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カテゴリ:★『シルバーバーチの霊訓』 > シルバーバーチ シルバーバーチ霊団の使命

シルバーバーチ シルバーバーチ霊団の使命 目次

シルバーバーチ霊団の使命1

シルバーバーチ霊団の使命2

 自分自身についての単純・素朴な真理-これを本当に理解している人がなんと少ないことであろう。ところがその自分自らを知らない人間がとかく他人のことについては、あたかも深い洞察力をもっている人間であるかのような口を利くものである。曰く-〝あいつも、もうそろそろ気付いてもよさそうなものだが・・・・〟〝いつになったら目が覚めるのだろう〟〝あの人がもし側から見られるように自分で自分を見つめることが出来たら、さぞかし・・・・〟等々。他人についての単純な真理を表現したこうした言葉はよく耳にするが、それを口にする本人も自分自身についてはとかく何も知らないものである。
 こうした中にあって、古来、その霊性の高さと教説の崇高さにおいて際立ったものを見せる存在がいる。人間それ自身についての彼等の説くところには永遠の真実味がある。
 ソクラテスがそれであり、イエスがそれであり、そしてこのシルバーバーチがそれである。ロンドンの霊媒(バーバネル)の言語機能を借りて語る、三千年前に地上を去ったという古代霊シルバーバーチは、交霊現象にまつわるあらゆる障壁を乗り越えて、しかも稀にみる言語感覚の冴えをさりげなく発揮しながら、こう語る。

 「私に出来ることは永遠・不変の宇宙の原理・原則を指摘することだけです。地上世界のことが全て探求し尽くされ、説明し尽くされ、理解され尽した後に、尚且つ誰一人として完全に究めることも説明することも出来ない永遠の摂理があります。それは構想においても適用性においても無限です。人間の全てが、日々決断を迫られる問題に直面した時に、自分が霊的存在であること、大切なのは物的なもの-それはそれなりに存在意義はあっても-ではなくて、それがあなたの本性、永遠の霊的本性に与える霊的な意義であることを自覚することが出来るようになれば、どれだけ素晴らしいことでしょう。
 物的なものはいずれ朽ち果て、元の塵に帰ります。野心、欲望、富の蓄積、こうしたものは何の役にも立ちません。所詮はあなた方も霊的存在なのです。真の富はその本性に宿されているものだけであって、それ以上では有り得ませんし、それ以下でもありません。そのことを生涯を通じて悟っていかなくてはいけません。それを悟った時、あなたは真の自分を見出したことになり、自分を見出したということは神を見出したということになり、そうなった時のあなたこそ真の意味での賢者と言えるのです。
 私の目には、あれこれと〝大事なこと〟があって毎日あっちへ走りこっちへ走りして、忙しく暮らしながらその実〝一番大事なこと〟を見落とし、なおざりにしている為に、心が絶望的でヤケになっている大勢の人々の姿が見えます。この辺りに私共が説く教えの核心があるのですが、お判りになりますか。その人達が日々の生活の中に生きる喜び-神の子として当然味わうべき充足感を見出してくれるようにと願って霊界から舞い戻って来るそもそもの目的がそこにあることが判って頂けるでしょうか。
 それは所謂宗教、教会、信条、教義といったものより大切です。人類を分裂させ戦争と混沌と騒乱の原因となって来た、その類のモノのいずれにもまして大切です。が、それは自分という存在についての(霊的存在であるという)至って単純な事実に過ぎないのです。なのに、それを悟っているのはごく僅かな人達だけで、大多数の人は知らずにおります」

 さて、こうした霊的啓示を我々は、たまたま良い霊媒がいたから得られた、気紛れで無計画なものと受け止めがちである。が、シルバーバーチがこれから明かすように、その背後では幾重にも組織された霊団によって、遠大な計画の下に推進されている。(訳者注-シルバーバーチに限っていえば霊媒のバーバネルが誕生する以前から計画を立て英語の修得や心霊現象の研究と準備を重ねて来たというが、同じことが各国・各民族において太古よりそれ独自の形で推進されて来ており、これから先には本格的なものが計画されていることであろう。地上人類は言わばケンカや遊びから学ぶ幼児期を終えて、やっと本格的な霊的真理を学ぶ時代に入りつつある-そんな程度の段階にあるのではなかろうか)
 シルバーバーチはこう語っている。
 「私達霊団の使命は列記とした目的ないし意義をもつ証拠を提供し、それによって心霊的法則というものが存在することを立証する一方、生きる喜びと霊的教訓を授けるということです。物理的法則を超えた別の次元の法則の存在を証明するだけでなく、霊についての真理を啓示するということです。
 そうした使命をもつ私達には、真っ向から立ち向かわねばならない巨大な虚偽の組織が存在します。過去幾世紀にも亘って積み重ねられて来た誤りを改めなければなりません。人間が勝手に拵えた教義を基盤として築き上げられてきた虚飾の大機構を解体しなくてはなりません。
 私達の努力は常に、物質界の神の子等にいかにして魂の自由を見出し、いかにして霊的真理の陽光を浴び、いかにして教義の奴隷となっている状態から脱け出るかをお教えすることに向けられております。これは容易な仕事ではありません。なぜなら、一旦宗教という名の足枷をはめられたが最期、迷信という名の厚い壁を突き破って霊的真理が浸透するには永い永い年月を要するからです。
 私達は霊的真理の宗教的意義をたゆまず説き続けます。その霊的な重要性に目覚めれば、戦争と流血による革命より遙かに強烈な革命が地上世界にもたらされるからです。
 それは魂の革命です。その暁には世界中の人々が受けて当たり前のもの-霊的存在としての様々な自由を満喫する権利を我が物とすることでしょう。
 私達が忠誠を捧げるのは教義でもなく書物でもなく教会でもありません。宇宙の大霊すなわち神とその永遠不変の摂理です。
 いずれ地上世界に強力な霊が注がれます。世界各地において霊的勢力の働きかけが認識されるようになります。これまで蔓延ってきた利己主義と無知に歯止めをかける為の大きな仕事があるからです。それはいつか必ず成就されます。が、その途中の段階においては大きな産みの痛みを味わわなくてはならないでしょう。
 その仕事を支援せんとして私共の世界から大勢のスピリットが馳せ参じております。あなた方の顔見知りの人、血の繋がりのある人もいれば、愛の繋がりによって引かれてくる人もいます。背後霊というとあなた方は直ぐに顔見知りの名前を思い浮かべがちですが、一方には全くあなた方の知らない人達で、ただ自分の力を役立てることにのみ喜びを覚えて援助してくれている人達がいることも、どうか忘れないでください。
 聖書にはサウロ(後のパウロ)がダマスカスへ行く途中、天からの光に包まれ、目が眩んで倒れ、それがきっかけで改心する話がありますが(使徒行伝9・3、22・6)、世の中はそんな具合に一気に改まるものではありません。一人ずつ霊的真理に目覚め、一人ずつ神の道具となっていくという形で、少しずつ光明が広がって行くのです。霊的なものは大事に育て慎重に広めて行く必要があることを銘記しなければなりません。急激な改心はえてして永続きしないものです。私達の仕事は永続性が生命です。
 一個の魂が神の道具となった時、一個の魂が暗黒から光明へ、無知から知識へ、迷信から真実へと目覚めた時、その魂は世界の進歩に貢献していることになります。なぜなら、その一人ひとりが言わば物質万能主義の棺に打ち込まれる釘のようなものだからです。
 発達にも二つの種類があることを知ってください。霊そのものの発達と、霊が使用する媒体(注)の発達です。前者は魂そのものの進化であり、後者は単なる心霊的能力の開発に過ぎません。霊的進化を伴わない心霊能力だけの発達では低い次元のバイブレーションしか出せません。両者が相携えて発達した時、その人は偉大な霊能者であると同時に偉大な人物であることになります。(注-その働きを普段我々は精神或いは潜在意識として捉えている。この中に所謂超能力が宿されている。シルバーバーチは別の所でそれがいずれは人類の当たり前の能力として日常茶飯に使用されることになると述べているが、ここでは、それがすなわち人格の向上を意味するものでないことを指摘し、超能力者だからといって直ぐに崇めたがる風潮を戒めている。訳者)
 私達が携えてくるメッセージは地上人類にとって実に素晴らしい恩恵をもたらします。魂を解放し、神からの遺産(神的属性)の素晴らしさに目を開かせます。あらゆる足枷と束縛を棄てるように教えます。霊的真理の本当の有り難さを教えます。物的生活の生き方と同時に霊的生活の生き方も教えています。美と愛と叡智と理解力と真理と幸福をもたらします。人の為に、ひたすら人の為に、と説くメッセージです。
 ところが、そのメッセージを携えて来る私達が、神を正しく理解していない人々、霊の働きかけの存在を信じない人達によって拒絶されております。それはいつの時代にもよくある話です。
 一方、現在の地上の状態はそうした私達スピリットの働きかけをますます必要としております。流血に次ぐ流血、そしてその犠牲となった人々の涙の絶えることがありません。無明故に地上人類は摂理に従った生き方をしておりません。暗黒と絶望の道を選択しております。そこで私達が希望と光明と平和と調和をもたらす知識を携えて来たのです。無知故に私達を軽蔑します。私達のメッセージを拒絶します。私達を背後から導いている強大な力の存在に気付いてくれません。しかし霊的実在を教える大真理は必ずや勝利を収めます。
 摂理に逆らう者は自らその苦い実りを刈り取ることになります。摂理に従って生きる者は物的・霊的の両面において豊かな幸せを刈り取ります。
 暗闇が蔓延する地上にあって、どうか希望を失わず、あなた方と共に人類の高揚の為に動いている多くの霊、物的世界を改善しようとしている霊の努力は必ず実ることを信じて頂きたいのです。その背後に控える霊力は宇宙で最も強力な力だからです。
 価値あるものは苦難と悲哀なしには達成出来ません。地上は地上なりの教訓の修得方法があるのです。それは避けるわけにはいきません。今、霊的勢力が地上全土に亘って活動を開始しつつあり、あらゆる地域の人々に霊的メッセージが届けられ、その心を明るく照らし、その光が広まるにつれて物質万能主義の闇を追い散らしていきます。
 私達は罰の恐ろしさをチラつかせながら説得することはしません。恐怖心から大人しく生きる、そんな卑屈な臆病者になって欲しくはありません。内部に宿る神性を自覚し、それを発揮することによって霊性を高め、一段と崇高な真理と叡智を身に付けて頂くことを目指しております。
 その為には、まず、これまでに得たものに不満を抱くようにならなければなりません。なぜなら、今の自分に満足出来ず、更に何かを求めようとするところに、より高い知識を得る可能性が生まれるものだからです。満足する人間は進歩が停滞します。満足出来ない者は更に大きな自由へ向けて突き進むことになります。
 私達は決してあなた方に〝理知的に難しく考えず、ただ信じなさい〟とは申しません。逆に〝神から授かった理性を存分に駆使して私達を試しなさい。徹底的に吟味しなさい。その結果もし私達が述べることの中に低俗なこと、邪険なこと、道義に反することがあると思われたら、どうぞ拒絶してください〟と申し上げております。(訳者注-シルバーバーチがそう述べる時、自分の訓えを押し付けるつもりはないという態度の表明であると同時に、次のような事実を踏まえていることも指摘しておきたい。それは、シルバーバーチの名が広まるにつれてその名を騙る霊が出没していることである。これは霊媒のバーバネルの在世中にもあったが、他界後も世界各地であるようである。シルバーバーチは自分が霊媒とは別個の存在であることを証明する為に他の霊媒、例えばロバーツ女史を通してバーバネル夫妻に語ったことはあるが、それもそう約束した上でのことだった。そういう事実を踏まえて、だから、変だと思われたら遠慮なく拒絶してくださいと言うことにもなった)
 私達はひたすらあなた方に〝より高潔な生活〟、自己犠牲と理想主義を志向する生活を説いております。もしそれをお認め頂ければ、それは私達の教えの中身に神の旗印が押されていることを証明するものと言えましょう。
 たった一個の魂でも目覚めさせることが出来れば、悲嘆に暮れる者をたった一人でも慰めてあげることが出来れば、怖気付いた人の心を奮い立たせ人生に疲れた人に生きる勇気を与えることが出来れば、それだけでも努力の甲斐があったことにならないでしょうか。
 私達のメッセージを耳にして心に動揺を来たし、困惑し、ワケが分からなくなりながらも、先入主的信仰によって身動きが取れずにいる人が大勢おります。しかしその人達も、牢獄に閉じ込められた魂へ向けて呼びかける自由の声を耳にして煩悶しています。
 そういう人達にこそ私達のメッセージを届けてあげるべきです。思いも寄らなかったものが存在することを知ってそれを必死に求めようとする、そのきっかけとなります。真理とは全て踏み石の一つに過ぎません。
 この霊媒の口をついて出る言葉にもしもあなた方の理性に反発を覚えさせるもの、神の愛の概念と矛盾するもの、愚かしく思えるもの、あなたの知性を侮辱するものがあるとすれば、それは、最早私の出る幕ではなくなったことを意味します。私の時代は終わったことになります。
 この交霊会もこれまで数え切れない程催されておりますが、その間私が魂の崇高なる願望と相容れないものを述べたことは、ただの一度もないと確信しております。私達は常にあなた方の魂の最高の意識に訴えているからです。
 地球人類は地球人類なりに、自らの力で救済手段を講じなくてはなりません。出来合いの手段はないのです。前もって用意されたお決まりの救済手段というものはないのです。その為にはこれが生命現象だと思い込んでいる自然界の裏側に目に見えない霊的実在があること、そして物質界に生活している人間は物的存在であると同時に霊的存在であり、物的身体を通して自我を表現しているという事実をまず理解しなくてはなりません。
 物的身体は、神の意図された通りに、生活上の必需品をきちんと揃えることによって常に完全な健康状態に保たねばなりません。一方、霊はあらゆるドグマと信条による足枷から解放されねばなりません。そうすることによって実質的価値、つまり霊的に見て意味のないものに忠誠を捧げることなく、真実なるものの為にのみ精を出すことになり、過去幾千年にも亘って束縛して来た信条やドグマを巡っての戦争、仲違い、闘争を無くすことが出来ます。
 私達は神を共通の親とする全民族の霊的同胞性を福音として説いております。その理解を妨げるものは地上的概念であり、虚偽の上に建てられた教会であり、特権の横領(注)であり、卑劣な圧制者の高慢と権力です。(注-宗教組織の発達に伴って内部において権力の構造が生まれる。それは人間的産物に過ぎないが、それを宇宙の絶対者から授かったものと錯覚し主張し始める。それを〝横領〟と表現したのである-訳者)
 私達の霊訓が理解されて行くにつれて地上の民族間の離反性が消えて行くことでしょう。各国間の障壁が取り除かれて行くことでしょう。民族的優劣の差、階級の差、肌色の違い、更には教会や礼拝堂や寺院同士の区別も無くなることでしょう。それは、宗教には絶対的宗教というものはなく世界の一つひとつが宇宙の真理の一部を包蔵しており、自分の宗教にとって貴重この上ない真理が他の宗教の説く真理と少しも矛盾するものでないことを理解するようになるからです。
 そうしていく内に、表面上の混乱の中から神の意図(プラン)が少しずつ具体化し、調和と平和が訪れます。こう申し上げるのも、あなた方にその神のプランの一部-私達が霊の世界から携わり皆さんの一人ひとりが地上において果たさなければならない役割を正しく理解して頂く為です。
 私達が説いていることはかつて人類の進歩の為に地上へ降りた各時代の革命家、聖者、霊格者、理想主義者達の説いたことと少しも矛盾するものではありません。彼等は霊的に偉大な人物でしたから、その霊眼によって死後の生命を予見し、その美しさが魂の支えとなって、あらゆる逆境と闘争を克服することが出来たのでした。彼等は地上世界にいずれ実現される神のプランを読み取り、その日の為に物質界の子等の魂を高揚させるべく一身を投げ打ったのでした。
 彼等も悪し様に言われました。援助の手を差し延べんとしたその相手から反駁され嘲笑されました。しかしその仕事は生き続けました。それは丁度、今日世界各地の小さな部屋で行われている、このサークルのような交霊会の仕事が、そのメンバーの名が忘れ去られた後も末永く生き続けるのと同じです。強大な霊の力が再び地上世界へ注ぎ込まれ始めたのです。いかなる地上の勢力をもってしてもその潮流をせき止めることは出来ません。
 人間は問題が生じると直ぐ流血の手段でカタをつけようとします。が、そんな方法で問題が解決したためしはありません。流血には何の効用もありませんし、従って何の解決にもなりません。なぜ神から授かった理性が使えないのでしょう。なぜ相手を出来るだけ大勢殺すこと以外に、解決法が思いつかないのでしょう。なぜ一番多くの敵を殺した者が英雄となるのでしょう。地上という所は実に奇妙な世界です。
 地上には是非私達のメッセージが必要です。霊のメッセージ、霊的真理の理解、自分の心の内と外の双方に霊的法則と導きがあるという事実を知る必要があります。そうと知れば、迷った時の慰めと導きと援助をいずこに求めるべきかが判るでしょう。
 こうした仕事において私達は、自分自身のことは何一つ求めていません。栄光を求めているのではありません。地上の人達の為に役立てばという、その願いがあるだけです。永い間忘れられて来た霊的真理を改めて啓示し、新しい希望と生命とを吹き込んでくれるところの霊的なエネルギーを再発見してくれるようにと願っているだけです。
 今や、これまでの古い規範が廃棄され、あらゆる権威が疑問視され、その支配力が衰えつつある中で人類は戸惑っておりますが、そんな中で私達は絶対的権威者であるところの宇宙の大霊すなわち神の存在を、けっして 機能を停止することも誤ることもない法則という形で啓示しようとしているのです。地上世界がその法則に順応した生活規範を整えていけば、きっと再び平和と調和が支配するようになります。
 そうした仕事は、廃棄された信仰の瓦礫の中にいる人類が不信感と猜疑心からその全部を棄ててしまうことなく、真なるものと偽なるもの、事実と神話とを見分け、永い間人類の勝手な想像的産物の下に埋もれて来た真に価値あるもの、全ての宗教の根底にあるもの、霊についての真理を見出すように指導するという、私共霊団に課せられた大きな使命の一環なのです。

 霊の力-太古において人類を鼓舞し、洞察力と勇気、同胞の為を思う情熱と願望を与えたその力は、今日においても直ぐ身近に発見出来る法則の働きの中に求めようとする心掛け一つで我がものとすることが出来るのです。
 教会の権威、聖典の権威、教理の権威-こうしたものが今悉く支配力を失いつつあります。次第に廃棄されつつあります。しかし霊的真理の権威は永遠に生き続けます。私がこうして戻って来る地上世界は騒乱と混沌に満ちていますが、霊の光が隙間から洩れるようなささやかなものでなしに強力な光輝となって地上全部に行き渡れば、そうしたものはたちどころに治まることでしょう。
 なぜ人間は光明が得られるのにわざわざ暗闇を求めるのでしょう。なぜ知識が得られるのに無知のままでいたがるのでしょう。叡智が得られるのになぜ迷信にしがみつくのでしょう。生きた霊的真理が得られるのに、なぜ死物と化した古い教義を後生大事にするのでしょう。単純・素朴な霊的叡智の泉があるのに、なぜ複雑怪奇な教学の埃の中で暮らしたがるのでしょう。
 外せる筈の足枷を外そうともせず、自由の身になれる筈なのに奴隷的状態のままでいながら、しかもその自ら選んだ暗闇の中で無益な模索を続けている魂がいるのです。思うにそういう人はあまりに永い間鎖に繋がれて来た為に、それを外すことに不安を覚えるようになってしまったのでしょう。永い間カゴの中で飼われた小鳥は、カゴから放たれた時、果して飛べるかどうか不安に思うものです。
 足枷を外すまではいいのです。が外した後に自ら歩むべき道がなくてはいけません。何の道標もなくて戸惑うまま放置されるようなことになってはいけません。私達は彼等の魂の解放を望みますが、その自由が手引きしてくれる方向もよく見極めて欲しいのです。
 永い間束縛の中で生きていると、やっと自由を得た時に、もう何の指図も受けたくないという気持を抱きます。そしてこう言います-〝もう指図を受けるのは御免です。疑問と迷いの年月でした。それを振り棄てた今、私はもう宗教と名の付くものとは一切関わりたくありません〟と。
 足枷から解放されて迷いが覚めると共に、激しい反動が起きることもあります(例えば神仏の化身として崇めていた教祖がただの人間に過ぎなかったことを知って-訳者)。そこで私は、私という一個人、ただのメッセンジャー(使いの者)に過ぎない者に過度の関心を寄せられるのを好まないのです。私はメッセージそのものに全てを賭けております。地上の人間はあまりに永い間教えを説く人物に関心を寄せ過ぎ、超人的地位に祭り上げ、肝心の教えそのものを忘れて来ました。
 私達の使命は最早そんな、所詮人間に過ぎないものを超人的地位に祭り上げることではありません。真理と知識と叡智をお届けするだけです。私が地上で傑出した指導者であったか、それとも哀れな乞食であったか、そんなことはどうでも良いことです。私の述べていることに真理の刻印が押されていれば、それでよろしい。名前や権威や聖典に訴えようとは思いません。訴えるのはあなた方の理性だけです。
 人間の知性に矛盾を感じさせるようなことは何一つ要求致しません。人間としての道義に反すること、尊厳に関わること、屈辱感を覚えさせること、人類を軽蔑するようなことは決して説きません。私達は全人類の意識を高め、地上における一生命としての位置、宇宙における位置、創造神との繋がり、一つの家族としての地上人類同士の同胞関係を正しく理解する上で必要な霊的真理を明かそうとしているのです。
 これまでのように何かというと聖典の文句を引用したり、宗教的指導者の名前を持ち出したり、宗教的権威を振りかざしたりすることは致しません。私達は神から授かっている理性を唯一の拠り所として、それに訴えます。ただ単に聖書に書いてあるからというだけの理由で押し付ける方法はとりません。理性が反発を覚えたら拒否なさって結構です。ただ、よく吟味してくだされば、私達の説くところが霊的存在として最高にして最善の本能に訴えていること、その目標が間違った古い考えを洗い落とし、代わって、後できっと有り難く思ってくださる筈の大切な真理をお教えすることであることが分かって頂けるものと確信します。地上の所謂宗教は真実を基盤とすべきであり、理性の猛攻撃に抗し切れないようなものは全て廃棄すべきです。
 私達が霊的真理を説く時、それは霊的世界の摂理に関わることとしてのみ説いているのではありません。物的世界に関わることでもあるのです。私達の目から見れば物的世界は神の創造された宇宙の一側面であり、それを無視して、つまり絶望の淵に沈む人類の苦しみに無関心でいて〝宗教的〟では有り得ません。そういう人達の為に援助の手を差し延べる人は全て偉大なる霊と言えます。真理を普及することのみが人の為の仕事ではありません。他にも色々あります。
 貧困に喘いでいる人々への物的援助もそうです。病に苦しむ人々の苦痛を取り除いてあげることもそうです。不正と横暴を相手に闘うこともそうです。憎しみ合いの禍根を断ち、人間的煩悩を排除して内奥の霊性に神の意図された通りに発現するチャンスを与えてあげる仕事もそうです。
 私が残念に思うのは、本来霊的存在であるところの人間があまりに霊的なことから遠ざかり、霊的法則の存在を得心させる為に私達スピリットがテーブルを浮揚させたりコツコツと叩いてやらねばならなくなったことです。(巻末〝解説〟参照)
 あなた方も一人の例外もなく神の分霊なのです。ということは、あたかも神があなた方にこう語りかけているようなものです-〝私が全ての法則を用意し、あなた方一人ひとりに私の分霊を授けてあります。宇宙を完全なものにする為の道具は全て用意してあります。その全てを利用することを許しますから、自分にとって良いものと悪いものとを自ら選択しなさい。それを私の定めた法則に順応して活用してもよろしいし、無視してもよろしい〟と。
 そこで神の子等はそれぞれ好きなように選択して来ました。しかし他方において、霊界から地上の経綸に当たっている者は神の計画を推進する為に、地上において間違いなく神の御心に感応出来る人材を送り込まねばならないのです。地上の神の子等はこれまで大きく脇道に外れてしまった為に霊的なことにすっかり無関心となり、物的なことしか理解出来なくなっております。
 しかし冷たい冬の風が吹きまくった後には必ず春の新しい生命が芽生えるものです。地面に雪か積もり、全てが寒々とした感じを与える時は、春の喜びは分かりません。が春はきっと訪れるのです。そして生命の太陽はゆっくりと天界を回って、いつかは 生命の壮観がその極みに達する時が参ります。
 今、地上全体を不満の暗雲が覆っています。が、その暗雲を払い除けて夢を抱かせる春、そしてそれを成就させる夏がきっと訪れます。その時期を速めるのも遅らせるのも、あなた方神の子の自由意志の使い方一つに掛かっております。
 一人の人間が他の一人を救おうと努力する時、その背後に数多くのスピリットが群がり寄って、その気高い心を何倍にも膨らませようと努めます。善行の努力が無駄にされることは絶対にありません。奉仕の精神も決して無駄に終わらせることはありません。誰かが先頭に立って藪を開き、後に続く者が少しでも楽に通れるようにしてあげなければなりません。やがて道らしい道が出来上がり、通れば通る程平坦になって行くことでしょう。
 高級神霊界の神が目に一杯涙を浮かべて悲しんでおられる姿を時折見かけます。今こそと思って見守っていた折角の善行のチャンスが踏み躙られて行く人間の愚行を見て、いつかはその愚かさに目覚める日が来ることを祈りつつ眺めているのです。そうかと思うと、嬉しさに顔を思い切りほころばせておられるのを見かけることもあります。無名の平凡な人が善行を施し、それが暗い地上に新しい希望の灯を灯してくれたからです。
 私は直ぐそこまで来ている新しい地球の夜明けを少しでも早く招来せんが為に、他の大勢の同志と共に波長を物質界に近付けて降りて参りました。その目的は神の摂理を説くことです。その摂理に忠実に生きさえすれば神の恵みをふんだんに受けることが出来ることを教えてあげたいと思ったのです。
 物質界に降りて来るのは、正直言ってあまり楽しいものではありません。光もなく活気もなく、鬱陶しくて単調で生命力に欠けています。譬えてみれば弾力性のなくなったヨレヨレのクッションのような感じで、何もかもがだらしなく感じられます。どこもかしこも陰気でいけません。従って当然、生きる喜びに溢れている人は殆ど見当たらず、どこを見渡しても絶望と無関心ばかりです。
 私が住む世界は光と色彩に溢れ、芸術の花咲く世界です。住民の心は真に生きる喜びが漲り、適材適所の仕事に忙しく携わり、奉仕の精神に溢れ、お互いに自分の足らざる所を補い合い、充実感と生命力と喜びと輝きに満ちた世界です。
 それに引き換え、この地上に見る世界は幸せがあるべき所に不幸があり、光があるべき所に暗闇があり、満たされるべき人々が飢えに苦しんでおります。なぜでしょう。神は必要なものは全て用意してくださっているのです。問題はその公平な分配を妨げる者がいるということです。取り除かねばならない障害が存在するということです。
 それを取り除いてくれと言われても、それは私共には許されないのです。私共に出来るのは物質に包まれたあなた方に神の摂理を訓え、どうすればその摂理が正しくあなた方を通じて運用されるかを教えて差し上げるだけです。今日ここにいらっしゃる方には是非、霊的真理を知ればこんなに幸せになれるのだということを身をもって示して頂きたいのです。
 もしも私の努力によって神の摂理とその働きの一端でも教えて差し上げることが出来たら、これに過ぎる喜びはありません。これによって禍を転じて福となし、無知による過ちを一つでも防ぐことが出来れば、こうして地上に降りて来た苦労の一端が報われたことになりましょう。私達の霊団はけっして本来あなた方人間が果たすべき義務を肩代わりしようとするのではありません。成る程神の摂理が働いているということを身をもって悟って頂ける生き方をお教えしようとしているだけです。
 そう言うとある人はこんなことを言います-〝仰る通りです。だから私達も施しをします。が、施しを受ける者はまず神に感謝しなければいけません〟と。施しをした後、その相手がそのことを神に感謝しようがすまいが、そんなことはどうでも良いことではないでしょうか。お腹を空かしている人がいれば食べ物を与えてあげる-それだけで良いではありませんか。寝る所に困った人に一夜の宿りを提供してあげる。それは良いことですが、〝どうぞウチで泊まっていってください。ですが、ちゃんと神にお祈りをなさってくださいよ〟などと余計なお説教をしてはいけません。
 スピリチュアリズムの真実を知ったあなた方は、その分だけを物的なもので差し引いて勘定してみたことがおありですか。つまりあなた方は地上的なものでは計れない貴重なものを手に入れられた。霊的真理という掛け替えのない高価なものをお持ちになっている。自分が霊的に宇宙の大霊と直結していることを悟られた。神の分霊であるという事実を悟られた。その神から遣わされた使者の働きかけを受け止める心掛けも会得された。そうしたことに比べれば、俗世的な宝はガラクタも同然です。あなた方はこれから先も永遠に生き続けるのです。すると、この地上で学んだ知識、体験から得た叡智が、俗世で追い求めている物的なものに比して、その永遠の魂にとっていかに大切であるかがお判りになる筈です。
 見かけの結果だけで物事を判断してはいけません。あなた方は〝物〟の目でしか見てないのです。〝霊〟の目でご覧になれば、一人ひとりの人間に完全に公正な配慮がなされていることを知るでしょう。私は時折あなた方を始め他の多くの人間の祈りに耳を傾けることがあります。そしていつもこう思うのです-もしも神がその全てを叶えてあげたら、ゆくゆくはあなた方にとって決して嬉しくない結果をもたらすであろう、と。
 地上を去って霊の世界へ来る人達に私はよく質問してみることがあるのですが、霊となって自分の地上生活を振り返ってみて、そこに納得のいかないことがあると文句を言う人は一人もいません。(訳者注-これは、全てはなるべくしてそうなっていた、つまり自分が蒔いた種だったということで、〝文句を言う人は一人もいない〟というのは誰しもその事実関係は認めざるをえないことを言っているのであるが、だからみんな直ぐに反省して殊勝な心掛けに立ち帰るという意味ではない。頭でそう認めても心が素直に従うとは限らないのは地上でもよくあることで、地上ならば片意地を張って通すことは出来ても霊界ではそうはいかない。その頑なな心の奥にある恨みや嫉妬などの悪感情がすぐさま身辺の雰囲気に漂い、環境にそぐわなくなり、親和作用によって同じような感情の中で生きる霊ばかりのいる境涯へと引き付けられて行く。そこを地獄という)
 地上世界には今三つの大きな問題があります。一つは無知であり、もう一つは悲劇であり、三つ目は貧困です。この三つは霊についての認識が政治と結び付き、みんながその新しい知識の指し示す方向で思考し、そして生きるようにならない限り、いつになっても無くならないでしょう。
 しかし勝利の潮流が着実に押し寄せて来ます。古い秩序が廃れ、新しい秩序にその場を譲って行きます。新しい世界は近付いております。しかし、新しい世界になったら地上から暗い場所が完全に無くなると思ってはいけません。相変わらず涙を流す人がいることでしょう。心を病める人がいることでしょう。大いなる犠牲が求められることもあるでしょう。
 神の計画に関わる仕事は犠牲なしには成就されないのです。取り壊しなしには建て直しは出来ません。人間は大きな悲劇に遭遇して初めて霊的なことに関心を抱き始め、その拠ってきたる源を探ろうとします。つまり、あれこれと物的手段を試みてその全てが何の役にも立たないことを知ると、藁をも掴む気持でどこかの宗教団体に縋りつき、そしてやがて失望します。
 そうしたことの繰り返しの中で霊的真理が台頭し、新しい世界-神の摂理が正しく機能している世界-の建設が始まります。そうなるまでは何かと大きな問題の絶えることはありません。が、いずれにしても、何も言うことのない完全な世界にはなりません。なぜならば完全に近付けば近付く程、その先により高い完全が存在することを知るからです」

-霊界が地上のスピリチュアリズムの普及に関心があるのなら、なぜもっとマスコミに働きかけないのでしょうか。

 「これは、これは。どうやらあなたは(真理のあり方について)あまり理解がいっていないようですね。知識が普及すること自体は良いことに決まっております。でも、いきなりマスコミを通じての宣伝効果の話を持ち出されるとは驚きました。あなたは魂というものがいついかなる状態で真理に感動するものかをご存知ないようです。
 私達は私達なりの手段を講じております。計画はちゃんと出来ているのです。後はあなた方地上世界の協力を俟(ま)つのみなのです。
 忘れないで頂きたいのは、私達は〝魔法の杖〟は持ち合わせていないということです。〝魔法の呪文〟をお教えするのではありません。宇宙の自然の理法を明かして差し上げようとしているだけです。
 その理法を知って魂が目を覚まし、自分も神の分霊であること、自分を通じて神が地上へ働きかけることも有り得ることを理解してもらいたいと願っているのです。その為に私達なりの普及活動は行っております。が、地上の雑音(マスコミを通じての宣伝)によってそれを行ってみても必ずしも効果は期待出来ません。一個の魂、一つの心に感動を与えていくこと、つまり霊とのより密接な一体化を体験させることによって成就していく他はありません」

-地上の体験、例えば戦争、苦難、精神的並びに肉体的受難、病気、悲しみ、憎しみ等々は人類の進化と発達にとって不可欠のものとして神の計画の中に組み込まれているのでしょうか。

 「いえ、そんなことはありません。戦争は神が計画されるのではありません。病気は神が与えるのではありません。人類が自由意志の使用を誤って自ら招来しているのです。その中にも学ぶべき教訓があることは確かです。しかしそれは、何も人類同士で野蛮な行為や恐ろしい残虐行為をし合わなくても学べることです。人間が勝手にやり合っていることを神の行為と取り違えてはなりません」

-今は連邦となっている英国の〝王室〟の存続は有益であると思われますか。

 「そう思います。なぜなら、何であれ国民を一つに結び合わせるものは大切にすべきだからです。世界人類が共存していく為の団結の要素を求め、お互いに近付き合うようにならなければいけません。離反・孤立を求めて争うことを私がいけないと言うのはそこに理由があります。魂が一切の捉われを無くすると、世界中の誰とでも調和した一体化を求めるようになるものです」

-霊界のプランがあることを何度も聞かされておりますが、それらしい明確な証が見当たらないのですが・・・。

 「物的な目をもってご覧になるから見えないのです。あなた方は全体の進歩というものを自分一人の短い生涯との関連において判断されますが、私達は別の次元から眺めております。その私達の目には霊的真理の普及、霊的知識の理解、寛容的精神の向上、善意の増大、無知と迷信と恐怖心と霊的奴隷状態の障壁の破壊が着実に進行しているのが見えます。
 進歩は突発的な改革のような形でなされるものではありません。絶対に有り得ません。霊的成長はゆっくりとした歩調でなされねばならないからです。どうか失望なさらないでください。なるほど物質万能主義の風潮が蔓延るのを見ていると失望の要素ばかりが目につきますが、他方では、霊的真理がそうした物質万能的な利己主義のモヤに浸透して行くにつれて、希望の光が射し込みつつあります。正しい認識が広まれば真理が勝利を収めます。
 だからこそ私達のメッセージが大切なのです。私達にとって大切なのではありません。あなた方にとって大切なのです。私達は地上の人類がその利己主義に対して、その理不尽な無知に対して、その計画的な残虐行為に対して払わねばならない代償の大きさを認識させるべく努力しているのです。あなた方の為に努力しているのです。何とか力になってあげようとしているのです。その動機はあなた方に対する私達の愛に他なりません。
 私達は人類を破滅の道へ追いやろうと画策している悪霊の集団ではありません。私達はあなた方の品性を汚すことや残忍な行為、或いは罪悪を犯させようとしているのではありません。それどころか、逆にあなた方の内部に宿る神性、神から授かっている霊的能力を認識させ、それを駆使して自分を他人の為に役立てる方法を説き、そうすることによって神の計画の推進に役立たせてあげたいと望んでいるのです」(巻末〝解説〟参照)

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