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カテゴリ:★『アラン・カルデック』 > アラン・カルデック自伝

1860年4月12日、ドゥオ氏宅にて、霊媒はクロゼ氏。
 私がいない時に自発的に降ろされた通信。

 「パリ霊実在主義協会を破滅させ、霊実在主義の教義に致命的な打撃を与え、その信用を失墜させようと画策する者達に対して、あなた方の指導者(つまり、私、アラン・カルデックのこと)は、断固たる決意を持って、辛抱強く対抗してきました。あなた方の指導者に栄光あれ!我々が常に彼と共にあるということ、我々高級諸霊は彼の使命を支援することが出来て大変嬉しいということを、彼によく知ってもらいたいと思います。彼の使命を援助したいという霊人は山のようにいます。その使命の偉大さがよく分かるからなのです。
 しかし、この使命はまた数多くの危険を伴っています。それをやり遂げる為には、揺るぎない信仰と鉄のような意志が必要です。さらに、悪口、嘲弄、失望に雄々しく立ち向かう為には、克己心と勇気が必要であり、嫉妬や中傷をはねのけるだけの不動心も必要でありましょう。
 おそらく狂人扱い、イカサマ師扱いを受けるでしょう。しかし、勝手に思わせ、勝手に言わせておけばいいのです。永遠の至福を除けば、全ては過ぎ去るのです。よき行いは必ず報われます。そして、幸せになる為には、神に送られて地を満たしている不幸な人々を救う為に汗を流すことです。
 あなた方が、平安と清々しさに満たされますように。それこそが天上の至福の先駆けなのですから」

1860年4月15日、マルセイユにて、霊媒はジョルジュ・グヌイヤ氏(この霊示はブリオン・ドルジュヴァル氏から送られた)。

 「霊実在主義は、地上で果たすべき実に大きな役割を持っています。
 まず、神の法にあまりにも反している法律体系を改革しなければなりません。
 また、歴史の過ちを正す必要もあります。
 さらに、司祭達の手によって、悪しき商売、悪しき取引と化したキリスト教を、元の姿に戻さなければなりません。真の宗教、自然な宗教、心を救う宗教、聖職者の豪華な衣装の縁飾りにも惹かれず、華美な祭壇にも目をくれず、ひたすら神を目指して突き進む、そうした宗教を打ち立てる必要があるのです。
 神の使者を名乗りながら、右手に剣を持って慈悲を説く輩、野心や権力欲の為に、人類の最も大切な権利さえも踏みにじる輩、そうした輩を見て無神論や唯物主義に入った人々を、何としてでも救わねばなりません」

1860年7月10日、自宅で、霊媒はシュミット嬢。

ー([真実の霊]に対して)つい最近届いたマルセイユからの手紙によると、かの地の神学校では、このところ、霊実在論の研究と『霊の書』の研究が真剣に行われているということでした。このことについて、どのように考えるべきなのでしょうか?聖職者達もようやく事態を真剣に考え始めたということでしょうか?
 「その通りです。彼らは事態を極めて真剣に捉えています。というのも、霊実在論が引き起こす結果を予測しているからです。その為に、霊実在論を大いに気にしているわけです。聖職者達、それも意識の高い聖職者達の一部は、あなたが考える以上に霊実在論を研究しています。
 しかし、いいですか、それは霊実在論をよしとしているからではないのですよ。全く逆に、彼らは霊実在論を砕破しようとして研究しているのです。彼らは、いずれ、霊実在論に対して激しい攻撃を仕掛けてくるでしょう。しかし、心配することはありません。ただ、あくまでも用心深く、慎重に振る舞いなさい。彼らが仕掛ける罠に注意しなさい。無用心に言葉を発して揚げ足を取られないようにしなさい。
 道は茨に満ちていますが、恐れることなく前進し続けなさい。こちらに戻ってくれば、大いなる満足を得ることが出来るのですから」

1861年9月21日、自宅で、霊媒はA氏。

 バルセロナに移り住んだラシャートル氏の求めに応じて、『霊の書』『霊媒の書』『霊実在主義』誌、それ以外の作品、小冊子の類など、合わせて、これまでに三百冊程郵送してきた。これらの本は、定期的に、他の商品と一緒に箱に詰めて送られたのだが、法に違反するようなことは一切なかった。
 本がスペインに着くと、受け取った側は関税を支払う必要がある。そして、その本を渡す前に、当局は、書籍の監視をしている司教に、それらを見せて意見を聞かなければならない。
 丁度その頃、当該の司教はマドリッドに滞在していた。マドリッドから帰ってきた司教は、本に関する報告書を読み、直ちに、それらの本を差し押さえ、広場において大衆の面前で燃やすようにと命令した。執行は、1861年10月9日ということになった。
 もしも、我々が、それらを密輸しようとしたのであれば、その事実が発覚した場合、確かに、スペイン政府はそれらを自由に処分することが出来ただろう。しかし、我々はいかなる不正も行っていないのである。したがって、それらが国内に入ることを禁止しているのであれば、送り主のもとに送り返させればよいだけの話である。
 フランス領事館に訴えたのだが回答はなかった。ラシャートル氏は、「もっと上級の機関に訴えるべきだ」と言ったが、私は「放っておくように」と答えた。
 とはいえ、このことに関して私の指導霊に聞いてみることにした。

ー([真実の霊]に対して)霊実在主義の書物に関してバルセロナで起こった事件については、ご存知だと思います。返却を要求すべきなのでしょうか。ご意見をお聞かせ願いたいと思います。
 「法律的に見れば、それらの書籍の返却を求めることは可能です。フランスの外務大臣に訴えればよいのですから。
 しかし、私の見解では、それよりも、バルセロナにおいて焚書にされた方が、我々にとって、より大きな善になると思います。そうしたことが為されれば、その宣伝効果にはおびただしいものがあるからです。そうした馬鹿げた、時代遅れの迫害が行われれば、あっという間に霊実在主義はスペインで有名になるでしょう。そして、人々は先を争って書籍を入手しようとするに違いありません。このように、全ては善なのです」
ー『霊実在主義』の次の号で、それについて書くべきでしょうか?
 「焚書の結果を待ちなさい」

 「1861年10月9日」という日付は、霊実在主義の歴史に、「バルセロナにおける焚書事件の日」として刻まれるだろう。以下が、その執行の記録である。
 1861年10月9日の午前十時半に、死刑執行の行われるバルセロナの広場で、当市の司教の命により、アラン・カルデックの『霊の書』その他の書籍、小冊子等、合わせて三百冊が焼却された。
 スペインの主要な新聞は、一斉に、この事件について詳しく報じた。自由主義の陣営は、機関紙を通じて、この事件を正当にも非難した。
 一方、興味深いことに、フランスにおいては、自由主義陣営の各新聞は、そのことに簡単に触れただけで、特に解説は載せなかった。権力側のいかなる悪弊も見逃さず、あらゆる不寛容な行為を必ず非難してきた『世紀』紙でさえも、この中世を思わせる時代遅れの行為に対して、一言も非難の言葉を発しなかったのである。弱小新聞の幾つかは、それを冗談の種にさえした。
 信仰の問題は別として、これは国家の主権にかかわる原理原則の問題、国民全体の問題であったはずである。もし、霊実在主義の書籍以外の書籍がこのような目にあったら、これほど軽々しくは扱われなかっただろう。唯物主義の書物に検印が押されなかっただけで、彼らは騒ぎ立てるのではなかったか?
 ところで、フランスの面前で、かくも大々的に行われた焚書には、また別の問題が隠されている。どうして、これほど世論は無関心なのか?それは、霊実在主義が広まることを、不信の徒達が、密かに恐れているからなのだ。霊実在主義の為に正義を求めることによって、国家権力の保護を与え、結果として霊実在主義の普及を助けることになるのを嫌ったのである。
 スペインでは、焚書事件によって霊実在主義のことが人々に広く知られるようになったのに対し、フランスのおいては、予想されたような反応は殆ど見られなかった。

 この事件に関しては、数多くの霊言が降ろされた。中でも、次に掲げるのは、私がボルドーから戻った後、10月19日に、パリ霊実在主義協会において自発的に降ろされたものである。
 
 「世界を新生させることの出来る、この霊実在主義という偉大な教義に触れ、それを学ぼうと思える為には、普通の人は、何らかの尋常ならざる衝撃を受けなければなりません。
 地上で起こることには全て意味があります。バルセロナの焚書事件が起こることによって、我々もまた大いなる前進を果たしたのです。現代においては前代未聞のこの野蛮な行為も、それまで霊実在主義に無関心だったジャーナリスト達の注意を喚起する結果となったからです。
 これまで、彼らはあくまでも聞こえないふりをし、霊実在主義に関しては緘口令(かんこうれい)を敷いてきました。しかし、よかれ悪しかれ、彼らは霊実在主義について語らざるを得なくなっています。ある人々は、バルセロナ事件の歴史的意義を確認し、ある人々は、それを否定することを通して、いずれにしても議論に参加せざるを得なくなっているのです。そして、それらは全て、霊実在主義の為に大いに役立ちました。
 時代遅れの異端裁判によって焚書が行われた意味は、以上のごとくです。それは、我々が望んだことでもあるのです」

 焚書のシーンを、ある高名な画家が現場で描いた水彩画が、バルセロナから送られてきた。私はそれを写真に撮ったものを持っている。また、私は、その時の灰も持っている。灰の中には、まだ判読可能なページの断片も混じっていたが、私はそれらを今でも水晶の壷に入れて保存している。

1861年12月22日、自宅で個人的なセッションを行う。霊媒はA氏。
 霊実在主義の運動における私の後継者について、次のような問答を行った。

ー私の帰天後、後を継ぐのは誰なのかということを、多くのメンバーが気にしています。特に「この人だ」と目される人がいない為ですが。
 それに対して、私は、「私一人が必要不可欠な人間なのではない。叡智に満ちた神が、人類を再生させる程の使命を持った霊実在主義の未来を、たった一人の人間に委ねることなど有り得ない」と答えるようにしています。さらに、「私の使命は教義の確立までであって、その為に必要な時間がまさに私に与えられているのだ」と付け加えます。
 したがって、私の後継者の仕事はずっと楽なものになるでしょう。というのも、もう既に道は切り開かれており、後はその道を辿るだけでよいからです。
 とはいえ、もし、指導霊団が、このことに関して、もっとはっきりしたことを仰るのであれば、私はそれを有り難く承るつもりでおります。
 あなたの仰ったことは、まさしくその通りです。私達に許されている範囲内で言うとすれば、次のようになるでしょう。
 あなた一人が必要不可欠な人間なのではない、ということは、確かにその通りです。とはいえ、メンバーの目には、あなたは必要不可欠な人間として映っています。というのも、運動が求心力を保つ為には、組織は一人の人間を中心として動く必要があるからです。しかし、神の目から見れば別のように見えます。あなたは神から選ばれたのです。だから、唯一の指導者なのです。
 ただ、あなたにはよく分かっているように、その使命を満たすことが出来るのは、あなただけではありません。もし、何らかの理由であなたがその任を果たせなくなった場合には、神は直ちに、別な人間にその後を任せるでしょう。したがって、霊実在論の運動が失敗するということは有り得ません。
 組織がしっかり確立されるまでは、あなたが指導者であり続けることが必要です。というのも、人々が集まる為には、中心人物がどうしても必要だからです。あなたの手によって生み出された事業が、現在、そして未来において権威を持つ為には、あなたが必要不可欠な存在であると見なされることが、どうしても必要なのです。さらに、あなたの帰天後の後継者が誰になるのか、メンバーが不安になるくらいでなければなりません。
 もし、あなたの後継者が予め指名されたとすれば、この事業は頓挫する可能性さえあります。というのも、その後継者に対する嫉妬が渦巻くのは確実だからです。メンバー達は、その人が実力を証明する前に、あれこれと論戦を挑むことになるでしょうし、敵陣営は、その人が後継者に納まるのを阻止しようとして躍起になるでしょう。その結果、分裂騒ぎや分派活動が起こるに違いありません。
 したがって、時期が来るまでは、後継者を明らかにしない方がいいのです。
 その後継者の仕事は、それほど困難なものとはならないでしょう。というのも、あなたが言ったように、道は既に敷かれているからです。ただし、もし近道をしようとして、その道から逸れるなら、既に多くの者達がそうなったように、自ら道に迷うこととなるでしょう。
 とはいえ、ある意味では、その仕事はさらに厳しいものとなると言えるかもしれません。というのも、戦いがもっと激しくなるからです。あなたは教義を確立したのに対し、後継者はそれを実行に移さなければならないからです。故に、後継者は、エネルギーと行動力に溢れた人間でなければなりません。
 いかがですか?神がその代理人を選ぶ際に、いかに叡智をもって行うかが分かったのではないでしょうか。
 あなたは教義の確立の為に不可欠な能力を備えています。しかし、あなたの後継者に必要な特質は備えておりません。あなたに必要なのは、冷静さ、穏やかさであり、それがあればこそ、沈思黙考して思想を練り上げることが出来たのです。あなたの後継者に必要なのは、科学に基づいた方法論に従って戦艦を指揮する司令官と同じ力なのです。
 あなたが受け取った、『教義の確立』という辛い仕事を免除されて、あなたの後継者は、より自由に能力を発揮し、組織の基礎固めと、より一層の発展に尽くすことになるでしょう」
ー後継者選びは凍結すべきなのでしょうか?
 「当然でしょう。また、人間には自由意志がありますから、ある人間が自主的に後継者として名乗りを上げたとしても、最後の最後になって、その使命を放り出すということだって有り得るのです。
 さらに言っておかなければならないのは、後継者になる人間は、その能力、熱意、無私無欲、自己犠牲の覚悟を証明しなければなりません。野心や功名心の為に後継者になりたいと思っている人間は、排除しなくてはならないのです」
ー「この運動を支援する為に、高級諸霊が地上に生まれ変わることになっている」と言われていますが。
 「その通りです。何人かの高級霊が、使命を帯びて地上に生まれ変わります。しかし、それぞれ自分の専門領域を持っており、社会のそれぞれの持ち場で、地位に応じた働きをすることになっているのです。最終的には、『自ら為した仕事の質がどうであるか』ということが問題となります。自分を偉いと思っているだけでは、何の意味もありません。
 敵陣営の攻撃があまりにも凄まじいので、あなた方は、時折唖然とすることがあるでしょう。彼らによれば、あなた方は夢想家であり狂信者なのです。あなた方は、空想を事実と見なし、中世の悪魔と迷信を甦らせた、とんでもない人間達だと思われているのです。
 こうした攻撃にいくら応えようとしても無駄です。それは新たな論戦のきっかけになるだけだからです。こんな場合は、沈黙を守るのが一番です。言い返す機会がなくなれば、やがて彼らも黙るでしょう。
 真に恐るべきことは、思いがけない形でやってくるかもしれません。というのも、カトリックが政権を取って、非寛容な政策を打ち出すことも有り得るからです。そうなれば、あなた方は、追い詰められ、攻撃され、打ち倒され、烙印を押され、国外追放になるかもしれません。
 様々な事件が起こり、政局を嵐が襲おうとしています。嵐がやってきた時には、物陰に身を潜め、事態を客観視し、諸事に恬淡(てんたん)として強くありなさい。
 侵略が起こり、国境が変更され、いくつかの国家が破滅するでしょう。ヨーロッパで、アジアで、アメリカで、大規模な破壊が為されるでしょう。それを生き抜くことが出来るのは、鍛えられた魂達、悟りの高い魂達だけなのです。正義、誠実、信義、連帯を重んずる魂達だけなのです。
 あなた方の社会は健全に機能しているでしょうか?何百万人もの人々が、社会的な除け者になっていませんか?刑務所には犯罪者が溢れ、町には娼婦が溢れていませんか?ドイツからは、毎年、相変わらず、何十万という人が亡命していませんか?
 教皇は、真実ではなく、過ちを世界中に発信していませんか?
 あらゆる所に嫉妬が渦巻いています。人々は利益ばかりを追い求め、無知を追放しようとしません。エゴイズムに駆られた、それぞれの政府は、何世紀も前から潮のように満ちてきている人類としての良心を無視し、国家の権力を濫用するごく一部の人間達に味方するのです。
 ロシアが恐るべき暗礁に乗り上げないとよいのですが。
 フランスの政治家達よ、国土を広げさえすればよいというものではないのです。そのことを忘れないように。
 国家も自由意志を持っています。国家も、個人と同様に、愛、協調、融和を目指すことが出来るのです。本当に避けようとすれば、嵐を避けることは可能なのです」

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