シルバーバーチの霊言には、一貫して説かれている珠玉の教えが幾つかある。その一つが、[人の為に役立つことをしなさい]という教えである。これをシルバーバーチは[サービス]という一語で表現することがある。[リップサービス](口先だけのお上手や見せ掛けの好意)ではなく、日常生活の中での実のある親切がなかなか難しいものであることを知っていればこそ、そうした、まるで三歳の童子に説くような、簡単そうで実はなかなか実行できない素朴な教えを、繰り返し説くのである。
 シルバーバーチの交霊会は、バーバネルの三十歳代に[ハンネン・スワッファー・ホームサークル]の名称のもとに発足して、毎週一回、金曜日の夜に開かれていた。が、それも五十歳の声を聞く頃から二週間に一回、更には月に一回となり、七十歳代には不定期となっていった。
 が、交霊会に臨むバーバネルの態度は一貫して変わることがなかった。儀礼的なものは何もしない。飾りつけもない。応接間のソファに無造作に腰掛けると、めがねを外し、グラスの水を飲み干してから瞑目する。するとその顔の形相が有名なインディアンの肖像画そっくりに変貌し始める。そして、鼻にかかったいびきのような声を発しながら、何やらムニャムニャと独り言を言った後、「では始めることに致しましょう」と言って、インボケーションという[開会の祈り]の言葉を述べ始める。時には
 「もう少し待ってください。霊媒のトランス状態をもう少し深めますので・・・」
と言って静かにしていることもある。その意味するところ、極めて深長である。

 その日の交霊会も同じような要領で始まり、次第に[サービス]の大切さへと話が発展し
 「いかなる分野の仕事に携わっていても同じ事です。人に役立つことをするチャンスは決して見逃してはなりません」
と述べて、更にこう続けた。
 「私がこれまで皆さんにお教えしたかった教訓はそのことに尽きるのではないでしょうか。サービスこそ[霊の正貨]であること、それが霊の唯一の財産であること、それは天下の回り物であり、一人が独占すべきものではないということを理解して頂こうと苦心してきたのです。
 知識には責任が伴います。このことを私は何度申し上げてきたことでしょう。責任とは、自分が手にした知識をタンスに仕舞い込んでいてはいけない-賢明にそして上手に使用するということです。
 霊の世界からこうした地上に戻ってくるのは、ただ単に皆さんを喜ばせる為ではありません。死んだと思っていた人達が別の世界で生き続けている事実を知ることによって魂が目を覚まし、生きる意欲を鼓舞され、それがひいては同胞の為に役立つことをしたいという願望を抱かせることになることを望んでいるのです。
 それは何も、公開交霊会で大勢の聴取を前にしてデモンストレーションをやったり、こうして家庭的な交霊会で少数の出席者を相手に語るといった形のものでなくてもいいのです。人様の為になることをしてあげるチャンスなら日常生活に幾らでも転がっております。高級界の神霊が地上人類に対して抱いている愛は、皆さんが日常生活において、本当に困っている人に手を差し伸べようとする時に抱く愛と同じものなのです。
 世の中を見回してごらんなさい。心の痛みに耐えている人、困り果てている人、悲しみに暮れている人、人生に疲れ、当てもなく戸惑っている人、信仰の基盤が揺さぶられ、今まで大事にしてきたものが全て無価値であることを知り、しかもそれに代わる導きも手助けも希望も見出せずにいる人、そういう人達がいかに多いことでしょう。そういう人達の為に為すべきことが幾らでもあります。
 それとは別に、信仰が足枷となっている人、教義やドグマ、儀式や慣習によって自らの牢獄をこしらえてしまっている人がいます。そういう人達には、自由を見出す方法、魂の解放の手段を教えてあげないといけません。
 現在の地上には、正しい知識を手にした人による援助を必要としている人が無数におります。間違った信仰、盲目的信仰、迷信、独りよがり、商売根性にしがみついている人がいる限り、皆さんが活動する場があるということになります。同じ大霊の子でありながら霊的真理について何も知らない人がいる限り、皆さんにも私達にも、為すべき仕事があるということです。
 それこそが、私達が使命と心得て携わっている仕事です。要するに真理を広めるということです。霊的真理に浴し、間違いと迷信、その背後の原因である無知によって生み出されている暗黒を打ち払わないといけません。
 その一方には、そうした仕事を阻止しようとする勢力がいます。昨日・今日の話ではありません。幾世紀にもわたって私達に闘いを挑んできております。それを退治するのも仕事の一つです。一時的には後退の止む無きに至ることはありますが、計画は着実に進歩し、反抗勢力は次第に勢いを失いつつあります。
 人間の魂は、いつまでも牢獄に閉じ込められたままでは承知しません。永遠に暗黒の中で暮す者はいません。いつかは魂が光明を求めるようになります。神性を秘めた魂が、くらい沈滞状態に不快を覚えるようになります。自由を求めるようになるのです。束縛された状態に嫌気を覚えるようになるのです。そうした段階に至った人達の為に、出来るだけ多くの霊的真理を普及させる仕事を続けていないといけないのです。
 それが又、いつかは必ず受け入れられる日が来るとの信念のもとに、理想を掲げ続けなければならない理由でもあるのです。愚かな敵対者による蔑みの声も耳に入るでしょう。が、そうしたものにも耐え抜かないといけません。弱みを見せない限り、そんなものによって傷つくようなことはありません。相手にしないことです。いかなる相手にも憎しみを抱くことなく、全ての人に愛をもって、艱難を征服し、そして勝利しなくてはなりません。
 それが霊的教訓の基調なのです。最も大切な教えとして、しっかり心に植え付けておかないといけません。一冊の書物でもよろしい。優しい言葉一つでもよろしい。心強い握手でもよろしい。不自由な身体の人の手を取ってあげることでもよろしい。心温まる贈り物を届けてあげるだけでもよろしい。サービスのコインは、いつでも差し出せるように用意しておいてください」

別の日の交霊会で、地上時代の名前を聞かれてシルバーバーチは-
「私は荒野に呼ばわる声(注)です。神の使徒以外の何者でもありません。私が誰であるかということに、一体何の意味があるのでしょう?私がどの程度の霊であるかは、私の行為で判断して頂きたい。私の言葉が、私の誠意が、私の判断が、要するに今こうして人間世界で私が携わっている仕事が、暗闇に迷える人々の心の灯火となり慰めとなったら、それだけで私は嬉しいのです」

(注 マタイ伝に出て来る、世に容れられない警世家のこと-訳者)

 シルバーバーチがインディアンでないこと、本来の高次元の世界と地上との間の橋渡しとしてインディアンの幽体を使用している高級霊であることまでは、我々も知っている。が、これまで好奇心から幾度地上時代の実名を訊ねても、一度も明かしてくれていない。肩書きよりも、仕事の成果の方を重んじるのである。自分個人に対する賞賛を極度に嫌い、次のように述べる。
 「私は一介の神の僕にすぎません。今まさに黎明を迎えんとしている新しい世界での一役を担うものとして、これまで忘れ去られてきた霊的法則を蘇らせる為に私を地上へ遣わした一団の通訳にすぎません。私のことを常に[代弁者]としてお考えください。地上に根付こうとしている霊力、刻一刻と力を増しつつある霊団の声を代弁しているにすぎません。
 私の背後には延々と幾重にも連なる霊団が控え、完全なる意志の統一のもとに、一丸となっ臨んでおります。私がこの霊媒(バーバネル)を使用する如く、彼らも私を使用し、長い間埋もれてきた霊的真理-それが今まさに掘り起こされ、無数の男女の生活の中で本来の場を得ていきつつあるところですが-それを地上の全土に広げんとしているのです」

-でも、あなたは私達にとっては単なるマウスピースではなく、実在の人物です。

 私は何も、この私には個性がないと言っているのではありません。私にもちゃんと個性はあります。ただ、こちらの世界では[協調]ということが大原則なのです。一つの大きなプランがあり、それに従って、共通の利益の為に各自が持てるものを貢献し合うということです。
 身分の高いも低いも関係ありません。差があるとすれば、それまでに各自が積み上げてきた霊的成長度だけです。開発した霊的資質と能力とを自分より恵まれない人の為に惜しみなく活用し、代わってその人達も自分よりも恵まれない人の為に、持てるものを提供する。かくして地上の最低界(注)から天界の最高界に至るまで、連綿として強力な霊的影響力が行きわたっているのです 

(注 地上の人間から見れば他界した人間はみんな霊界の存在と思いがちであるが、目に見えなくなったからそう思えるまでのことであって、波動の原理からいえば、相変わらず地上的波動から抜け出せない者がいて、地上生活から持ち越した感覚・感情のままの生活を続けている。その種の霊を[自縛霊]という。ここでいう[最低界]とはその種の霊が類をもって集まっている界層のことで、古くから[地獄]とか[暗黒界]とか言われているのがこれに相当する。神や悪魔がこしらえたのではなく、波動の原理で自然に出来上がっているもので、霊性が高まって波動が変われば、それ相当の界層へ向上して行くことになる-訳者)

-地上もそういうことになれば素晴らしいことですね。

「いずれはそうなるでしょう。神の意志は必ずや成就されていくものだからです。その進行を邪魔し遅らせることは出来ます。しかしその完成・成就を阻止することは出来ません」

この件に関して、別の交霊会で次のように述べている。
「これまで私は、あなた方の友として、守護者として、指導者として接してまいりました。いつもすぐ側に待機していること、私がいかなる霊格をそなえた存在であろうと、それはあなた方人間との親密な接触を妨げることにならないこと、あなた方の悩みや困難に関心を抱き、出来うる限りの援助の手を差し伸べる用意があることを知って頂きたいと思ってまいりました。
 よろしいですか、私は確かに一方では永遠の真理を説き、霊力の存在を明かさんとする教師的存在ですが、他方、あなた方お一人お一人の親しい友でもあるのです。あなた方に対して親密な情愛を抱いており、持てる力で精一杯お役に立ちたいと努力致しております。
 どうぞ、困ったことがあれば、どんなことでもよろしい。いつでもよろしい。この私をお呼びください。もし私に出来ることがあれば、ご援助致しましょう。もし私に手出しの出来ないことであれば、あなた方自らが背負わねばならない試練として、それに耐えていく為の力をお貸し致しましょう」

更に別の交霊会でもこう語っている。
「これまでの長い霊界での生活、向上進化を目指して励んできた魂の修行の旅において私が自ら学んできたこと、或いは教わったことは、全て、愛の心をもって快く皆さんにお教えしております。神はそれをお許しくださっていると信じるからです。
 ではその動機とは何か-それは、私のこうした行為を通じて私があなた方にどれほど情愛を感じているか、いかにあなた方の為を思っているかを分かって頂き、そうすることによって、あなた方の背後に控えている力には神の意図が託されていること、霊の豊かさと実りを何とかしてもたらしてあげようとしている力であることを認識して頂くことにあります。要するに、あなた方への愛が全てを動かし、神から発せられるその愛をあなた方の為に表現していくことを唯一の目的と致しております。
 私達霊団の者は、功績も礼も感謝も一切求めません。お役に立ちさえすればよいのです。争いに代わって平和を見ることが出来れば、涙に濡れた顔に代わって幸せな笑顔を見ることが出来れば、涙と痛みに苦しむ身体に代わって健康な身体となって頂くことが出来れば、悲劇を無くすことが出来れば、意気消沈した魂に巣食う絶望感を拭い去ってあげることが出来れば、それだけで私達は、託された使命が達成されつつあることを知って喜びを覚えるのです。
 願わくは神の祝福のあらんことを。願わくは神の御光があなた方の行く手を照らし給い、神の愛があなた方の心を満たし給い、その力を得て、代わってあなた方がこれまで以上に同胞の為に献身されんことを、切に祈ります」

このようにシルバーバーチは、自分自身ならびに自分を補佐する霊団の並々ならぬ情愛を、よく披瀝する。盛夏を迎え、これで交霊会もしばし休会となる(注)最後の交霊会で次のような感動的な別れの挨拶を述べた。

(注 ここで夏休みのことを言っており、これは人間界の慣習に従って休みとするだけであるが、それ以外に霊界側の慣習に従って休会とする時期が二度ある。イースターとクリスマスである。これは人間界の、しかもキリスト教の慣習という認識が一般的であると思うが、シルバーバーチをはじめとする信頼のおける高級霊の一致した意見として、本当は霊界の高級神霊によって催される審議と讃仰の大集会が地上に反映したものだという。日本でいう春分から立夏、すなわち三月から四月にかけてと、立冬から冬至、すなわち十一月から十二月にかけての時期に相当するようである。私個人の考えを言わせて頂けば、神道の祝詞にある「八百萬の神達を神集へに集へ賜ひ、神議りに議り賜ひて・・・」とあるのは、これに類するものではないだろうか-訳者)

「この会も、これよりしばらくお休みとなりますが、私達は、無言とはいえ、すぐお側にいて、引き続きあなた方に可能な限りのインスピレーションと力と導きをお授け致します。
 一日の活動が終わり、夜の静寂を迎えると、あなた方の魂は本来の自分を取り戻し、物質界の乱れたバイブレーションを後にして、ほんの束の間ですが、本当の我が家へ帰られます。その時のあなた方は、私達と共に、いつの日か恒久的にあなた方のものとなる喜びの幾つかを体験されます。
 しかし、これまでの努力のお蔭で、こうして数々の障害を克服して語り合えるようになりましたが、普段は物質というベールによって隔てられております。でも霊的には、いついかなる時も身近にいて、情愛をもって力になってあげていることを知ってください。私達がお届けする力は、宇宙最高の霊力であることを心強く思ってください。私達は、最も身近で最も親密な存在であるあなた方の為に尽くすことによって神に奉仕する僕にすぎません。
 私のことを、ほんの一、二時間、薄明かりの中で喋る声としてではなく、いつもあなた方の身の回りにいて、あなた方の能力の開発と霊的進化の為に役立つものなら何でもお持ちしようとしている、躍動する生命に溢れた、生きた存在としてお考えください。語る時にこうして物的感覚(聴覚)に訴える方法しかないのは、まだるい限りですが、私はいつも身近に存在しております。必要な時はいつでも私をお呼びください。私に出来ることなら喜んで援助致しましょう。私が手を差し伸べることを渋るような人間でないことは、皆さんはもう、よくご存知でしょう。
 樹木も花も、山も海も、小鳥も動物も、野原も小川も、その美しさを謳歌するこれからの夏を満喫なさってください。神を讃えましょう。神がその大自然の無限の変化に富む美しさをもたらしてくださっているのです。その内側で働いている神の力との交わりを求めましょう。森の静けさの中に、その風の囁きの中に、小鳥のさえずりの中に、風に揺れる松の枝に、寄せては返す潮の流れに、花の香に、虫の音に、神の存在を見出しましょう。
 どうか、そうした大自然の背後に秘められた力と一体となるように努め、それを少しでも我がものとなさってください。神は様々な形で人間に語りかけております。教会や礼拝堂の中だけではありません。預言者や霊媒を通してだけではありません。数多くの啓示が盛り込まれている聖典だけではありません。大自然の営みの中にも神の声が秘められているのです。大自然も神の僕です。私は、そうした様々な形-語りかける声と、声なき声となって顕現している神の愛を皆さんにお伝えしたいのです」

 こう述べた後、最後に、これまでサークルと共に、そしてサークルを通して、世界中の人々の為に推進してきた仕事における基本的な理念を改めて説いて、会を閉じた。
 「私は、あなた方が愛の絆によって一丸となるように、これまで様々な努力をしてまいりました。より高い境涯、より大きな生命の世界を支配する法則をお教えしようと努力してまいりました。又、あなた方に自分という存在についてもっと多くを知って頂く-つまり霊的にいかに素晴らしく出来上がっているかを知って頂くべく努力してまいりました。
 更に私は、あなた方に課せられた責任を説き、真理を知るということは、それを人の為に使用する責任を伴うことをお教えしてまいりました。宗教的儀式のうわべの形式に囚われずに、その奥にある宗教の核心、すなわち援助を必要とする人々の為に手を差し伸べるということを忘れてはならないことを説いてまいりました。
 絶望と無気力と疑問と困難に満ち溢れた世界にあって私はあなた方に霊的真理を説き、それをあなた方が、まず自ら体現することによって同胞にもその宝を見出させ、ひいては人類全体に幸福をもたらすことになる-そうあって欲しいと願って努力してまいりました。
 私はかつて一度なりとも、卑劣な考えを起こさせるような教えを説いたことはありません。一人たりとも個人攻撃をしたことはありません。私は、終始、[愛]をその最高の形で説くべく努力してまいりました。常に人間の理性と知性に訴えるように心掛け、私達の説く真理がいかに厳しい調査・探求にも耐えうるものであることを主張してまいりました。
 そうした私に世界各地から寄せられる温かい愛の念を有り難く思い、私の手足となって仕事の推進に献身してくださるあなた方サークルの方々の厚意に、これからも応えることが出来るように神に祈りたいと思います。
 私達は間もなく会を閉じ、通信網を引っ込めます。再びお会い出来る日を、大いなる期待をもって心待ちに致しましょう。もっとも、この霊媒の身体を通して語ることを中止するというまでのことです。けっして私という霊が去ってしまうわけではありません。
 もしもあなた方の進む道を影が過ぎるようなことがあれば、もしも何か大きな問題が生じた時は、もしも心に疑念が生じ、そして迷いが生じた時は、どうぞそれらは実在ではなくて影にすぎないことを自分に言い聞かせて、羽根をつけて一刻も早く追い出してしまうことです。
 忘れないでください。あなた方はお一人お一人が神であり、神はあなた方お一人お一人なのです。この動的宇宙を顕現せしめ、有機物・無機物の区別なく、あらゆる生命現象を創造した巨大な力-人類の意識に神性の一部を宿らせた力-完璧な法則として顕現し、全ての現象を細大もらさず経綸しているところの巨大な力-その力は、あなた方が見放さない限り、あなた方を見放すことはありません。
 その力を我が力とし、苦しい時の隠れ場とし、憩いの場となさることです。そして、いついかなる時も神の衣があなた方の身を包み、その無限の抱擁の中にあることを知ってください。
 シルバーバーチとお呼び頂いている私からお別れを申し上げます。ごきげんよう」