『これが心霊(スピリチュアリズム)の世界だ』M・バーバネル著 近藤千雄訳より

 物理学的にみて〝絶対不可能〟なことをやってみせるのが物理的心霊現象である。テーブルがひとりでに浮揚する。メガホンが宙に浮いたままになる。一見あたかも引力が消えたかに思える。が実はそれなりの法則が働いているに過ぎない。自然法則の働きが停止するなどということは絶対に有り得ない。従ってこの世に〝奇跡〟というものは起こり得ないのである。今述べたような〝絶対不可能〟な筈の現象が実験室で起きるのは、人間が五感で確認出来る照明を求めるその欲求に応じて、霊界の技術者達が計画的に演出しているからに他ならない。
 前に紹介したクロフォード博士による実験で、テーブルが浮揚しているのを写真に撮るのに成功している。霊媒の身体から出て来たエクトプラズムがまず棒状になり、それが突っかい棒のようにテーブルを支えて持ち上げる。博士は決定的とも言える一連の興味深い実験を行い、その結果テーブルを持ち上げるのに必要な重力は霊媒が失った重量とほぼ一致することを証明した。
 テーブルが完全に床から浮上する現象は私は何度か見ている。私がテストしたシェフィールド氏のある物理霊媒の場合は、必ずテーブル浮揚現象があった。まず霊媒がテーブルの上を強くこすってから、その表面から九インチ程上の辺りに両手を広げる。するとテーブルがその手のひらの所まで浮上する。他には誰も手を触れていない。
 かつてウェールズで炭鉱夫をしていたというジャック・ウェバーの場合は重いテーブルが浮上するのがしばしば見られた。それを赤外線写真に多数収めている。又私自身も赤外線写真でエクトプラズムがウェバーの身体から滲み出て来て一本ないし二本のメガホンを握るところを撮っている。それによってスピリットがメガホンを操作するカラクリが明らかとなった。
 物理的心霊現象実験会(物理実験会)の鍵はその現象を演出するスピリット達の協力を得ることにある。それさえ得られれば、それはスピリット側が人間側を信頼しているということであり、成功の為の舞台装置がセットされたことを意味する。スピリットの存在を信じ、スピリットに対して理解を示す研究家による実験会の方が、猜疑心で固まった温か味のない研究家による実験会より上手くいくのは、そこに信頼感という人間的要素があるからである。
 冷酷な研究家は霊媒を詐欺師と見做して、それを暴いてやろうとしているのであるから、その態度が現象をつまらないものにしてしまう。霊媒に対して人間味のある態度を取ろうとしないことが、所謂心霊研究を袋小路に追い込んでしまう大きな理由なのである。
 霊媒現象は感受性を生命とする。普通の人間なら何とも感じないで平気でいられるようなことでも、霊能者は大きく影響される。〝さあ証明して見せろ〟式の態度では、たとえそれが真剣であっても、結局は求めんとする現象は出て来ない。
 科学的研究というのを同一条件下で同一結果を何度でも再現出来るという意味だとするならば、物理実験でそれを求めるのは事実上不可能なことである。その理由は他でもない、一番大切な要素が霊媒という人間であり、極度に感受性の強い存在だからである。しかし、全く同一条件下ではないが、ほぼ似通った条件下で、比較対照の資料となる結果を繰り返し再現することは可能であり、私自身もそれを観察している。
 例えばジャック・ウェバーの実験会では、ウェバーの両手両足を椅子に縛りつけ、その結び目を更に糸で結んでおいたのに、瞬時の内に上衣が脱がされ再び元に戻されるという現象が起きた。私が背後霊に写真を撮らせて欲しいと言うと、赤外線写真を使用し、フラッシュは霊媒を通じて合図があった時という条件で許してくれた。
 この赤外線写真の使用は物理実験にとって大変な恩恵であった。というのは白色光の場合、背後霊がそれに同意しそれなりの準備をしてからでないと霊媒に危害が及ぶことが、それまでの経験で明らかとなっているからである。うっかり無断でフラッシュをたいた為に健康を害してしまった霊媒が少なくないことは既に述べた通りである。
 そうした写真撮影の為の実験に際してはウェバーは椅子にしっかり縛り付けられた。両腕は肘掛に、両脚は椅子の脚に縛り付ける。こうした場合、奇術ではどこかに緩みをもたせるように細工し、後でそれを利用して脱け出るということをやることを私もよく知っているので、ウェバーの時には絶対にそれがないよう細心の注意を払った。更に写真撮影によって始めと終わりとで結び目に何の変化もないことを確かめることにした。
 さて、ウェバーを椅子に縛り付けると、そのロープの結び目に黒い木綿糸を巻きつけた。結び目に少しでも力が加わるとそれが切れるようにしたわけである。更にその木綿糸を上衣の一つのボタンに巻き付け、ボタン穴を通して結んでおいた。これも霊媒が身動きしたら切れることを狙ったものである。が、実験が終了してから調べてみると結び目も木綿糸もそのままだった。
 上衣が一旦脱がされて再び元に戻るまで僅か十四秒だった。写真撮影している最中に支配霊が白色電灯をつけることを許してくれた。お蔭で上衣が脱がされてシャツ姿になっている霊媒をはっきりと確かめることが出来た。始まってから八秒位経ってからのことだった。それから二秒後の三枚目の写真には上衣が戻るところが写っている。身体に戻りかかっているところで、袖が一部分だけ入りかかっている。上衣の前の部分は半透明の状態のようだった。というのは下のチョッキのボタンが上衣を通して見えているからである。四枚目は上衣が完全に元に戻った状態を示している。
 列席者が何一つ手を貸していないことは明白である。誰かが少しでも手を貸して脱がそうとすればロープが乱れるか、木綿糸が切れた筈である。もっともそんな推測をするよりも、とにかく列席者は全員左右の手を繋ぎ合っていたのである。
 私は決してこの種の現象が死後の存続を証明していると主張するつもりはない。私が主張したいのは、これが超物理的法則の存在とこの世のものではない知的生命の存在を物語っているということである。つまりこの三次元世界とは異なる別の次元の存在が推定されるのである。現象の性質を検討してみると、それを演出している者には理知的思考力が具わっている。
 聖パウロは霊的なものは霊的に識別しなければならないと言ったが、この格言は〝この目に見せろ〟と要求する懐疑的人間に当てはめるわけにはいかない。その点、物理実験会における現象は霊的なことを物理的に識別させようとするのであるから、正にお誂え向きというべきである。
 〝絶対不可能なこと〟を写真で証明してくれた人にアメリカの例のマージャリーがいる。その一つに〝心霊史上最大の証拠物件〟とされているものがある。物体が物体を貫通するというものである。この現象は当時米国SPRの会長で、十字通信の実験でも紹介したウィリアム・バットン氏の発案によるもので、秀れた法律家でもあるバットン氏は、その法律家的考えから、確実な科学的証拠となるものを得なくてはならないと苦心している内に、ふといい考えを思いついた。それをマージャリーの弟で今では支配霊として働いているウォルターに打ち明けた。
 それは、二つの木製のリングを交叉させることだった。これは物理学的には不可能なことで、もしこれに成功すれば、超常的な力の働きによるという以外の説明は出来ないので、これこそ永久的価値のある証拠になると考えた。ウォルターはやってみましょうと約束した。そして次の実験会に二個の木製のリングが用意された。そしてウォルターはこれを僅か二、三分で交叉させてしまった。バットン氏は大喜びで、もう一度やってみて欲しいと頼んだ。ウォルターはそれも簡単にやってみせた。
 喜んだ列席者達はその事実をオリバー・ロッジに報告した。するとロッジはもっと厳しい条件下でやるべきだと助言した。というのは、二つのリンクが同じ木質のものであれば、うるさい学者は、初めから交叉させた状態で彫ったのだろうと疑う可能性があるというのである。ロッジは自分がリングを用意しようと提案し、一つはチーク材、もう一つは固い松で拵えたものを用意した。そしてそれを前もって写真に撮ってからボストンへ送った。
 さて、それを次の実験会に持ち込んで、ウォルターに交叉出来るかと言うと、あっさりと交叉させてしまった。その〝心霊史上最大の証拠物件〟はガラスケースに保管された。その後、列席者が幾組かの木質の異なるリングを持参してみたが全て交叉させている。
 それから奇妙な現象が連続して起きた。それがウォルターのイタズラなのかどうかは分からないが、どうもリングで遊んでいるように思えてならなかった。例えばリングの一部分が食いちぎられたみたいになっていたり、テーブルの上にのこ屑が落ちていたり、片方が行方不明になったりした。更にリングが壊されたり、交叉しているものが離されていたりした。そして遂にガラスケースに保管してあるものだけが残った。
 ところがハンネン・スワッファーがマージャリー邸を訪れた時、バットン氏が自慢のそのリングを持ち出してみたところ、片方のリングが壊れていた。バットン氏はこんなことは普通では考えられないと主張し、このことがあってから〝挫折の法則〟というのがあるようだと言い出した。「ウォルターはこの決定的証明を繰り返し証明してくれたのに何かがそれを奪い去ってしまう。どうも分からん」と言うのだが、〝挫折の法則〟などというものがあるのかどうか、私は知らない。