More Wisdom of Silver Birch (次の第七巻として翻訳の予定-訳者)を読んだ読者からサークル宛に長文の手紙が寄せられた。その大要を紹介すると-
 〝私の知っている人の中には神を畏れ教会を第一主義とする信心深い人が大勢います。その教えるものを忠実に守っております。ところが何でもない筈の霊的事実を耳にすると、それを悪魔の仕業であるとか罪深きこととか邪悪なことと言って恐れます。その無知は情けなくなる程です。
 ところで、こうした人達及びこれに類する、言わば堅実に生きる善人は、私の考えでは、偏見のない良心と、何世紀にも亘って教え込まれて来た幼稚な教説によって汚染された良心で悩んだりします。彼等にとっては礼拝に出席することが神の御心に適ったことであり、善であり、正しいことであり、従って欠席することは間違ったことであり、罪深いことであるかに思えるのです。
 そうした思考形式が魂に深く植え付けられた場合、一体どうすれば正常に戻すことが出来るのでしょうか。彼等が呵責を覚えているのは本当はシルバーバーチ霊が仰る偏りのない良心ではありません。一種の偏見によって本当の良心が上塗りをされております。そこでシルバーバーチ霊にお願いしたいのは、本当の良心とは何か、それと見せかけの良心とを見分けるにはどうしたらよいかを教えて頂きたいのです〟云々・・・・

 この手紙の主旨を聞かされたシルバーバーチは次のように答えた。
 「地上においても霊界においても、道徳的、精神的ないし霊的問題に関連してある決断を迫られる事態に直面した時、正常な人間であれば〝良心〟が進むべき道について適確な指示を与える、というのが私の考えです。神によって植え付けられた霊性の一部である良心が瞬間的に前面に出て、進むべきコースを指示します。
 問題は、その指示が出た後から、それとは別の側面が出しゃばり始めることです。偏見がそれであり、欲望がそれです。良心の命令を気に食わなく思う人間性があれこれと理屈を言い始め、何か他によい解決法がある筈だと言い訳を始め、しばしばそれを〝正当化〟してしまいます。しかし、いかに弁明し、いかに知らぬふりをしてみても、良心の声が既に最も正しい道を指示しております」

 サークルの一人「この手紙にはスピリチュアリズムは間違いであると思い込んでいる実直で真面目な教会第一主義の信心家のことが述べられておりますが・・・・」

 「それは最早良心の問題ではなく、精神的発達の問題です。問題が全く別です。それは間違った前提に立った誤まった推理に過ぎません。私のいう良心は内的な霊性に関わる問題において指示を必要とする時に呼び出されるものです」

-でも、良心は精神的発達とは密接に繋がっていませんか。

 「繋がっている場合と繋がっていない場合とがあります。私は良心とは神が与えた霊的監視装置(モニター)で、各自が進むべき道を適確に指示するものであると主張します」

-一人の人間は正しいと言い、別の人間は間違いだと言う場合もあるでしょう?

 「あります。が、そのいずれの場合においても、自動的に送られて来る良心による最初の指示が本人の魂にとって最も正しい判断であると申し上げているのです。問題はその指示を受けた後で、それに不満を覚え、他にもっと楽で都合のいい方法はないものかと、屁理屈と正当化と弁解を始めることです。しかしモニターによって既に最初の正しい指示が出されているのです。この説はあまり一般受けしないかも知れませんが、私の知る限り、これが真実です」

-東洋の宗教は古くから人間の内部に宿る神を強調していますね。

 「私なら神の内部に宿る人間を強調したいところです。私に言わせれば〝人間の中の大霊〟と言っても〝大霊の中の人間〟と言っても全く同じことです。神と人間とは永遠の繋がりがあります。神は絶対に切れることのない愛の絆によって創造物と繋がっております。進化の程度において最下等のものから最高の天使的存在に至るまでの全存在が神の愛と生命の活動範囲の中に収まっています。程度が低過ぎて神から見放されることもなければ、高過ぎて神を超えてしまうこともあり得ません」

-全てが大霊の一部だからですね。

 「そうです。〝一部〟といっても説明が困難ですが、人類の全てが神性の一部を有しております。これは大切な真理で、これさえ理解され生活の規範とされるようになれば、世界の全ての人間が霊的な威力を呼び覚まし、日々生じる問題について新しい視野で対処出来るようになることでしょう」

-神は全ての界層において平等に顕現しているのでしょうか。それとも地上の人間だけがそれを悟れないでいる、或いは捉え損ねているのでしょうか。それとも人間が死後の界層を進化していくにつれて神の顕現の分量が増していくのでしょうか。

 「それは要するに受容力の問題です。神は無限です。無限なるものには際限がありません。制限がありません。神の恵みは果てしなく広がっています。知り尽くすということは絶対に出来ません。人間はいつまでも進化し続ける存在です。進化するにつれて受容力が増します。受容力が増すにつれて理解力が増し、かくしてその分だけ神を理解出来ることになります」

-ここに二人の人間がいて、一人は元気盛りでもう一人は死刑を迎えて肉体との関係が稀薄になっているとします。この場合、後者の方が霊的な影響を受け易いのでしょうか。

 「必ずしもそうとは言い切れません。肉体から離れるということは必ずしも進化を決定付けるものではありません。私の世界にも地上の人間より進化の程度の低い霊がそれはそれは大勢います。確かに肉体はその本性そのものの為に人間の精神の表現を制約しておりますが、人類全体として言えば、地上のいずれにおいても霊性の発達の為の余地がふんだんに存在します」

-その発達の為に努力することが霊の為になるのだと思います。そうでなかったら地上に存在する意味がないことになるからです。肉体というハンディを背負いながら成長しようと刻苦することが魂にとって薬になるのだと思います。

 「勿論ですとも。困難を克服しようと努力する時、次々と降りかかる障害に必死に抵抗して行く時、不完全さを補い完全へ向けて努力する時、その時こそ神性が発揮されるのです。それが進化の諸相なのです」

-地上という所は魂の修業場として色んな面で有利であるといった趣旨の話をよく耳にします。地上的闘争を潜り抜けねばならないということそれ自体が地上の良さでもあると言えると思うのです。

 「仰る通りです。当然そうあらねばなりません。もしそうでなかったら地上へ生まれて来ることもないでしょう。宇宙の生命の大機構の中にあって、この地球もそれなりの役割があります。地上は保育所です。訓練所です。色んなことを学ぶ学校です。身支度をする場です。潜在している才能が最初に目を出す場であり、それを人生の荒波の中で試してみる所です。そうした奮闘の中で初めて真の個性が形成されるのです。闘争もなく、反抗もなく、困難もなく、難問もないようでは、霊は成長しません。進化しません。奮闘努力が最高の資質、最良の資質、最大の資質、最も深層にある資質を掘り起こすのです」

-若くして他界した場合はどうなるのでしょうか。

 「そうくると思ってました」

-これには二つのケースがあると思うのです。一つは、もしそれがその人の寿命であれば、それまでに霊的には既に他界する準備が出来ていた場合。もう一つは死後その埋め合わせの為に物質界との接触を通じて進化を得る場合です。

 「あなたは親切な方ですね。質問をなさると同時に二つも答えを用意してくださいました。ご質問に対する答えは、古くからある恐怖の輪廻転生思想と、私の説く再生説すなわち前回の地上生活での不足分を補う為に地上のどこかに誕生するという、この二つの説の内のどちらかをお選びください。あなたの気に入られた方をお取りになればよろしい。私の説は既によくご存知でしょう。しかし、ここで強調しておきたいのは次の点です。
 よく分からないことが沢山あります。私達も所詮全ての知識は持ち合わせておりません。しかし同時に、矛盾を恐れずに申し上げれば、神は完全である故に摂理も完全です。(訳者注-全ての知識は持ち合わせないと言いながら神は完全であると断定するのは明らかに矛盾しているが、第十章の後半で、過去三千年の体験からそう信じるに足るだけの証を手にしているのだと述べている)いかなる困難が生じても、そして、たとえそれに対して私達があなたに満足のいく回答をお授けすることが出来なくても、それは神の計画に欠陥があるということではありません。絶対にそういうことはありません。〝愛〟が宇宙を支配しているのです。無限の範囲と適用性をもつ愛です。一旦その愛があなたを通じて働くようになれば、あなたは一変し、あなたに生を与えた霊力と一体となります」(先に述べた矛盾を超越してなるほどと実感をもって得心出来るということ-訳者)

-こうした問題は限られた人間的理解力を超えているというのは本当でしょうか。私達は宿命的に理解不可能なのでしょうか。

 「無限の顕現をもつ宇宙を理解しようとする時人間の肉体的構造が一つの限界となることは、一般的に言って事実です(霊覚者は別ということ-訳者)。決して知識欲に水を差すつもりで申し上げるのではありません。が、私達はあくまでも現実を見失ってはなりません。幾十億と知れぬ人間が生活する地上に目を向けてみましょう。その大半がここにいらっしゃる方が当たり前と思っている霊的真理に全く無知なのです。その知識からあなた方が得ている喜びが彼等には保証されていないのです。その生活は悲劇と哀しみに満ちております。しかも、いずこに救いを求めるべきかを知らずにおります。ならば、私達こそ、これまでに得た知識を少しでもそういう人達に分けてあげることでお役に立つことが出来るのではないでしょうか。そうすることが知識を獲得した者が担う責任、つまりそれを更に他の人々にも分けてあげるという責任を遂行することになるのではないでしょうか」

-それこそが、こうして私達がこの部屋に集まっているそもそもの目的だと思います。

 「そうです。それが目的でここに集まっているのです。それこそが私達の双肩に掛かっている仕事です。あらん限りの力を尽くしてその遂行に当たらなければなりません。我々にとって可能な限りの人数を達成するまでは気を抜いて安心してはなりません」

 ここで話題が変わって、もう一人の招待客が「夜空に見える星はただの物体でしょうか、それとも生命が存在するのでしょうか」と尋ねた。

 「どうやら少し深みに入って来たようですね。地上世界の知識もまだまだ限界に到達しておりませんが、私達の世界に至っては遙かに限界から程遠い状態です。宇宙には最高界の天使的存在から、意識が漸く明滅する程度の最低の魂に至るまでの、様々な意識的段階にある生命が無数に存在します。意識的生命が地球だけに限られていると思ってはなりません。地球は数限りなく存在する天体の内の、たった一つに過ぎません。無限なる叡智をもつ宇宙の大霊が、無限なる宇宙において無限なる意識的段階にある無数の生命に無限の生活の場を与えることが出来ない筈がありません。有機的生命の存在する天体は無数にあります。但し、その生命は必ずしもあなた方が見慣れている形体をとるわけではありません。以上の説明が私としては精一杯です」

-それもやはり人間的存在なのでしょうか。

 「今私は、少し深みに入って来たと申し上げました。ある種の形態、すなわち形と大きさと運動をもち、環境に働きかけることが出来る意識的存在という意味では人間と同じ組織的存在ですが、例外はあるにしても、その殆どはあなた方が親しんでおられる形態の組織体と同じではありません。どうやらこれ以上の説明は無理のようです」

-あなたはそうした存在をご覧になったり話を交わしたことがおありですか。

 「私の方からその天体にまで赴いて話をしたことはありませんが、あなた方の死に相当する過程を経た後霊的形態に宿って話を交わしたことはあります。ですが、忘れないで頂きたいのは、あなた方が地上の生命と全く類似性のない生命に言及されると、それをなぞらえるべき手段を見出すのが困難なのです」
訳者注-地球人類が他の天体上の意識的生命をうんぬんする時、とかく人間的身体と同じ形態を具えたものを想像しがちであるが、各種の霊界通信から推察すると、寧ろ地球人類の方が特殊な部類に属し、幾千億と知れぬ天体上には人間の想像を超える形態を具えた存在が躍如たる生命活動を営んでいるようである。シルバーバーチが説明困難といったのは、なぞらえるべきものが見当たらないのも一つの理由であるが、うっかり説明し始めるとつい〝深み〟に嵌り込んでしまって、にっちもさっちも行かなくなるという危惧があるようである。無論それ以前に、今の人類にそんなものは必要ないという配慮もあることであろう。