、給与額も上だろうけど。俺に福祉をやらせるのは、ピカソに単調な事務作業を延々とさせたり、ゴッホに単調なライン作業をやらせるようなものだ。ゴッホが、大量にものすごいスピートで流れてくるペットボトルを延々と眺めて、不良品を見ているとか、そんなの考えられない。あり得ない。それくらい、あり得ない。そりゃ、無理だよ。

 俺は、クリエイティブな分野というか、芸術関連の分野には前々から興味があった。けど、ついにそっちの方面には、進めなかった。ずっと心の奥底でくすぶり続けていただけだったな。多分、俺の前世は、自由奔放な、売れない芸術作品でも制作して陳列していた、芸術家気取りの呑気な人物だったのかもしれないな。だから今世でこんな、呑気すぎて、現代社会で生きていくのを苦労しているのだろう。

 まぁ、そんなんで、福祉の専門学校自体は、二年間通いました。しかし、結局、福祉の分野には進みませんでした。当然、それを聞いた両親は激怒しました。なんで二年間も学費と生活費を工面してやったのに、福祉の方面に進まないんだと。でも、どうしても、俺は福祉をやる気にはなれなかった。もう、短期間の研修だけで、嫌気がさしていた。これからずっと、障害者や老人の介護・介助をしていくなんて、それはとても無理だと確信していた。だって、相手には愛をもって接しないといけないのに、俺は悪意しか持てませんよ。笑顔じゃないといけないのに、俺は嫌な顔しか出来ないよ。積極的に声かけしないといけないのに、俺は何の興味もないし、超消極的だよ。
 だって、俺は邪悪な部分が、けっこうあるし。そんな、マザーテレサみたいに、弱者に愛なんざ、持てないよ。このサイトは、俺が何度も何度も実際に自殺したくなって、俺自身が極度に弱い性質で、そんな人生だから、みんなには自殺して欲しくないと思ったから作ったんだ。自分がとても辛い状況に陥れば、その状況と同じ危機に瀕している人達を救いたいと思うのは、普通の人なら、至極当然だと思う。同情心というか、慈悲心が芽生えるからだ。それは、邪悪な心の部分を持っている俺でも同様。邪悪な性質を持っているといっても、それはあくまで数%であって、基本的には、優しい性格であるから。でも、どうしても、老人とか障害者に対しては、優しい気持ちにはなれません。介助が必要な立場の老人になったことはまだないし、障害者になったこともないからだ。俺はあくまで、自殺志願者は一人でも多く救いたいと思っているが、はっきり言って、老人とか障害者は別に今でも、どうでもいいや。勿論、自殺したいと思っている老人や障害者は別だけど。あくまで、普通の老人とか障害者に対しては、何の感慨も湧かないのだ。

 あと、仕事をしていた時や無職の時には、肌を見られるのを避けられていたので、体毛のことはほぼ忘れていたが、介護の生徒同士の研修とかでは、脚を出した状態で、生徒同士で介助訓練などしなければならない。その時などは、やはり地獄でした。体毛のことをまた気にし出して、この時に流行っていた、体毛が薄くなるといわれていた豆乳ローションを買ったり、パイナップルローションを自作したり、また体毛を抜いたり、他の体毛関連の商品を買ったり。しかし、結局は、それらは無意味でした。やはり、後で知ったのですが、体毛問題を根絶するには、美容外科にて、レーザー脱毛を何回も受けなければならなかったのです。その話は、もっと後で出てきます。とにかく、俺は夏場とか、介護訓練の時とか、腕とか脚をみんなに見せなければならない時には、本当に嫌でした。
 学校生活自体は、年上ということもあり、また何人かは大学や他の専門学校や短大や社会人を経由して入学してきた人達だったので、俺だけが年上ではありませんでした。だから、虐められることもなく、あまり浮き過ぎるということもありませんでした。なんとか上手くやっていました。しかし前述のとおり、やはり俺は介護・介助には無関心なので、この時もやはり、勉強には力が入らず、テスト前に集中して勉強して、あとは数日ですっかり忘れてしまう、という繰り返しでした。だから、結局、俺に、俺が嫌がることをあまりにも無理強いしても、意味ない。

そんで、卒業した俺は、親から、福祉の道に進まないのなら、せめて正社員になれ!と言われたので、ハロワに行って、正社員の募集をとにかく探しました。なにせ、金銭面の支援は卒業と同時に途絶してしまったので、早く自分で稼がねばならなかったのです。それで、もう何でもいいやと、熟考せずに、ある求人に応募しました。
 それは、ある大企業の工場の中にある、ある製造部門の協力会社の求人でした。そこは、特に学歴は必要ではなくて、給料は色々と引かれる前で17万円くらいだったかな。日曜は休みで、祝日は出勤だったかな?詳細は忘れた。あと、土曜日は月に二日休みだった。そんな小さな企業でした。そして、俺はそこにハロワ経由で応募したら、その日のうちに、じゃあ、すぐに来いと言われ、その工場にいる社長に会いに行きました。すると、その日のうちに、採用が決定しました。それで、数日後から出勤しました。
 作業内容は、まぁ、その大企業の正社員とか派遣社員が大勢働いている工場内で、一緒に、ある製品を作る作業をしていました。その製造過程で、その協力会社が、ある行程を担当しているという形でした。それで、色々と教わりました。とても大変でした。しかし、一応、一生懸命に頑張っていました。
 
 だが、そもそも、急いで、よく考えもせずに入ったものですから、こっちは軽い気持ちで、そこで何十年も働く覚悟はなしで応募したのです。しかし、そこの社員の人達は、俺が将来、その会社を背負って立つ人材に育てようと、大きな期待を寄せて、あれよこれよと、色々と熱心に教えてくれました。しかし、俺はただ、その場凌ぎの思いで応募したのです。そこで、何十年も働こうなどと、思いませんでした。
 そこは、俺が入るまで、もう何十人も採用しては辞め、採用しては辞めの繰り返しで、社員の平均年齢も上がってきており、もともと少人数の会社なので、次世代の人材育成は緊急の課題だったのです。そこに、こんな軽い気持ちで応募した俺が入ったのですから、互いの気持ちは一致するはずがなかったのでした。
 そう、俺は、そんな気持ちならば、派遣社員としてとりあえず働いて、それから将来を考えればよかったのに、親が絶対に正社員になれ!と言ったのと、蓄えがなかったから、もうとにかく、どこでもいいから正社員に応募しなきゃという切迫感、強迫観念で、よく考えもせずに、そういう行動に走ってしまったのでした。その頃、俺は父親に、散々学費を出してもらったのに、福祉の道に進まなかった負い目もあったから、正社員になれという要求に逆らうことは出来ませんでした。でも、実際は、多分、派遣社員の仕事の方が給与は良かったと思います。だって、結局、ボーナスも、五万円だったし。だったら、土曜日も月に二日働いているし、派遣社員として時給制で働いていた方が、稼ぎは良かったのかもしれません。
 俺は次第に、「はぁ・・・好きでもない、この仕事で、ずっと定年までここで働かなけりゃならないのか・・・しかも、学歴が必要ないのなら、中卒でここに採用されても、変わりはなかったなぁ」などと思うようになってしまいました。それで、やはり、先輩方の話を聞いていると、社員歴20年は経過している人の給与が、驚く程安いのを聞いたりして、俺の将来も見えてしまって、もう、急激に恐怖感に包まれてしまいました。やはり、大企業の工場内で働いているとはいえ、それで潤沢な給与を貰えるのは、あくまで大企業の正社員であって、下請けの会社員や、そこで働く派遣社員などは、とても低い給与なのでした。そういう現実も、はっきりと教えてくれる人がいなかったので、呑気な俺は、自分で体験して納得するしかありませんでした。
 しかし、新入社員は俺一人で、周囲は俺が、ここで定年まで働いてくれるものと期待して、ニコニコと色々熱心に教えるのです。それが、かえって俺にはとても苦痛でした。だって、辞めたらその期待を裏切ることになるし、勤め続けたいとは思わないし・・・そんな思いで、とりあえず毎日働いていました。しかし、内心はとても恐怖でした。
 それで、入社してから四ヶ月が経過したある日、とある巨大な重量物をワイヤーでつり上げる作業をしていました。そこで、俺は先輩が見えない反対側にいて、ワイヤーの位置を教えていたのですが、俺がはっきりと大きな声で発音しなかったのか、いきなりワイヤーがギュっと引き上げられました。その時、俺の右手の軍手の先が、そのワイヤーに引き込まれて、ズタズタになりました。運良く、俺の右手は無傷でしたが、あと1cm、いや、あと0.5cmズレていたら、俺の右手の指はもっていかれていたでしょう。その時、俺は顔面蒼白でガクガクと震えてしまいました。それに気づいた先輩が、「おい、大丈夫か!」と駆け寄ってきてくれましたが、その時、もう、辞めようと決意しました。そして、その日の仕事が終わって帰宅してから、社長に電話で辞めたいと伝えました。社長もその日の出来事は聞いていたようで、そうか、まぁ、残念だけど、合わない仕事をして大怪我されても困るからな・・・まぁ・・分かった、と了承してくれました。そして、辞めるまでの間に大怪我してもらっては大変だからと、もう翌日から出社しないでよいことになりました。こうして、俺の短い正社員の期間は終わりました。辞めたことは両親には言っていませんでした。

 ちなみに、速聴のローンは、たしか、ここに勤めている途中で完済したと思います。はぁ〜、215万円あれば、色んなオプションつけた新車のカローラ買えたのになあ。はー、アホらしい。あれは、買った本に挟まっていた、無料で追加の本が貰えるハガキを出したことから契約させられたわけだが、やはり世の中、公共の事業でもない民間企業が無料をうたうなんて、やはり何かしらの裏があるということを、この体験で、身にしみて思い知りました。こういうことも、やはりそれまで、誰一人俺に教えてくれる人はいませんでした。

 それで、すぐに新たな仕事を探そうと、とりあえずネットやハロワで調べました。でも、せっかく自由になったのだからと、少し遊びたい気分になりましたので、風俗に行きました。というのも、俺は24歳までは童貞で、キスもしたことがなく、勿論、誰とも付き合ったことはなかったのです。しかし、専門学校を卒業する直前に、どうしてもセックスを体験したくなり、川崎のソープ街に行ったのでした。それまでは浪費の対象は主に物欲でした。しかし、物欲に関しては、不要品を買いまくって、ある程度の見切りというか、悟りみたいなものは成し遂げられていたので、この頃は、そんなにモノに浪費しまくるということはありませんでした。しかし、今度は性欲に金を使うことを知ってしまったので、性欲にジャブジャブ浪費するようになってしまいました。
 
 それまでは、性欲に関しては、宗教面の制約というか、キリスト教の教えみたいな部分で、本当はセックスを体験してみたいけど、体験していませんでした。
 その理由の発端は、こうです。俺は高校生の時に、あまりにも孤独で、暇な時は、図書室でキリスト教徒の聖人のアルベルト・シュバイツァーの本とか、聖書とか読んでいました。その後、岐阜に住んでいた時に、キリスト教系のエホバの証人が何回か訪ねてきたのです。その時は、まだ精神的に弱っていなかったので、お断りしました。
 それから時が経ち、福祉の専門学校の学生時に、アパートで暮らしていた時に、エホバの証人が訪ねてきたのです。その時は、とても精神的に衰弱していたので、何か、ワラにもすがりたい思いだったので、ついつい話を聞いてしまいました。それ以来、扉を開けて、勉強会を俺の自宅の玄関先で、毎週一度、一時間くらい開くようになりました。
 そのエホバの証人は、中年男性でした。金銭を要求することは一切なく、無償で、わざわざ遠いところから俺のアパートまでやってきていました。 その男性は夫婦でエホバの証人で、奥さんも一緒に来ることもありました。子供はいないようでした。仕事以外の時間を、ほとんど伝動の訪問活動に費やしていたようです。
 俺は、最初の頃は、初めてのキリスト教の勉強会だったので、物珍しく、けっこう聞き入っていましたが、やがて色んな疑問点が出始めました。う〜ん、この科学の時代に、何を的外れなことを言っているのだろうと。でも、相手は熱心に、俺のために無償で教えに来てくれているのだからと、変な質問は自重していました。そんな感じで、疑問を抱きつつも、数ヶ月間、その訪問は続きました。
 それと同時に、えーと、エホバの証人会館だっけ。そういう名前の、エホバの証人の集会の為の地域の会館によかったらいらっしゃいということで、俺はちょくちょく顔を出すことになりました。その会館は、建設業者が建てたのではなく、全部信者が建てたそうです。すごいな。
 そこでは、まず賛美歌から始まり、長老と呼ばれるリーダーが、その日の式を進行していました。人数は毎回30人から40人くらいいました。幼い子供から老人まで、幅広い年齢層でした。集金箱みたいなのがあり、強制ではないけれど、そういう気持ちになったら、お金を入れてくださいということでした。毎回毎回タダで出席するのは悪いので、行く度に数百円入れていました。なにせ、いつも教材の雑誌とか、聖書などを無料で貰っていたので。俺はそういう部分で、変に義理堅かった。
 でも、疑問に思ったのは、勉強のコーナーなんだけど、その日に使う雑誌にあらかじめ答えが書いてあった。だから、自分で考えて回答を発表するというのではなく、もう既に、解答は用意されていたのだ。回答じゃなくて解答だった。だから、もうアホみたいに思えてしまった。これは、俺の自宅での勉強の時もそうだった。相手が、「それでは齋藤さん、これについてどう思いますか?」と尋ねて、俺がチラっと解答のページを見て、その通りに答えると。う〜ん、大いに疑問でした。でも、みんな、性格は本当に良い人ばかりのような印象でした。暴力的な人は一切いなかった。
 やがて、神奈川県内にある、
エホバの証人の関東地方の大拠点みたいな施設で、今度、大集会があるので、来てみないかと誘われたので、一応、行ってみました。
 そこは、ちゃんとした服装でないと行けないようだったので、俺は一応、スーツで行った。街の駅からは、もうゾロゾロと黒い色の正装をした人達が大勢、その施設に向かって歩いていました。それで、トヨタの大工場みたいにクソ広い敷地に、大印刷工場と、大ホールがあった。その印刷工場では、関東地方の信者が、無報酬で働いているらしい。なんだか一年だか二年だか勤め上げれば、賞賛されるらしい。そこで印刷された聖書や雑誌は、全国だっけか?配送されるらしい。まぁ、印刷工場の方は、中は見なかったけど。
 それで、俺は信者の人に導かれて、大ホールに入りました。もう、何千人もの信者で溢れていました。俺は、俺の担当の信者の人とは離れて、一人で前方の席に座って、式の進行を見ていました。まぁ、内容は、うろ覚えだが、賛美歌を歌って、進行役の人が個別の賞賛すべき信者の人を讃えて、今回、この場で洗礼を受ける信者達を紹介する、という内容だったと思う。それで、やがて式が終わり、今度はみんなで移動して、近くのミニプールみたいなところに移動した。そこには、今回洗礼を受ける老若男女が8人くらいいた。そして、順番にプールに入り、係の人に頭まで沈められて、すぐに引き上げられた。これで洗礼完了らしい。すると、周囲のみんなが拍手して賞賛していた。俺はこれを見て、やっぱりここは合わないと思い、けっこうヤバいんじゃねえかな・・・なんて思いました。まぁ、それ以前から積み重なってきた不安感が、この時、確信に変わったというか。でも、この時の俺は、優柔不断だったから、まだ俺の担当の人に、もう会いたくないと、伝えることは出来なかった。それは、今まで散々、無償で付き合ってもらったのに、そんな冷酷に突き放すことをして、果たして良いのか?と思ったからでした。そんな感じで、家に帰ってからも、オロオロしていました。だって、あとでよく調べたら、エホバは輸血禁止とか、色々理解不能な教えがあったことを知ったから。
 
 そんな時、ふと、近くにキリスト教の教会があるのを思い出して、勇気を出して、そこに行ってみました。それは、エホバは嫌だけど、他のキリスト教ならいいんじゃないかと思ったからでした。そこはカトリックの教会でした。尋ねると、誰もいませんでしたので、集会所を覗いていたら、暫くして、白人の老人の神父さんが来ました。それから洋食屋に連れて行ってもらって、話を聞いてもらいました。それで勇気が出て、思い切ってエホバの男性に、直接はとても話せないので、メールで「すみません、もう会えません」と連絡しました。その後、「もう一度会いませんか?」というメールが来ましたが、無視しました。そうして、今度は、カトリックを学んでみようと思い、ちょくちょく日曜のミサに出席し出しました。
 月日が経ち、初心者向けの一年間の講座が開かれるというので、それに応募しました。その講座には、最初は8人くらいいました。俺が最年少で、老人の人や中年の人、あと若い人もいました。やがて始まって、すぐに一人か二人が抜けましたが、それ以降は、都合で出席不可能な人もいましたが、なんとか進んでいました。毎週、平日に一回、夜に開かれていました。
 この講座は、エホバの勉強会みたいに、あらかじめ一つしかない解答を答える形式ではなく、ちゃんと自分で考えて進んでいく形式のものでした。最初は優しいことから、やがて聖書を使って 、イエスの教えを学んでいきました。
 ・・・・う〜ん、でも、やはり、何というか・・・言っていることはとてもいいんだけど、やはり、この21世紀の科学万能の時代に、二千年前の価値観というか・・・やはりちょっと、しっくりと理解できない部分があった。けど、俺はそんなことを質問したら、周囲の皆さんの信仰心に悪影響を与えてしまうだろうし、 いや、これは信じなければならないんだと・・・・。なんか、『信仰心で信じる』ということと、『理性で納得する』ということが心中で水と油みたいに反発しあっていて、いまいち、100%納得は出来なかった。しかし、そんな心中ながら、勉強会はどんどん進んでいった。それで、福祉の専門学校を卒業する間近あたりだったかな。とうとう、洗礼を受けることになりました。みんな、ガブリエルとか、マリアとか、思い思いの気に入った名前を選びました。そして俺は、ラザロというマイナーだけど、イエスに愛された男の名前を選択しました。
 ・・・・でも、心中では、こんな名前ごときで、一体何がどう変わるというのだ?と思っていました。これは仏教の戒名もそうだ。死人に対して、あんな長々とした戒名つけたところで、一体、何がどう変わるんだ?戒名ありの人と無しの人で、死後、その魂にどういう違いがあるのか、不明であるし、値段によって戒名が変わるというのも、超不思議である。正直、アホらしいと思います。
 一応、俺は洗礼を受けて、齋藤・ラザロ・健一になったわけだけど・・・別に何も変化はなかったぞ。そんな気持ちだから、その後、次第に足が遠のいて、月に二回・・月に一回・・・二ヶ月に一回と、段々と教会には通わなくなっていった。
 そんな時、本屋で『シルバーバーチの霊訓』なるものを見つけて、そこには俺が納得できる形での霊示が書いてあったので、俺はこれを信じることにした。勿論、これはあくまで俺の意見であるから、みんなは各個人の信じるものを信じれば良い。でも、俺はこれが理性で納得できたので、このシルバーバーチの霊訓を含むスピリチュアリズムに則った形で、このサイトで、自殺防止を訴えているというわけだ。まぁ、俺の宗教の変遷というか、信仰心の変化は、こんな感じです。

 あと、神社もよく行きます。エホバの頃とか教会に通っていた頃は、一神教なので、神社には近づかなかったが、キリスト教から離れた後は、けっこう頻繁に、地元の神社とか、箱根神社とかに参拝しに行っています。だから、今の俺は、スピリチュアリズムも信じているし、神社も参拝している。別に、どちらもお互いに反発するような関係ではないし。スピリチュアリズムを信じていれば、神社にも、それなりのご神霊がいるだろうと、俺は思えるからだ。そして、箱根神社は、神奈川では、一番強いご神霊がいると、ある本に書かれていたので、それを信じて、今は頻繁に、箱根神社を参拝しています。松下幸之助も、西武グループの創業者の堤なんとかさんも、箱根神社を信仰していたらしいから。俺も、その強力な霊力に、あやかりたいのだ。

 まぁ、こんなふうだから、セックスに関しては、金さえ払えば体験可能なことは知っていたが、それをしなかった。だって、教会のみんなが純真で、俺もミサに出席しているのに、一方でソープランドになど、その頃の俺は行けませんでした。また、借金問題もあり、金銭的にも行く余裕がありませんでした。だけど、キリスト教の縛りから解放されたので、思い切って行ってみました。それで、ハマってしまったというわけです。物欲の次は、性欲の渦に巻き込まれてしまいました。 

 まぁ、スピリチュアリズムの教えもあったけど、その時は別に誰かに教わるっていう形式じゃなくて、俺が自主的に本を買って読むという形だったので、気持ち的には緩かった。まぁ、中庸が肝心ってことでいいんじゃないかな。

 なお、専門学校に行っている時も、若い女性は大勢いましたが、体毛を気にするあまり、恋人を作ろうとはしませんでした。 やはりも俺の濃い体毛は、まだ俺の人生を雁字搦めに縛り続けた。まるで呪いみたいだな。

仕事を辞めてから、次の仕事に就くまでは、約一ヶ月の間があった。その間、仕事を探していたのだ。前の仕事を辞める前に、次の仕事を見つけるということはしていなかったから。
 それで、もう、今度は正社員は止めようと思い、派遣社員の仕事を探したら、時給千円の、ある工場の作業員の募集を見つけたので、それに応募しました。その時はまだ、人見知りというか、対人の接客業とかをする心理的余裕は なかったんだ。体毛の件で、人の前で肌を晒すような仕事は嫌だったし、何より、もともと積極的に誰かと付き合うようなタイプではなかった。だから、今回も一人で黙々と出来る工場作業員を選んだのだった。

 それで、俺は初めて派遣会社の人と会って、派遣社員としての契約を交わしました。俺は従業員数が百人くらいの、とある製品を作る工場に行きました。 
 それで、やはり派遣社員というのは、正社員とは違って、『部外者』って感じがしたな。だって、結局、3ヶ月ごとの細切れ契約だし、いつ辞めるか分からない立場だし。そういった意味で、自分に対するその会社の社員の態度も、冷たいというか、見下されていたところも正直あった。
 事務の手続きで、その工場の事務室に行ったら、そこの中年社員が、とても見下した態度と目で傲慢に対応していたしな。そんな感じで、俺は、休憩時間も、休憩室で一人雑誌を読んでいた。まぁ、あくまで部外者だから、居場所というか、仲間意識はゼロだったな。あくまで派遣は派遣。部外者って感じだな。
 それで、給与面も、時給千円だけど、月給制じゃないから、出勤日が少ない月は、とても手取りが少なかった。たしか、月の半ばから数えての一ヶ月で締めだと思ったが、それで、一月だかの給与が、手取りで10万円しかなかった。まぁ、そこは土日祝日休みだったし、年末年始も長期間休みだったので、時給制だと、そうなるわな。なんか、業績がヤバいらしかった。ま、派遣の身の俺にとっては、そんなのは無関係だが。業績が関係あるのは、クビを切られたらヤバい立場の派遣社員と、正社員だからな。俺は別にここを切られたって、また他で働けばいいし。何もしがみつくような条件じゃないし。ただの時給千円ぽっちだし。そんで、ここで働いたって、何も技能は身に付かないし。
  それで、俺は真面目に頑張っていました。けど、相変わらず将来の展望というか、未来は思い描けなかった。どうしていいのか分からなかった。だから、毎月給与が入ると、家賃を払い、食費とか、その他の費用を払い、恋人もおらず、仕事のストレスと性欲から風俗に行って散財したりして、貯金はなしでした。派遣だから、ボーナスなんて何もないからね。だから、休憩室で正社員の皆さんがボーナスのことについてウキウキ話しているのを聞いても、俺には無関係であった。
 それで、ある日、俺の担当していた行程の上司から、「君、いつまでいるつもりなの?もう辞めたほうがいいんじゃないの?」と言われたので、俺はそのことは伏せた形で、派遣会社の担当者に辞めると伝えた。派遣会社の人は「何か職場であったんですか?」と尋ねてきたが、そのことは言わなかった。だって、それを言おうが言いまいが、結局、そのままそこに留まっていても何にもならないしね。一応、その当時は、派遣社員として同一の職場で3年間働けば、そこで正社員として雇用する義務が発生するとかいう法律があったらしいが、そんなのはたやすく破られるだろう。何より、そこの正社員になりたいとも思わなかったから。そこには、もうすぐ派遣で3年目の人がいたが、その人は無事、正社員になれたのだろうか?2年9ヶ月目でクビを切れば、そんなの無視できるしな。どうなったのかしら? 
 それで、俺が辞めるとなったので、急に俺の上司はニコニコし出した。それで、次の引き継ぎの派遣社員が来た。32歳の人だった。その人は俺が辞める半月程前に来たが、俺がいる半月の間に、数回休んだ。上司は、「何でこんなに休むんだろう?」と言っていたが、そんなの知るか。一応、俺はその半月間で、引き継ぎの為に、その人には出来るだけ教えました。それで終了。
 ここで派遣をして、一応、クレジットカードは作りました。というのも、以前のセゾンカードは、俺が低所得なのにどんどん借入可能枠を勝手に増やしてキャッシングとショッピングの合計が180万円もあった。そんなにあったら、またその借入枠を使って、借金地獄に陥ってしまう可能性があったので、セゾンカードは解約していたのだ。でも、やはりクレジットカードのない生活は不便に感じていた。そんな時、この派遣会社でクレジットカードを作れるというので、作ったんだ。数年後、この派遣会社のクレカは廃止になったけど、俺は引き続き、その派遣会社と契約していたライフカードのクレジットカードを所有できることになった。そして、今のライフカードの借入可能枠は、ショッピングとキャッシングの合計が40万円までだ。そして、今は職業の登録をしていないので、キャッシングは不可能になっている。年収200万円台の人には、このくらいが無難だよ。なんでセゾンカードは、年利29%もあって、低所得の俺に借入枠180万円も与えたんだ、まったく。馬鹿にそんなに与えたら、そいつの人生破滅するだろうが!そんなわけで、ライフカードで十分です。
 そして、この工場での派遣社員の期間は、約9ヶ月でした。

 その後、お金の心配がすぐに始まりました。なぜなら、この時も、次の仕事が決まってから辞めたのではなくて、辞めてから探そうと思っていたからだ。なんで俺はこうも、計画性がないのだろうか。だから、アイフルもご利用は計画的に出来なかったんだな。サラ金に頼るような人は、サラ金に頼る時点で計画的ではないからな。
 でも、一カ所の仕事が終わると、もう燃え尽きた感じがしてしまって、それが一区切りつくまでは、次のことを考えられない性格なのかもしれない。
 まぁ、一応、最後の月の労働分の給料が入っていたので、ちょっとの余裕はあったけど、そんなの雀の涙みたいなものだから、すぐに無くなってしまう。しかし、またどこかのちゃんとした仕事を探して就職しないといけないのは分かっていたような気がするけれど、俺はすぐに何かしらの手っ取り早い稼ぎが欲しかったので、近くの日雇い派遣会社に登録しました。
 ああ、何で俺はこんなに、どうしようもないんだろう。福祉の専門学校の卒業間近の時も、みんなは就職先を必死に探していたのに、俺は絵を描いて、新風舎という素人からの作品を大々的に募集しまくっていた会社のコンクールに応募していたりした。そして連絡が来て、新風舎の本社に行き、俺の不出来な三流の絵本を散々褒められて、また、危うく自費出版で300万円ほど取られるところだった。その時はほうほうの体で逃げてきたが・・・。でも、俺は馬鹿だから、本気でその自費出版の本が何十万部も売れて元が取れる、いや、初版は元が取れずとも、それがきっかけで次々と仕事の依頼が入るはずだ!などと考えていたのでした。しかし、以前の速聴で懲りていたので、ギリギリで、断って帰ってきました。けっこう担当者の熱意というか気迫に押されて、契約しそうになっちゃったけどな。ヤバかった。ちなみに、後に新風舎は倒産しました。かなりの被害者がいたらしいぞ。
 俺は本当に、美術というか、そういう方面にばかり興味があって、真面目に世の中を生きられない性格なのかもしれない。 そのくせ、馬鹿すぎて手に負えない。よくもまぁ、俺は今まで生きてこられたな。
 その時は、というか、今までずっと、祖父母からは毎月、お小遣いを貰っていました。サラ金とクレカで火の車だった時には、毎月6万円か8万円だったかな?そのくらい貰い続けていました。しかし不思議なことに、サラ金とクレカの問題が片付いた後は、毎月4万円くらいに減りました。それは、たしか、祖父が入院したからだったと思います。俺は不思議と、お金のピンチの時に、必要な分だけお金が入ってくるのだ。きっと、俺の守護霊が配慮してくれるのだろう。ああ、それにしても、俺には生活能力が無さ過ぎる。ちゃんとしたお嫁さんを貰いたいものだ。

 横道に大分逸れたが、本道に戻ろう。それで、『日雇い』というのを初めて体験した。まず、前日の夜頃に、派遣会社からメールが来て、『明日、どこどこでこういう仕事があります。出勤可能な人は応募してください』というメールが来る。それで、応募すれば、案内が来るという訳だ。
 俺の初日の仕事は、家から大分離れた、片道2時間くらいの田舎の中に建つ、ペットポトル関連の倉庫だった。ちなみに、ここの派遣のシステムを解説すると、交通費はなし、時給千円、残業代は、たしか、25%割り増しだったかな。だから、今回のように、遠い場所の職場だと、もう、交通費だけで二千円とかかかるので、とても損です。JRだけじゃなくて、私鉄を乗り継いで、さらに職場まではバスだから、相当損ですね。あー、アホらしい。やっぱり、ちゃんとした仕事にずっと就くのがいかに大切で得かということですね。
 その仕事は、2リットルのペットボトルに延々とおまけのおもちゃをつけるというものだった。その仕事にその日参加した人数は、男女合計50人程だったと思う。クーラーのない真夏の倉庫の中で、汗ダクダクになりながら、交通費を差し引くと、たかだか6000円程度の為に、八時間みっちり働くのだ。女達は力が無いからということで、おまけをつける仕事で、俺は一番最後の、ペットボトルが六本詰まった12kgの段ボールを延々とパレットに積み上げるという作業だった。あー、キツかった。それで、たかだか五千数百円。エリート官僚の人達も、そりゃ利権を貪りたくなるよなぁ。こんな仕事、したくないものなぁ。まったく、本当に人間、能力差がありすぎる。
 翌日も、身体が痛む中、とにかくお金を稼がないといけないので、また応募しました。次は、川崎市にある職場でした。冷凍庫と、食料品の常温倉庫での仕事。紙を渡されて、そこに書いてある品物を凍えながら冷凍庫の中に入ってピッキングしたり、常温倉庫からスーパーに置いてあるような食料品をピッキングしたり。最後はツルハシで凍った床面の分厚い氷をガンガンと砕いていました。そこでは何ヶ月も前からそこに来ていた日雇いの奴らがいて、その内の一人が不良みたいな危ない奴だった。もう関わりたくないね。初めての職場で、何も分からないのに、初っぱなから誰も教えてくれる人はいなかった。まぁ、派遣社員は3ヶ月の細切れ契約だけど、日雇いはたったの一日契約だからな。そんなものだな。
 翌日も、超身体が痛むなか、また応募しました。それは、横浜市の巨大流通倉庫群での仕事だった。某大手家電量販店向けの品物を箱に詰める仕事だった。ラインに乗って細かい商品がどんどん流れてきて、それぞれの支店先ごとに自動で振り分けられるので、俺らはそこに溜まった商品をきれいに整頓して箱に詰めて行くという仕事だった。右側と左側にラインがあり、右側が終了したらすぐに走って左側に移動し、また右側に移動する。とても慌ただしくて、「早く走れ!」と怒鳴られながら、みんなせっせと作業していました。それが終了したら、次にその箱が自動で下に移動するので、今度はその箱を台車に乗せる作業。帰る頃にはクタクタの限界。初めての仕事なので、精神的にもクタクタ。だけど、正社員みたいに、習得するまでの猶予期間がある訳じゃない。もう、即、その場でちゃんと仕事をしなけりゃならないからな。大変だよ、日雇いは。それに、毎日毎日、仕事場が変わるしな。依頼主が欲しい時に欲しい人数分だけ依頼するシステムなので、依頼主からしたら、超都合の良いシステムだな。帰る時は真っ暗。またバスやら電車やらで片道の通勤二時間。そんで手取りは僅か。あー、アホらしい。
 こんな感じで、三日間頑張りましたが、もう限界でした。たったの三日でギブアップ。それで、後日、その労賃を受け取りに行くと、二万数千円だったかな。でも、交通費は自腹なので、実際はもっと少ないよな。大変だ。ちなみに、その日雇い会社は、この前見たら、もう看板が無かった。
 あとは、派遣社員だった頃の派遣会社から電話がかかってきて、単発の日雇いの仕事が一日あると誘われたので、行きました。そこは野菜加工工場で、色々な野菜を加工していた。俺が配置されたのは、大根カットグループで、おばさん達が延々と大根を包丁でカットし続けて、俺がそれを延々と段ボールに入れ続けるというものだ。それで、時給が800円だったかな。大根カット作業が終了後は、レタス洗いグループに配置された。これも交通費はなし。あー、アホらしい。

 まぁ、こんな重労働が続けられる程、俺は体力も精神力も強靭ではなく、とうとうお金が尽きかけてきた。それで、その頃はまだ派遣会社のクレジットカードで、たしかキャッシングサービスが使えたので、またキャッシングに頼り始めてしまったような気がする。というのも、よく覚えていない。とにかく、金銭的に行き詰まって、とうとう実家の両親に相談し、アパートを引き払って、実家に帰ることにした。その時には、もう妹二人共、仕事をし出していて、実家を出ていたので、俺が使用する部屋は空いていたのだった。

 ちなみに俺が借りていたアパートは、やはり防音設備がなっていなくて、隣の物音と声がまる聞こえだった。やはり、「うるせえ」みたいなことを、壁越しに言われたことがあります。窓の一部を破損してしまっていましたが、なんとか敷金の範疇で収まりました。クソ狭いワンルームなのに、家賃が53000円で、駐車場代は6000円だった。岐阜で借りたアパートは和室二部屋で駐車場無料で35000円だったのに・・・やはり神奈川は物価がクソ高い。

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