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カテゴリ:★『シルバーバーチ』 > シルバーバーチの霊媒について

シルバーバーチの霊媒について 目次

霊媒としてのモーリス・バーバネル

シルバーバーチと私

『これが心霊(スピリチュアリズム)の世界だ』M・バーバネル著 近藤千雄訳より

 霊媒としてのモーリス・バーバネル-あとがきに代えて-訳者

 本書を訳し終えて私は一つの感銘を覚えた。内容の素晴らしさではない。叙述の巧みさでもない。文章の簡潔さでもない。内容は確かに類書を寄せ付けないものをもっている。叙述も実に上手い。文章の簡潔さはいかにもジャーナリストらしい。
  私が感銘を受けたのはそうした本書に盛られたものについてではない。逆説的な言い方になるが、氏が遂に本書で言及しなかったことについて感心したのである。それは氏自身が超一流の霊言霊媒であるということである。
 氏はまえがきの中で自分とスピリチュアリズムとの廻り逢いについて語っているが、それから後のことについては最後まて触れずに終わった。自己宣伝をしたがらない氏の、生涯一貫して取り続けた謙虚な態度がそうさせたのであろうが、英米を中心とするスピリチュアリズムを語る上で霊媒モーリス・バーバネルの存在を抜きにしては、正に画竜点睛を欠く憾(うら)みがある。イギリスでは氏のことをミスター・スピリチュアリズムと呼ぶ程である。その意味で私はこの場を借りて是非とも霊媒としての氏を紹介したいと思う。
 本文の心霊治療その(二)でマーガレット・ライアンが治病能力の開発のサークルで修行中にうっかり居眠りをしてしまった話が紹介されている。それは実は居眠りではなくて入神したのであり、女史の口を借りて日本人女性の支配霊Kが喋ったのであるが、これと全く同じ体験をバーバネル氏も体験している。
 氏の支配霊は北米インディアンだった人物で、シルバーバーチと名乗った。勿論仮の呼び名である。以来、1981年7月にバーバネル氏が79歳で他界するまでの五十有余年に亘って、シルバーバーチは入神したバーバネル氏を通じて透徹した霊的真理を説き、その霊言は全十冊のシリーズとなって出版されている。
 シルバーバーチが語る霊言は実はインディアン霊その人の言葉ではなく、シルバーバーチ霊団という、とてつもなく次元の高いスピリットの集団があり、その中の最高級霊が思想を発し、それが段々に下層界へ中継されながら最終的にそのインディアン霊がキャッチしてバーバネル氏の口を使って喋る、という仕組みになっている。シルバーバーチと名乗るインディアンはいわば霊界の霊媒なのである。
 私はその霊言の基本理念を伝える部分を、ホンの一部ではあるが紹介して参考に供したいと思う。
 「人間は宗教の歴史を振り返ってみるとよい。謙虚であった筈の神の使徒を人間は次々と神仏の座に祀り上げ、偶像視し、肝心の教えそのものをなおざりにして来ました。私共の霊団の使命は、そうした過去の宗教的指導者に目を向けさせることではありません。そうした指導者が説いた筈の本当の真理、本当の知識、本当の叡智を改めて説くことです。それが本物でありさえすれば、私が地上で偉い人であっても卑しい乞食であったとしても、そんなことはどうでもいいことでしょう。
 といって、私共は別に事新しいものを説こうというのではありません。優れた霊覚者達が何千年もの昔から説いている古い古い真理なのです。それを人間がなおざりにして来た為に私共が改めて説き直す必要が生じて来たのです。要するに神という親の言いつけをよく守りなさいと言いに来たのです。
 人類は自分の誤った考えによって今まさに破滅の一歩手前まで来ております。やらなくてもいい戦争をやります。霊的真理を知れば殺し合いなどしないだろうと思うのですが・・・神は地上に十分な恵みを用意しているのに飢えに苦しむ人が多過ぎます。新鮮な空気も吸えず、太陽の温かい光にも浴せず、人間の住む所とは思えない場所で、生きるか死ぬかの生活を余儀なくされている人が多過ぎます。欠乏の度合いが酷過ぎます。貧苦の度が過ぎます。そして悲劇が多過ぎます。
 物質界全体を不満の暗雲が被っています。その暗雲を払い除け、温かい太陽の射す日が来るか来ないかは人間の自由意思一つにかかっているのです。
 私は直ぐそこまで来ている新しい地球の夜明けを少しでも早く招来せんが為に、他の大勢の同志と共に、波長を物質界の波長に近付けて降りて参りました。
 物質界に降りて来るのは、正直言ってあまり楽しいものではありません。光もなく活気もなく、鬱陶しくて単調で、生命力に欠けています。譬えてみれば弾力性を失ったヨレヨレの古座布団のような感じで、何もかもだらしなく感じられます。どこもかしこも陰気でいけません。従って当然、生きる喜びに溢れている人は殆ど見当たらず、どこを見渡しても絶望と無関心ばかりです。
 私が常住している世界は光と色彩に溢れ、芸術の花咲く世界です。住民の心は真の生きる喜びに溢れ、適材適所の仕事に忙しく携わり、奉仕の精神に溢れ、互いに己の足らざるところを補い合い、充実感と生命力と喜びと輝きに満ちた世界です。
 もしも私の努力によって神の摂理とその働きの一端でも教えてさしあげることが出来たら、これに過ぎる喜びはありません。これによって禍を転じて福となし、無知による過ちを一つでも防ぐことが出来れば、こうして地上に降りて来た努力の一端が報われたことになりましょう。
 私共霊団は決してあなた方人間の果たすべき本来の義務を肩代わりしようとするのではありません。成る程神の摂理が働いているということを身をもって悟ってもらえる生き方をお教えしようとするだけです。
 私がもしも真理を求めて来られた方に気楽な人生を約束するような口を利くようなことがあったら、それは私が神界から言いつけられた使命に背いたことになりましょう。私共の目的は人生の難問を避けて通る方法を伝授することではありません。艱難に真っ向から立ち向かい、これを征服し、一段と強い人間に生長していく方法を伝授することこそ私共の使命なのです」
 次に、シルバーバーチが霊言を語っている時、当のバーバネル氏はどうなっているのか、その辺を本人は次のように語っている。
 「初めの頃は身体の二、三フィート離れた所に立っていたり、或いは身体の上の方に宙ぶらりんの恰好のままで、自分の口から出る言葉を一語一語聞き取ることが出来た。シルバーバーチは英語が段々上手になり、初めの頃の太いしわがれ声も次第に綺麗な声-私より低いが気持のよい声に変わっていった。
 他の霊媒の場合はどうだか知らないが、私自身にとって入神はいわば〝心地よい降服〟である。まず気持を落ち着かせ、受身的な心境になって気分的に身を投げ出してしまう。そして私を通じて何とぞ最高の純粋な通信が得られますようにと祈る。すると一種名状し難い温みを覚える。普段でも時折感じることがあるが、これはシルバーバーチと接触した時の反応である。
 温かいといっても体温計で計る温度とは違う。計ってみても体温に変化はない筈である。やがて私の呼吸が大きくリズミカルになり、そしていびきに似たものになる。と同時に意識が薄らいで行き、回りのことが分からなくなり、柔らかい毛布に包まれたみたいな感じになる。そして遂に〝私〟が消えてしまう。どこへ消えてしまうのか、私自身にも分からない。
 聞くところによると、入神とはシルバー・バーチのオーラと私のオーラとが融合し、シルバー・バーチが私の潜在意識を支配している状態とのことである。意識の回復はその逆のプロセスということになるが、目覚めた時は部屋がどんなに暖かくしてあっても下半身が妙に冷えているのが常である。時には私の感情が使用されたのが分かることもある。というのは、あたかも涙を流した後のような感じが残っていることがあるからである。
 トランス状態がいくら長引いても、目覚めた時はさっぱりとした気分である。入神前にくたくたに疲れていても同じである。そして一杯の水を頂いてすっかり普段の私に戻るのであるが、交霊会が始まって直ぐにも水を一杯頂く。
 忙しい毎日であるから、仕事が終わるといきなり交霊会の部屋に飛び込むこともしばしばであるが、どんなに疲れていても、或いはその日にどんな変わったことがあっても、入神には何の影響もないようである。あまり疲労がひどく、こんな状態ではいい成果は得られないだろうと思った時でも、目覚めてみるといつもと変わらぬ出来だったことを知らされて驚くことがある」
 バーバネル氏はこの入神霊媒としての仕事を若い時は週一回、晩年は月一回の割で半世紀に亘って続ける傍ら、心霊週刊誌 Psychic News と月刊誌 Two Worlds の主筆を務め、その合間を縫って各地の交霊実験会に出席しては克明にメモを取り、それを資料として本書を書き上げたのであった。氏の生涯をみると正にスピリチュアリズムの為に生まれスピリチュアリズムの為に生きた人だった。ミスター・スピリチュアリズムとは至言である。
 私が1981年1月5日に氏をロンドンの中心に位置するサイキックニューズ社に訪ねた時、いかにも忙しそうな雰囲気を感じ取った。にもかかわらず、いささかも礼を失することもなく、不愉快な思いをさせることもなく、いかにも英国紳士らしい態度に終始した。
 79歳という年齢がそうさせたと言ってしまえばそれまでだが、直接肌で感じた氏の印象は、やはり、スピリチュアリズムという霊的思想を完全に我がものとし、それを生活の中で体現してきた、真の意味での人格者という印象であった。
 氏とは私が英国を離れる前日にもう一度お会いしたのであるが、驚いたことに、それから半年後の7月、心不全で突如他界された。
 僅か半年前にお会いしたあのお元気そうなバーバネル氏が・・・と私はとても信じられない気持であったが、その感慨が薄れると共に、今度は、よくもこの世でお会い出来たものだと、その稀代の大人物にお会い出来た自分の幸運をしみじみと感じたものである。
 氏自ら本書で説き明かしてくれたように、氏は死後もシルバーバーチ霊団の一員として、様々な形で霊的真理の普及の為に活躍していることであろう。私が本書を翻訳することになったのも、もしかしたらバーバネル氏の働きかけによるかも知れない、と考えている。
 今、日本ではあまりにもいい加減な心霊思想が流行している。一種のブームの観すらある。霊的なものを好む日本民族らしい現象とも言えるが、同時に日本民族らしくそれがあまりに非科学的、非論理的であり、無節操であり、基本的理念に欠けているように見受けられる。
 物的なものに法則があるように霊的なものにもちゃんとした理法がある。それを知らずに無節操に摩訶不思議なものばかりに夢中になっていると、その超常現象と日常生活とを繋ぐ基本理念を捉え切れないまま、単なる遊び事に終わってしまう。それだけならまだいいが、所謂悪霊に手玉に取られてとんでもない不幸や災害を招きかねないのである。
 が、これは必ずしも日本に限られた話ではない。英国も御多分に洩れない。バーバネル氏が本書を「これがスピリチュアリズムだ」と銘打ったことにはそういう背景がある。スピリチュアリズムの真の意味を見失っている人が多いことに対する警告と受け止めるべきである。
 私は本書によって一人でも多くの人が古来〝奇跡〟と言われ〝不思議な現象〟と呼ばれて来た、所謂心霊現象や超能力の本来の意義を正しく理解し、人間の死後存続という、コペルニクス以来の破天荒の事実に目覚められんことを祈る次第である。

遺稿ー「シルバーバーチと私」 モーリス・バーバネル著

 私とスピリチュアリズムとの係わり合いは前世にまで遡ると聞いている。勿論私には前世の記憶はない。エステル・ロバーツ女史の支配霊であるレッドクラウドは死後存続の決定的証拠を見せ付けてくれた恩人である、その交霊会において『サイキック・ニューズ』紙発刊の決定が為されたのであるが、そのレッドクラウドの話によると、私は、今度生まれたらスピリチュアリズムの普及に生涯を捧げるとの約束をしたそうである。
 私の記憶によれば、スピリチュアリズムなるものを初めて知ったのは、ロンドン東部地区で催されていた文人による社交クラブで無報酬の幹事をしていた十八歳の時のことで、およそドラマチックとは言えない事がきっかけとなった。
 クラブでの私の役目は二つあった。一つは著名な文人や芸術家を招待し、様々な話題について無報酬で講演をしてもらうことで、これはどうにか大過なくやりこなしていた。それは多分にその名士達が、ロンドンでも最も暗いと言われる東部地区でそういうシャレな催しがあることに興味をそそられたからであろう。
 私のもう一つの役目は、講演の内容のいかんに係わらず、私がそれに反論することによってディスカッションへと発展させてゆくことで、いつも同僚が、なかなかやるじゃないかと私のことを褒めてくれていた。
 さてその頃のことであるが、数人の友人が私を交霊会なるものに招待してくれたことがあった。勿論初めてのことで、私は大真面目で出席した。ところが終わって初めて、それが私をからかう為の悪ふざけであったことを知らされた。そんなこともあって、たとえ冗談とはいえ、十代の私は非常に不愉快な思いをさせられ、潜在意識的にはスピリチュアリズムに対し、むしろ反感を抱いていた。
 同時にその頃の私は他の多くの若者と同様、既に伝統的宗教に背を向けていた。母親は信心深い女だったが、父親は無神論者で、母親が教会での儀式に一人で出席するのはみっともないから是非同伴して欲しいと嘆願しても、頑として聞かなかった。二人が宗教の是非について議論するのを、小さい頃から随分聞かされた。理屈の上では必ずと言ってよいほど父の方が母をやり込めていたので、私は次第に無神論に傾き、それからさらに不可知論へと変わっていった。
 こうしたことを述べたのは、次に述べるその社交クラブでの出来事を理解して頂く上で、その背景として必要だと考えたからである。
 ある夜、これといって名の知れた講演者のいない日があった。そこでヘンリー・サンダースという青年が喋ることになった。彼はスピリチュアリズムについて、彼自身の体験に基づいて話をした。終わると私の同僚が私の方を向いて、例によって反論するよう合図を送った。
 ところが、自分でも不思議なのだが、つい最近偽の交霊会で不愉快な思いをさせられたばかりなのに、その日の私はなぜか反論する気がせず、こうした問題にはそれなりの体験がなくてはならないと述べ、従ってそれを全く持ち合わせていない私の意見では価値がないと思う、と言った。これには出席者一同、驚いたようだった。当然のことながら、その夜は白熱した議論のないまま散会した。
 終わるとサンダース氏が私に近づいて来て、「調査・研究の体験のない人間には意見を述べる資格がないとのご意見は、あれは本気で仰ったのでしょうか。もしも本気で仰ったのなら、ご自分でスピリチュアリズムを勉強なさる用意がおありですか」と尋ねた。
 「ええ」私はついそう返事してしまった。しかし「結論を出すまで六ヶ月の期間がいると思います」と付け加えた。日記をめくってみると、その六ヶ月が終わる日付がちゃんと記入してある。もっとも、それから半世紀経った今もなお研究中だが・・・。
 そのことがきっかけで、サンダース氏は私を近くで開かれているホームサークルへ招待してくれた。定められた日時に、私は、当時婚約中で現在妻となっているシルビアを伴って出席した。行ってみると、そこはひどくむさ苦しいところで、集まっているのはユダヤ人ばかりだった。若い者も老人もいる。あまり好感は持てなかったが、真面目な集会であることは確かだった。
 霊媒はブロースタインという中年の女性だった。その女性が入神状態に入り、その口を借りて色んな国籍の霊が喋るのだと聞いていた。そして事実そういう現象が起きた。が、私には何の感慨もなかった。少なくとも私の見る限りでは、彼女の口を借りて喋っているのが『死者』であるということを得心させる証拠は何一つ見当たらなかった。
 しかし私には六ヶ月間勉強するという約束がある。そこで再び同じ交霊会に出席して、同じような現象を見た。ところが会が始まって間もなく、退屈からか疲労からか、私はうっかり『居眠り』をしてしまった。目を覚ますと私は慌てて非礼を詫びた。ところが驚いたことに、その『居眠り』をしている間、私がレッド・インディアンになっていたことを聞かされた。
 それが私の最初の霊媒的入神だった。何を喋ったかは自分には全く分からない。が、聞いたところでは、後にシルバーバーチと名乗る霊が、ハスキーで喉の奥から出るような声で、少しだけ喋ったという。その後現在に至る迄、大勢の方々に聞いて頂いている、地味ながら人の心に訴える(と皆さんが言ってくださる)響きとは似ても似つかぬものだったらしい。
 しかし、そのことがきっかけで、私を霊媒とするホームサークルが出来た。シルバーバーチも、回を重ねるごとに私の身体のコントロールが上手くなっていった。コントロールするということは、シルバーバーチの個性と私の個性とが融合することであるが、それがピッタリ上手くいくようになるまでには、何段階もの意識上の変化を体験した。初めのうち私は入神状態にあまり好感を抱かなかった。それは多分に、私の身体を使っての言動が私自身に分からないのは不当だ、という生意気な考えのせいだったのであったろう。
 ところが、ある日こんな体験をさせられた。交霊会が終わってベッドに横になっていた時のことである。眼前に映画のスクリーンのようなものが広がり、その上にその日の会の様子が音声つまり私の霊言と共に、ビデオのように映し出されたのである。そんなことがその後もしばしば起きた。
 が、今はもう見なくなった。それは他ならぬハネン・スワッファーの登場のせいである。著名なジャーナリストだったスワッファーも、当時からスピリチュアリズムに彼なりの理解があり、私は彼と三年ばかり、週末を利用して英国中を講演して回ったことがある。述べにして二十五万人に講演した計算になる。一日に三回も講演したこともある。こうしたことで二人の間は密接不離なものになっていった。
 二人は土曜日の朝ロンドンをいつも車で発った。そして月曜日の早朝に帰ることもしばしばだった。私は当時商売をしていたので、交霊会は週末にしか開けなかった。もっともその商売も、1932年に心霊新聞『サイキック・ニューズ』を発行するようになって、事実上廃業した。それからスワッハーとの関係が別の形を取り始めた。
 彼は私の入神現象に非常な関心を示すようになり、シルバーバーチをえらく気に入り始めた。そして、これほどの霊訓を一握りの人間しか聞けないのは勿体ない話だ、と言い出した。元来が宣伝好きの男なので、それを出来るだけ大勢の人に分けてあげるべきだと考え、『サイキック・ニューズ』紙に連載するのが一番得策だという考えを示した。
 初め私は反対した。自分が編集している新聞に自分の霊現象の記事を載せるのはまずい、というのが私の当然の理由だった。しかし、随分議論したあげくに、私が霊媒であることを公表しないことを条件に、私もついに同意した。
 が、もう一つ問題があった。現在シルバーバーチと呼んでいる支配霊は、当初は別のニックネームで呼ばれていて、それは公的な場で使用するのは不適当なので、支配霊自身に何かいい呼び名を考えてもらわねばならなくなった。そこで選ばれたのが『シルバーバーチ』(SilverBirch)だった。不思議なことに、そう決まった翌朝、私の事務所にスコットランドから氏名も住所もない一通の封書が届き、開けてみると銀色の樺の木(シルバーバーチ)の絵葉書が入っていた。
 その頃から、私の交霊会は「ハネン・スワッファー・ホームサークル」と呼ばれているが、同時にその会での霊言が『サイキック・ニューズ』紙に毎週定期的に掲載されるようになった。当然のことながら、霊媒は一体誰かという詮索がしきりに為されたが、かなりの期間秘密にされていた。しかし顔の広いスワッファーが次々と著名人を招待するので、私はいつまでも隠し通せるものではないと観念し、ある日を期して、ついに事実を公表する記事を掲載したのだった。
 ついでに述べておくが、製菓工場で働いていると甘いものが欲しくなくなるのと同じで、長い間編集の仕事をしていると、名前が知れるということについて、一般の人が抱いている程の魅力は感じなくなるものである。
 シルバーバーチの霊言は、二人の速記者によって記録された。最初は当時私の編集助手をしてくれていたビリー・オースティンで、その後フランシス・ムーアという女性に引き継がれ、今に至っている。シルバーバーチは彼女のことをいつもthe scribe(書記)と呼んでいた。
 テープにも何回か収録されたことがある。今でもカセットが発売されている。一度レコード盤が発売されたこともあった。いずれにせよ、会の全てが記録されるようになってから、例のベッドで交霊会の様子をビデオのように見せるのは大変なエネルギーの消耗になるから止めにしたい、とのシルバーバーチからの要請があり、私もそれに同意した。
 私が本当に入神しているか否かをテストする為に、シルバーバーチが私の肌にピンを突き刺してみるように言ったことがある。血が流れたらしいが、私は少しも痛みを感じなかった。
 心霊研究家と称する人の中には、我々が背後霊とか支配霊とか呼んでいる霊魂のことを、霊媒の別の人格にすぎないと主張する人がいる。私も入神現象には色々と問題が多いことは百も承知している。
 問題の生じる根本原因は、スピリットが霊媒の潜在意識を使用しなければならないことである。霊媒は機能的には電話のようなものかも知れないが、電話と違ってこちらは生き物なのである。従ってある程度はその潜在意識によって通信の内容が着色されることは避けられない。霊媒現象が発達するということは、取りも直さずスピリットがこの潜在意識をより完全に支配出来るようになることを意味するのである。
 仕事柄、私は毎日のように文章を書いている。が、自分の書いたものを後で読んで満足出来たためしがない。単語なり句なり文章なりを、どこか書き改める必要があるのである。ところが、シルバーバーチの霊言にはそれがない。コンマやセミコロン、ピリオド等をこちらで適当に書き込む他は、一点の非の打ち所もないのである。それに加えてもう一つ興味深いのは、その文章の中に私が普段まず使用しないような古語が時折混じっていることである。
 シルバーバーチが(霊的な繋がりはあっても)私と全くの別人であることを、私と妻のシルビアに対して証明してくれたことが何度かあった。中でも一番歴然としたものが初期の頃にあった。
  ある時シルバーバーチがシルビアに向かって、「あなたが解決不可能と思っておられる問題に、決定的な解答を授けましょう」と約束したことがあった。当時私達夫婦は、直接談話霊媒として有名なエステル・ロバーツ女史の交霊会に毎週のように出席していたのであるが、シルバーバーチは、次のロバーツ女史の交霊会でメガホンを通してシルビアにかくかくしかじかの言葉で話しかけましょう、と言ったのである。
 無論ロバーツ女史はそのことについては何も知らない。どんなことになるか、私達はその日が待ち遠しくて仕方がなかった。いよいよその日の交霊会が始まった時、支配霊のレッドクラウドが冒頭の挨拶の中で、私達夫婦しか知らないはずの間柄に言及したことから、レッドクラウドは既に事情を知っているとの察しがついた。
 交霊会の演出に天才的な上手さを発揮するレッドクラウドは、そのことを交霊会の終わるぎりぎりまで隠しておいて、わざと我々夫婦を焦らせた。そしていよいよ最後になってシルビアに向かい、次の通信者はあなたに用があるそうです、と言った。暗闇の中で、蛍光塗料を輝かせながらメガホンがシルビアの前にやって来た。そしてその奥から、紛れもないシルバーバーチの声がしてきた。間違いなく約束した通りの言葉だった。
 もう一人、これは職業霊媒ではないが、同じく直接談話を得意とするニーナ・メイヤー女史の交霊会でも、度々シルバーバーチが出現して、独立した存在であることを証明してくれた。私の身体を使って喋っているシルバーバーチが、今度はメガホンで私に話しかけるのを聞くのは、私にとっては何ともいわく言い難い、興味ある体験だった。
 他にも挙げようと思えば幾つでも挙げられるが、あと一つで十分だろう。私の知り合いの、ある新聞社の編集者が世界大戦でご子息を亡くされ、私は気の毒でならないので、ロバーツ女史に、交霊会に招待してあげて欲しいとお願いした。名前は匿しておいた。が、女史は、それは結構ですがレッドクラウドの許可を得て欲しいと言う。そこで私は、では次の交霊会で私からお願いしてみますと言っておいた。ところがそのすぐ翌日、ロバーツ女史から電話が掛かり、昨日シルバーバーチが現れて、是非その編集者を招待してやって欲しいと頼んだというのである。
 ロバーツ女史はその依頼に応じて、編集者夫妻を次の交霊会に招待した。戦死した息子さんが両親と『声の対面』をしたことは言うまでもない。

 訳者付記ーこの記事はバーバネルが『自分の死後に開封すべき記事』としてオーツセン氏に託しておいたもので、他界した1981年7月の下旬に週刊紙『サイキック・ニューズ Psychic News』に、翌八月に月刊誌『ツーワールズ Two Worlds』に、それぞれ掲載された。

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