自殺ダメ
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
やがて私の娘時代にも終わりを告ぐべき時節がまいりました。女の一生の大事は言うまでもなく結婚でございまして、それが幸不幸、運不運の大きな岐路となるのでございますが、私とてもその型から外れる訳にはまいりませんでした。私の三浦へ嫁ぎましたのは丁度二十歳の春で山桜が真っ盛りの時分でございました。それから荒井城内の十数年の武家生活・・・・随分楽しかった思い出の種子もないではございませぬが、何を申してもその頃は殺伐な空気の漲った戦国時代、北条某(なにがし)とやら申す老獪な成り上がり者から戦闘を挑まれ、幾度かの激しい合戦の挙句の果が、あの三年越しの長の籠城、とうとう武運拙く三浦の一族は、良人(おっと)をはじめとして殆ど全部城を枕に討死してしまいました。その時分の不安、焦燥、無念、痛心・・・・今でこそすっかり精神の平静を取り戻し、別に口惜しいとも、悲しいとも思わなくなりましたが、当時の私共の胸には正に修羅の業火が炎々と燃えておりました。恥ずかしながら私は一時は神様も怨みました・・・・人を呪いもいたしました・・・・何卒その頃の物語だけは差し支えさせて頂きます・・・・。
大江家の一人娘が何故他家へ嫁いだか、と仰せでございますか・・・・あなたの誘い出しのお上手なのには本当に困ってしまいます・・・・。ではホンの話の筋道だけつけてしまうことに致しましょう。現世の人間としてはやはり現世の話に興味を有たるるか存じませぬが、私共の境涯からは、そう言った地上の事柄はもう別に面白くも、おかしくも何ともないのでございます・・・・。
私が三浦家への嫁入りにつきましては別に深い仔細はございませぬ。良人を私の父が見込んだのでございます。『頼もしい人物じゃ。あれより外にそちが良人とかしづくべきものはない・・・・』ただそれっきりの事柄で、私は大人しく父の仰せに服従したまででございます。現代の人達から頭脳が古いと思われるか存じませぬが、古いにも、新しいにも、それがその時代の女の道だったのでございます。そして父のつもりでは、私達夫婦の間に男児が生まれたら、その一人を大江家の相続者に貰い受ける下心だったらしいのでございます。
見合いでございますか・・・・それはやはり見合いも致しました。良人の方から実家へ訪ねてまいったように記憶しております。今も昔も同じこと、私は両親から召されて挨拶に出たのでございます。その頃良人はまだ若うございました。確か二十五歳、縦横揃った、筋骨の逞しい大柄の男子で、色は余り白い方ではありません。目鼻立尋常、髭はなく、どちらかといえば面長で、目尻の釣った、きりっとした容貌の人でした。ナニ歴史に八十人力の荒武者と記してある・・・・ホホホホ良人はそんな怪物ではございません。弓馬の道に身を入れる、武張った人ではございましたが、八十人力などというのは嘘でございます。気立ても存外優しかった人で・・・・。
見合いの時の良人の服装でございますか-服装は確か狩衣に袴を穿いて、お定まりの大小二腰、そして手には中啓を持っておりました・・・・。
婚礼の式のことは、それは何卒お聞き下さらないで・・・・格別変わったこともございません。調度類は前以って先方へ送り届けておいて、後から駕籠(かご)に乗せられて、大きな行列を作って乗り込んだまでの話で・・・・式は勿論夜分に挙げたのでございます。全ては皆夢のようで、今更その当時を思い出してみたところで何の興味も起こりません。こちらの世界へ引越してしまえば、めいめい向きが違って、ただ自分の歩むべき途を一心不乱に歩むだけ、従って親子も、兄弟も、夫婦も、こちらでは滅多に付き合いをしているものではございません。あなた方もいずれはこちらの世界へ引き移って来られるでしょうが、その時になれば私共の現在の心持が段々お判りになります。『そんな時代もあったかナ・・・』遠い遠い現世の出来事などは、ただ一片の幻影と化してしまいます。現世の話は大概これで宜しいでしょう。早くこちらの世界の物語に移りたいと思いますが・・・・。
ナニ私が死ぬる前後の事情を物語れと仰るか・・・。それではごく手短にそれだけ申し上げることに致しましょう。今度こそ、いよいよそれっきりでお終いでございます・・・。
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
やがて私の娘時代にも終わりを告ぐべき時節がまいりました。女の一生の大事は言うまでもなく結婚でございまして、それが幸不幸、運不運の大きな岐路となるのでございますが、私とてもその型から外れる訳にはまいりませんでした。私の三浦へ嫁ぎましたのは丁度二十歳の春で山桜が真っ盛りの時分でございました。それから荒井城内の十数年の武家生活・・・・随分楽しかった思い出の種子もないではございませぬが、何を申してもその頃は殺伐な空気の漲った戦国時代、北条某(なにがし)とやら申す老獪な成り上がり者から戦闘を挑まれ、幾度かの激しい合戦の挙句の果が、あの三年越しの長の籠城、とうとう武運拙く三浦の一族は、良人(おっと)をはじめとして殆ど全部城を枕に討死してしまいました。その時分の不安、焦燥、無念、痛心・・・・今でこそすっかり精神の平静を取り戻し、別に口惜しいとも、悲しいとも思わなくなりましたが、当時の私共の胸には正に修羅の業火が炎々と燃えておりました。恥ずかしながら私は一時は神様も怨みました・・・・人を呪いもいたしました・・・・何卒その頃の物語だけは差し支えさせて頂きます・・・・。
大江家の一人娘が何故他家へ嫁いだか、と仰せでございますか・・・・あなたの誘い出しのお上手なのには本当に困ってしまいます・・・・。ではホンの話の筋道だけつけてしまうことに致しましょう。現世の人間としてはやはり現世の話に興味を有たるるか存じませぬが、私共の境涯からは、そう言った地上の事柄はもう別に面白くも、おかしくも何ともないのでございます・・・・。
私が三浦家への嫁入りにつきましては別に深い仔細はございませぬ。良人を私の父が見込んだのでございます。『頼もしい人物じゃ。あれより外にそちが良人とかしづくべきものはない・・・・』ただそれっきりの事柄で、私は大人しく父の仰せに服従したまででございます。現代の人達から頭脳が古いと思われるか存じませぬが、古いにも、新しいにも、それがその時代の女の道だったのでございます。そして父のつもりでは、私達夫婦の間に男児が生まれたら、その一人を大江家の相続者に貰い受ける下心だったらしいのでございます。
見合いでございますか・・・・それはやはり見合いも致しました。良人の方から実家へ訪ねてまいったように記憶しております。今も昔も同じこと、私は両親から召されて挨拶に出たのでございます。その頃良人はまだ若うございました。確か二十五歳、縦横揃った、筋骨の逞しい大柄の男子で、色は余り白い方ではありません。目鼻立尋常、髭はなく、どちらかといえば面長で、目尻の釣った、きりっとした容貌の人でした。ナニ歴史に八十人力の荒武者と記してある・・・・ホホホホ良人はそんな怪物ではございません。弓馬の道に身を入れる、武張った人ではございましたが、八十人力などというのは嘘でございます。気立ても存外優しかった人で・・・・。
見合いの時の良人の服装でございますか-服装は確か狩衣に袴を穿いて、お定まりの大小二腰、そして手には中啓を持っておりました・・・・。
婚礼の式のことは、それは何卒お聞き下さらないで・・・・格別変わったこともございません。調度類は前以って先方へ送り届けておいて、後から駕籠(かご)に乗せられて、大きな行列を作って乗り込んだまでの話で・・・・式は勿論夜分に挙げたのでございます。全ては皆夢のようで、今更その当時を思い出してみたところで何の興味も起こりません。こちらの世界へ引越してしまえば、めいめい向きが違って、ただ自分の歩むべき途を一心不乱に歩むだけ、従って親子も、兄弟も、夫婦も、こちらでは滅多に付き合いをしているものではございません。あなた方もいずれはこちらの世界へ引き移って来られるでしょうが、その時になれば私共の現在の心持が段々お判りになります。『そんな時代もあったかナ・・・』遠い遠い現世の出来事などは、ただ一片の幻影と化してしまいます。現世の話は大概これで宜しいでしょう。早くこちらの世界の物語に移りたいと思いますが・・・・。
ナニ私が死ぬる前後の事情を物語れと仰るか・・・。それではごく手短にそれだけ申し上げることに致しましょう。今度こそ、いよいよそれっきりでお終いでございます・・・。