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カテゴリ:★『私の霊界紀行』 > スカルソープ 霊界の様子

スカルソープ 霊界の様子 目次

訳者まえがき

そもそものきっかけ

霊能育成会に参加

ついに肉体を離れる

二度目の体験

霊的法則を知らなかった為の失敗

霊界の妻と再会

中国人の指導霊

幻覚でないことの証

その他の体験

幽体離脱のコツ

睡眠と死の共通点と相違点

記憶がこしらえる世界

無知の報い

哀れな同胞達

喧嘩ばかりしている霊

冷酷な指導者の末路

隙を狙う邪霊達

波長の調節が鍵

界と界との境界

人を騙して喜ぶ霊達

地上とよく似た世界

妻とともに

霊界の私の家と店

娘とともに

霊界の博物館

母の来訪

スピリチュアリストの集会所

グレンジャー通り

霊界でのドライブ

霊界でのショッピング

霊界での憑依現象

『死』のバイブレーション

『常夏の国』のハイカラ族

霊界の病院

霊界の動物達

戦争による中断

上層界の単純素朴さ

神の公正

自由意志の問題

時間の問題

霊の望遠鏡視力

もう一つの自分との対面

霊界での乗馬

肉体と幽体との相関関係

自殺ダメ



 スカルソープ氏は地味な霊能者である。経験年数から言うと既に三十年近くになるが、派手な活動をせず、著書も本書の続編が一冊あるだけで、コツコツと体験を積み重ねながら、常に修養を第一に心掛けている真摯な学徒という印象を受ける。
 本当は全ての霊能者がそうあらねばならないのである。ところが、これは世界どの国の霊能者にも言えることであるが、霊能が出始めると何となく偉くなったような錯覚を抱き、周りの者にもてはやされるとその錯覚を一段とエスカレートさせ、ご大層なことを言い出し、法外な金銭を取り出す霊能者が多過ぎるのである。
 そうした中でスカルソープ氏は初心を忘れない極めて貴重な存在であり、そうした性格や生活信条は本書の随所に現れている。私が是非とも本書を翻訳して紹介したいと思った理由もそこにある。
 そうした特質は取りも直さず守護霊を中心とする背後霊団の霊格が高いことの指標であり、そのことは更に、シルバーバーチ霊や『ベールの彼方の生活』のアーネル霊、『霊訓』のイムペレーター霊が指摘している地球規模の霊的大事業の一翼を担っていることを想像させる。
 その地味なスカルソープ氏が霊界旅行から持ち帰った情報は、しかし、読む者の殆どが〝まさか!〟と思わずにいられないであろうと想像される驚異的なことばかりである。現実離れがしているという意味ではない。逆に、あまりに現実的過ぎるのである。霊界での生活ぶりがあまりに地上とよく似過ぎているのである。
 現実的過ぎる-だからおかしい、というのが大方の読者の第一印象であろう。そう思われる気持は私に分からないでもない。しかし、多くの霊界通信を読み、かつ翻訳してきた一人として私は、そうした印象を抱くということ自体が地上人類の意識的レベルの指標であると言いたいのである。それは丁度コペルニクスの地動説が当時の人によって信じてもらえず、あまつさえ、その支持を表明したガリレイが神を冒涜する者として宗教裁判にかけられたという歴史的事実が当時の意識的レベルの指標であったのと同じである。
 もっとも、現実味溢れる霊界事情を実感をもって理解するというのは多分地上にいる限り無理であろう。と言うのは、正直言って私は、我々が生活している地球が丸いこと、しかもそれがクルクルと自転しながら太陽のまわりを公転しているという事実が未だに実感をもって信じることが出来ない。その地球の公転のスピードが秒速30キロというに至っては、絶対に信じられない。おそらく轟音を轟かせながらであろうと想像されるが、それが一向に聞こえず身体に響いてこないのも不思議でならない。
 それと同じで、地表にへばりついて生きている我々人間にとって、本書で語られているような霊界体験は、まさか?と思いたくなるようなことが多いことと思われるが、私がこれまで三十年余りにわたって調査・研究し体験してきたことから偏見なしに判断して、スカルソープ氏が報告してくれている情報は、宗教的偏見も脚色ない、あるがままの霊界の現実であると断言出来る。
 そう断言出来る根拠を今ここで披瀝する余裕はない。それは1848年の心霊研究の発端にまで遡(さかのぼ)り、今日までの百数十年の間のスピリチュアリズムの歩みを辿らねばならない大仕事となる。その間に夥(おびただ)しい数の霊界通信が入手され、かつ又、A・J・デービスに代表される霊界旅行体験者によっても、信頼に値する知識が持ち帰られている。
 では、幽体離脱とはいかなる現象か-これを本格的に論ずれば一冊の書物にもなるが、幸い本書にはカール・ミュラー博士の解説がついている。概略を知る上では十分であり、内容的にもスピリチュアリズムの知識に裏打ちされたオーソドックスなものとなっている。
 ご自分で密かに同種の体験をされてる方は、スカルソープ氏の体験を読まれて、それが決して妄想でも幻覚でもない-したがって自分が異常者でないことを知って安心なさることになるであろう。
 又一方には半信半疑ながらも興味をそそられ、次の段階の勉強に進まれる方もいるであろう。願わくば是非そうあって欲しいというのが私の切なる気持であるが、他方には全てを他愛ないオトギ話として一蹴される方もいるであろう。
 そうした方に一言だけ申し上げておきたいのは、当たり前のように思っているこの地上環境を構成している物質について、現代の最先端を行く科学者ですら、まだ、その本質を捉え切れずにいるという事実を忘れないで頂きたいということである。

           近藤千雄  昭和六十二年

二十年あまりにわたる私の意識的な体外遊離体験について語る前に、一体こうした奇妙な体験がどういうきっかけで始まり、そして全開するにいたったかを述べておく必要があろう。その背景の説明はこの種の超能力を信じる者はもとより、懐疑的な態度をもっている人にとっても興味があろうし、大勢の人にとって参考になるものと考えるのである。と言うのも、実は体外遊離体験は想像されている程珍しいものではないのであるが、予備知識なしに体験した人はびっくりし、さらには、愚かにも自分が精神的におかしくなったのではないかという恐怖心を抱くケースがしばしばあるのである。
 多分私の場合は好条件が揃っていて、言わば、気がついたらその能力が開発されていたと言える。従ってこれについて合理的な解説は何一つ出来ない。1934年に妻が他界するまで私は大半の人間と同じように『死後の生活』或は『霊』については全く無知だった。幸せな結婚生活を送っていただけに妻の死は大きな打撃だった。妻は二人の子供と店を残していった。が、店は何とか私一人で切り盛り出来たし、子供の方もその後私のおばが来てくれたので、十分な世話をしてやることが出来た。
 妻の死後も近くの図書館から幅広い分野の本を借りて思索の糧としていた。私の好きな著者の一人にオリバー・ロッジがいた。科学者であり、当時の英国学術協会の会長でもあり、私は電気及び電磁波の実験に興味を持っていた。ところがある日のこと、図書館で同じロッジの著書で『なぜ私は死後の個性存続を信じるか』という題の本を見つけたのである。
 私は驚いた。科学的実験法に徹し、一つの事柄について各種の実験をし、その結果が全て一致しない限り満足しないロッジ博士がこんな分野のことについても本を書いていることに驚いたのである。私は博士がいかにして『霊魂不滅』をテストしているかに興味を抱いて読んだ。その結果分かったことは、この問題についても科学者ロッジは永年にわたって証拠を募集しており、同時に普通では考えつかないような入念な実験を重ねていたということだった。その実験結果はロッジにとって決定的なものだったし、霊魂不滅は証明されたと信じたのだった。
 その決定的証拠は他界した人間の姿を見たり、霊界と地上との連絡を取り次ぎ出来る『霊媒』と呼ばれる人間を通じて得られていた。私はこの分野についてさらに多くの本を読む決意をした。そして分かったことは、霊魂不滅を扱った文献は実に莫大な量にのぼるということだった。
 同時に私は、霊魂の存在を否定し死後の存続や死者との通信をまやかしとする人達の本も読んでみた。しかし、そうした否定派の著者は肯定派の著者程その研究に用意周到さがなく、大抵は他人のしていることについて単なる個人としての意見や批判を述べているに過ぎないことが分かった。そこで私は、私独自の研究をして、出来ることなら自分の手でそのどちらが正しいかの決着をつけたいと考えたのである。
 そこでまず出向いたのがS・A・G・Bだった。(Spiritualist Association of Great Britain スピリチュアリストすなわち死後の個性存続を信じる人達の為の総合的施設で、現在も存在し二十名程の霊媒が常駐して相談にのっている)
 紹介された霊媒はヘレン・スピアーズという女性霊媒で、霊視能力者だった。女史に案内された部屋は小さいが日当りのいい部屋で、肘掛け椅子が二つ置いてあった。二人が腰掛けると、まず女史の方から私に、これまでにもこうした体験があるかどうかの質問があった。私が今回が始めてであることを告げると女史は怪訝な顔をしながら、「じゃ、いきなり大きい成果は期待なさらない方がいいでしょうね」と言った。
 それまでに私が読んだ本の中に、霊媒というのはいかにも他界した身内の霊が語っているかに見せかける為、出席者から上手いこと情報を『聞き出す』コツを心得ているから用心するように書いたものが何冊かあった。そこで私は、自分だけは絶対にその手に引っ掛からないように、それらしい質問には牡蠣のように口を閉ざして答えまいと決心していた。一つの予防策として、その場で二人の口から出たものは全てノートに書き留めることにした。
 間もなくスピアーズ婦人が、一人の女性の姿が見えます。あなたの奥さんです、と言ってその容姿を述べ始めた。叙述は正確だった。が、私は黙っていた。夫人はなおも叙述を続け、身体の特徴、表情、それに私の日常生活と妻の死後三ヶ月間の出来事を述べた。(奥さんがテレパシーで伝達したものを婦人が受け取って述べている)
 私は黙々と書き留め、時折確認の為の質問をしたが、それも間髪を入れず正確な返事が返ってきた。妻は自分の死後の二人の子供の様子を述べ、私しか知らないはずのその後の家庭内の出来事や部屋の模様変えについても語った。後に残した親戚と、霊界で再会した親戚の話もした。
 私にとってそれが妻であることを疑う余地はなかった。妻は自分の存続を示す為に私が要求する証拠を全て用意してくれていた。私は与えられた一時間をフルに使って書き留めた。霊媒はその仲立ちをすることで満足している様子で、私のノートが余白が無くなった後もなお叙述を続けた。そのうち時間切れを告げるノックがした。
 その交霊会は私にとって極めて満足のいくものであり、多くの思索の糧を与えてくれた。そして、いよいよ二人揃って部屋を出る時、スピアーズ夫人が私にこう言ったのである。
 「あなたもご自分で試してみられてはいかがですか。私の姿をご覧になるのと同じくらい鮮明に奥さんの姿が見えると思いますよ」

私も霊能者になれるー少なくとも個人的な目的の為にーという意味なのだろうか。いつかは私自身の霊視能力で妻を『見る』ことが出来るようになるのだろうか。実際にはそれ以上に劇的な体験をすることになるのであるが、その霊媒の述べたことは全て正確だった。
 ともかく私はある『霊媒養成会』 に参加することになった。週に一度集まって、潜在している霊能を開発する為の訓練をするサークル活動である。そうした会で心霊能力を開発している人の数は驚く程多く、また養成法の指導書も実に多く出版されている。当然のことながら優れた霊能者が指導するサークルに参加するのが一番望ましい。
 そのサークルにきちんと出席するうちに、これなら今までにも瞬間的に体験したことがあるぞという自覚を覚えて、自分の可能性に自信が湧いてきた。その後さらに、そうしたサークル活動とは別に、自宅で肘掛け椅子でゆっくりと寛いでいる時の方がさらに好い結果を生むことが分かってきた。それが次第に霊界との自然でしかも素敵なコンタクトへと導いていき、それが私にとって何ものにも代え難い、内的な幸福感と満足感とを与えてくれることになった。『幸いなるかな悲しむ者、その人は慰めを得ん』という聖書の言葉が私において現実となったのである。
 初期の頃はベッドに入って完全に寛いでいる時などに私の背後霊の姿を見るようになった。そして寝入ってからまるで実際の体験のように思える鮮明な夢を見るようになった。
 私は真剣に求める者は必ず睡眠中に霊的体験を得させてもらえると信じている。日中の物的精神の習性が霊的精神に反映するのである。つまり物的精神の殻を破って霊的真理を求めようとする精神活動が霊的精神にも同じ活動を生むのである。このことを私の背後霊は後に『黄金の粒を探し求めるようなもの』と表現したが、まさにその通りである。かくして人間側が真剣に求めようとすることが背後霊の働きかけを容易にするのである。
 そのうち、ある日のこと、肘掛け椅子に座って何かを霊視してみたいと思っているうちに、私の身体が大きな霊の腕に抱かれるような感じがした。私を抱いたその霊は空中高く上昇し、中空に止まってからこう言ったー『あなたはなぜそう霊視したがるのですか。なぜ霊の声を聞きたがるのですか。なぜ物質化現象を見たがるのですか。あなたにはそんなものよりはるかに素敵な能力があるのですよ!』そう言い終わるなり、椅子に戻された。
 この体験は強烈だった。私の背後にそれほどの溢れんばかりの愛情をもった霊がいてくれていることが私の想像を超えたものだったからである。私は物質化現象よりも素敵な霊的体験とは一体何がありうるだろうかと考えた。その回答は間もなく与えられることになる。『霊界旅行』が始まったのである。

それから数ヶ月ーそれが私には随分永く感じられたがーベッドに入った後で思い切り受け身の状態に入る練習をし、ついに私は肉体的感覚が消えた後の、覚醒状態と睡眠状態とのギリギリの接点で少しの間意識を保っておくことが出来るようにまでなった。時には宙に浮いているように思えることがあったが、その状態では体重が感じられないので、多分、自分の想像に過ぎないと考えていた。
 ところがある夜のこと、それが現実となった。自分が上昇していくのがはっきり感じられたのである。内心では興奮しながらも、折角の体験を台無しにしたくないので、必死に受け身の精神状態を保とうと努めているうちに、嬉しいことに感覚が極度に鋭敏になり、側に背後霊の一人が存在するのが感じられるようになった。私自身は完全に受け身の状態で自分からどうしてみようという意図をもたなかったせいか、その動きは実にゆっくりとしていた。そのうち突如として私の肉体が激しく振動した。それはしばらくして止み、私は少しの間さらに上昇し続け、そして止まった。
 もう受け身の状態を止めてもいい頃と考えて辺りを見渡すと、私はある部屋のテーブルの後ろに立っていた。そのテーブルの前を若者が一列になって歩きながら私に微笑みかけている。全員が青い服を着ているように見え、私は一瞬、第一次大戦中に私が入院していた陸軍病院で着ていたのと同じ服だと思った。
 そのうち私の視力が良くなってくると、その青色は実に薄い霧状のもので、それが一人一人を包んでおり、皆それぞれの普段着を着ていることが分かった。全員が年の頃23歳程に見え、肌の色と目の色の完璧な鮮明さは息を呑む程だった。実に美しかった。
 私はもしかしたら自分は単に霊視しているにすぎないのかも知れないと思って辺りを見回すと、もう一人の青年がすぐ側に立っているのが分かった。笑顔を浮かべており、その人のオーラから友愛の情を感じ取ることが出来た。そして、これは霊視しているのではなく、私も同じ霊的次元にいること、従って私は今は霊的身体に宿っているに相違ないと思った。そう思うとわくわくしてきて、その状態で霊的なことをもっと知りたいという願望が最高潮に達してきた。霊に触ったら『固い』のだろうか。霊が自分の身体に触ったらどうだろうか。そんなことを知りたいと思ったが、果たしてどうすればよかろうか。
 まさかその青年達のところへ近づいて触ってみるのは失礼であろう。そこで私は一計を案じた。私のすぐ側に立っている霊の後ろをわざと身体に触れるように歩いて『あ、すみません』と、さりげなく言えばいいと思った。そして早速行動に移り、その霊に触れようとした瞬間、その霊の方が私の両手を捕まえて大声で笑い出した。私もつられて笑い出した。と言うのは、二人のオーラが交錯してお互いの心で考えていることが分かったからである。
 これが事実上、霊界の事情についての勉強の始まりであった。同じ次元ないし同じ波長の状態にあればお互いに『固い』と感じられること、心に思ったことが本を読むように読み取れるということがまず分かった。
 二人で笑っているうちに私は自分の身体が後退していくような感じを覚え始めた。私の気持ちは行きたくなかった。楽しかったからである。が身体の方が自分以外の力(背後霊)で肉体の方へ引き戻されているなと感じて、私は抵抗せずに成り行きにまかせた。その動きは穏やかで優しかった。しかも、実に自然に思えたのである。思うにこれは私と背後霊団との関係の親和性のせいであろう。動きが止まっている感じのまま何の感覚もなしに肉体の中へ入った。それから徐々に体重と寝具の軽い圧迫感を感じ始めた。
 その体験を思い返しながら部屋の暗闇を見つめているうちに、私の真上に、美しいデザインをした大きな黄金の線条細工が現れた。それは暫くの間その位置に留まっていて、やがて薄れながら消滅していった。
 その線条細工は天井全体を覆う程の大きさで、これは体験が上手くいった時の、言わば成功のシンボルだった。と言うのは、その後の霊界旅行の度に、上手くいった時は必ずそれが現れたからである。シンボルは白い大理石に彫られた浅浮き彫りであることがよくあった。私はそれをしみじみと観賞し、これは霊界で技術を磨きあげたかつての大彫刻家が彫ったのではなかろうかと考えたりした。
 遊離状態から戻ってきて暫くは、その間の霊的感覚が残っていて霊視能力が非常に強烈である。その為、肉体に戻ってからは、そのデザインが暗闇の中でも肉眼で鮮明に見えたのである。
 それが消えたすぐ後、もう私は、これから先さらにどんなものが見られるかと楽しみで仕方がなく、時にはその晩もう一度旅行出来ないものかと思ったりした。が、間もなく普段の眠りに落ちていた。その最初の霊界旅行は、短さのせいでもあるが、私が肉体から離れて一時間、すなわち幽体離脱ないし体外遊離現象の最初から終わりまで完全に通常意識を維持出来た唯一の体験である。

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