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カテゴリ:★『私の霊界紀行』 > 幽体離脱現象の諸相

幽体離脱現象の諸相 目次

幽体離脱(体外遊離)現象とは何か

筆者の個人的体験

スカルソープ氏とよく似たケース

歴史上の記録

バイロケーション

切断された四肢の幽体

主観的要素の問題

オリバー・フォックス氏の体験

イーラム氏の体験

ラーセン女史の体験

マルドゥーン氏の体験

新しい研究

スピリチュアリズムの観点から

一つの試論

結語

自殺ダメ



 解説 幽体離脱現象の諸相  カール・E・ミュラー博士 

 『驚異の幽体離脱体験記 私の霊界紀行』F・C・スカルソープ著 近藤千雄訳より


 人間とは物的身体に包まれた〝霊〟であるとよく定義される。〝霊〟という用語さえ正しく理解すればこの定義はまさしくその通りであると言えよう。かつての〝霊〟の概念においては物質とは全く縁のない最高の形而上的原理という観念的な捉え方をしており、従ってこれが物質に影響を及ぼすことは有り得なかった。そのことが哲学的に様々な行き詰まりを生ぜしめたばかりでなく、心霊現象の存在の理解を困難にし、もしてや〝霊魂説〟を到底受け入れ難いものにしていた。
 実際は人間は元来が〝霊〟であって、それが身体を具えているのである。正確に言うと、その身体と霊との橋渡しをする中間的物質をも含む複合的存在である。多分昔から用いられている〝魂〟というのはその中間的物質のことを指していたのであろう。それが、正確な知識がなかった為にいつしか〝霊〟と同じものと見なされるようになったのであろう。
 成長するにつれて人間の身体は周りの物的環境と接触する為の機能を発達させていく。魂というのは意識の場において〝自分〟と繋がっている感覚、感情、思念という形を通じてその存在が知られる。その繋ぎ役をする媒体の中で最も重要なのが〝幽体(アストラルボディ)〟で、霊視すると肉体とそっくりなので〝複体〟と呼ばれることもある。
 日常生活を営んでいる間は幽体は肉体の中に収まっており、ほぼ同じ形体をしていて、完全に一体となっている。従ってその存在を示す兆候としては、それが肉体から分離した時にしか現れない。それも様々な形をとるが、例えば睡眠がそれであり、昏睡状態がそれであり、生者の幻影(その殆どは無意識)がそれであり、そして本稿の主題である幽体離脱がそれである。これはESP離脱と呼ばれたり霊界旅行と呼ばれたりすることもあり、完璧な状態では立派に意識的体験となる。
 その完全に離脱した状態は他界した〝霊〟と全く同じ状態である。事実、死んだと思われた人間が生き返って、その間の体験を思い出して語ってくれた人の話(近似死体験)と、睡眠中に離脱して体験する人の話とが内容的に実によく似ている。その意味で幽体離脱現象は死後存続の証拠となる一連の事実を関連付ける重大なカギであることは明白である。そのことは既に幾人かの著名な研究者、特にデュ・プレル、マティーセン、最近ではH・ハート教授などが同じような認識を持っている。

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 私自身に離脱の超能力はない。ただ、少年の頃明らかに離脱の初期と思われる段階の体験を何度かしている。ある夜いつものように寝たところ、これといった理由もなしにベッドから上方2フィート程、そして真横へ同じく2フィート程離れた位置に浮いているのに気が付いた。気分はとても爽快で、あたかも水中にいるみたいに手を前後に動かすと前へ行ったり後ろに下がったりすることが出来た。
 両腕を身体にぴったりつけると感触があり、又その格好で上昇したり下降したりすることも出来たが、もとよりそう遠くへ行くつもりもなかったので、この距離は二、三フィート程度だった。こうした体験が数回あったが、いつの間にか起きなくなった。暫く起きていないことに気が付いて意識的にやってみようとしたが、駄目だった。
 今からほぼ一年前にそれに似た、ちょっとした体験をした。左向きになって寝ていたところ少しずつ意識が戻って来た。すると私の後ろ側で誰かが眠っている息遣いが聞こえてきた。〝まさか〟と思ったが、誰もいる筈はない、(気のせいだ)と思っている内に寝入ってしまった。が、間もなく又意識が戻って来て、又誰かの息遣いが聞こえて来る。その息遣いがあまりにはっきりしているので振り返ってみたが、やはり誰もいなかった。
 結局これは私の上半身だけ幽体が離脱して、肉体の息遣いを幽体の耳で聞いていたという説明がつく。些細な体験ではあるが、多くの人の体験と一致するという点で私には意義ある体験である。完全離脱が事実であれば当然のことながら初期的な部分離脱も、中間的離脱も有り得ることを予期しなければならない。
 離脱中は意識的な行動をしていても肉体に戻ってからそれが思い出せないということは明らかに有り得るようである。意識的離脱体験の能力を持つ数人から聞かされていることであるが、睡眠中に離脱しているこの私と会って地上と変わらない意識的状態で会話を交わしたというのであるが、私自身は目が覚めてからそれが全く回想出来ないのである。かくかくしかじかの珍しいパジャマを着ていたとまで指摘されたのであるが、確かにその夜はそのパジャマを着ていた。
 何年も前の話であるがW-という生まれついての超能力者がいて、その人は浮遊霊を霊視したり、シンボルによる夢を見たり、幽体離脱をしたり、外国語による自動書記をしたり、自分の病気を奇跡的に治したりする人だった。その人がある夜ふと気が付くと自分のベッドの脇に立っていて、自分の寝ている姿を見つめていた。これが幽体離脱の初体験で、W氏はてっきり自分は死んでしまったと思い込んだ。すると、そのショックで次の瞬間には肉体に戻っていたという。強烈な感情を抱くと大抵そういうことになるようである。
 これは自然発生的現象の中でも初心者がよく体験する典型的なケースである。同じタイプの例をもう一つ挙げると、私のよく知っている婦人がある時〝これは一体どういうことでしょうか〟と言って語ってくれた話であるが、ある日の真昼に寝椅子で横になっている内に、ふと気が付くとその部屋の天井とシャンデリアの辺りを自分が浮遊しており、下を見ると寝椅子に自分の身体が横になっていたという。その婦人は元々超能力があり、これは明らかに幽体離脱の初体験である。
 先のW氏は離脱中にしばしば遠い外国や見知らぬ都市を訪れている。心霊関係の本も雑誌も読んだことがない人なので、自分の体験を全部自己流の用語で説明しており、この〝外国旅行〟の体験も〝鮮明な夢〟と呼び、普通の夢と区別していた。そう呼んだ訳は光景の輪郭の明確さと細部に至るまでの鮮明さと印象の生き生きとした現実性にある。大抵の報告がその点を指摘している。
 W氏は旅行の度に何か具体的な証拠になるものを持ち帰ることを試みたそうであるが、一度も成功していない。ある時外国のある通りで一人の通行人の後を付け、その町の名前を聞こうと思ってその人の肩を叩いた。するとその男性は振り返ったが、狐につままれたような顔をしていた。つまり肩を叩かれたのは明らかに感じ取ったのに何も見えなかった訳である。又ある時は肩を叩かずに一人の婦人に町の名前を訪ねてみた。すると婦人は声のする方へ顔を向けてから、キャーッという声を出した。声がしたのに何も見えなかったからか、それとも多分、薄ボンヤリとした〝幽霊〟のようなものでも見えたのであろう。
 離脱者の体験の中には説明困難なものもある。私の知人のE氏は色々な心霊体験の持ち主であるが、ある時寝椅子で新聞を読んでいる内に睡気を催したので新聞を脇に置いた。その直後に離脱が起き、水平のまま上昇した。見下ろしていると寝椅子の上の自分の身体がむっくと起き上がって座り、それから又横になった。意識的な離脱状態はその後もずっと続き、台所へ行き、それから肉体に戻った。
 同じくE氏の体験で、ある時通りを歩いていると何となく後ろから誰かが追いかけてくるような気がして振り返ると、青いコートを着た自分の幽体が追い付いて直ぐ横を歩いている。じっと見つめている内に消滅したという。
 人によっては初めての離脱の時に、まず最初に螺旋運動を感じたという人がいる。有名な超能力者のアンドリュー・J・デービスも同じことを言っている。私のよく知っている霊感の鋭いZ夫人も最初そうだった。ある時椅子に腰掛けて寛いでいるとトランス(入神)状態になった。その状態でZ夫人はまるで大きな煙突から飛び出ていくような勢いで螺旋状に上昇していくのを感じたという。気が付くとどこかの外国の上空を飛行機のように飛んでいる。その内ビルマとおぼしき国の上空に差し掛かった。大きな円い帽子を被った農夫が畑で働いている姿が見える。やがて今度は中国風の寺院が見えてきた。夫人はその屋根に開いている風窓から中へ入り、下で礼拝をしている人達の姿を見ていた。その辺りで意識が失くなった。
 これなどは地上の幽体旅行の一つの典型である。私はある霊媒を通じて、霊界の知人に螺旋運動による離脱の訳を聞いてみたところ、初心者はまだ各種のバイブレーションのバランスが取れていないことからそう感じるのだという返事だった。これはこの後で紹介されるマルドゥーン氏の説とそう違っていない。
 しかし霊界にも渦巻き状の運動がない訳ではない。地上の嵐に似たものが発生することがあり、従ってそれは本人のせいではない。私の知人のU夫人は離脱中につむじ風に巻き込まれた体験をお持ちである。非常に不快な感じがするという。ただそういう時には背後霊が守ってくれているようである。
 離脱の後遺症の中にはその現象はただの霊視現象に過ぎないという説を生みそうなものもある。公務員のM氏は非常に母親思いの人で、それだけに母親を失った時の悲しみ様は一通りでなかった。そして何とかして霊界の母親に会えないものかと思い、可能性については半信半疑ながらも、とにかく一心にそう祈っていた。
 暫くは何の心霊体験もなかったが、ある日の午後ベッドに横になって母親のことを思っていると、いつの間にか肉体から離れて、気が付くと霊界のある一軒の家を目指して歩いていた。なぜかその家に母親が住んでいるような気がした。家へ入ってみると母親はそこにはいなくて庭に出ていた。そこで自分も庭に出て母親と話を交わし始めると、直ぐに母親が〝もうお帰りなさい。それに、こういうことはこれきりですよ〟と言った。肉体に戻ると胃がムカムカして吐き気を催し、それが三十分も続いた。
 私の推察では、これは祈りに応えて背後霊が本人の気付かない内に一回だけということで叶えさせてくれたのであって、背後霊の援助がなかったら不可能だったであろう。

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 先のU夫人とは長いお付き合いであるが、ここ数年の間に数多くの興味深い体外遊離体験をしておられる。その原因は一つには夫人が精神統一の修業を欠かさないからである。つまり夫人の場合は霊的発達に伴って発生する体験であり、その体験の内容はスカルソープ氏のケースと、この後紹介する予定のイーラム氏のケースとよく似ているようである。
 初めて離脱した時は普段霊視している複数の背後霊によって肉体の上方へ持ち上げられた。それが少し苦痛だった為に、あまり長続きしていない。が、その後の離脱体験には割合苦痛は伴っていない。夫人の場合は大体において横側に脱け出る。戻る時は大抵肉体に入り込むのが分かるが、脱け出る時の分離の過程は自分で観察したことはないという。
 横たわっている自分の肉体を見たことはあるが、肉体と幽体とを結んでいる玉の緒(シルバーコード)は見たことがないという。そのことが私との間で話題となった後、夫人が背後霊に一度シルバーコードを見せて欲しいと頼んだところ、ある夜、近くのアパートの三人家族の家へ案内された。見ると三人の幽体がベッドの上で立っており、その幽体と肉体とがシルバーコードによって繋がっているのが見えた。色々と細かく観察した中でも、コードの色が三人とも違っているのが一番印象的だったという。
 スカルソープ氏との出会いがあった後に、幽体離脱の家族の実験の可能性について語り合ったことがある。そして私からスカルソープ氏に、離脱中に同じく離脱中のU夫人に会ってみて欲しいとお願いしてみた。もっとも、スカルソープ氏と共にある霊媒を通じて霊界の複数の知人にその件についてあらかじめ相談したところ、その為には色々と条件を整える必要があり、何と言っても波長の調整がカギなので、人間が考える程簡単にはいかないという返事だった。確かに我々が得た唯一の結果は次のようなものに過ぎなかった。
 1957年10月14日付のスカルソープ氏からの手紙にこうある-〝次に述べる体験はもしかして例の実験を背後霊団が準備してくれたものではなかろうか、つまりその中に登場する女性はU夫人ではなかろうかと思ってメモしておいたものです。残念ながらこの時の私の意識は百パーセント目覚めていなかったので、夫人の目鼻立ちまで覚えておりません。9月15日日曜日の午後3時15分のことですが、私は肉体を離脱して、ある部屋で一人の女性を見つめておりました。その女性は部屋を行ったり来たりしながら、ある芝居のセリフを練習しているところで、もう一人の女性がテーブルに向かって座り、台本に目をやって時折うなずいておりました〟
 これは間違いなく実験だった。U夫人は同じ日付の同じ時刻にスイスのチューリッヒでブッダ(釈迦)についての本を前にしてテーブルに座り、もう一人の女性と込み入った話をしていたという。その相手の女性は議論する時はいつも行ったり来たりする癖があるとのことで、芝居のリハーサルではなかったが、場面そのものはスカルソープ氏が叙述した通りであった。
 U夫人は離脱中に邪霊の類に襲われることは一度もないという。が、旅行から戻ってみると肉体に誰かが入り込んでいたことが一度ならずあったという。夫人が一方の側から入ると、その霊は仕方なく別の側から出て行った。別に後遺症はないという。私はここで、幽体離脱現象には普通の睡眠中と同じく危険は伴わないことを断言しておきたい。
 ある時U夫人は離脱中にシルバーコードが引っ張られるのを感じたことがあるという。又ある時は(何も見えないのに)霊の存在を感じ、夫人は意識が朦朧とし始めるとエネルギーを注入してくれるのが分かったという。霊界では多くの霊と会い、会話も交わしている。その中には今は他界しているかつての知人や親戚の人など、よく知っている人もいれば、全く知らない人もいる。離脱状態では壁やドアは抵抗なしに突き抜けられるという。但し、初めの頃は少しばかり抵抗を感じたそうである。
 もう一つ興味深い体験を語ってくれている。ある時、賑やかな通りを歩いている内に突如として意識が途切れた。そして次に意識が戻った時は同じ通りを25メートルも歩いていた。それから二年後のこと、たまたま同じ通りを歩いていると、二年前と同じ地点まで来て妙な感じに襲われた。夫人は何とかそれに抵抗して事なきを得た。夫人の意見によると、その時もし負けていたら二年前と同じことが起きていたと思う、という。
 この例を挙げたのは、この種の体験がけっして珍しくないように思えるからである。個人的なお付き合いのあるP夫人が数年前に二度も体験したことであるが、通りを歩いている内に自分が身体から脱け出ていくような感じがして、ふと見ると、その自分がすぐ横を一緒に歩いていた。距離にして20メートル程歩いたという。頭がおかしくなったのではないかと思うと怖くなり、二度と起きないように念じたという。当然まだ心霊知識はまるで無かったのである。
 私はこれまでに断片的なものから完全に意識を留めたものまで、実に様々な形の離脱体験をした人達と会ってきたが、どの人も皆正常で健全な精神の持ち主であり、霊視現象との違いを見分けられる人もいる。そうした体験を総合的に観察すると、そこに、程度の差こそあれ肉体から分離出来る別個の幽質の身体の存在を仮定する他に説明のしようのないものばかりである。体外遊離体験が精神異常の兆候となったことは一例もない。が、自然発生的によくそういう体験をするという方は、きちんとした知識を持っておくべきであり、その分野に詳しい信頼の置ける人の助言を受けるべきであろう。

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 幽体離脱が事実であり人類に共通した可能性を持つものであるならば、その事実は歴史上にも見られる筈である。確かに通常は目に見えない霊的身体の観念は東洋にもエジプトにもギリシャにも見受けられる。新プラトン派ではこれをAstroeideと呼んだ。元の意味は〝星のような光輝を放つもの〟という意味で、英語のAstroeide と呼んだ。元の意味は〝星のような光輝を放つもの〟という意味で、英語のAstral と語原が同じらしい。似たような概念は未開人と文明人の区別なく世界中に見られる。自然発生的な例も古い文献に数多く出ている。
 幽体離脱の問題に何らかの光を当ててくれるものとしてはアントン・メスメル(1734~1815)が病気治療に利用したメスメリズム(かつては動物磁気(アニマルマグネティズム)ないし生体磁気(バイオマグネティズム)と呼ばれた)に関連した実験が最初であろう。患者の身体に触れるか触れないかの距離で施術者が手を前後させることによって知覚が異常に明晰な状態に誘導される。これを夢遊病や催眠状態と混同してはならない。その状態において患者によっては自分並びに他人の身体を透視し、内臓器官を観察してその機能や健康状態を適確に述べることが出来たり、遠距離の土地へ行ってそこで観察したものを叙述したりすることが出来る。
 その結果はドイツ人ヨハン・H・ユングによる「霊知識の理論」 Theorie der Geisterkunde by Johann H. Jung(1809)に反映している。米国の東部からロンドンへの実証性に富む実験的幽体離脱に関する詳しい報告が載っている。その証例は信頼の置ける筋からのもので、ユングは間違いのない歴史的事実と断定している。その論じるところを読むと、この種の問題におけるユングの洞察力の鋭さに感銘させられる。
 時代的に更に新しい幽体に関する研究としてはカール・デュ・プレルによる「魂の一元論的私論」 Die monistische Seelenlehre by Carl Du Prel (1888)が挙げられる。このタイトル自体にやや問題があるが、新旧の諸説を考察し、四肢が切断された後も完全な知覚が残っている問題、各種の幽霊現象、夢遊病、主観的心霊現象、霊視と幽界旅行の違い等々について論じている。
 デュ・プレルの観察では幽体は肉体のその時の状態、例えば着ている衣服や負傷箇所などがそのまま現れる場合と現れない場合とがあり、スイスの医学者パラケルススの次の説、すなわち肉体の欠陥及び知能上の欠陥も物体身体だけに起因した症状であって、死後の幽体にはそれは見られない、という説を引用している。また有名になったサゲーという女性教師にまつわる幽体離脱の例を論じている。サゲー先生は授業中にひとりでに(たとえ抵抗しても)幽体が離脱し、それがその度毎に可視性が異なり、生徒や仲間の教師や事務員がそれを証言している。このケースなどは人間に幽体という別個の身体が具わっていることが紛れもない事実であることを証明している。
 デュ・プレルは更に幽体によってローソクの火が消されたり、スレートに文字が書かれたりした事実を挙げている。所謂リパーカッション現象、つまり催眠状態において遊離した幽体に針を突き刺すと肉体の同じ箇所に痛みを感じ、時には血が出ることもあるという現象も観察している。

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