自殺ダメ
さて、この死後存続の事実はキリスト教界及びキリスト教信者にとって、ある意味で厄介な問題を呈することになった。根本教義である死後の甦りと贖罪の信仰が意味を失うことになるからである。
私事にわたる話で恐縮であるが、私が学んだ大学はミッション系だったので、教授は日本人も英米人も全てクリスチャンだった。講義が宣教師のような口調になることがよくあったが、英米人の講義は全て英語だったので、私の英語力はその四年間で培われたといってよい。入学前にS・モーゼスの『霊訓』を浅野和三郎の抄訳で読んでいたことが大きな意味を持つことにもなった。
そんな時、最初の定期試験の私の答案に何か感じるところがあったのか、「英書購読」担当の日本人教授から呼び出しがあり、次の日曜日に自宅に来るようにと住所のメモを手渡された。
約束の時刻に訪れてまず通されたのは書斎で、さすがに大学教授ともなると蔵書も違うなと、その多さに圧倒されている私の眼にスピリチュアリズムの原書が飛び込んできた。
「先生はスピリチュアリズムに関心がおありですか?」と私が尋ねると、「ああ、ボクは信じるよ。だって、キミ、あれほどの世界的な学者が本気で研究して認めたんだから・・・」と仰った。これは私にとっては嬉しいことだった。プリンストン大学で神学を学んだほどの大学教授の私邸に招かれただけでも恐れ多いことなのに、スピリチュアリズムという、授業では絶対に話題にできないテーマについて存分に語り合えると直感したからである。そしてそれは間違っていなかった。
当日はスピリチュアリズムの原書を何冊かお借りして帰り、その後も何度かお邪魔して語り合い、時には銀座まで出て、コーヒーショップでお話を聞かせて頂いたりした。
しかし、話題がキリスト教の信仰の領域に入り込むようになってから気まずい雰囲気が漂うになった。そして贖罪説に行き着いた時に決定的となった。その不合理を私が問いただすと、教授は信仰の聖域に土足で踏み込まれたような感じがしたのであろう-「あ、それは別だよ」ときっぱり仰った。これはキリスト教の根幹をなす教義の一つで、イエスは人類の救済の為に父なる神がつかわした唯一の子-ゴルゴタの丘での磔刑(たっけい)は人類の罪悪の全てをイエスが贖(あがな)ったことの象徴であり、それを信じた者のみが永遠の生命を授かり天国に召される-という信仰である。
善と悪の峻別、そしてその判断ないしは選択を誤った時に生じる罪の意識ないしは罪悪感、いわゆる「良心の呵責」は人類特有のものである。その呵責の強さは当人の霊性の発達度合、道義心の強さによって異なるが、それが謂(い)われの無い教義への信仰の告白によって贖われる、俗な言い方をすれば、帳消しになる、というのはいかがなものであろうか。シルバーバーチは理性が承服しない教義は拒否しなさいと繰り返し述べている。
ダーウィンとほぼ同時代の博物学者でスピリチュアリズムに基づく進化論を唱えたウォーレスA・R・Wallaceも心霊研究に熱心で、その成果を専門誌に連載したことで学者仲間から敬遠されたが、「事実というのは頑固なものである」の名文句を吐いて、一切の弁明をしなかった。現在では全く忘れ去られているが、直感的に閃いたという「霊的流入」説は日本の神道哲学とも相通じるものがあり、いずれ注目される日が来るものと思われるので、ここで簡単に説明しておきたい。
全ての生命に「霊」が宿っているという思想はアニミズムと呼ばれて世界中に太古から存在するが、同じく「霊」でも動植物界から人間界、古神道の用語で言えば国津神の次元から天津神の次元へと飛躍(進化)する際に流入するのが「本体」で、これをウォーレスはSpiritual influxと呼んだ。この本体の中枢的本質は善悪の判断力、いわゆる道義心である。これは次元の高い広範囲にわたるテーマなので、ここではこれ以上は述べない。
さて、クルックスによる空前絶後の研究成果が一大センセーションを巻き起こしていた頃、同じく世界的に知られた物理学者のオリバー・ロッジOliver Lodgeは「私は死後の個性存続の事実と宗教的信仰は別だと思い、信仰はキリスト教で十分だと発言してきたが、やはり贖罪説は人工の教義に過ぎないことを得心した」と告白している。(ついでに付言すれば、ロッジの哲学的随想集Phantom Wallsは私の愛読書の一冊であるが、その中で「かつては死の彼方を恐れ贖罪説を信じていたが、今では死期の到来を楽しく待ち望む心境になった」と、仏教の高僧のような言葉を綴っている。ちなみに英文のタイトルを直訳すれば「幻の壁」となる。五感のことで、般若心境の色即是空といったところ)
シルバーバーチは青年牧師との論争でもキリスト教の矛盾と不合理を指摘し、イエスの言行録であるバイブルの本物は短いもので、バチカン宮殿の奥深く仕舞い込まれたまま、誰一人それを目にした者はいないと述べている。では、「聖なる書」として親しまれているバイブルの謂われは何なのか。シルバーバーチは325年に開かれた第一回キリスト教総会、歴史上有名な「二ケーア公会議」で大規模な改ざんがなされたと述べている。
そのことを知ってから私はその証拠となるものを折りに触れて求めてきた。断片的にはそうした趣旨の記述を目にしたのでシルバーバーチが述べていることが真実であることに確信を抱くようになったが、まだズバリそのことのみを扱った資料を入手出来ずにいた。そんな時に入手したのがニューヨークの出版社から出たダドレーの『第一回ニケーア公会議の真相』だった。
これは私が訳した原書の中でこんなに訳しにくいのは他に無いといってよいほどの難物だった。英文が読みにくいというのではない。細切れの資料の寄せ集めなので訳文の流れが途切れがちで、訳者として満足のいく、ないしは納得のいくものに仕上げられない、とでも表現すればよかろうか。一応主要部分を訳出したのでお読み頂くが、その点をご了解頂きたい。
今、「細切れの資料の寄せ集め」と述べたが、そうなった事情を説明すれば、当時の大国ローマの横暴ぶりを理解して頂けるであろう。時の帝王は悪名高い暴君の一人とされているコンスタンティヌスだった。ダドレーは冒頭でコンスタンティヌスの生涯を叙述しているが、政略の為には妻も子も殺害するほどの残虐で我侭な暴君だった、という一文で十分であろう。「大帝」の称号で呼ばれることがあるのはキリスト教を容認したからで、それすら、英国の知性を代表するジョン・スチュアート・ミルは名著『自由論』の中で、キリスト教の容認がコンスタンティヌスの治世下であったことは最大の不幸で、無念の極みであると慨嘆している。
実は贖罪説もコンスタンティヌスに媚を売る側近の神学者がこしらえたもので、残虐と我侭の限りを尽くして死後の自分の運命を案じる帝王の為に都合の良い教義をこしらえたに過ぎないという。
そうした独善とご都合主義を背景として開かれたのがニケーア会議で、ローマ全土の司祭や神学者に召集令を出した時の目的と結果は最初から決まっていた。言うまでもなくキリスト教の国教化とバイブルの改ざんで、当然予想されるアリウス派を中心とする良識派の反対に備えて、ローマ兵まで待機させていたという。アリウスはイエスの神性を否定し、当然のことながら「三位一体説」や「贖罪説」などに反論していたので、コンスタンティヌス派にとっては目の上のたんこぶだったのである。
会議が行なわれた期間と出席した司祭の数については諸説があって一定しない。なぜか?その理由を説明するとコンスタンティヌスの常軌を逸した陰謀が赤裸々となる。期間は、最も長い説では足掛け四ヶ月となっている。その期間中に現在の聖書の原型が出来上がったわけであるが、キリスト教の国教化という大問題や新しい聖書(改ざんされたもの)の容認などの採決があまりに唐突で強引だったことにアリウス派が怒って、議場が大混乱に陥った。が、これもコンスタンティヌス派にとっては想定内のことで、用意していたローマ兵を呼び入れてアリウス派の司教全員を会場から連れ出して採決した。公式の記録には「全員一致」となっているが、当然の結果だった。しかも逮捕された司教は更にローマの領土からも追放処分にされた。更に翌年には中心人物のアリウスが暗殺されている。
しかし、これほど悪辣な陰謀が永遠に封じ込められる筈はない。出席した司祭達の間で密かに書簡が取り交わされ、その中に期間や出席者数、討議や採決の様子などか記載されていた。その事実を知ったローマ政府は早速強引な手段で捜査を開始し、見つかったものは焼却処分にしたが、全てを没収できる筈はなく、長い歴史を経て少しずつ集められたものがまとめられるようになった。その一冊が法律家のダドレーがまとめたもので、脈絡が無いとお断りしたのはその為である。
とまれかくまれローマ・カトリック教会はこれを境に教条第一主義をエスカレートさせ、身に毛もよだつ異端審問、俗にいう「魔女狩り」の陰惨さがキリスト教の恥部となっていく。シルバーバーチや(『霊訓』の)インペレーターが語気強く指摘するのは、以上のような経緯を知っているからである。
さて、この死後存続の事実はキリスト教界及びキリスト教信者にとって、ある意味で厄介な問題を呈することになった。根本教義である死後の甦りと贖罪の信仰が意味を失うことになるからである。
私事にわたる話で恐縮であるが、私が学んだ大学はミッション系だったので、教授は日本人も英米人も全てクリスチャンだった。講義が宣教師のような口調になることがよくあったが、英米人の講義は全て英語だったので、私の英語力はその四年間で培われたといってよい。入学前にS・モーゼスの『霊訓』を浅野和三郎の抄訳で読んでいたことが大きな意味を持つことにもなった。
そんな時、最初の定期試験の私の答案に何か感じるところがあったのか、「英書購読」担当の日本人教授から呼び出しがあり、次の日曜日に自宅に来るようにと住所のメモを手渡された。
約束の時刻に訪れてまず通されたのは書斎で、さすがに大学教授ともなると蔵書も違うなと、その多さに圧倒されている私の眼にスピリチュアリズムの原書が飛び込んできた。
「先生はスピリチュアリズムに関心がおありですか?」と私が尋ねると、「ああ、ボクは信じるよ。だって、キミ、あれほどの世界的な学者が本気で研究して認めたんだから・・・」と仰った。これは私にとっては嬉しいことだった。プリンストン大学で神学を学んだほどの大学教授の私邸に招かれただけでも恐れ多いことなのに、スピリチュアリズムという、授業では絶対に話題にできないテーマについて存分に語り合えると直感したからである。そしてそれは間違っていなかった。
当日はスピリチュアリズムの原書を何冊かお借りして帰り、その後も何度かお邪魔して語り合い、時には銀座まで出て、コーヒーショップでお話を聞かせて頂いたりした。
しかし、話題がキリスト教の信仰の領域に入り込むようになってから気まずい雰囲気が漂うになった。そして贖罪説に行き着いた時に決定的となった。その不合理を私が問いただすと、教授は信仰の聖域に土足で踏み込まれたような感じがしたのであろう-「あ、それは別だよ」ときっぱり仰った。これはキリスト教の根幹をなす教義の一つで、イエスは人類の救済の為に父なる神がつかわした唯一の子-ゴルゴタの丘での磔刑(たっけい)は人類の罪悪の全てをイエスが贖(あがな)ったことの象徴であり、それを信じた者のみが永遠の生命を授かり天国に召される-という信仰である。
善と悪の峻別、そしてその判断ないしは選択を誤った時に生じる罪の意識ないしは罪悪感、いわゆる「良心の呵責」は人類特有のものである。その呵責の強さは当人の霊性の発達度合、道義心の強さによって異なるが、それが謂(い)われの無い教義への信仰の告白によって贖われる、俗な言い方をすれば、帳消しになる、というのはいかがなものであろうか。シルバーバーチは理性が承服しない教義は拒否しなさいと繰り返し述べている。
ダーウィンとほぼ同時代の博物学者でスピリチュアリズムに基づく進化論を唱えたウォーレスA・R・Wallaceも心霊研究に熱心で、その成果を専門誌に連載したことで学者仲間から敬遠されたが、「事実というのは頑固なものである」の名文句を吐いて、一切の弁明をしなかった。現在では全く忘れ去られているが、直感的に閃いたという「霊的流入」説は日本の神道哲学とも相通じるものがあり、いずれ注目される日が来るものと思われるので、ここで簡単に説明しておきたい。
全ての生命に「霊」が宿っているという思想はアニミズムと呼ばれて世界中に太古から存在するが、同じく「霊」でも動植物界から人間界、古神道の用語で言えば国津神の次元から天津神の次元へと飛躍(進化)する際に流入するのが「本体」で、これをウォーレスはSpiritual influxと呼んだ。この本体の中枢的本質は善悪の判断力、いわゆる道義心である。これは次元の高い広範囲にわたるテーマなので、ここではこれ以上は述べない。
さて、クルックスによる空前絶後の研究成果が一大センセーションを巻き起こしていた頃、同じく世界的に知られた物理学者のオリバー・ロッジOliver Lodgeは「私は死後の個性存続の事実と宗教的信仰は別だと思い、信仰はキリスト教で十分だと発言してきたが、やはり贖罪説は人工の教義に過ぎないことを得心した」と告白している。(ついでに付言すれば、ロッジの哲学的随想集Phantom Wallsは私の愛読書の一冊であるが、その中で「かつては死の彼方を恐れ贖罪説を信じていたが、今では死期の到来を楽しく待ち望む心境になった」と、仏教の高僧のような言葉を綴っている。ちなみに英文のタイトルを直訳すれば「幻の壁」となる。五感のことで、般若心境の色即是空といったところ)
シルバーバーチは青年牧師との論争でもキリスト教の矛盾と不合理を指摘し、イエスの言行録であるバイブルの本物は短いもので、バチカン宮殿の奥深く仕舞い込まれたまま、誰一人それを目にした者はいないと述べている。では、「聖なる書」として親しまれているバイブルの謂われは何なのか。シルバーバーチは325年に開かれた第一回キリスト教総会、歴史上有名な「二ケーア公会議」で大規模な改ざんがなされたと述べている。
そのことを知ってから私はその証拠となるものを折りに触れて求めてきた。断片的にはそうした趣旨の記述を目にしたのでシルバーバーチが述べていることが真実であることに確信を抱くようになったが、まだズバリそのことのみを扱った資料を入手出来ずにいた。そんな時に入手したのがニューヨークの出版社から出たダドレーの『第一回ニケーア公会議の真相』だった。
これは私が訳した原書の中でこんなに訳しにくいのは他に無いといってよいほどの難物だった。英文が読みにくいというのではない。細切れの資料の寄せ集めなので訳文の流れが途切れがちで、訳者として満足のいく、ないしは納得のいくものに仕上げられない、とでも表現すればよかろうか。一応主要部分を訳出したのでお読み頂くが、その点をご了解頂きたい。
今、「細切れの資料の寄せ集め」と述べたが、そうなった事情を説明すれば、当時の大国ローマの横暴ぶりを理解して頂けるであろう。時の帝王は悪名高い暴君の一人とされているコンスタンティヌスだった。ダドレーは冒頭でコンスタンティヌスの生涯を叙述しているが、政略の為には妻も子も殺害するほどの残虐で我侭な暴君だった、という一文で十分であろう。「大帝」の称号で呼ばれることがあるのはキリスト教を容認したからで、それすら、英国の知性を代表するジョン・スチュアート・ミルは名著『自由論』の中で、キリスト教の容認がコンスタンティヌスの治世下であったことは最大の不幸で、無念の極みであると慨嘆している。
実は贖罪説もコンスタンティヌスに媚を売る側近の神学者がこしらえたもので、残虐と我侭の限りを尽くして死後の自分の運命を案じる帝王の為に都合の良い教義をこしらえたに過ぎないという。
そうした独善とご都合主義を背景として開かれたのがニケーア会議で、ローマ全土の司祭や神学者に召集令を出した時の目的と結果は最初から決まっていた。言うまでもなくキリスト教の国教化とバイブルの改ざんで、当然予想されるアリウス派を中心とする良識派の反対に備えて、ローマ兵まで待機させていたという。アリウスはイエスの神性を否定し、当然のことながら「三位一体説」や「贖罪説」などに反論していたので、コンスタンティヌス派にとっては目の上のたんこぶだったのである。
会議が行なわれた期間と出席した司祭の数については諸説があって一定しない。なぜか?その理由を説明するとコンスタンティヌスの常軌を逸した陰謀が赤裸々となる。期間は、最も長い説では足掛け四ヶ月となっている。その期間中に現在の聖書の原型が出来上がったわけであるが、キリスト教の国教化という大問題や新しい聖書(改ざんされたもの)の容認などの採決があまりに唐突で強引だったことにアリウス派が怒って、議場が大混乱に陥った。が、これもコンスタンティヌス派にとっては想定内のことで、用意していたローマ兵を呼び入れてアリウス派の司教全員を会場から連れ出して採決した。公式の記録には「全員一致」となっているが、当然の結果だった。しかも逮捕された司教は更にローマの領土からも追放処分にされた。更に翌年には中心人物のアリウスが暗殺されている。
しかし、これほど悪辣な陰謀が永遠に封じ込められる筈はない。出席した司祭達の間で密かに書簡が取り交わされ、その中に期間や出席者数、討議や採決の様子などか記載されていた。その事実を知ったローマ政府は早速強引な手段で捜査を開始し、見つかったものは焼却処分にしたが、全てを没収できる筈はなく、長い歴史を経て少しずつ集められたものがまとめられるようになった。その一冊が法律家のダドレーがまとめたもので、脈絡が無いとお断りしたのはその為である。
とまれかくまれローマ・カトリック教会はこれを境に教条第一主義をエスカレートさせ、身に毛もよだつ異端審問、俗にいう「魔女狩り」の陰惨さがキリスト教の恥部となっていく。シルバーバーチや(『霊訓』の)インペレーターが語気強く指摘するのは、以上のような経緯を知っているからである。