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カテゴリ: ★『アラン・カルデック』

アラン・カルデックについて 目次


アラン・カルデックについて(1)

アラン・カルデックについて(2)

アラン・カルデックについて(3)

アラン・カルデック

Allan Kardec


(本名 イポリット・トレオン・ドゥニザール・リヴァイユ)


1804年10月3日-1869年3月31日



 フランス、リヨン出身の教育学者であったアラン・カルデックは、1850年代、ヨーロッパのブルジョアサロンを熱狂させていたテーブルを使って死者とのコミュニケーションをとる現象に出会い、研究を始めた。その結果、人間の存在の本質とは肉体の存続に限定されるものではなく、霊魂としての存在であるという結論に至り、その主義を幾つかの著作を通じて spiritisme(スピリティズム)の教義として体系化し、広める。スピリティズムの教義を伝える著書として、次のものがある。


『Le Livre des Espirits』(霊の書)-1857

『Le Livre des Mediums』(霊媒の書)-1861

『L`Evangle selon le Spiritisme』(スピリティズムによる福音)-1864

『Le Ciel et l'Enfer』(天国と地獄)-1865

『La Genese,les Miracles et les Preditions selon le Spiritisme』(創世記、スピリティズムによる奇跡と預言)-1868 



アラン・カルデック

 カルデック本人は霊媒ではなく審神者(さにわ)である。つまり複数の、それも(正確な数は公表されていないが)かなりの数の霊媒を通じて入手されたメッセージをカルデックが取捨選択して、これは本物と断定したものを二冊の書にまとめた。The Spirits BookとThe Mediums Bookで、スピリチュアリズム系の啓示としては最初のものである。
 その二冊にはカルデックがそう断定した理由と、怪しいと判断した理由とが詳しく記載されていて、その洞察力は審神者に相応しい説得力に富むものばかりであるが、訳者として私はその全てを訳出することは避け、質疑応答の部分を中心にして編纂し直し、前者を『スピリチュアリズムの神髄ー思想編』後者を『スビリチュアリズムの神髄ー現象編』としてまとめた。


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 内容の特徴として挙げるとすれば『再生』を霊性進化の為の不可欠の手段として説いていること、また現象的にはクルックスのいう『サイキック・フォース』に相当するエネルギーの作用を、成る程と得心のいく形で解説していることである。
 カルデックはフランス人で、本名をイポリット・レオン・ドゥニザール・リバイユといい、アラン・カルデックという名はペンネームで、幾つかの前世での名前から合成したものが霊団から授けられたという。
 右の二著はラテン系の民族の間でバイブルのように読まれていて、今日でも絶大な人気がある。その信奉者の間ではSpiritism(スピリティズム)という呼び方が一般的であるが、カルデック自身が序論の中でスピリチュアリズムと同じであることを明言しているので、用語の違いに拘ることは無用である。
 なお、霊団の中には古代の学者や宗教家がいるようであるが、中心的指導霊はフランスの十三世紀の王ルイ九世で、「聖ルイ」St.Louisの名で聖人に列せられている人物である。その霊団もイエスの配下にあると述べているから、やはり地球浄化の大事業に参画している霊団の一つであることは間違いない。




●カルデックへの、霊団からの激励のメッセージ

 我々との協調関係の下に行うこの仕事に着手するに当たって、そなたに対して熱誠と忍耐とを要請したい。これは実質的には我々の仕事だからである。これから編纂される書物の中に、全人類を愛と慈悲の精神において一体たらしめる新しい殿堂の基盤を構築したいと思う。完成後はそれを世に出す前にその全篇に眼を通し、誤りなきを期したい。
 質(ただ)したいことがあれば遠慮なく呼び出すがよい。いついかなる時でも力になるであろう。既に明かしたごとく我々には大霊から割り当てられた使命があり、本書の編纂はその使命の一端に過ぎない。
 これまでに明かした教説の中には当分そなたの内に秘めておくべきものもある。公表すべき時期が到来すれば、さよう告げるであろう。それまでにはそなた自身の思考の糧としてじっくり温めておくが良い。課題として取り扱うべき時期が到来した折に理解を容易にする為である。(中略)
 それより先そなたは敵意に満ちた非難に遭遇することであろうが、それによって怯(ひる)むようなことがあってはならぬ。特に既存の悪弊に甘んじて私利私欲を貪る者から、悪意に満ちた攻撃を受けるであろう。
 人間界に限らぬ。同じことを霊界から受けることもあろう。彼らは物的波動から抜け切らずに、憎しみと無知から、スピリチュアリズムへの疑念のタネを撒き散らそうと画策する。
 神を信じて勇猛果敢に突き進むがよい。背後より我々が支援するであろう。スピリチュアリズムの真理の光が四方に放たれるようになる時節の到来も間近い。
 全てを知り尽くしたかに自惚れ、全てを既存の誤れる教説で片付けることで満足している者達が真っ向から抵抗するであろう。しかし、イエスの偉大なる愛の原理の下に集える我々は、あくまでも善を志向し全人類を包摂する同胞愛の絆の下に結ばれている。用語の差異についての下らぬ議論をかなぐり捨てて、真に価値ある問題へ向けて全エネルギーを注いでいる。地上時代の宗派の別を超えて、高き階層の霊から得られる確信にはいささかの相違もないのである。
 そなたの仕事を実りあるものにするのは、一(いつ)にかかって忍耐である。我々が授けた教説が本書を通して普及し、正しく理解されることによってそなたが味わう喜びは、また格別なる者があろう。もっとも、それは今直ぐではなく遠い未来のことかも知れぬが・・・
 疑り深き人間、悪意に満ちた者達がばらまくトゲや石ころに惑わされてはならぬ。確信にしがみつくことである。その確信こそが我々の援助を確かなものにし、その援助を得て初めて目的が達成されるのである。
 忘れてはならぬ。善霊は謙虚さと無私無欲の態度で神に奉仕する者にのみ援助の手を差し伸べる。霊的なことを世俗的な栄達の足がかりにせんとする者は無視し、高慢と野心に燃える者からは手を引く。高慢と野心は人間と神との間に張り巡らされる障壁である。それは天界の光線を見えなくする。光の見えぬ者に、神は仕事を授けぬということである。
 
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私が[回転するテーブル]のことを初めて聞いたのは、1854年のことだった。ある日、以前から名前は知っていたが、それまで会ったことのなかったフォルチエ氏に会ったのである。彼は言った。
 「動物磁気[オーストリアの医師メスエル(1734〜1815)が唱えた、「生体に流れる目に見えない磁気エネルギー」のこと]に関してはご存知だと思うのですが、実は、磁気化の対象が、どうも人間だけではなさそうだということが分かってきたのです。テーブルを磁気化して回転させたり、思いのままに動かしたりすることが出来るようなのですよ」
 「それは誠に興味深いことです」と私は答えた。「しかし、そんなことが実際に起こるとは思われませんね。『動物磁気が、命を持たぬ物体に働きかけて、それを動かす』などということが有り得るものでしょうか?」
 ナント、マルセイユ、或はその他の都市での実験記録が新聞に掲載されてはいたが、私には、そのような現象が現実に起こり得るとはどうしても考えられなかった。
 その時から暫くして、私はまたフォルチエ氏に会った。彼は私に言った。
 「もっと驚くべきことが起こり始めましたよ。テーブルを磁気化して動かすだけでなく、テーブルに話をさせることも可能になったのです。テーブルに質問すると、なんと、その質問に答えるのです!」
 「それは、また別の問題ですね」と私は答えた。「それを実際に見ることが出来、そして、『テーブルが、考える為の脳を備え、感じる為の神経を持ち、人間のように話をすることが可能だ』と証明されたのなら、そういうことを信じもしましょう。それまでは、おとぎ話ということにしておきます」
 私の推論は、論理的なものだった。何らかのメカニズムによってテーブルが動くことは考えられた。しかし、その現象がどのようにして起こるか、その原因、法則を知らなかったので、単なる物質が知性を持つように振る舞うことが荒唐無稽であるように思われたのである。今日、未だにそれらの現象を信じないでいる人々と同じ立場に私はいたのである。つまり、自分が理解出来ないことに関しては、それを存在しないと見なす立場である。
 十九世紀初頭に、「たった一時間で、二千キロ離れた場所に手紙を送り、その返事を受け取ることが出来る」と言ったとすれば、鼻先であざ笑われたであろう。科学的に考えれば、そんなことは無理に決まっているからである。電気の法則が知られている今日では、そんなことは常識である。
 実は、霊現象に関しても、全く同じことなのだ。霊現象に関する法則を知らなければ、それは摩訶不思議な現象、したがって、有り得ない現象だと思われるのである。しかし、ひとたび法則が明らかになるや否や、荒唐無稽なものではなくなる。理性によって、その可能性が、充分、許容出来るようになるからだ。
 しかし、その頃はまだ事実がしっかり説明されていなかった。したがって、それは明らかに自然法則に反すると思われた。私の理性はそれを受け入れることは拒否していた。私はまだ、そうした現象を何一つ見ていなかったのである。
 実験が、尊敬すべき、信頼に足る人々の前で行われたとすれば、その場においてテーブルが動いたということは、有り得ないことではないと思われた。しかし、そのテーブルが[語る]となると、到底受け入れられるものではなかった。
 翌年、つまり1855年の初頭に、私は25歳の若き友人カルロッティ氏に会った。彼は、[語るテーブル]について一時間近くも熱心に語り、私に新たな考え方を提示してくださった。
 カルロッティ氏は、コルシカの生まれであり、エネルギッシュで熱い人である。彼の大いなる、美しい魂を愛してはいたが、話し振りに誇張があるのが気になった。
 彼は、そうした現象に霊が介在している、ということについて私に語った初めての人間だった。数々の驚くべきことを私に教えてくれたが、それらは私を納得させるどころか、かえって私の疑いを掻き立てたのだった。
 「あなたもいずれ私達の仲間になりますよ」と彼は言った。
 「そうならないとは言いません」と私は答えた。「そのうち分かることです」
 それから暫くして、1855年の五月頃、私はフォルチエ氏と共に、夢遊病者のロジェ夫人の家を訪れ、そこで、パチエ氏ならびにプレヌメゾン夫人に会った。彼らは、テーブルにまつわる現象に関して、カルロッティ氏と同じような意味合いのことを言ったが、その語り口は全く異なっていた。
 パチエ氏は、かなり年輩の公務員であって、教養豊かであり、真面目で、冷静かつ穏やかな人柄だった。あらゆる熱狂から無縁な彼の話を聞いて、私は深い印象を受けた。
 その為、「グランジュ・バトリエール街にあるプレヌメゾン夫人の家で実験が行われるので、出席されてはどうですか」と勧められた時、私は喜んでその会合に出席することにした。翌週の火曜日、夜八時に伺う約束をした。
 そういうわけで、私はその日、初めて、回転し、飛び跳ね、動き回るテーブルを、目の当たりにしたのだった。それは、疑いを差し挟む余地のない状況のもとで行われた。また、不完全な形ではあるが、霊媒が籠に固定されたペンを使って自動書記を行うのも見た。
 私は大いに興味を掻き立てられた。そうした現象には原因があるはずだった。それらは一見たわいのないお遊びのようにも思われたが、私には、それらの背後に極めて重大な何か、新たな法則のようなものが隠されているように感じられた。そして、それを探究してみようと考えた。
 やがて、もっと注意深く観察する機会が与えられた。プレヌメゾン夫人の所で開かれていた集いで、当時ロシュシュアール街に住んでいたボダン一家と知り合うことになったからである。ボダン氏は、毎週ボダン家で行われていたセッションに招いてくださったので、私は欠かさず出席することにした。
 この集いには、かなりの人数が出席していた。「常連の他に、誰でも、来たい人は来てよろしい」ということになっていたからである。
 霊媒は、ボダン家の二人の娘が勤めた。彼女達は、二人で持った籠を石盤の上に乗せて自動書記をするのだった。この方法だと、霊媒が二人要るわけだが、それだけに、霊媒の考えが記述の内容に影響を及ぼす可能性はゼロである。
 このようにして、質問に対する答えが与えられるのであるが、時には、心で質問を考えただけで、その答えが与えられることもあった。
 質問の内容は、大体どうでもいいようなことが多かった。生活上の細々したこと、将来のこと等、要するに、本当に真剣な質問はなされなかったのである。好奇心を満たし、面白がることが、出席者達の関心であるようだった。
 答える霊は、大体いつも[Zephyr(そよ風)]と署名していたが、これは、この交霊会の性格と降りてくる霊の性格を完璧に言い表す名前であった。
 この霊は非常に善良で、「ボダン家の家族を守っている」と言っていた。冗談を言うことが多かったが、必要とあれば智慧に満ちた忠告をすることも出来た。また、時には、辛辣で機知に富んだ警句を吐くこともあった。
 やがて、私もこの霊と話すようになった。彼は私に対していつも非常に好意的だった。霊格が特に高いというわけではなかったが、後々、上位の霊の指導の下、私の初期の仕事を助けてくれることになる。
 そのうち、「そろそろ地上に生まれ変わる」と言い始め、その後、通信が途絶えた。
 この辺りから、私は真面目に霊現象を研究し始めた。起こっていることをじっくりと、真剣に観察するようになったのである。
 そして、かつて自然科学を学んだ時の方法論、つまり実験的な手法を、この新たな科学にも適用した。前もって仮説を立てるということをせず、注意深く観察し、比較し、結論を推測した。帰納を行い、事実を論理的に結びつけ、結果から原因を探り、問題を全て解決出来ない限り、その説明を認めないようにした。これが、私が25歳以来ずっと取ってきた方法だった。
 私は、まず、「起こっている事態がとてつもなく重大であるらしい」ということを感じた。「そこには、人類の過去及び未来に関するあらゆる問題を、完全に解く鍵が潜んでいる可能性がある」ということに気がついたのだ。もしかすると、私がそれまでずっと探し求めてきた最終的な解決法が見つかるかもしれなかったのである。つまり、「哲学と信仰に関する革命が起こり得る」ということだった。
 したがって、軽々しく振る舞うべきではなく、慎重にも慎重を期さなければならないと自戒した。幻想に囚われないように、あらゆる思い込みを捨て、厳格に実証主義を貫くべきだと思った。
 最初に分かったのは、「霊といっても人間の塊にすぎず、したがって、必ずしも至高の知識や至高の智慧を備えているわけではない」ということだった。「悟りの段階に応じて彼らの知は限られており、その意見は個人的なものにすぎない」ということである。この事実を知った為に、私は、霊が無謬(むびゅう)であるということを信じ込まずにいられたのだ。そのお陰で、「一人ないしは数人の霊人の言うことだけを基にして、早急に理論を作り上げる」という過ちを犯さずに済んだ。
 霊との交流から学んだことは、「我々の周りに、見えない世界、すなわち霊界が広がっている」ということだった。それだけで、既に大変なことだった。「無限とも言える領域が、我々の探究を待っている」ということだからだ。また、「これまで説明不能だった山のような現象を合理的に説明する鍵を手に入れられる」ということだからだ。
 さらに、これも同様に重要なことであるが、「霊界の状態、霊人達の生活習慣を知ることが出来る」ということである。
 やがて、それぞれの霊人から、その境涯に応じた情報を得ることになっていく。
 それは、丁度、外国人から、その国に関する情報を教えてもらうようなものだった。各人から、彼が属する階級や境遇に応じたことを教えてもらえるが、あくまでも、それは個人的な情報にすぎず、それだけでは、国の全体について知ることは決して出来ない。様々な方面から情報を集め、それらを吟味し、比較し、照合し、その上で全体像を作り上げるのは、我々の役目である。
 そんなふうにして、人間と付き合うようにして霊人達と付き合った。最もつまらない霊から、最も偉大な霊に至るまで、決してその言葉を鵜呑みにすることなく、あくまでも単なる情報提供者として扱ったのである。
 以上が私の基本的な態度であり、常にそのようにして私は霊界の研究を続けた。「観察し、比較し、判断する」、これが私が取り続けた方法論だった。
 その頃まで、ボダン家におけるセッションには、これといった目的はなかった。しかし、私は、その場を借りて、哲学に関し、心理学に関し、また、霊界の性質に関し、色々と質問して、それまで未解決だった問題の解決を図ることにした。セッションに行く前に、予め一連の質問を用意していったのである。それらの質問に対しては、いつも的確で論理的かつ深遠な答えが返された。
 それ以来、集いは全く新たな様相を呈するようになった。出席者の中に、真摯な人々が加わるようになり、彼らが本当に積極的に会を運営するようになったのである。どうでもいいような質問は姿を消した。
 当初は、自分が学ぶことしか考えていなかった。しかし、徐々にそれが体系をなし、一つの教義としての体裁を整えていくに従い、私はやがて、それらを多くの人の為に出版しようと考えるようになった。こうして、数々の質問を通して徐々に進展し、完全になっていった一連の主題が、『霊の書』の基礎をなすことになったのである。
 翌年の1856年には、ティクトヌ街のルスタン氏の家で行われていた集いにも参加するようになった。この集いは真摯なものであり、厳正に行われていた。霊界との交流は、ジャフェ嬢が霊媒を務め、小さな籠を使った自動書記によって行われていた。
 その頃、私の本はほぼ完成しかかっていた。しかし、違う霊媒を使い、違う霊人達からの情報も収集して、原稿をさらに吟味する必要があることを感じた。そこで、ルスタン氏の主宰する集いの場を借りて、あるテーマに関する最終的な詰めを行うことにした。
 セッションを始めて暫くすると、霊人達が、「もっと静かな場で、内密に、そのテーマを取り扱いたい」と言ってきた。そして、「その為に、数日の間、ジャフェ嬢とあなた二人だけを相手にしたセッションを行いたい」と提案してきた。
 その後、このセッションは行われたのだが、私はその結果には満足しなかった。私は既に、それまで、随分多くの霊人達と接触して、色々と忠告を受けており、その為に私の要求水準は相当高くなっていたからである。
 異なる霊媒を介して霊界通信を行う機会があるごとに、私は、様々な霊人達に、最も厄介な問題に関して質問してきた。既に十人以上の霊媒とセッションを行ってきており、それらで得られた情報を比較し、吟味し、統合し、その上で、瞑想しては、何度も何度も手直ししてきた。
 そのようにして、1857年4月18日に『霊の書』が刊行されたのである。
 この年の終わり頃には、ボダン家の二人のお嬢さんが結婚した為に、集いは行われなくなった。しかし、私の交際する霊媒の範囲は広がっていたので、付き合う霊人達も多くなっており、数多くの霊人達から、その後の仕事を進める為の情報を得るようになったのである。

1855年12月11日、ボダン家にて、霊媒はボダン嬢。

ー(Z霊に対して)霊界には、私を守護する霊はいるのですか?
 「はい、います」
ーそれは、先祖の霊ですか、それとも友人の霊ですか?
 「いずれでもありません」
ーその霊は、地上にいた時はどのような人だったのでしょうか?
 「正しく、叡智に溢れた人間でした」
ーその霊に守護してもらうには、どのようにすればいいのでしょうか?
 「可能な限り善を行うことです」
ー守護霊がかかわってきていることは、どのようにすれば知ることが出来ますか?
 「あなたが心から満足している時は、守護霊がかかわってきているのです」
ー守護霊を呼び出すことは出来ますか?また、その為には、どのようにすればいいのですか?
 「守護霊を信じ切って、熱心に願うことです」
ー私が死んだ場合、霊界で守護霊に会うことは出来るのですか?
 「勿論です。もし、あなたが地上での使命をしっかり果たしたのなら、守護霊が迎えに来て祝福してくれます」

 こうした質問を見れば、この頃には、まだ霊界に関して私が全くの素人だったことが分かるだろう。

ー私の母の霊も、時には私のところに来ているのですか?
 「その通りです。可能な限り守ろうとしてくれていますよ」
ーよく母の夢を見るのですが、これは記憶から来るのでしょうか?或は、私の想像力がつくり出している映像なのでしょうか?
 「そのいずれでもありません。それはお母さんがあなたのところに実際に来ているのですよ。その時の感動から、それが事実であることは分かるはずです」

 これは完全に正しい。母が夢に現れる時、私は筆舌に尽くし難い感動に見舞われる。そして、そのことを霊媒が知っているはずはないのである。

ーしばらく前のことですが、S霊を呼び降ろした時に、S霊が私の指導霊になることは有り得るのか、と尋ねたのですが、その時、彼は、「あなたがそれに相応しくなれば、私はあなたを指導しましょう。そのことについては、Z霊に聞いてください」と言っていました。私は、それに値する人間でしょうか?
 「もしそう望むのなら可能でしょう」
 「自分が為すべきだと思う善を全て行い、勇気を持って苦悩に耐えることです」
ー私の知性は、死後の世界の真実について深く知る為に、充分な力を持っていると言えるでしょうか?
 「言えます。あなたはその為に必要な能力を備えています。しかし、結果は、あなたがどれほど忍耐強く仕事をするかにかかっています」
ー私はそうした真実を広めることになるのでしょうか?
 「勿論です」
ーどのようにして?
 「いずれ分かるでしょう。それまでは、とにかくしっかりと努力することです」

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