自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 ある日新樹を招霊してよもやまの物語をしたついでに、近頃そちらの世界で誰か珍しい人物に会ったことはないか、と訊ねました。新樹は暫く考えて答えました-
 「格別珍しい人にも会わないですが、この間一人の熱心な日蓮信者に会って、死後の感想を聞きました。それなどは幾分か変わった方です」
 「日蓮信者は面白いな・・・・。どういうことでその人に会ったのか」
 「ナニ僕が指導役のお爺さんにお願いして、わざわざ連れて来て頂いたのです。僕は生前仏教の事も、キリスト教の事も、少しも知らなかったので、それ等、既成宗教の信者が、こちらの世界へ来て、どんな具合に生活しているか、又どんな考えを抱いているか、一つ実地に調べてみたいと思ったのです。そうするとお爺さんは、見本として菊池という一人の老人・・・なんでも十五年ばかり以前に、六十二歳で帰幽した人で、専門は蚕糸家(絹糸の元の蚕関連の仕事)だとか言っていましたが、その人を連れて来てくれたのです。生まれた国は寒い方の国らしいですね。若い時には東京の学校で勉強したと言っていました。いかにも物腰の柔らかな、人品の賤しからぬ人物でした・・・」
 「面会した場所は、やはり例の洋風の応接間かい?」
 「そうです。初対面の珍客ですから、僕の方でも大分念入りに準備をしました。応接間の中央には一脚の卓子に然るべく椅子をあしらっておきました。それから壁には掛け軸もかけました。僕は神さんの方ですから、皇孫命様のお掛け軸を頂いてあります。それは神武天皇時代のような御服装で、威風堂々四海を呑むと言った、素晴らしい名書です。洋館ですから、別に神棚などは置きません。ただ普通の台の上に、榊と御神酒を供えただけです」
 「お前の服装は?」
 「僕は和服にしました。鼠色の無地の衣服に、共の袴、白足袋・・・ごく地味なものです」
 「お客さんはどんな服装だったかな?」
 「最初は墨染の法衣を着ていました。菊池という人は、現在ではもうすっかり仏教的臭味から脱却してしまっているのですが、元仏教信者であったことを表現する為に、わざわざ法衣を着て来たのだそうです。ですから一応挨拶を済ましてからは、いつの間にやら、普通の和服姿に変わっていました。その辺がどうも現世らしくない点です」
 「まるで芝居の早変わり式だね・・・。かなり勝手が違っている・・・」
 「勝手が違っているのは、そればかりではありませんよ。その時、僕はふと人間心を出して、現世ならこんな場合に、茶菓子でも出すところだがナ、と思ったか思わぬ時に、早くもお茶とお菓子とが、スーッと卓子の上に現れました。まるで手品です。勿論それは、一向に風味も何もありません。単に形式だけで、つまらないことおびただしいです・・・」
 雑談はいい加減にしておいて、私はそろそろ話題を問題の中心に向けて行きました。
 「菊池さんは、よほど堅い法華の信者だったのかしらん!」
 「そうらしかったのです。平生から血圧が高く、医者から注意されたので、かたがた仏の御力にすがったらしいです。が、それが為に、格別病気が良くもならず、又悪くもならず、そしてとうとう脳溢血で倒れたというのです」
 「脳溢血で急死したのでは、相当永く自覚出来なかったろうね」
 「ええ、何年無自覚でいたか、自分でもさっぱり見当がとれないと言っていました。ところが、ある日遠くの方で、菊池菊池と名前を呼ばれるような気がして、ふと目を覚ますと、枕元に一人の白衣の神さんが立っていたそうで、その時は随分びっくりしたといいます。兎も角もお辞儀をすると、お前は仏教信者として死んだが、仏教の教えには、大分方便が混じっているから、その通りには行かない。こちらの世界には、こちらの世界の不動の厳律があるから、素直に神の言うことを聞いて、一歩一歩着実に向上の道を辿らねばならない。お前のように、一途に日蓮に導かれて、何の苦労もなく、直ぐ極楽浄土へ行って、ボンヤリ暮らそうなどと考えても駄目である・・・。ざっと、そんなことを言い聞かされたといいます」
 「菊池さんは大分アテが外れた訳だナ・・・」
 「大いにアテが外れて憤慨したらしいです。何しろ相当我の強い人ですから、散々神さんに喰ってかかりました-信仰は各人の自由である。自分はかねて日蓮様を信仰したものであるから、どこまでもそれで行きたい。そのお導きで、自分はきっと極楽浄土へ行ってみせる・・・」
 「法華信者は中々堅いからナ・・・。先入主というものは容易に除かれるものでない・・・」
 「中々除けないものらしいです。兎に角何と言われても、菊池さんが頑張って聞かないものですから、神さんの方でも、とうとう本人の希望通りで、仏教式の修業をさせたそうです。そこが有り難いところだと思いますね。神さまは、決してその人の信仰に逆らわないで、導いてくださるのですね。僕なんか気が短くて、下らないことを信じている人を見付けると、直ぐ訂正してやりたくなりますが。結局それでは駄目らしいです。間違った人には、そのまま間違いはしておいて、いよいよ鼻を打った時に、初めて本当の事を説明している-どうもこれでなければ、人を導くことは出来ないようですね。菊池という人なんかも、やはりその手で薫陶されたらしく、やがて一人の坊さんの姿をした者が指導者となり、一生懸命にお題目を唱えながら、日蓮聖人を目標として、精神の統一を図るように仕向けられたと言います。そしてその間は、日頃お説教で聞かさせたような、随分恐ろしい目にも会わされ、亡者のウヨウヨしている、暗い所を引っ張り回されたり、生ぬるい風の吹く、不気味な砂漠を通らされたり、とても歩けない、険阻な山道を登らせられたり、世にも獰猛な天狗にさらわれ損ねたり、又めらめら燃える火焔の中を潜らせられたり、その時の話は、とても口では述べられるものではないと言っていました。兎に角これには、さすがの菊池老人も往生し、はてなと、少し考えたそうです-自分は決してそれ程の悪人ではない筈だが、どういう訳で、こんな恐ろしい目にばかり遭わされるのかしら・・・。事によると、これは心の迷いから、自分自身で造り上げた幻覚に苦しめられているのではあるまいか。なんぼなんでもあんまり変だ・・・」
 「中々上手い所に気付いたものだ。近頃マイヤースの通信を見ると、帰幽直後の人達は、大抵夢幻界に住んでいるというのだ。つまりそれ等の人達は、生前頭脳に浸み込んでいる先入的観念に捕えられ、その結果、自分の幻想で築き上げた一の夢幻境、仏教信者ならば、うつらうつらとして、蓮のうてななどに乗っかっているというのだ。そんなのは、一種の自己陶酔で、まだ始末の良い方だが、困ったことに、どの既成宗教にも、地獄式の悪い暗示がある。菊池さんなども、つまりそれで苦しめられた訳だろう・・・」
 「そうらしいですね。兎に角菊池さんが、変だと気が付くと、その瞬間に、これまでの恐ろしい光景は拭うが如く消え、そして法衣を着た坊さんの姿が、カラリと白装束の神さんの姿に急変したと言います。菊池さんは、つくづくこう述懐していました-先入主というものは、実に恐ろしいものだ。娑婆にいる間はそれ程でもないが、こちらの世界は、全て観念の世界であるから、間違った考えを抱いていれば、全部がその通り間違って来てしまう。今日から考えるに、仏教というものは、言わば一種の五色眼鏡で、全部嘘という訳でもないが、しかしそれを通して見る時に、全てのものは、ことごとく一種の歪みを帯びていて、赤裸々の現実とは大分の相違がある。人間が無知曖昧である時代には、あんな方便教も必要かも知れぬが、今日では、確かに時代遅れである。現に自分なども、その為にどんなに進歩が遅れたか知れぬ。そこへ行くと、神の道は現金掛け値なし、蓮のうてなも無ければ、極楽浄土もなく、その人の天分次第、又心掛け次第で、それぞれ適当の境地を与えられ、一歩一歩向上進歩の途を辿り、自分に与えられた力量の発揮に、全力を挙げるのだから実に有り難い。それでこそ初めて生き甲斐がある。自分などは、まだ決して理想的の境地には達しないが、しかし立派な指導者が付いて、何くれと導いてくださるので、少しはこちらの世界の実情にも通じて来た。殊に嬉しいのは、自分に守護霊が付いていることで、今ではその方ともしょっちゅう往来している。それは帰幽後五百年位経った武士で、中々のしっかりものである・・・」
 「菊池さんの守護霊は、やはり戦国時代の武士だったのか、道理でしっかりしている筈だ・・・。それはそうと、菊池さんについていた坊さんが、急に神さんの姿に早変わりをしたというが、あれはどういう訳かしら・・・」
 「僕も変だと思いましたから、色々訊いてみましたが、死んだ人は、宗教宗派のいかんを問わず、必ず大国主神様からの指導者が付くものだそうです。しかし仏教信者だの、キリスト教信者だのには、先入的観念がこびりついていて、真実のことを教えても、中々承知しないので、本人の眼の覚めるまで、神さんが一時坊さんの姿だの、天使の姿だのに化けて、指導しているのだそうです。随分気の永い話で、僕達には、まだとてもそんな雅量はありませんね・・・」
 「仏教信者の方は大体それで判ったが、キリスト教信者はどんな具合かしら」
 「実はそれについて、僕も菊池さんも、大いに不審を起こして、神さんにお願いして、キリスト教の堅い信者を、一人招いてもらいました。その話はいずれ次回に申し上げることにしましょう・・・」
 その日の会談は一先ずこんなことで終ったのでした。