『これが心霊(スピリチュアリズム)の世界だ』M・バーバネル著 近藤千雄訳より

 心霊写真が徹底した厳しい条件下で成功すると、肖像画と同じように、永久に保存のきく死後存続の証拠としての価値を発揮する。
 もしもあなたの愛する人が心霊写真に写って、それがどう考えても詐術なんかではないということが明らかになれば、あなたは大切な思い出の宝を手にしたことになる。詐術ではないかと疑うこと自体は決して悪いことではない。死者の顔が写真に写るなどということは大変な事件であるから、それを事実として得心する前に徹底した用心をするのは当たり前のことである。
 考えてみると、心霊写真で詐術をやろうと思えば、よくよく手の込んだ秘密の手口が要求される。まず霊媒、というよりは詐術師はこれから心霊写真を依頼に来る人を予め知っておく必要がある。次にその人の家族のアルバムを何とかして手に入れて、その中から適当なのを気付かれないように抜き取らねばならない。それが駄目なら、その死者が住んでいた町へ行って写真屋を洗って二十年前とか五十年前とかの古い写真を入手しておく必要がある。
 こうしたことをもし実際にやったら直ぐにバレてしまう筈である。人の家にこっそり忍び込んでアルバムを失敬するなんぞ、とても出来るものではない。又写真屋へ行って古い写真をゴソゴソ探していたらすぐに怪しまれるに決まっている。事件でも発生して、ある人物が捜査線上に浮かぶとレポーターが大挙してその家族や写真屋に押しかけるが、そんな時は何の目的かは家族も写真屋も承知している。
 さて、ジョン・マイヤースがある霊媒から心霊写真の霊能をもっていると言われてスピリチュアリズムに興味をもつに至った時は、ビクトリアで歯科医院を営んでいた。早速二、三の友人と数人のスピリチュアリストとでサークルを結成し、霊能開発を始めた。が奥さんは全面的には賛成しなかった。というのは、ご主人同様ユダヤ教を信仰しており、まして父親がその指導者格の地位にあったので、その信仰はご主人より熱心だった。私が初めてお会いした時、奥さんはこんなことをしていいのでしょうかと真剣に私に尋ねたものである。
 さて私は私なりの厳しい条件下でマイヤースをテストし、その霊能が本物であるとの確信を得た。その後推理作家として有名だったエドガー・ウォーレスが出現し、あの切れ者が地上時代に見せた如何なる構想(プロット)にも優る見事な展開を見せてくれた。地上を去って今度はあの世から見事なドラマを送って来てくれたわけである。
 そのストーリーは、ウェールズの一女性から、自動書記で得たという通信が私の下に届けられたことから始まる。添えてあった手書きの手紙でその女性は、この自動書記はエドガー・ウォーレスが死と共に始まった自分の霊界生活を綴ったものだと説明してあった。通信を見ると前書きの所に〝古き友ハンネン・スワッファーに贈る〟と記してあるのが目に留まった。
 その日はたまたまそのスワッファーと会う約束になっており、その時刻も迫っていたので、私は通信を読まずにそのまま携えてスワッファーの家を訪ねた。着くと直ぐ私はそれを差し出してどう思うかと聞いた。内心私はこの皮肉屋のベテランジャーナリストはきっとそれをポイと突き返すのではないかと思っていたが、案に相違して彼は長々と時間をかけてじっくり読み耽った。そしておもむろにこう言った。
 「これがエドガー・ウォーレスからのものかどうかは断言出来ないが、観察眼のある腕利きのレポーターが書いたものであることは間違いない」
 ここで一つのジレンマが生じた。というのは、もしも本物であれば、それを公表すると大変な反響が出るであろう。が万一間違いだと分かればとんでもないことになる。私はその事態を考慮して一つの策を考えた。
 次のロバーツ女史の交霊会に出席した時、私はそのことをレッドクラウドに話し、一つ手を貸して頂けないものかとお願いした。するとレッドクラウドは「私がウォーレスに会ってみるから、それまでは自動書記通信のことは内証にしておくように」ということであった。そして二週間後の次の交霊会でレッドクラウドは、ウォーレスに会ったらあの通信は自分が書いたと言ってると告げてくれた。
 そこで私はその通信を「私の死後の生活-エドガー・ウォーレス」と題して心霊週刊紙に連載した。予想通りの大反響があった。ウォーレスの遺族はその公表を喜ばなかったし、ウォーレスの秘書だったボブ・カーチスは、文体が先生のものと全然似ていないと言って非難した。
 そうした反響の真っ只中で私は一人のレポーターを雇うことにした。英国ジャーナリスト連盟に電話して、次の就職申込者はウチへ回して欲しいと依頼した。やがてやって来たのはオースチンという若者であった。彼は正直にスピリチュアリズムは信じていないと言い、宗教的には不可知論者だと言った。
 彼のこれまでの心霊体験といえば北部ロンドンの地方新聞に勤めていた頃に一、二度スピリチュアリストの集会に出たこと位であった。私は採用することに決め、君の仕事は交霊会や集会での出来事を正確に報告してくれるだけでいい、と言っておいた。
 彼の最初の仕事はマイヤースの心霊写真実験会だった。私は彼に、どういう条件を満たせばマイヤースの霊能が本物であると言えるか、その条件を書き出させた。私がそれに目を通してオーケーを出した。オースチンは自分でカメラ店を選んで感光板を買い求め、すり替えられないように印をつけ、スライドに入れた。後にそれはマイヤースのカメラにセットされた。
 マイヤースはカメラには全然手を触れなかった。彼はただカメラの置かれた部屋にいただけである。彼には霊視能力もあり、その日は有名なユダヤ人作家のイズリアル・ザングウィルが来ていると言っていたが、焼付けてみると、その内の一枚に確かにザングウィルの顔が写っていた。
 その写真を公表したところ面白い手紙が届けられた。フリート街のある写真代理店が〝写真使用料〟を請求してきたのである。その言い分は、例の写真は当社が版権を所有しているザングウィルの写真そのものの転載ではないが、よく似ている、というものであった。
 その代理店から派遣されて来た二人の写真家に私は、この写真は厳しい条件下で心霊的に撮ったもので、従ってもし使用料を支払ったら、それは真正の心霊写真でなく詐術で作製したことになってしまうと説明し、もしもあくまで疑うのであれば、二人でマイヤースの実験会に出席してみてはどうかと勧めた。二人のプロ写真家は非常に乗り気になり、彼等なりの条件を要求した。マイヤースは快くそれに応じた。
 条件というのは、感光板は自分達で用意し、スライドに入れる時に自分達の名前のイニシャルを印し、自分達でカメラにセットし、シャッターを切る時には二人が立会い、現像と焼付けは自分達が行う。又マイヤースは一切道具に手を触れないこと、マイヤースの役目はシャッターを切る時に知らせてくれるだけ、という厳しいものだった。
 注文通りに事が運ばれた。ところが感光板をスライドに入れる際に一人がイニシャルを入れると同時に先の尖った道具で秘密のマークを刻み込んだ。これは感光板のすり替えがないかどうかを確かめる為であったが、そんなことをすることは霊媒も私も聞いていなかった。
 いよいよシャッターを切る段階になって、マイヤースがエドガー・ウォーレスの姿が見えますと言い、こんなことを言っていますという。
 「どんな写真が出ても、地上に存在する私のどの写真にも似てないでしょう」これは明らかに例のザングウィルのケースを意識しての発現だった。
 さて、現像と焼付けを終わってみると、その中の一枚に紛う方ないウェーレスの顔が写っていた。これは一度も撮ったことのない角度からの写真で、もしもその真実性を疑うとすれば、そう疑う人は次の問いに答えられなくてはならない。すなわち〝複製の為に使う写真がこの世に一枚もないのに、霊媒はウォーレスの写真をどうやって作製したか〟ということである。
 さすがの二人の写真家も全ての条件が完全に満たされたことを認め「感光板のすり替えは絶対になかった」と書いて署名した。感光板をスライドへ入れる時に印したイニシャルと秘密のマークもウォーレスの写真のネガにくっきりと出ていた。
 スピリチュアリズムの現象でスピリットが或ることを証明しようとする場合、よくピクチャーパズルのような方法を取ることがある。つまり、色んな出来事を組み合わせていくと全体で一つに纏まった話になるというもので、このウォーレスの場合がまさにその好例だった。
 右の写真の実験があってから二、三日してロバーツ女史の交霊会に出席すると、レッドクラウドが私に、メガホンを預かっておいて欲しいと言う。私は驚いて、何故そんなことをするのかと尋ねた。すると、エドガー・ウォーレスが来ていてしきりに話したがるのだが、まだ要領が分かってないし、前もって打ち交わせもしてなかったので、万一のことがあると霊媒に危害が及ぶので止めさせることにしたのだということだった。
 が次の交霊会ではウェーレスは立派に話せるようになっていた。彼はマイヤースの実験に出て感光板に上手く自分の影像を焼き付けることに成功したことを認めた。又私が、あなたのかつての秘書はそのことを否定しているが・・・と言うと、「いい加減目を覚ますようにカーチスに言って頂きたい」と言い、自分の方でもカーチスに真剣に考えさせるものを用意していると付け加えた。
 それが二、三週後に現実となった。カーチスはウォーレスの秘書を十五年勤めた後、同じく推理作家のシドニー・ホーラーの秘書をしていた。そのホーラーからカーチスの下にディクタホン(注16)のレコード数枚が送られて来た。それをカーチスが文字に転写するわけであるが、その内の最初の一枚を聞こうと回転盤に乗せた時カーチスは「椅子から転げ落ちそうになる程驚いた。そのレコードから紛う方ないウォーレスの声が出て来た」のである。その声はこう述べた。
 「このレコードは私が使う。私の本-私の小説を書く為に」
 一体ウォーレスの声がどうしてそのレコードに録音されたのだろうか。勿論常識的な説明ではその謎は解けない。考えられることの一つは、かつてそのレコードをウェーレスが使ったことがあって、それが完全に消されていなかったというケースであるが、それならばホーラーの声とだぶっている筈で、ウォーレスの声だけが明瞭に聞こえる筈はない。が実際はその声は実に明瞭で、その声が終わってからホーラーの声が出て来ている。
 カーチスはそれを持ってディクタホンの会社を訪ねた。その説明を受けた専門家の一人がそれを始めから聞き返すと、やはり最初にウォーレスの声が聞こえ、その後からホーラーがそれより低い声で「翌日の早朝になって漸くブレンデルは・・・」語り始める。小説の出だしの部分である。
 初めの声がウォーレスのものだというカーチスの確信は揺るがなかった。そこで強力な拡大鏡でレコードを検査することになった。その結果分かったことは、ウォーレスの声からホーラーの声に移る部分に何の断絶もないということだった。「同じレコードに二人の人間が録音してワックスの上に何の断絶も出ないようにすることは不可能です」とその専門家は語った。
 更にその専門家は、最初に述べた消し方が不充分だった場合を一応実験して確かめようということになり、使用済みのレコードの一部を削り取ってみた。検査してみると明らかに盛り上がった筋が出来ている。問題のレコードにはそれがない。これで決まった。
 ウォーレスは約束を果たしたわけである。その後の交霊会でウォーレスは「あれはボブ(カーチス)に少し考えさせてやろうと思ってやったことです」と語った。
 それから数ヶ月が過ぎて、ウォーレスに纏わる話をすっかり忘れていた頃のことである。いつものようにロバーツ女史の交霊会に出席していると、レッドクラウドが「ポースコールのホプキン夫人の所へ行って来ましたよ」と言って私を驚かせた。
 「何をしにですか」私がとぼけて聞くと、レッドクラウドはいたずらっぽくクスクス笑いながら「その後ウォーレスから通信が来てないかと思ってね」と言う。
 実は私が例の「私の死後の生活-エドガー・ウォーレス」を公表した時、私は報道陣が詰め掛けて迷惑を掛けてはいけないと思い、ホプキンという霊媒の名前もポースコールという地名も公表しなかった。レッドクラウドがその両方ともちゃんと知っていたという事実は、エドガー・ウォーレスに纏わる一連のドラマに相応しい後日談となった。

 (注16)-録音と再生が出来る速記用後述録音機。