(本章は主として心霊治療の専門家グループを招待した交霊会での霊言である。-訳者)

 あなた方には病気を治すだけでなく霊的真理へ向けて魂を開眼させる生命力について是非理解して頂きたいと思います。魂に霊的悟りをもたらせることこそ心霊治療の神髄だからです。身体的障害を取り除いてあげても、その患者が霊的に何の感動も覚えなかったら、その治療は失敗したことになります。もしも何等かの霊的自覚を促すことになったら成功したことになります。内に秘められた神の火花を大きく燃え上がらせ輝きを増すのを手助けしてあげたことになるからです。
 それが常に変わらぬ心霊治療の隠れた目的です。治療家としてこの世に生を享けたのは、その仕事を通して神の計画の遂行に参加し、自分が何であるかも自覚せず何の為に地上に生まれて来たのかも知らず、従って何を為すべきかも知らずに迷っている神の子等に、永遠の真理、不変の実在を教えてあげる為です。これは何にも勝る偉大な仕事です。たった一人でもよろしい。治療を通じて霊的真理に目覚めさせることが出来たら、あなた方の地上生活は無駄でなかったことになります。一人でいいのです。それであなた方の存在の意義があったことになります。
 真理普及の仕事が次第に発展しつつあること、霊的威力に目を向ける人が増えつつあることを私は非常に嬉しく思っております。その人達が困難に遭遇した時はいつでも援助の手を差し伸べております。病気治療には一層強力な生命力を注ぎ込みます。しかし忘れないで頂きたいのは、何事にも必ずそれ相当の原因があるということです。霊界からいかなる援助の手を差し伸べても、その原因と結果の間に割って入るわけにはいかないのです。手助けは出来ます。が、厳然とした原因に由来する結果を末梢してあげるわけには参りません。あなた方人間は物的身体を通して自我を表現している霊魂です。霊魂に霊的法則があるように、身体には生理的法則があります。その法則の働きによって身体に何等かの影響が表れたとすれば、それも原因と結果の法則が働いたことを意味します。私共は霊力によって手助けすることは出来ても、その法則の働きによる結果に対しては干渉出来ません。
 要するに奇跡は起こせないということです。大自然の因果律は変えられないということです。神は摂理として、その霊力によって創造した宇宙で一瞬の休みもなく働いております。全てを包含し、木の葉一枚落ちるのにも摂理の働きがあります。ありとあらゆる治療法を試みてなお治らなかった患者が、もし心霊治療によって見事に治ったしたら、それは奇跡ではなく霊的法則が働いた証と考えるべきです。地上でそれまで巡り会ったいかなる力にも勝る力をもって体験したことになります。
 その体験によって魂が何等かの感動を覚えたら-本来そうあるべきであり、そうならなかったら成功とは言えないというのが私の考えですが-それは霊的自我に目覚めたということであり、存在の意義を成就し始めたことになります。この根本的目標を理解していない人が一般の人はもとよりスピリチュアリズムの仕事に携わる人々の中にも大勢おります。スピリチュアリズムにおける様々な現象はそれぞれに意義があります。しかし、それは所詮は注意を引く為のオモチャに過ぎません。いつまでもオモチャで遊んでいてはいけません。幼児から大人へと成長しなければなりません。成長すれば、喜ばせ、興味を引く為に与えられたオモチャは要らなくなる筈です。
 一口に心霊治療と言っても、内面的にみれば磁気的(マグネチック)なもので生理的とも言えるものと、心霊的(サイキック)ではあっても霊的(スピリチュアル)とは言えないもの、そして我々霊による最も程度の高いもの、すなわち治療家と霊界の医師との波長が一致し、しかも患者の治るべき時機が熟している時に治療家が一切手を触れずに一瞬の内に治してしまうものがあります。健康体のもつ磁気だけでも治る場合があります。その時は霊界とは何の関わりもありません。その方法と霊的方法との中間的なものがサイキックなもので、遠隔治療と呼ばれているものは大抵これによります。その上にあるのが治療家を通して霊界の医師が症状に応じた治療エネルギーを注ぎ込むやり方で、患者の身体に一切触れずに一瞬の内に治すことが出来ます。
 その治癒エネルギーは実は人間の全てに宿されているのです。霊的兵器庫の中にしまわれていて、努力次第で活用することが出来るのです。身体に自然治癒力があるように、霊的存在であるあなた方には霊的に治癒する力が具わっております。ただ、それにはそれなりの摂理があるということです。
 そもそも健康とは身体と精神と霊の三者の関係が健全であるということです。この三つの必須要素が調和の取れた状態にあることです。その内の一つでも正常に働かなくなると連係が上手くいかなくなり、そこに病が生じます。三者の調和を保つ方法はその三者がそれぞれに与えられた地上での機能を果たすことです。霊力は素晴らしい威力を発揮します。これには反駁(はんばく)の余地はありません。この事実を否定したり、この知識の普及を妨げんとする者は必ずその結果に対して責任を取らねばなりません。
 霊的治癒エネルギーの威力を目の当たりにされるあなた方は、宇宙の全創造物を支配する莫大なエネルギーのミニチュア版を見ているようなものです。同じ質のものが大海の動きを支配し、引力を支配し、星座の運行を支配し、人間、動物、植物、その他ありとあらゆる生命の千変万化の造化を支配しています。治癒エネルギーはその生命力の一部なのです。身体に生命を賦与しているのは霊です。物質そのものには生命はありません。霊から離れた物質に意識的存在はありません。あなた方を生かしめている原理と同じものが、痛みに苦しむ人、精神的に病める人、そして身体を患う人の治療に際して、あなた方を通して働くのです。
 このように、ある意味であなた方は、宇宙の大霊と共に宇宙的創造計画の中において、その無限の生命力を使用する責任を担っていることになります。その仕事に邪魔を入れんとする者は必ず後悔します。かつてはこれが聖霊に対する罪、霊力の働きを邪魔する大罪と見做されました。その霊力の流入を存分に受け入れるように心を開けば、その霊力と共に自動的に宇宙の根源的創造主から発せられる恩寵に浴することになります。
 物質的にも精神的にも霊的にも病的状態にある地上には、為さねばならない大切なことが色々とあります。私共にとっても、あなた方にとっても、身体と精神と霊の病を駆逐し、混沌の霧の中を道を探し求めてさ迷う人々に愛の証をもたらすことが大切な仕事の一つです。それが全ての霊媒現象の究極の目的なのです。悲しみに心重く、目に涙を浮かべた人々に愛のメッセージを伝えること、これが大切です。痛みに苦しめられ、病気に悩まされ、異常に苛まれる人々を癒してあげること、これはまさに慈悲の行為であり、今こそ要請されていることです。
 しかし、これはあくまで手段であって、そのことが目的ではありません。目的は眠れる魂を目覚めさせ、霊的自覚をもたらすことです。魂が目を覚まし、地上に生まれて来た目的を理解し始めた時、地上に霊的新生をもたらす膨大な計画の一翼を担ったことになります。そこにこそ私達が一致協力する理由があります。それが真理への扉を開く鍵です。霊的自覚をもたらすことの方が、病気を治し悩みを解消してあげることより大切です。それが神の目的を成就する所以だからです。そこまで至らない限り真に成功したことにはなりません。
 全ての霊媒現象と、その中でも重要な部分を占めるこうした霊的通信の背後にはそうした目的があり、その実現に全エネルギーを傾注すれば、それはあなた方の宿命を成就していることになります。それがこの世に生まれてきた目的だからです。
 霊力は無限です。尽きることがないのです。通過する道具によって制限されるだけです。道具なしには霊力は地上に発現されません。ですから、道具となるべき霊能者は受容能力を少しでも広く深くする努力をしなくてはいけませんし、そうすることによって霊性も発達させなければなりません。霊性こそが霊力の分量を決することになるからです。霊性が高まればそれだけ多くの霊力が流入するようになります。尽きることがありません。霊的潜在力には際限が無いのです。そうした人間的努力の背後では高級霊がそれぞれの霊媒について色々と試し、エネルギーの効果的な組み合わせを考えて、より素晴らしい、そしてより速やかな治療が得られるようにと、研究を怠りません。こちらの世界には〝これでおしまい〟ということがないのです。ただこの道の仕事の宿命として、人間という道具を使用しなければならず、与えられた道具で最大の効果を挙げるしかないのです。
 心霊治療の真の理解には長い長い時間を要します。霊の威力を地上で見せ付ける方法は大勢の人間を一度に改心させることではありません。一度に一人の人間、一人の子供を治すことによって、いわば霊的橋頭堡を築き、それをしっかりと固め、不朽のものとするのです。千種万様の形を取る霊力は、心霊治療にせよ、霊訓にせよ、公開での交霊会にせよ、魂にそれを受け入れる備えが出来た者によってその真価が発揮されます。受け入れ態勢が出来ているということが絶対条件なのです。
 人間が神の摂理を犯し、物質と精神と霊の協調関係を乱します。そこで心霊治療によって内部の霊的エネルギーにカツを入れて本来の協調関係を取り戻させます。こうして霊の威力による治療が次々と成就され、宣伝され、その霊的事実関係に関する理解が深まるにつれて、そこに一石二鳥の成果が得られていることが分かります。すなわち病気が減ると同時に、その分だけ霊力による目的成就が容易になるということです。
 人間の健康を動物の犠牲のもとに獲得することは神の計画の中にはありません。全ての病気にはそれなりの治療方法が用意されております。その神の用意された自然な方法を無視し動物実験による研究を続ける限り、人間の真の健康と福祉は促進されません。動物はそんな目的の為に地上に生を享けているのではありません。真の健康は調和です。精神と霊と肉体の正しい連係関係です。三つの機能が一体となって働くということです。これは動物を苦しめたり体内から特殊成分を抽出したりすることによって得られるのではありません。宇宙の摂理に調和した生き方を成就すれば自然に得られるのです。そういう生活を送れば人間は病気によって死ぬことはなくなり、老化現象によって死を迎えることになります。肉体がそれなりの目的を果たし、次の世界の生活の為の霊的準備が整った結果としてそうなるのです。
 身体が病むということは精神か霊かのいずれかに不自然なところがあるということです。霊が正常で精神も正常であれば身体も正常である筈です。身体に出る症状は全て霊と精神の反映です。これを医学では心身相関医学などと呼ぶようですが、名称はどうでもよろしい。大切なのはいつの時代にも変わらぬ真理です。魂が病めば身体も病みます。魂が健康であれば身体は当然健康です。身体の治療、これは大切ではありません。魂の治療、これが大切なのです。
 あなた方の治療によって患者の症状が取り除かれても魂に何の感動も及ぼさなかったとしたら、その治療は失敗であったことになります。あなた方の失敗であると同時に私共の失敗でもあり、その患者は悟りへの道を失ったことになります。絶好のチャンスを手にしながら、それを実りあるものに出来なかったわけです。本当はその病気は当の患者に人生の目的と、存在の意義を成就する為になさねばならぬことを啓示する為の手段であったのです。魂の琴線に触れる体験をさせること、これが最も大事なことです。真理は真理です。絶対に変えるわけにはいきません。それが真理です。人間の一人ひとりに宇宙の大霊が宿っており、それが絶えず発現を求めます。より広く顕現することによって初めて人生から豊かさを獲得出来るからです。事は極めて簡単です。顕現しなければ悟りは得られないのです。
 そこに苦の存在する理由があります。悲しみの存在する理由があります。光が暗闇の中にあってこそ見出せる理由がそこにあります。但し、その体験による魂の顕現はそれから始まる大冒険の始まりに過ぎません。その大冒険こそ神の意図する人生のあるべき姿なのです。疾風怒濤の霊的冒険であり、その体験を通して叡智と崇高さと美しさと光輝と威厳と気品と尽きることのない霊的遺産を手にすることです。それが地上生活のあるべき本来の姿です。ところが現実はそうではありません。唯物主義が蔓延り、利己主義が横行し、貪欲が支配し、奉仕の精神、協調の心、向上心、人助けの気持が失われております。
 そのことを思えば、こうして人の役に立つ機会が次第に広く開かれていくことを、あなた方は有り難く思うべです。そうです。身体の痛みを取り除き、悩む心を慰め、魂を鼓舞し、肉の牢から解放してあげることが大事です。大切なのはそこなのです。なぜならば、魂が一度霊的自我に目覚め、神との霊的繋がりを再構築すれば、その時から真の意味で〝生きる〟ということが始まるからです。治療家が障害物を取り除いてあげれば、霊力がふんだんに流れ込むようになります。障害とは無知であり、誤った生き方であり、誤った考えであり、高慢であり、自惚れであり、嫉妬心であり、失望です。人間は神と自己と同胞と調和しつつ、大自然の摂理に則った生活を送るようにならねばなりません。
 苦が全てというわけではありません。人生の一部でしかありません。しかし、苦のない世界はありません。苦しみと困難があることが進化の必須の条件なのです。あなた方の住む世界は完全ではありません。身体も完全ではありません。但し、魂の内部には完全性の種子を秘めております。人生の目的はその種子を発芽させ発達させ、その完全性を賦与してくれた根源へ向けて少しずつ近付いて行くことです。この巨大な宇宙組織の内面には進化の機構を操るエネルギーの相互作用があります。生命はじっとしておりません。生命の世界には絶え間なく増幅していく円運動又は螺旋運動の形での発達があります。その全機構がどう働いているかを察知出来るようになるのは、人生の目的を悟った暁のことです。
 霊的治療は魂がそれを受けるに値する段階に至るまでは何人といえども受けられません。いかに優れた治療家にも治せない患者がいる理由はそこにあります。治らないのは治療家の責任ではありません。患者の魂にそれを受け入れる準備が整っていなかったということです。全てが自然法則によって支配されています。トリックは利きません。いかなる治療家もその法則の働きを変えたり外(そ)らせたりすることは出来ません。
 ですから、人間としての最大限の成果を挙げるべく努力をすることです。それが私から言える唯一の助言です。背後霊との協調性が高まれば高まる程、より大きな成果が得られます。この仕事は延々と続きます。人間は御し難いものです。所詮地上は完璧な世界ではないからです。完璧であれば地上には居ない筈です。寛容的でなければならない理由がそこにあるのです。自分が一般の人より先を歩んでいることを自覚されるなら、尚のこと寛容的であらねばならない責任があります。
 奉仕の仕事に嫌気が差してはなりません。奉仕は霊の通貨(コイン)のようなものです。神が発行される万人共通の通貨です。あなた方の仕事にとって必要な力は用意されています。しかし一度に大きな仕事を成就しようとしてはいけません。今日は今日出来ることだけをして、明日やるべきことは今日は忘れることです。力に限界が来たら無理して出そうとするより補給することを考えなさい。その方が無理をしてその乏しいエネルギーを使い果たし、結局は仕事を全面的に休止しなければならなくなるよりはましです。
 限界があるのは実はエネルギーではありません。身体という機能の方です。いかなる機械も限界を超えた仕事を課せられると故障が生じます。人間の身体程多くの仕事を課せられながら休息の少ない機械は他にありません。霊の宿る貴重な神殿です。よく管理し、保護し、大切に使用すべきです。
 どの分野であろうと、人の為に尽くす仕事に携わる人が時には嫌気が差し、疲れを覚え、不快に思うことがあることは私も承知しております。もう駄目かと思えることもあるでしょう。しかし道は必ず開けます。霊的真理、霊的事実は最後には勝つのです。貪欲、利己主義、残酷、粗暴、過酷、邪悪、こうしたものは全て一掃されねばなりませんし、きっと一掃される時が来ます。そして人間同士の平和だけでなく、人間と他の創造物とが調和し一体となって進化の道を歩むことになることでしょう。
 地上で自由を享受するのは人間だけではありません。創造物の全てが自由を享受する資格があるのであり、本来守ってやるべき立場にある人間によって勝手に捕えられ苦しめられ利用されて良いものは何一つありません。その代償は必ず支払わされます。因果律は必ず働きます。人間に生命を賦与し地上での存在を可能にしているところの神性を誤魔化すことは出来ません。
 全生命は不可分のものです。物的形態上の違いはあっても深奥での区別はないのです。生命は一つなのです。霊は一つなのです。そして霊とは神であり、全存在に内在しております。叶うものならば、あなた方の視界を遮るベールが取り払われ、背後で協力している光輝く霊的存在を一目お目にかけることが出来れば、と思うことしきりです。立ちはだかる困難の一つは、あなた方が是非とも迎え撃ち克服し、そうすることによって霊の力が物の力に勝ることを証明していかねばならない、一つの挑戦でもあります。