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自殺してはならない霊的な理由

★『スピリティズムによる福音』

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自殺してはならない理由


『スピリティズムによる福音』目次


アラン・カルデック著 [スピリティズムによる福音]


アラン・カルデックについて


序文


序章

Ⅰ 本書の目的

Ⅱ スピリティズムの教義の権威 霊達による教えの普遍的管理
Ⅲ 歴史的背景

 ①ソクラテスとプラトン。キリスト教思想及びスピリティズムの先駆者達
 ②ソクラテスとプラトンの教義の要約
 ③キリスト教とスピリティズムは同じことを教えている



第1章 私は法を破る為に来たのではありません

 三つの啓示-モーゼ、キリスト、スピリティズム
 ○モーゼ

 ○キリスト
 ○スピリティズム

 ○科学と宗教の同盟


 ◆霊達からの指導

  □新しい時代



第2章 私の国はこの世のものではありません

 ○未来における生活

 ○イエスの王位

 ○視点


 ◆霊達からの指導

  □地上における王位



第3章 私の父の家には多くの住み家があります

 ○死後の世界における魂の様々な状態

 ○霊の住む世界の様々な分類

 ○地球の運命-地球上の惨めさの原因

 ◆霊達からの指導 

  □優れた世界、劣った世界

  □試練と償いの世界

  □更生の世界

  □世界の進歩

第4章 生まれ変わらなければ誰にも神の国を見ることは出来ません

 ○復活と再生(リインカーネイション)

 ○再生が家族の絆を強める一方で、人生が一度限りであれば絆は断たれることになる


 ◆霊達からの指導
 □受肉(インカーネイション)の限界
 □受肉の必要性



第5章 苦しむ者は幸いです

 ○苦しみの正当性
 ○現世に存在する苦しみの原因

 ○前世に存在する苦しみの原因

 ○過去の忘却

 ○甘受しなければいけない理由

 ○自殺と狂気

 ◆霊達からの指導

 
 □善い苦しみ、悪い苦しみ
 □悪とその薬

 □幸せはこの世のものではありません

 □愛する人の死、早過ぎた死

 □善人であれば死んでいた

 □志願して受ける苦痛

 □本当の不幸

 □憂鬱

 □志願した試練、本当の苦行
 □治癒する望みのない病人の命を短縮することは合法でしょうか

 □自らの命を犠牲にすること
 □他人の為に感じる苦しみの利益

第6章 救い主キリスト

 ○軽いくびき

 ○約束された救い主


 ◆霊達からの指導

 □真実の霊の出現



第7章 魂の貧しい者は幸いです

 ○魂が貧しいということはどういうことか

 ○自分を高くする者は下げられます

 ○博学な者や知識人に隠された謎


 ◆霊達からの指導

 

 □自尊心と慎ましさ

 □地上における知性的な者の役割

第8章 心の清い者は幸いです

 
 ○素朴さと心の清さ
 ○思考による罪。姦淫

 ○真なる清さ。洗っていない手

 ○恥。もしあなたの手が恥の原因となっているのであれば、切り落としてしまいなさい


 ◆霊達からの指導

 □子供達を私のもとへ来させなさい

 □目が閉じている者は幸いです



第9章 柔和で平和をつくる者は幸いです

 ○侮辱と暴力


 ◆霊達からの指導

 □愛想の良さと温和さ

 □忍耐

 □服従と甘受

 □怒り



第10章 憐れみ深い者は幸いです

 ○神があなたを赦してくれるよう、あなたは人を赦しなさい

 ○敵対者と和解すること

 ○神にとって最も喜ばしい犠牲

 ○目の中のおが屑と杭

 ○人に裁かれないよう、人を裁いてはいけません。罪を負わないものが最初の石を投じなさい


 ◆霊達からの指導

 □攻撃を赦すということ

 □寛大さ
 □他人を叱ることは許されますか。他人の不完全性を指摘し、他人の悪を広めることは許されていますか

第11章 自分を愛するように隣人を愛しなさい

 ○最大の戒め 自分にして欲しいと思うことを他人に行う 債権者と債務者の話

 ○カエサルのものはカエサルに返しなさい


 ◆霊達からの指導

 
 □愛の法
 □エゴイズム
 □信心と慈善

 □罪人に対する慈善
 □悪人の為に命を犠牲にするべきか



第12章 あなた達の敵を愛しなさい

 
 ○悪を善によって報いる

 ○他界した敵

 ○あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい


 ◆霊達からの指導

 □復讐
 □憎しみ

 □果たし合い



第13章 右手が行うことを左手に知られてはなりません

 ○見せびらかすことなく善を行うこと

 ○見えざる不幸

 ○やもめの寄付

 ○貧しい者、身体の不自由な者を招くこと。見返りを求めずに与えること


 ◆霊達からの指導

 □物質的な慈善と道徳的な慈善
 □善行

 □慈悲

 □孤児達

 □感謝されない善行

 □排他的な善行



第14章 あなた達の父母を敬いなさい

 ○孝心

 ○誰が私の母で、誰が私の兄弟なのでしょうか

 ○肉体的な親族と霊的な親族


 ◆霊達からの指導

 □恩知らずな子供と家族の絆



第15章 慈善なしには救われません

 ○霊が救われる為に必要なこと 善きサマリア人の話

 ○最大の戒め

 ○聖パウロによる慈善の必要性
 ○教会なしには救われません。真実なしには救われません


 ◆霊達からの指導

 □慈善なしには救われません



第16章 富と神の両方に仕えることは出来ません

 ○財産家の救い

 ○強欲から身を守る
 ○ザアカイの家でのイエス
 ○悪しき金持ちの話

 ○タラントの話

 ○神意に従った富の使い方。富と貧困の試練

 ○富の不平等


 ◆霊達からの指導

 

 □真なる財産
 □富の使い方

 □地上の財産への執着心を捨てること

 □財産の相続



第17章 完全でありなさい

 ○完全性の特徴

 ○善人

 ○善いスピリティスト

 ○種を蒔く者の話


 ◆霊達からの指導

 □義務

 □
 □上位の者、下位の者

 □この世の人類

 □肉体と霊を大切にしなさい

第18章 多くの者が呼ばれるが、選ばれる者は少ない

 ○結婚披露宴のたとえ話

 ○狭き扉

 ○主よ、主よ、と言う者が皆天の国に入るわけではない

 ○多くを受けた者は多くを求められる


 ◆霊達からの指導

 □持つ者に与える

 □行いによりキリスト教徒であることを知る



第19章 山をも動かす信仰

 

 ○信仰の力 
 ○宗教的な信仰。揺るがぬ信仰の条件
 ○枯れたいちじくの木の話


 ◆霊達からの指導

 □信仰-希望と慈善の母 
 □人間的な信念と神への信仰



第20章 最後に来た労働者達


 ○最後に来た労働者達

 ◆霊達からの指導

 □最後の者が最初になる

 □スピリティストの使命

 □主の労働者達

第21章 偽キリストや偽預言者が現れるであろう

 ○果実によってその木を知る

 ○預言者達の使命

 ○偽預言者達の奇跡 
 ○全ての霊を信じてはなりません


 ◆霊達からの指導

 □偽預言者 
 □真なる預言者の特徴

 □幽界における偽預言者達

 □エレミアと偽預言者達



第22章 神が結び合わせたものを引き離してはなりません

 ○解消してはならない結婚

 ○離婚



第23章 聞き慣れない教え

 ○父母を憎む

 ○父母と子を捨てる

 ○死者を葬ることは死者に任せる

 ○平和ではなく分裂をもたらしに来た



第24章 灯りを升の下に置いてはいけない

 ○升の下の灯り。なぜイエスはたとえ話で話すのか

 ○異邦人達のところへ行ってはならない

 ○医者を必要としているは健康な者ではない

 ○信仰の持つ勇気

 ○十字架を背負う。命を救いたい者は命を失うことになる



第25章 探しなさい、そうすれば見出せるでしょう

 ○あなた自身を助けなさい、そうすれば天があなたを助けてくれます

 ○空の鳥を見なさい
 ○金を手に入れることに悩んではいけません

第26章 ただで受けたのだから、ただで与えなさい

 ○神より恵まれた病を治す力

 ○支払われた祈り

 ○宮を追われた行商人

 ○ただで授けられる霊媒性



第27章 求めなさい、そうすれば与えられます

 ○祈りの条件

 ○祈りの効果

 ○祈ること-思考の伝達

 ○理解出来る祈り

 ○死者や苦しむ霊達への祈りについて


 ◆霊達からの指導

 □祈り方

 □祈りの喜び



第28章 スピリティストの祈り

序文



1 一般的な祈り

 

 ◎「主の祈り」 
 ◎スピリティズムの集会

 ◎霊媒への祈り


2 個人的な祈り

 
 ◎守護霊や保護霊への祈り

 ◎悪い霊を遠ざける為に

 ◎欠点を治す為に

 ◎誘惑に抵抗する力を求める為に

 ◎誘惑に勝つことが出来た時の感謝の祈り

 ◎忠告を求める為に

 ◎人生の苦悩の時

 ◎願いが叶ったことを感謝して

 ◎甘受と忍従の気持ち

 ◎切迫した危険を前に

 ◎危険から免れることが出来たことを感謝して

 ◎就寝の時 
 ◎近い死を感じた時

3 他人への祈り

 ◎苦しむ者への祈り

 ◎他人に与えられた利益への感謝の祈り

 ◎私達の敵や私達の不幸を望んでいる者への祈り

 ◎私達の敵に与えられた利益への感謝の祈り

 ◎スピリティズムの敵対者への祈り
 ◎生まれたばかり子供への祈り
 ◎危篤状態にある者への祈り

4 霊への祈り

 ◎死後間もない人への祈り

 ◎私達が愛情を抱いていた人への祈り

 ◎祈りを求める苦しむ魂への祈り

 ◎他界した敵への祈り 
 ◎犯罪者への祈り

 ◎自殺者への祈り

 ◎後悔する霊への祈り

 ◎強情な霊への祈り


5 病人、憑依に悩まされる者への祈り

 ◎病人への祈り 
 ◎憑依に悩まされる者への祈り



 スピリティズムの教義の要約

 家庭の福音を行いましょう

       
       
自殺志願者は、まず[自殺の霊的知識]を読んで!
[自殺の霊的知識]へ


 本書には、スピリティズムの教義に基づいたキリストの道徳的原理の解説、
 並びに、日常生活での様々な場面におけるその応用が著されている。

 揺るがぬ信仰とは、人類のどの時代においても
 道理と真正面から立ち向かうことの出来るものでなくてはならない。

 -アラン・カルデック


 序文

 天の美徳である神によって送られた霊達は、前進する偉大な軍隊のように、天命に従って地球上のあらゆる場所へと広がって行きます。流星のように行く道を照らし、盲者達の目を開かせていきます。闇を散らし、驕り高ぶる者を辱め、真に正しい者を讃える時代が来たのです。
 偉大な天の声は、ラッパのように鳴り響き、天使達はそれに合わせて合唱します。人類よ、あなた達を、神のコンサートにお招きします。あなた達の手でリラを奏で、あなた達の声を合わせ、宇宙の隅から隅まで響き渡る神聖なる歌を唄いましょう。
 親愛なる兄弟、人類よ、私達はあなた達と共にあります。お互いを愛してください。そして天におられる神の望みに身を任せ、「神よ、神よ」と唱えてください。そうすれば天の国へ入ることが出来るでしょう。

 真実の霊


●備考
 このメッセージは、霊媒を介して伝えられたものですが、スピリティズムの真なる性格と、本書の目的を同時に要約しているものです。その為、ここに序文として掲載致しました。
       
       
自殺志願者は、まず[自殺の霊的知識]を読んで!
[自殺の霊的知識]へ

序章

一、本書の目的

二、スピリティズムの教義の権威

三、歴史的背景

四、ソクラテスとプラトン。キリスト教思想及びスピリティズムの先駆者達

  ソクラテスとプラトンの教義の要約

  キリスト教とスピリティズムは同じことを教えている

       
       
自殺志願者は、まず[自殺の霊的知識]を読んで!
[自殺の霊的知識]へ

一、本書の目的

 福音書に記された内容は五つの部分に分類することが出来ます。
 一、キリストの生涯における出来事 二、奇跡 三、予言 四、教会の教義を確立させる為に用いられた言葉 五、道徳的な教え
 最初の四つの部分は議論の対象となってきましたが、最後の一つに関して異議を唱える者は誰もいません。この神聖なる法の前には、不信心さえも屈するのです。道徳的な教えは、全ての宗教が交わるところであり、この法の旗の下には、信仰の対象がどのように違っていようとも、万人が宿ることが出来ます。教義の違いが引き起こす、様々な宗教的論争の対象にはなり得ないものなのです。もし、これについて議論しようとするならば、その宗派は、自らに対する非難に出遭うことになるでしょう。又、そのような宗派は殆どの場合、一人一人の改革を強いる道徳的な部分よりも、神秘的な部分に執着しているものです。
 キリストの道徳的な教えとは、人類の個人的・社会的生活のあらゆる状況における行動の規則であり、最も厳格な正義によって築かれた、全ての社会関係の原則となるものです。幸福を手に入れる為に何よりも間違いのない道であり、ベールに覆い隠された未来の生活の一端を垣間見せてくれるものなのです。本書を発刊する極めて重要な目的はこの部分にあります。
 誰もが福音の道徳に感心し、その崇高さと必要性を唱えます。多くの人が、他人が言ったことを信じたり、格言と化した教えの言葉を用いたりしていますが、その深い意味を知る者は非常に少なく、そこから結果を引き出すことが出来る人は、更に少ないと言えます。それは殆どの場合、読み方が難しくて、多くの人が福音を理解出来ないからです。これでは、意味を理解することなく祈りを唱えるのと同じで、全く無益なことになってしまいます。福音の朗読が、義務感から強要されて行われるものになってしまっていることは否めません。
 福音を理解出来ない原因の一つとして挙げられるのが、装飾的な表現や意図的に神秘性を加えられた言葉の多用です。方々に散らばった道徳の規律は、物語の間に入り交じっている為に見失われてしまい、全体を一つとして理解し、朗読の対象となるものと、熟考の対象となるものとに区別することが出来なくなってしまうのです。
 これまでにも、福音の道徳に関する様々な専門書が確かに書かれてはいます。しかし、その現代的で文学的なスタイルは、素朴な簡潔さを失ったことで本来の魅力と威厳を薄れさせ、中には、最も際立った教えを、格言的な表現に簡略化してしまったものさえあります。簡略化された教えは気の利いた格言に過ぎず、その教えが伝えられた時の状況や場面の説明が伴っていない為に関心が奪われてしまっているのです。
 こうした不具合を避ける為に、本書では信仰する宗教が何であるかに関わらず、全世界共通の道徳の法として構成することの出来る条項を集めました。引用については、その考えを発展させる為に有効な箇所は残し、テーマに関連しない部分だけを除外しました。又、節の分割に関しても、サシー(Sacy)による翻訳に正確に従いました(→和訳注1)。しかしながら、教えを年代順に負うことが不可能なこと、又、そうすることによって得られる実質的な利点がないことから、相応する性格に従って系統的に分類し、一つ一つの教えが繋がっていくよう、出来る限り努めました。章の番号と節の番号を付したことにより、必要に応じて一般的な分類で調べることも出来ます。
 しかし、これは本書の物理的な特長であり、二次的な目的でしかありません。最も肝心なことは、曖昧な部分をきちんと解説し、生活のあらゆる条件に当てはめることを考えながら、教えを十分に展開させて、皆の手の届くところに置くことです。本書では、私達を見守ってくれている善霊達の助けを借りながら、そうすることを試みました。
 福音書や聖書など、一般的な聖典には不明瞭な部分が多く、中には本当の意味を理解する為の鍵が見当たらない為に、道理に適っていないのではないかと誤解を受けるようなものもあります。スピリティズムにはこのような鍵が完全な形で存在しています。教義を真剣に研究した者達を納得させたように、後になれば、その鍵がどれ程役立つものかを知ることが出来るでしょう。スピリティズムは、太古より人類のあらゆる時代、そして全ての場所に存在してきました。文献、信仰、記念碑等、あらゆるものの中にその形跡を見つけることが出来ます。曖昧さを解く鍵と長い歴史の中で育まれた英知が、未来へ向けて新しい地平線を拓くと共に、過去の謎に明るい光を投じるのです。
 各々の戒律について、補足として幾つかの指導を選択して加えてありますが、それらは様々な国で様々な霊媒を通じて霊達が伝えたものです。つまり、一か所だけから得られたものではないということです。したがって、特定の個人やそれを伝えた者達の影響を受けているというものではありません。この、様々な所から得られたという事実は、霊達が国や人種を超えて同じ教えを伝えていること、又、そうした教えによって、どんな特権を受けた者もいないのだということを証明するものでもあります。(→備考1)。
 本書は全ての者の為にあります。本書から全ての者が、キリストの道徳に則して行動する方法を知ることが出来ます。その方法とは、スピリティストにとっては特に関係の深いものです。人間と不可視の世界との関係が今後も永遠に成り立って行くおかげで、霊達が全ての国々に教えてくれた福音の法は、最早死語ではなくなるのです。なぜなら、一人一人がそれを理解することによって指導霊達の忠告に従い、継続してそれらを実践することを強いられることになるからです。霊達によってもたらされるこうした指導はまさしく天の声であり、人類の謎を解き明かし、福音の実践へと導いてくれるものなのです。

●備考1
それぞれのテーマに関して本書の中で引用されたもの以外にも、他の町や他のスピリティスト・センターにおいて多くの通信が受けられていたことが勿論考えられます。しかし、無意味な繰り返しによって単調になることを防ぐ必要があった為、又、基調と形式において本書の計画に最も適当なものに選択を絞らねばならなかった為、本書に記すことの出来ないものについては今後の出版の為にとっておくこととしました。
 霊媒達に関しては、彼等の名前を記すことは避けました。なぜなら、名前を記すことは自尊心を満足させることでしかなく、彼等はそのようなことには全く価値を見出さないからです。本当に真剣な霊媒は、霊達と通信するという自分の役割が、単に受動的なものであり、自身の価値を高めるものではないということをよく理解しています。その知性的な仕事に自分は機械的に協力したに過ぎず、驕ってしまうことが愚かであることを知っているのです。

●和訳注1
和訳においては、ここに記されたSacyによる翻訳を参照することが出来ない為、FEB版のポルトガル語訳の内容と、日本聖書協会発行の聖書(旧約聖書 1955年改訳、新約聖書 1954年改訳)を参照し、聖書の引用としました。
       
       
自殺志願者は、まず[自殺の霊的知識]を読んで!
[自殺の霊的知識]へ

二、スピリティズムの教義の権威 霊達による教えの普遍的管理

 もし、スピリティズムの教義が、全く人間だけの考えによって成り立ったものであったとしたら、この教義を実際に思い付いた人を啓発すること以外に、何の保証もすることは出来なかったでしょう。この世における唯一絶対の真理を手に入れようと考えることは誰にも出来ません。
 又、もし霊達が、啓示をたった一人の人間にだけもたらしていたとすれば、その啓示がどこから来たのかを誰にも保証することは出来ないでしょう。なぜなら、霊達から教えを受けたと主張する者一人だけの言葉を、私達は信じなければならないからです。その教えを、いやしくも私達がこの上なく誠実に受け止めたとしても、その者が出来ることは、せいぜい自分の周囲にいる人々を納得させること位でしょう。一つの宗派を設立することが出来たとしても、世界中の人々を集結させることは出来ません。
 神は、新しい啓示が最も速く正当な方法によって人類に届くことを望んだ為、地球の端から端まで啓示が運ばれて行くよう霊達に託し、霊達はあらゆる場所で啓示を残しました。特定の人間だけにその言葉を聞く特権を与えるようなことはありませんでした。啓示を受ける者が一人であれば騙されたり、間違えたりします。しかし何百万もの人々が同じことを見たり聞いたりした時には、そうではありません。更に言うならば、一人の人間を消すことは出来ても、全ての人を消すことは出来ないのです。そして、本を焼却することは出来ても、霊達を燃やすことは出来ません。たとえ全ての本を焼却したとしても、教義の源は無尽蔵であり続けます。それは教義の源が地上にあるのではなく、どのような場所にも現れる霊達の中にあるからで、誰もがそこに胸の渇きを癒すことが出来るのです。
 後は教義を普及させる人々がいればよいのです。霊達は、常に全ての人々に対して働きかけているのですが、そうした霊達の存在に全ての人が気付くわけではありません。その為、霊達は、無数の霊媒の力を借りて教義の布教を行っているのであり、世界中の様々な場所から教えを示してくれているのです。
 もし、ただ一人の紹介者しか存在しなかったとしたら、その通訳の内容がどんなに良いものであっても、スピリティズムはこれ程までに知られることにはならなかったでしょう。その通訳者がどんな階層に属していようとも、多くの人々から警戒され、全ての国々で受け入れられることはなかったと思われます。
 霊達は、地球上のあらゆる場所で、全ての国の人々や全ての宗派、全ての政党に対して通信してくれるので、誰もがそれを受け入れることが出来ます。スピリティズムには国境がありません。又、既存の宗教の一部をなすものでもありません。誰もが他界した家族や友人から指導を受けることが出来るのですから、社会階級を問うこともありません。そうでなければ、スピリティズムが人類全てを兄弟愛へと導くことが出来ないからです。中立的な立場を維持しなければ、不和を鎮めるどころか勢い付けることになってしまいます。スピリティズムの力と、その大変速い普及の理由は、こうした遍在性ある霊達が普及させているということにあります。
 たった一人の人間の言葉でしかなければ、出版という力を借りたとしても、全ての人々に知れ渡るまでには何世紀もかかることでしょう。それを、幾千もの声が地球上のあらゆる場所で、最も無知な者から最も博学な者まで、誰もがそれを受け継ぐことが出来るように、同じ原理を同時に宣言してくれるのです。これは、今日までに生まれたいずれの教義も享受したことがなかった有利な点です。したがって、スピリティズムが真理であるならば、人類に嫌われたり、道徳的な革命が起こったり、或は地球が物理的に崩壊したりすることがあったとしても、その影響が霊達のもとまで及ぶことはないのですから、恐れることはないのです。
 このような特別な立場にあることからスピリティズムに与えられた有利な点は、こればかりではありません。スピリティズムには、人々の野心や、霊同士の矛盾から生じるどんな意見の違いからも攻撃されることはないという保証があります。意見の相違が起こることが障害となることは間違いありませんが、善と悪とは隣り合わせですから、その障害自体が、その障害を取り除く薬を持ち合わせているのです。
 霊達は、自分達の能力には差異があって、真理の全てを手にすることはとても出来ないということを自覚しています。ある種の謎については、限られた霊にしか知ることが許されておらず、一人一人の霊の知識は、各々の浄化の程度に応じているのです。
 平凡な霊達は、多くの人間が知る以上のことを知ることはありません。しかし中には、人間同様、自分の知らぬことを知っていると思い込んで、己惚れたり知ったかぶりをしたりする者がいるのです。自分の考えが真実であると思い込む者もいます。又、自分達が描く理想郷を真の理想郷だと信じ込ませようと、自分達よりも高級な分類に属する霊の名前を平然と名乗って、人を騙そうとする霊がいることも知られています。結局のところ、現世的な偏見や考えを捨て去っているのは、物質的な観念から完全に脱却し、より高級な分類に属する霊達だけなのです。
 ですから、啓示を得たとしても、それが道徳的な教えの範疇から外れたものである場合は全て、その啓示が個人的な性格を持った不確実なものであると疑う必要があります。このような啓示は一人の霊の個人的な意見として捉えるべきであり、それを絶対的な真実として軽率に広めては、慎重さに欠けることになります。
 その啓示が確実なものかどうかを証明する為の第一の分析方法は、霊から伝えられた全てのことを、もれなく理性によって分析することです。良心や厳格な理論、既に得られている肯定的な事実に矛盾する理論は、それがどんなに表敬に値する名前によって署名されていたとしても、全て否定されるべきです。しかしながらこの分析方法は、自分自身に対して絶対的な自信を持っていない限り、行うのが難しいと言えます。実際、知識が欠けていたり、自尊心の強い傾向にある人が多かったりすることから、多くの場合、この分析方法だけでは不十分でしょう。では、他にどんな方法があるのでしょうか?大勢の人々の見解を求め、それを自分の意見の指針とすればよいのです。これは、霊達が私達に与えてくれている方法でもあるのです。
 霊達は、様々な場所で複数の人間に、同じ教えを示します。霊達からの教えが一致していることが、最良の真偽の証明になるのです。しかし、それがある決められた条件下で示されたものであることが大切です。例えば、ある疑わしき事項について、一人の霊媒が様々な霊に対して尋ねるというのでは、証明する力が弱くなります。なぜなら、その霊媒が憑依の下にある場合、もしくは人を騙す霊と結び付いている場合、その霊が同じことを様々な名前を用いて述べるに違いないからです。又、一つの集会所で様々な霊媒を通じて得られた教えが一致したとしても、やはり、霊媒達が同じ影響下にある可能性がある為、それが確実な啓示であることを十分に証明することにはなりません。

 霊達の教えの唯一の保証が存在します。お互いに知らない多数の霊媒達を通じ、様々な場所で霊達によって自発的に伝えられた啓示が一致していることです。

 これは、二次的な関心事に関する通信についてではなく、教義の原理に関した通信についてそうであるということに注意してください。経験によりある新しい原理が述べられる時、それは自発的に様々な場所で、同時に、その形式や真意までも同じ方法で伝えられるということが分かっています。ですから、もしある霊が、風変わりな方法で自分の意見を前面に出して真実を除外するようであれば、その意見は広まることなく、あらゆる場所において伝えられる確実な真理の教えの前に、必ずや崩されることになるでしょう。そのような事例は、これまでにも沢山あります。スピリティズムの始まりにおいて、可視の世界と不可視の世界との関係を支配する法が知られる以前には、こうした不一致を排除する方法が、部分的に現れた、霊現象に対する個々の独自の説明を崩していったのです。
 教義の原理を確立する際に、私達はこうした不一致を排除する方法に頼りました。霊達の教えの一致です。私達の考え方の一致ではありません。真実は、私達がつくり上げたものではないのです。ですから、「信じてください。なぜなら私達が信じなさいと言っているのですから」などと、私達が至上の真実の裁定者であるかのように主張することは決してありません。私達の意見は個人的な意見にしか過ぎず、それが真実であるにせよ偽りであるにせよ、他の考え方と比べて絶対に確実であるとも考えていません。私達がそのことを真実としているのは、単にある原理が教えられたからではなく、一致した容認を受けたからなのです。
 地上のあらゆる場所に、霊達からの通信を受ける、千に近い敬虔なスピリティズムの集会所があり、それぞれの受けた啓示が一致することで、どんな原理を確立しているのかを観察する条件が、私達には備わっています。この観察が、今日まで私達を導いて来たのです。そして又今後も、スピリティズムが新たに開拓しなければならない分野へと導いてくれるでしょう。なぜなら、フランス国内を始め、諸外国から来た通信を注意深く観察すると、それぞれの啓示には共通した特別なメッセージが込められており、スピリティズムが新しい方向に進もうと、前へ向かって大きく踏み出す時が来たことを示唆しているからです。
 これらの啓示は、隠された言葉によってなされることが多い為、それらを受けた人達にもしばしば見逃されてきました。又、自分達だけが啓示を得られるのだと、勘違いしてしまう人もいました。霊達から送られる啓示は、一つ一つを個別に受け取ったというだけでは、私達にとってどんな価値も持ち得ません。それらの通信内容が一致していることで初めて、重要性を持つことになるのです。各々が同じ意味の通信を受けていたことは、後に公開されて知ることになります。こうした全体的な動きについて、どう扱うかの判断を助けてくれている私達の指導霊達に助力を受けながら、私達は観察・研究したのです。
 こうして世界的に証明されることは、スピリティズムの未来永劫の普遍性を保証し、それに矛盾する全ての理論を打ち消すことになります。それを実現することが出来るようになった時こそ、スピリティズムは、真実の基準となり得るのです。
『霊の書』『霊媒の書』に著された教義が継承され続けて来たのは、人々がこれらの本に書かれたことを証明する啓示を、あらゆる場所で霊達より直接受けたからです。万一、霊達が、これらの本の内容と矛盾することを世界各地に出没して伝えていたとしたら、他の空想的な概念の全てが被ったように、これらの書物はとうに支持されなくなってしまっていたことでしょう。そうなると、いくら出版社が本を出したところで無駄な努力です。しかしながら、そもそも『霊の書』『霊媒の書』は、出版社から助けを得ることが出来ませんでした。それでも道を閉ざされることなく、速い速度で広まっていきました。そこには霊達の助力があったのであり、彼等が十分な意志をもって普及させたことになり、人間の悪意をも圧倒したのです。いかなる思想も、霊達から発せられたものであれ、人間から発せられたものであれ、あらゆる対決の試練に耐え抜くことが、誰にも反対出来ない力の存在を示すことになるのです。

 仮に、本書に対抗する内容の本を書くことに喜びを感じる霊がいたとしましょう。そして、敵意を持って、スピリティズムの教義の信用を失わせようと、偽の通信を引き起こしたとします。しかし他の全ての霊が、その霊と反対のことを言っていたとすれば、その霊が書いた書物が本書に一体どんな影響を及ぼすことが出来るでしょうか。どんな考え方であれ、自分の名を名乗って掲げるのであれば、このように多くの霊達との合意を得ようとしないことには、それが存続する為の保証を得ることは出来ません。たった一人の唱える主義主張と皆が唱えるものとの間には、一瞬から永遠までの距離があります。何百万もの友好的な声が届き、それが宇宙の隅々から家庭の中にまで聞こえ亘る時、それを汚し、その価値を失わせようとする論議に何が出来るというのでしょうか。この理論については、何も出来ないということを既に実証済みです。スピリティズムを倒そうと意図して、これまでに書かれた無数の出版物はどうなったでしょうか。その内の一冊でも、スピリティズムの歩みを遅らせることが出来たでしょうか。現在に至るまで、そのようなことが重要な問題として議論されたことはありません。いずれの書物も、それぞれが勝手な考えを伝えたのに過ぎず、霊達が伝える真の啓示に従ったものではなかったのです。
 一致の原則は、スピリティズムが特定の個人の都合のいいように変更を加えられたり、利益目的の宗派に変えられたりしないように保証するものでもあります。根本的な神意を曲げようとする者は、成功することはないでしょう。なぜなら、霊達の教えは普遍的なものであり、霊達は、真実から遠ざけようとするいかなる変更をも地に倒そうとするからです。
 こうしたこと全てから根本的な真実が導かれます。既に確立された公認されている考えに対抗しようとする者は、確かに、ごく限られた場所で一時的に動揺をもたらすことが出来るかもしれません。しかし、その時においても、又、未来においても、全体を支配することは決して出来ないのです。
 又、霊達によって与えられた指導であっても、それがまだ教義によって解説されていないことに触れており、孤立して存在している内は、それが法をなすものではないのだということを強調しておきます。故に、結局のところそうした指導は、今後解明されることが必要なものという制限付きで、受け入れられなければなりません。
 これらの指導を公表するか否かについては、この上なく慎重に吟味する必要があります。そしてそれを公表してもよいと判断された時には、必ず、それが正確な啓示であるという確認を事前にとった上で、まだ一致による容認を受けていない、個人的な意見に過ぎないものとして公開することが大切です。軽率であるとか、浅はかな信心だと非難されたくなければ、ある主義主張を絶対的な真実であると公開する前に、その確認がとれるのを待つことです。
 人知を超越した英知によって、優秀な霊達は啓示を行います。教義の大きな問題については、知性がより高い水準の真実を理解することが出来るようになるに従って、又その状況がその新しい考えを送信するに相応しくなった時、徐々に伝達していきます。このような計画があったので、最初から一度に全てのことを伝えなかったのです。今日においても未だ全てを伝えられてはおらず、だからといって、機が熟していない内から啓示を求めたところで、与えられるものではないのです。神がそれぞれの事柄に対して割り当てた時間を早めようとすることは、無駄なことです。なぜなら、時間を早めようとした時、本当に真剣な霊達はそれに同調することを拒むからです。軽率な霊は、真実に囚われることなく、全てのことに返事をします。その為に、機の熟していないあらゆる質問には、いつも矛盾した答えが返って来るのです。
 この原則は、個人的な理論によってもたらされたものではありません。霊達が置かれている状況から必然的にもたらされたものなのです。ある一人の霊があることをある場所で言う一方で、何百万もの別の霊がその反対のことをどこかで言うのであれば、推し量られる真実とは、たった一人、もしくはほぼ一人と見られる者が持つその考えの中にある筈はありません。誰か一人が、その他全ての者に反対されながら、理に適っていると主張しようとすることは、人間の間で理屈に合わないのと同様に、霊達の間でも理屈に合いません。本当に思慮深い霊達は、ある問題に関して十分に理解しているという自信がない限り、自分が絶対に正しいと主張して、その問題を解決することは決してありません。彼等は、自分の個人的な観点からその問題を扱っていることを宣言し、その確認を待つことを勧めます。
 その考えがどんなに美しく、正しく、偉大であったとしても、啓示を受けたばかりの時は、あらゆる意見を集約することが不可能です。したがって、複数の意見が衝突するのは避けられないことです。しかし、複数の意見を衝突させることは、真実をより際立たせる為には必要なことであり、偽りの考えが直ぐに取り除かれる為にも、早くから起きた方が良いことなのです。ですから、スピリティストはこれに関して恐れを抱く必要は全くありません。孤立したあらゆる思い上がった考えは、普遍性を持つ偉大で強力な基準の前に、自ら淘汰されることになるのです。
 ある一人の意見に他人が集まるのではなく、異口同音に発せられる霊達の声に集まるのです。それは一人の人や、私達や、スピリティズムの正統性を確立させることになる別の誰かでもありません。又は誰であれ、一人の霊が強要しに来るのでもありません。それは神の指示により、地球のあらゆる場所において通信する霊達の教えの普遍性に集まるのです。それがスピリティズムの教義の根本的な性格であり、その力であり、権威です。神はその法が揺るがぬ基礎の上に君臨することを望み、その為に一人の儚い頭をその基礎としなかったのです。
 派閥や妬み深い競争相手、宗派、国家さえも存在しない、それ程強力な審判の前には、あらゆる反対意見も、野心も、個人的な優位性に立った自惚れも崩壊してしまいます。私達が自分自身の考えによって至上の法を変更しようとすれば、自らを破滅させることになってしまうのです。神のみが論争すべき問題を決定し、異論者には閉口させ、道理に適う者にはその正当性を与えるのです。こうした天からの威厳あるあらゆる声の前に、一人の人間や霊の意見に何が出来るというのでしょうか。一つの意見、それは海の中に落ちて消滅する一滴の水や、嵐によって打ち消される子供の声よりも小さなものなのです。
 普遍的な意見こそが最高の審判であり、それは最後の時に発せられることになるのです。普遍的な意見はあらゆる個人的な意見によって形成されています。もしその内の一つが真実であれば、秤にはその相対的な重量しか示されないことになります。それが偽りであれば、その他の意見に対して勝ることはありません。この広大な集合の中に全ての個人的な偏った考えが消えていくことになり、人類の自尊心(→和訳注2)はここでも生き延びることが出来ないのです。
 神の意志の下に働く霊達の動きは既に出来上がっているのです。今世紀は、その働きが輝くことにより、不確実な部分を明らかにすることなしに終わることはないでしょう。既に土地は十分に耕されている為、今からその時までは使命を受けた力強い声が、人類を一つの旗の下に集めることになります。それが実現するまでの間、二つの相対する主義の間を彷徨う人には、一般的な考えがどちらの方向に向かって形成されていくかを観察することが出来るでしょう。その方向を正しく示すのは、様々な場所において通信する霊達の大半が発言することであり、それが、二つの主義の内のどちらが生き残るかを示す確かな印となります。

●和訳注2
「自尊心」という言葉には、「自分の人格を大切にする気持ち」という肯定的な意味もあります。しかしながら、自分の人格が他人と比べてより優れているとの思いから、「自尊心」が過ちの原因となってしまっているのも事実です。又、本書では神の基準から見た道徳性を扱っており、その前には不完全な人間が尊いと信じることも小さく映ってしまう場合があります。したがって、本書では「自尊心」という言葉が克服すべきものという意味で使われています。
       
       
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