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カテゴリ:★『霊との対話』 > アラン・カルデック 因果応報の霊

アラン・カルデック 因果応報の霊 目次

生きたまま埋葬された男性-アントニオ・B氏

沸騰したニスを全身に浴びて亡くなった男性-レティル氏

祈りは死後の苦痛を和らげる-パスカル・ラヴィック

乞食のマックス

マルセル-高貴な感情を持つ子供

ある野心的な医者の転生

フェルディナン・ベルタン-海難事故の犠牲者

アントニオ・B氏は、才能に恵まれた作家であり、多くの人々から尊敬されていた。ロンバルディア地方における名士であり、清廉かつ高潔な態度で公務を果たしてもいた。
 1850年、脳卒中の発作を起こして倒れた。実際には死んでいなかったのだが、人々はー時々あることだがー彼を死んだものと見なした。特に、体中に腐敗の兆候が現れた為に、その思い違いが決定的となったのである。
 埋葬後二週間してから、偶発的な事態から、墓を開くこととなった。娘が大切にしていたロケットを不注意によって棺の中に置き忘れたことが判明したのである。
 しかし、棺が開けられた時、列席者の間に凄まじい衝撃が走った。なんと、故人の体の位置が変わっていたのだ。仰向けに埋葬した体が、うつ伏せになっていたのである。その為、アントニオ・B氏が、生きたまま埋葬されたことが明らかとなった。飢えと絶望に苛まれつつ亡くなったことは間違いなかった。

 家族の申請で、1861年に、パリ霊実在主義協会において招霊されたアントニオ・B氏は、質問に対して次のように答えた。

ー招霊します・・・。
 「何の用事でしょうか?」
ーご家族の要請があってお呼びしました。ご質問にお答え頂けると、大変有り難いのですが。どうぞよろしくお願い致します。
 「よろしい。お答えしましょう」
ー死んだ時の状況を覚えていらっしゃいますか?
 「ええ、覚えていますとも!よく覚えていますよ!しかし、どうして、あの忌まわしいことを思い出させるのですか?」
ーあなたは、間違って、生きたまま埋葬されたのでしたね。
 「ええ。でも無理もなかったのです。というのも、あらゆる兆候から、本当に死んでいるように見えたのですから。体も、完全に血の気を失っていました。実は、生まれる前からああなることに決まっていたのです。したがって、誰も悪くないのです」
ーこうして質問がぶしつけであれば、中止致しますが。
 「続けて結構ですよ」
ーあなたが、現在、幸福かどうかを知りたいのです。というのも、生前、立派な方として多くの人に尊敬されていたからです。
 「ありがとうございます。どうか、私の為に祈ってください。
 では、答えることに致しましょう。精一杯、頑張るつもりですが、上手くいかなかった場合には、あなたの指導霊達が補ってくださることでしょう」
ー生きて埋葬されるというのは、どんな気持ちがするものですか?
 「ああ、本当に苦しいものですよ。棺に閉じ込められて埋葬される!考えてもみてください。真っ暗で、起き上がることも、助けを呼ぶことも出来ない。声を出しても、誰にも届かないのです。そして、直ぐに呼吸も苦しくなってくる・・・。空気がなくなるのです・・・。何という拷問でしょう!こんなことは、他の誰にも体験させたくありません。
 冷酷で残念な人生には、冷酷で残忍な処罰が待っているということなのです・・・。私が何を考えてこんなことを言っているかということは、どうか聞かないでください。ただ、過去を振り返り、未来を漠然とかいま見ているのです」
ー「冷酷な人生には冷酷な処罰が下される」と仰いましたね。しかし、生前のあなたの評判は素晴らしいものだったではないですか。とてもそんなことは考えられません。もし可能なら、ご説明頂けませんか?
 「人間の生命は永遠に続いているのですよ。
 確かに、私は、今回の人生では、善き振る舞いを心掛けました。しかし、それは生まれる間に立てた目標だったのです。
 ああ、どうしても、私の辛い過去について話さなくてはならないのでしょうか?私の過去は、私と高級霊しか知らないのですが・・・。
 どうしても話せというのなら、仕方がない、お話しましょう。私は、実は、今回よりも一つ前の転生において、妻を生きたまま狭い地下倉に閉じ込めて殺したことがあるのです。その為に、今回の人生で、同じ状況を引き受けたということなのです。[目には目を、歯には歯を]ということです」
ーご質問にお答えくださり、本当に有り難うございました。今回の人生に免じて、過去の罪を許してくださるように、神にお祈り致しましょう。
 「また来ます。エラスト霊がもう少し説明したいようです」

 霊媒の指導霊であるエラストからのメッセージ:「このケースから引き出すべき教訓は、『地上における全ての人生が相互に関連している』ということでしょう。心配、悩み、苦労といったものは、全て、まずいことを行った、或は、正しく過ごさなかった過去世の結果であると言えるのです。
 しかし、これは言っておかなければなりませんが、このアントニオ・B氏のような、ああした亡くなり方は、そんなに多く見られるわけではありません。彼が、何一つ非難すべきことのない人生を終えるにあたって、ああいう死に方を選んだのは、死後の迷いの時期を短縮して、なるべく早く、高い世界に還る為だったのです。
 事実、彼の犯した恐るべき罰を償う為の、混乱と苦しみの期間を経た後に、初めて彼は許され、より高い世界に昇っていくことが出来たのです。そして、そこで、彼を待っている犠牲者ーつまり、奥さんのことですがーと再会を果たしたのです。奥さんは、既に彼のことは随分前から許しています。
 ですから、どうかこの残酷な例によく学んで、あなた方の肉体的な苦しみ、精神的な苦しみ、さらには人生のあらゆる細々とした苦しみを、辛抱強く耐え忍ぶようにしてください」
ーこうした処罰の例から、人類はどんな教訓を引き出せばよいのでしょうか?
 「処罰は、人類全体を進化させる為に行われるのではなくて、あくまでも、罪を犯した個人を罰する為に行われるのです。実際、人類全体は、個人個人が苦しむこととは何の関係もありません。罰は、過ちに対して向けられるものだからです。
 どうして狂人がいるのか?どうして愚かな人間が存在するのか?どうして、死に際して、生きることも死ぬことも出来ずに、長い間断末魔の苦しみに晒される人がいるのか?
 どうか、私の言うことを信じ、神の意志を尊重し、あらゆることに神の思いを見るようにしてください。よろしいですか?神は正義です。そして、全てのことを、正義に基づいて、過つことなくなさるのです」

 この例から、我々は、偉大な、そして恐るべき教訓を引き出すことが出来る。それは、「神の正義は、一つの例外もなく、必ず罪人に裁きを下す」ということである。
 その時期が遅れることはあっても、断罪を免れるということは有り得ない。大犯罪人達が、時には地上の財物への執着を放棄して、心静かに晩年を送っていたとしても、償いの時は、遅かれ早かれ、必ずやってくるということなのだ。
 この種の罰は、現実にこうして目の前に見せられることで納得出来るものとなるが、それだけではなくて、完全な論理性を備えているが故に、また理解し易くもあるのだと言えよう。理性に適ったものであるが故に信じることが出来るのだ。
 尊敬すべき立派な人生を送ったからといって、それだけで全てを償うことが出来、厳しい試練を免れることが出来るとは限らない。償いを完全に果たす為には、ある種の過酷な試練を自ら選び、受け入れなければならないこともあるのだ。それらは、いわば、借金の端数であって、それらをしっかり払い切ってこそ、進歩という結果が得られるのである。
 過去幾世紀にもわたって、最も教養のある、最も身分の高い人々が、正視に堪えない残虐な行為を繰り返してきた。数多くの王達が、同胞の命を弄び、権力をふるって無辜の民を虐殺してきた。
 今日、我々と共に生きている人間の中に、こうした過去を清算しなければならない人々が沢山いたとしても、何の不思議があるだろうか?個別の事故で亡くなったり、大きな災害に巻き込まれて亡くなったりと、数多くの人々が亡くなっているのも、別に不思議なことではないのかもしれない。
 中世、そして、その後の数世紀の間に、独裁政治、狂信、無知、傲慢、偏見等が原因で、数多くの罪が犯された。それらは、現在そして未来への膨大な量の借金となっているはずである。それらは、いずれにしても返されなければならない。
 多くの不幸が不当なものに見えるのは、今という瞬間しか視野に入らないからなのである。

パリの近郊に住んでいた家具製造業者のレティル氏は、1864年4月に、大変悲惨な死に方をした。
 沸騰していたニスの釜に引火し、そのニスがレティル氏の上にまともにこぼれかかってきたのである。氏は一瞬のうちに炎に包まれた。作業場には、氏以外に一人だけ見習い工がいたが、氏はその見習い工に支えられて、二百メートル程離れた自宅に帰り着いた。すぐに応急手当がなされたが、体は焼けただれ、まるでぼろ布のようになっていた。体の一部の骨と、顔面の骨が露出していた。
 その恐るべき状態で、死の瞬間まで、全く意識を正常に保ったまま、仕事の指示をあれこれ出しながら、氏は十二時間の間生き続けた。この酷い苦しみの間、氏は、一言も弱音を吐かず、「苦しい」とも「痛い」とも言わず、最後は神に祈りながら亡くなった。
 柔和で思いやりのある、立派な人であった。氏を知る人々は、皆、氏を愛し、尊敬していた。霊実在論を熱烈に支持していたが、あまり熟考を重ねるタイプではなく、また、自分自身、霊媒の資質を持っていたので、数多くの霊現象に見舞われ、危うく翻弄されそうになったこともある。しかし、最後まで霊実在論の信仰を捨てなかった。霊達の言うことを信じる点においては、少々行き過ぎもあるのではないかと思われる程であった。

 死後数日してから、1864年4月29日に、パリ霊実在主義協会で招霊された。まだ事故の生々しさが記憶から消えていなかったが、そうした状況で、次のようなメッセージが送られてきた。

 「 悲しみに襲われています。あの悲劇的な事故による恐怖がまだ消えておらず、未だに死刑執行人が振り上げた刀の下にいるような気がします。
 ああ、何という苦しみだったでしょう!まだ震えが止まりません。焼かれた肉の酷い臭いが、まだ周りに漂っているような気がします。十二時間にも及んだ断末魔の苦しみ!罪ある霊にとって、何という試練だったことでしょう。それでも、一言も弱音を吐かず、苦しみに耐えたのです。それをご覧になった神は、きっと罪を許してくださることでしょう。
 愛する妻よ、どうか泣かないでおくれ。苦しみは治まりつつあります。実際にはもう苦しんでいません。記憶が現実をつくり出しているように思われるだけなのです。
 霊実在論に関する私の知識が非常に役に立ちました。もし、この尊い知識がなかったら、未だに私は、死んだ時の錯乱から抜け出せていなかったでしょう。
 しかし、最後の息を引き取って以来、ずっと側に付いてくれている存在があります。今では、すぐ側にいるのが見えます。最初は、苦しみのあまり錯乱して、幻覚を見ているのではないかと思っていましたが・・・。そうではなく、それは私の守護霊だったのです。静かに、優しく私を見守り、直接、心に語りかけて慰めてくれます。
 私が地上から去るや否や、彼はこう語りかけてきました。
 『さあ、こちらにいらっしゃい。朝がやってきたのですよ』
 呼吸が随分楽になり、まるで悪夢から抜け出したかのようでした。
 私は、私に尽くしてくれた愛する妻のこと、そして、かの健気な子供のことを語りました。すると、守護霊は言いました。
 『彼らは全員まだ地上にいて、あなたはこうして霊界にいます』
 私は元いた家を探しました。守護霊が付き添って、連れて行ってくれました。みんなが涙に掻き暮れているのが見えました。私が去ったばかりの家の中は、全てが喪の悲しみに浸されていました。
 あまりの辛さに、その光景を見続けることが出来ず、私は守護霊に言いました。
 『もうこれ以上、耐えられません。さあ、行きましょう』
 『そうですね。そうしましょう。そして暫く休みましょう』と守護霊は言いました。
 それから、私の苦しみは安らぎました。悲しみに暮れている、私の妻と友人達の姿さえ見えなければ、殆ど幸福だと言ってもいいくらいでした。
 守護霊が、どうして私があれほど苦痛に満ちた死に方をしなければならなかったのかを教えてくれましたので、それを、これから、あなた方の後学の為に語ってみましょう。
 今から二世紀程前、私は、若い娘を火刑台で死刑にしました。年の頃は十三歳、当然のことですが、純真で無実の娘でした。一体いかなる罪を着せたのでしょうか?
 ああ、教会に対する陰謀の共犯者として彼女を捕らえたのです。私はイタリア人で、異端審問官だったのです。死刑執行人達は、汚らわしいと言って、娘の遺体に触ろうとさえしませんでした。私自身、審問官であり、且つまた死刑執行人でもありました。
 ああ、正義、神の正義は偉大なり!私はその神の正義に従って、今回の惨事を耐え忍んだのです。私は、『人生最後の苦しみとの戦いの日に、一言も弱音を吐かない』と誓い、それを守り通しました。私は黙ってじっと耐え、そして、おお、神よ、あなたはそれをご覧になって私を許された!
 あの哀れな娘、無実の犠牲者の思い出は、いつ私の記憶から消えるのでしょうか?その思い出が私を苦しめるのです。それが完全に消える為には、彼女が私を許す必要があるのですね。
 ああ、新たな理論、霊実在論を信じる子供達よ、あなた方はよくこう言います。『私達は、過去の転生でやったことを覚えていない。もしそれを覚えていれば、用心して、数多くの過ちを避けることが出来るのに』と。
 しかし、神に感謝しなさい。もしあなた方が過去世での記憶を保持していたとしたら、地上において、一瞬たりとも安らぎを感じることが出来なくなるのですよ。悔恨や恥の思いに絶えず付きまとわれたとしたら、ほんの一瞬でも心の安らぎを感じられると思いますか?
 したがって、忘却とは恩寵なのです。記憶こそが、霊界では拷問なのですよ。
 もう何日かすれば、苦しみに耐えた私の我慢強さに対する報いとして、神は、私から、過ちの記憶を消してくださるでしょう。それこそが、守護霊が私にしてくれた約束なのです」

 今回の転生で、レティル氏が示した性格の特徴を見れば、氏がどれほど進化した魂であるかが分かるだろう。彼の生き方は、彼の悔い改め、そしてそれに伴う決意の結果であったのである。
 しかし、それだけではまだ充分ではなかった。さらに、彼が他者に経験させたことを、自ら実際に経験する必要があったのである。そして、その恐るべき状況において耐え忍ぶということが、彼にとって最も大きな試練となった。しかし、幸いなことに、氏はそれを何とか乗り切った。
 霊実在論を知ることによって、死後の世界への確信が生まれたことが、氏の勇気の源泉となったことは間違いない。「人生上の苦しみは、試練であり、償いである」ということを知っていた為に、弱音を吐かずに素直に受け入れることが出来たのである。

1863年8月9日、ル・アーヴルにて。
 この霊は、霊媒がその生前の存在も名前も知らないのに、自発的にコンタクトをとってきた。

 「私は神の善意を信じています。神は、我が哀れな霊に慈悲をかけてくださることでしょう。
 私は苦しみました、本当に苦しみました。私は海難事故で死んだのですが、私の霊は肉体に執着し、いつまでも波の上を彷徨っていたのです。
 神・・・・」 

 ここで、一旦霊示が途切れたが、翌日、続けて次のようなメッセージが降ろされた。

 「神のお陰で、私が地上に残してきた人々が、私の為にお祈りをしてくださり、その力を得て、私は困惑と混乱から救い出されました。彼らは長い間私を探し続け、ついに私の遺体を発見しました。私の遺体は葬られ、私の霊はようやく肉体から離脱し、地上で犯した過ちを見つめることになりました。試練を通過した私は、神によって正当に判断され、その善意が、悔い改める心に降り注ぐのを感じています。
 私の霊は随分長い間肉体の側を彷徨っておりましたが、それは私が償いをする必要があったからです。
 もし、死んだ時に、あなたの体から霊を直ちに分離させたいのだったら、どうか、真っすぐな道を歩んでください。神を愛して生きるのです。祈るのです。そうすれば、ある人々にとっては恐るべきものである死も、あなた方にとっては優しいものとなるでしょう。というのも、あなた方は、死後にあなた方を待っている生活がいかなるものであるかを、既に知っているからです。
 私は海で死にましたが、家族は長い間私を待ち続けました。私はなかなか肉体から離れることが出来ませんでしたが、それは私にとって本当に恐ろしい試練でした。
 そういうわけで、私にとってはあなた方の祈りが必要なのです。信仰によって他者を救う力を身につけたあなた方の祈りが・・・、まさに私の為に神に祈ることの出来るあなた方の祈りが・・・。
 私は悔い改めています。ですから、神が私を許してくださるだろうと思えるようになりました。
 私の遺体が発見されたのは八月六日です。私は哀れな船乗りです。随分前に遭難しました。
 どうか、私の為に祈ってください」
ーどこで発見されたのですか?
 「この近くです」

 1863年8月11日の「ル・アーヴル新聞」には次のような記事が載った。当然のことだが、霊が降りてきた日には、霊媒はこの記事を知り得るはずもなかった。

 「今月の六日に、ブレヴィルとアーヴルの間の海域で、人体の一部が発見された。この遺体は、頭と両腕を欠いていたが、両足に履いていた靴によって身元が確認されたるそれは、アレルト号に乗っていて、昨年の十二月、波にさらわれて死亡したラヴィックであった。ラヴィックは、カレ生まれ、享年四十九歳であった。残された妻によって身元が確認された」

 この霊が九日に最初に出現したサークルで、八月十二日、メンバーがこの事件について話をしていると、ラヴィックが再び自発的に降りてきて次のようなメッセージを送ってきた。

 「私はパスカル・ラヴィックです。あなた方のお祈りを必要としています。どうかご支援をお願い致します。というのも、私が受けている試練は恐るべきものだからです。
 私の霊と肉体の分離は、私が自らの過ちに気づくまで行われませんでした。しかも、全面的に分離が完成したわけではなかったのです。私の霊は、肉体をのみ込んだ海の上を漂っておりました。
 神が私を許してくださるよう、どうかお祈りをお願いいたします。神に祈って、私を休息させてくださるようお願いしてください。どうかお願い申し上げます。
 『地上で不幸な人生を送った者が、どのように悲惨な最期を遂げることになるか』(注)ということは、あなた方にとって本当に大事な教訓となるでしょう。死後の世界のことに思いを馳せ、神に慈悲を乞うことを忘れてはなりません。
 私の為に、どうか祈ってください。私には神の哀れみが必要なのです」

 (注 ここで言う「不幸な人生」とは、「後に悔い改めを必要とするような心境で生きた人生」という意味)

バヴィエールの村で、1850年、「マックス親父」という名で親しまれていた百歳近い乞食が亡くなった。
 彼の出身地を正確に知っている人は誰もいなかった。彼は天涯孤独だった。体が不自由だった為、まともな仕事をすることが出来なかったので、物乞いをして生活していたが、時には、万用暦や細々としたものを農場やお城に売りに行くこともあった。
 時に「マックス伯爵」というあだ名で呼ばれ、子供達からは「伯爵様」と呼ばれていたが、気を悪くするということはなかった。どうして、そう呼ばれていたのかは、誰も知らなかった。とにかく、それが習慣になっていたのだ。おそらく、彼の顔立ちや立ち居振る舞いのせいではなかっただろうか。それらは、身にまとっているボロとは対照的であった。

 死後数年して、彼がよく世話になっていたお城の、ある若い娘の夢の中に出てきて、次のように語った。

「この哀れなマックス親父のことを思い出してくださり、そして、祈ってくださり、本当にありがとうございました。お祈りは神様に聞き届けられました。あなたは、慈悲深い魂として、不幸な、この乞食に関心を抱いてくださり、私が一体何者なのかを知りたいと思われた。そこで、これから、そのことについてお話いたしましょう。きっと、貴重な教訓を、そこから学べるものと思います」

 こう前置きした上で、彼は、おおよそ次のようなことを語ったという。

「今から一世紀半程前、私は、この地方の裕福で強大な貴族でした。しかし、浅薄で傲慢、かつ、大変自惚れていたのです。
 私は莫大な財産を持っていましたが、それを自分の欲望を遂げる為だけに使いました。しかし、いくら財産があっても足りなかったのです。というのも、私は、しょっちゅう博打を打ち、放蕩と宴会に明け暮れていたからです。
 家臣達のことを、私に仕える家畜同様に思っており、私の浪費癖を満たす為に、搾り取り、虐待いたしました。彼らの言うことには一切耳を傾けずー不幸な人々の訴えにも耳を貸しませんでしたがー、『私の気まぐれに奉仕出来るだけでも、ありがたいと感謝しなければならないのだ』と思い込んでいました。
 やがて、私は、過度の放蕩から体を壊し、それほど年が行かぬうちに死にましたが、不幸だと思ったことは一度もありませんでした。それどころか、『あらゆるものが私に微笑みかけている』と思っていたのです。『あらゆる人が、私を、世界で一番幸福な人間だと思っているに違いない』と考えていました。
 葬儀は、私の身分に相応しく、大変豪華に行われました。
 遊び人達は、気前のいい殿様がいなくなったことを残念がっていましたが、私の墓の前で、一滴も涙を流す人はいませんでしたし、神に心からのお祈りをしてくれる人も、一人もいませんでした。
 私のせいで悲惨な生活をする羽目になった人々は、全員、私を呪いました。
 ああ、自分が不幸にした人々の呪いが、死後、どれほど恐ろしいものになるか、あなた方には、到底分からないでしょう!彼らの呪いの声が私の耳を捉えて放さず、それが何年も何年も続き、やがて、『永遠に続くのではないか』と思われてくるのです。
 しかも、彼らのうちの誰かが死ねば、次々と、必ず私の前に姿を現し、呪詛の言葉、嘲笑の言葉を吐きながら、いつまでも私に付きまとうのです。逃げ隠れ出来る場所を探すのですが、決して見つかりません。優しい眼差しをした人は一人もいないのです。
 かつての遊び仲間が死ぬと、私同様不幸となり、私を避けようとします。言うことときたら、たった一つ、『もう奢ってくれないのかね!』という言葉だけです。
 ああ、ほんの1秒でもいいから休息する為なら、そして、私をさいなむ激しい喉の渇きを癒す為なら、いくらでも払うでしょう。しかし、私はもう、びた一文も持っていないのです。
 そして、私がばらまき続けた黄金は、ただの一つも功徳をつくっていなかったのです。いいですか!ただの一つもですよ!
 歩いても歩いても、旅の目的地が見えてこない旅人のように、疲れ果て、精も根も尽きて、私はついに言いました。
 『ああ、神よ、私を哀れんでください。いつになったら、この酷い状態が終わるのでしょうか?』
 すると、地上を去って以来、初めて、次のような声が聞こえてきました。
 『いつでも、汝が望む時に』
 『神よ、その為には、どうすればいいのですか?どうぞ教えてください。その為ならば、私は何でもいたします』
 『その為には、悔い改めることが必要である。汝が辱めた、全ての人に対し、心から謝るのだ。そして、彼らに対して、とりなしをしてくれるようにお願いしなさい。というのも、侮辱を受けた人々が、それを許す気持ちになって自分を侮辱した者の為に祈った時、神はそれをよしとするからなのだ』
 私は、悔い改め、謝り、私の家臣達に、私の目の前にいる家来達に、お願いしました。すると、彼らの表情が、どんどん和らぎ、優しくなり、そして、ついには、全員が私の目の前から消えていったのです。
 この時、ようやく私の新たな生活が始まりました。絶望が希望に変わったのです。私は全身全霊で神に感謝しました。
 すると、声が次のように言いました。
 『王よ!ようやく分かりましたね』
 そこで、私はこう答えました。
 『ここで王と呼べるのは、全能の神よ、あなただけです。あなたは、思い上がった者達の間違いを正してくださる。
 主よ、どうか私をお許しください。私は罪を犯しました。もし、それが主の望まれることならば、私の仕えた者達に私を仕えさせてください』
 その後、数年してから、私は再び地上に生まれました。ただし、今度は、貧しい村人の子供としてでした。幼い頃、両親が亡くなり、私は天涯孤独の孤児として、世の中に投げ出されました。私は、とにかく自分に出来ることをして生き延びました。ある時は人足として、またある時は農場の使い走りとして。しかし、今回は、神を信じていましたので、いつも正直に働きました。
 四十歳の時に、病気になり、手足が動かなくなってしまいました。その為、それから五十年以上にわたって、かつて自分が『絶対君主』として治めた土地で、乞食として過ごすことになったのです。
 かつて私が所有していた農場で、一切れのパンを貰いーそこでは、人々が、私を馬鹿にして『伯爵』と呼んでいましたがー、かつては私のものだったお城で、馬小屋に一晩でも泊めてもらうことが出来ると、もう、嬉しくて仕方がなかったものです。
 夢の中で、かつて暴君として君臨していた城の中を歩き回りました。夢の中で、何度も何度も、きらびやかな家具に囲まれた、かつての自分を見たのです。そして、目が覚めると、言いようのない、侘しい気持ちになり、後悔にさいなまれたものです。しかし、一言も不平は漏らしませんでした。
 そして、ついに神に召される時が来ました。私は、この長く辛い試練を、不平不満を一言も言うことなく耐える勇気を与えてくださった神に対して、心からの感謝を捧げたものです。そして、現在、苦しかった人生に対する報いを充分に受けています。
 娘さん、私の為に祈ってくださって本当にありがとう。あなたを祝福します」

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