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カテゴリ:★『シルバーバーチの霊訓』 > シルバーバーチ 霊言集

シルバーバーチ 霊言集 目次

霊言集 編者 A・W・オースティン序

神の計画

明日の世界

神法について

神について

祈りの価値

キリスト教の誤謬

信条と真理

人間の成長

他界の生活

霊界通信の問題

睡眠中の出来事

戦争について

再生

死の諸問題

霊能・奉仕の法・魂と霊・バーチの祈り

牧師との対話

シルバーバーチは語る

『シルバーバーチ霊言集』A・W・オースティン編 桑原 啓善訳

 シルバー・バーチは「この通信の著者は私ではない、私は高い所から来る通信の中継者です」と言っています。私もこの通信をもって、一切の英知をもつ霊魂からの絶対無謬の教えであると、主張するつもりはありません。霊界通信の目的は、我々が批判力を捨てて、霊魂の言葉に盲従することではないし、又、新宗教の創立を目的とするものでもありません。啓示は人間の受容力に応じて、時代と共に進歩していくものですから。
 バーチはいつも理性に訴えて語ります。だから彼の言葉が貴方の理性に照らして誤りだと思われたら、これに反対なさるべきだし、少なくとも未解決の疑問として残しておくべきだと存じます。
 この書は、何百回に及ぶ交霊会の通信の中から、私が問題別に抽出整理して編集したものです。従って、各章は一続きのバーチの通信ではなく、三十~四十回以上にわたる交霊会のバーチの言葉から、私が適宜抽出して構成したものです。つまり、問題別に一貫した思想となるよう、意図しつつ構成したものであることを、お断りいておきます。

○私達が地上に降りて来たのは、人々に霊的生命の秘義を伝える為である。この真理が地上に広がれば、戦争や革命にもまして、一大変革が地上に起こることになる。それは魂の変革である。
 その時、世界のあらゆる所で、人々は天賦の賜物に目覚めて、魂の自由を限りなく追求することになる。その時、初めて世界から鎖が消える、今迄人々を縛り付けていた足枷が。

○私達は一片の信条、一冊の経典、一宗一派に拘るものではない。ただ生命である神、その永遠の法、これに命を捧げるものである。

○霊的な大きな力が、今地上世界に向かって降りて行く。地上のあらゆる国々で、次第にこの力が感得されていく。今地上では大事業が進展している。それは地上の利己と無知を打破しようとする運動である。やがて時来たれば、この事業は必ず達成される。だがその前に、必ず大きな産みの苦しみがある。

○世界はダマスクスの路上で、突如回心したパウロのように、唐突には変わらない。霊的真理の光は少しずつ闇を貫いていくもの、人々が少しずつ真理を知っていくにつれ、又、神の使途となる人物が段々と増えていくにつれて。霊に関することは、常に慎重な熟成と進歩を必要とする。急激な変革は決して永続するものではない。私達はいつも永遠の目をもって、物事を眺め仕事を進めていく。

○神の教えの通路となる者は、闇を出て光明へ向かい、無知から知へと進み、迷信を去って真理へと入って行く。彼等こそは世界の進歩に貢献する者であり、又まさに地上の唯物主義の棺に、打ち込まれる一本の釘である。

○人間の進歩に二つの形式がある。一つは霊能の開発、他は霊性の浄化。もし霊性の練磨を差し置いて霊能だけの開発を図るなら、その人はいつまでも低い霊的境涯に留まらねばならない。反対に、両者共々に発達を図るなら、大霊能者となるだけでなく、人間としても立派な人物となる。

○地上は今、流血と悲しみの涙で満ちている。地上世界は盲目だから、神の法に従って生きようとはしない。又私達の伝える言葉に耳を貸そうとせず、私達の周りにある力に目をくれようともしない。しかしながら私達の伝える真理は浸透していく。それは神から出る真理の言葉であるから。

○神法に逆らって生きようとする者は、自ら辛い収穫を刈り取る者。
 神法に従って生きる者は、物質的にも霊的にも豊饒と幸福の収穫を、その手で刈り取る者である。

○どんな暗闇の中にあっても、決して希望を捨ててはいけない。そして次のことをしっかり心に銘記して頂きたい。地上を住みよい世界に変えようとする人達は、最後には必ず勝つ。何となれば、彼等と共に在る力は、宇宙の至高の力であるから。

○産みの苦しみがなければ、悲しみの涙がなければ、価値あるものは何一つ実現出来ない。地上世界はやがてこのことを、苦しみと悲しみの涙をもって、学び取ることになろう。今私達は、物質界の暗黒を打ち破ろうと活躍している。又私達の教えは、今世界の至る所で、人々の心を啓発しつつある。こうして次第に、霊の光が地上に浸透していくにつれ、唯物主義の闇は消散するのである。

○私達は罰をちらつかせて、人を嚇(おど)すことはしない。皆さんに、臆病で卑劣な人間になってもらいたくないからだ。私達が願うところは唯一つ、人間の内部には神性があるということ、これを皆さんに知って頂きたい。もしこれが理解出来れば、人はいよいよ神性を発揮し、ますます進歩し、その心は知恵と真理で、限りなく満ち溢れることになろう。

○人は、もうこれでよいと満足してしまってはいけない。不満と飢渇によってのみ、知は自分のものになる。満足する者はそこで止まり、渇く者はいよいよ大きな自由の天地に入る。

○私達はこの口が裂けても決して言わない、「理性を使うな、唯これを信じよ」とは。私達はこう言う「神が貴方に捧げ給うた理性を使いなさい。私達を試み、私達の言葉を調べなさい。もし私達の言葉が卑しく、道に外れ、酷いものに思えたら、いつでも私達を否定しなさい」と。

○もし私達の教えが、より高貴な生を、即ち自己犠牲と理想に生きる生を、述べ伝えているなら、それは神の極印が私達の教えに押されている証拠である。

○一つの魂を立ち上がらせ、嘆く者に慰めを与え、心挫けた者に希望の灯を点じ、力尽きた者に力を与えるなら、これをもって私達の仕事は瞑すべきと思う。

○地上は自分で自分を救う道を、学び取らねばならない。どこにも予め作られた道はない。どこにも、予めしつらえられた救済の組織はない。皆さんが生命の現れと思っているものの背後には、不滅の霊的存在が控えている。人類も、地上の子であると共に、又肉体を通じて自己を発揮しつつある霊的存在である。以上のことは、是非地上が学び取ってもらいたいことである。

○私達の教えが地上に広がっていくと、人間の一切の差別は消えていく。国と国との垣根、民族の差別、階級や、人種や、又あらゆる宗教や宗派の差別は、消えていく。各宗教はやがて悟るだろう、各宗教は神の真理の一部ずつをもっていて、他の宗教の核心は、又自宗の貴重な本旨と矛盾するものではないということを。

○私達の説くところは、かの高貴な理想と一致している。即ちいつの時代にも、世の為人の為に献身した全ての改革者・聖者・預言者・理想主義者らの脳裏に映じたものと。彼等は偉大な魂であったので、その霊眼に、実在の生命の閃きを看取することが出来た。その幻の美しさの故に、多難な闘いと逆境の中にあっても、常に、自己を支えることが出来た。又、彼等は他日実現を見るであろう霊的計画が分かっていたので、地上の子等の進歩向上の為に、献身し努力したのであった。
 彼等は手を差し伸べる相手から、謗(そし)りを受け、抵抗を受け、嘲笑されたが、その仕事は生命を残した。まさに今日も、無数の小さな社殿の中では、同じような仕事が遂行されている。或いは彼等の多くは、忘れ去られるかもしれない。しかし、その仕事は生き続けるであろう。今日今一度、地上には、霊的な力が投入されている。地上の者は誰一人として、この大きな潮の流れを、阻止することは出来ないであろう。

○問題は流血によって解決される、これが地上の常識である。だがいまだかつて、何一つこれで解決されたものはない。流血は無用のもの、何もそこからは道は開けない。なぜ人は、神から授かった理性を、使うことが出来ないのか。なぜ人は、人を沢山殺さねば事は解決しないと、又なぜ、最大の殺人者が勝利者であると考えるのか。地上とはおかしな世界だ。

○私達は自分の為には、何も求めてはいない。どんな栄光も望んではいない。唯々、失われた神の法則を、もう一度地上に回復する為に、その僕となりたい。新しい希望と生命をもたらす霊的な力を、もう一度、地上に発見させてやりたい。

○教会も聖書も教条も、全てこれらの権威は地に墜ち、捨て去られつつある。この時、霊的真理の権威だけが、永遠に残る。今この地上に来てみると、混乱と混沌だけがある。もしここに、明るい霊力が導入されれば、強力な輝く光が投入されれば、一切の混沌は雲散霧消すると、私は理解している。

○ここに光がある。しかるになぜ人は闇を好むのか。ここに知識がある。しかるになぜ人は無知を好むのか。ここに知恵が、ここに霊魂の生きた真理がある。しかるになぜ人は迷信をとり、宗教の枯渇した教条を選ぶのか。又、ここに霊智の泉があるのに、人はなぜ、神学の汚塵に目を向けるのか。

○そこには、盲人のように、自ら作った闇の中を、手探りでさ迷う魂がある、鎖に繋がれ、奴隷のように。もし自由になりたいと思えば、直ぐにでも自由になれるのに。しかし私は恐れる、彼等はもう永い間、自分の手でその鎖を編んできたので、それを切り離すことを恐れているのではないかと。あたかも永い間籠に閉じ込められていた小鳥が、外へ放されたら、もう飛べないのではないかと恐れるように。

○鎖を解き放ちなさい。しかし自由になると、後の態度が大切だ。一般に永い束縛から放れて自由になると、人は他の言葉や指導に耳を貸したがらないという傾向が残る。人はこう言う「そんなことは何でも分かっている。私はもっと自由になれたんだ。宗教とはもう金輪際、縁切りだ」と。又中には、自由になると逆に反動を起こすこともある。例えば、私は単なる伝達係なのだが、この私を特別な偉い者に、祭り上げようとしたりする。
 人類は永い間、指導者を神仏の地位に祭り上げ、それが教師であることを忘れてしまっていた。

○私達の使命は、神仏と讃えられることではない。真理と知識と知恵とを、述べ伝えることである。私は偉大な教師でも、卑しい乞食でも結構、唯私の言葉に、真理の印が押されている限り。私共は名声と権威と経典を楯にとって叫ばない。唯、皆さんの理性に向かって、訴えるだけである。

○地上は今、破滅と混沌で一杯だ。絶望と争いと苦渋が満ち満ち、理性は既に地に墜ち、利己が地上に君臨している。私達は理性の回復を求める。誤謬を真理に、迷信を真知に、闇を光に変えたい。

○皆さんは、全て神の分身である。神は次のように言い給う、「ここに私の全ての法がある。そこに、汝の内に、私の分身がある。汝の傍には、この世を完全に出来る一切のものが備えられている、私は汝に全てのものを与えたのだから。汝は善でも悪でも、好きなものを選ぶことが出来る。汝は私の法に従うもよし、又従わぬも思いのまま」と。

○今地上のあらゆる所に、不満の雲が漂っている。しかし夢溢れる春と成就の夏が近付いてくる。その到来は、神の子等がの自由意志を鍛える歩調に応じ、早くもなり遅くもなる。世界のどこでもよい、今一人の人が他の一人を向上させようとすれば、その背後には、無数の霊魂がそれを助けようとひしめき合っている。どんな善への努力も失われることなく、どんな奉仕への願いも、無駄に終ることはない。

○多数の者達と同じように、私も、まさにそこまで来ている新時代を促進する為、ここ地上へやって来た。私がここへ来たのは、神法を人々に伝える為に、又、もし人がこの神法に従いさえすれば、神の恵みは無限に人々の中へ降り注ぐことを教える為に。

○幸せばかりがある筈なのに、ここは悲しみの国ばかり。光が満ちるべきなのに、ここは闇。豊饒が支配すべきなのに、ここにあるのは飢えばかり。神はあらゆるものを人類に与え給うたのに、その分配を妨げる者達がいる。ここに払拭されねばならない障害がある。

○何事も、目の前の結果で判断してはいけない。人は唯、物質の目だけで物を見るが、もし人が霊の目で物を見ることが出来れば、完全な正義が全ての人に等しく働いていることが分かるだろう。
 折に触れ、私は皆さんの祈りに耳を傾けることがあるが、もし、神がその全てをお聞き届けになれば、結果的にみて、それは皆さんの為によろしくないであろう。

○私は死後霊界に入った多くの人達と話をしたことがある。しかし誰に聞いても、一人として、霊の目をもって物を見る時、自分は神から善い取扱いを受けなかった、と言う者は一人もいなかった。

○地上には三つの課題がある。第一は無知、第二は悲しみ、第三が飢え。この三つはいつまでも消えないだろう。心霊知識が政治と結び付き、人々が心霊常識を見に付けて、それに従って生きるようになるまでは。

○しかし、勝利の潮は押し寄せて来る。古い秩序は死に、新しいものがこれに代わる。新時代の足音が近付いて来る。だからといって、もう暗い面は無くなるかと言うと、そうではない。なお、涙を流すこともあるし心を痛めることも多い。又、まだまだ大きな犠牲も起こる。

○神のものであるものは、犠牲なしでは、何事も成就しない。人は涙をもって、建設を贖い取らねばならない。大きな物質的不幸が来て、初めて人は霊的なものへ、心を向け始める。あらゆる物質的なものが倒れて後、初めて、人は一本のワラを求める。

○こうして、霊的真理が地上に芽を吹き始めると、人は新世界を-神法が所を得た世界を-建設し始める。しかしそれまでは依然として大きな苦悩が続くだろう。世界は決して完全無欠となることはない。世界が完全に近付けば、完全は一歩先に行って、こちらを振り返る。

○(問)地上の色々な経験-例えば戦争・苦しみ・精神的肉体的苦痛・病気・悲しみ・愛・憎しみ・喜び・幸福-これらは人類の進歩発展に不可欠なもので、神の計画の一部ですか。
 (答)いや、そうではない。神は戦争をつくり給わず、神は病を与え給わない。これらは全て、地上の人間が我の働きで、勝手につくり出した産物である。人類には学ぶべき事が多々あるが、しかしそれは人を苦しめたり、危害を加え合ったりしなくても、学び取れるものである。人間が勝手にでっち上げたものを、神がつくり出したものと誤解してはいけない。

○人類は今、危機に瀕している。いつも新しいものが生まれる前には陣痛がある。新しいものが生まれるということは、大きな苦痛があるということだ。今新秩序が生まれようとしているが、それは即ち、苦痛が増大しつつあるということだ。

○これから大きな変化が数多く起こるだろう。破壊が起こり、動乱も沢山起こる。いわゆる暗黒と困苦の時代が来る。何もかも悪くなったと人は言うだろう。しかしその背後には、世界の進歩を目指す大きな力が隠れている。

○他界世界の上から、来たるべき地上の姿を見ることが許されている多くの仲間の霊達がいる。私達はその見たところの意味を、一部の敏感な人間達に伝える、彼等が自信をもって自分の仕事を進めていけるようにと。私の見るところによると、地上は現在より更に醜悪なものとなる。私には、未来の地上の運命がはっきりと見える。その到来はただ時間の問題だ。

○やがて新しい民族が台頭する。その民族は一切の政治も宗教も科学も知識も、ただ一なるものの各部分であることを認める。その日に、苦しみも涙も嘆きも災いも消え失せ、地上は唯、微笑みと幸福の国と変わるだろう。

○地上世界は、神と神の法に帰らねばならない。帰郷、まさにそれである。徐々にではあるが、神法が実現に向かって近づいて来ている。その様を、私はこの目で見ることが出来る。

○人類が学ばねばならないことは、神の賜物は全ての人々の間で、正当に分かち合わねばならないということ。ある人は食べるに事欠き、ある人は有り余る物を持っている。これは間違いだ。人類はその持つところの全てを、全ての人々の間で分かち合わねばならない。それは単純なことではないか。

○損得勘定を捨てなさい、神の法は完璧なのだから。皆さんは人の僕となり、奉仕だけを心掛けなさい。その時、神は貴方に働き給うのである。貴方一人ではない、誰の場合でも、これが狂いのない神の法である。そんなことあるものか、と貴方が言うなら、私はこう答えよう、必ずそうなると。何となれば、道はこの外にないのだから。法は完全無欠だから、誰も法を欺くことは出来ない。皆さんはこの神法を学び取り、どうか実践に移してもらいたい。

○永い永い時代にわたり、人類はその我侭から、砂上に楼閣を築いてきた。しかし、今や徐々にではあるが、神の光が地上の闇の中に、射し入り始めている。混沌と不条理の廃墟から、神の新しい世界が建設され始めている。それは不平等も不正義も貧富の差もない国、それはあらゆる物が分かち合われ、あらゆる神の恵みが、等しくゆきわたる世界。

○私の背後には、真理を伝えようとする多数の霊魂が控えている。私はその中の一人、単にその伝達係にすぎない。ではその伝えようとする真理とは何か。それは単純素朴な霊的真理、即ち、人間は皆一人一人が、生命の本源である神の分身であるということ。
 皆さんの内部には、神性が宿っている。だから皆さんは、神のあらゆる恵みを手に入れることの出来る資格者である。従って、皆さんの前途に横たわるどんな障害も邪魔物も、必ず払拭されるに違いない。私達は、単に霊的精神的な解放だけを目指しているのではない。物質的な解放をも目指して、仕事を続けている。

○人が私達の教えの故に、皆さんを疑う時は、いつも次のことを思い出しなさい。私共は常に相手の理性に向かって訴えている。だから私共の通信には、神の真理に極印が押されているのだと。私共の教えは、人の品位を落とすことなく、その知性を低下させることなく、又奉仕や善意や廉潔さを奪い取るものではない。むしろ、人に内在の神性を教えて、神との結びを自覚させ、その結果、人を新しく生まれ変らせて、その人生の全てに神の力を発揮させようと目指すものである。

○もし、霊的真理に気付く人達がみんな団結して、唯物的なこの世界に立ち込める真っ黒な霧を、追い払おうと努力すれば、大事業が達成されることになる。だから不動の確信をもって前進されよ。皆さんの傍には、善意と協力と奉仕の一切の力が置かれている。

○私達の前途には、広大な奉仕の野が広がっている。私達は心躍る確信をもって、前方へ期待の目を向ける。私達には出来る、あの迷える羊達・・・・古い信仰と言葉をもはや信じず、不信の現代を超えて、新しい真理を探し求めている人達・・・彼等を私達は救うことが出来る。私達はこれらの人々へ、霊的真理と霊的法則の知識をもたらす。彼等が内在の神性に気付いてくれるようにと、神性が自分のものであることを理解してくれるようにと、又これによって、古来憎み怒る神の前に、媚びへつらい人間性を卑下してきたかの観念を、彼等が永久に葬り去ってくれるようにと、私達はこれを待ち望む者である。

○ここに、大きな霊力がある。その力は、人類への奉仕を志す人々を助けようと待っている。このことを地上世界が早く理解してくれるように。これあればこそ、人々は知識を身につけ、この知識をもって全ての迷信や過去の霧と闘い、霊的真理の光明を明々と輝かすことが出来るのである。私達の仕事とはこの理解を進めること、又他方では、霊力を地上へ運ぶことである。この霊力によって、人は奮起し、導かれ、支えられ、又渇いた心は満たされ、苦痛に歪む肉体は癒され、知恵と真理と啓示と霊感とが人々に与えられるのである。

○もし、人がこの霊力を理解し、それに向かって心を開くなら、私達はいつでも、この霊力を人々に満たすことが出来る。又私達は、人類の向上進歩を願う人なら、誰とでも協力したいと思っている。それが教会の牧師であろうとなかろうと、宗教の信徒であろうとなかろうと、はたまた科学者であれ、唯物論者であれ、哲学者であれ、相手を選ばない。

○私達は、地上に幸福と健康をもたらす神法について語りたいと思う。今教会で語る者は、いつの日かその誤りを取り消さねばならない。彼等も神法の外にいるわけではなく、誰一人として神法を免れる者はなく、特に一度霊の教えを聞いたことのある者は、そうである。もし彼等がその言葉に違反すれば、まだその教えを聞いたことのない者よりも、その罪は重い。

○貴方の目が開かれて、霊の愛を知り、霊の教えをしっかり肝に銘じて後、なお奉仕を怠るなら、その罪は大きい。貴方はそうすべきことを知りながら、あえてそれをしなかったのだから。霊媒の中には、神の通路となり得るのに、何がしかの金銭の為に、その能力を売り払う者がいかに多いことか。

○貴方方の内部には、偉大な霊性が宿っている。又、人は幾多の進化過程を経て、今日に至ったのだから、誰でもその内部には、動物性の痕跡が残っている。しかしながら人間内在の霊性こそは、どんな遺伝や痕跡にもまして偉大なものであり、もし貴方が、それをちょっと働かせ発揮しさえすれば、貴方はまるで、地上を神のように歩くことも可能なのである。

○人間は本来その内部に、病気を治し悩みを克服する力をもっている。誰しも、弱った時にはいつでも引き出せる力の貯蔵庫をもっている。つまり天国は内部にある。しかるに、人はこのことを殆ど知っていない。この大我に接する道は、神法に従って生きるより外はない。しかるに、幾人かそれに従って生きているか。

○人生はその行為だけでなく、その言葉、その思念からも成り立っている。行為が全てと思ってはいけない。勿論、行為は重要だ。しかし言葉と思念もものを言う。悲しいかな、貴方方の多くは、思念の主とならず、その奴隷となっている。

○私達は全て神の分身である。神はある者を赤く、ある者を黒く、ある者は黄色に、そしてある者には色をつけ給わなかった。だが、これら全ての色は、神の計画の一部である。

○やがて地上に神法が実り、これらの色が一つに溶け合って互いの愛が芽生えれば、初めて調和が実現する。人はこれらの色の意味を知らない。だが、それには一つ一つ大きな目的があり、生命の法に役立つのである。

○皮膚の色が一つに溶け合い、もはや人が皮膚の色を意に介さず、唯内部の魂にのみ目を向け合う時、初めて地上に平和が来る。黄色は黄色なりに、白色は白色、黒色は黒色なりに、それぞれ他人種の役に立つものをもっている。このことをまだ世界は知らない。

○人は全て、一人一人が神の分身であり、一人一人が神の御業と力と愛と知とを、担うことの出来るものである。仮に貴方が弱い人に手を差し伸べれば、神の力はたちまち貴方を通じて、働くようになるのである。

○どのようにそれをするか、誰を助けるか、どこで闇に光を点ずるか、そんなことは問題でない。ただ、貴方が失意の人を立ち上がらせ、力萎えた人に力を与え、暗い所に光を灯し、飢えた人には食を、枕する所のない人には、寝ぐらを与えさえすれば、それでよいのだ。

○霊の力は地上一切の差別を無視する。地位・身分・肩書・人種・民族・国籍のいかんを問わない。誰であれ、どこであれ、応える者に目を向け、真理の根源から来る力で彼等を満たし、その心に光あらしめ、その魂を興起させ、神の園にあって働き手とさせ給う。

○皆さん、一つには神の為、一つには疲れて悩む人々の為、働く決意をもちなさい。彼等の重荷を下ろし、彼等に希望を与え、新しい知識と光と力とを与えなさい。これによって彼等が、身体には力を、心には勇気と生気とを満たし、神の賜う天賦の恵みを享受出来るようにと。こうして皆さんは、奉仕の喜びを知るに至るであろう。人を助けることの他、己の為には何も求めない奉仕の喜びを。

○神は無限であり、人はその神の分身である。人がもし完全な信と正しい生を守るなら、神の天賦の賜物を受ける者となる。人がもし、飢えていても、完全な信さえあれば、その応えは必ず得られるのである。

○これが法の働きである。人がもし法に同調する道を体得するなら、その成果が必ず手に入る。もし成果が得られなければ、それは法に同調しなかったからである。史書をひもといてみても、貧しい人賤しい人でも法を試みた人は必ずその報いを得ている。いたずらに、法を試みず法は働かないと訴える者に、目を向けてはいけない。

○時には、魂が挫けて、環境に負けてしまうこともある。だがもし、貴方に完全な信念があれば、必ずどんな地上の困苦にも屈せず立ち上がることが出来る。顔を太陽に向けなさい、太陽は神の素朴な象徴。そうしてこう言いなさい「私は神の分身です。滅びることはありません。私は永遠であり無限です。地上の物質や有限なものは、決して私に指一本触れることは出来ません」。こう言い終われば、貴方はもはや、何ものにも犯されることはない。

○人は何か事を始めるに当たり、まず心に怖れをもつ、上手くいかないのではないかと。この恐怖が心の波長を乱す。しかし全き神への信と愛があれば、恐怖は無くなる筈。まず神の国と神が正義であることを、心に描きなさい。そうすれば、全て必要なものが貴方に与えられる。これは昔イエスが教えた教えであるが、イエスは法の働きをよく知っていて、人の目の前で法を働かせては、その証拠を人に示した。皆さんも、このように法を働かせさえすれば、その成果は貴方のものとなるのである。

○ここにもう一つ、神の法則を語ろう。それは、この世では代価を払わないで、何一つ手に入れることは出来ない、ということである。霊交の代価は、霊能を磨くこと。皆さんは代価を払わないで、富を積んではいけない。もし富を積みながら、霊的義務を怠れば、地上では富者であっても、霊界に入れば最も貧しい者となる。

○人はその内部に至高の富を所有している。地上には、これと比べられる富は一つもない。皆さんはこの富を探しなさい。貴方の胸の奥深く、土にまみれて潜んでいる宝石を、霊魂を発掘しなさい。

○至高の霊魂と感応道交する道を、どうか学んで頂きたい。まず大切なことは、貴方は一人ぼっちではないということ、貴方の周りには、貴方を守り導こうとする沢山の霊魂が、ぎっしり貴方を取り囲んでいるということ、これを知って頂きたい。第二に、貴方が霊眼を開くことの大切さ、これである。つまり、貴方の霊眼が開けるにつれて、貴方は神法との調和を増して、段々神の方へ近づいていくということ、これを肝に銘じて頂きたい。

○貴方が人に奉仕することは、神に奉仕することである。その時、無限の神の御手は貴方に触れ、貴方は神の愛に包まれつつ、完全な平和の中に立っているのである。

○唯信じるだけの信仰は、嵐が吹けば倒れてしまう。知識の上に立った信仰は基礎があるから、逆境にあっても倒れることはない。まだ見たことのないものを信じる者は幸いである。しかし知っていて、知っているが故に、まだ見たことのないものを信じる者は、更に幸いである。何となれば彼等は知っているから、宇宙の法は、愛であり知恵である力によって、動かされているということを。

○皆さんは完全な信仰を、即ち知識から生まれた信仰を、どうかもってもらいたい。皆さんは霊力についての証を知っている、だから次の信仰があってしかるべきだ。「全てはこれでよし、全てに英知が満ち満ちている。又、人がもし神法に心を向ければ、必ずや、神法の果を手に入れることが出来る」と。

○暗い影、いわゆる悪が、いやしくも自分を犯すという怖れを、人は誰でも心から消し去ることが出来る。人は誰でも、神と神法の加護の下に生きるもの、又現に生きているものであるから。だから心に悪意がなければ、よいことだけがある。善は善意のある所にだけ住み、霊界の何者も、神の使途の他は、その人の傍に行かない。恐れることは何もない。貴方を包み、支え、導き、気を奮い立たせる力こそ、実に神から発する力である。
 その力はどんな試練や困苦にあっても、貴方を支える。その力は嵐を陽光に変え、絶望に希望の灯を点じる。足はしっかりと進歩の道程に立ち、貴方は何も恐れることはなくなってしまう。

○神に対する完全な信と愛があれば、恐怖はない。又知識があれば恐怖は起こらない、恐怖は無知から生まれるものだから。かくて、信と愛と知がある限り、恐怖のさし入る隙はない。進歩した霊魂は、どんな場合にも恐れを知らない。彼は知っている、自分の人生に、自分で克服出来ない環境や経験はある筈がないと。何となれば、彼は神性であるから。

○恐怖心は魂の牢獄をつくる。恐怖を克服し、その念波に乱されないようにしなさい。人は何ものにも犯されはしない。これを知りこの信念に燃えて、こう言いなさい「私は神の霊だ。世の嵐も私に触れはしない。どんな刻苦も、私の前では色褪せてしまう。私には内在の無限の力がある」と。
 人には、あらゆる環境に打ち勝つ力がある。この無限の魂の力を、貴方は自ら制限しようというのか。

○神は物質的なものと、霊的なものと、共に支配し給う。神の王国には、両者の差別はない。物的生命と霊的生命とを差別してはいけない。両者は別個の分離したものではない。物は霊に作用し、霊は又物に作用する。両者は共に、一なる不可分の生命の両面である。

○地上には、私達霊魂の力で動かせない障害はない、但しそうすることが法にかなっているならば。時には、人の背負う十字架があまりに重く、私は自分の進歩を諦めても、その重荷を取り除いてあげたいと思う。だが、よく覚えていてもらいたいことは、人がその十字架を背負い、その重荷から教訓を学び取ることは、もっと大切なことだ。人は現世だけでなく、もっと永遠の目をもって、物事を考えてみねばならない。

○人がもし人であると共に、神であることを心にとめているなら、人生はどんなにか容易なものとなろう。人は地に属し、又人の神性は神に属す。

○富人は貧者より悩みが少ないと皆さんは言う。だが、富者の悩みをどのようにして貴方は知るのか。神法は人を欺かず、何ものも逃がすことはない。

○人は人格を形成する為に、地上に生を受けた。そして人格の形成とは、自分が直面する苦難に立ち向かっていくことである。しかし地上には人に内在する力をもってして克服出来ない苦難というものはない。何となれば苦難は地のもの物的なもの、しかし人は聖なる神の分身であるから。

○平和とは唯一つしかない。それは神と一つになっている人を訪れる平和である。その心臓は神と共に打ち、その意は神の大いなる意志と一つになり、心も魂も情も神と共に唯一つである。その平和は神法と調和しているから生まれるもので、この外に平和はどこにもないのである。

○私が語るのは、常にただ神法についてだけである。かつて人はこう教えられた、神の国は内部にあると。外にではない。この地上のざわめきの中に、それがあり得ようか。神の国はただ内部に、魂の中にある。

○神法は調和と正義に満ちていて、その働きにはいささかの狂いもない。一人としてその罰を逃れ、誰一人として、その報いを受けずに終わるということはない。物質を見る目で永遠を測ってはいけない。まだ大いなるものを見ないで、小なるものを断定してはいけない。

○地上の喜びは一時、これを永続するものと思い誤ってはいけない。それは薄っぺらでケバケバしいだけ。人は地上の有限の目でものを見る、だが私は霊的な目でものを見る。神法を曲げて人を喜ばせるわけにもいかぬ。

○霊界から地上と通信する霊魂に聞いてみられよ。彼等は異口同音に言うだろう。神法は完璧であると。彼等は誰一人として、地上に戻って住みたいと言う者はいない。皆さんは平和を外に求める。だが、私は永遠の平和は内部にあると、又最大の富は霊的な富であると、皆さんに言う。

○まだしなければいけないことがあると思っているのに、私達が幸福そうに見えるか。地上の子等が食べるに事欠いているのに、私達が苦しまないと思うか。又神の御名において、偽りが語られているのを聞くにつけ、この胸が痛まないと思うか。

○光があるべき所に、闇だけがあり、人は自由になり得るので、欲望の奴隷となっている。地上には唯、混沌の渦が巻いている。これを目にして、私達が苦しまないと思うか。

○私達はそれが哀れに思えて苦しい、何とかして、神の愛を地上世界に送りたい、本来手に入るようになっているものを、自ら拒絶している多くの者達が住んでいる、かの地上世界へ。彼は彼等に、全てのものをあり余る程与え給うたのに、彼等はそれを拒絶している。ここに飢えた者がいるのに、貴方はそこで満ち足りている。それで貴方は偉大な魂といえるか。

○私達に一番辛いことは、皆さんの傍に在って、その苦しむ様を眺める時である。私達は承知している、これは本人の霊魂の闘いだから、決して助けてはいけないということを。もし貴方が勝てば、私達も勝つ。もし敗れれば、私達も敗れる。これはまさに私達の闘いである。だが指一本、貴方に差し伸べてはいけないのだ。

○私も時には涙を流すことがある。その人の苦しみを見て、しかも助けてはいけないと知った時。それが神の法なのだ。これは本人にもまして、私には辛いことだ。

○私は貴方の為に、貴方の問題を解いてあげるわけにはいかぬ。これこれしなさいと、一々指示すれば、それは貴方の自由意思を妨げることになる。私がもしこの霊媒に、こうせよ、ああしてはならぬと教えれば本人の自由意思は止まり、これで進歩もお終いだ。
 貴方が貴方の手で、貴方の問題を解決すること、ここに貴方に内在するものを発現させる道がある。何事も坦々として容易であれば、霊性の進歩はない。苦しみあるところに、霊性の進歩がある。

○だが時には、皆さんの判断に、干渉せねばならぬということもある。このままでは大変重大な事が脅かされるという時には、私はあえて干渉する。例えば、こうして霊媒を通じて行っている私の通信が、何か障害を受けそうな時には、私は通信の安全を守る為に、断じて手を下す。だが、問題が霊媒個人の進歩の為のものなら、それは彼の自己責任の範囲だから、本人自らの解決に委ねる。

○神はなぜ戦争を止めないのか、神はなぜ戦争を未然に防がないのか、多くの人はそう言う。だが神法を曲げてもそうせよと言うのなら、それは言う人の方が悪い。
 地上世界は、自分でやったことの結果を免れることは出来ない、私共にもその法を曲げることは許されない。一度蒔いたものを必ず刈り取る、利己主義の種を蒔けば、いつかは必ず、その報いを受ける。高慢、嫉妬、妬み、貪欲、悪意、不信、疑い、これらはどれをとっても、それが実を結ぶ時、戦争となり困窮となり不和となる。

○霊界通信の背後の意味を知らない人達は、私達神法を伝える者をさして、とかくの批判をする。だが私達はあくまでも、神法を伝えることに変りはない。仮に皆さんがこれを宗教と呼び、科学と言い、哲学と名付けようとも、これはあくまでも神の自然の法、それに変わりはないではないか。

○法に逆らって生きる者は、個人であれ、団体であれ、種族であれ、国民であれ、その果を受ける。何度も繰り返すように、法はその働きに狂いがないのだから。時には、皆さんの目には結果が見えないこともある。だが、原因があれば、必ず結果はこれに従って起こる。それが法というものだから。

○物質にばかり目を向けている人は、大きな誤りを犯している。その人は幻影を追い、永遠を忘れているのだから。これは単純な真理なのに、地上はまだこのことを知らない。
 どうしてもこれが分からなければ、酷い陣痛と涙によって、即ち流血の惨と悲劇によって、これを学ぶしかない。皆さんはどうか私がいつも言っているように、互いの愛と奉仕によって、これを学び取って欲しい。もし、この方法で学んで頂けないとすれば、法に背いて生きる者の代価を、払ってもらわねばならぬ。
 地上で偉大な者が、霊界で偉大な者ではない。私達の言う偉大さとは、魂の偉大さ、霊の偉大さ、奉仕の心の偉大さである。

○自由意思は神からの贈りものである。もしこれを不正に使えば、必ずその報いを受けなければならぬ。もし世界が法に従えば、利益を受け、これに反すれば、その果を受ける。前者は平和と幸福と豊饒の道、後者は、悲劇と戦争と流血と混乱への道。

○この世には、傾向とか波動とかというものがある。だか、これは克服出来ないものではない。人間とは、放射や影響に取り囲まれて生きているもの、そしてこれが人間の運命に、影響を及ぼす。だが、神は人に神性の一部を与え給うた。もし人がその自由意思を正しく使えば、内在の神性が開花して、どんな障害でも克服出来るのである。

○神は人の内部に種子を置き給うた。人は園丁である。その種子が花を開くことが出来るか、又その時期はいつか、これはひとえに本人の努力いかんにかかっている。貴方がその種子を闇の中に置き、光を与えず、魂の光である愛と奉仕を注がなければ、内在の神性は少しも大きくならないのである。

○幾多の経験が集って、人生絵巻が織り成される。人は一時の出来事をもって、全てを計ろうとする。このように目先の物質にだけ目をとめれば、混沌が見えるだけ。だが全人生を貫いて、一本の神の糸が通っている。人はこのことを知らない。

○広い目で宇宙を見渡せば、調和がその法則となっていて、貴方方一人一人は、全て神の計画の何らかの役を果たしている。時には風波があり絶望がある。時には、苦しみがあり悲劇がある。だが、人の一生の出来事はどれをとっても、貴方が辿る道程に相応しく、貴方を創る為に、みんな役に立っている。

○光と闇、陽光と影、これは単に一なる全体の反映にすぎない。影がなければ光はない、光がなければ影もない。そのように人生の苦しみは、魂が上へ上って行く為の階段である。困苦・障害・不利益、これらは全て魂の試練であり、魂はこれらを全て克服し得て、初めて強くなり、浄化され深みを増し、高く飛躍出来るのである。

○苦痛もなく影もなく、悲しみも、又災禍や悲劇もなしに、どうして無限の可能性を秘めた魂の内在の力が発現出来よう。勿論、不可能なことだ。
 人生の辛酸をなめつくして後、初めて頬笑みと喜びの味が分かって来る。人生はどん底に落ちた分だけ、高く飛翔出来るものだ。地上の影を経験し嘗め尽くす程に、人は陽光のもつ大きな喜びを、味わいとることが出来る。

○人の嘗める経験は、全てこれ本人の進歩を形作る一コマである。いつの日か、肉のくびきから解き放たれ、物質で曇らない目をもって、過ぎ来し地上の人生を振り返る時、人は初めて、あらゆる出来事を貫いて達観する。一つ一つの経験は、まさに置かれるべき場所に置かれていたと。又どの経験をとっても、魂の進歩の教訓であり、又内在の可能性を自覚させる薬でないものはなかったと。

○人が受け取る経験で、これを正しく真直ぐに理解すれば、どの一つといえども、魂の役に立たないものはないのである。貴方は、苦しみもなく試練もなく、障害や痛みや災禍もない物質世界を、考えてみることが出来るか。
 それでは、何の進歩もなく、又克服努力すべき何ものもない。従ってこれでは衰滅があるだけだ。

○あらゆる生命は神のもの、相手が人間でなくても、決して殺してはいけない。昔、狐が二十羽の雛を食い殺したという話がある。これがもし、狐でなくて貴方だったらどうしよう。もし私が鉄砲をやり、雛を食い殺した貴方を撃てと命じたら。神は全ての人に、どこに在っても困らないように供え給うた。人間を飢えさせるのは人間自身である、狐ではない。
 地上の人間も、今後進歩を遂げていけば、低俗な欲望を振り落としていくだろう。もし、人が狐にしろ雛にしろ創造出来るものなら、その命を奪ってもよい。又、人が狐や雛なら殺してもよいと言うのなら、人はまた人間を殺してもよいことになる。生命は人間のものではない。神のものである。従って、他の生命を奪う者は、後日その報いを受けねばならぬ。
 将来、人は神法を理解する時が来る。神法は言う、宇宙のあらゆるもの、動物、鳥、魚、花・・・・これらは全て神の計画の一環である。彼等は全て神の被造物として、それぞれそこへ置かれているのである。

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