死にたい自殺サイト自殺方法自殺ダメ

当サイトは、死にたい人に自殺に関する霊的知識を与えて、自殺を止めさせる自殺防止サイトです。

自殺の霊的知識へ

カテゴリ: ★『シルバーバーチ』

自殺ダメ


 さて、この死後存続の事実はキリスト教界及びキリスト教信者にとって、ある意味で厄介な問題を呈することになった。根本教義である死後の甦りと贖罪の信仰が意味を失うことになるからである。
 私事にわたる話で恐縮であるが、私が学んだ大学はミッション系だったので、教授は日本人も英米人も全てクリスチャンだった。講義が宣教師のような口調になることがよくあったが、英米人の講義は全て英語だったので、私の英語力はその四年間で培われたといってよい。入学前にS・モーゼスの『霊訓』を浅野和三郎の抄訳で読んでいたことが大きな意味を持つことにもなった。
 そんな時、最初の定期試験の私の答案に何か感じるところがあったのか、「英書購読」担当の日本人教授から呼び出しがあり、次の日曜日に自宅に来るようにと住所のメモを手渡された。
 約束の時刻に訪れてまず通されたのは書斎で、さすがに大学教授ともなると蔵書も違うなと、その多さに圧倒されている私の眼にスピリチュアリズムの原書が飛び込んできた。
 「先生はスピリチュアリズムに関心がおありですか?」と私が尋ねると、「ああ、ボクは信じるよ。だって、キミ、あれほどの世界的な学者が本気で研究して認めたんだから・・・」と仰った。これは私にとっては嬉しいことだった。プリンストン大学で神学を学んだほどの大学教授の私邸に招かれただけでも恐れ多いことなのに、スピリチュアリズムという、授業では絶対に話題にできないテーマについて存分に語り合えると直感したからである。そしてそれは間違っていなかった。
 当日はスピリチュアリズムの原書を何冊かお借りして帰り、その後も何度かお邪魔して語り合い、時には銀座まで出て、コーヒーショップでお話を聞かせて頂いたりした。
 しかし、話題がキリスト教の信仰の領域に入り込むようになってから気まずい雰囲気が漂うになった。そして贖罪説に行き着いた時に決定的となった。その不合理を私が問いただすと、教授は信仰の聖域に土足で踏み込まれたような感じがしたのであろう-「あ、それは別だよ」ときっぱり仰った。これはキリスト教の根幹をなす教義の一つで、イエスは人類の救済の為に父なる神がつかわした唯一の子-ゴルゴタの丘での磔刑(たっけい)は人類の罪悪の全てをイエスが贖(あがな)ったことの象徴であり、それを信じた者のみが永遠の生命を授かり天国に召される-という信仰である。
 善と悪の峻別、そしてその判断ないしは選択を誤った時に生じる罪の意識ないしは罪悪感、いわゆる「良心の呵責」は人類特有のものである。その呵責の強さは当人の霊性の発達度合、道義心の強さによって異なるが、それが謂(い)われの無い教義への信仰の告白によって贖われる、俗な言い方をすれば、帳消しになる、というのはいかがなものであろうか。シルバーバーチは理性が承服しない教義は拒否しなさいと繰り返し述べている。
 ダーウィンとほぼ同時代の博物学者でスピリチュアリズムに基づく進化論を唱えたウォーレスA・R・Wallaceも心霊研究に熱心で、その成果を専門誌に連載したことで学者仲間から敬遠されたが、「事実というのは頑固なものである」の名文句を吐いて、一切の弁明をしなかった。現在では全く忘れ去られているが、直感的に閃いたという「霊的流入」説は日本の神道哲学とも相通じるものがあり、いずれ注目される日が来るものと思われるので、ここで簡単に説明しておきたい。
77451255
894125554

 全ての生命に「霊」が宿っているという思想はアニミズムと呼ばれて世界中に太古から存在するが、同じく「霊」でも動植物界から人間界、古神道の用語で言えば国津神の次元から天津神の次元へと飛躍(進化)する際に流入するのが「本体」で、これをウォーレスはSpiritual influxと呼んだ。この本体の中枢的本質は善悪の判断力、いわゆる道義心である。これは次元の高い広範囲にわたるテーマなので、ここではこれ以上は述べない。
 さて、クルックスによる空前絶後の研究成果が一大センセーションを巻き起こしていた頃、同じく世界的に知られた物理学者のオリバー・ロッジOliver Lodgeは「私は死後の個性存続の事実と宗教的信仰は別だと思い、信仰はキリスト教で十分だと発言してきたが、やはり贖罪説は人工の教義に過ぎないことを得心した」と告白している。(ついでに付言すれば、ロッジの哲学的随想集Phantom Wallsは私の愛読書の一冊であるが、その中で「かつては死の彼方を恐れ贖罪説を信じていたが、今では死期の到来を楽しく待ち望む心境になった」と、仏教の高僧のような言葉を綴っている。ちなみに英文のタイトルを直訳すれば「幻の壁」となる。五感のことで、般若心境の色即是空といったところ)
 シルバーバーチは青年牧師との論争でもキリスト教の矛盾と不合理を指摘し、イエスの言行録であるバイブルの本物は短いもので、バチカン宮殿の奥深く仕舞い込まれたまま、誰一人それを目にした者はいないと述べている。では、「聖なる書」として親しまれているバイブルの謂われは何なのか。シルバーバーチは325年に開かれた第一回キリスト教総会、歴史上有名な「二ケーア公会議」で大規模な改ざんがなされたと述べている。
 そのことを知ってから私はその証拠となるものを折りに触れて求めてきた。断片的にはそうした趣旨の記述を目にしたのでシルバーバーチが述べていることが真実であることに確信を抱くようになったが、まだズバリそのことのみを扱った資料を入手出来ずにいた。そんな時に入手したのがニューヨークの出版社から出たダドレーの『第一回ニケーア公会議の真相』だった。
 これは私が訳した原書の中でこんなに訳しにくいのは他に無いといってよいほどの難物だった。英文が読みにくいというのではない。細切れの資料の寄せ集めなので訳文の流れが途切れがちで、訳者として満足のいく、ないしは納得のいくものに仕上げられない、とでも表現すればよかろうか。一応主要部分を訳出したのでお読み頂くが、その点をご了解頂きたい。
 今、「細切れの資料の寄せ集め」と述べたが、そうなった事情を説明すれば、当時の大国ローマの横暴ぶりを理解して頂けるであろう。時の帝王は悪名高い暴君の一人とされているコンスタンティヌスだった。ダドレーは冒頭でコンスタンティヌスの生涯を叙述しているが、政略の為には妻も子も殺害するほどの残虐で我侭な暴君だった、という一文で十分であろう。「大帝」の称号で呼ばれることがあるのはキリスト教を容認したからで、それすら、英国の知性を代表するジョン・スチュアート・ミルは名著『自由論』の中で、キリスト教の容認がコンスタンティヌスの治世下であったことは最大の不幸で、無念の極みであると慨嘆している。
 実は贖罪説もコンスタンティヌスに媚を売る側近の神学者がこしらえたもので、残虐と我侭の限りを尽くして死後の自分の運命を案じる帝王の為に都合の良い教義をこしらえたに過ぎないという。
 そうした独善とご都合主義を背景として開かれたのがニケーア会議で、ローマ全土の司祭や神学者に召集令を出した時の目的と結果は最初から決まっていた。言うまでもなくキリスト教の国教化とバイブルの改ざんで、当然予想されるアリウス派を中心とする良識派の反対に備えて、ローマ兵まで待機させていたという。アリウスはイエスの神性を否定し、当然のことながら「三位一体説」や「贖罪説」などに反論していたので、コンスタンティヌス派にとっては目の上のたんこぶだったのである。
 会議が行なわれた期間と出席した司祭の数については諸説があって一定しない。なぜか?その理由を説明するとコンスタンティヌスの常軌を逸した陰謀が赤裸々となる。期間は、最も長い説では足掛け四ヶ月となっている。その期間中に現在の聖書の原型が出来上がったわけであるが、キリスト教の国教化という大問題や新しい聖書(改ざんされたもの)の容認などの採決があまりに唐突で強引だったことにアリウス派が怒って、議場が大混乱に陥った。が、これもコンスタンティヌス派にとっては想定内のことで、用意していたローマ兵を呼び入れてアリウス派の司教全員を会場から連れ出して採決した。公式の記録には「全員一致」となっているが、当然の結果だった。しかも逮捕された司教は更にローマの領土からも追放処分にされた。更に翌年には中心人物のアリウスが暗殺されている。
 しかし、これほど悪辣な陰謀が永遠に封じ込められる筈はない。出席した司祭達の間で密かに書簡が取り交わされ、その中に期間や出席者数、討議や採決の様子などか記載されていた。その事実を知ったローマ政府は早速強引な手段で捜査を開始し、見つかったものは焼却処分にしたが、全てを没収できる筈はなく、長い歴史を経て少しずつ集められたものがまとめられるようになった。その一冊が法律家のダドレーがまとめたもので、脈絡が無いとお断りしたのはその為である。
 とまれかくまれローマ・カトリック教会はこれを境に教条第一主義をエスカレートさせ、身に毛もよだつ異端審問、俗にいう「魔女狩り」の陰惨さがキリスト教の恥部となっていく。シルバーバーチや(『霊訓』の)インペレーターが語気強く指摘するのは、以上のような経緯を知っているからである。

自殺ダメ


 バーバネルやエドワーズと同じく私もキリスト教とは無縁の生い立ちを過ごしたのであるが、英米人から生きた英語を学びたい一心で当時(昭和二十九年)外人講師か一番多かった明治学院を選んだ。キリスト教のミッション校であることは入学して初めて知ったほどである。しかし、その時は既に浅野和三郎による『霊訓』の抄訳に目を通しており、バイブルの中のイエスが実像と異なることをインペレーターが指摘していることを知っていた。そして二年生になってすぐサイキック・ニューズ紙でシルバーバーチの霊言との出会いがあり、その何ともいえない、品格のある、そして悠然とした語り口(文体)の虜(とりこ)になってしまった。
 そのシルバーバーチもイエスの処女懐胎説や贖罪説を否定し、イエスも全ての人間と同じように生まれそして死んでいったと述べ、自然法則を超越した摩訶不思議は何一つないことを繰り返し述べていることを知った。更に両者が口を揃えて断言している大事なことが二つあることも分かってきた。その一つは、肉体に宿って地上へ誕生した霊(我々人間の全てが「肉体に宿った霊」である)の中でイエスが最高の霊格を備えた霊であるということ。もう一つが、地上世界の霊的浄化活動すなわちスピリチュアリズムの総指揮に当たっているということ。
 これに関連して注目すべきことは、スピリチュアリズムの最前線で活動している世界規模の霊団が年二回一堂に会して「審議会」を開催し、活動の進捗状況を報告し合い、次の仕事を申し渡されるということ。その審議会を主催するのがイエスだという。[あの「ナザレのイエス」と呼ばれたイエスです]とシルバーバーチは述べている。
 インペレーターの『霊訓』とシルバーバーチの『霊言集』を全訳しながら私が直観したのは、イエスは古神道でいう天津神(あまつがみ)の一柱で、地球圏の創造界に所属し、地上界の霊的浄化の為の大計画の実施を前に、地上生活を身をもって体験する為に降誕したということである。このテーマについては私個人の考えがあるが、まだ熟しきっていないので、ここではこれ以上は述べないことにする。
 さて本稿も閉じたいと思っていたところへ米国からの興味深いニュースが入って来た。「ダヴィンチ・コード」という映画が大論争を巻き起こしているという。イエスがマグダラのマリヤと結婚して子孫を遺していて、その事実をキリスト教会が極秘とする為に数々の陰謀をめぐらしてきた、というのが映画の筋らしい。「下衆の勘ぐり」という言葉がピッタリ来るようなストーリーである。
 キリスト教に関しては、原始キリスト教からコンスタンティヌスによる国教化、その後の国家的規模の狂気の沙汰に至るまでの記録や文献、研究書に目を通してきたが、イエスの地上生活に関する霊界通信として自信を持って推薦するのは、ハート出版から出して頂いた『イエス・キリスト-忘れられた物語』である。
 原文のタイトルは直訳できないが、物語は、噂に高いイエス・イマヌエルという人物が世界旅行から帰って来た時のシーンから始まる。物語が進むにつれて一人また一人と通説のバイブルの人物が登場してくるが、全体として何一つ摩訶不思議なところはなく、極めて自然である。イエスにも神がかり的なところはなく「完成された人物像」として描かれていて抵抗がない。
 紹介した文献は馬車で両親のもとへ行く途中で切々と生い立ちを語るシーンで、ここを読んで私は翻訳の決意を固めたのだった。


           シルバーバーチ関連の書籍の訳者 近藤千雄氏著

遺稿ー「シルバーバーチと私」 モーリス・バーバネル著

 私とスピリチュアリズムとの係わり合いは前世にまで遡ると聞いている。勿論私には前世の記憶はない。エステル・ロバーツ女史の支配霊であるレッドクラウドは死後存続の決定的証拠を見せ付けてくれた恩人である、その交霊会において『サイキック・ニューズ』紙発刊の決定が為されたのであるが、そのレッドクラウドの話によると、私は、今度生まれたらスピリチュアリズムの普及に生涯を捧げるとの約束をしたそうである。
 私の記憶によれば、スピリチュアリズムなるものを初めて知ったのは、ロンドン東部地区で催されていた文人による社交クラブで無報酬の幹事をしていた十八歳の時のことで、およそドラマチックとは言えない事がきっかけとなった。
 クラブでの私の役目は二つあった。一つは著名な文人や芸術家を招待し、様々な話題について無報酬で講演をしてもらうことで、これはどうにか大過なくやりこなしていた。それは多分にその名士達が、ロンドンでも最も暗いと言われる東部地区でそういうシャレな催しがあることに興味をそそられたからであろう。
 私のもう一つの役目は、講演の内容のいかんに係わらず、私がそれに反論することによってディスカッションへと発展させてゆくことで、いつも同僚が、なかなかやるじゃないかと私のことを褒めてくれていた。
 さてその頃のことであるが、数人の友人が私を交霊会なるものに招待してくれたことがあった。勿論初めてのことで、私は大真面目で出席した。ところが終わって初めて、それが私をからかう為の悪ふざけであったことを知らされた。そんなこともあって、たとえ冗談とはいえ、十代の私は非常に不愉快な思いをさせられ、潜在意識的にはスピリチュアリズムに対し、むしろ反感を抱いていた。
 同時にその頃の私は他の多くの若者と同様、既に伝統的宗教に背を向けていた。母親は信心深い女だったが、父親は無神論者で、母親が教会での儀式に一人で出席するのはみっともないから是非同伴して欲しいと嘆願しても、頑として聞かなかった。二人が宗教の是非について議論するのを、小さい頃から随分聞かされた。理屈の上では必ずと言ってよいほど父の方が母をやり込めていたので、私は次第に無神論に傾き、それからさらに不可知論へと変わっていった。
 こうしたことを述べたのは、次に述べるその社交クラブでの出来事を理解して頂く上で、その背景として必要だと考えたからである。
 ある夜、これといって名の知れた講演者のいない日があった。そこでヘンリー・サンダースという青年が喋ることになった。彼はスピリチュアリズムについて、彼自身の体験に基づいて話をした。終わると私の同僚が私の方を向いて、例によって反論するよう合図を送った。
 ところが、自分でも不思議なのだが、つい最近偽の交霊会で不愉快な思いをさせられたばかりなのに、その日の私はなぜか反論する気がせず、こうした問題にはそれなりの体験がなくてはならないと述べ、従ってそれを全く持ち合わせていない私の意見では価値がないと思う、と言った。これには出席者一同、驚いたようだった。当然のことながら、その夜は白熱した議論のないまま散会した。
 終わるとサンダース氏が私に近づいて来て、「調査・研究の体験のない人間には意見を述べる資格がないとのご意見は、あれは本気で仰ったのでしょうか。もしも本気で仰ったのなら、ご自分でスピリチュアリズムを勉強なさる用意がおありですか」と尋ねた。
 「ええ」私はついそう返事してしまった。しかし「結論を出すまで六ヶ月の期間がいると思います」と付け加えた。日記をめくってみると、その六ヶ月が終わる日付がちゃんと記入してある。もっとも、それから半世紀経った今もなお研究中だが・・・。
 そのことがきっかけで、サンダース氏は私を近くで開かれているホームサークルへ招待してくれた。定められた日時に、私は、当時婚約中で現在妻となっているシルビアを伴って出席した。行ってみると、そこはひどくむさ苦しいところで、集まっているのはユダヤ人ばかりだった。若い者も老人もいる。あまり好感は持てなかったが、真面目な集会であることは確かだった。
 霊媒はブロースタインという中年の女性だった。その女性が入神状態に入り、その口を借りて色んな国籍の霊が喋るのだと聞いていた。そして事実そういう現象が起きた。が、私には何の感慨もなかった。少なくとも私の見る限りでは、彼女の口を借りて喋っているのが『死者』であるということを得心させる証拠は何一つ見当たらなかった。
 しかし私には六ヶ月間勉強するという約束がある。そこで再び同じ交霊会に出席して、同じような現象を見た。ところが会が始まって間もなく、退屈からか疲労からか、私はうっかり『居眠り』をしてしまった。目を覚ますと私は慌てて非礼を詫びた。ところが驚いたことに、その『居眠り』をしている間、私がレッド・インディアンになっていたことを聞かされた。
 それが私の最初の霊媒的入神だった。何を喋ったかは自分には全く分からない。が、聞いたところでは、後にシルバーバーチと名乗る霊が、ハスキーで喉の奥から出るような声で、少しだけ喋ったという。その後現在に至る迄、大勢の方々に聞いて頂いている、地味ながら人の心に訴える(と皆さんが言ってくださる)響きとは似ても似つかぬものだったらしい。
 しかし、そのことがきっかけで、私を霊媒とするホームサークルが出来た。シルバーバーチも、回を重ねるごとに私の身体のコントロールが上手くなっていった。コントロールするということは、シルバーバーチの個性と私の個性とが融合することであるが、それがピッタリ上手くいくようになるまでには、何段階もの意識上の変化を体験した。初めのうち私は入神状態にあまり好感を抱かなかった。それは多分に、私の身体を使っての言動が私自身に分からないのは不当だ、という生意気な考えのせいだったのであったろう。
 ところが、ある日こんな体験をさせられた。交霊会が終わってベッドに横になっていた時のことである。眼前に映画のスクリーンのようなものが広がり、その上にその日の会の様子が音声つまり私の霊言と共に、ビデオのように映し出されたのである。そんなことがその後もしばしば起きた。
 が、今はもう見なくなった。それは他ならぬハネン・スワッファーの登場のせいである。著名なジャーナリストだったスワッファーも、当時からスピリチュアリズムに彼なりの理解があり、私は彼と三年ばかり、週末を利用して英国中を講演して回ったことがある。述べにして二十五万人に講演した計算になる。一日に三回も講演したこともある。こうしたことで二人の間は密接不離なものになっていった。
 二人は土曜日の朝ロンドンをいつも車で発った。そして月曜日の早朝に帰ることもしばしばだった。私は当時商売をしていたので、交霊会は週末にしか開けなかった。もっともその商売も、1932年に心霊新聞『サイキック・ニューズ』を発行するようになって、事実上廃業した。それからスワッハーとの関係が別の形を取り始めた。
 彼は私の入神現象に非常な関心を示すようになり、シルバーバーチをえらく気に入り始めた。そして、これほどの霊訓を一握りの人間しか聞けないのは勿体ない話だ、と言い出した。元来が宣伝好きの男なので、それを出来るだけ大勢の人に分けてあげるべきだと考え、『サイキック・ニューズ』紙に連載するのが一番得策だという考えを示した。
 初め私は反対した。自分が編集している新聞に自分の霊現象の記事を載せるのはまずい、というのが私の当然の理由だった。しかし、随分議論したあげくに、私が霊媒であることを公表しないことを条件に、私もついに同意した。
 が、もう一つ問題があった。現在シルバーバーチと呼んでいる支配霊は、当初は別のニックネームで呼ばれていて、それは公的な場で使用するのは不適当なので、支配霊自身に何かいい呼び名を考えてもらわねばならなくなった。そこで選ばれたのが『シルバーバーチ』(SilverBirch)だった。不思議なことに、そう決まった翌朝、私の事務所にスコットランドから氏名も住所もない一通の封書が届き、開けてみると銀色の樺の木(シルバーバーチ)の絵葉書が入っていた。
 その頃から、私の交霊会は「ハネン・スワッファー・ホームサークル」と呼ばれているが、同時にその会での霊言が『サイキック・ニューズ』紙に毎週定期的に掲載されるようになった。当然のことながら、霊媒は一体誰かという詮索がしきりに為されたが、かなりの期間秘密にされていた。しかし顔の広いスワッファーが次々と著名人を招待するので、私はいつまでも隠し通せるものではないと観念し、ある日を期して、ついに事実を公表する記事を掲載したのだった。
 ついでに述べておくが、製菓工場で働いていると甘いものが欲しくなくなるのと同じで、長い間編集の仕事をしていると、名前が知れるということについて、一般の人が抱いている程の魅力は感じなくなるものである。
 シルバーバーチの霊言は、二人の速記者によって記録された。最初は当時私の編集助手をしてくれていたビリー・オースティンで、その後フランシス・ムーアという女性に引き継がれ、今に至っている。シルバーバーチは彼女のことをいつもthe scribe(書記)と呼んでいた。
 テープにも何回か収録されたことがある。今でもカセットが発売されている。一度レコード盤が発売されたこともあった。いずれにせよ、会の全てが記録されるようになってから、例のベッドで交霊会の様子をビデオのように見せるのは大変なエネルギーの消耗になるから止めにしたい、とのシルバーバーチからの要請があり、私もそれに同意した。
 私が本当に入神しているか否かをテストする為に、シルバーバーチが私の肌にピンを突き刺してみるように言ったことがある。血が流れたらしいが、私は少しも痛みを感じなかった。
 心霊研究家と称する人の中には、我々が背後霊とか支配霊とか呼んでいる霊魂のことを、霊媒の別の人格にすぎないと主張する人がいる。私も入神現象には色々と問題が多いことは百も承知している。
 問題の生じる根本原因は、スピリットが霊媒の潜在意識を使用しなければならないことである。霊媒は機能的には電話のようなものかも知れないが、電話と違ってこちらは生き物なのである。従ってある程度はその潜在意識によって通信の内容が着色されることは避けられない。霊媒現象が発達するということは、取りも直さずスピリットがこの潜在意識をより完全に支配出来るようになることを意味するのである。
 仕事柄、私は毎日のように文章を書いている。が、自分の書いたものを後で読んで満足出来たためしがない。単語なり句なり文章なりを、どこか書き改める必要があるのである。ところが、シルバーバーチの霊言にはそれがない。コンマやセミコロン、ピリオド等をこちらで適当に書き込む他は、一点の非の打ち所もないのである。それに加えてもう一つ興味深いのは、その文章の中に私が普段まず使用しないような古語が時折混じっていることである。
 シルバーバーチが(霊的な繋がりはあっても)私と全くの別人であることを、私と妻のシルビアに対して証明してくれたことが何度かあった。中でも一番歴然としたものが初期の頃にあった。
  ある時シルバーバーチがシルビアに向かって、「あなたが解決不可能と思っておられる問題に、決定的な解答を授けましょう」と約束したことがあった。当時私達夫婦は、直接談話霊媒として有名なエステル・ロバーツ女史の交霊会に毎週のように出席していたのであるが、シルバーバーチは、次のロバーツ女史の交霊会でメガホンを通してシルビアにかくかくしかじかの言葉で話しかけましょう、と言ったのである。
 無論ロバーツ女史はそのことについては何も知らない。どんなことになるか、私達はその日が待ち遠しくて仕方がなかった。いよいよその日の交霊会が始まった時、支配霊のレッドクラウドが冒頭の挨拶の中で、私達夫婦しか知らないはずの間柄に言及したことから、レッドクラウドは既に事情を知っているとの察しがついた。
 交霊会の演出に天才的な上手さを発揮するレッドクラウドは、そのことを交霊会の終わるぎりぎりまで隠しておいて、わざと我々夫婦を焦らせた。そしていよいよ最後になってシルビアに向かい、次の通信者はあなたに用があるそうです、と言った。暗闇の中で、蛍光塗料を輝かせながらメガホンがシルビアの前にやって来た。そしてその奥から、紛れもないシルバーバーチの声がしてきた。間違いなく約束した通りの言葉だった。
 もう一人、これは職業霊媒ではないが、同じく直接談話を得意とするニーナ・メイヤー女史の交霊会でも、度々シルバーバーチが出現して、独立した存在であることを証明してくれた。私の身体を使って喋っているシルバーバーチが、今度はメガホンで私に話しかけるのを聞くのは、私にとっては何ともいわく言い難い、興味ある体験だった。
 他にも挙げようと思えば幾つでも挙げられるが、あと一つで十分だろう。私の知り合いの、ある新聞社の編集者が世界大戦でご子息を亡くされ、私は気の毒でならないので、ロバーツ女史に、交霊会に招待してあげて欲しいとお願いした。名前は匿しておいた。が、女史は、それは結構ですがレッドクラウドの許可を得て欲しいと言う。そこで私は、では次の交霊会で私からお願いしてみますと言っておいた。ところがそのすぐ翌日、ロバーツ女史から電話が掛かり、昨日シルバーバーチが現れて、是非その編集者を招待してやって欲しいと頼んだというのである。
 ロバーツ女史はその依頼に応じて、編集者夫妻を次の交霊会に招待した。戦死した息子さんが両親と『声の対面』をしたことは言うまでもない。

 訳者付記ーこの記事はバーバネルが『自分の死後に開封すべき記事』としてオーツセン氏に託しておいたもので、他界した1981年7月の下旬に週刊紙『サイキック・ニューズ Psychic News』に、翌八月に月刊誌『ツーワールズ Two Worlds』に、それぞれ掲載された。

シルバーバーチと名乗る霊がモーリス・バーバネルを霊媒として現代人にマッチした啓示を語り始めたのは1920年のことで、それも「ある日突然」のことだった。つまりバーバネルはそれまで何一つ霊的体験はなく、スピリチュアリズム的な霊的知識は持ち合わせなかったという。
 が、それから1981年までの六十年間、週一回の割合で続けられた交霊会で語ったところを纏めると、シルバーバーチは三千年前に地上生活を送ったことのある古代霊でそろそろ地上圏を去って太陽圏へと向上して行く、その直前になって、[ナザレのイエス]と呼ばれたあの人物を最高指揮者とする[地球浄化の為の大霊団]から協力の要請があったという。
 そのシルバーバーチに与えられた役目は、長い人類の歴史の中で人間が勝手にこしらえた宗教的教義の下に埋もれてしまった霊的真理を掘り起こして、その本来の輝きを取り戻すことだった。シルバーバーチが「私の説く真理には新しいものは一つもありません」と繰り返し述べているのはその為である。
 シルバーバーチが所属する界層と地上界とではあまりに次元が違い過ぎて、メッセージ(思念)を伝達するには幾段階かの中継所が必要である。アンテナ、変圧器、ないしは宇宙ステーションに相当すると思えばよいであろう。それを幾つか用意してから、最後の地上界のアンテナに相当する人物(霊媒)を選んだ。それがバーバネルだった。バーバネルが母胎に宿る前の話である。
 そのバーバネル(の霊)が母胎に 宿って直ぐからシルバーバーチはその発育に関わり、霊媒として使用する上で必要な条件を整備し、特に発声器官の使い方には細かい気を配り、下半身にはあまり関心を向けなかったという。
 ここで注意しなければならないのは、今述べたような次元が遥かに高い界層の存在であるシルバーバーチ自身が母体内での発育に関与出来るはずがないことである。では、その発育に関与したと言っているのはなぜか?実は、これはシルバーバーチのアイデンティティに関わる重大な事実を含んでいるので、詳しく解説しておきたい。
 シルバーバーチの肖像画はフランス人の霊視画家マルセル・ポンサンが描いたもので、まごう方なく北米インディアンであり、誰しも最初はシルバーバーチはインディアンであると思い込み、シルバーバーチ自身もインディアンであるかのような言い方をし、大霊への祈りの最後でも必ず「あなたの僕インディアンの祈りを捧げます」と述べるのが決まり文句だった。
 ところが交霊会を何年も続け、出席者が霊的摂理を十分に理解した段階から「実は皆さんからシルバーバーチと呼んで頂いている私はインディアンではありません。三千年前に地上生活を送った古い霊で、もうすぐ地上圏を脱して二度と戻れない界層へ飛躍しようとしたところへ、一役買ってくれまいかとの要請を受け、微力を尽くすことにしました」と打ち明けた。そして、あのインディアンは霊界の霊媒であり、バーバネルの身体に宿って喋るのはシルバーバーチ霊そのものではなかったことが明らかとなった。ではシルバーバーチのアイデンティティはどうなのか?
 人間の情として地上時代の姓名、国籍、民族、身分等を知りたくなるのは当然で、その後の交霊会で何回、何十回、いや何百回となく問い質されたが、「霊界へ来ると地上時代の身分や名声は何の意味もなくなります。地上時代の私が王様であろうと召使いであろうと、それは関係ありません。私がどの程度の霊であるかは私が説いていることで判断してください」と言って、最後まで明かすことはなかった。こうした態度にこそ、シルバーバーチと名乗る霊が地上的次元を完全に脱却した超高級霊であることの証左を読み取ることが出来るのではなかろうか。

[近代の霊魂学『スピリチュアリズム』]より抜粋。

 バーバネルは親しい知人の間では「バービー」の愛称で呼ばれ、スピリチュアリズムを語る人達からは「ミスター・スピリチュアリズム」と呼ばれることが多かった。前者にはバーバネルの人間味が滲み出ており、筆者も氏が他界する半年前にロンドンで面会した時に、それをしみじみと感じ取った。頑固で気難しい風貌の奥に東洋人的な人間味を感じ、久しぶりで親戚のおじさんに会ったような気持ちすらした。
 それに引きかえ後者には、英国国教会と対決した時の、あの恐れることを知らない闘士としてのバーバネルを彷彿させるものがある。それはこの後で紹介する[とっておきのエピソード5]をお読み頂けば分かるが、第十章で取り上げる世界的治療家ハリー・エドワーズと国教会との確執の時にも、エドワーズを弁護した容赦のない記事にそれが赤裸々に出ていた。「ペンは剣より強し」とはまさにこのことであろう。 
 しかし、バーバネルが遺したスピリチュアリズム史上不滅の足跡は、何といってもシルバーバーチと名乗る古代霊による、六十年にも及ぶ交霊会での霊言のトランス霊媒を毎週一回、十年一日の如く続けたことであろう。その霊言は十六冊の霊言集となって刊行されて、英国内外で計り知れない『魂の糧』となっている。日本でも筆者による全訳が出ているので、是非ひもといてみられることをお勧めする。

874125




 とっておきのエピソード5


 死後、交霊会に出て自分の非を認めた大主教

 英国国教会はカンタベリーとヨークの二大教区に分かれていて、カンタベリーが総本山で、カンタベリー大主教の官舎を「ランベス宮」と呼ぶ。
 モーリス・バーバネルが[サイキック・ニューズ]の社長兼編集長だった頃のカンタベリー大主教はコスモ・ラングだった。そのラングの了承のもとに十名からなる[スピリチュアリズム調査委員会]が設置されたのが1937年で、二年後にその結果を公表するとの公約がなされていた。
 ところが、二年経っても何の音沙汰もない。国教会内外から一体どうなっているのかという声が出始めたが、上層部からは何の声明もない。これはきっと調査結果がスピリチュアリズムを肯定する内容になっているからに違いないと睨んだバーバネルは、ついに調査委員会のメンバーの一人を突き止め、委員の内の七名が署名した[多数意見報告書]を入手した。
 その内容は、案の定、スピリチュアリズムを100% 肯定するもので、意を強くしたバーバネルはその全文を[サイキック・ニューズ]に掲載した。それはまさに大スクープで、英国の大新聞がこぞって取り上げた為に、国教会内外で大問題となった。しかし、面子を重んじる国教会はその事実を肯定する言質(げんち)を与えないまま今日に至っている。今後とも正式に公表することは期待出来ないであろう。
 しかし、死後の現実はどうしようもない。ジョージ五世の信任の厚かった大主教コスモ・ラングといえども、1945年に他界すると、否応無しに自分の非を悟らされることになる。
 米国の霊言霊媒レスリー・フリントの自叙伝Voices in the Dark(暗闇の中で語る声)の最後の章に、ラングが、死後フリントの交霊会に度々出現して語った言葉が出ている。そのサークルのレギュラー・メンバーであるシャープ神父に[多数意見報告書]の件に言及して、こう語っている。
 「もし私が、今になってやっと知るに至った霊的知識を携えてもう一度人生を一からやり直すことが出来たら、どれほど違った人生を送れるだろうかと、無念の極みです。その気になれば出来たのです。ですが、私は臆病でした」
 そう述べてから、大戦で戦死して次から次へと霊界へ送られてくる若者達が、国教会が死後の存在と顕幽両界の交信の可能性を教えてくれなかったことに憤っていることを述べたという。
 しかし、さすがに本来の霊性の高さを偲ばせることも述べている。
 「スピリチュアリズムが人生に重大な意味を持ち、とても大切なものを秘めていることを今、私は強く感じ、全ての人に知って欲しいと思いますが、同時にその捉え方を誤ると危険であるとも感じています。
 高級霊、優れた霊、人類を高揚する程の力を有する階層との接触を得るには、それ相応の精神と思想そして高度な波動を備えた霊媒ないしは霊能者を用意しなくてはなりません。
 その点、不幸にして現在の地上の霊能者は低級な人が多過ぎます。咎めるつもりはありません。私は何とか力になりたくて申し上げているのです。高尚な精神と霊性を備え、自分の存在を地球人類の為に犠牲にする程の気概に燃える霊媒を揃えてスピリチュアリズムが正しく活用されれば、それは間違いなく人類を益するものとなるでしょう。
 しかし、私が見るところでは、百人中九十九人の霊媒のやっていることは、いわば幽界の表面を引っ掻く程度のものでしかなく、これではスピリチュアリズムはむしろ危険です。なぜなら、類は類を呼ぶの喩えの通り、地上界にへばりついている低級霊に利用され、いい加減なこと、不幸や面倒なことを引き起こすようなことばかり口にいます。
 さらに危険なのは、立ち会っている人達がそうした低級霊に憑依されてしまうことです。そうなると人間性が歪められ、さらには真理が歪められて行きます」

85856245

↑このページのトップヘ