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カテゴリ:★『霊との対話』 > アラン・カルデック 霊界で幸福な霊

アラン・カルデック 霊界で幸福な霊 目次

二十歳で病死した水先案内人-ヴィクトール・ルビュフル

死後も友の健康を気遣う医者-ドゥルーム氏

シドゥニエ-事故で溺死した霊媒

伯爵夫人ポーラ-恵まれない人々を助けた女性

ル・アーヴル港の若き水先案内人で、二十歳の時に亡くなった。
 ささやかな商売を営む母親と一緒に暮らしていたが、母親を本当に大切にし、細々と世話を焼いた。きつい仕事をして得た収入で家計を助け、キャバレーに行くようなことは絶えてなかったし、この職業に特有の暴飲暴食からも免れていた。というのも、お金を無駄に使わずに、敬虔な目的の為に使おうと心掛けていたからである。仕事をしている時以外は、店で母親を助ける為に精一杯働いた。少しでも母親の負担を取り除きたかったからである。
 大分前から病気にかかっており、自分が死ぬことを自覚していたが、母親に余計な心配と負担をかけたくなかった為に、それを自分の心に秘め、一人で苦しみと戦った。欲望の燃え盛る年頃に、悪しき環境下で働いていたにもかかわらず、持ち前の性格の良さと、尋常ならざる意志の強さによって、清い生活態度を守った。敬虔な信仰心を貫き、その死はまさしく模範的なものであった。
 死の前夜、彼は、母親に、「自分はこれから眠るので、少し休むように」と言った。
 母親は、うとうとする中で、あるヴィジョンを見た。彼女は大きな部屋の中にいた。そこには小さな光の点があって、その点は徐々に大きくなっていった。やがて部屋中がその強烈な光で照らされ、その光の中から息子の姿が抜け出し、燦然と輝きながら、無限の空間へと昇っていったのである。彼女は、息子の死が近いことを悟った。事実、その翌朝には、息子の美しい魂は既に地上を去っていた。
 息子の行状をよく知り、また、母親とも親しかったある家族ー彼らは霊実在主義協会のメンバーであったーが、息子の死後少しばかり経ってから、息子の霊を招霊しようと考えた。すると招霊をするまでもなく、息子の霊が自発的に降りてきて、以下の霊示を送ってきた。

 「私が今どういう様子なのか知りたがっているようですね。ああ、私は今、本当に幸せですよ。本当に幸せなのです。地上での辛い経験や苦悩は何ということもありません。というのも、それらは墓の彼方では祝福と幸福に変わるからです。
 ああ、あなた方には幸福という言葉の本当の意味は分からないでしょうね。澄み切った意識状態で、義務をしっかり果たした奉仕者としての自信に満たされて、しかも同時に喜びにも満たされて、全ての全てである主の同意を求めつつ、主のもとに還っていく時、『地上で幸福と呼んでいたものなど、全く何ということもなかった』ということをしみじみ知るのです。
 ああ、皆さん、死後がどうなるかを知らなければ、人生とは辛く困難なものです。しかし、これは誓って申し上げますが、もしあなた方の人生が神の法に適ったものであったならば、死後に待っているのは、想像を絶する報いなのです。それは、地上での苦悩や、あなた方が天の蔵に積んだと思っていた富を、遥かに遥かに凌ぐものであるのです。
 ですから、どうか、善きことを為し、慈悲の心で生きてください。慈悲ということを多くの人は知りませんが、言い換えれば、思いやりということです。どうか隣人を助けてあげてください。『人にこうしてもらいたい』と思っている以上のことを、人の為にしてください。そうすれば、心が豊かになり、人から思いやりを示されるようになるでしょう。
 どうか、私の母を助けてください。可哀想なお母さん、お母さんのことだけが唯一の心残りです。天国に還るまで、まだまだお母さんには試練が残っています。
 それでは、さようなら。これからお母さんを見に家に帰ります」

 霊媒の指導霊からのメッセージ:「地上にいる間に経験する苦しみは、必ずしもその全てが罰であるわけではありません。神の意志に従って、地上で使命を果たそうとする霊は、丁度、今霊示を送ってきた若者のように、喜んで数々の試練に耐えます。というのも、それらは償いの意味を持っているからなのです。霊界に還り、至高者の側で眠ることによって、彼らは再び力を取り戻し、神の栄光を実現する為の、全てに耐える力を得るのです。
 この若者の今回の人生における使命は、確かに輝かしいものではありませんでした。しかしながら、目立たぬものであったが故に価値がなかったといえば、決してそうではないのです。決して慢心しないという生き方を貫いたからです。
 彼はまず、家庭にあって、母親に対し、感謝の気持ちを示す必要がありました。さらに、悪しき環境にあっても魂を純粋に、高貴に保ち、強い意志によって、あらゆる誘惑に耐える必要があったのです。まず優れた資質があってこそ、そうした試練に打ち勝つことが出来るのですが、その意味で、この若者の生き方は、後から来る者達への大きな贈り物となることでしょう」

1865年1月25日、アルビにて死亡。
 ドゥルーム氏は、アルビの著名なホメオパシー(病気の症状と同じような症状を引き起こす物質を、ごく微量与えることによって病気を治す療法。同種療法とも言われる)の医者であった。 その人格と知識により、多くの市民の尊敬を集めていた。人々に対する善意と慈愛は尽きることがなく、高齢であったにもかかわらず、貧しい患者を精力的に往診し続けた。
 治療費を楽に払える患者よりも、治療費を払えない患者を優先した。というのも、前者は望めばいくらでも他の医者に診てもらえるからである。貧しい患者には無料で薬を与えただけでなく、しばしば物質的な援助も行った。それは、ある場合には、最も治療効果を発揮することがあった。
 むしろ、医療技術を備えた司祭だった、と言った方がよいかもしれない。
 氏は霊実在論の教義を熱烈に支持していた。「それまで、科学や哲学によって解決しようとして、ことごとく失敗してきた由々しき問題を、見事に解決する鍵が霊実在論にある」ということが分かったからである。深い理解力を示す、探求心旺盛な彼の精神は、直ちに霊実在論の射程を見抜いた。そして、霊実在論を熱心に広めようとしたのである。文通による生き生きとした相互関係が、我々との間に築かれた。
 我々がドゥルーム氏の死を知ったのは、一月三十日のことであった。我々の頭をまず過ったのは、彼と交信することであった。以下が、その結果である。
 「私です。生前、お約束した通り、こうしてやってきました。師にして友人のアラン・カルデック氏の手を握る為です。
 死によって私は一種の嗜眠(しみん)状態に陥りましたが、意識の一部は目覚めて自分を観察していました。死後の昏睡状態が長くなるのを防ぐ為、私は自分を揺り起こしました。それから一気に旅をしました。
 何という幸福でしょう。私は最早年老いてもおらず、体が不自由でもありません。肉体を脱ぎ捨てたからです。私は霊として、永遠の若さに美しく輝いています。霊には、皺が寄ることもなく、白髪が生えることもありません。私は小鳥のように軽やかに、淀んだ地上から霊界へと飛んでいったのです。
 そして、神の智慧、叡智、偉大さを前にして、また、私を取り囲む驚異を前にして、ちっぽけな存在として、感嘆し、祝福し、愛し、跪いたのです。
 私は幸福です。私は今栄光の中にいます。選ばれた者達に与えられるこの場所の壮麗な美しさを表現する言葉はありません。空が、惑星が、太陽が協力し合って、言語を絶した宇宙的な調和を醸し出しています。
 しかし、我が師よ、私は言葉でそれを言い表すべく試みてみましょう。それをしっかり探求し、私の霊としての認識を、称賛を込めてあなた方地上の人々に伝えてみましょう。
 それでは、後ほどまた」

 以下に示す、二月一日と二日の両日にわたる霊示は、当時私が患っていた病気に関するものである。個人的な事柄に関する霊示であるが、あえてここに収録してみた。というのも、それらは、ドゥルーム氏が、かつて人間であった時に優れた医者だったのと同様、霊になってからも優れた医者であることを示すものだからである。

 「我がよき友よ。我々を信頼し、勇気を出してください。この発作は、疲労を伴い、苦痛に満ちていますが、それほど長くは続きません。処方箋に従って治療をすれば、病状は軽減し、今回のあなたの人生の目的を完成させることが出来るでしょう。
 私は、[真実の霊]から許可をもらい、彼の名を使って通信を送りました。多くの友人達が、そのようにしているのです。彼らは私を快く仲間として迎えてくれました。
 我が師よ、私は丁度よい時期に死亡し、このようにして彼らと共に仕事が出来ることを大変嬉しく感じています。もっとも、私がもっと早く死んでいれば、きっと、今回のこの発作を回避させることが出来たと思います。地上では、この発作を予知することが出来ませんでした。
 少し前だと、私は肉体から離脱したばかりで、精神的なこと以外に手を貸すことは出来ませんでした。しかし、現在では、こうしてあなたの健康状態に積極的に関わることが出来ます。私はあなたの兄弟であり、友人であり、こうしてあなたの側にいて、あなたの病気を治すお手伝いが出来ることを幸福に感じています。
 しかし、あなたもよくご存知のように、『天は、自らを助ける者を助ける』のです。したがって、よき霊人達の処方箋に忠実に従うことで、自らを助け、彼らの治療に協力してください。
 ここは少し暑すぎます。この石炭は質がよくありません。病気の間は、この石炭は使わない方がよいでしょう。有毒ガスが発生していますので、体によくありません」

 「カルデック氏の友人であるドゥルームです。彼を襲った発作の現場に私はおり、発作に介入して被害を最小限に食い止めました。それが出来たことを大変嬉しく思います。
 確かな源泉からの情報によりますと、彼が早めに今回の人生を終えた場合、やり残した使命を果たす為に、直ぐにまた地上に転生しなければならなくなります。彼は、地上を去る前に、現在進行中の作品にさらに手を加え、その理論を完成させなければならないのです。
 しかし、もしペースダウンをせずにこのままの調子で仕事を続けるならば、必ず健康を害し、予定より早く霊界に還ることになってしまうでしょう。そうなった場合、自殺のそしりを免れません。彼にこのことをはっきりと告げてください。そして、我々の書いた処方箋に逐一従い、健康に、充分、留意して頂くのです」

 次の霊示は、死の翌日の一月二十六日に、彼が生前モントーバンで組織していた霊実在主義者のサークルに降ろされたものである。

 「アントワーヌ・ドゥルームです。私は、多くの人々にとっては死んだことになっていますが、あなた方にとっては死んではいません。というのも、あなた方は、霊実在主義の理論を知っているからです。
 私は幸福です。想像していた以上に幸福です。なぜなら、まだ肉体を離れてからほんの僅かしか経っていないにもかかわらず、既に霊としてかなり高いレベルで覚醒しているからです。
 我がよき友人達よ、どうか勇気を持って欲しい。私はこれからもしばしばあなた方の側に降りてきて、肉体に宿っているかぎり知ることの出来ない多くのことをお教えしましょう。哀れな肉体のせいで、あなた方は、かくも素晴らしい世界、かくも喜びに満たされた世界を知ることが出来ないのです。この幸福を知ることが出来ずにいる人々の為に祈ってあげてください。というのも、彼らはそれと知らずに自分自身に対して悪を犯しているからです。
 今日はそろそろ失礼しますが、こちらの世界で私は全く違和感なく寛いでいるということをお伝えしましょう。まるで、ずっと住んでいたかのようです。私は霊界でとても幸福です。というのも、こちらには友人がたくさんおり、話したいと思えばいつでもすぐ話すことが出来るからです。
 友よ、どうか泣かないでください。あまり泣かれると私も辛くなります。全て神にお任せしましょう。やがては皆さんもこちらにやってきて、こちらで全員集うことが出来るのですから。
 それでは、今日はこれにて。皆さんに神の慰めがありますように。私は常に皆さんの側におります」

 次に、モントーバンから来た一通の手紙を紹介しよう。

 「私達は、霊視の利く、夢遊病タイプの霊媒であるG夫人には、ドゥムール氏が亡くなったことを教えずにいました。彼女は感受性が異常に強いので、そのことを気遣ったのです。幸い、ドゥムール氏と、気を利かせてくださって、我々のところに姿を現した際に、彼女には見えないように取り計らってくださいました。
 二月十日のことですが、前日から捻挫の為に苦しんでいたG夫人を慰める為に、指導霊を招いて交霊会を催しました。この時に、予期せぬ、驚くべきことが起こりました。夢遊状態になるや否や、G夫人は、自分の足を指差して、鋭い叫び声を上げたのです。
 G夫人は、一人の霊人が、自分の足の上にかがみ込んでいるのを見たのです。しかも、その姿ははっきりとは見えませんでした。
 その霊は彼女の足をマッサージしてくれ、時折、医者であれば必ずするであろうように、病変部を引き伸ばしてくれました。しかし、それがあまりにも痛かったので、夫人は大声を上げたり、体を震わせたりしていました。もっとも、そうした騒ぎもそれほど長くは続きませんでした。十分もすると、捻挫のあらゆる兆候は消え去り、晴れが完全に引き、足は元の状態に戻ったからです。こうして治療が終わりました。
 とはいえ、その霊は相変わらず誰だか分かりませんでした。姿をはっきり見せないのです。ほんの数分前までは、足が痛くて一歩も歩けなかった夫人が、小走りで部屋の真ん中まで行って、その霊人の医者と握手しようとしたところ、その霊人は逃げ出すそぶりさえ見せました。手を握らせはしたものの、顔を背けており、自分が誰であるかを知らせようとはしませんでした。
 次の瞬間、夫人は短い叫び声を上げ、気絶して床に倒れました。彼女は、それがドゥムール氏であることに気づいたのです。失神している間、彼女は数人の優しい霊人達の介護を受けました。ようやく彼女は霊媒の意識状態に戻り、彼らと握手を交わし、特にドゥルーム医師の霊とは強い握手を交わして愛情を示しました。それに応えて、氏は、治癒に役立つオーラを彼女に注ぎ込んでくれたのです。
 なんと感動的でトラマティックな光景だったことでしょう。霊にとっても、人間だった時の役割を果たしていることが、これで明らかになりました。霊が現実の存在であり、幽体を使って、地上にいた時と同じように振る舞うということが、よく分かりました。
 私達は、かつての仲間が、霊となった今も、相変わらず暖かい心と繊細な思いやりを持ち続けているのを知って、心底、感動いたしました。ドゥムール氏は、生前はG夫人のホーム・ドクターでした。夫人の感受性が異様に鋭いことを知っていましたので、まるで自分の子供であるかのように、彼女のことを気遣ってくれたのです。
 霊が、かつて地上で愛していた人々に示す、こうした心遣いは、本当に感動的であり、また、死後の世界がどれほど慰めに満ちたものであるかを、我々に教えてくれるのではないでしょうか」

 ドゥルーム氏の霊としての振る舞いは、氏の地上での立派で有用な生き方から充分に予想されるものであった。また、「氏が、亡くなって間もないのに、既に人の役に立つ為に活動を開始している」ということも、我々に多くのことを教えてくれた。
 氏の高度な知性、優れた徳性によって、氏が非常に高い霊域におられることは明らかである。氏は幸福であり、しかも、その幸福は無為とは無縁である。死の直前まで患者の面倒を見ていた氏は、肉体から離れた直後に新たな仕事を開始した。
 「霊界に還っても休息出来ないなら、死んだ意味がないではないか」と言う人がいるかもしれない。だが、死ねば、一切の心配から解放され、肉体の欲求を満たす必要もなくなり、不自由だった体は元に戻り、完全に自由で、思考と同じ速さで空間を駆け巡ることが出来、しかも、どれほど動いても全く疲れず、いつでも好きな時にどんな友人にでも会いに行けるのである。さらに、霊界では何であれ強制されるということがないし、どれほど長い間ぼーっとしていても、誰にも何も言われない。
 しかし、直ぐにそうしたことには飽きてしまうだろう。そして、「仕事をしたい!」と申し出るのである。直ちに答えが来るだろう。もし何もすることがなくて退屈しているのだったら、自分で仕事を探すのもよい。地上においてと同様、霊界においても、人の役に立とうとすればいくらでもその機会はあるからである。
 その上、霊界の活動には限界がない。自分の好み、能力に応じて、必要とされる仕事を行い、満足を味わうのだ。仕事は、自己の向上に資するものであることが肝要である。

善人として生きたが、事故で亡くなった。生前は霊媒として知られていた。

 1861年2月1日、ボルドーにて。
ーあなたの死の状況について教えて頂けますか?
 「私は溺死しました」
ー死んでからのことを教えて頂けませんか?
 「自分を取り戻すまでに、大分時間がかかりました。でも、神の恩寵と、助けに来てくれた仲間達のお陰で、光に満たされていったのです。
 期待以上の素晴らしさでした。一切が物質とは関係ないのです。全てが、それまで眠っていた感覚を揺り起こします。目に見えず、手で触れられない世界です。
 想像出来ますか?あまりにも素晴らしい為に、あなた方の理解を絶しています。地上の言葉では説明不可能なのです。魂で感じないと分かりません。
 目覚めた時は、とても幸福でした。『地上の人生とは悪夢でしかなかった』ということがよく分かりました。
 その悪夢の中で、あなた方は悪臭ふんぷんたる独房に閉じ込められているのですよ。蛆虫が身を食い破って骨の随まで達しようとしており、しかも、あなたは燃え盛る火の上に吊るされていたわけです。カラカラに渇いた口は、空気を吸うことさえ出来ません。あなたの霊は恐怖に囚われており、周りを見ると、あなたをのみ込もうとする怪物ばかりです。
 想像し得る限りのおぞましいもの、恐ろしいものに囲まれていたのに、目を覚ましてみれば、なんと、うっとりするようなエデンにいるわけです。
 周りには、かつて愛した人々がいます。そして、幸福に輝く顔で、あなたに微笑みかけてくれるのです。辺りには、心地良い香りが漂い、命の水で、渇き切った喉を潤すことが出来ます。無限の空間の中に体は憩い、優しいそよ風が、甘い花の香りを運んできます。生まれたばかりの赤ん坊が母親の愛に包まれるように、あなたは神の愛に包まれます。そして、一体何が起こったのか、まだよく分かりません。
 さて、以上、死後に人間を待つ幸福感をあなたに説明しようと思ったのですが、どうやら、それは不可能なようです。ずっと狭い箱に閉じ込められてきた、目の見えない人に、無限の空間の広がりを理解させようとするようなものです。
 永遠の幸福を感じ取る為には、愛しなさい!
 というのも、愛だけが、それを感じ取らせてくれるからです。
 勿論、ここで『愛』といっているのは、エゴイズムの不在のことです」
ー霊界に還った直後から、もう幸福に満たされていたのですか?
 「いいえ。まず地上でつくった『借金』を返さなければなりませんでした。私は死後の世界を感じてはいましたが、無神論者だったからです。
 私は、神への無関心を償う必要があったのですが、神は大変慈悲深い方であり、私がなし得たごく僅かな善を評価してくださり、私が多くの苦しみを諦念と共に受け入れていたことを、とても高く買ってくださいました。
 神の正義の感覚は、とても人間には理解出来ません。地上で為し得たほんの僅かな善を、思いやりと愛とで非常に高く評価してくださり、あっという間に多くの悪を消してくださるのですから」
ーあなたの娘さんは、そちらでどうしていらっしゃいますか?(父親の死後、四、五年して、娘も亡くなった)
 「使命を帯びて再び地上に生まれ変わっております」
ー彼女は今、人間として幸福なのでしょうか?もし差し支えなければ、お教え願えますか?
 「そうですね、私には、あなたの気持ちが、まるで手に取るように分かりますよ。あなたが単なる好奇心から聞いているのではないことが、よく分かります。
 彼女は現在、人間としては幸福ではありません。むしろ、あらゆる地上の悲惨が彼女の身に及んでいると言ってよいでしょう。しかし、それにもかかわらず、彼女は、自らを手本として、偉大な徳を示さなければならないのです。
 私は彼女を見守り、助けるつもりでおります。彼女は、数多くの障害を、さほど苦しまずに克服してゆくでしょう。彼女は償いの為に生まれたのではなくて、使命を帯びて生まれたからです。ですから、彼女のことは心配しないでください。彼女のことを覚えていてくださってありがとう。感謝します」

 この時、霊媒は急に文字を書くことに困難を覚え始めた。どうも、通信の送り手が別の霊に替わったようである。そこで、次のように言った。

ーもし、苦しんでいる霊が今ここに来ているのでしたら、名前を教えてください。
 「不幸な女です」
ー名前を教えて頂けますか?
 「ヴァレリーです」
ーどういうわけで罰を受けているのか、教えて頂けますか?
 「嫌です」
ー過ちを後悔していますか?
 「そんなこと、分かっているでしょう?」
ー誰があなたをここに連れて来たのですか?
 「シドゥニエです」
ーどんな目的で?
 「私には、あなたの援助が必要なのです」
ー先程、字を書くのが困難になったのですが、あれはあなたのせいですか?
 「私が彼と入れ替わったからです」
ーあなたと彼の関係は?
 「彼が私をここに連れてきました」
ー我々と一緒に祈ってくれるように彼に言ってください。

 祈りの後で、シドゥニエが再び通信を送ってきた。

 「彼女の代わりにお礼を言います。よく理解してくださってありがとう。このことは決して忘れません。どうか、彼女のことを思ってあげてください」
ー霊として、あなたは多くの苦しむ霊の面倒を見ているのですか?
 「いいえ、そんなことはありません。でも、一人の霊人を立ち直らせると、すぐに次の霊人の世話をします。勿論、それ以前の霊人達も、ずっと見守るのですが」
ーそんなことをしていたら、何世紀も経った時、無数の霊人達を見守ることになりませんか?
 「立ち直った霊人達は、自ら浄化に励み、進歩を遂げていくのですよ。ですから、段々面倒を見る必要がなくなっていくのです。それに、日々、進歩していますから、向上するにつれ、我々の能力も増し、ますます強い浄化の光を放つようになるのです」

 未熟な霊には、善霊達が付いて助けているのである。これは善霊達の使命である。
 そうした仕事は、地上の人間には必ずしも期待されていない。しかし、それに協力することは大切なことである。というのも、そのことによって地上の人間も向上することが出来るからである。
 善霊との交信中に、例えば右の例のように、未発達霊が割り込んでくることが時々あるが、それが常によき意図によるものであるとは限らない。しかし、それでも、善霊はそれを許すことが多い。それは、ある場合には地上の人間への試練ともなるし、また、ある場合には未発達霊自身の向上にも繋がるからである。
 介入の欲求は、ある場合には、妄執と言える程のものになることがある。しかし、その欲求が強ければ強い程、彼らはそれだけ援助を必要としているということになる。したがって、それを拒否することは、よいことではない。
 彼らは、物乞いをしている哀れな人間と同じで、次のように言っているのである。
 「私は不幸な霊です。善霊が私を教育の為に送り込んだのです」
 もし彼らを救うことに成功すれば、それは彼らの苦しみを短縮し、彼らを立ち直らせたことになる。
 その仕事はしばしば苦痛に満ちたものとなるので、善霊とだけ交信し、よい内容のメッセージだけを受け取っている方が楽に決まっている。だが、自分の満足だけを求め、他者に善をなす機会を拒否するようでは、やがて善霊の守護を失うことになるのは明らかである。

ポーラは、名家に生まれ、若さと美貌、そして富を兼ね備えていた。さらに、生まれつきの性質に恵まれ、高い霊性を備えていた。1851年に、36歳の若さで亡くなったが、その時は、誰もが次のように思った。
 「一体、神様は、どうして、こんなに素晴らしい人を、こんなに早く召されるのだろう?」
 人々にそう思われる人は幸いである。
 彼女は、全ての人に対して、善良で、優しく、寛大であった。常に悪を許し、和らげ、悪を助長することが決してなかった。悪しき言葉が、彼女の美しい、透き通った唇を汚したことは、ただの一度もなかった。
 高慢さ、尊大さは少しも見られず、目下の者達を、常に思いやりをもって扱ったが、そこには、悪しき馴れ合いのようなものは、いささかもなかったし、高飛車にものを言ったり、横柄な態度をとったりすることも、決してなかった。
 仕事をして生きている人々は金利で食べているわけではないことを知っていたので、使用人達に対して支払いを遅らせるようなことは、絶対になかった。「自分の過ちから、支払いを受けられずに誰かが苦しむ」などということは、思っただけでも良心が痛んだ。
 「自らの気まぐれを満足させる為だけにお金を使い、その結果、使用人に支払うお金がなくなる」というような人とは、彼女は完全に無縁であった。「金持ちにとっては、借金をすることが、よい趣味なのだ」ということが、どうしても理解できず、「出入りの商人から、つけで何かを買う」などということは、とても考えられなかった。
 そういうわけであるから、彼女が亡くなった時には、人々は、ひたすら嘆き悲しんだのだった。
 彼女の善行はおびただしく、しかも、それは晴れの舞台だけで発揮される表向きの善行ではなかった。それは心から出たものであり、見せびらかしの為のものではなかったのである。神だけが、彼女が人知れず流した涙、たった一人で耐えた絶望を知っていた。彼女の善行の証人は、神と、そして、彼女が助けた不幸な人々のみである。
 彼女は、特に、ひっそりと暮らしている不幸な人々ーこうした人々は、より多く哀れを誘うものであるーを探し出すのが上手かった。そして、そうした人々を、本当に繊細な心遣いと共に救ったので、彼らは、嫌な思いをすることはなく、いつも必ず気分が明るくなるのだった。
 彼女自身の身分と夫の高い地位に相応しい形で、家を維持する必要があった。その為に、しかるべき出費を惜しむことはなかったが、あくまでも、浪費を避け、虚飾を退けたので、通常の半分の経費を支出するに留まった。しかもなお、それが通常以上の効果を発揮したのである。
 そうして節約した財産は、恵まれない人々の為に使った。彼女は、そのようにして、自らの、社会に対する義務、貧しい人々に対する責務を果たしたのである。
 死後十二年が経ち、霊実在論に開眼した親族の一人によって招霊された彼女は、様々な質問に対して、次のように答えてくれた(元の対話はドイツ語でなされた。家族に関わる、ごく私的な部分は削除し、全体を整理した上で、フランス語に訳してある)。

「そうです。確かに、私は、こちらで幸せに暮らしております。そして、その幸福感を地上の方々に言葉で説明することは、到底不可能です。とはいえ、私は、まだ最高の悟りを得ているわけではありません。
 地上にあっても、私は幸せな生活を送りました。というのも、辛い思いをした記憶がないからです。若さ、健康、財産、称賛など、地上において幸福の要素とされているものを、私は全て備えておりました。
 しかし、こちらでの幸福を知ってみれば、地上でのそうした幸福などは、全く何程のこともありません。
 華々しく着飾った人々が参列する、最も壮麗な地上のお祭りでも、こちらでの集会に比べれば、何ということもありません。何しろ、こちらでは、悟りの高さに応じた、目も眩むばかりの光を燦然と放つ方々が、綺羅星の如く数多く集われるのですから。
 地上にある、どんなに素晴らしい金色の王宮にしても、霊界の、空気のように軽やかな建物、広々とした空間、虹でさえも顔色を失うような澄み切った色彩に比べたら、本当につまらないものに思われます。
 地上での、遅々とした、そぞろ歩きに比べて、こちらでは、散歩といえば、稲妻よりも素早く、無限の空間を駆け巡るのです。
 地上の水平線は、雲がかかり、限られていますが、こちらでは、数多くの天体が、神の手のもと、果てしない宇宙空間を運動しているのです。
 霊体を震わせ、魂のひだの一つ一つに染み入る、天上のハーモニーに比べたら、地上の最も美しい音楽であっても、悲しい金切り声にしか聞こえません。
 滔々(とうとう)と流れる慈しみの大河のように、魂全体に絶えず浸透する、筆舌に尽くし難い幸福感に比べたら、地上での喜びなど、全く取るに足りません。
 霊界の幸福には、心配、恐れ、苦しみなどが、微塵も含まれていないのです。こちらでは、全てが愛であり、信頼であり、誠実であるのです。どこを見渡しても、愛に満ちた人々ばかりであり、友人達ばかりであり、妬み、嫉みを持った人など、ただの一人もおりません。
 こうした世界が、私のいる世界であり、あなた方も、正しい生き方をしたら、必ず来られる世界なのです。
 とはいっても、もし幸福が単調なものであれば、やがては飽きが来るでしょう。『霊界での幸福には何の苦労も伴わない』などとは考えないでください。私達は、永遠にコンサートを聞いているのでもなければ、終わりのない宴会に参加しているわけでもなく、永劫にわたってのんびりと観想しているのでもありません。
 いいえ、霊界にも、動き、生活、活動はあるのです。疲れることはないとはいえ、様々な用事をこなす必要があります。無数の出来事が起こり、色々な局面、色々な感情を経験することになります。それぞれが、果たすべき使命を持ち、守るべき人々を持ち、訪問すべき地上の友人達を持っています。さらに、自然の仕組みを上手く動かし、苦しんでいる魂達を慰める必要もあります。
 道から道へではなく、世界から世界へ、行ったり来たりします。集いを開き、散っていき、そしてまた集まります。あるテーマのもとに集会を開いて、経験したことを共有し、お互いの成功を祝福し合います。打ち合わせを行い、難しい問題に関してはお互いに助け合います。
 要するに、『霊界では1秒たりとも退屈している暇はない』ということなのです。
 現在、地上のことは、私達の主要な関心事となっております。霊達の間には、大きな動きがあるのです。膨大な数のチームが地上に赴き、その変容に協力しています。
 それは、まるで、無数の労働者が、経験を積んだ指揮者のもとに森を開墾しているようなものです。ある者達は地ならしをし、ある者達は種を蒔き、ある者達は、古い世界の跡地に新たなる都市を建設しています。その間も、指揮官達は会議を開いて協議を重ね、あらゆる方向に使者を送って命令を伝えます。
 地球は再生する必要があるからです。神の計画が実現しなければならないのです。だからこそ、それぞれが懸命に仕事に取り組んでいるのです。
 私が、この大事業を単に眺めているだけだなどとは思わないでください。みんなが働いている時に、私だけが、ぶらぶらしているわけにはまいりません。重大な使命が、私にも与えられていますので、最善を尽くして、それを遂行するつもりでいるのです。
 霊界で、私が、今いる境涯に達する為には、それなりの苦労もあったのです。今回の地上での人生も、あなた方の目には充分だと思われたかもしれませんが、霊的に見たら、決して合格点を与えられるものではありません。
 過去、何度かの転生を通じて、私は、試練と悲惨に満ちた人生を送りましたが、それは、自分の魂を強化し、浄化する為に、私が、あえて選んだものです。私は、幸いにも、そうした人生において勝利を収めましたが、そうした人生よりも、もっともっと危険に満ちた人生が残っていたのです。それが、財産に恵まれ、物質的な面で何の苦労もない生活、すなわち、物質的な困難の一切ない生活だったのです。
 これは大変危険の多い人生です。そうした人生を試みる為には、堕落しないだけの強さを獲得しておく必要がありました。神様は、私のそうした意図をお認めくださり、今回、私に、そうした人生を試させてくださったのです。
 他の多くの霊達も、見せかけのきらびやかさに惑わされて、そうした生活を選び取るのですが、残念なことに、殆どの霊が、まだ充分に鍛えられていなかった為に、経験不足から、物質の誘惑に、見事に負けてしまいました。
 私も、かつては地上にて労働者だったことが数多くあるのです。本質としては高貴な女性なのですが、私もまた、額に汗してパン代を稼ぎ、欠乏に耐え、過酷な生存条件を忍んだことがあります。そうすることによって、私の魂は、雄々しく力強いものとなったのです。そうしたことがなければ、多分、今回の転生では失敗し、大きく退歩したかもしれません。
 私と同じように、あなたもまた、財産という試練に直面することになるでしょう。でも、あまり早く財産を持とうとしないでくださいね。
 ここで、お金持ちの人々に申し上げておきたいのですが、真の財産、滅びることのない財産は地上にはありません。どうか、神様が下さった恵みに対して、地上で充分にお返しをなさってください」

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