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カテゴリ:★『霊の書』 > 霊の書 結語

霊の書 結語 目次

結語 地磁気といえば・・・

結語 諸君は、今世界を・・・

結語 心霊主義は唯物主義の・・・

結語 心霊主義の教えが、今日・・・

結語 人類の進歩は、正義と・・・

結語 心霊主義には三つの面が・・・

結語 時折・・・

結語 心霊主義者の・・・

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 地磁気といえば、たらいの水の中をぐるぐる回るアヒルの玩具しか知らない者。彼に、その玩具が宇宙のメカニズムや世界の動きの秘密を含んでいることは、とても理解できない。心霊主義の知識といえば、その運動の発端となったこっくりさん程度の事しか知らない者、これも同じようなものだ。こんな人は、それを娯楽か社会的な気晴らし程度にしか思ってない。この太古よりあり、しかも単純な現象が、心理学や人間生活の極めて重要な問題と関係があることは、とても理解はいくまい。皮相な観察者にとって、こっくりさんと人類の精神や運命との間に、どんな繋がりがあり得ようか。しかし、沸騰して蓋を持ち上げる単純なポット(それも太古の昔から沸騰はしていた)から、あの輸送に役立ち距離を制覇したモーターが生み出されたのだ。それと同じ事なのだ、物質界の外に何も認めない諸君達よ!諸君が嘲笑っていたこっくりさんから、新しい哲学を、これまで誰も解決できなかった問題に解答を与える哲学が引き出されたのだ。私は全ての正直な心霊主義の敵対者に訴える。諸君は自分の批判するものに対し、労を惜しまず研究されたかどうか。批判は、批判するものが何であるかを知らねば、何の価値もないことを思われよ。自分の少しも知らない事を、つまりこれまで良心的な考察課題にしたこともない事を、ただ嘲笑うことは、批判ではなく、自己の軽薄と批判力のなさを証明するにすぎない。我々がもし、この哲学を人間の頭脳の産物として披露するなら、確かに、軽蔑も受けず、今批判の先頭にある諸子から、研究を受ける栄誉を持つかもしれない。だが、この哲学は霊から引き出したのだと、主張している。何たる愚よ!寓話の中の猿は、殻によって実を判断する。そのように、これは、表題だけで物事を判断する人達からは、殆ど一瞥も受けることはないだろう。しかし、この書の源が何であるかの考えは、横に置いてもらいたい。そして、これを人間の業績と考えて、注意深く読んだ後、なお嘲笑うものがあるかどうか、正直に答えてもらいたい。

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 諸君は、今世界を侵そうとしている、軽信という病気の時代を癒したいと言う。諸君が蔓延を願っているのは不信、諸君はその不信の世界をむしろ見たいのか。家庭の絆を弛緩させ、社会を段々駄目にしていく多くの無秩序、それらの因ってくるところは、信仰の欠如にあるのではないか。心霊主義は、霊魂の実在と不滅を示し、来世の信を回復して、絶望する者に勇気を奮い起こさせ、世の浮沈に耐えることを可能にしてくれる。諸君はこれを悪というか。今、我々の前には、二つの教えが提示され、その選択が求められている。一つは、来世の生存を否定し、他方は、これを宣言し、証明する。一つは何も説明しないが、他は、全てを証明し、我々の理性に訴える。一方は利己主義を肯定するが、他方は、正義と博愛と隣人愛に基礎を置く。一つは、現在のみを示し、全ての希望を軽視するが、もう一つは、我々に広大な未来の生命を示して、慰めを与えてくれる。二つの内、どちらが有害であるか。
 我々に敵対する最も懐疑的な者達の中に、自らを友愛と進歩の徒と称するものがある。しかし、友愛とは私心のないこと、自分自身の自己犠牲を意味する。しかるに、何の権利があって、人に犠牲を課するのか。つまり、彼等は人間の死に対して次のように断言する、お前が死ぬと、何もかもお終いになるぞと。またこうも断言する、お前は明日にも、使い古した機械みたいに、ガラクタ同様捨てられてしまうぞと。もしこの通りならば、人間はなぜ貧乏に甘んじなければならぬのか。この短い時間を、出来る限り愉快に過ごそうと思うのが当然ではないのか。そこで、うんと快楽が得られるようにと、当然、沢山の物を所有したいと思うのではないか。こうして、この所有欲の為に、他の多くを所有する者達への嫉妬が生まれてくるのではないか。次いで、この嫉妬から、人の物を奪おうという、次の一歩が出て来る。この一歩を止める何かがあるだろうか。法律?だが、法律が全てをカバーできるとは限らない。良心?義務感?しかし、良心とは何か、諸君はどう考えられる?また、義務感をどんな基盤の上に諸君は置こうとするのか?もし、この人生をもって、全てが諸君と共に終るのなら、義務感にどんな動機、どんな目的をもたせられるか?このような信仰と結び付けて、ただ一つ、次の格言が浮かび上がってくる、[万人は自分自身の為にある]。友愛、良心、義務、人間性、進歩さえも、空しい単なる言葉である。ああ、このような教義を宣布する諸君、諸君はどれ程多くの害を社会に与えているか分からない、どれ程の罪の責任を自分に招いているか、諸君は知らない。しかし、我々は何故、責任という言葉を口にするのだろう。そのような種類のものは、唯物主義者には存在しない。彼は物にのみ敬意を表するのであるから。

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 心霊主義は唯物主義の最も手強い敵であり、それ故、敵対するものに唯物主義者がいても、別に驚くべきことではない。しかし、唯物主義は、これを信奉する者の多くが、自分が唯物主義者であるとは態度をはっきりさせない教義なので、彼らは屁理屈と科学を使って反対派を封じ込めようとする。彼等の矛先は、特に不可思議な事や神業に向けられており、彼等はこれを否定する。彼等によると、心霊主義は不可思議や神業に基づいているので、馬鹿げた妄想以上の何ものでもないと公言する。
 不思議なことだが、心霊主義に最も疑念を示すものの中に、宗教の名において、これら不思議現象を否定するものがある。彼等は心霊主義と同様、これら現象についても殆ど無知なのである。彼等が無闇に不可思議現象や神業の可能性を否定する時、宗教を否定しているのだということを考えない。何となれば、宗教は啓示や奇跡を根本に置いているからである。もしも人間以外の特別なものからの伝達がなければ、啓示とは一体何なのか。モーゼ以降、聖なるものの作家達は、これら伝達の命令を語っている。まことに驚異的にして超自然的性質の諸事実がないとしたら、奇跡とは何か。また、典礼の一般義よりすると、これら現象は品位を落とすものとして排斥するが、しかしこれら現象を否定したら、全ての宗教の根本を否定することになってしまう。しかし、我々が今問題とすべきはこの観点ではない。霊の顕示を信じることが、必ずしも奇跡の問題を解決することにはならない。即ち、神は、宇宙を支配する永遠の法から、場合により逸脱してしまうのか、それともそうではないのか、この点である。この点については、全ての者に信仰の自由が残されている。心霊主義は次のように述べこれを証明している。即ち、心霊主義が立脚している現象は、外見上は超自然であり、人によってはそう見える。と言うのは、これら現象はいつでも生起するものでないし、従来知られている諸事実の枠外にあるから。そうしてまた、過去に奇跡とされたもので、現在の科学が説明している現象が色々あるが、心霊現象はこれら現象以上の超自然的なものではない、以上の通りである。全ての霊的現象は、例外なく、一般法の結果である。これら現象は我々に自然の力の一つを示してくれる。それは従来知られていない力、ないし、理解できなかった力、しかし、観察してみると、自然体系の中に含まれる力であることが分かる、これらである。従って、心霊主義とは、宗教以上に、自然から外れた吃驚する事に立脚しているわけではない。この点に攻撃を加える者は、本当の姿を知らないから、そうするのである。科学の名において攻撃する者には、次のように言おう、諸氏がそれほど研究されているなら、「もし、諸君の言う科学が、かくも多くを諸君に教えてくれ、しかも、自然の領域が無限であることを教えていないとしたら、諸君の科学とはまことにケチなものである」と。

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 心霊主義の教えが、今日各方面に拡がり、世界を侵しつつあると、こう慨歎して、公然と反対する人達がいる。全て理性と事実に基礎をもたない意見は、一般化し得ない。従って、心霊主義が、今日、各方面に定着し、色々な階層の人達を改宗させ、特にインテリ階層までそれが及んでいるとしたら、それは真理に根ざしているからに違いない。従って、これを非難する人々の努力は全て空しく終わるだろう。この事は次の事実ではっきりしている。心霊主義に嘲笑を投げつけ、それによって発展を阻止しようと積み上げた嘲笑が、逆に心霊主義に新しい生命を与えているように見える事。このような結果は、我々の霊友達が絶えず言ってきた確信を、十分に正当化してくれるものである。彼等は再三再四、我々にこう告げている、「反対があるからといって、不安がることは何もない。皆さんに反対してやる事なす事、全てが皆さんの利益となって返ってくるでしょう。最も酷い反対者も、本人の意に反して、皆さんに役立つことになろう。神の御意見に逆らえば、人間の意志など何の役にも立たない」と。
 心霊主義の精神的な教示を通じて、人類の運命は新しい段階に入るだろう。この精神的進歩の新しい段階は、心霊主義の信条のもたらす不可避の結果である。心霊主義思想の急速な拡大は、別に驚くような事ではない。それは、心霊主義を知性と誠意をもって受け入れる者に与えられる深遠な満足、これによる。幸福は何にもまして人間が望むもの、故に、その思想を持てば幸福一杯になれるというなら、人々がその思想を受け入れるのは、別に驚くべきことではない。
 心霊主義思想の発展過程は、明確に三段階に別れる。第一段階、好奇心の段階で、現象の不可思議さに興味を持つ。第二段階、その理論と哲学への関心。第三段階、その実践とその成果の段階。好奇心の時代は既に経過している、好奇心をもつ時間というのは短いものだからである、人間の心は、何か珍しいものに対して満足すると、すぐに目移りしてしまう。真面目な思考力を喚起したり、良識に訴えたりする事についてはそうではないが。第二段階は既に始まっている。そして第三段階が間違いなくこれに続いて起こるであろう。心霊主義の進歩は、その本質が何であるか、どのような面に影響が及ぶのか、これらが正しく理解されるようになってから、格別に進歩が早まった。何となれば、それこそ人間が一番敏感に感じる本質に触れているからである。即ち、人間の幸福への願望、これである。これこそ人々が今日でも求めて止まないもの。既述のように、これが心霊主義が広く一般に受け入れられる理由である。又、勝利への力の秘密である。心霊主義はこれを理解する者達に幸福を与える、それが漸次大衆に浸透していく間にも。心霊現象を全く見たことがなくても、多くの心霊主義者は次のように語るであろう、「心霊現象はともかく、心霊の哲学は、これまで誰も説明しなかったことを説明してくれる。この哲学は理性にのみ基づき、甚だ合理的である。そして、死後はどうなるかなど、私に一番大事な問題を辻褄が合うように説いてくれる。これは私に心の安定と、自信を与えてくれる。これによって、私は心からすっかり不安が消えてしまう。その効果の価値たるや大変なものだ。こういう事からすると、心霊の物理的現象などは、私には第二義的な問題である」と。
 
 この哲学に反撃を加える者に向って、我々は次のように答えよう、「反撃に成功したければ、次のようにされるがよい。この哲学に代わるもっと良いものをお出しなさい。この哲学が解決する以上に、哲学的な解答を見つけて来なさい。人々をこれ以上に幸福に出来る、別の確実なものを人々に与えなさい。但し、諸君は[確からしさ]という言葉の意味を、ちゃんと分かっていてもらわねば困る。人々にとって確実とは、本人にとって筋が通って納得がいくということである。諸君は、それはそうではない、と唯こう言うだけで済ましていてもらっては困る。それは余りにも安易な態度である。諸君は、否定によってでなく、事実によって物事を説明せねばならぬ。即ち、我々が存在すると言っているものに対して、諸君は、それは存在しない、存在したことがない、存在する筈がない、故に存在しないのであると、唯こうでは困る。諸君は、諸君がこれぞと思うその事自体を提出してもらわねばならぬ。また、諸君は、心霊主義が人々を改善しないということ、それ故に、人々を幸福にしないということ、これを証明せねばならぬ。それも、心霊主義の教え-それは、福音書のあの崇高素朴な精神、人々があれほど尊敬し、しかし実践は殆どしない-あの心霊主義精神の実践によっても、人々を幸福に出来ないということを証明せねばならぬ。もし、諸君がこれをやり終えれば、心霊主義を攻撃する権利をもつというものである。
 心霊主義はその基礎を、宗教性そのものに置くので強靱なのである、即ち、神、魂、未来の応報と罰、これらである。これら応報と罰が現実生活の自然の結果であるということを、それが示してくれるのである。また、それは未来の生活を如実に描いて見せてくれる、それはどんなに論理的な人の目からも、理性に反するものは何一つないのである。死後の生命を否定する諸君等、諸君等は現世の苦しい生活に対し、どんな慰めが提出できるか。諸君等は、不信、その上に諸君等の教えを置く。心霊主義は神への信、そこに基礎を置く。心霊主義はすべての人を、幸福と希望と真の友愛に導く。これに対し、諸君等は、未来に死滅を、現在の生においては、自慰としての利己主義を、人々に教える。心霊主義は全てに説明を与える、諸君等は何一つ説明をしない。前者は事実によって証明をする、諸君等の主張には証拠がない。この二つの教えの間を、世界が揺れ動くとすれば、諸君等の感懐や如何。
 心霊主義の強みは、その心霊現象にあると思われている。従って、現象の生起を妨害すれば、それにとどめが刺せると、こう考える向きがあるが、これは大きな間違いである。心霊主義の強みは、その哲学にある、それが理性と常識に訴える、その点にある。その教えは、古代にあっては、神秘的な研究の対象で、一般人民には用心深く秘密にされていた。今日では、何ら秘密ではない、はっきりと、曖昧さも隠すところもなく、誤解を生む余地のないように語れる。今や真実を語る時が来ている、従って、言葉も誰にでも分かるような言葉を使う。その輝きの拡大が妨害されるどころか、新しい啓示が全人類に向って向けられている。それは盲目的な容認を求めておらず、全ての人にその信の基盤を調べるように求めている。また、この教えの基礎は理性であるから、その論拠を死後消滅に置く者達よりも、常に強力であろう。一体、心霊現象の生起を妨害して、これを邪魔することが出来るものだろうか。出来ない。そんな事をすれば、迫害の逆効果が出るだけだ、つまり、好奇心を煽ること、禁じられたものを知りたいという願望を起させること。もし、霊的現象が唯一人の人にしか起せないのなら、その一人の行為を妨害すれば、それでお終いである。だが、我等が敵の諸君にとって災いなるかな。こうした霊的現象は誰にだって出来ることだ。身分の高下を問わず、住む家の大小を問わず、誰でもあり得ることである。公共の場で霊的現象の生起を邪魔することは可能だろう。だがご承知のように、現象の成功率が高いのは、公共の場ではなく、個人的な会の場合である。従って、霊媒を務めるのは何処かの誰かである。それをどうやって妨害など出来よう。ひっそりと何処かの家庭で行われているどこかの家族を、個人的に実験室で行っているその個人を、独房でさえも行われるその囚人を、それも、妨害者達が彼等の面前にそれぞれ行って、そこに現れる霊達との交通を、一体どうやって妨害できるのか。もし一国で霊媒行為が禁止されても、どの大陸にしろ国は一つではない、霊媒のいない国はない、だからどうやって、世界の他の地域での霊媒活動が禁止できよう。全ての霊媒を締め出す為に捨てたとしても、すぐに再版されよう。何となれば、これら書籍の本源は攻撃の手の届く範囲にはない。これらの真の作家は霊達、これを監禁したり、焼いたりすることが出来るものではない。 
 心霊主義は、人間の作品ではない。誰一人その作者と言える人物はいない。何故なら、それは天地創造と共に古いからである。それはあらゆる処に、あらゆる宗教の中に、なかんずくカトリック教の中に、強い説得力をもって存在する。カトリック教の教条には、心霊主義の全てが包含されているから。つまり、色々な段階の霊の存在、それら霊と人間との神秘で特有な関係、守護の天使達、生まれ変わり、正者の幽体離脱、千里眼、幻視、幽霊を含むあらゆる種類の霊的現象。悪魔とは、邪悪霊に過ぎないこと。ただ、悪魔は永久に悪の運命が負わされており、邪悪霊には進歩の道は閉ざされていない、この信仰上の点は別として、両者間には名称の相違があるだけである。
 近代心霊主義、これが担うべき特有の仕事は何か。これまでバラバラになっていたものを、一つにまとめることである。従来例え話で語られていたものを、明晰で正確な言葉で説明することである。人間の信仰の中から、迷信と無知の産物を除去し、真実で事実であるもののみを残す作業である。上記がその使命である。創造者の使命は含まれていない。それが既に存在すること、それは明らかである。近代心霊主義は統合を行い、何一つ新しい創造をしない。これら要素は、あらゆる国々、あらゆる時代のものだからである。これでは、一体誰が、嘲笑や迫害で心霊主義の息が止められると、いい気になっておれようか。仮に或る場所で追放に成功しても、他の場所にまた出現したり、追放したその場所に再び出現するかもしれない。何故かというと、心霊主義は物の本質の中に存在するものであり、また、誰も自然の力の一つを絶滅出来るものではないし、神の掟によるものを禁止することなど出来るものではないからである。
 心霊思想の拡大に反対して、いかなる政府が、いかなる利益を得られるというのか。心霊思想は、事実、高慢と利己主義から出る悪弊に反対する。だが、こういう悪弊は少数者には利益があっても、多数の者には有害である。それ故、心霊主義は大衆の味方である。これに対し、心霊主義の敵は、心霊主義が反対するこれら悪弊によって利益を握る者達である。政府は心霊主義の普及に何一つ恐れることはない。それどころか、その思想傾向からして、人々の間に博愛を広げ、物欲に貪婪(どんらん)となることを抑え、神の命に従順なるものとし、これらをもって国家の為、国民は秩序と平安を保証する者となるのである。」

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