自殺ダメ



 [ベールの彼方の生活(一)]P206より抜粋

 (これは、オーエン氏の母親からの通信の中に時折割り込む形で綴られた、アストリエルと名乗る霊からの通信を纏めたものである)

 1913年10月7日 火曜日

 この度初めて同行して来た霊団の協力を得て私はこれより、ベールのこちら側より観た〝信仰〟の価値について少しばかり述べてみたいと思う。
 キリスト教の〝使徒信条〟に盛り込まれた狭義については今ここで多くを語るつもりはありません。既に多く語られ、それ以上の深いものを語るにはまだ人間側にそれを受け入れる用意が十分に出来ていないからである。そこで我々は差し当たってその問題については貴殿の判断にお任せし、どの信条も解釈を誤らなければそれなりの真理が含まれている、と述べるに留めておきます。
 そこで我々としては現在の地上の人間があまり考察しようといない問題を取り上げることにしたい。その問題は、人間が真理の表面-根本真理でなく真理の上辺に過ぎないもの-についての論争を卒業した暁には必ず関心を向けることになるものである。それを正しく理解すれば、今人間が血眼になっている問題の多くがどうでもよい些細なことであることが判り、地上だけでなくこちらの世界でも通用する深い真理へ注意を向けることになるでしょう。
 その一つが祈りと瞑想の効用の問題である。貴殿はこの問題については既に或る程度の教示を受けておられるが、我々がそれに追加したいと思います。
 祈りとは成就したいと思うことを要求するだけのものではない。それより遙かに多くの要素を持つものです。であるからには、これまでよりも慎重に考察されて然るべきものです。祈りに実効を持たせる為には、その場限りの目先の事柄を避け、永遠不易のものに精神を集中しなくてはならない。そうすれば祈りの中に盛り込みたいと思っていた有象無象の頼み事の大部分が視界から消え、より重大で幅広い問題が創造力の対象として浮かび上がって来る。祈りにも現実的創造性があります。例えば数匹の魚を五千人分に増やしたというイエスの奇跡(ヨハネ6)に見られるように、祈りは意念の操作による創造的行為である。その信念のもとに祈りを捧げれば、その祈りの対象が意念的に創造され、その結果として〝祈りが叶えられる〟ことになる。つまり主観的な願いに対し、現実的創造作業による客観的回答が与えられるのです。
 祈りの念の集中を誤っては祈りは叶えられません。放射された意念が目標物に当たらずに逸れてしまい、僅かに適中した分しか効果が得られないことになる。更に、その祈りに良からぬ魂胆が混入しても効力が弱められ、こちら側から出す阻止力又は規制力の働きかけを受けることになります。どちらを受けるかはその動機次第ですが、いずれにせよ望み通りの結果は得られません。
 さて、こうしたことは人間にとっては取り留めのない話のように思えるかも知れませんが、我々にとってはいささかもそうではない。実はこちらには祈りを担当する専門の霊団がいて、地上より送られてくる祈りを分析し選別して、幾つかの種類に区分けした上で次の担当部署に送る。そこで更に検討が加えられ、その価値評価に従って然るべく処理されているのです。
 これを完璧に遂行する為には、地上の科学者が音と光のバイブレーションを研究するのと同じように祈りのバイブレーションを研究する必要があります。例えば光線を分析して種類分けが出来るように祈りも種類分けが出来るのです。そして科学者にもまだ扱い切れない光線が存在することが認識されているように、我々の所へ届けられる祈りにも、こちらでの研究と知識の範囲を超えた深いバイブレーションを持つものがあります。それは更に高い界層の担当者に引き渡され、そこでの一段と高い叡智による処理に任される。高等な祈りが全て聖人君子からのものであると考えるのは禁物です。往々にして無邪気な子供の祈りの中にそれが見出されます。その訴え、その嘆きが、国家的規模の嘆願と同じ程度の慎重な検討を受けることすらあるのです。
 「汝からの祈りも汝による善行も形見として神の御前に届けられるぞよ」-天使がコルネリウス(ローマ教皇251-253)に告げたと言われるこの言葉をご存知であろう。これは祈りと善行がその天使の前に形体をとって現れ、多分その天使自身を含む霊団によって高き世界へと届けられる実際の事実を述べたものであるが、これが理解されずに無視されています。この言葉は次のように言い換えることが出来よう-〝貴殿の祈りと善行は私が座長を務める審議会に託され、その価値を正当に評価された。我等はこれを価値あるものと認め、我等より更に上の界の審議官によりても殊の外価値あるものとのご認知を頂いた。よってここに命を受けて参じたものである〟と。我々はわざとお役所風に勿体ぶった言い方で述べましたが、こちらでの実際の事情を出来るだけ理解して頂こうとの配慮からです。
 以上の事実に照らしてバイブルに出ている祈りの奇跡の数々を吟味して頂けば、我々霊界の者が目の当たりにしている実在の相をいくらか推察して頂けるであろう。そして大切なのは、祈りについて言えることがそのまま他のあまり感心出来ぬ心の働きにも当てはまるということです。例えば憎しみや不純な心、貪欲、その他諸々の精神的罪悪も、そちらでは目に見たり実感したりは出来ないでしょうが、こちらでは立派な形態をとって現れるのです。悲しいかな、天使は嘆くことを知らぬと思い込むような人間は、地上で苦しむ同胞に対して抱く我々の心中をご存知ない。神から授かれる魂の使用を誤っているが故に悩み苦しむ人々の為に我々がいかに心を砕いているかをご覧になれば、我々に愛着を感じて下さると同時に、無闇に神格化してくれることもなくなるでしょう。
 さて、この問題は貴殿がその価値をお認めになれば、後はご自分で更に深く考究して頂くことにして、貴殿はもう少し通信を続けたいというお気持なので、貴殿にとって興味もあり為にもなる別の話題を提供しようかと思います。
 貴殿の教会の尖塔に風見鶏が付いております。あれは貴殿があのような形にしようと決められたことは憶えておられることと思いますが、いかがであろう。

-今あなたから指摘されるまですっかり忘れておりました。仰る通りです。建築家から何にするかと言われて魚と鶏のどっちにしようかと迷ったのですが、最終的には鶏にしました。でも、そんなことが何の意味があるのでしょうか。

 ごもっとも。貴殿にとっては些細なことでしょうが、我々の世界から見ていると、些細なことというのは滅多にないものです。鶏の格好をしたものがあの塔の先に付いている光景は実は五年前に貴殿の精神の中での一連の思念の働きの直接の結果でした。一種の創造的産物というわけです。こんな話を聞けばお笑いになる方も多いでしょうが、それは一向に構いません。我々の方から見ても人間のすることに苦笑することが多々あり、なぜ笑うのか理解に苦しまれるであろうことがあるものです。
 貴殿が何気なく決めた時の一連の思念の働きというのは、風見鶏を見ることによって信者の方に、ペテロが主イエスに背いたことを思い出してもらおうということでした。思うに貴殿は今の時代に二度とペテロと同じ過ちを繰り返さぬようにその警告のつもりだったのでしょう。しかし、ただそれだけの一見些細に思える決断が我々の世界へ届き、我々はそれを真剣に取り上げたのです。
 申し上げますが、新しく教会を建立するということは実はこちらの世界からの大いなる働きかけを誘う大事業です。新しい礼拝の場の建立ですから、礼拝に出席する霊、建物を管理する霊、等々実に大勢の霊がそれぞれの役目を与えられてその遂行に当たります。貴殿の同僚の中にはその様子を霊視した人がおられますが、その数は極めて限られております。牧師、会衆、聖歌隊、等々のそれぞれの性格を考慮に入れ、我々の中の最適の霊つまり指導する対象にとって最も相応しい霊を選出し、更には建物の構造まで細かく配慮する。象徴性は特に念入りに検討します。人間には気付かない重要な意味があるからです。風見鶏もその意味で考慮したわけです。話題としてはもっと大きなものを取り上げても良さそうですが、一見なんでもなさそうに思えるものにもちゃんとした意味があることをお教えしたくて、これを選んだわけです。
 さてシンボルとして貴殿が雄鶏を選んだからには、我々としてもそれに応えて教会に何かを寄贈しようということになった。それが我々の習慣なのです。そこで選ばれたのが例の鐘で、その為に聖歌隊の一人に浄財を集めさせたのです。教会が完成して祝聖式が執り行われた時はまだ鐘は付いておりませんでした。雄鶏は中空高くそびえていても、その口からは貴殿の目論む警告が発せられない。そこで我々がその〝声〟を雄鶏に与えたという次第です。鐘の音が雄鶏の言葉-〝夕べの祈り〟の時も聞こえていた如く-です。
 貴殿はこうしたことを霊界での幻想とでも思われますか。ま、そういうことにでもしておきましょう。でも、とにかくあの鐘のことは有り難いと思われたのではないですか。

-それはもう、本当に嬉しかったです。この度の通信にもお礼申し上げます。宜しかったらお名前を伺いたいのですが。

 我々は貴殿のご母堂が時折訪れる界から参った者です。実はご母堂から我々にもっと貴殿を身近に観察して、出来れば何かメッセージを送って欲しいとのご要望があった。仲間の方と一緒に来られたのです。霊団を代表して私から言わせて頂けば、この度のことは我々も喜んでお引き受け致しました。が、実は貴殿のことも教会の建立のことも、ご母堂からお聞きする前から知っておりました。

-ご厚意に感謝致します。お名前をお聞きするのは失礼に当たりましょうか。

 別に失礼ではありませんが、申し上げても貴殿はご存知ないし、その名前の意味も理解出来ないのではないかと思いますが。

-でも、宜しかったら是非教えて下さい。

 アストリエル。神の祝福を。

 <原著者ノート>アストリエル霊は通信のお終いに必ず十字架のサインをした。