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カテゴリ:★『霊の書』 > 霊の書 地上界での霊の介入

霊の書 地上界での霊の介入 目次

霊が我々の思想を覗く

我々の思想や行為に霊が及ぼす影響

憑依

けいれん

霊が人に及ぼす影響

守護霊・守護天使

虫の知らせ

人生の出来事に及ぼす霊の影響

自然現象の創造における霊の作用

戦闘中の霊達

霊との契約

魔力、魔除け、魔法使い

祝祷(しゅくとう)と呪詛(じゅそ)

○霊は我々のしていることを何でも見ているのですか。
「そうしたいと思えば、それは出来る。霊があなたの傍にいつもくっついていればだが。しかし、実際には霊は自分が注意を向けたものだけを見ている。自分に興味のないものには注意を向けないのである」

○私共の一番隠している気持を霊は見抜けますか。
「諸君が隠したがっていることを、霊が見抜いてしまうことはよくある。思想でも行為でも、霊から隠すことは不可能である」
-では、人間同士でも、その人が生きている間に隠せても、死んでしまえば隠せぬという事ですか。
「その通り。どんなに人の目から隠したいと思っても、あなたの周りには沢山の霊魂がいて、あなたを見ている」

○私共の周りにいて私共を見ている霊は、私共のことを何と思っていますか。
「それは霊の質によって違う。つまらぬ霊共は、諸君らに些細な悩みを引き起こしては楽しみ、焦らせては笑いものにしている。真面目な霊は、諸君等の欠陥を哀れんで、それを直してやろうと助力を与える」

○霊は私共の思想や行為に影響を与えますか。
「その影響は諸君が想像するより大きい。諸君の思想も行為も、これを動かしているのは霊達であるから」

○私共は、自分自身から生まれる思想と、他より伝えられる別の思想とをもつのですか。
「諸君の魂は、思考する霊である。諸君等はこれまでに、同じ問題についても、多くの思想が、時としては丸反対の思想が同時に起こることも知っておろう。その場合、そのあるものは諸君自身のものだし、あるものは我々霊のものである。これが諸君等をためらわせる、諸君等はこのように心中に互いに相対立する二つの観念をもつものであるから」

○どうしたら自分の思想と、外部から受取った思想を見分けられますか。
「外部から思想が来る時は、囁きかける、声のような具合にである。自分の思想の場合は、先ず心内に湧き起こるものである。実は、この区別は諸君等に、実際上は重要ではない。区別できないことの方が諸君の為に良いことが多い。これにより、人間の行動は大いに自由になるわけだ。もし正しい道を選べば、いっそう自発性を発揮することになり、誤った道を選べば、はっきり自分の誤りの責任となるから」

○知的な人や天才は、常に自分の心中から、その観念を引き出しているのですか。
「その観念は本人の霊から湧くこともあるが、他の霊から来ることもしばしばある。その場合、霊の方は、その観念を本人が理解できること、それを伝えるに値することをちゃんと判断して伝える。求める着想が自分の中に無ければ、彼等は無意識でインスピレーションを求める。即ち自分では気付かずに、一種の口寄せを求める」

○思想は最初の発想が最も善い、と言われますが、本当ですか。
「当人の霊の性質いかんで、善もであり、悪のこともある。大事なことは、良いインスピレーションに常に耳を傾けることである」

○囁かれた思想が善霊から来たのか、邪霊から来たのか、これを確かめる方法がありますか。
「その性質で見極めなさい。善霊は常に良い助言を与えるもの、この善か悪かを見極めるのはあなたである」

○未熟霊はどんな目的で、私共を悪に誘うのですか。
「自分等と同じ災いに諸君等を陥れようとしてである」
-それによって、彼等の苦しみが減るのですか。
「いや、彼等は自分達より幸福な者への嫉妬心からそうするのである」
-彼等はどんな災いを私共に与えようと思うのですか。
「下劣な者達、神からずっと隔たった者達がもたらす、そういう災いである」

○神はなぜ、霊達が私共に悪へ誘うのを許し給うのですか。
「人の信と善への節操を試みる手段として、未熟霊が使われる。諸君、霊である者達は、無限なるものへの知を深めねばならない。善に至る為には、諸君は悪の試練を通らねばならない、この目的の為である。我等の使命は諸君等を正道に導くことにある。もし諸君が悪の影響に踊らされるなら、それは諸君等の自らの意志によって邪悪霊を呼び寄せたのである。何となれば、邪悪霊共は諸君等の望む通りに、悪の手助けをしようと常に待ち構えているのであるから。諸君の方で悪の道を希望する時のみ、彼等は諸君の為に悪の手助けが出来るのである。もし貴方が殺人したい気持をもてば、あなたの周りには、この希望を実現させてやりたいと、待ち構えている霊魂がひしめいているのである。同じく、あなたの周りには、あなたを善へと誘おうとしている諸霊も取り巻いている。これでバランスが取れるのであり、決断はあなたに託されている」

○私共は、悪に誘おうとする霊達の影響を受けないように出来ますか。
「出来る。彼等が近付く人間というのは、本人の思想や欲求の中に、彼等を引き付ける悪い性質があるからである」

○私達が反発すれば、彼等は誘惑が出来ないので、諦めますか。
「その外に何が出来るか。目的が達成できないと見てとれば、彼等は諦める。しかし、彼等は虎視眈々とチャンスを狙っている。猫が鼠を狙う具合に」

○邪霊の影響を骨抜きにする方法は何ですか。
「正しい事を為すこと、全き信を神に置くこと。これによって邪霊の影響は撥ねつけられ、その力が諸君に及ぶことはない。悪い思想を唆すもの、不調和な気持を起させるもの、邪悪な感情を刺激するもの、かような霊の囁きに一切耳を傾けぬ注意が肝心。特に諸君に媚びへつらう者を信用してはいけない。と申すのは、このへつらいによって、彼等は諸君の弱点を突いてくるのである。イエスが主の祈りで、諸君等に言わせている理由はこれである[私共が誘惑に負けぬよう、私共を誘惑から救い出し給え]と」

○私共を悪に誘い、私共の心を試そうとする霊達は、そういう使命を受けているのですか。またもしそうならば、彼等にはその責任があるということですか。
「悪へ誘う使命を受けている霊などは存在しない。彼等がそうするのは自分の意志でそうするのであり、従って、その悪業の結果は自分に返って来る。神は彼等の悪の業を許し給う。しかし神がそれを命じられたわけではない、これを撥ねつけるのは諸君である」

○私共はこれという原因もなしに、理由のない不安感、動揺、または内心の満足感を感じることがあります。あれは身体の状態からそうなるのですか。
「その多くは、諸君の周りにいる霊魂との、無意識の交流によって起こるのである。また、睡眠中にその交流がなされることもある」

○霊が私共を悪に誘うのは、私共のもっている状況をうまく利用してそうするのですか。それとも、霊が自分で都合のよい状況を作り出してそうするのですか。
「それは都合のよいチャンスを見付けてそうするのだが、彼等自身で作り出すこともよくある。つまり本人が気づかなくても、本人の欲望に沿って囁きかける方法で。例えば、路傍で一束の紙幣を拾うとする、この金は霊がそこへ置いたと思ってはいけない。しかし、霊はそこを通るように本人に囁きかけるかもしれないのだ。本人がこの金を見つける、すると霊はこれを着服するように本人に囁く。他方、落とし主に返せという声も聞こえる。試練は全てこのように行われる」

○霊は生者の肉体を一時的にまとうことが出来ますか。つまり、生者の肉体に入って、本人の霊に代わって活動できますか。
「霊は諸君が家の中に入るように、肉体に入るわけではない。霊は自分と同様な長所短所をもつ本人の霊に自分を同調させ、両者が連合して活動できるようにするわけである。しかし、肉体を使って思うように行動するのは本人の霊の方であって、肉体所有者の本人の霊にとって代わるような霊は一つもない。霊と肉体とは、摂理により寿命が終るその時まで、しっかり結合されているのである」

○一般概念でいう「憑依」-一つの肉体に二つの霊が住み着くこと-はないとしても、次のようなことはあり得ますか。即ち、他の霊がとりついた為に本人の霊の意志が麻痺して、その支配を受けるということです。
「それはある。諸君が憑依と呼ぶのはこの場合である。しかしながら、この支配は本人の弱さ(注)又は自由意志が原因で起こるものであって、これ以外では決して、起こらぬことを知って貰いたい。人々はよくこの憑依と、てんかんや狂気をとり違える。後者の場合は除霊よりも医師の助力が必要である」
(注)本人の意志が強く反抗しても、憑依霊の支配下に入れられてしまう「弱さ」とは、本人の悪行に対する懲罰と償いの結果である(その悪行とは、現在の地上生活の場合も、前生の場合も、どちらの場合もある)
〔注解〕「憑依」という語は、常識では、悪魔が存在するということ、又、一つの肉体に本人と悪魔の二つの魂が共存するということ、このことを予想させる。しかし、悪魔という言葉に該当するものは存在しないし、二つの霊が一つの身体に共に住み着くということもあり得ない。だから「憑依」という言葉で常識的に言われているような事は存在しないのである。「憑依される」というのは、本人の霊が、未発達の霊に従属させられて、言いなりになっている状態をさして言う言葉である。

○人は自力で憑依している邪霊を追い払い、その支配から自由になることが出来ますか。
「固くそのつもりになるなら、くびきを振り切ることは可能である」

○邪霊はとりつき方が上手いので、本人はとりつかれていることに気付かないのではありませんか。こんな場合、第三者がその縁を切ってやることが出来ますか。この時の縁を切る方法とは何ですか。
「高潔な人間の意志力が、善霊の協力を引き寄せ、この救いの仕事に有効である。人が高潔であればある程、邪霊を追い払い、善霊を引き寄せる力は強い。しかしながら、この場合も、憑依されている本人の方で努力しなければ、どんなに力のある人でも力は働かない。何となれば、低級な欲求に仕え、他力に依存していてはどうしようもないからである。心に不純なものがある人は、どんな場合も、少しも救いの力を働かせることは出来ない。何となれば、善霊はこれを軽んじ、邪霊はこれを少しも怖れないからである」

○御祓いの文句は邪霊祓いに効果がありますか。
「少しも無い。一生懸命御祓いをやっている者を見て、邪霊共はこれをあざ笑いながら、憑依を続ける」

○善意の人が憑依されることがありますが、憑依霊から逃れる一番いい方法とは何でしょうか。
「辛抱しきれなくさせること。囁きに耳を貸さぬこと。無駄だということを思い知らすこと。何も出来ないことが分かれば、彼等は退散する」

○祈りは、憑依を解くのに有効ですか。
「祈りは助力を得るに有効な方法である。しかし祈りの言葉などは何の効果もない。神は自らを助ける者を助ける。そして、力の出し惜しみをする者を助けない。それ故、憑依された者は、邪霊を引き寄せている欠点を取り除こうと、最大の努力をすることが必要である」

○聖書に、悪魔を追い払ったとありますが、あれはどう考えたらよろしいですか。
「悪魔という言葉のとりようで、色々になる。この言葉を、人間を支配している邪霊という意味でとるなら、その邪霊の影響をなくした時、明らかに悪魔は除去されたことになる。もし病気の原因を悪魔とみるなら、病気が癒された時、悪魔は払われたことになる。言葉に含まれている意味によって、記述は真実にもなり偽りにもなる。表面に現れていることだけでものを見たり、たとえ話を事実と受取ったりすると、一番大事な真理が荒唐無稽となる。この原理を心にとめておきなさい。これは普遍的な何にでも適用できる原理である」

○「けいれん」と言われる現象がありますが、あれにも霊が関係していますか。
「大いに関係がある。いわゆる磁気も作動因だが、霊も重要な因をなしている」
-この種の現象に関係している霊は、どの程度の霊ですか。
「ややましな霊達である。高級霊がこんなことに時間を浪費すると思いますかな」

○一団の人々が突如けいれんというか、異常な興奮状態に投げ込まれますが、あれはどういうことですか。
「あれは共感による。精神性向は時に極めて伝染性を示す。諸君には人間磁気の影響が判らぬこともないと思うが、この場合、霊魂も人々と交感しつつ、現象生起に一役買っているのである」
〔注解〕「けいれん」には不思議な特性が色々あるが、夢遊病や催眠術が示す例と一致するものが数々ある。無痛覚、読心、思想伝達、異常興奮等々。それ故、この原因は、無意識の相互作用で生起する、いわば覚醒時の夢遊病、これであろう。彼等は自分では無意識ながら、催眠術者であり同時に被催眠者である。

○けいれんの場合、時には無痛覚、他の者の場合は極度の苦痛が起こりますが、この原因は何ですか。
「あるものは、単に神経に人間磁気が作用して生起するのである。他の場合は、精神が興奮した結果、肉体感覚が失われるのである。つまり、霊に生命が集中され身体から後退する、そのようなことである。諸君も経験があるのではないか、霊が何かに没頭すると、身体は何も感覚せず、見ず、聞かずということを」

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