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カテゴリ:★『アラン・カルデック』 > アラン・カルデック自伝

アラン・カルデック自伝 目次

霊実在主義との出会い

私の守護霊について

私の指導霊について

私の使命は「最初の礎石を置くこと」

将来の情勢

霊媒を誰に頼むべきか?

あらゆる試練を乗り越えて

『霊の書』の内容と出版のタイミング

使命は転生を超えて

手相占いは正しいのか?

機関誌『霊実在主義』を面白くするには?

パリ霊実在主義協会の設立

今世の仕事を終えるには、どの位の期間が必要か?

教皇庁について

「揺るぎない信仰を持て!」

霊実在主義の未来

教会の動きについて

バルセロナでの焚書(ふんしょ)事件

後継者の問題

仕事の取捨選択と健康の維持

人類の再生の時

「真実を明らかにせよ!」

私が[回転するテーブル]のことを初めて聞いたのは、1854年のことだった。ある日、以前から名前は知っていたが、それまで会ったことのなかったフォルチエ氏に会ったのである。彼は言った。
 「動物磁気[オーストリアの医師メスエル(1734〜1815)が唱えた、「生体に流れる目に見えない磁気エネルギー」のこと]に関してはご存知だと思うのですが、実は、磁気化の対象が、どうも人間だけではなさそうだということが分かってきたのです。テーブルを磁気化して回転させたり、思いのままに動かしたりすることが出来るようなのですよ」
 「それは誠に興味深いことです」と私は答えた。「しかし、そんなことが実際に起こるとは思われませんね。『動物磁気が、命を持たぬ物体に働きかけて、それを動かす』などということが有り得るものでしょうか?」
 ナント、マルセイユ、或はその他の都市での実験記録が新聞に掲載されてはいたが、私には、そのような現象が現実に起こり得るとはどうしても考えられなかった。
 その時から暫くして、私はまたフォルチエ氏に会った。彼は私に言った。
 「もっと驚くべきことが起こり始めましたよ。テーブルを磁気化して動かすだけでなく、テーブルに話をさせることも可能になったのです。テーブルに質問すると、なんと、その質問に答えるのです!」
 「それは、また別の問題ですね」と私は答えた。「それを実際に見ることが出来、そして、『テーブルが、考える為の脳を備え、感じる為の神経を持ち、人間のように話をすることが可能だ』と証明されたのなら、そういうことを信じもしましょう。それまでは、おとぎ話ということにしておきます」
 私の推論は、論理的なものだった。何らかのメカニズムによってテーブルが動くことは考えられた。しかし、その現象がどのようにして起こるか、その原因、法則を知らなかったので、単なる物質が知性を持つように振る舞うことが荒唐無稽であるように思われたのである。今日、未だにそれらの現象を信じないでいる人々と同じ立場に私はいたのである。つまり、自分が理解出来ないことに関しては、それを存在しないと見なす立場である。
 十九世紀初頭に、「たった一時間で、二千キロ離れた場所に手紙を送り、その返事を受け取ることが出来る」と言ったとすれば、鼻先であざ笑われたであろう。科学的に考えれば、そんなことは無理に決まっているからである。電気の法則が知られている今日では、そんなことは常識である。
 実は、霊現象に関しても、全く同じことなのだ。霊現象に関する法則を知らなければ、それは摩訶不思議な現象、したがって、有り得ない現象だと思われるのである。しかし、ひとたび法則が明らかになるや否や、荒唐無稽なものではなくなる。理性によって、その可能性が、充分、許容出来るようになるからだ。
 しかし、その頃はまだ事実がしっかり説明されていなかった。したがって、それは明らかに自然法則に反すると思われた。私の理性はそれを受け入れることは拒否していた。私はまだ、そうした現象を何一つ見ていなかったのである。
 実験が、尊敬すべき、信頼に足る人々の前で行われたとすれば、その場においてテーブルが動いたということは、有り得ないことではないと思われた。しかし、そのテーブルが[語る]となると、到底受け入れられるものではなかった。
 翌年、つまり1855年の初頭に、私は25歳の若き友人カルロッティ氏に会った。彼は、[語るテーブル]について一時間近くも熱心に語り、私に新たな考え方を提示してくださった。
 カルロッティ氏は、コルシカの生まれであり、エネルギッシュで熱い人である。彼の大いなる、美しい魂を愛してはいたが、話し振りに誇張があるのが気になった。
 彼は、そうした現象に霊が介在している、ということについて私に語った初めての人間だった。数々の驚くべきことを私に教えてくれたが、それらは私を納得させるどころか、かえって私の疑いを掻き立てたのだった。
 「あなたもいずれ私達の仲間になりますよ」と彼は言った。
 「そうならないとは言いません」と私は答えた。「そのうち分かることです」
 それから暫くして、1855年の五月頃、私はフォルチエ氏と共に、夢遊病者のロジェ夫人の家を訪れ、そこで、パチエ氏ならびにプレヌメゾン夫人に会った。彼らは、テーブルにまつわる現象に関して、カルロッティ氏と同じような意味合いのことを言ったが、その語り口は全く異なっていた。
 パチエ氏は、かなり年輩の公務員であって、教養豊かであり、真面目で、冷静かつ穏やかな人柄だった。あらゆる熱狂から無縁な彼の話を聞いて、私は深い印象を受けた。
 その為、「グランジュ・バトリエール街にあるプレヌメゾン夫人の家で実験が行われるので、出席されてはどうですか」と勧められた時、私は喜んでその会合に出席することにした。翌週の火曜日、夜八時に伺う約束をした。
 そういうわけで、私はその日、初めて、回転し、飛び跳ね、動き回るテーブルを、目の当たりにしたのだった。それは、疑いを差し挟む余地のない状況のもとで行われた。また、不完全な形ではあるが、霊媒が籠に固定されたペンを使って自動書記を行うのも見た。
 私は大いに興味を掻き立てられた。そうした現象には原因があるはずだった。それらは一見たわいのないお遊びのようにも思われたが、私には、それらの背後に極めて重大な何か、新たな法則のようなものが隠されているように感じられた。そして、それを探究してみようと考えた。
 やがて、もっと注意深く観察する機会が与えられた。プレヌメゾン夫人の所で開かれていた集いで、当時ロシュシュアール街に住んでいたボダン一家と知り合うことになったからである。ボダン氏は、毎週ボダン家で行われていたセッションに招いてくださったので、私は欠かさず出席することにした。
 この集いには、かなりの人数が出席していた。「常連の他に、誰でも、来たい人は来てよろしい」ということになっていたからである。
 霊媒は、ボダン家の二人の娘が勤めた。彼女達は、二人で持った籠を石盤の上に乗せて自動書記をするのだった。この方法だと、霊媒が二人要るわけだが、それだけに、霊媒の考えが記述の内容に影響を及ぼす可能性はゼロである。
 このようにして、質問に対する答えが与えられるのであるが、時には、心で質問を考えただけで、その答えが与えられることもあった。
 質問の内容は、大体どうでもいいようなことが多かった。生活上の細々したこと、将来のこと等、要するに、本当に真剣な質問はなされなかったのである。好奇心を満たし、面白がることが、出席者達の関心であるようだった。
 答える霊は、大体いつも[Zephyr(そよ風)]と署名していたが、これは、この交霊会の性格と降りてくる霊の性格を完璧に言い表す名前であった。
 この霊は非常に善良で、「ボダン家の家族を守っている」と言っていた。冗談を言うことが多かったが、必要とあれば智慧に満ちた忠告をすることも出来た。また、時には、辛辣で機知に富んだ警句を吐くこともあった。
 やがて、私もこの霊と話すようになった。彼は私に対していつも非常に好意的だった。霊格が特に高いというわけではなかったが、後々、上位の霊の指導の下、私の初期の仕事を助けてくれることになる。
 そのうち、「そろそろ地上に生まれ変わる」と言い始め、その後、通信が途絶えた。
 この辺りから、私は真面目に霊現象を研究し始めた。起こっていることをじっくりと、真剣に観察するようになったのである。
 そして、かつて自然科学を学んだ時の方法論、つまり実験的な手法を、この新たな科学にも適用した。前もって仮説を立てるということをせず、注意深く観察し、比較し、結論を推測した。帰納を行い、事実を論理的に結びつけ、結果から原因を探り、問題を全て解決出来ない限り、その説明を認めないようにした。これが、私が25歳以来ずっと取ってきた方法だった。
 私は、まず、「起こっている事態がとてつもなく重大であるらしい」ということを感じた。「そこには、人類の過去及び未来に関するあらゆる問題を、完全に解く鍵が潜んでいる可能性がある」ということに気がついたのだ。もしかすると、私がそれまでずっと探し求めてきた最終的な解決法が見つかるかもしれなかったのである。つまり、「哲学と信仰に関する革命が起こり得る」ということだった。
 したがって、軽々しく振る舞うべきではなく、慎重にも慎重を期さなければならないと自戒した。幻想に囚われないように、あらゆる思い込みを捨て、厳格に実証主義を貫くべきだと思った。
 最初に分かったのは、「霊といっても人間の塊にすぎず、したがって、必ずしも至高の知識や至高の智慧を備えているわけではない」ということだった。「悟りの段階に応じて彼らの知は限られており、その意見は個人的なものにすぎない」ということである。この事実を知った為に、私は、霊が無謬(むびゅう)であるということを信じ込まずにいられたのだ。そのお陰で、「一人ないしは数人の霊人の言うことだけを基にして、早急に理論を作り上げる」という過ちを犯さずに済んだ。
 霊との交流から学んだことは、「我々の周りに、見えない世界、すなわち霊界が広がっている」ということだった。それだけで、既に大変なことだった。「無限とも言える領域が、我々の探究を待っている」ということだからだ。また、「これまで説明不能だった山のような現象を合理的に説明する鍵を手に入れられる」ということだからだ。
 さらに、これも同様に重要なことであるが、「霊界の状態、霊人達の生活習慣を知ることが出来る」ということである。
 やがて、それぞれの霊人から、その境涯に応じた情報を得ることになっていく。
 それは、丁度、外国人から、その国に関する情報を教えてもらうようなものだった。各人から、彼が属する階級や境遇に応じたことを教えてもらえるが、あくまでも、それは個人的な情報にすぎず、それだけでは、国の全体について知ることは決して出来ない。様々な方面から情報を集め、それらを吟味し、比較し、照合し、その上で全体像を作り上げるのは、我々の役目である。
 そんなふうにして、人間と付き合うようにして霊人達と付き合った。最もつまらない霊から、最も偉大な霊に至るまで、決してその言葉を鵜呑みにすることなく、あくまでも単なる情報提供者として扱ったのである。
 以上が私の基本的な態度であり、常にそのようにして私は霊界の研究を続けた。「観察し、比較し、判断する」、これが私が取り続けた方法論だった。
 その頃まで、ボダン家におけるセッションには、これといった目的はなかった。しかし、私は、その場を借りて、哲学に関し、心理学に関し、また、霊界の性質に関し、色々と質問して、それまで未解決だった問題の解決を図ることにした。セッションに行く前に、予め一連の質問を用意していったのである。それらの質問に対しては、いつも的確で論理的かつ深遠な答えが返された。
 それ以来、集いは全く新たな様相を呈するようになった。出席者の中に、真摯な人々が加わるようになり、彼らが本当に積極的に会を運営するようになったのである。どうでもいいような質問は姿を消した。
 当初は、自分が学ぶことしか考えていなかった。しかし、徐々にそれが体系をなし、一つの教義としての体裁を整えていくに従い、私はやがて、それらを多くの人の為に出版しようと考えるようになった。こうして、数々の質問を通して徐々に進展し、完全になっていった一連の主題が、『霊の書』の基礎をなすことになったのである。
 翌年の1856年には、ティクトヌ街のルスタン氏の家で行われていた集いにも参加するようになった。この集いは真摯なものであり、厳正に行われていた。霊界との交流は、ジャフェ嬢が霊媒を務め、小さな籠を使った自動書記によって行われていた。
 その頃、私の本はほぼ完成しかかっていた。しかし、違う霊媒を使い、違う霊人達からの情報も収集して、原稿をさらに吟味する必要があることを感じた。そこで、ルスタン氏の主宰する集いの場を借りて、あるテーマに関する最終的な詰めを行うことにした。
 セッションを始めて暫くすると、霊人達が、「もっと静かな場で、内密に、そのテーマを取り扱いたい」と言ってきた。そして、「その為に、数日の間、ジャフェ嬢とあなた二人だけを相手にしたセッションを行いたい」と提案してきた。
 その後、このセッションは行われたのだが、私はその結果には満足しなかった。私は既に、それまで、随分多くの霊人達と接触して、色々と忠告を受けており、その為に私の要求水準は相当高くなっていたからである。
 異なる霊媒を介して霊界通信を行う機会があるごとに、私は、様々な霊人達に、最も厄介な問題に関して質問してきた。既に十人以上の霊媒とセッションを行ってきており、それらで得られた情報を比較し、吟味し、統合し、その上で、瞑想しては、何度も何度も手直ししてきた。
 そのようにして、1857年4月18日に『霊の書』が刊行されたのである。
 この年の終わり頃には、ボダン家の二人のお嬢さんが結婚した為に、集いは行われなくなった。しかし、私の交際する霊媒の範囲は広がっていたので、付き合う霊人達も多くなっており、数多くの霊人達から、その後の仕事を進める為の情報を得るようになったのである。

1855年12月11日、ボダン家にて、霊媒はボダン嬢。

ー(Z霊に対して)霊界には、私を守護する霊はいるのですか?
 「はい、います」
ーそれは、先祖の霊ですか、それとも友人の霊ですか?
 「いずれでもありません」
ーその霊は、地上にいた時はどのような人だったのでしょうか?
 「正しく、叡智に溢れた人間でした」
ーその霊に守護してもらうには、どのようにすればいいのでしょうか?
 「可能な限り善を行うことです」
ー守護霊がかかわってきていることは、どのようにすれば知ることが出来ますか?
 「あなたが心から満足している時は、守護霊がかかわってきているのです」
ー守護霊を呼び出すことは出来ますか?また、その為には、どのようにすればいいのですか?
 「守護霊を信じ切って、熱心に願うことです」
ー私が死んだ場合、霊界で守護霊に会うことは出来るのですか?
 「勿論です。もし、あなたが地上での使命をしっかり果たしたのなら、守護霊が迎えに来て祝福してくれます」

 こうした質問を見れば、この頃には、まだ霊界に関して私が全くの素人だったことが分かるだろう。

ー私の母の霊も、時には私のところに来ているのですか?
 「その通りです。可能な限り守ろうとしてくれていますよ」
ーよく母の夢を見るのですが、これは記憶から来るのでしょうか?或は、私の想像力がつくり出している映像なのでしょうか?
 「そのいずれでもありません。それはお母さんがあなたのところに実際に来ているのですよ。その時の感動から、それが事実であることは分かるはずです」

 これは完全に正しい。母が夢に現れる時、私は筆舌に尽くし難い感動に見舞われる。そして、そのことを霊媒が知っているはずはないのである。

ーしばらく前のことですが、S霊を呼び降ろした時に、S霊が私の指導霊になることは有り得るのか、と尋ねたのですが、その時、彼は、「あなたがそれに相応しくなれば、私はあなたを指導しましょう。そのことについては、Z霊に聞いてください」と言っていました。私は、それに値する人間でしょうか?
 「もしそう望むのなら可能でしょう」
 「自分が為すべきだと思う善を全て行い、勇気を持って苦悩に耐えることです」
ー私の知性は、死後の世界の真実について深く知る為に、充分な力を持っていると言えるでしょうか?
 「言えます。あなたはその為に必要な能力を備えています。しかし、結果は、あなたがどれほど忍耐強く仕事をするかにかかっています」
ー私はそうした真実を広めることになるのでしょうか?
 「勿論です」
ーどのようにして?
 「いずれ分かるでしょう。それまでは、とにかくしっかりと努力することです」

1856年3月25日、ボダン家にて、霊媒はボダン嬢。

 私はその頃、マルティール街八番地に住んでいた。中庭の奥のアパルトマンの三階だった。
 ある日、仕事部屋で原稿を書いていると、隣の部屋との仕切り壁から、繰り返し、小さな物音が聞こえた。最初は何の注意も払わなかったが、それが治まらずに、しかも、場所を変えつつ、段々大きくなってきたので、その仕切り壁を両側から詳細に調べてみた。他の階の音が響いてくるのかと思ったのである。しかし、原因を解明することは出来なかった。不思議なのは、私が調べようとする度に、その音が止まり、仕事を再開すると同時にまた鳴り始めることだった。
 やがて十時頃に妻が部屋に入ってきた。その音を聞いて、「これは何なの?」と聞いた。私は、「分からない。もう一時間以上も続いているんだ」と答えた。我々は一緒に調べたが、どうしても原因は分からなかった。それは真夜中まで、つまり私が寝るまで続いていた。
 翌日は、ボダン家でのセッションの日だったので、私はそのことに関して説明を求めた。

ー多分、そのことについてはお聞き及びかと思います。どうして、あれほどしつこく音が続いたのか、その原因を説明して頂けますか?
 「あなたの指導霊団の内の一人がやったのです」
ーどんな目的があって、あんなふうに音を立てたのですか?
 「あなたに何か言いたかったのでしょう」
ーその霊は誰で、私に何が言いたかったのでしょうか?
 「今ここにいますから、直接聞いてみたらどうですか?」

 この時期には、まだ指導霊が沢山いるということさえ分からずにいた。全員を一律に「親しい霊」と呼んで混同していたのである。

ーあなたが誰であれ、とにかく、来てくださったことに対して感謝申し上げます。あなたは一体どなたですか?どうぞ教えてください。
 「私のことは[真実の霊]と呼んでください。これから暫く間、月に一度、毎回十五分位、あなたと対話することにしましょう」
ー昨日、私が仕事をしている間、音を出していましたが、何か仰りたいことがあったのですか?
 「仕事に関して言いたいことがあったのです。あなたが書いている内容がよくないものだったので、仕事を止めさせようとしたわけです」

 私は、その時、霊に関する研究について、そして霊の顕現について書いていたのだった。

ーそれは、昨日書いていた章に関してですか?それとも書物全体に関してですか?
 「昨日書いていた章に関してです。判断はあなたにお任せしましょう。今晩読み返してみて、おかしいと思ったら、そこを直してください」
ー私自身も、あの部分には満足していませんでした。実は今日書き直したのですよ。多少はよくなっているでしょうか?
 「よくなってはいます。しかし、まだ充分とは言えません。三行目から三十行目まで、注意深く読み返してご覧なさい。重大な過ちが見つかるはずです」
ー昨日書いた部分は破棄したのですが。
 「破棄したとしても、間違い自体は残っているのです。もう一度読み返してごらんなさい。そうすれば間違いが分かるはずです 
ー[真実の霊]というお名前は、私が探究している真実と関係があるのですか?
 「そうかもしれません。少なくとも、私は、あなたを守り、あなたを助ける指導霊です」
ー自宅であなたを招霊することも可能ですか?
 「可能です。内なる声を通じてコンタクトをとり、あなたを助けましょう。しかし、自動書記による交流は、まだしばらくは無理でしょう」

 確かに、この後一年位の間、自宅では自動書記は全く出来なかった。霊媒がやってきて、自動書記による情報を得ようとすると、何か不都合なことが起きて、それが出来なくなるのだった。自宅以外の場所でしか、自動書記は可能とならなかった。

ー一月に一度といわず、もっと頻繁に来てくださいませんか?
 「そうしたいところですが、新たな体制が組まれるまではこのままです」
ー他に、地上で知られている人を誰か指導していますか?
 「あなたにとっての真実の霊だと言ったはずです。この言い方から察してください」

 夕方、自宅に戻ってから、急いで、ゴミ箱に捨ててあった原稿と、新たに書いた原稿を読み返してみた。すると、三十行目に重大な過ちが見つかったのである。どうしてこんな過ちを見逃したのか、不思議なくらいであった。
 これ以降、その種の霊現象は全く起こらなかった。私と指導霊との関係が確立したので、そうした霊現象に頼る必要がなくなった為であろう。

 1856年4月9日、ボダン家にて、霊媒はボダン嬢。

ー([真実の霊]に対して)先日、執筆中の一節について、間違っていると言われましたが、確かにその通りでした。読み返したところ、三十行目に間違いが見つかりました。それに対して、ラップ音を立てて警告してくださったのですね。他の間違いも、いくつか見つかり、それらを書き直しました。これでよろしいでしょうか?
 「前よりはよくなったと思います。でも、原稿に日の目を見させるのは一ヶ月後にしてください」
ー「原稿に日の目を見させる」とは、一体どのような意味ですか?まだ出版するつもりはありませんが。
 「部外者に見せる、ということです。『原稿を読みたい』と言ってくる人に対しては、何らかの口実を見つけて断るとよいでしょう。まだ改稿する余地があります。あなたが批判を避けることが出来るように、このようなことを言っているのです。また、慢心しないように気をつけてください」
ー私を指導し、支援し、守ってくださるということでした。こうした保護は、ある限度内においてであると理解していたのですが。もしかすると、それは物質生活のレベルにまで及ぶのですか?
 「地上においては、物質面も大切なのですよ。もし、その面で援助しないとしたら、あなたを愛していないことになります」

この霊の保護がー当時はまだ、それがどれほど凄いものかということが分かっていなかったー途切れるということは、決してなかった。
 この霊の私に対する思いやり、そして、この霊の命令を受けた他の霊人達の私に対する思いやりは、私の人生のあらゆる局面にまで及んだ。
 ある時は、物質面での様々な困難を解決してくれ、ある時は、仕事が容易に進むように援助してくれた。また、ある時は、反対者達の力を殺(そ)ぎ、私に害が及ばないようにしてくれた。
 私が果たそうとしていた使命に付きまとう苦難が完全にはなくならないとしても、それらは必ず和らげられたし、また、使命遂行に伴う精神的な満足によって、大いに補われたのである。

1856年4月30日、ルスタン氏宅で、霊媒はジャフェ嬢。

 私はしばらく前から、ルスタン氏宅で行われていたセッションにも参加していた。やがて『霊の書』として刊行されることになる書物の内容を検証する為である。
 七、八人しか出席していない、ある私的な集いで、「社会を変革するにはどうすればよいか」ということに関して議論している時に、突然、霊媒が籠を手にして次のように書き始めた。

 「反対者がいくら騒いでも放っておきなさい。同じ志を持つ人々に語りかければよいのです。そうした人々を癒しなさい。そして、各人が自分の役割を果たすのです。そうすれば、全てが上手くいきます。
 宗教はたった一つあればよろしい。真実の、偉大な、美しい、そして宇宙の創造者に相応しい宗教です。最初の礎石は既に置かれました。
 リヴァーユ(アラン・カルデックの本名)よ(この瞬間、籠が激しく位置を変え、まるで指で私を指すかのように私の方を向いた)、最初の礎石を置くことが、あなたの使命です。M氏よ、あなたの使命は、全てを壊して更地をつくることでした。したがって、切り込み隊でした。リヴァーユはその後にやってきて、破壊された建物を建て直すのです」

 これが、私の使命に関する始めての建設的な啓示であった。正直なところ、籠が私の方を向いた時、私はある種の感慨を禁じ得なかった。
 M氏は、最も過激な思想を持った若者で、ある政治的な事件に巻き込まれていた為に、人目につかないようにしている必要があった。社会を大きく変える必要を感じていたので、その事件に参画して、自分の社会改革の計画を実行に移そうとしていた。とはいえ、その人柄は、優しく、穏やかであった。

 1856年5月7日、ルスタン氏宅で、霊媒はジャフェ嬢。

ー(指導霊のハネマンに)過日、指導霊団から私の使命を告げられ、また、その目標を授けられました。私の使命は本当にあの通りなのでしょうか?
 「そうです。あなたがこれまで願ってきたこと、あなたの傾向性、瞑想の際に常に念(おも)いを定めてきたことをじっくり思い返してみるならば、何も驚くべきことではないと分かるはずです。久しい以前から夢見てきたことを実現するということではありませんか?
 さあ、さらに活発に仕事をして、怠ることなく準備しなさい。その日は近づいています。あなたが考えているよりも早くやってきますよ」
ーこの使命を果たす為には、まだまだ私は力不足です。
 「我にとらわれず、大いなる力に委ねなさい。そうすれば、全ては上手くいきます」

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