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カテゴリ:★『各種霊的能力の解説』 > バーバネル 霊を識別する-霊視能力

バーバネル 霊を識別する-霊視能力 目次

霊を識別する-霊視能力(一)

霊を識別する-霊視能力(二)

 『これが心霊(スピリチュアリズム)の世界だ』M・バーバネル著 近藤千雄訳より

 聖書によると、初期の教会においては霊視能力など何種類かの超能力の披露は日常的行事としてごく普通に行われていたらしい。コリント前書第十二章を見ると、パウロが信者達に〝知らないままでは済まされない〟霊的能力を幾つか挙げているところがあるが、それはそのまま現代の心霊現象を上手く纏めている観がある。その中でパウロは霊視現象を〝霊の識別〟と呼んでいる。
 私の推定では、今日のイギリスでも毎週日曜日の夜には無慮二十五万人もの人が全国で四十程もあるスピリチュアリスト教会のどこかで、その〝霊の識別〟の催しを見ている筈である。
 この種の公開交霊会(デモンストレーション)では照明を小さくすることはない。霊視家が霊視したスピリットに縁のある人を会場の中から指名して、そのスピリットからのメッセージを伝える。
 このデモンストレーションで最も大切な点は、そのメッセージが確実な証拠性を持つということである。つまりそれを受けた者が直ぐにピンと来る事柄であり、同時にその人しか知らない内容のものでなければならない。それがメッセージを送って来たスピリットの身元(アイデンティティ)を立証することになる。
 ある人に言わせると、霊視家はメッセージを受ける人からのテレパシーを受けているのだと言うが、この説には無理がある。大体テレパシーというのは気まぐれな性質をもち、そうやたらに上手くいくものではない。まして何十人何百人もいる会場で特定の数人からの思念を以心伝心(テレパシー)で受け取るなど、まず出来る芸当ではない。メッセージを受けたがっているのはその数人だけではない。列席者の殆どがそう念じているのであるから、そうした全体の念が混じり合って大きな障壁を拵えている筈である。
 このことに関して私は興味深い例を見たことがある。J・ベンジャミンという霊視家が大デモンストレーションをやった時のことである。既にスピリットからのメッセージを受けた一人の女性を指差して、
 「あなたはさっきの私のメッセージが読心術でやっているのではないかとお疑いのようですね。よろしい。テレパシーと霊視の違いをお見せしましょう。今あなたは心の中でこんなことを思っていらっしゃいませんか」と言って、その女性の抱えている悩みを述べた。女性はその通りだと認めた。
 「次に述べることはあなたが考えておられることではありません。これはあなたの亡くなられたお父さんからのメッセージです。お父さんはそれが真実かどうか、あなたご自身、お母さんとご一緒に調べて欲しいと言っておられます」と言ってから、そのお父さんからのメッセージを伝えた。そしてその女性は母親と共に調べてその通りであることを確認した。
 実を言うと、この場合、始めに女性の悩みを読み取った時も、必ずしもテレパシーとは言えない。これも霊視家の背後霊から受けていた可能性が十分考えられる。
 疑う人間は色んなことを言う。デモンストレーションは全部ペテンで、寄席芸人の読心術と同じだ。聴衆の中にサクラがいて暗号を使って示し合わせているのだ。目隠しも実際は透けて見えるようになっているか、どこかの小さな穴から一部又は全部が見える仕掛けになっているのだ、と。
 仮にそうだとしても、では果してそんな誤魔化しが毎週毎週日曜日の夜、時には平日の夜に、全く違う聴衆を相手にして、既にこの世にいない人からの納得のいくメッセージを何年もの間一度もしくじることなく続けられるだろうか。
 定期的に行われるスピリチュアリスト教会で同じサクラを相手に同じようなメッセージを送り続けようとしても、決して長続きするものではない。遅かれ早かれ-私は早かれと思うのだが-バレてしまう。
 それに、そういうサクラに支払う〝口止め料〟の方が教会から戴く出演料より遙かに多くかかるのではなかろうか。一回の出演料は大抵の場合一ギニー(注9)を超えることはない。私は一流の霊媒を大勢知っているが、打ち明けた話をすれば、彼等の収入はせいぜい慎ましい生活を維持出来る程度に過ぎない。
 霊視家の目に映る霊姿は我々人間と同じように実質があり現実的で、自然に見える。決して俗にいう生霊(いきりょう)とか幽霊のように薄ボンヤリとしたものではない。それは小説の世界での話である。かつて私がベンジャミン氏に聞いたところでは、氏は何千何万ものスピリットを見、かつその容姿を描写して来たが、俗にいう幽霊のようなものには一度もお目にかかったことがないとのことであった。
 私が今もって感心しているイギリス最大の霊視家の一人にT・ティレルがいる。その能力のあまりの見事さに私は最初その真実性を疑ったものである。あまりに正確過ぎるのである。が実は彼にはそれなりの用意をしていた。つまり彼は支配霊が書いたメモのようなものを読むという方法をとっていたのである。従ってスピリットの姓名は勿論地上時代の住所-それも家や通りの番地から地方や町の名まで-更には死亡時の年齢、死亡年月日まで言い当てることが出来たわけである。
 ティレル自身が私に語ってくれたところによると、霊視能力が出始めた時、彼は出来るだけ正確を期することを目指した。そこで支配霊と一つの約束をした。つまりスピリットの身元に関する情報を支配霊がきちんとカードに書いて見せてくれるということで、それを彼が読み取ることにした。
 そうやってスピリットの身元を疑いの余地がないまで確認してから、そのスピリットからのメッセージを待つ。こういう方法でやれば、聞き慣れない名前も苦にならない。
 それでも時たま迷うことがあったという。例えば、これはバーミンガムでのデモンストレーションの時で私も出席していたが、ティレルがメモを読んでいる途中で詰まってしまった。そしてこんな質問をした。
 「この市には Rotten Park Road (注10)というのがあるのでしょうか」
 すると「あります」という列席者からの返事であった。
 さて霊媒が〝霊の識別〟をする際、その姿なり声なりはどんな風に見えたり聞こえたりするのだろうか。
 ロバーツ女史は長年に亘ってこの分野での最も秀れた霊能者の一人と見られているが、女史の話によると、その見え方は主観的と客観的の二種類があるという。主観的な場合は一種の〝霊眼〟を使って内面的なプロセスで見ている感じで、この時は目を閉じていても見えるという。客観的な場合は地上の人間を見るのと同じように実感があるという。
 女史の場合は霊聴能力が一緒に働く。スピリットの話す声が自分に話しかけてくるように聞こえるという。スピリットの位置が近い時は唇が動いているのが見える程で、その声は人間の声より柔らかく響くという。
 デモンストレーションの時、彼女は完全に別の次元に入ってしまう。遠くに自分の出番を待つスピリットが集まっているのが見える。が、気の毒ではあるが、時間の関係でその全部のお相手をしてあげられないという。スピリット達は一箇所に集まって待っており、必ずしもメッセージを待つ地上の縁故者の側にいるとは限らないそうである。
 通信を希望するスピリットは女史の支配霊の許可と援助なしには出られないことを承知している。そして指名を受けると縁故者の直ぐ近くに位置を変える。女史の方ではその位置を見て、どの人が縁故者かを見てとる。すると今度はスピリットが女史にその容姿がよく分かるように女史の直ぐ近くにやって来る。その時点で女史は霊聴能力を働かせて、そのスピリットの言うことを聞く。
 一方、レッドクラウドを中心とする背後霊達は女史の周りを囲むように位置する。その役目はスピリットが上手く意思を伝えられるように指導することや、興奮し過ぎたり緊張し過ぎたりした場合にその感情を和らげてやったり、地上時代の容貌や衣服を再現してみせる時に手助けをする。女史が時折スピリットの病気や障害を指摘することがあるが、それは地上時代のものであって、死後も今尚その状態でいるということではない。本人に間違いないことを確認させる為に、そういったことを含めて地上時代の特徴を一時的に再現して見せなければならないことがあるわけである。
 本人に間違いないことが分かると、途端にその地上時代の特徴が消え失せ、現在の姿や霊的な発達程度に戻る。女史の話によると霊界で向上進化したスピリット程地上時代の自分を再現するのを嫌がるという。そんな霊は自分の身元が分かってもらえたら、いち早く現在の本来の自分に戻ろうとするので、ロバーツ女史すらこれが同一人物かしらと、一瞬迷うことがあるという。
 人は見かけによらぬものという。それは年齢についても同じで、人の年齢を当てるのは中々難しいものだが、ロバーツ女史もスピリットの死亡時の年齢をその容貌から推定しなければならない難しさがある。その確率は我々が他人の年齢を言い当てる確率とほぼ同じ程度といってよいであろう。
 死亡時の年齢だけでなく、その後何年経っているかを判断しなくてはならないが、女史はそれをそのスピリットのオーラによって判断する。進化している霊程オーラの輝きが強烈である。あまり強烈過ぎて目が眩み、容姿がぼけて見えて性別すら確認出来ないことがあるという。それは幼くして死亡した霊が長年霊界にいる場合によくあるらしい。
 先程レッドクラウドを中心とする背後霊団が取り囲んでいると言ったが、その他にスピリットの指導霊もそれを遠巻きにして見守っている。そうすることによって霊媒の周りに防護網を張り巡らすわけである。というのは心無い霊が潜り込んで来て、通信を正確に伝えるのに必要なデリケートなバイブレーションを(本人は知らないかもしれないが)台無しにしてしまうことがあるのである。ロバーツ女史はこう語る。
 「通信霊達はその囲いの中に入れられ、通信を送っている間は完全に外部から隔離されます。しかし、それだけ周到に注意を払っても、その囲いの外から自分の存在を認めてもらおうとして大声で叫んでいる霊を鎮めることは出来ません」
 女史が壇上に上がって所定の位置まで歩を進め、いよいよデモンストレーションを始めるまでの僅かな間にも、そうしたスピリットが自分に注意を引こうとして、やかましく喚いているそうである。が経験豊富な女史はレッドクラウドが指名したスピリット以外には決して目をくれない。ただ、中にあまりに気の毒そうなスピリットを見かけた時は、心の中で、いつかチャンスが与えられますようにと祈ってあげるそうである。
 こうした霊の叫びは確かに哀れを誘うものだが、時にはユーモラスなものもある。ある時その騒然たる叫び声の中、ひときわ大きな声で、ロンドン訛りでこう言った霊がいた。
 「なあ、ねえさん、オレにもやらせてくんなよ。他の連中はみんなやったじゃねえか」
 どうやら死んでもロンドンの下町っ子はオックスフォード大学の先生のようにはなれなかったようだ。当たり前の話かも知れないが。
 レッドクラウドは、通信する霊は自分の身元の証明はあくまで自分でやるべきであるという考えである。従ってレッドクラウドとその霊団は、手助けはするが、余程の場合を除いて、代わりに身元を証明してやるようなことはしない。たとえ肉親縁者が何人か揃って出て来ても、一人一人が自分の身元を証明しなくてはいけない。
 時にはスピリットの言っていることにロバーツ女史が疑問を感じることがある。そんな時はレッドクラウドに確認を求める。するとレッドクラウドはそのスピリットのオーラを見て判断する。経験豊富な霊にはオーラを見ただけで直ぐにその本性が見抜けるのである。オーラだけは絶対に誤魔化しがきかない。
 死んだからといって急に物の考え方や本性が変わるわけではない。ロバーツ女史がある時こんな話をしてくれた。
 「大勢の霊に会っていると、時には、地上の人間と通信することは神の御心に反することだと大真面目に考えている霊に出くわすことがあります。色んな宗派のスピリットがやって来て〝あなたのやってることは間違いだ〟と言ってくれるんです。それだけでは満足出来ず、通信を求めるスピリットに止めさせようとする者までいるのです」
 同時に女史は、上手く連絡が出来なくて落胆する霊を見て胸の張り裂けるような思いをすることもある、とも言った。しかし、上手く通信出来て大喜びする様子を見ていると、やはりスピリット達にとってそれだけのやり甲斐があるのだなと思うそうである。

 (注9)-ギニーは1971年の通貨改革まで使用されていたイギリスの貨幣単位で21シリング。現在のほぼ1ポンドに相当。現在の日本円に換算すると約160円。但し本書が書かれた1959年頃のイギリスの貨幣価値は現在の7~8倍。

 (注10)-Rotten には腐った、とか壊れそうな、といった意味があるので、直訳すれば〝腐った公園通り〟又は〝壊れそうな公園通り〟ということになる。

 『これが心霊(スピリチュアリズム)の世界だ』M・バーバネル著 近藤千雄訳より

 もう一人の素晴らしい女性霊視家にヘレン・ヒューズ女史がいる。カナダの元首相キング氏がイギリスに来ると必ず訪ねて私的な交霊会を開いてもらうというくらいな人である。
 ヒューズ女史のデモンストレーションの特徴はテンポが速くて全体の時間が短いということである。時には一人のスピリットからのメッセージを伝えているその途中で突然姿を見せた別のスピリットのメッセージに切り換えることすらある。前のメッセージを受けていた人が〝まだ終わっていないのに・・・〟という気持で不満げにしていると、「この方が済んだら直ぐ又残りをお伝えしますから」と言って安心させたりする。
 このようにエネルギーとバイタリティを一気に集中して行うので、女史のデモンストレーションは大抵三十分程度しか続かない。三十分程すると女史が「エネルギーが切れてまいりましたので」と言って終わりにする。そうしないと、そのまま引きずり回されてはとても身体がもたないという。
 ただ面白いのは、そんな時に会場から大きな拍手が来ると、衰えかけていたエネルギーが一時的に持ち直すことである。私も何度か見かけたのだが、「今日はこれまで」と言っておしまいにした時に突如として大拍手が起こり、それで元気を取り戻した女史が椅子から立ち上がって、もう一人ないし二人のスピリットからのメッセージを伝えたことがある。
 長年に亘って多くの公開ないし私的な交霊会に出席してきた私にも、こうした霊媒現象にとって厳密にどういう条件が一番好ましいかは断定出来ない。バイブレーションが関係があることは明らかである。賛美歌を歌ったり音楽を流した方が何もない時より間違いなくいい成果が得られることは分かっている。
 又会場の個人的ないし全体としての心構えが影響することも確かである。同じく疑うにしても真摯な態度で疑うのと、敵意に満ちた猜疑心や始めから信じる気のない態度は、霊媒を始めとして、通信しようとする霊、及び通信そのものの伝わり方にも決定的な影響を及ぼす。
 反対に和やかな雰囲気と好意的な態度がいい結果をもたらす。司会役ないし案内役の人が気が乗らないような態度で霊視家を紹介すると、紹介された霊視家は非常にやりにくくなる。会の口火を切る司会者がハツラツとしていると、霊視家は気持ちよく仕事が進められる。
 ヒューズ女史の場合、通信を受ける人間の声にも女史にとっては何か意味があるらしい。会が始まると何人かの人が交霊を希望するわけだが、女史はその人達の声をよく聞いて「あなたの声はいけません」とはっきり言うことがある。女史の話によるとスピリットからある種の霊的な光が一本すーっと人間の方へ走っただけで、それで問題が解決することもあるという。
 私はヒューズ女史の〝霊の識別力〟の正確度をテストしたことがある。ある時、会が終わった後で私は女史に一枚の写真を見せて「この人が誰だかお分かりですか」と尋ねてみた。すると間髪を入れずこう答えた。
 「今日拝見した方ですね、壇上で・・・。確か外国人の名前の若い飛行士でしょう」
 その通りであった。実はその写真の主はポーランド人の飛行士で、その日のデモンストレーションでメッセージを受けた人から私が、会が始まる二、三時間前に拝借していたものだった。
 女史は時たまスピリットの言ったことがよく聞き取れなくて誤って伝えることがある。そんな時は悪びれずに訂正する。又女史には役者的な素質はまるで無いのに、スピリットの言っていることを、その話し振りや癖まで真似で話すので、そのスピリットになり切ったように見えることがある。
 私はヒューズ女史のデモンストレーションを数え切れない程見てきているので、もう何を見せられても平気になっても良さそうなものだが、それでも尚驚かされることがある。
 例えば離れた席にいる複数の列席者を指さして、あなた方はかくかくしかじかの間柄ですね、とその関係を細かく言い当てる。時にはわざと家族を離れ離れに座らせてみるが、やはり当ててしまう。普通なら隣り合わせている者が一番関係が深いと推測する方が間違いが少ないと思うのだが・・・。
 ある時は女史は一列に並んで座っている六人を指さして、その全員にスピリットからのメッセージを伝えたことがある。それだけならまだ驚くに当たらないが、驚いたのは、その一人一人にスピリットを紹介し、その縁故関係まで述べて、メッセージを伝えたことであった。
 時には大きな会場でスピリットが女史の前に姿を見せて、自分の縁故者がどの席にいるかを指摘しないまま、身元の証明になる細かい話をすることがある。次の話はそれが却ってドラマチックな効果をもたらした例である。
 スコットランドでの話であるが、ダンディという市にケアードホールという三千人近く収容出来る大きな会場があるが、その日も満員だった。私の司会で始まったデモンストレーションの中で、女史がエディス・プロクターという名の少女霊を細かく紹介した。そしてその少女からのメッセージを伝えようとしたら、階上のバルコニー(張出席)にいた婦人がその子ならよく知っていると言う。ヒューズ女史が更に細かく証拠になる話をすると、逐一その通りだという。そしてその子の父親も他界して今一緒に暮らしているという話も事実であることを認めた。
 ところが女史はそこで少し躊躇した様子を見せ、やおら会場の中央辺りにいる別の婦人を指差して「奥さんもエディス・プロクターという子をご存知でしょう」と言う。するとその婦人は「存じてます」と答える。更に女史が「この子のお母さまでいらっしゃいますね」と聞くと「その通りです」と答えた。
 そこでヒューズ女史は少し間をおいてから「こんなことをお聞きするのもなんですが・・・・」と言いかけると、婦人は女史の言わんとしていることが分かったような笑みを浮かべた。続けて女史が言う。
 「ブラックという語が浮かびました。思い当たることがございますか」
 「ございます」
 「あなたは現在ブラック夫人になられたわけですね」
 「仰る通りです」
 「娘さんが再婚おめでとうと仰ってますよ」
 それからヒューズ女史はバルコニーの婦人に向かって
 「今度はあなたのことですが、奥さんもこの子をよくご存知だったんですね」
 「よく存じてます」
 「このダンディ市の方ではありませんね」
 「違います」
 「この子はあなたの家からあまり遠くない所に住んでいたようですね」
 「その通りです」
 これで全てが終った。ヒューズ女史の霊覚の鋭さを示す興味深い話である。
 私はヒューズ女史にそういう場合の霊能の働き方を尋ねたことがある。するとこんな答えであった。
 「霊視の時はスピリットがあたかも肉眼で見ているようにごく普通に見えます。私の方からその場へ行っているようでもあり、そうでないようでもあります。いよいよデモンストレーションに入る時は完全に受身の気持にならなくてはいけません。霊的な波長に切り換えるのはいつでも出来ます。切り換えると私は既に霊眼で見、霊耳で聞いています。それは丁度ドアを開け閉めするようなものです。私自身で自由に開け閉め出来るエネルギーが内部にあるのです。見たり聞いたりする霊的な何かがあるのです。内的な目と内的な耳とでも言ったらいいでしょうか」
 そこで私は二つのペンネームをもつ女流作家のカラドック・エバンズ Mrs Caradoc Evans の例を持ち出した。そのエバンズ夫人が私に、他界した夫からの声を〝私の心の耳〟で聞いたと語っていたことを話すと、ヒューズ女史はそれは中々いい譬えですと言ってから、更にこう続けた。
 「私は時々この耳でも聞くことがありますが、大抵は太陽神経叢で〝聞き取り〟ます。私の体内に何かが潜んでいるのを意識します。他にいい言葉がないので〝エネルギー〟とでも言っておきますが、そのエネルギーが私に活力を与え、刺激し、体内に溢れるのです。
 言ってみれば、磁気性を帯びた一種の電気的エネルギーが上手く働いてくれてしっかりしている時は、ある一定範囲の波長をもつ電線のようなものが張り巡らされているみたいで、その電線伝いにメッセージが伝わってくるのです。暫くするとそのエネルギーが弱ってきて、波長が上手く掴めなくなり、そうなるとメッセージの正確さが落ちて来ますので、私はその辺で切り上げなくてはなりません。決して無理をしてはいけません。不正確になりますし、身体にも障ります。
 ラジオを聞くような方式でやる場合が随分あるようです。同時に、テレビとしか言いようのないものが私の中にセットされているようです。というのは過去の出来事や未来のシーンが目の前に映り、それを見ながら説明出来るからです。私の耳の中でスピリットが喋っているのを聞くことがあります。又太陽神経叢の辺りで聞こえることもあります。声の聞こえ方は色々です。あるものは普通の人間の声と同じ大きさで聞こえますが、囁くような声とか、口を何かで被って喋っているみたいに聞こえることもあります」
 耳の中で聞こえる時(ヒューズ女史の場合これが一番多いのであるが)、女史はその声の届く角度で、そのスピリットの背の高さが分かるという。
 メッセージを受け取る人間側の態度によっても大きく影響を受けるという。しっかりとした声で喋ってくれると、それが惹き起こすバイブレーションによって助けられるし、同時にスピリットを元気付けることにもなる。スピリットにはメッセージを送る相手の声がちゃんと聞こえるのである。
 会場の列席者から一度に二人も三人も、それは私だという人が出たらどうするか、ヒューズ女史に尋ねたことがある。女史が言うには、そんな時はそのスピリットから霊光が走って、メッセージを受けるべき人の所へ行くので、それで判断するという。もし霊光が出ない時は、受けるべき人の声を聞いた瞬間に女史の内部で〝カチッ〟という音がするという。これはスピリットが認めてもらった喜びの念によって起きる声だという。
 又一つのメッセージを途中で切って別のスピリットからのメッセージを伝えるのはなぜかという点について、それは何人かのスピリットの声が一度に流れ込んできて(一刻も早く連絡したい一心の表れではあるが)、それが凄い勢いで衝突するので、その混乱で時間が失くなるのだと説明した。中には前のスピリットが使用したバイブレーションを使用するスピリットもいるという。どうしても上手く伝えられない場合はヒューズ女史の背後霊が割り込むことになるが、直接の通信に優るものはないという。
 背後霊の話によると、それぞれのスピリットが独自のバイブレーションを使用してくれた方がスムーズにいくが、時にはスピリットが興奮し過ぎてどうしようもないことがあり、そんな時は止むを得ず代わりにメッセージを伝えてやることになる。
 ヒューズ女史は更にこう語る。
 「霊視している時はあたかも肉眼で見ているようにごく自然に霊視が見えます。ただ見ている内は異常な感じは何も受けませんが、そのスピリットの感情とか性格に波長が合うと、途端に色んなものを感じ始めます。嬉しい感情もあれば悲しみもあり、心配の念もあれば安らかな気分になったりもします。時としてそのスピリットの死際の思いが反応することがあります。それはどうやらそのスピリットが再び地上に戻って来ることによって地上時代の思いや印象が蘇り、それが一時的にそのスピリットの感情として表れる為のようです」
 女史は通りを歩いている時や列車の中とか、その他どんな場所でも霊視をすることがある。スピリットの方からも女史が見えるので、しばしば向こうから挨拶してくることがあるそうである。それも大抵夕方よりも朝方の方が多いという。「朝の清々しい雰囲気がはっきりと見える効果を増してくれるのでしょう」と言う。
 厄介なのは列車の中で同席した人との縁のあるスピリットが現れて話しかけ、メッセージを伝えて欲しいと依頼される時だそうである。イギリス人というのは、たとえ隣り合わせても赤の他人には話しかけないのが習慣で、それを破ることすら大変なことなのに、いきなりスピリットからのメッセージだと言って伝えるのは勇気のいることで、ヘタをするとお𠮟りを受けることにもなりかねない。が時には思い切って話しかけてメッセージを伝えてあげるのだが、今までのところ、殆ど例外なく喜ばれたという。
 さて公開デモンストレーションでスピリットが戻って来てメッセージを伝えるなどということはよほど厳粛な出来事のように考えている人は、実際に参加してみると、これが至って人間的なもので、人間味と真剣さとがミックスした会であることを知って驚くのが常である。第三者から見れば些細な出来事でも当人にとっては非常に証拠性に富んだ出来事である場合がよくあるが、デモンストレーションというのはそうした出来事が次々と出て来る会である。
 前にも説明した通り、こうした催しを全体的に支配しているのはバイブレーションの原理で、生き生きとしている時は上手く行き、コチコチに緊張していたりダラダラとしている時は上手くゆかない。そんな時に人間味のあるユーモアが入ると固さがほぐれて好い成果を生む。
 私の手元にはあるデモンストレーションで取材した細かいメモがある。これは前に紹介したベンジャミン氏が主催したもので、一時間半という長時間の会であったが、その中でベンジャミン氏が一人の女性に向かって、
 「あなたの側に結核で亡くなった少女が見えます。今回初めて地上に戻って来られたようです」と言い、更にその少女の名前を告げ、死んだ時の様子(窒息死)を述べ、次のような驚く程細かい事実を述べた。
 「この娘はあなたの住んでおられる通りの向かい側の角の二階に住んでいましたね」
 その女性はその通りだと述べた。がその後ベンジャミン氏が高ぶった声でこう告げた。(ベンジャミン氏はスピリットが接近するといつも興奮気味になる)
 「この娘は指が四本しかありませんね。五本ではありません」
 これを聞いた女性は驚いた様子でこう叫んだ。
 「そうなんです。いつも人に見られないようにしていました」
 これなどは正に私の言う〝証拠性のある事実〟である。指を失った人はそうどこにでもいるというものではなかろう。そのこと自体お気の毒なことではあるが、それが却って本人である証拠となった一例である。
 続いて出たスピリットのことであれこれ述べていたベンジャミン氏は、会場の若い女性に向かって
 「あなたの頭上に〝ニュージーランド〟という文字が出ているのですが・・・・」と言うと、「私はニュージーランドから来たばかりです」という返事であった。これはベンジャミン氏がメッセージを述べる時の通信の受け方の一つを示していると言えよう。
 次に、これはいかにもこの世の人間らしい話であるが、ベンジャミン氏が一人の女性に向かって「こんな所で申し上げ難いことなんですが、よろしいですか」と断ると、「結構です」と返事である。そこでベンジャミン氏はスピリットがこう言っていると伝えた。「あなたが離婚した相手は私の孫だ」と。
 聴衆はこうした一連の人間的メッセージにうっかり胸を打たれていたが、次に紹介するのも人間味溢れる話である。
 あるスピリットが自分はスプリンガーと言い心臓発作で死んだことを告げると、ベンジャミン氏が付け加えて、この方は青果店を営み、息子さんが二人いて、みんなからオールドバーニー(バーニー爺さん)と呼ばれて親しまれていたが、時にはオールドバーミーとも呼ばれていたと言った。これだけ細かいことを告げればメッセージを受けた婦人が迷うことなくスプリンガー氏であると信じても驚くに当たらない。
 更にスプリンガー氏が、その婦人に果物を買って貰った時に自分よりお金に困っている様子なので代金を受け取らなかったことがあるという話をすると、婦人は即座に「そんなことがありました」と答えた。そして最後にベンジャミン氏は「あなたは両足が揃っていてよかったですね。医者は切断することも考えたんですよ」と述べて、それでおしまいになった。
 次に白髪の婦人に向かって、その婦人の家での霊騒動の話を持ち出した。壁に掛けてある絵画が突如理由もなく落ちたり、ミュージカルジャグ(一種の楽器)がひとりでに位置を変えていたり、その他摩訶不思議なことが次々と起きるというのであった。
 ベンジャミン氏はそれを長々と述べた後、これは皆亡くなったご主人がやってることだと本人が言ってますヨと述べた。これなども些細な出来事と言えば確かにそうだが、亡くなったご主人が妻の身辺で起きている出来事を逐一知っていることを示していて興味深い。
 更にベンジャミン氏はその婦人の隣の席にいる男性を指して、「この方は二番目、いや三番目のご主人ですね」と言うと、そうだと言う。するとそのご主人が奥さんのことを褒めて「世の中の奥さんが皆家内のようだといいが、と思う程ですヨ」と言うと、ベンジャミン氏が待ってましたとばかりに、
 「成る程、それで他の二人の旦那さんも一緒に出て来られたんですな!」とユーモラスに話した。
 そのご主人はもう一つの通信を確認した後、自分の病気のことでどうも医者の診断が納得がいかないことがあるのだが、とベンジャミン氏に尋ねた。するとベンジャミン氏はそれは心霊治療の方がいいのではないかと言い、医者だって診断に絶対に誤りがないわけではないですよと付け加えた。するとそのご主人の曰く-
 「医者は私があと六ヶ月の命だと言ったんですが、六ヶ月したらその医者の方が死んだんです」

 霊視家は自分に霊能があることをどうやって発見するのだろう-そう思われる方もあろう。ベンジャミン氏の場合を紹介すると、十代の時に近所でスピリチュアリストの集会があることを耳にし、一つ厄介な質問でもして困らせてやろうという魂胆で友人達と一緒に行ってみた。
 ところが質問どころではなかった。霊媒がベンジャミンを呼び出して、君のいとこの霊がこんなことを言っているが、とそのメッセージを告げられ、それが紛れもない証拠性をもっていたので、少年ベンジャミンは茫然として家に帰った。これで好奇心を募らせたベンジャミンは翌週もう一度出席してみた。すると今度は眠くなって寝入ってしまった。が実はこれが最初の入神体験だったのである。
 ベンジャミン氏はこう語っている。「我に帰ると聴衆が自分を取り囲むようにして立っているではないですか。その内の一人が、死んだ父親からの素晴らしいメッセージを私が語ったと言うのです」
 後は時間の問題であった。能力が伸びるにつれて交霊会の注文が殺到した。当時は仕立て屋のアイロンかけを一日十三時間もやっており、霊媒としての仕事は夜十時以降しか出来なかった。そんな日課がいつまでも続くわけがない。やがて仕立て屋を辞めて霊媒一本を職業とする決心をすることになる。
 では収入はどの程度だろうか。当代指折りの霊視家でありながら、それが至って質素なのである。週二回開いているが、その入場料が一シリングで、しかも年金受給者は無料という。会場は二つとも座席数がほぼ百五十人である。個人的な交霊会でも一回一ギニーである。それも霊力は水道の蛇口のようにいくらでも出るというものではないから、回数を制限しなければならない。
 霊媒の仕事は大儲けは出来ないのである。

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