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カテゴリ:★『シルバーバーチの霊訓』 > シルバーバーチ 霊力とは?神とは?

シルバーバーチ 霊力とは?神とは? 目次

霊力とは?神とは?1

霊力とは?神とは?2

-霊力とはどんなものでしょうか。

「霊の力は目には見えません。人間界で用いられているいかなる計量器でも計れないものです。長さもなく、幅もなく、高さもなく、重さも色もなく、容積もなく、味も臭いもありません。ですから、常識的な地上の計量法でいけば、霊力というものはこの世に存在しないことになります。つまり、実在とは五感で捉えられるものと決めてかかっている唯物的自然科学者にとっては、霊力は存在しないことになります。
 しかし、愛は目に見えず、耳にも聞こえず、色もなく味もなく寸法もないのに、立派に実感があります。それは深い愛の感動を体験した者が証言してくれます。確かに愛の力は強烈です。しかし霊の力はそれよりも無限大に強烈です。
 あなた方が生き、呼吸し、考え、反省し、判断し、決断を下し、あれこれと思いを巡らすのも、霊の力があればこそです。あなた方の行動の全て、存在の全ては、霊の力のお蔭です。物質界の全て、そしてその肉体も、生命力に溢れた霊力の流入によって、存在と目的と指針と生活とを与えられているのです。
 物質界のどこを探しても、意識の秘密は見つかりません。科学者、化学者、医学者がいくら努力してみたところで、生命の根源は解明されません。それは、物質そのものの中には存在しないからです。物質は、それが一時的に間借りしている宿にすぎません。
 霊の力は、あなた方が[神]と呼んでいるもの、そのものなのです。もっとも、その神を正しく理解して頂けないかも知れませんし、誤解してその意味を限定してしまっておられるかも知れません。ともかくその霊力が、かつては火の固まりであったものを今日ご覧になっておられるような生命溢れる緑の地球にしたのです。
 その霊力が土塊から身体をこしらえて、それに生命を吹き込んだのです。魂がまとう衣服です。地上のあらゆる生命を創造し、自然界のあらゆる動き、あらゆる変化を支配し、四季を調節し、一粒の種子、一本の植物、一輪の花、一本の樹木の生長にまで関与している力、要するに千変万化の進化の機構に全責任を負っているのが、霊力なのです。
 それが強大であるゆえんは、物質界に限られていないところにあります。すなわち無数の物的現象を通じて絶え間なく働いているだけでなく、見えざる世界の霊的活動の全て、今のあなた方には到底その存在を知ることの出来ない、幾重にも繋がった高い界層、そしてそこで展開する、これまたあなた方の想像を絶した光輝溢れる生命現象に至るまで、その霊力が支配しているのです。
 しかし、いかに強大であっても、或いは、いかにその活動が驚異的であるといっても、それには制約があります。すなわち、それが顕現するには、それに適した器、道具、媒体、通路、霊媒-どうお呼びになっても構いません-そうしたものが無ければならないということです。壮大な霊の流れも、そうしたものによる制約を受けるのです。地上にどの程度のものが流れ込むかは、人間側が決定付けるということになります。
 私が常々、心配の念を追い払いなさい、自信を持ちなさい、堅忍不抜の精神で生きなさい、神は絶対にお見捨てにならないから、と申し上げてきたのは、そうした雰囲気、そうした条件の下でこそ霊力が働き易いからです。地上的な力はいつかは衰え、朽ち果てます。人間が築く王国は儚いものです。今日は高い地位にいても、明日は転落するかも知れません。
 しかし霊の王国は決して滅びることはありません。霊の尊厳は不変です。神の力は決して衰えません。ただし、その働きの程度を決定付けるのはあなた方であり、現に、いつも決定付けております。
 スピリチュアリズムを少しばかりかじった人は、よく、なぜ霊界の方からこうしてくれないのか、ああしてくれないのかと文句を言うようですが、実際には、そんなことを言う人程、霊界からそうしてあげる為の条件を整えてくれないものです。
 この苦悩に満ちた世界、暗闇と不安に覆われた世界にあって、どうか皆さんには灯台の光となって頂きたい。あなた方の自信に溢れた生き様を見て人々が近付き、苦悩の最中における憩の場、聖域、波静かな港を発見することが出来るようにしてあげて頂きたい。皆さんはそういう人達の心の嵐を鎮め、魂に静寂を取り戻してあげる霊力をお持ちなのです」

-霊はいつ肉体に宿るのでしょうか。

「霊としてのあなたは無始無終の存在です。なぜなら、霊は生命を構成する要素そのものであり、生命は霊を構成する要素そのものだからです。あなたという存在は常にありました。生命力そのものである宇宙の大霊の一部である以上、あなたには始まりというものはありません。が、個体として、つまり他と区別された意識ある存在としては、その無始無終の生命の流れの中のどこかで始まりをもつことになります。
 受胎作用とは精子と卵子とが結合して、生命力の一分子が自我を表現する為の媒体を提供することです。その媒体が提供されるまで、生命力は顕現されません。それを地上の両親が提供してくれるわけです。精子と卵子とが結合して新たな結合体をこしらえると、小さな霊の分子が自然の法則に従ってその結合体と融合し、かくして物質の世界での顕現を開始します。
 私の考えでは、その時点が意識の始まりです。その瞬間から意識をもった個体としての生活が始まるのです。それ以降は永遠に、個体をそなえた存在を維持します」

-何の罪もないのに無邪気な赤ん坊が遺伝性疾患や性病その他の病を背負ってこの世に生まれてきます。これは公平とは思えません。子供には何の罪もないのですから・・・この問題をどうお考えでしょうか。

「不公平を口にされるのは、問題を肉体の問題としてだけ、つまり物質界のみの問題としてお考えになり、無限の生命の観点からお考えになっていないからです。霊そのものは性病なんかには罹りません。霊が傷ついたり奇形になったりすることはありません。両親の遺伝的性質や後天的性格を受け継ぐことはありません。それは霊が自我を表現する媒体であるところの肉体に影響を及ぼすことはあっても、霊そのものを変えるようなことにはなりません。
 確かに、地上的観点から、つまり物質的観点からのみ人生を眺めれば、病弱な身体を持って生まれた人は健全な身体を持って生まれた人よりも、物的には不幸の要素が多いと言えるでしょうが、その意見は霊については当てはまりません。身体が病弱だから霊も気の毒で、身体が頑健だから霊も豊かであるという方程式は成り立ちません。実際にはむしろ宿命的な進化の為の備えとして、多くの痛みや苦しみを味わうことによって霊が豊かになるという考えの方が正しいのです」

-では、この世をより良くしようとする衝動はどこから出てくるのでしょうか。

「帰するところ、神がその無限の創造事業への参加者としての人間に与えた自由意志から出ています」

-物的な苦痛によって霊が進歩するのであれば、なぜその苦痛を無くする必要があるのでしょうか。

「私はそのような説き方はしておりません。私がその事を引き合いに出したのは、人生には寸分の狂いもなしに埋め合わせの原理が働いていることを指摘する為でした。
 ここに二人の人間がいて、一人は五体満足で、もう一人はどこかに障害があるとした場合、後者は死後も永遠にその障害を抱えていくわけではないと言っているのです。要するに肉体の健康状態がそのまま霊の状態を表すのではないことをお教えしようとしているのです。
 霊には霊としての辿るべき進化の道程があります。その霊がかなる身体に宿っても、必ず埋め合わせと償いの法則がついてまわります」

-でも、やはり身体は何の障害もない状態で生まれるのが望ましいのではないでしょうか。

「勿論です。同じ意味で地上に貧民街が無い方がいいに決まっています。しかし、その貧民街をこしらえるのも地上天国をこしらえるのも、結局は同じ自由意志の問題に帰着します。人間に自由意志がある以上、それを正しく使うこともあれば誤って使うこともあるのは当然です」


-でも、不幸が霊の為になると知ったら、地上をより良くしようとする意欲を殺(そ)がれる人もいるのではないでしょうか。

「地上の出来事で埋め合わせのないものは何一つありません。もしも神の働きが妨害されて、当然報われるべき行為が報われずに終ることがあるとすれば、これは神の公正を嘲笑う、深刻な事態となります。私が指摘しているのは、埋め合わせの原理が厳然として存在すること、そして、進化の法則に逆らった行為を犯しながら神の摂理とは別の結果が出るようにいくら望んでも、神の計画は少しも誤魔化されないということです。
 しかし同時に、次の事実も知っておく必要があります。すなわち、たとえ現代の地上の不幸の原因がすっかり取り除かれても、人間は又自らの自由意志によって、自らの複雑な文明の中から更に新たな不幸を生じさせる原因を生み出していくということです。
 所詮、人生は完全へ向けての無限の階段の連続です。一段また一段と、自らの力で向上して行かねばなりません。しかも、いつかは最後の一段に辿り着くと思ってはなりません」
(ここの質問と答えに少しズレが見られるが、この後もう一度同じ質問が出る-訳者)

-肉体の病気は霊的な進化を促進するかも知れませんが、その逆も有り得る、つまり性格を損ねることもあるのでしょう?

「損ねることもあるし損ねないこともあります。どちらのケースもあります。病気になるのは摂理に反したことをするからです」

-では、病気又は病気に相当するものは絶対に不可欠のものと仰るわけですね?

「いえ、私は病気に相当するものとは言っておりません。何らかの[苦]に相当するものです。人間に自由意志がある以上、選択の仕方によって楽しい体験となったり苦しい体験となったりするのは当然でしょう」

-それは分かります。苦しみを味わわないと幸福も味わえないからです。ですが、どうも私には、もしもあなたが仰るように、こういうことがあれば必ずこういう埋め合わせがあるというのが事実であれば、世の中を良くしようとして苦労する必要は無さそうに思えるのですが・・・

「人間に選択の自由があるのに、他にどうであって欲しいというのでしょう?」

-この度の戦争のことはさて措いて、私は今日の世界は三百年前よりはずっと幸せな世の中になっていると思うのです。世界中殆どの国が、戦争はあっても、やはり幸せな世の中となっております。

「仰る通りですが、それが私の言っていることと、どこがどう矛盾するのでしょう?」

-我々人間は(取り立てて人の為と説かれなくても)常に世の中を良くしてきているということです。

「しかしそれは、世の中を良くしたいという願望に燃えた人がいたからこそですよ。魂に宿された神性が自然な発露を求めたのです。神の一部だからこそです。仮に今日要求したことが明日、法の改正によって叶えられても、明日はまた不満が出ます。進化を求めてじっとしていられない魂が不満を覚えるのです。それは自然の成り行きです。魂が無意識の内に、より完全なものを求めようとするからです。
 今日の地上の不幸は、その大半が自由意志による選択を誤ったことに起因しています。それには必ず照合がなされ、更に再照合がなされます。そうすることで進歩したり退歩したりします。そうした進歩と退歩の繰り返しの中にも、少しずつ向上進化が為されております。先んずる者もいれば、後れを取る者もいます。先を行っている者が後れている者の手を取って引き上げてやり、後れている者が先を進み過ぎている者にとって、適当な抑制装置となったりしております。そうやって絶え間なく完成へ向けての努力が為されているわけです。が、その間の人生のあらゆる悲劇や不幸には、必ず埋め合わせの原理が働いていることを忘れてはなりません」

-改めるべきことが山ほどありますね。

「あなた方は自由主義を誇りにしておられますが、現実には少しも自由とはいえない人々が無数におります。有色人種をごらんなさい。世界中のどの国よりも寛容心を大切にしているあなた方の国においてすら、劣等民族としての扱いを受けております。私がいつも、これで良いと思ってはいけない、と申し上げている理由はそこにあります。世の中はいくらでも明るく、いくらでも清らかに、そして、いくらでも幸せになるものなのです」

-葛藤や苦悩が霊的進化にとって不可欠のものならば、それは霊界においても必要なのではないでしょうか。なのに、あなたは、そちらには悪と邪の要素が無いように仰っていますが・・・

「ご質問者は私の申し上げたことを正しく理解していらっしゃらないようです。私は邪と悪には二種類ある-この[悪]という言葉は嫌いなのですが-すなわち、既得権に安住している利己主義者が生み出しているものと、人類の未熟さから生まれるものとがあると申し上げたつもりです。
 私達の世界には邪悪なものは存在しません。勿論、ずっと低い界層へ行けば霊性が貧弱で環境の美を増すようなものを何も持ち合わせない者の住む世界があります。が、そうした侘しい世界は例外として、こちらの世界には邪悪なものは存在しません。邪悪なものを生み出す原因となるものが取り除かれているからです。そして、各自が霊的発達と成長と進化にとって、適切かつ必要なことに心ゆくまで従事しております。
 葛藤や苦悩はいつになっても絶えることはありません。もっとも、その意味が問題ですが・・・地上では人間を支配しようとする二つの力の間で、絶え間ない葛藤があります。一つは動物的先祖ともいうべきもの、つまり身体上の進化に属する獣的性質、そしてもう一つは神性を帯びた霊、つまり無限の創造の可能性を賦与してくれた神の息吹です。その両者のどちらが優位を占め、そしてその優位をどこまで維持するかは、地上生活での絶え間ない葛藤の中で、自由意志によって選択することです。
 こちらの世界へ来てからも葛藤はあります。それは、低い霊性の欠点を克服し、高い霊性を発揮しようとする、絶え間ない努力という意味です。完全へ向けての努力、光明へ向けての努力ということです。その奮闘の中で不純なものが捨て去られ、強化と精錬と試練を経て、ようやく霊の純金が姿を現します。こちらの世界にも悩みはあります。しかしそれは、魂が自分の進歩に不満を覚えたことの表れでもあって、ほんの一時のことです。完成へ向けての長い行進の中での短い調整期間のようなものです」

-でも、葛藤と進歩、それに努力の必要性は常にあるわけでしょう?

「仰る通りです。だからこそ私は、先程の言葉の解釈が問題だと申し上げたのです。自然界の常として、より高いものがより低いものを無くそうとします。それは当然のことで、そうでなかったら進化というものが真実でなくなります。
 人間は、低い段階から高い段階へ向けて成長しようとする、進化性をもった存在です。進化する為には、光明へ向けての絶え間ない葛藤がなければなりません。その場合の葛藤は、成長の為の必須の過程の一つであるわけです。
 先程私が言いたかったのは、地上には不必要な葛藤、無益な努力が多すぎるということです。それは自由意志の使用を誤って、薄汚い知恵、病気、貧民街といった、あってはならないものを生み出し、それが霊界からの働きかけをますます困難にしているのです」

-[神]は完全無欠ですか?

「あなたの仰る神が何を意味するかが問題です。私にとって神とは、永遠不変にして全知全能の、摂理として顕現している宇宙の大霊です。その摂理に、私はいかなる不完全さも不備も見つけたことがありません。原因と結果の連鎖関係が完璧です。この複雑を極めた宇宙の生命活動のあらゆる側面において、完璧な配慮が行き渡っております。
 例えば、極大から極微までの無数の形と色と組織をもった生物が存在し、その一つ一つが完全なメカニズムで生命を維持している事実に目を向けて頂けば、神の法則の全構図と全組織とがいかに包括的で完全であるかを認識なさる筈です。私にとっては神とは法則であり、法則がすなわち神です。ただ、あなた方人間は不完全な物質の世界に生活しておられるということです。
 物質の世界に生きておられる皆さんは、今のところはその物質界すら、たった五つの物的感覚でしか理解出来ない限られた条件下で、限りある精神を通して自我を表現しておられるわけです。物的身体に宿っている限りは、その五感が、周囲の出来事を認識する範囲を決定付けます。それ故に、あなた方は完全無欠というものを理解すること自体が、そもそも不可能なのです。五感に束縛されている限りは、神の存在、言い換えれば、神の摂理の働きを完全に理解することは不可能ということになります。
 その限界故に、摂理の働きが不完全であるかに思えることがあるかも知れませんが、知識と理解が増し、より深い叡知をもって同じ問題を眺めれば、それまでの捉え方が間違っていたことに気付き始めます。
 物質の世界は進化の途上にあります。その過程の一環として、時には静かな、時には激動を伴った、様々な発展現象があります。それは、地球を形成していく為の絶え間ない自然力の作用と反作用の現れです。常に照合と再照合が行われるのです。存在していく為の手段として、その二つの作用は欠かせない要素なのです。実に複雑なのです」

-神は完全だと仰いましたが、我々人間が不完全であれば神も不完全ということになりませんか。

「そうではありません。あなた方は完全性をそなえた種子を宿しているということです。その完全性を発揮する為の完全な表現器官をそなえるまでは、完全にはなり得ないということです。現在のところ、その表現器官が極めて不完全です。進化して完全な表現器官、つまり完全な霊体をそなえるに至れば、完全性を発揮出来るようになりますが、それには無限の時を要します」

-ということは、神の全ての部分が完全の段階に至るのにも無限の時を要するということでしょうか。

「違います。神は常に完全です。ただ、現在物質の世界に人間という形態で顕現されている部分の表現が不完全だということです。それが完全な顕現を求めて努力しているわけです」

-それを譬えて言えば、ある正しい概念があって、それが人によって間違って理解され使用されているようなものでしょうか。

「その通りです。しかし、それも、一歩ずつではあっても、絶えず理想へ近付いていかねばなりません。完全は存在します。それを私は、あなた方は本当の自分のほんの一欠片程しか表現していないと申し上げているのです。もしも現在のその身体を通して表現されている一欠片だけであなたを判断したら、極めて不当な結論しか出てこないでしょう。が、それは本当のあなたの一部分にすぎません。もっと大きなあなた、もっと大きな意識が存在し、それが今もあなたと繋がっているのです。ただ、それは、それに相応しい表現器官が与えられないと発揮されないということです」

-お聞きしていると、神が一個の存在でなくなっていくように思えます。独立した存在としての神はいるのでしょうか。

「真っ白な、豪華な玉座に腰掛けた、人間の姿をした神はいません。神とは一個の身体をそなえた存在ではありません。摂理・法則です」

-それに心がそなわっているわけでしょうか。

「心というものは、あなた方のような身体を通してのみ働いているのではありません。法則を通して働いているのです。心を、脳味噌と切り離して考えないといけません。意識というのは、そのお粗末な脳細胞だけを焦点として働いているのではありません。脳とは完全に独立した形でも存在します。その小さな脳という器官との関連で心の働きを考えるのは止めないといけません。
 心はそれ自体で存在出来ます。しかし、それを自覚するには何らかの表現器官が必要です。その為に、人間には幾つもの霊的身体がそなわっている訳です。身体をそなえていない状態を想像することは可能であり、その状態でもあなたは厳として存在しますが、それではあなたという個性を表現する手段がないことになります。
 神という存在を人間に説明するのは、実に困難です。人間には、独立した形態をそなえた存在としてしか想像出来ないからです。言語や記号を超越したものを地上の言語で説明しようとするのが、そもそも無理な話です。創造の本質に関わることなのです。
 神という存在をどこかのある一点に焦点をもつ力として考えてはいけません。そんなものではないのです。神とは完全な心、初めも終わりもなく、永遠に働き続ける完璧な摂理です。真っ暗だったところへ、ある日突然、光が射し込んだというものではありません。生命は円運動です。始まりも終わりもありません」

-宇宙の隅々まで神が存在するのと同じように、我々一人一人にも神が宿っていると仰るわけでしょうか。

「私の言う神は、全創造物に顕現されている霊の総体から離れて存在することは出来ません。残念ながら西洋世界の人は、今なお人類の創造をエデンの園(アダムとイブの物語)と似たような概念で想像します。実際はそれとは全く異なるのです。宇宙の進化は無窮の過去から無窮の未来へ向けて延々と続いております。かつて何も無かったところへ、突如として宇宙が出現したのではありません。宇宙は常にどこかに存在します。生命は何らかの形態で常に顕現してきました。そしてこれからも何らかの形で永遠に存在し続けます」

スピリチュアリズムによる新しい啓示の重大性について、こう述べる。
「闇に閉ざされたこの地上界にあって、意義ある貢献をする機会を与えてくれる霊的知識を手にされた皆さんは、なんと幸せな方達でしょう。幾十世紀にもわたって偉大なる頭脳を悩ませてきた多くの謎を解くカギを手にされた皆さんは、なんと幸せでしょう。歩むべき道を照らし出し、永遠の生命の機構の中におけるご自分の存在すべき位置を理解させてくれる叡知を授かった皆さんは、実にお幸せな方達です。そうした霊的知識を誇りに思わないといけません。誤った教えの下敷きとなってしまっている人々を救い出し、正しい知識と理解への道を指し示してあげることが出来るからです。
 しかし、それにも増して大きいのは、そうした知識を手にした人が背負うことになる責任です。本当の意味で大霊の使徒となったことになるからです。最高神の道具となったということです。忠誠を捧げる聖なる大義を汚すようなことは絶対にしないという責任が、その人の双肩に掛かってきます。
 地上世界は霊的知識を必要としております。それは、生活の全側面を照らし出し、理解に苦しむ問題を簡単に解いてくれます。人類の進歩のブレーキとなってきた誤った教えの粗悪さと不当性によって、これ以上苦しめられることは無くなるでしょう。今まさに地上世界は、歴史的に見ても重大な時期を迎えているのです。皆さんの目の前で新しい歴史が刻まれつつあるのです。魂の最終のゴールである[自由]の獲得への道を、あなた方が整備してあげているのです。
 皆さんには霊的貢献の分野があります。大霊の子が人生の嵐の中を生き抜く上での正しい基盤を手にすることが出来るように、この霊的真理を普及させないといけません。その普及活動を阻止しようとする勢力は次第に衰えつつあります。かつては脅威に思えた反抗が、今やおぼろな影となっております。かつて先駆者達が直面させられた苦難は、その先駆者達自身のお蔭で大幅に取り除かれました。しかし、まだまだ為すべきことが多く残されております。その大きな仕事の一端が、あなた方の双肩に掛かっているのです。
 堂々と胸を張り、魂の自由と進歩と啓発に貢献していることに、誇りをもってください。大霊の子らが暗闇でなく真理の光の中で生きる為の魂の自由と解放という仕事において、皆さんは、ご自分で考えておられる以上に、大きな貢献をしておられます。
 本当の自我に目覚める霊が増えつつあります。ここぞという重大な時に何の役にも立たなかった古い教えに背を向ける男女が増えつつあります。今や古い秩序は完全に砕かれました。古いものはやはり古いという認識のもとに、古い宗教的体制への不信感が加速されております。新しい教義、新しい人生指導原理を求めているのです。
 人々は光明を求めています。後の世代に光明を約束してくれるものに希望を託しております。過去が残してくれたものに不満を抱き、新しい霊的真理を渇望しているのです。それを提供するのが、あなた方の役目です。これから始まる再構築の大事業に備える為の知識と力とを身に付けさせる為に、陰ながら導いてくれている背後霊の存在を認識させてあげるのです。
 肩書きというものが次第に魅力を失いつつあります。地上人類は今まであまりに永い間、タイトルや肩書きを崇めてきました。それが今、そうしたものに幻滅を感じ始めております。新しいタイプの魂、真実を問い質す魂、真理を求める魂、権威を自称する者を容易に信用しない魂、遠い昔の聖なる書はあくまでもその時代のもので、しかもただ霊的啓示であると信じられているにすぎないから信じない、と主張する魂が生まれつつあります」

次に、霊的交流を求める上での心掛けについてのアドバイスを求められて-
「精神を受身の姿勢にし、冷静でいてしかも受容力に富んだ態度を保つ修業が必要です。霊力は、人間の方から命令的に求められる性質のものではありません。秩序正しい段階を踏んで用意を整えてくださらないと、授けることは出来ないのです。ある一定の必須の条件というものがあるからです。通信回路が正しく開かれていないと、インスピレーションは流れませんし、たとえ流れても、歪められてしまいます。
 何よりも大切なのは、いかなる混乱、いかなる騒ぎの中にあっても、平静さを失わないようになることです。私達の教えを知識としていくら沢山詰め込んでくださっても、心の平静を保つ修行が出来ない限り、その価値は十分に発揮されないことになります。
 あなたも大霊の一部なのです。その無限の力の宝庫から必要なものを引き出すことが出来るのです。いかなる人生の嵐、喧騒、混乱の中にあっても、平然とそれを達観し、永遠にして無限なる霊的存在としての[あなた自身]は絶対に惑わされないとの、不敵な信念に燃えないといけません。困難には正面から取り組んで、それを克服しないといけません。その葛藤の中においてこそ性格が形成され、霊性が磨かれ、真実の自我を発見していくことになるのです。
 霊的真理を手にした私達には、為すべきことが山ほどあります。今行われている(第二次)世界大戦、大量の肉体の殺し合い、狂気の破壊行為、世界全体を覆う悲しみの波動は、これから先、大変な困難を生み出していくことでしょう。しかし、戦争は永遠に続くものではありません。いつかは終わります。その時には私達が再びその使命を果たす役目が回ってきます」

 そして最後に、地球浄化の大事業に携わっている世界中の指導霊を代表する形で、こう激励した。
「この事業が成功するかしないかは、皆さんのような地上の道具の忍耐力と共鳴度と理解力に掛かっております。私も、これまで随分永い間、皆さんを蔭から導いてまいりました。折角順調に奉仕の道を歩んでいるのに、ふと迷いが生じて不純な動機を宿した時、私が、皆さんの良心に耳元で囁いて、無事正しい道に引き戻したことが何度あったか知れません。
 長年にわたるそうした苦労の末に、こうして同志の方を一同に集めることに成功しました。その目的は、地上の人間が大霊の意図した通りに霊的属性を発揮するにはどういう生き方をすべきかを教えてあげることです。皆さんの方から背を向けない限り、私達はこれからも忍耐強くこの仕事を続けてまいります。
 大霊から授かっている才覚を精一杯発揮して、一人でも多くの人に霊的真理を知らしめるのが、私達の使命なのです。最初はごく少数の人達の集まりでした。が、その滴(しずく)のような小さな集まりが小川となり、やがて大河となって海へ注ぐことになるのです。
 スピリチュアリズムと呼ばれている新しい啓示が世界中に知れわたるのに、(19世紀半ば以来)ほぼ一世紀を要しました。もう一世紀後には、その数は信じられない程多くなっていることでしょう。皆さんはその先駆者なのです」

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