自殺ダメ



 『これが死後の世界だ』M・H・エバンズ著 近藤千雄訳より

 前の[父親からの通信]の続き


 問「動物も霊界へ行くのですか」
 父「無論そうなんだが、ただ、個的存在は失ってしまう。つまり地上における動物生活で獲得した無意識の生理的生命力の類魂の中に融合してしまう。エーテル的エネルギーの集合体といってもいい。その類魂は動物の種類によって更に幾つかに分かれており、今度地上に生まれる時は牛なら牛の類魂の一部が物質と結合するわけだが、それには別に個性というものはない」
 問「ペット類はそのまま生き続けますか」
 父「その通りだが、いつまでもというわけにはいかない。飼主との愛の関係が切れない限りそのままの姿で霊界に生き続けるが、切れてしまうと今言った類魂の中に融合してしまう。だから蛇とかライオンとかは見かけない。ペットにしていたトラなどを見かけることもあるが、ごく珍しいことだ。その場合もトラ自身の意思で生きているわけではない。人間の住む界に来るような動物は人間に可愛がられたものに限ると思えばよい」
 問「ペット類というのは馬、犬、猫、象、猿などのことですか」
 父「象はペットの内には入るまい。あれは野生動物だろう。こちらで見かける動物といえば馬、犬、猫位で、猿はあまり見かけない。鳥はどこでも見かける。父さんはずっと上の界の小鳥を見てきたが、まるで金か銀で出来ているみたいにピカピカ光っていたよ。その色合いの美しさはお前達にはちょっと想像出来んだろう」
 問「父さんの土地から太陽が見えますか」
 父「円く光っている太陽は見たことないが、光だけは届いているようだ。しかし、その光にばかりお世話になっているわけではない。父さんの考えでは、この界の人間は太陽光線なしでも生きていけるのではないかと思う。というのは、父さんが住んでいる土地自体が光を出しており、それだけで十分なのだ。自分で光を出しているから陰とか夜とかが無いわけだ。もっと上へ行ったら、それはそれは見事な色彩だよ」
 問「月、惑星、星などは如何ですか」
 父「形体そのものは見ていないが、地上へ近付いて何らかの方法で地上的感覚を利用すれば見える筈だ。その時には透視能力に似たものを使用することになる。しかし今のところ、そうまでして見ようとは思わん。こちらの人間は自分の進歩と仕事にとって為になること、つまりやり甲斐のあることしかやろうとしないものだ。お月さんなど有っても無くても別に関係ないよ」
 問「でも、月も神が創造なさったものですよ。ならば月を研究することは神を知ることになるんじゃないですか」
 父「神を知る道なら他にいくらでもあるさ」
 問「色々解り易く説明して頂いたのですが、これほど説明しても尚且つ死後の世界の実質性を疑う人がいるのですが・・・」
 父「無理もない話しだ。父さんもこうして説明しながら、その実質性の本当の実感を伝えるには言葉がいかにも不便で物足りなさを感じているのだ。実は同じ草にしても、樹木にしても、或いは花にしても、言葉ではちょっと説明しかねるところが沢山ある。そういったところは実際に見た者でないと判らない。いくら言葉で説明して聞かせても結局は無駄だ。それは丁度、お前が時折感じる生命の悦び、高揚、生き甲斐といったものを言葉で言い表せないのと同じだ。生命とはそういうものだ。魂の奥にあるものが顔を覗かせる。目に見えないものが魂を揺さぶる。上へ行けば行く程言葉に表せない珍しいもの、或いは言語に絶する生命の喜悦といったものを体験するようになる。地上より霊界の方がその生命の実相に近いわけだ。素晴らしい世界だよ」
 こうした霊界通信を読むと、死というものが至って自然な現象で、霊界での受け入れ態勢もちゃんと出来ていることが分かる。あまり自然で上手く出来ているので、自分が死んだことに気付かず、納得するまでに相当期間を要する人がいるらしい。