米国のエドマンズ判事の場合は友人に誘われ、どうせペテンだろうからそれを暴いてやろうといった考えで実験会に出席したのがきっかけだったのとは対照的に、英国の科学界の重鎮だったウィリアム・クルックス博士の場合は、米国から移入され始めたスピリチュアリズムについて意見を求められることが余りに多いので、「よし、自分がケリをつけてやろう」といった純粋に科学的好奇心から、本格的な研究・調査を開始するとの告知を同人雑誌に掲載した、という経緯がある。
 そのことを知った時のジャーナリズム界の拍手喝采ぶりは次の新聞記事から断片的に伺い知ることが出来よう。

 「博士程の実力者によって調査・研究がなされることに大いなる満足を覚える」
「心霊問題が科学界にその名を知られた人物の冷徹にして明晰な頭脳の注目を集め始めたことを知って満足の意を表明する」
「博士の厳格にして公平無私の研究態度を疑う者はまずいないであろう」等々・・・

 こうした発言の裏には言うまでもなく、心霊現象の虚構を暴いてくれるであろうとの一方的な期待があった。そしてその期待は見事に裏切られることになる。博士の研究は四年にも及び、各地の実験会に出席する一方、自宅でも専門の理化学の実験室で、幾人かの霊媒を使用して徹底的に究明した。
 その成果は逐一学会の月刊誌や季刊誌に発表され、さらにそれらが『スピリチュアリズムの現象の研究』という単行本に纏められて出版され、英国はもとよりヨーロッパやアメリカで大センセーションを巻き起こした。
 フランスのノーベル生理学賞受賞者のシャルル・リシェは、後に自らも『心霊研究三十年』という心霊研究の学術書を出版したほどであるが、クルックス博士のニュースを知った時は「博士ともあろうお方が何ということを!先生は道を誤られた」と言って嘆いたという。
 面白いのはジャーナリズム界の反応で、あれほど歓迎していたはずなのに、博士が100%肯定したことを知ると態度を一変し「誰か他の学者に研究してもらわないと・・・」と言って踵を返したという。
 クルックス博士の研究の中でも人類史上空前絶後というべき成果は、何といってもケーティ・キングと名乗る容姿端麗の女性霊が完全に物質化して出現したところを、44枚もの写真に収めたことであろう。1876年のことで、四年にわたる研究の最後の週のことだった。では、その撮影の関する部分を訳出しておく。

 ケーティにとってこの地上界への出現の最後となる週は、殆ど毎夜のように実験会に出現し、リン光ランプによる写真撮影に協力してくれた。
 私はその為に五台のカメラを用意した。八つ切り判用一台、ハーフサイズ用一台、手札判用一台、そして双眼鏡型立体カメラ二台である。その五台をケーティに向けて同時に撮影出来るように設置した。感光板(プレート)の処理液も五つ用意し、何十枚ものプレートをいつでも使えるようにきれいに拭いておいた。慌てて写りがブレるといけないからである。撮影するのは私であるが、助手が一人いた。
 ケーティが出入りするキャビネット(暗室)は私の書斎を使用した。入り口には折り畳み式のドアが二つ付いているが、その一つを取り外してカーテンを取り付け、出入りし易いようにした。
 立会人(通常七、八人)はそのカーテンを正面にして席を取った。そのすぐ後ろにカメラが設置されていて、ケーティがキャビネットから出てくると直ぐにシャッターを押す。キャビネットの内部にもカメラが設置してあり、カーテンで仕切られている為に見えないケーティの様子が撮影出来るようにした。毎回五台のカメラで三枚ないし四枚撮ったから、少なくとも一日に十五枚は撮影した計算になるが、現像をしくじったものや光の調節が不適切だったものがあったりして、まともなのは44枚となった。その中にも出来の悪いのやまずまずのものもあるが、素晴らしいものもある。
 ケーティは列席者に席を離れないでほしいという指示を与えたが、私だけは、時間を限ってやりたいようにやらせてくれた。例えばケーティの身体に触れたりキャビネットに出たり入ったりすることを自由にさせてくれた。私はしばしばケーティの後についてキャビネットに入り、ケーティとクック嬢が一緒のところを見たことが何度かあったが、クック嬢は大抵トランス状態でフロアに横になっており、振り向くとケーティは白い衣服と共に消えていなくなっていた。
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 クック嬢にはこの半年間しばしば私の家に来てもらい、続けて一週間も滞在してもらったこともある。そんな時でも持参するのはハンドバッグ一つで、それもロックされていなかった。彼女の行動は、私が、私の妻が、他の家族の誰かに監視されていて、夜も一人で寝ることはなかった。
 ケーティに化ける練習はおろか、実験に備えて何らかの準備をする機会も全くなかった。書斎をキャビネットにしつらえるのは私で、実験に先立って一緒に食事をしたり談笑したりして、その行動が一瞬たりとも私の目から離れない状態のままキャビネットに入ってもらい、彼女の要請で私がドアをロックし、ガスランプを消し、クック嬢一人が暗闇の中に残される。ドアの鍵は実験会が終わるまで私が保管した。
 キャビネットに入るとクック嬢はフロアに机を置いて横になる。すると間もなくトランス状態に入る。写真撮影が予定されている時はケーティがクック嬢の頭部をシュールでくるむ。光が顔に当たらないようにとの配慮からである。(注 物質化現象の最中は物質化した霊と霊媒はエクトプラズムという特殊な物質で密接に繋がっていて、いわば一心同体の関係なので、光が視神経を刺激するとトランス状態が浅くなったり覚醒したりする。そうなるとエクトプラズムも消えて霊媒の身体に戻る。この最後の実験会の最終段階でそういう事態が生じる)
 ケーティが私と一緒に暗いキャビネット内にいる時は、しばしばカーテンを開けて、列席者の眼にケーティとクック嬢とが灯りに照らされて同時に見えるようにしてあげた。もっともケーティがクック嬢の頭部にショールを被せているのでクック嬢の顔は見えないが、手と足は見えた。光線の影響であろうか、そういう時にクック嬢はうめきながら身体をよじらせる動作をするのが見えた。その様子を写真に収めたものが一枚あるが、ケーティが意図的にクック嬢の頭の部分を遮るように立っている。
 こうして私が積極的に実験会を催していくうちに私に対するケーティの信頼感が増し、私が必ず約束を守ることからくる満足感を抱くようになってからは、物質化の度合いが格段に強烈になり、私がテストしてみたいと思ったことは何でも自由に行えるようになったことである。
 数ある写真の中でも特に興味深い一枚に私がケーティと並んで撮ったものがある(掲載写真)。あの時、ケーティは素足だった。そしてそのすぐ後で私はクック嬢にケーティと同じように素足で、同じようなドレスを着用してもらって、同じように私と並んで、同じカメラで、同じ照明で撮影してみた。出来上がった二枚の写真を重ね合わせてみると、私はピタリ同じなのに、ケーティはクック嬢より頭一つ背が高く、全体としてクック嬢よりは大柄に見えた。顔の大きさその他にも二人には色々と相違点がある。
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 それにしてもケーティの美しかったこと!あの完璧といってよい程の美しさは、文章はもとより写真でさえ表現出来ない。大体の顔立ちくらいは分かるが、輝かんばかりの肌の美しさ、表現の豊かさー前世での辛い体験を語る時の悲しげな表情や、私の子供達に囲まれてインドを旅した時の話をしている時の、あのあどけない乙女のような愛らしさは、実際にその場で見た者にしか分からない。
 ある日の実験会でケーティの脈拍を測ってみた。規則正しく75回打っていたが、その少し後にクック嬢のを測ってみたら、いつもの90だった。許しを得てケーティの胸に耳を当ててみたところ、実にリズミカルな鼓動が聞こえた。実験会の終了後にクック嬢にも同じことをさせてもらったところ、少し不規則だった。その頃のクック嬢は咳が出るので通院していたというから、肺機能が弱っていたのであろう。
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 さて、いよいよ最後の場面となる。私は入り口のカーテンを閉めてからケーティと話をして、クック嬢のいる部屋へ入った。見るとクック嬢は無意識状態でフロアに横たわっている。ケーティが腰をかがめてクック嬢の身体を揺すりながら「起きなさい、フロリー、起きなさい!もうすぐお別れよ」(フロリーはフローレンスの愛称)というと、クック嬢が眼を覚まして「もうしばらく居てちょうだい」と涙ながらに言う。
 「ダメなの。あたしの仕事はもう終わったの。元気でね」
 そう言って二人は数分間話を交わしていたが、クック嬢は止めどもなく流れる涙で声を詰まらせてフロアにひれ伏した。
 ケーティに促されて私が泣きじゃくるクック嬢を抱き起こしてから振り向くと、もうそこにはケーティの姿はなかった。クック嬢がすっかり落ち着くのを待ってライトをつけ、一緒にキャビネットから出た。
 本稿を閉じるに当たって私は、実験と観察の便宜を図ってくださったクック嬢のご両親に対して、衷心から感謝の意を表する次第である。
 
 クルックス博士はこうした物理的心霊現象の全てを起こしているエネルギーを[サイキック・フォース]と命名しているが、その原料となる半物質体、いわゆるエクトプラズムの研究ではドイツ人医師 Schrenck Notzingの方が一頭地を抜いている。
 ノッチング博士は1913年にそれまでの35年間に及ぶ研究の成果を[物質化現象]という大部の書に纏めて出版している。筆者の手元にあるのはその英文版で、百枚を超える写真が掲載されているが、残念ながら不完全な部分的物質化が多く、例えば顔が物質化した場合でも、正面から見ると一人物の顔であるが、真横から見ると平板で立体感がない。
 次の[とっておきのエピソード2]に出てくるように、クック嬢の身辺で起きた初期の物質化像もカーテンに映るだけのものだったというから、霊界の技術者も研究を重ね、クルックスの時代で完成の域に達したと見るべきであろう。
 もっとも、その原料となるエクスプラズムの研究では、35年かけたノッチング博士の方が精細を極め、参考になることが多い。ちなみに[顕微鏡検査]の項目にはこうある。

 皮膚の円盤状組織、多数。唾液状物質、数片。粘液状の粒状組織、多数。肉組織の微片、多数。チオシアン酸カリの痕跡あり。乾燥重量一リットルにつき8.60グラム。無機質3グラム。




 とっておきのエピソード2

 ケーティ・キングの前世

 霊媒のフローレンス・クックの支配霊ケーティ・キングは、前世での本名をアニー・オーエン・モーガンといい、ジョン・キングの娘の一人だったという。ジョン・キングについては実在が確認されているが、アニー・モーガンについては不明という。
 ケーティが初めて物質化して出現したのはクックが十五歳の時で、最初はカーテンに顔が映る程度だったが、次第に全身へと移っていった。どうやらクルックス博士の実験材料となる前から物質化の練習をしていたようである。つまりケーティはスピリチュアリズムの科学的研究の実験材料となることを使命としてクックの支配霊となったらしいのである。
 人間の今生が前世との因果関係で成り立っていることはスピリチュアリズムの常識であるが、ケーティの実験会への出現にも次のような因縁があった。
 ケーティが前回の地上生活を送ったのは17世紀のチャールズ一世の治世下だった。英国国教会のピューリタン的圧政に苦しめられた市民が暴動を起こしてチャールズ一世を断頭台に送った、英国史上に有名な[ピューリタン革命]の時代で、メイフラワー号で新大陸へ渡ったのは、その圧政から逃れた市民の一部だった。
 そんな荒れた時代にケーティことアニー・モーガンも数々の悪に手を染め、二人の我が子を自分の手で殺すという殺人罪まで犯し、22歳か23歳で他界している。今回の物質化霊としての仕事はそうした前世での罪の償いを兼ねた、スピリチュアリズムへの献身だったという。右のクルックスの実験記事には出ていないが、最後の実験会に先立ってケーティは、この三年間の物質化霊としての仕事で前世の罪過の償いも終わり、もうすぐ一段高い階層へと向上することになり、その階層からはインスピレーションによる指導は出来ても、二度と物質化して姿を見せることは出来なくなると述べたという。
 実験会の最後でケーティが「起きなさい、フロリー、起きなさい!もうすぐお別れよ」と言って起こすと、目を覚ましたクックが直ぐに泣きじゃくる場面があるが、クックはこの日が最後となることを前もって知っていたのである。
 人間の側から見ると、物質化して出現する程度のことで罪障が消滅するものかという思いも無きにしもあらずであるが、実は物質化現象のメカニズムは複雑な上に大変な危険が伴うものである。さらに忘れてはならないのは、クルックス博士の科学的研究の材料として果たした犠牲的献身によって、スピリチュアリズムが計り知れない発展を遂げたことである。