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カテゴリ:★『霊の書』 > 霊の書 地上への再生

霊の書 地上への再生 目次

再生の序曲

霊肉の結合

道徳的、知的能力

肉体の影響

白痴-狂気

幼年時代

地上での愛情や反感

前世の記憶を失うこと

○霊は地上へ再生する時期を予知しますか。
「彼等は再生の予感はもつ。それは丁度、盲人が火に近付きながら熱さを感じるように。彼等は自分がいつか再生することは知っている。それはあたかも、諸君等がやがて必ず死ぬことを知っているのと同じように。ただ、いつ再生するか時期は知らない」
-では、死が地上生活に避けられないように、再生は霊の生活に不可避のものですか。
「そのとおりだ」

○霊は皆、来るべき再生に備えて、一生懸命ですか。
「中には、そのことに一考も与えず、また何も知らない霊魂もいる。これは進歩の程度によって違ってくる。場合によっては、自己の未来に何も気付かない不安定性は、一種の懲罰である」

○自分の再生の時を早めたり、遅らせたりすることが出来ますか。
「強力な希望を持てば、早めることは出来よう。又、前途の試練に尻込みして、これを遅らせることも出来よう(霊にも、人間同様、卑怯者や無関心な者もいるのだ)、だがそんなことをすれば、必ずや罰を受けることになる。このような遅延は本人を苦しめることになる。それは丁度、病人がびくびくして、適切な医療を遅らせる為に苦しむようなものだ」

○他界の中くらいの境涯にいる霊が、そこで幸福を感じているとすれば、いつまでも無限にその境涯に居続けることは可能ですか。
「いや、無限にというわけにはいかぬ。遅かれ早かれ、どんな霊でも進歩の欲求が起こってくる。すべての霊は進歩せねばならぬ、それが霊の天命である」

○魂がどの肉体に宿るかは、予め定められていますか。それとも生まれる時になって、たまたま選ぶのですか。
「一つの肉体に宿る霊は前もって予定されている。霊は自ら次に担う試練を選ぶが、その時再生したい気持になる。全知全能の神は、その時、既にその霊がどの肉体に宿るかを知り給うている」

○霊は自分で宿りたい肉体を選ぶことが許されますか。それとも、自分の試練に適した人生を選ぶだけなのですか。
「霊はまた肉体を選ぶかもしれない。何となれば、もし欠陥のある肉体を選べば、それは本人の進歩に役立つ大きな試練となるから、但し、彼がその障害をうまく克服すればだが。この選択は必ずしも本人次第ではない、しかし彼はその選択が許されるよう求めるかもしれない」
-いざ生まれる段になって、自分の選んだ肉体に入るのを拒むことが出来ますか。
「そんなことをすれば、新しい試練を担おうとしなかった人以上に、厳しい苦しみを受けることになろう」

○もう生まれるばかりの赤ん坊に、未だ宿る霊が定まっていないということがありますか。
「神はあらゆる場合に備えておられる。この世にちゃんと生を享けるように定められている子供には、ちゃんと魂が宿る手筈になっている。計画なしで何ものも創造されることはない」

○この魂はこの肉体に宿るべしと、神によって特に強制されることがありますか。
「時にはそういうこともある。それは、霊魂の中に、試練を強制される者があるのと同じことだ。こういうことは特に、その霊が遅鈍で、自分ひとりでは賢明な選択が出来ない場合に多い。罪の償いの為に、ある霊は、特定の赤ん坊の身体に宿らされることもある。やがてその赤ん坊が入る境遇や地位次第では、その事が霊にとって、懲罰の役を果たすことになるのである」

○まさに生まれようとしている赤ん坊に、宿りたい霊が幾つもある時は、どうするのですか。
「そんな場合には、神により、その赤ん坊に定められた運命を達成するに、最も相応しい霊が決定される。だが前にも言ったとおり、霊がどの肉体に宿るかは、生まれるよりずっと以前に、ちゃんと計画されているのだ」

○霊が肉体に宿る瞬間には、霊が肉体から離れる死の瞬間と、同じよな混乱が起こりますか。
「起こる。だがもっと大きく、特に混乱の時間はずっと永い。死の時は、霊はとらわれの状態から解放されるわけだ。だが誕生とは、そのとらわれに再び入り込むことだ」

○再生の瞬間を、霊は、厳粛な時と感じますか。それを、霊は真摯に且つ厳粛に行いますか。
「彼はあたかも危険な航海に出かける旅行者、しかも進み行く波路に生死を期しがたい、そんな旅行者のようなものだ」

○新しい人生で、自分は果して選んだ試練をうまく乗り切れるかとうか。これは再生前の霊にとり、やはり心配の種でしょうか。
「それは大きな心配の種だ。何といっても、その試練を上手くやるかどうかで、進歩か退歩かが決まるのだから」

○霊が再生する瞬間には、死の瞬間の場合と同じように、見送りの霊達が取り巻いていますか。
「それは、その霊が住んでいた境涯いかんに依ることだ。もしその霊が愛情に満ちた境涯の住人だったら、彼を愛する霊達は、最後の瞬間まで傍にいて激励してくれるし、更にしばしば新生活の中にまで付いてきてくれる」

○夢でよく我々に好意を示してくれる霊があるのですが、それはこうして我々の現実生活に付いて来てくれる霊なのでしょうか、ただ私共はその顔を知らないのですが。
「そうだ、多くの場合そうだ。諸君が牢獄に囚人を訪れるように、彼等は諸君を訪ねてやって来る」

○魂は肉体といつ結び付きますか。
「両者の結び付きは受胎の瞬間に始まり、出産の時に完成する。受胎の瞬間に、霊は液状の紐で、肉体に結び付けられる。その液状の紐は出産の瞬間まで刻々に緊密さを増していく。こうして産声が知らせる、その嬰児が生者の仲間入りをしたことを」

○霊肉の結合は、受胎の時から、確定的なものとなったのですか。受胎後の早い時期に、霊はその肉体に宿ることを中止できますか。
「その結合は、ある意味では確定的と言える。つまり別の霊がその予定された霊と交替することは出来ない。しかし、両者を結ぶ紐は、初期は大変弱く、切れ易い。だから、もし霊が前途の試練を嫌がって尻込みすれば、その意志で紐は切断されてしまうだろう。そうなれば、赤ん坊は死んでしまう」

○生まれる前に、もし予定した肉体が死んでしまえば、霊はどうしますか。
「別の肉体を選ぶ」
-早すぎる死はどうしていつも起こるのですか。
「そのような死は肉体の欠陥によってしばしば起こる」

○生後数日で死ぬような肉体に生まれて、どんな効果があるのですか。
「この場合は、その霊の生存の意識は未だ些細なものに過ぎないから、死もさしたる問題ではない。前に述べたように、このような死は、両親のための試練が主眼となっていることが多い」

○霊は、自分の選んだ肉体が早死にすることを、知っているのでしょうか。
「知っていることがある。だが、もし知っていてその肉体を選ぶとすれば、それは前途の試練を恐れている証拠だ」

○もし何らかの原因で、予定の受肉が出来なかった時は、その後すぐに、別の誕生をさせてもらえるのでしょうか。
「必ずしも直ぐとはいかない。霊には新しい選択をするための時間が必要だ。但し、すぐ第二の受肉が予定されていた場合は別である」

○もしある霊が、ある子供の身体にすっかり受肉してしまい、しかも、霊はこの受肉は嫌だと言い出した場合、彼はこういう受肉を後悔するでしょうか。
「諸君は次のように尋ねているのか。その霊は人間としてこれから背負わねばならない人生を嘆いているのか。別の人生を望んでいるのかと。それならば、その通り彼は後悔している。しかしまた、彼が自分の選び方が悪かったと悔やんでいるかと問うのなら、それは違う、彼は自分が選択した事実を忘れているのだから、と答えよう。一旦霊魂は誕生すると、自分がその肉体を選んだ選択の事実を忘れているから、その選び方を悔やむということはない。しかし、選んだ人生を重荷に感じることもあるだろうから、そこで本当にそれに耐え難いと思うなら、自殺への道を辿るということになろう」

○受胎から出生までの期間に、霊は、自分の能力をフルに発揮して活動しているものですか。
「懐妊期間の経過に従って違いは出てくるが、ともかく、大なり小なり能力を発揮している。即ち、彼は肉体に接触を始めたとはいえ、まだ完全に肉体に宿ったわけではないから。受胎の瞬間から、霊には混乱が始まる。その混乱によって、霊はいよいよ自分が新しい人生に入る時が近付いたことに気付く。そうして誕生が近付くにつれ、その混乱はいよいよ激しくなる。この間の霊の状態は、殆ど睡眠中の人の霊のような状態である。出産の時が迫ると、霊の思想は過去の記憶ともども消え失せる。そしていざ出生した時には、もはやその意識は白紙の状態になっている。だが、失われた記憶も、彼が再び霊界に帰って来ると、徐々に回復してくる」

○誕生の瞬間に、霊は固有の能力を十分に回復するでしょうか。
「いや、それは漸次、肉体器官の成長に伴って発現してくる。地上の人生は、霊にとっては新しい生活だから、肉体の使い方を勉強しなければならない。彼の思想は徐々に回復してくる、それはあたかも、まどろみから醒めてみると、眠る前の状態とは違った状態になっていることを知る人の場合のように」

○出産の時までは、霊肉の結合は完全なものではないとすれば、胎児には魂があると言えますか。
「胎児に生命力を与える霊は、いわばその外部に存在している。従って、これは厳密に表現すれば、胎児には魂がない。すなわち霊の受肉作用は未だ進行中にすぎないのだから。しかし胎児は、やがてこれに宿る魂と繋がりはもっている」

○胎内生命の本質は何でしょうか。
「成長する植物の本質である。しかし、胎児は植物的動物的生命を生きつつ、誕生の時に受肉の結合が起こり、霊的生命がこれに加わるのである」

○科学の指摘するところによると、生きてはゆけない身体の子供がありますが、あれは何の目的で生まれてくるのですか。
「そういう例が時々ある。これはその両親またはその霊魂の試練の為に、そういうことになっている」

○死産児の中には、その身体に霊魂が宿る予定が全くなかった者がいるのでしょうか。
「そのような者もいる。つまり予定された霊がなく、唯肉体だけで生まれる。これは子供の両親の試練の為だけに行われるのである」
-こんな子供は、産み月までもちますか。
「しばしばもつことがある。だが生きていくことは出来ない」
-では、出産後、生きている子供は必ずその内に霊をもっているのですか。
「もしそうでなかったら、一体何だろう。もはや人間ではない筈」

○流産すると霊はどうなりますか。
「それは無効果の生存となるから、霊はもう一度やり直さねばならなくなる」

○人工中絶は、受胎期間中のいつ行っても、罪となりますか。
「神法に違反するものはすべて罪となる。未だ生まれる前の子供の生命を中断する者は、それが母親であれ、誰であれ、必ず罪となる。即ち、中絶によって、霊は試練の器となる筈だった肉体を失い、折角の予定の試練を遂行し得なくなるからである」

○出産で母体が危険に陥る時、子供を犠牲にして母親を助けることは、罪になるでしょうか。
「子供の生存は未だ完全なものではない。母親の生存は確実なもの、だから、子供を犠牲にして母体を助けることの方が、まだましだと言える」

○胎児に対して、生きている子供の肉体に対すると同じような敬意をもって取り扱うことは、正しいことですか。
「胎児にも、生きている子供と同じように、神の意志と手際がこもっている。だから、いずれも大切に取り扱われるべきことに変わりはない」

○人間の善や悪の道徳性の根源はどこにあるのですか。
「それは、本人に宿った霊のもっている道徳性、それが根源である。その霊が清浄であればある程、その人間は善人の性質を示す」
-では、善人には善霊が宿り、悪人は悪霊が宿ったもの、そう考えてよろしいですか。
「その通り。但し、悪霊と言わずに、未完成の霊と言った方がよい。でなければ、いわゆる悪魔のような、永久に悪に留まる霊がいるように受取れるから」

○軽薄で愚かな霊が宿ると、どういう人間になりますか。
「とんまで気まぐれで、時にはいたずらをする」

○霊には、人間性とは違った何か別の情がありますか。
「そんなものはない。もしあれば人間と通信しようと思わないだろう」

○本人の道徳性と知性、この二つは一つの霊から出るのですか。
「それはそのとおり、人間に二つの霊が宿ることはない」

○非常に知的で、相当進歩した霊が宿っているように思えるのに、道徳的には非常に劣っていることがあります。なぜこういうことがあるのですか。
「人間に受肉する霊は、未だ十分に浄化したわけでないから、そういうことがある。従って人間は自分よりもっと悪い霊の影響にすぐ負けてしまう。霊の進歩は一歩一歩である、しかし、その進歩はすべての面で同じ歩調で進むわけではない。ある時期には知性の面が、また他の時期には道徳面が進歩する」

○人間の知的能力及び道徳的能力は自己内に受肉している色々な霊の所産であって、各霊はそれぞれの資質を代表しているという説がありますが、どう考えたらよろしいですか。
「これが荒唐無稽の説であることは、ちょっと反省してみれば直ぐ明らかとなる。霊はいずれも可能なすべての資質がもてることになっている。しかし、進歩の為には、単一にして統一的な意志をもたねばならない。もし人間が色々な霊の混成物なら、この統一性は存在しないだろうし、また個性をもつこともあるまい。即ち、人間が死んだら、籠から逃げる小鳥のように、霊は四方へ飛び散ってしまうだろうから。人は何か理解できぬことがあるとぶつくさ言うが、実に巧妙に、目の前にある簡単明瞭な説明には目もくれず、わざわざ問題を難しい方へもっていってしまう。上記の質問は、諸君がよくやる、結果と原因を取り違えたものだ。異教徒が神について考えていることを、人間に適用したものだ。異教徒達は、宇宙に在る現象と同じ数だけの神があると思い込んでいる。しかし、彼等の中にさえ鋭い人間がいて、宇宙現象の中には、結果は無数にあっても、原因は一なる神と見ている者もおる」

○霊は肉体に宿ると、物質と一つになってしまうのですか。
「物質は霊の外被に過ぎない、あたかも着物が肉体の外被であるように。霊が肉体に入っても、自己の霊性の特徴を失うことはない」

○肉体に宿って後も、霊はその能力を自由に発揮しますか。
「能力発揮はどうしても肉体器官に左右される。肉体は鈍重だから、当然その発揮は弱められてしまう」
-では、肉体は霊の能力発揮には障害である、丁度くもりガラスが光線の自由な透射に障害であるように、こう考えてよろしいですか。
「その通り、甚だしく不透明な障害物である」

○地上生活中の霊の能力発揮は、肉体の発達状況に支配されるわけですね。
「肉体は霊性発揮の通路であるから、どうしても肉体器官の発達程度や健全かどうかにかかってくる。これは手仕事の良し悪しが、その道具に左右されるのと同じ事である」

○そんなに肉体器官の影響が大きいのなら、脳の発達と、道徳や知力の発達とには深い関連があると、こう考えてよろしいですか。
「原因と結果を混同してはいけない。能力の根源は常に霊である。肉体が能力を発揮しているのではなくて、能力によって肉体が動いているのである」
-ではご意見に従うと、人間の資質の相違は、ただ本人の霊の状態にのみ左右されるということですか。
「ただ霊にのみということは、全く正しいとはいえない。勿論、霊の資質いかんが、その人物の資質の根源となっているが、誰しも魂本来の能力発揮に、大なり小なりブレーキとなっている肉体の影響も考慮されねばならない」

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