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カテゴリ: ★『シルバーバーチ』

自殺ダメ


 近藤千雄著『シルバーバーチに最敬礼』より『シルバーバーチの謎』に関する文章の抜粋です。


 ほぼ六十年間にわたって週一回(金曜日、晩年は不定期)、シルバーバーチと名乗る霊の専属霊媒を勤めながら、スピリチュアリズムの大御所的存在として英国ジャーナリズム界で縦横にペンを揮(ふる)ってきたモーリス・バーバネルは、シルバーバーチの霊言を読んで、その簡潔さ、平易さ、それでいて奥深い霊的哲理を何のてらいもなく語り尽くしている文体に圧倒され「この英語の達人シルバーバーチ霊に最大限の敬意を表する」と述べている。これを私は日本人向けに「シルバーバーチに最敬礼する」と訳した。
 さて、ほぼ半世紀にわたってテープ録音と速記録で遺された膨大な量の霊言の産物Spirit MessageまたはSpirit Teachingsが1938年の第一巻を皮切りに次々と書物となって出版され、その全てをこの私が翻訳したことは、もはや下手な謙遜の言葉を交えることなく率直に認めねばならない厳粛な事実となってしまった。
 一般の翻訳と違ってスピリチュアリズム関係の文献、なかんずく異次元の要素が入り込む霊言の翻訳は、英文の難しさとは別次元の大変な作業が要求される。たった二、三行の英文に二日も三日もかかったことがある。第一章を最後の章と差し替えたこともある。「まえがき」のないものに本文中から適切な箇所を拾って形を整えたこともある。日本人の几帳面さをおもんぱかってのことである。流麗な文章で綴られる高邁(こうまい)な霊的摂理に感激して止めどもなく涙が溢れ、その日はそれ以上翻訳が進まず、感動に浸り続けたこともある。
 シルバーバーチ自身が何度も語っていることであるが、バーバネルとの間には幾つもの中継所(アンテナ)があって、霊言の内容は無論のこと、その表現の仕方(文章・文体)に専属の霊団が手を加えているという。一瞬の内にそれを行なっていたらしいのである。その中には歴史上の著名な文豪、例えばシェークスピアなどがいたという。他にも歴史上の人物が大勢いたらしいのであるが、出て喋りなさいと勧めても、「いえ、私はいいです」と言って引っ込んだという。
 では、一体、シルバーバーチ自身は何者だったのだろうか。
 なぜ今世紀になって出現したのだろうか。
 キリスト教を諸悪の根源のように批判しているが、その根拠は何なのだろうか。
 イエスは本当に磔刑にされたのだろうか、
 等々・・・・
 翻訳に携わった私自身にも頭をよぎった疑問が色々とあるのだから、愛読者にとってはなおのことそうであろう。その中には私自身がその回答となる資料を入手していたもの、或いはその後入手していたものが幾つかある。
 本書は、シルバーバーチ・シリーズを完訳した今、そうした謎めいたことや「なぜ?」と疑義を挟みたくなることを拾い上げて、可能な限りの資料を駆使してそれらを解明することにより、訳者としての責任を果たしたいという願望から出た企画である。

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 バーバネルが自分の後継者と見なしていたトニー・オーツセンに「自分が他界してから開封するように」と言って託した最後の記事『シルバーバーチと私』を読むと、誘われて出席した交霊会でいきなり無意識(トランス)状態になり、その間にシルバーバーチと名乗る霊が喋り、その後自宅でも喋るようになったという。このいきさつだけを見る限りでは、日本でも、いや世界中で安直に行なわれている降霊現象と五十歩百歩という印象を受ける。そのことについて簡単に注釈を加えて警告しておきたい。
 交霊現象の古くは「神降ろし」と呼ばれ、現在では「招霊実験」と呼ばれることもある。神または霊が実際に降りて来て霊媒に乗り移って(憑依して)語ると信じられており、事実その通りのケースが圧倒的に多いと想像されるが、シルバーバーチの出現によって必ずしもそうではないケースが多い、特に高級霊が出現する時がそうであることが明らかとなった。
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 シルバーバーチは、初めの頃、フランス人の霊視画家マルセル・ポンサンが描いた北米インディアンであると自称し、交霊会の最後で述べる神への祈りの言葉も「あなたの僕インディアンの祈りを捧げます」で締めくくるのが常であったが、霊的知識がある限度まで達した段階で改まった態度でこう述べた。

 シルバーバーチと名乗っている私は実はインディアンではありません。彼は「霊界の霊媒」です。私は地球圏の波動の届かない次元の存在なので、その中継役としてインディアンを使っているのです。いわば私のマウスピースで、バーバネルはそのインディアンのマウスピースです。(「インディアン」は現在では不適切用語とされ「ネイティブ・アメリカン」、正確には「ネイティブ・ノースアメリカン」と呼ぶが、当時はシルバーバーチ自身がインディアンと言っていたのでそれに倣った。)

 別の日の交霊会では「中継役」は無数にいますとも言っている。そして「中継は瞬時に行なわれる」という。思うに、最近の車のカーナビは精度が増す一方で、実に便利になってきたが、これも人工衛星を使って初めて出来るとのことであるから、「中継は瞬時に行なわれる」というのも大げさな表現ではないのであろう。
 さて、もう一つ大事なことがある。交霊の会場及び出席者の問題である。ここに紹介した写真はサイキック・ニューズ社の青年部会のメンバーだけの交霊会の様子で、どこかしら若者らしいしゃれっ気が見て取れる。バーバネルの横には例によって愛妻のシルビアが座り、右横にはオーツセンの後ろ姿も見える。
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 この写真でもよく分かるように、いつもメガネのままで、一見すると普通に話をしているような錯覚を覚える。ところが実際は完全な入神(トランス)状態に入っており、いわば生身のアンテナのようなものであるから、受けた波動は全て口にしてしまう。ここが気を付けねばならない大切な点である。
 出席者はレギュラーメンバー十人に招待客二、三人というのが通例だった。レギュラーメンバーは無断で欠席してはならないし、次回の招待客は交霊会の終わりに司会者がシルバーバーチの許可を得なければならなかった。なぜか?これは重大なことなので、詳しく説明しておきたい。
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 司会者は、初期の段階では、この後詳しく紹介するジャーナリストのハネン・スワッファーで、「フリート街の法王」とまで呼ばれた英国ジャーナリズム界の御意見番的存在だった。(フリート街は英国の新聞社が軒を連ねる通りで、英国のジャーナリズム界の通称)スワッファーはその知名度で次々と各界の著名人を招待し、それがスピリチュアリズムの普及に計り知れない貢献をしているが、シルバーバーチは、有名人だからではなく、その人物の霊的波動が建設的か破壊的かを判断の規準としていたようである。交霊の場においては邪念が最大の悪影響を及ぼすからである。
 元々降霊ないしは招霊は太古から世界中の民族において盛んに行なわれていて、最近有名になった日本の卑弥呼も霊媒体質の族長で、戦乱の絶えなかった当時、作戦についての啓示に誤りがあって大敗を喫し、当時の掟に従って処罰されたのではないか、というのが有力な説である。
 そういう場合にも邪悪な低級霊の暗躍が考えられるが、シルバーバーチのようにスピリチュアリズムの一環として重大な目的のもとに開催している場合は、それを挫けさせようとする低級霊集団が、大した怨恨があるわけではなく、ただのイタズラ心から悪さをするものらしい。更に忘れてならないのは、「オレにも一言喋らせろ」と強引に霊媒に憑依しようとする乱暴な低級霊がいることである。
 この場合に気を付けねばならないのは、実際に霊媒に憑依しなくても、その強烈な念が霊媒に感応して、ワケの分からないことを口走ることがあることである。
 そんな次第で、誰でも参加できる交霊会は用心した方がよい。シルバーバーチの交霊会では、そうした飛び入りの邪魔を阻止する為に霊団が、デモを規制する機動隊のように、環をこしらえて守っていた。
 もう一つ付け加えれば、バーバネルは次の交霊会の招待客について一切耳に入れないことにしていた。その知識が先入主となって霊言に余計な脚色をすることがあるからだという。
 こうした事情を勘案すれば、誘われて初めて出席した交霊会がバーバネルが言っている通り「およそ垢抜けのしない」ものであっても、その背後では霊団側が万全の配慮をしていたことが推察できる。決して「ある日突然」ではなかったのである。

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 このシルバーバーチの霊言とV・オーエンの『ベールの彼方の生活』、それにモーゼスの『霊訓』を私は「スピリチュアリズムの三大霊訓」と呼び、全訳しているが、この三部作の翻訳に当たって特徴的だったのは、写真で御覧の通り和服で角帯を締め、正座をして威儀を正さないと落ち着かなかったことである。今のパソコン時代と違って当時は四百字詰め原稿用紙の時代だったことにもよるが、翻訳に際してもそれぞれの霊団の働きかけが私に威儀を出させたと見るべきであろう。つまり波動を高めないと訳せない要素があったということである。要は私の理解力の問題であろう。
 次いでに付け加えると、集中力を高めるには西洋音楽、中でも静かなピアノ曲を流すのが効果的だったように思う。角田理論でいう右脳を刺激するからであろうか。尺八や琴、三味線は楽器としては大好きだが、知的な仕事には不向きのようである。
 それはともかくとして、『霊訓』(国書刊行会刊。[上・下の二巻として心の道場から復刻])には『続霊訓』(潮文社刊)があり、これには背後霊団についての興味深い説明がある。高級霊団になると似たりよったりの役割分担があるものと推察されるので、簡単に説明しておくと-
 霊団の最高指導霊はインペレーター(「命令者」という意味の仮の名で、地上時代は旧約聖書の「マラキ書」の編者)といい、その指揮のもとに七人ずつ七つのグループから構成され、総勢五十名。実際にスピリチュアリズムの摂理を伝えたのはインペレーターと第一のグループの七人で、他のグループにもそれぞれに役割があり、最後のグループは物理的心霊現象の演出に携わった。興味深いのは第七のグループの霊には第一のグループの指示は受けてもその姿は最後まで見えなかったことである。こうした事情は極めて重要なことで、霊の世界のメカニズムを理解する上で参考になるであろう。
 さて「三大霊訓」のもう一つ『ベールの彼方の生活』(全四巻)はその霊的メカニズムを理解した者には興味津々の霊的メッセージである。地上の三次元的感覚で読むとチンプンカンプンといった印象を与えるようであるが・・・・
 これは霊感書記という極めて高度な自動書記によって入手されたもので、霊媒のオーエンはキリスト教の牧師だった。それをWeekly Dispatchという週刊紙に連載したことから教会の長老から睨まれ、記事を撤回するか牧師を辞めるかの二者択一を要求され、奥さんと相談の末メッセージへの確信を固めて辞任の道を選び、膨大な量の通信を最後まで連載し、その後もスピリチュアリズムの普及に目覚しい貢献をしている。
 これに関連して、当時欧米を席巻したスピリチュアリズムの潮流とは別に、水面下で着々と進行していた注目すべき事実があるので、それに触れておきたい。
 この通信の連載が終わって四巻の書物として発行された時に「推薦文」を寄せたノースクリフ卿は世界にその名を知られた英国の新聞王で、日刊の全国紙「デイリーメール」を初めとして八十種類もの刊行物を発行していた。本名をハームズワースといったが、ノースクリフ卿の称号で呼ばれるのが普通だった。
 過労の為五十七歳の若さで他界し、毀誉褒貶(きよほうへん)、好き勝手な論評が乱れ飛んだが、十七年間一番弟子としてすぐ近くで公私両面を見てきたスワッファーは全く違った見方をしていた。しかもそれは英米を股にかけたスピリチュアリズムの水面下の動きで、スワッファーはそれを克明に追い求めて一冊の書物にまとめて出版し大反響を巻き起こした。それが『「あの世」から帰ってきた英国の新聞王・ノースクリフ』で、まだ全訳は出版されていないが、版権は取得してあり、その全容を知るに足るだけのものを翻訳してあるので、本書第3部に参考文献として紹介しておく。当時の欧米のジャーナリズム界の動きが分かって興味深い。結論として言えることは、ジャーナリズムの発達が熟しきった時代に狙いをつけて霊界から働きかけたと推察してよいのではなかろうか。

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 スワッファーの存在価値はこれだけに留まらなかった。ベストセラーとなった『「あの世」から帰って来た英国の新聞王ノースクリフ』の冒頭で自ら「人生の恩師」と呼んでいるブラッドレー夫妻が催していたホームサークル(家庭交霊会と訳すこともある。シルバーバーチのサークルと異なり、霊媒が専属でなく数人が入れ替わることがあったが、特に混乱は生じていない。背後霊団がしっかりしていたのであろう。ちなみにバーバネル自身は自分のサークルをセイアーンスと言っていた)に足繁く通って人間個性の死後存続を信じ切ったスワッファーは、かねてから聞いていたバーバネルのホームサークルにも出席してみた。
 それまでの体験で直感的判断力が身に付いていたスワッファーは、バーバネルの口を借りて喋るシルバーバーチと名乗る霊が只者でないことを直感し、その後も足繁く出席するようになり、その度にその感を深め、ますますシルバーバーチに惚れ込んでいった。そしてある日、会が終了してからバーバネルに、シルバーバーチが喋っていることを速記録にとり、それを翌週のサイキック・ニューズ紙に掲載してはどうかと提言した。一握りの者だけが聞いてそれで終わりとするのは勿体ないというのがその第一の理由だった。
 しかしバーバネルは、自分がサイキック・ニューズ紙の社長であり編集主幹でもあることから勝手な創作と決め付けられかねないという理由で、一言のもとに断った。しかし聞けば聞く程シルバーバーチの霊言の素晴らしさ、次元の高さを痛感するスワッファーは毎回のようにバーバネルを説得した。が、バーバネルは断った。理由はいつも同じだった。長年の親友だった二人は時としてケンカのような口調で言い合ったが、いつも平行線を辿るばかりだった。
 が、これが数週間や数ヶ月ならイザ知らず、数年にもわたるとさすがの頑固者のバーバネルも折れて、自分が霊媒であることを内密にするという条件のもとで霊言を公表することを承諾した。当然のことながら出席者にも理解を求め、バーバネルが霊媒であることを絶対に口外しないようにとの依頼をした。難しい表現をすれば、厳しいかん口令を敷いた。
 交霊会はいつものように開かれたが、変わったのはサイキック・ニューズのスタッフに土日の休みがなくなったことだった。土曜日は速記録を文字におこし句読点を入れる作業で大わらわだった。そして翌日日曜日には印刷所に持ち込まねばならなかった。大変は大変だったが、予想通り反響も大変で、たちまち人気NO.1の連載記事となった。しかし案の定「シルバーバーチの霊媒は誰なのか」という問い合わせも殺到した。
 一番困ったのは出席者だった。「霊媒は誰?」と直接聞かれ、最初は適当に言葉を濁しても、会う度に聞かれると言葉に窮し、スワッファーやバーバネルに「どう答えればいいか?」と訴えるようになった。二人はこのままではかえって疑惑を生むだけだという結論に達し、ある日のサイキック・ニューズ紙にバーバネルが「シルバーバーチの霊媒は一体誰か-実はこの私である」という一文を掲載した。

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 何一つ霊的体験の無かったバーバネルが、誘われるまま出席した交霊会でいきなりトランス(無意識)状態を体験したのが1920年のことで、その後自宅で親しい知人だけを相手にほぼ定期的に交霊会、バーバネルのいうセイアーンスを開くようになり、そのことを耳にしたスワッファーが出席してシルバーバーチの霊言の素晴らしさに魅せられて、是非ともサイキック・ニューズ紙に連載するように進言し、それがまとめられて霊言集の第一巻が出版されたのが1938年のことだった。その間実に十八年。霊言の価値に鑑(かんが)みれば余りにも長すぎる。バーバネルとスワッファーの意見の衝突を知らなかった筈のないシルバーバーチはなぜその問題に一言も口を挟まなかったのであろうか-これが訳者の脳裏を去来した疑問であったが、全巻を訳し終えた上で得た感触から言えば、シルバーバーチと我々人間の「次元」の違いから生じる「時間感覚」の違いから起こる疑問に過ぎないようである。
 同じことが「死」の問題についても言える。交霊会の唯一の録音であるカセットテープからCDブックとして日本人向けに編纂した『シルバーバーチは語る』の中でシルバーバーチは人間には「生まれる時」かあり「死ぬ時」があると述べ、「死」とは「大いなる解放者」であると呼び、また別の日の交霊会では臓器移植の是非についての問いに答えて「それによって何年或いは何ヶ月か生き延びたからといって、それが魂の永遠の旅路でどれほどの意味があるというのでしょう?」と、人間の情を無視したようなことを述べている。
 これは誤解を生みかねない問題なので、訳者としての理解の仕方を「あとがきに代えて」で披露したいと考えている。参考資料として「死」に関するスピリチュアリズムの信頼のおける文献を第三部に取り揃えたので、関心のある方はじっくりとお読み頂きたい。シルバーバーチは霊的身体には肉体の全機能が残っていると述べているが、これは前著『日本人の心のふるさと《かんながら》と近代の霊魂学《スピリチュアリズム》』(以下、『かんながらとスピリチュアリズム』)で紹介した物質化霊ケーティ・キングの脈を取っている英国外科学会の会長ガリー博士の写真が決して芝居でないことの証拠であり、ジョン・レナードの文献がそれを裏付けていると言えよう。人体の設計図といわれる遺伝子の研究が進めば、霊的身体の次元にも遺伝子があることが啓示される段階に至るものと信じている。シルバーバーチの啓示はその魁(さきがけ)と受け止めるべきであろう。次の啓示はどの民族に下されるであろうか?
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