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自殺の霊的知識を知るっちゃ!

カテゴリ: ★『スピリティズムによる福音』

第三章 私の父の家には多くの住処があります

死後の世界における魂の様々な状態

霊の住む世界の様々な分類

地球の運命-地球上の惨めさの原因

◆霊達からの指導

優れた世界、劣った世界

試練と償いの世界

更生の世界

世界の進歩

一、あなた達の心を乱してはなりません。神を信じ、又、私を信じてください。私の父の家には多くの住処があります。もしそうでなかったら、私はそのことをあなた達に言っておいたでしょう。私はその場所をあなた達の為に準備しに行くのですから。私が行き、あなた達の場所を準備した後、再び戻って来て、あなた達を私のところに迎えましょう。(ヨハネ 第十四章 一-三)

死後の世界における魂の様々な状態

二、
父の家とは宇宙のことです。様々な住処とは、無限の宇宙の中で霊達に生まれる場所を提供する、霊達の段階に応じて存在する世界のことです。これらのイエスの言葉は、世界の多様性とは別に、死後の世界に存在する霊達の幸運、又は悲運な状態に関しても当てはめることが出来ます。物質への執着から解放されたか、或はある程度浄化しているかどうかということによって、その霊の置かれる状況、そこでの物事の有り様、そこで感じること、そこで所有する感覚が霊によって無限に違ってきます。ある者が生前住んでいた場所から離れられない一方で、別の者達は宇宙の色々な世界を行き来します。罪のある霊達が闇の中で過ちを犯す一方で、至福を得た霊達は光り輝く明るさと無限なる神の崇高な業を享受することが出来るのです。結局、悪は後悔や苦しみに悩まされ、慰安を受けることもなく、その愛情の対象となっていた者達から引き離され、多くの場合孤立してしまい、道徳的な苦しみに悲しむことになり、正しい者は愛する者達と共に生活し、表現し難い幸せの喜びを享受することになります。だから、場所も示されていなければ、その区画もされていませんが、そこには多くの住処があることになるのです。

霊の住む世界の様々な分類

三、
霊達によってもたらされた教えから、様々な世界の状況は、そこに住む霊達の進歩又は劣等の度合によってお互いに大きく違っていることが分かります。それらの世界の中には、まだ地球よりも、道徳的にも物質的にも劣っている世界があります。他には、私達の世界と同じ分類の世界も存在します。又、全ての点において他の世界よりも優れた世界も存在します。劣った世界では、存在は全て物質的であり、感情が全てを支配し、道徳的な生活は殆ど存在しません。この世界は、進歩するに従って物質の影響が減少しますが、そのようにより進んだ世界における生活は、殆ど霊的であると言うことが出来ます。

四、中間に位置する世界には善と悪とが混在しており、そこに住む霊達の持つ進歩の度合によって、どちらかがその世界を支配することになります。様々な世界を絶対的に分類することは出来ませんが、その世界の状態とその世界が持つ運命に従って、又その世界の最も目立つ特徴をもとに、一般的に次のように分類することが出来ます。人間の魂の初期の肉体化の為の原始的な世界、悪を克服する為の試練と償いの世界、更に試練に立ち向かうべき魂が新しい力を吸い込み、戦いの疲れを癒す更生の世界、善が悪に勝る幸運の世界、浄化した霊達の住む善だけが君臨する神の世界。地球は試練と償いの世界の分類に属し、だからこそ、そこにはこれ程までに苦しみを抱えた人々が住んでいるのです。

五、ある世界に生まれて来た霊は、いつまでもそこに留められるのでもなければ、その世界の中で、完成するまで実現しなければならない進歩のステップの全てを経るわけでもありません。霊達は、一つの世界においてその世界が与える進歩のレベルを達成すると、より進んだ世界へと進んで行き、それを純粋な霊の段階に至るまで繰り返して行きます。多くの様々な滞在地が存在し、それぞれにおいて既に達成している段階に達した進歩の要素が霊達に提供されるのです。彼等にとっては、より進んだ世界へ昇ることが報酬であるように、ある不運な世界での滞在が延長されることや、悪に固執する限り出ることの出来ない世界よりも更に不幸な世界へ追放されることは、罰となります。

地球の運命-地球上の惨めさの原因

六、
多くの人々が地球上にこれ程多く存在する悪意や粗雑な感情、あらゆる種類の惨めさと病に驚き、人類とはとても悲しいものだと結論付けてしまいます。こうした狭められた視野から下された判断は、全体に対する誤った考えを彼等に与えてしまいます。地球上には人類の全てが存在しているのではなく、人類のほんの一部しかいないのです。実際、人類という種は、宇宙の無数の天体に住む、理性を持った存在全てを含めて意味するのです。では、これらの世界に住む人口に比べ、地球上の人口とはどんなものでしょうか。ある大きな国に比べた、小さな村にも満たないでしょう。地球の運命と、そこに住む人々の本質を知るならば、地球上の人類の物質的、道徳的状況に何も驚くようなことはありません。

七、ある大きな町の郊外の、最も卑しく最低な地区の住人によって、その町全ての住人を判断してしまうのは誤った考えとなります。病院には、病気の人や、身体が不自由な人しかいません。刑務所には、あらゆる醜行、悪徳を見ることが出来ます。不健康な地区では、その住人の大半は青白く、痩せ細り、病的です。ここで、地球を郊外の地区、病院、刑務所の、全てが同時に存在する所だと考えてみれば、なぜ苦しみが喜びに勝って存在するのかを理解することが出来ます。健康である者を病院へ送ったり、悪いことをしていないのに刑務所に送ったりはしません。また、病院や感化院は歓喜の為の場所とはなりません。
 しかし、ある町の住人の全てが病院や刑務所にいることがないように、人類の全てが地球上に存在しているわけではありません。そして、病気が治ると病院を退院し、懲役を済ませば刑務所から出所するのと同じように、人類も道徳的な病を治癒した後には地球を去ることになるのです。

霊達からの指導

優れた世界、劣った世界

八、
劣った世界と優れた世界の性格とは絶対的なものではありません。どちらかというと、大変相対的なものです。ある世界が劣っているか、優れているかということは、進歩の段階の中でその世界の上又は下に存在する世界と比べた場合にのみ決まることです。
 地球を例として、劣った世界の住人を、私達の天体の原始的な時代の痕跡である原始的な生活を続ける人々や、未だ私達の間に存在する野蛮な人々にたとえてみれば、その劣った世界の状態がどのようであったかを考えることが出来ます。遅れた世界では、そこに住むものはある意味において原始的です。人間の形をしていても、美しさは存在しません。彼等の本能は、優しさや善意に弱められておらず、正義と不正を区別するほんの僅かな感情を持つまでには至っていません。彼等の間では粗暴な力が唯一の法です。産業も発明もない為、食物を手に入れることに人生を費やします。しかし神は、そのいかなる創造物をも見捨てることはありません。知性の闇の底には、ぼんやりと神の存在を感じさせるものが潜在的に横たわっています。この本能は、彼等の間にお互いの優劣をつくり出し、より完全な人生へと昇っていく準備をする為には十分なものなのです。というのも、彼等は堕落した存在なのではなく、成長しつつある子供であるからです。
 劣った段階と、より進んだ段階との間には、無数の段階が存在しますが、物質から解放されて、栄光に輝く純粋な霊達を見て、彼等もかつてはこうした原始的な霊達であったことを知ることは、人間の成人を見て、その人が胎児であったことを思い出すのと同じように困難なことです。

九、優れた段階へ到達した世界においては、道徳的・物質的生活の条件は地球上の生活とは非常に違っています。どの場所においてもそうであるように、そこでも体は人類と同じ形をしていますが、その形はより美しく、完成され、何よりも浄化されています。その体は、地球上でのような物質性を全く持っていないので、あらゆる肉体の必要性に束縛されることもなければ、物質に支配されていることによって生じる病気や肉体の老化に冒されることもありません。その知覚はより純粋になる為、地上の世界では物質の粗暴さが妨げとなっていた感覚をも捉えることが出来ます。体の特殊な軽快さは、容易で敏速な移動を可能にします。地面の上を重々しく体を引きずるのではなく、正しく描写するならば、意志以外の何の力も加えることなしに、表面を滑ってその環境の中を水平移動して行き、それは昔の人々が極楽における死者の霊魂を想像した姿や、天使達に表される姿と同じです。人類は自らの意志により過去の人生の面影を残すことが出来、生前に知られていた姿で出現します。しかし、その時には神の光に照らされ、内面の高尚な性格が形を変容させています。苦しみや感情によって打ちひしがれたような青ざめた顔つきではなく、画家達が聖人の周囲に後光や光輪を描いたように、知性と生命が輝いています。
 既に多くの進歩を遂げた霊達にとって、物質が与える抵抗は少なく、体は非常に早く発達し、幼年期は殆どありません。苦しみや心配から免れ、その人生は地上のものよりも均一的でずっと長いものです。第一に、寿命はその世界の段階に比例します。死が肉体の分解という恐怖をもたらすことなど全くありません。死は、恐ろしいどころか、幸せな変容と考えられる為、そこでは未来に対する疑いは存在しません。そこで人生を送る間、魂は鬱陶しい物質に束縛されることがなく、心を広げ、ほぼ永久にその魂を自由にさせてくれる光明を享受することが出来、自由に思考を伝達させることを可能にします。

十、こうした幸運な世界では、人々の関係はいつも友情に溢れており、野心によって誰かに妨害されたり、隣人を隷属化しようとしたりする者はなく、戦争が起きることなどありません。奴隷主と奴隷という関係のような、生まれ持った特権などは存在しません。ただ知性的・道徳的優位性のみが条件の違いを生み、優越を与えるのです。権威はいつもそれを持つ価値のある者だけに与えられ、いつも正義によって行使される為、全ての人々の敬意を受けることになります。人々は他人の上に昇ろうとはせず、自らを完成させることによって自分の上に昇ろうとします。その目的は、純粋な霊の部類に向かって駆け昇って行くことで、この欲求によって苦しめられることはなく、高貴な大志となって、熱心に勉強するように導かれます。そこで繊細に高められた人間的感覚は増し、浄化されています。憎しみや、つまらない嫉妬や、低俗な羨みというものを知りません。全ての人々を愛と同胞意識の絆が繋ぎ、強い者が弱い者を助けます。知性の度合に応じて、獲得した財産を所有しています。誰も必要な物が不足することによって苦しむことはなく、誰も償いの為に存在しているとは考えていません。一言で言うならば、そのような世界に悪は存在しないのです。

十一、あなた達の世界では善を敏感に知る為に悪が必要です。光を讃える為に闇が必要です。健康の価値を知る為に病が必要です。別の世界ではこのような対比は必要ありません。永遠の光、永遠の美、永遠の魂の平和が永遠の喜びをもたらし、物質的な生活の苦しみによって妨害されることはなく、また、そこには悪が近付くことが出来ない為、悪との接触によって動揺することもありません。そうしたことを人間の霊が理解しようとするのは非常に困難なことです。人間は地獄の苦しみは大変巧みに描きましたが、天における喜びを想像することは出来ませんでした。なぜでしょうか。それは、人間が劣っている為、苦しみや惨めさしか経験をしたことがなく、天の明るさを予感することがなかったからです。つまり、知らないことについて語ることは出来ないのです。しかし、人間が向上し、浄化されて行くに従って、地平線は延び、自分の後ろに存在する悪を理解したように、自分の前に存在する善を理解することになります。

十二、しかし、神はそのどの子に対しても不公平を働くことはなく、よって幸福の世界とは、特権を与えられた天体ではありません。そのような世界に到達する為に、神は全ての者に対して同じ権利と容易さを与えます。全ての者が同じ場所から出発し、優れたものが他人よりも恵まれるということはありません。最高の分類へは誰でも到達することが可能なのです。ただ、人間はそれらを働くことによって征服する必要があり、どれだけ早く到達出来るか、それとも活動することなく何世紀も人類のぬかるみに留まるかは、その人次第なのです。(八-十二 優秀な霊達からの全ての指導を要約)

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