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カテゴリ:★『霊の書』 > 霊の書 霊の生活

霊の書 霊の生活 目次

他界にある霊

過渡的な世界

霊の知覚、情緒、苦しみ

試練の選択

他界における諸関係

霊の抱く共感と反感

地上生活の記憶

葬式

○肉体を去った霊はすぐ再生するのですか。
「すぐ再生するものもあるが、多くは大なり小なり一定の期間をおいて後再生する。高級の天体では、一般に再生がすぐ行われる。高級天体の物質は低次の天体の物質に比しずっと精妙だから、そこで肉体をもって生活していても、霊的能力は大体維持している。彼等の常態は諸君等の高度な神憑状態にある」

○再生までの間、魂はどうなっていますか。
「彼等は新しい運命に憧れて、遍歴する霊となる。それは待つ者、期待している者という状況である」
-その期間はどの位続きますか。
「それは数時間から数千年まで。厳密に言うと、その期間には一定の制限というものはなく、場合によっては、永い間延長されることもある。しかし永久ということはない。晩かれ早かれ、霊は前世の浄化に最も効果的な次の新生を始めることが出来る」
-この遍歴継続期間は、霊の意志に基づくのですか。それとも、罪滅ぼしとして課されるのですか。
「これは霊の自由意志の結果である。霊は十分な分別をもって行動する。しかし、場合によって期間が長いのは、神により課せられる罰である。それ以外の場合は、自由意志により自ら延長しているのであって、この期間中、霊のままで出来る限りの有効な修業をする為である」

○すると遍歴するのは、霊に未熟な点があるしるしですか。
「いや、遍歴する霊には色々な段階の霊がいる。前にも述べたが肉体をとる方が過渡的な状態で、霊の本来の姿とは、物質から離れている状況の方である」

○肉体をまとっていない霊は、すべて遍歴していると言うことは正しいのですか。
「そうだ、再生しなければならない霊の場合は、その通りである。但し、完全に達した清浄霊の場合は遍歴しない。彼等はそれで最終の状態である」
〔注解〕霊にはそれぞれの資質というものがあって、順次辿る進化の過程により、段階が存在する。それを状態の上から見ると、次の三種である。①受肉霊、即ち、肉体をまとっている霊。②遍歴霊、肉体をまとわず、進歩の為に次の再生を待っている霊。③清浄霊、即ち、完全に到達し、もはや再生を必要としない霊。

○遍歴霊はどのようにして学習をしますか。それは人間とはやり方が違うでしょうね。
「彼等は自己の過去を検討して、更に進歩への道を探る。眼前に展開する諸事情を観察する。優れた人の話や上級の霊の助言に耳を傾ける。こうして新しい観念を獲得する」

○霊にも人間的な友情がありますか。
「高級霊は、肉体を去る時、人間のもつ悪い感情の面を捨て去り、善い愛のみを残している。だが未熟な霊は、地上的な欠陥を色々残している。そうでなければ高級霊ということになろう」

○地上を去る時、霊が悪い感情を捨ててしまわないのは何故ですか。彼等は、悪い感情が不幸を生むことを、その時には分かる筈ですから。
「人間の中には、例えば、極度に嫉妬深い人達がいる。諸君はこういう人々が、死とともに、たちまちその欠点を失うと思うか。地上を去って後、霊には、特に感情的な霊の場合には、過去の悪感情を保持する一種の雰囲気が残る。つまり、彼等は完全に物質の影響から離れたわけではないのだから。彼等は、これから先自分が辿るべき、真理の道の閃きを感じることは滅多にない」

○遍歴の状況下にあって、霊は進歩しますか。
「改善の努力その熱意に比例して、大きな進歩を遂げる。但し、ここで獲得した観念を実践に移すのは、地上世界においてである」

○遍歴霊というのは、幸福ですかそれとも不幸ですか。
「それは本人次第である。感情的なものが多ければ苦しみ多く、物質的なものから離れていれば、それに応じて幸福を感じる。遍歴の状況下で、霊はどうしたら幸福になれるかと、自分に欠けているものを身に付けたいと熱望する。しかし、再生したいと望んでも必ずしも直ぐ出来るわけではないので、遍歴の状態が永びくことその事が、彼等の罰となる」

○遍歴霊は、どんな天体にでも入ることが出来るのですか。
「それは本人の進歩の程度いかんによる。霊は肉体を去った時、必ずしも物質と無関係になったわけではなくて、今迄住んでいた天体、ないしはそれと同程度の天体に所属しているわけである。もし地上生活で、もっと高い世界の段階にまで進歩していなければである。このような進歩こそ、あらゆる霊の不変の目的である。それなしでは、完全に到達することは不可能だから。しかしながら、より高級の天体に霊が入ってみることもある。だがこの場合には、彼にその天体は未だ肌に合わないように感じられる。彼はいわば、未だその天体がほんの覗き見が出来る程度なのである。だがこれによって、彼の改善と進歩への熱意はしばしば進められ、これによって、彼は現在の遍歴の時代を有効に過ごし、やがてはその天体に住めるようになるのである」

○既に浄化している霊が、低い段階の天体へ行くことがありますか。
「その天体の進歩を助ける為に、頻繁に彼等は行く。もしそれがなければ、これらの天体に指導者もないままに、低い段階に止まったままになるだろう」

○今までの話によって、遍歴霊が留まったり休んだりする世界というものが存在しますか。
「ある。これらの霊を受け入れるのに適しており、彼等が一時的に住む世界というのがある。つまり、これらの霊が暫時休む逗留(とうりゅう)場、長い遍歴の後の休息場-それはある意味では退屈な状態だが、そのような場がある。これらの世界は、各段階の世界の中間境であって、やがてそれぞれの世界へ入ることになっている霊の質に応じて区別されている。だから自己に応じたその場へ入ると、彼等は快適な休息感を感じるのである」
-そこに住む霊は、意のままに某処を離れることが出来ますか。
「出来る。彼等がやがて行かねばならぬ何処へでも、ここを去って行くことが出来る。彼等はあたかも渡り鳥、休息の為、島に降り、元気を回復して目的地へと向かう」

○霊がその過渡的世界に滞在中、進歩をしますか。
「進歩する。こうして集まった彼等は、教訓を胸に叩き込み、より早く高い所へ行けるように、更には最終目的である完全へ向かう為に、進歩する」

○この過渡的世界は、特別の性質をもっていて、永久に遍歴霊の滞在の場と決められているのですか。
「いや、世界体系の中で占めるこれらの世界の位置は、一時的なものにすぎない」
-そこには地上的な生物も住んでいますか。
「いや、その表面は不毛であって、そこに住む者は、地上的欲求は何一つもっていない」
-その不毛というのは永久にそうなのですか。また、その世界の特質の為にそうなっているのですか。
「そんなことはない。不毛は一時的なことにすぎない」
-では、そういう世界なら、自然の美などはないと考えられますか。
「その美は、地上の自然の美に勝るとも劣らぬ美しさである。これまことに無尽の創造の妙と申すべきか」
-その世界が単に一時的のものとすれば、我が地球も、いつかはそういう状態になるのですか。
「地球はかつてその状態であったことがある」
-それは何時のことですか。
「生成の途中において」

○魂が霊の世界に帰って来ても、地上生活中にもっていた感覚をまだもっていますか。
「もっている。それだけでなく、地上で持っていなかったものまでも持っている。何故かというと、地上時代には肉体があって、ヴェールのように色々なものを隠していたのだから。知性は霊の一つの属性であって、肉の目隠しが外されると、一層自由に発揮される」

○霊の知覚や知識は無限ですか。つまり、霊は何でも知っていますか。
「霊は完全に近づくほどに、多くのことを知る。高級の霊は広い知識をもっているが、低次の霊は何事も知識が乏しい」

○霊は事物の第一原理を理解しておりますか。
「それは霊の進歩と浄化の程度による。低位の霊は人間ほどにも分かっていない」

○霊には、人間のように時間の観念がありますか。
「ない。諸君は何でも月日や時代で物事を考えるが、それでは我々霊のことは一向に分からない」

○霊は、私共以上に、現在についての正確な視野をもつものですか。
「それは人間と比べれば、まさに目明きと盲人の違いがある。霊には諸君に見えないものも見える。従って諸君とは違った判断をする。だが、これも霊の浄化程度によって違うことを、覚えていてもらいたい」

○霊はどのようにして過去のことを知るのですか。又、霊は無限に過去を知ることが出来ますか。
「我等は過去にちょっと目を向けさえすれば、あたかも現在の出来事のように、それを知ることが出来る。丁度諸君が過去の強い印象的な事を思い出す具合に、正確に知ることが出来る。ただ違うところは、人間のように肉体で、もはや目を曇らされることがないから、人間の記憶からは隠れて分からないことでも思い出す。しかし、霊なら何でも知っているわけではない。例えば、我々はどのようにして創造されたか、こんなことは分からない」

○霊は未来を予知しますか。
「これもやはり霊の進歩いかんによる問題である。霊は部分的になら頻繁に未来を予知している。但し、はっきり未来を予知しても、これを洩らすことは必ずしも許されていない。霊が未来を見るのは、まるで現在の事のようにそれを見るのである。霊は神に近付くに応じてはっきり未来を予知できる。死後、魂は自己の過去のすべてを、一望のもとに見、これを会得する。だが、神の胸三寸の中にある自己の未来を、見ることは出来ない。このような予知は、唯、永い過去を経て神と完全に一つになっている霊にとってのみ可能なことである」
-絶対の完全に到達した霊は、完全な未来の知識をもつのですか。
「完全という語は相応しくない。神のみが一切の主である故、何ものも神と全く等しくなることは出来ないのだから」

○霊は神を見ますか。
「最高級の霊のみが神を見、神を知る。低い段階の霊は神を感じ、神を察知する」
-低い段階の霊達は、自分はこれこれの事を神に託されているとか、これは禁じられているとか言いますが、そういう決まりを神がしているということを、彼はどのようにして知るのですか。
「彼は神を見ないが、神を感じている。そこで、これはしてはいけないとか、言ってはいけないとか言う時は、直覚や目に見えぬ警告で感じるわけだ。それは諸君も、為すべしとか為すべきでないとか、心の奥に感じをもつことがあるのではないか。それは我々とて同じ事だ。ただ、もっと高い程度に感じるわけだ。霊の本質は人間よりもしなやかなことである。従って、神の警告を人間よりももっとうまく受取ることが出来る。これは諸君にも容易に分かることだろう」
-神の命令は、神から霊へ直接伝えられるのですか。それとも他の霊の中継を通すのですか。
「命令は神から直接くることはない。神と直接交通する為には、それだけの資格が備わらねばならぬ。神は、更に高度の知恵もあり浄化を遂げた霊を通じて、命令を伝え給う」

○霊の視力には、人間のように、視界があるのですか。
「ない。それは本人次第である」

○ものを見るのに、光が必要ですか。
「ものを見るのに外界の光は必要ない。自分の力によってものを見る。暗闇があるとすれば罪の償いの為、自らの目を開く為にある」

○霊は、離れた二点を見る時、動く必要がありますか。例えば、地球の両半球を同時に見ることが出来ますか。
「霊は思想の速さと同じ速さで動くことが出来るから、同時にあらゆる処を見ることが出来ると言える。霊の思念は同時に多くの地点に向って放射される。だが、この能力は霊の浄化いかんによって違ってくる。未完成の霊はその見える範囲も狭く、高級霊になると、一望のもとに全体を見ることが出来る」

○霊は、我々同様に、はっきり物を見ますか。
「もっとはっきり見える。人間には障害になるものでも、霊の視力はそれを通過して先まで見えるから、これを遮るものはない」

○霊には音も聞こえますか。
「聞こえる。人間の鈍感な耳には聞こえない音でも聞こえる」
-音を聞く能力は、ものを見る能力と同じように、どんな霊にも備わっているのですか。
「霊の聴力は霊の本性であって、霊の一部をなしている。肉体にある間に、肉体器官を通して初めて音は聞こえるのだが、肉から解放されて自由になると、もはやその聴力は、制約がなくなる」

○感覚能力は霊の本性だとすれば、嫌な時は、その感覚を受取らないでおくことが出来ますか。
「霊は、自分で見たい聞きたいと思うものだけを、見たり聞いたりするのである。いや、これは高級霊の場合が特にそうなのであって、未完成な霊の場合は、無理に見させられたり聞かされたりする。場合によっては、本人の意志に反しても、その改善に必要なものは、何でも強制される」

○霊は音楽が好きですか。
「音楽とは地上の音楽のことか。霊界の音楽は地上の何ものをもってしても表現できない調和があり、とても地上の音楽の比ではない。それは原始人の叫びと、至上の妙なるメロディーの差がある。だが低い霊魂は、能力が足りないので、地上の音楽を喜ぶだろう。霊の感覚能力が進歩すると、音楽は無限の魅力となる。この音楽とは霊界の音楽であるが、それは霊の想像をもってしても、これほど無尽の美と喜びを表現したものはない」

○霊は自然界の美を感じることが出来ますか。
「自然の美は各天体によってそれぞれ違っているから、そのすべてに通暁することはとても出来ないが、霊の能力に応じて、部分的にその美を味わうことが出来る。しかし、高級な霊は細々した美を越えて、一大調和をもった美を享受できる」

○霊は、私共のような肉体的欲求をもったり、身体的苦痛を味わったりしますか。
「霊といえども、過去の経験からそれを知っている。しかし、人間のように肉体的にそれを経験するわけではない。彼等は霊だから」

○霊は疲労を感じたり、休息の要求をもったりしますか。
「霊は人間が考えるような疲労は感じない。従って地上的な意味の休息を必要としない。そもそも霊には疲労するような肉体はないのだから。しかし、霊はいつも活動しているわけではないから、休息しているのではないかと言われるかもしれぬ。確かに霊は肉体的な活動はしていない、その活動はすべて思想的活動である。だからその休息とは精神の休息、つまり思想が非活動的となっている状態、思念がある目的に向って放たれていない状態である。これが霊の休息であり、肉体の休息とは大変違った意味の休息である」

○霊も「つらい」と言うことがありますが、その辛いとはどういうことですか。
「それは精神的な苦しさを言っているので、これは肉体的苦痛以上に、霊には苦しく感じられるものだ」

○霊も、寒いとか暑いとか言うことがありますが、あれはどういうことですか。
「霊のそういう感じは、地上生活中の記憶の再現なのであって、しばしば本当のように感じるものだ。また、単なるゼスチュアにすぎない場合も多い。というのは、霊が自分の状況を説明しようとしていも、うまい表現が見つからない時、そういう方便を使うわけである。また、霊は地上の肉体を思い起こすと、暫時は人間と同じような印象をもつものだ。それは丁度、諸君がコートを脱いでも、なお肩にコートがあるように感じるのと同じだ」

○遍歴の状態にある霊が、再生に入る前に、次の人生で起こることを予見しますか。
「霊は独力で、やがて自分が受ける試練を選ぶ。霊の自由意志とは、実に、この選択の自由の中にある」
-では、懲罰として、人生の苦難を課すのは神ではないのですか。
「何事も、神の許可なしには生じない。何となれば、宇宙を支配する法則を定められたのは神であるから。諸君も右顧左眄せず、何故に神がそのような法を創られたかを探求した方がよい。神は霊に選択の自由を授けるにあたり、自分の行為とその結果に全責任をもつように委ねられた。人は何でも思いのままに出来る。前途には正道が開かれており、同じく誤りへの道も開かれている。しかし、もし彼が敗れたとしても、慰めの道は残っている、万事はそこで終わってはいないのである。しかし、神は善なるかな、彼はもう一度やり直すことも許されているのである。更に、諸君がここで心得ておかねばならぬことは、神の御意思の仕事と、諸君の意志の役割とは違うということ。もし危険が諸君の身に近付いたら、その危険を創ったのは諸君でなく、神である。諸君は自らその危険に身をさらすように選択した、それは、諸君がそれが進歩の道であると見てとったから。神はそうすることを諸君に許し給うたのである」

○もし自分の受ける試練を私共が選ぶ自由を持つとするなら、地上生活で味わう苦難は、これはすべて、私共が予め選び予測していたことなのですか。
「いや、すべてがその通りとは言えない。即ち、諸君はこの世で起こる事柄のすべてを、その細部にわたるまで選び予見したわけではない。諸君はどんな種類の試練を受けるかの選択をしただけである。この試練で生じた出来事は、諸君が選んだ一般的な状況の結果であり、またその試練に対する諸君の反応の結果である。
例えば、ある霊が悪人達の中に生まれる運命を選択するなら、彼は自分がどんな試みにあうかは分かるが、どんな行為を行うかについては一々分からない。そのような細かい行為は意志活動、つまり彼の自由意志の働きの結果である。霊が一つの道を選べば、その為にどんな種類の試練にあうかは分かる。だから大体の推移については理解できるが、一々それがどうなるかは分からない。具体的な出来事については、その時の状況やいきさつで違ってくる。霊にとって前もって予見できることは、新しい人生の骨格のみで、即ち彼の運命に決定的影響を与える事柄のみである。もし、轍が一杯ついている路に入れば、転ぶ危険があるから、誰でも慎重に歩かねばならなぬことまでは分かる。だが、どこで転ぶかは分からない。また十二分に気をつけて行けば、転ばずに済むことだってあるだろう。またもし道を歩いていて、煉瓦が頭上から落ちてきたとする、まさか諸君は、この筋書きが出来ていたとは考えはすまい」

○霊が悪人達の中に生まれることを選ぶなとということが、あり得ましょうか。
「人はその求めている試練の性質に、かなった環境に入ることが必要なのである。彼が是正したいと思っている欠点と、彼が選んで入った環境との間には、きっと相通じるものがある。例えば、もし彼が略奪という本能と闘わねばならないとするなら、彼は山賊の群の中に入る必要があるということだ」
-では、もし地上に一人も悪人がいないとすれば、霊はある種の試練に必要な環境を発揮できませんね。
「それが事実ならもう何も言うことはないのではないか。これは高級の世界、悪の近より難い善霊のみの住む世界。地上も一日も早くこのような世界になるようにされたい」

○霊が完全に到達するには、あらゆる種類の試練を経験する必要があるのですか。高慢、嫉妬、貪欲、肉欲をそそるような、あらゆる環境を体験せねばならないのですか。
「いやそんなことはない。ご承知のように、多くの試練を受ける必要のない道を、初めからとる多くの霊がいるのだから。しかし道を誤ると、その道のもつあらゆる危険に身をさらすことになる。例えば、ある霊が富を求め、それが認められるかもしれない。この場合に、彼はその人格に応じて、貪欲家、道楽者、利己主義者、あるいは寛仁大度の人物となり、財産を活用するかまたは浪費するかである。しかし富を持った為、一切の悪で鞭打たれる者になるとは限らない」

○霊も、最初は経験もなく、無知単純なのですから、どのようにして、しっかりした人生の選択など出来得ましょうか。また、その選択に責任など持ち得ましょうか。
「揺り篭の中の幼児の為に諸君がするように、神はそのような霊の為に道を画いてやり、無経験の為に欠けているものをお授けになる。しかし、自由意志の成長につれて、徐々に自分で選択するようにしむけ給う。こういう場合、しばしばその霊は途方に暮れて、間違った道をとることがある。もし、彼が彼を導こうとしている善霊の忠告に耳を傾けないならば。人類の堕落と呼ばれるかもしれないものはこれである」
-霊が自由意志をもつようになった場合、地上界に生まれるのは、本人の選択によるのですか、それとも神が罪の償いとしてそうなされることもあるのですか。
「神はゆっくり待ち給う、決して償いを急がれはしない。しかしながら神は時にはそのような存在を課し給う。もし、霊が無知と頑固さによって、自分の為になるものに気付かぬ時、また、それが彼の浄化と進歩に役立ち、他方、彼の償いの為にもなると考えられる時」

○霊は死後すぐに、その選択をするのですか。
「いや、霊の多くは自分の苦しみが永久に続くと信じて込んでいる。これは懲罰であると、かように諸君は以前に聞いたことがあるだろう」

○霊が自分が受ける試練を決める時、何がその決め手になりますか。
「それは自己の欠陥を償うのに役立つもの、同時により早く進歩させてくれるもの、そういう試練を選ぶ。この目的の為に、ある霊は貧困の苦を自己に課して、それに耐える勇気を養おうとする。またある霊は、財産や権力の試練で抵抗力の訓練をしようと望む。これは、財や権力をもてばこれを悪用したり、またそれあるが故にかえって悪感情をもったりするので、更に危険性の多い道である。またある霊は、悪い環境と闘う運命を選んで、自己の善意を養っていこうと志す」

○ある霊は道徳心を養う為に、悪に身をさらす道を選ぶとします。しかし他の霊は同じ悪の道を選ぶにしても、別の動機から、つまりは低い自分の堕落した好みに合った環境に住みたい、またその環境なら快楽が自由に得られるからという願いから、そういう霊もいるのではありませんか。
「確かにそのようなことはある。但し、それは徳性が大変未完成な霊の中に、そういう例があるだけである。その場合も、必要な試練は自然に発生し、霊は長期にわたりその試練を受けることになる。早晩、彼等は動物的本能に耽ることは、悲惨な結果を招くということを理解するようになる。その悲惨は殆ど永遠に続くように自分には思えるものだ。また神は時として、彼等をその状態のままで放置し給うこともある。即ち彼等がついに自己の欠陥の重大性に気付き、それを改善する為に、自ら進んでそれに適した試練を感受してみようという気持になるまで」

○最も苦痛の少ない試練を選ぶのが当たり前と思えますが。
「諸君の立場からすればそう思えるだろうが、霊の立場からすれば違う。人が物質から解放されると、そういう考えはなくなって、違ったふうに考える」
〔注解〕人間は地上にあって物質の影響下にある時は、試練の辛い面だけを見て、物質的喜びに結び付く体験の方を選ぶ。しかし霊の世界に入ると、チラリと不変の至福が目に入るので、これと物質的な一時的快楽とを比較して、ちょっと苦労しさえすればこの至福が手に入ると判断する。そこで、霊は最も辛い試練を選択し、結果として辛い人生を引き受ける。これによって、迅速に幸福へ到達できることを願って。それは丁度、病人が病気が早く直る為に、苦い薬を飲むのと同じである。

○霊は、地上世界にある間に、選択をすることが出来ますか。
「人が欲求を抱けば、その意図の性質にもよるが、ある程度の影響をもつ。しかし当人が霊界に入ると、まるで違ったものの考え方をすることが多い。人は霊としてのみ自己の次の人生を選択するものである。しかしそれにも拘わらず、人は物質界に在る間に、その選択をするやもしれぬ。というのは、霊は地上に在る間にさえも、地上の物質から独立したたまゆらの瞬間をもつからである」
-地上の多数の人間は、償いとか試練とかいうこともありましょうが、先ず地上的な意味の偉大さとか財を求めますね。
「その通り。人が心の充足を求めて、世界的偉大さを目指すのは本能である。霊がそのようなものを望むとすれば、世の栄枯盛衰を心に刻む、そのためである」

○霊は完全な浄化の状態に到達するためには、絶えず試練を受けていかねばならないのですか。
「左様である。しかし試練といっても、諸君が考えるようなものではない。諸君は試練といえば、物質的苦難とのみ考える。しかし霊は完全といえなくても、ある程度の浄化に達すると、もはやそういう物質的苦難は受けなくなる。それにも拘わらず、霊は自己の進歩の為の義務を遂行せねばならない。しかし、その義務には苦痛は全くない。例えば結果として自分の進歩に役立つ他者への奉仕のように」

○霊が自分で選ぶ試練の効果を見誤っていたということがありますか。
「霊が自分の力に余る試練を選んで、これに負けてしまう場合があるやもしれぬ。また何の利益にもならない試練を選んでしまうことがあるかもしれない。例えば、本人が怠惰で、ろくでもない人生を過ごそうと思うような場合。しかしそういう場合、霊界に戻って来ると、何も得るところがなかったと感じ、失われた時間を埋め合わせようと願う」

○人がその職業についた原因、甲の人生でなくなぜ乙の人生を選んだか、これは如何でしょうか。
「この回答は、諸君自身の中にあるのではないかな。現在その職業に就いていることは、既述の試練の選択の結果であるということ、また、前生涯での進歩の結果でもあるということ」

○遍歴状態下の霊が、自分の進歩に役立つ地上生活をあれこれ研究する場合、例えば、もし食人種に生まれたら、こういう生活をするだろうなどということは、どのようにして計り知ることが出来ますか。
「食人種に生まれる霊は、進歩した霊ではなく、食人種程度の霊、またはそれ以下に低い霊であろう」
-地球より低級の世界から来る霊、または食人種のような人類最低のところから来る霊が、文明人の中に生まれることが出来ますか。
「可能である。このような霊が、時として文明人の中に生まれてくる。それは、今迄より遥かに高級な状態に到達しようと試みるからである。しかしながら、彼等は場違いの状態にある。何となれば、彼等は迷い込んだ社会の信仰や慣習と、衝突する本能や慣習を身に付けて来ているから」

○文明人が、償いの為に、野蛮人の中に再生することがあり得ますか。
「ある。しかし、それはどんな償いをするかによる。自分の奴隷に残忍だった主人は、次は奴隷となり、他人に与えた苦しみを今度は自分が受けることになろう。権力を奪った者は、前生で彼に頭を押さえられていた人々に従わねばならなくなる。自己の力を濫用すれば、償いとして、上述のような人生が与えられるだろう。しかし、一方、善霊も低級な種族の中に生まれる運命を選ぶこともある。これら種族の進歩を促進させるために。この場合の再生は、使命による再生である」

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