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恥の多い人生を送ってきました 管理人の人生 目次

人生、上手く進まないものだ・・・管理人の人生記

恥の多い人生を送ってきました(1)・・・・管理人の人生

恥の多い人生を送ってきました(2)・・・・管理人の人生

恥の多い人生を送ってきました(3)・・・・管理人の人生

恥の多い人生を送ってきました(4)・・・・管理人の人生

恥の多い人生を送ってきました(5)・・・・管理人の人生

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恥の多い人生を送ってきました(26)・・・・管理人の人生

恥の多い人生を送ってきました(27)・・・・管理人の人生

恥の多い人生を送ってきました(28)・・・・管理人の人生

 今日、ゲーセンに行ってきた。といっても、ゲームセンターに行くことが目的ではなかったのだ。床屋と無印良品のタオルを買おうと、隣町に出かけたら、その近くにゲームセンターがあったので、ついつい寄ってしまったんだ。
 二箇所のゲーセンに行きました。最初は、床屋の近くにあったゲーセン。そこにはエヴァンゲリオンのパチンコ台があって、以前、まだゲームセンターのパチンコをやり始めて三回目くらいに、その台で試しに100円入れてやったら、大爆発して、詳しくは知らないんだが、とにかく何度も大当たりした。その快感があったので、その後、そのゲームセンターの近くに来た時には、ほぼ必ず数百円はその台で遊んでいた。しかし、それ以来、パッタリと音沙汰なしなのだ。もう総額3000円位投入しているのに、なぜか一回も当らない。大当たりした時は、たった百円で何度も何度も大当たり、そして『確変』っていうのかな?そんな大当たりが、三度くらい連続で来たんだ。たったの百円だけで、一時間位、回っていたんだ。その台からはコインがジャラジャラ出てきていた。あとでコインの両替機を見たら、千数百円分のコインだった。
 しかし、今日もエヴァンゲリオンの台に総額700円位投入したのに、ただの一度も来なかった・・・・。
 また、次に無印良品に行った時に、その近くのゲーセンにも行ったんだ。そこでは、クレーンゲームをしました。ヌイグルミやお菓子のクレーンが10台位ありましたが、俺はヌイグルミは要らないので、お菓子のクレーンをしました。一つ200円相当のチョコレートが四枚、横に細長いビニールに入れられて固定された大物でした。別に特別欲しかったわけではなかったけど、せっかく来たんで、チャレンジしてみました。100円で取れれば、800円相当の品をゲット出来るので、700円得するよね。
 でも、結果は、1800円位投じて、ようやくゲットしました。超赤字です。俺は素人だから分からなかったが、それは上手い具合に、なかなか落ちないような土台の位置に置かれていて、ヘタクソな素人である俺は、何度も何度もチャレンジして、ようやくゲットしました。

 それから、何を思ったか、次にどでかい缶の箱のハッピーターンをゲットしようと思ってしまいました。それは、横25cm×縦25cm×高さ17cm位の四角い缶でした。結果は、2800円位投入して、ついに取れませんでした。ネットで調べると、それをたったの100円でゲットしたツワモノもいるようですが、俺は何度やっても、UFOキャッチャーの爪は虚しく缶の蓋の窪みをスルリと力なく撫でるだけでした。今思えば、その蓋の縁には、全ての缶と蓋の接合部にビニールテープが張ってあり、引っ掛けられずにツルリと滑るようになっていました。それを俺は途中で発見していたのですが、数回に一回の割合で、それでも数センチ持ち上がる時があったので、ついついアホな期待を抱いて、続けてしまったのでした。しかし、結果は、『ちょっとズレては、次にまた元の位置に戻る』の繰り返しでした。まったく、とんでもない大損をしてしまいました。

 つまり、パチンコとUFOキャッチャーのお金を合計すると、たったチョコレート四箱800円の利益のために、5500円位つかってしまいました・・・。

 まぁ、これも人生・・・。つまり、俺の人生のことです。皆さんも自殺したくなるほど人生が上手くいっていないのでしょうが、俺の人生も、全然順風満帆ではありません。それを、これからご紹介します。なんでわざわざ俺の人生記を紹介するのかって?人は、自分よりも下の人間を見ると、少しは慰められるものだから、皆さんに俺の人生を読んでもらって、下には下がいると思って安心してもらい、死にたい気持を消し去って欲しいからです。なんせ、俺よりもはるかに高いスペックの人物が人生に絶望して自殺しちゃっているんだから。自殺することなんてないのに。ただ、俺もその気持は分かる。何故なら、俺も頻繁に消えてしまいたい気持になるからね。とにかく、やり直せるのなら、もう一度小学生からやり直したい気持だよ。まぁ、それは絶対に無理だけどね。時を逆行することは不可能だから。だから、将来に不安を抱きながらも、今もなんとか生きてます。
 せめて、私の下らない人生を読んで、あなたの死にたい気持が少しでも和らげば、嬉しいです。

あ〜あ、書きたくねぇ・・・。クダラねぇ・・・。死にてぇ・・・。けど、霊的知識を得て自殺は駄目だと知ったので、なんとか生きてます。

 つーか、本当にもう、書いてて恥ずかしくなるので、ちゃんとした文体では書かないから。殴り書きだから。悪しからず。ご了承くだせえ。






 管理人の人生



 『人間失格』風に言うと、恥の多い人生を送ってきました。

 私は、まず長野県の母の実家の近くの病院で生まれて、一ヶ月くらい過ごした後、父の実家がある神奈川県の某街に来ました。

 幼い頃のことはよく覚えていません。なにせ、今日の朝食も思い出すのに19秒くらいかかるほどボケてる記憶力なもので。保育園には行っていました。祖父母と両親と俺と、あと妹二人で暮らしていました。

 そんで、地元の小学校に入学しました。ゲーセンに行ってロボコップのゲームしたり、ビックリマンのシール集めたり、ガンダムのゴム製のガチャポン集めたり、ドラゴンボールのカードダスを集めたりしていました。一応、その頃は友達がいましたので、一緒に化石収集に行ったり、近くの沼がある自然の広場に行ってザリガニを釣ったりしていました。あと、ファミコンで忍者龍剣伝とかやっていました。ただ、いじめっ子から学校の横の坂を逃げていた記憶も断片的にあります。まあ、なんだかんだ言って、その頃は、別に大きな波風もなく、時間が過ぎていっていました。 
  それで、小学四年生の時に、両親が、実家から少し離れた街に一戸建てを買ったので、祖父母と別れて、そこに引っ越しました。それで、俺も引っ越し先の地元の小学校に転校しました。

 なんか、まぁ、思えば、やっぱりここらへんから崩壊の兆しがあったのだろうか。んで、転校して、なんとか馴染もうとしたのかな。でも、積極的な性格ではないので、ウジウジしていました。ただ、集中して虐められるということはなかったけど。なんとか、馴染もうと、ヘラヘラしながら馴染もうとしていました。それで、偉ぶった同級生のランドセルを持ったりしていた記憶がある。それで、好きでもない同級生から告白されて、なんか周りがヒューヒューと煽てたような記憶がある。俺は全然どうでもよかったのに。まぁ、そいつとは付き合ってもいないし、何もなかったけど。上手く逃げていたな。

 なんとか、かんとか・・・とにかく、小学校は卒業しました。 そんで、次に、地元の公立の中学に入学しました。ここから、本格的に人生の歯車が狂い出します。
 小学校の時は野球をやっていたんだ。でも、ピッチャーやっても四球と死球ばっかりで解任されて、今度はファーストやっても、捕球できずに後ろに逸らしてばかりで、てんで駄目だった。だから、野球には見切りをつけて、大勢入部していたサッカー部に入部しました。
 でも、休日も練習して一生懸命に頑張ったのに、なかなか上手くなりませんでした。特に、他人と激しく当たって、競り合うのは苦手でした。んで、俺よりも頑張っていない、片手間で練習しているような奴がレギュラーとったりして、やはり才能の違いを見せつけられました。 
 それで、3年の時に2軍の試合に出るくらいでした。ま、それは全員上級生は出られるんだけどね。俺は運動神経はなかった。

 学校生活は、なんかなぁ。別に面白くないよ。俺は、集中して虐められるタイプではなかったが、しかしからかわれたり、なんか微妙なポジションでした。ま、面白いこともちょくちょく言ったりして、なんとか周囲に溶け込もうとしていました。 
 中学1年の時に、クラスメートから電話で告白されたことがありました。その時は、他に好きな子がいるからと、断ったのです。それならそれで、その好きな子にアプローチしたかというと、結局何もせずに終わりました。だったら、経験の為にも、その告白してきてくれた子と付き合っていれば、今頃、もっと積極的な人生になっていたかもしれません。とにかく、俺の敗因は、とにかく悲観的で消極的ということでしょうか。
 んで、中学2年の時に、既に体毛が濃かった。そのことをとても気にしていたのですが、その体毛が濃いことを同級生の奴にものすごい悪意をもって指摘されたのが、とてもショックでした。だから、その日のうちに、全身の体毛を剃ってしまいました。だけど、すぐに剛毛が生えてきて、次は毛抜きで抜いたりして、もう、そこから地獄でした。体育の時間なんて、脚とか腕を露出したくなかったし、まして水泳の時間は、生き地獄でした。近くの街の小さなプールで授業したのですが、俺の脚の毛が変なので、周囲の視線が死ぬ程恥ずかしく、死にたい気持ちでした。

 はー、マジ、体毛が薄かったら、人生全然違ってたわ、本当に。まさかこれほど、体毛ごときが人生の歯車を大きく狂わすとは・・・。

 剃ったら剃ったで、また黒々とした断面で力強く伸びてくるし、抜いたら抜いたで、埋没毛となって皮膚の下に何百本も潜って生えるし。それを気にし出してね。マジで剛毛の人が毛を抜いたら、その後から黒い斑点みたいな埋没毛がポツポツと大量に生えてきて、気持ち悪くなるよ。まして学生なので、絶対に体育の時間とか、運動会とか、色々と素肌をさらす機会がありまくりでしょ。社会人なら、職業によっては隠し通すことも可能だけどさ。本当に、自殺したいくらい悩みました。毎日、帰っては自分の肌を見て鬱になり、何十分、何時間も毛抜きで一本一本抜いて、そんな感じで、地獄の時間でした。
 そんで、どんどん、ますます、ウジウジした性格になり、内向的になっていきました。

 それで、もう受験なんて考えられなくなり、また、将来の思いとか、見通しとか、計画とか、そんなのに気を向かせる気力は皆無になりました。
 そんな生き地獄の中でも、どんどん時は経過していったので、とうとう受験となりました。俺は、隣街にある、学力レベルでいったら中の下か、あるいは下の上程度の、公立の普通科の高校に進学しました。
 そこでは、もはや、友達なんか一人もいなかったな。中学の時は、ヘラヘラしながらも、なんとか周囲に溶け込もうとしていたが、もう高校では、鬱みたいになって、もう単独行動ばかりでした。あ〜ぁ、やだなあ。楽しい青春とか、なんなんですかね。そんなの知りませんよ。地獄なら知ってますけど。
 それで、部活は、一応、ワンダーフォーゲル部に入部しました。それは、中学の時の友達が、一応、その部に入部したので、誘われたから入ったのですが、別に特段、興味があった訳ではないです。そんで、槍ヶ岳とか行きました。けど、槍ヶ岳って一体何県なのか、忘れました。本当にもう、記憶力は三流なのに、忘却力は一流なので困ります。そんで、槍ヶ岳とかの遠征は、夏に一回だけ、四泊くらいでした。俺は暇だから、断れなかったし、一応、三回とも出ましたが、同時入部の人達はどんどん退部とか出席しなくなって、最後には3年生は俺一人だけ参加して、もうバカみたいでした。その時も、下山したところの温泉で、下級生に体毛を見られやしないかとビクビクしていました。 その他の活動としては、月の一回だけ、日帰りで、近くの丹沢とかに行ったりしていましたが、無活動の月もけっこうあったように思います。とにかく、部員はほとんどいませんでした。全学年会わせて5人くらいかな。だから、部活といっても、ほとんど活動していませんでした。トレーニングも、なかったし。自主的にちょっと学校の周りを走ってみたりしたけどね。まぁ、相変わらず、部活のない日は、何時間もかけて体毛を抜いたり、週刊誌に載っていた体毛をまとめて抜くワックスでビリリと抜いたり、イタリア人の博士の開発した体毛が薄くなる液体を一万円くらい出して買ったりしましたが、まったく効果はありませんでした。抜いても剃っても生えてくる体毛地獄に、どうしようもありませんでした。
  マジで、平日の帰宅後とか、休日とか、体毛のことばかりに気を取られて、せっせと抜いたり嘆いたり鬱になったりしていました。他のことは気が向かないで、そればかり気にしていました。

 学校生活は、友達が一人もいなかった。部活の中学の頃の友達も、クラスは違ったし、そもそも部活自体ほとんど休部状態だったし、その元友達も退部とか参加拒否とかでどんどん疎遠になりました。
 だから、一人、昼休みは図書館で孤独、休み時間は机に寝てばかり、あるいは一人で意味もなく廊下うろうろ、あるいはベランダから外をポカーンと意味もなく眺めていました。
 高校生活は、嫌でした。中学も嫌でしたが、高校も嫌でした。相変わらず体育の時間はあるので、肌をさらさねばならなかったし、もうこの年齢なら付き合っている者は周りに大勢いて、青春を謳歌しているのに、俺は相変わらず一人でウジウジしていました。ウジみたいにいくらウジウジしても、変態してハエになって飛び去ることは出来ませんでした。ずっとウジ虫のままでした。だから、修学旅行の時なんて地獄で、友達でもなんでもない人達のグループに無理矢理班分けで入れられて、とても気まずい思いをしました。 そいつらは楽しそうにワイワイ騒いでいるのに、俺は一人そいつらの後をついていくなんてね。
 あとは、漢字検定くらいかな。頑張ったのは。というのも、一人っきりだったので、机で漢字の勉強していただけでした。
 それで、進路ですが、一年生の時の進路相談では、警察官になりたいとか、自衛官になりたいとか、色々と担任に話してはいたのですが、なにぶん、そんな体毛のことで手一杯だったので、前向きに真剣に考える余裕はありませんでした。もう、精神状態は、ギリギリで生存していたのですから。下らない理由で、よくもそんなに悩めるなぁとお思いでしょうが、事実なのだから仕方がない。その時の俺は、そういう精神状態だったのだから。 
 それで、とうとう3年生になりました。俺は相変わらず体毛のことばかりで、もう鬱で、人生を前向きに考えることなど不可能でした。その頃には、警察官になるのも諦めました。自衛官も諦めました。体毛でこれほど悩んでいるのに、集団生活など出来るはずがないと思ったからです。そんな、公務員試験を受けるような前向きな精神状態ではなかったのです。とにかく、現実から逃げたかったのです。

 それで、ワンダーフォーゲル部だったこともあり、山をたくさん見てきたので、どこか他県の山間部でひっそりと林業でもして暗そうかなあ・・・じゃなかった・・・暮らそうかなぁ・・・と思って、林業の専門学校に進もうと思ってしまいました。林業作業員なら、夏でも長袖長ズボンの作業着だから、体毛を見られずに済む、という考えが主な理由でしたけど。本当に、体毛の濃いことが、人生を間違った方向に導いてしまいました。膨大な時間を、体毛の処理に費やしてしまったし。もう、俺の人生、体毛が薄ければ、全く違ったものとなっていたでしょう。事実、小学生の頃は、なんだかんだ言って、わりと明るく、上手くやれていたのだから。それが体毛が濃くなって、体毛を剃ったり抜いたりするようになってからというもの、もう、地獄になりました。毎日、暗黒でした。

 それで、最初に長野県の林業の学校の受験を受けたのですが、落ちましたので、岐阜県の美濃市の林業短期大学校というところを受験したら、受かりました。そこに行くことにしました。別に、ウキウキしながら前向きな気持ちで行ったんじゃない。どんよりとした鬱状態で行ったのさ。

 アパートの家賃、生活費、学費は全額、親が出してくれました。俺の両親は、そこそこよいところに勤めていたのでした。でも、そのせいで、俺はとても甘やかされてしまったので、現実を力強く行きて行く力が身に付かなかった。小学生のテストで80点以上とったら一万円くれたりしていたし。某芸能人の息子みたいに、安易に大金を貰えたせいで、世の中を甘く見る癖がついていたのかもしれません。そのくせ、俺の親は、世の中について、道徳について、その他、何にも教えてくれませんでした。ただ、文字通り、育てただけでした。

 んで、岐阜県のその学校に行ったら、一学年18人くらいしかいなくて、おまけに、俺の年でその学校は取り壊されることになっていました。なんか、隣りの敷地に、新たに森林文化アカデミーという学校が出来て、そこにはなんだか優秀な生徒がたくさん応募してきたみたいだが、俺んところのは、ロクでもありませんでした。まあ、ロクでもないので、岐阜県庁は無駄だと判断して、廃校にすることを決定したのだろう。岐阜県管轄の学校みたいだったから。事実、卒業してパチンコ屋に就職したり、まったく別の方面に就職したりする奴もけっこういて、岐阜県が補助金だす必要ないじゃんと判断するのも必然でした。つーか、別に林業を本気でやりたいのなら、別に専門学校に進まなくても、直に森林組合に就職して頑張ったほうが、絶対よいと思うけどな。
 ようするに、この学校は、就職するまで遊びたい人達が、2年間だけ遊ぶために入ってくるようなところでした。ま、類は友を呼ぶなのか。俺も含めて、ロクな奴はいなかった。
 授業中に堂々とイビキかきながら寝てたり、後ろで携帯ゲーム機遊んだり、漫画読んだり、つーかそもそも、ギリギリの出席日数で済むように、他の奴らサボってばかりだったし。授業あるのに、堂々とサボって車で遊びに行ってたし。 外部から来た先生も、「本当は私はここで授業したくはないんですがね」なんて言っていたし。
 俺は一応、真面目だから、授業は聴いていたが、しかしそもそものここに進学した理由が、林業の熱意に基づいたものではなかったので、真面目に見えつつも、俺だって他の奴らと同じで、実際は不真面目でした。色々なことを教わりましたが、今では針葉樹と広葉樹の違いくらいしか分からん。他の知識、全部忘れました。もともと記憶力は至極悪いし、その上なんの興味もない分野だったので、なおさら記憶に残らなかった。
 俺自身は、なんとかへりくだりながら、みんなに溶け込もうと努力はしました。んで、なんとかそこそこ上手にわたってはいました。 同級生は全員男でした。県外から来たのは数人で、俺は神奈川県から来たので、『カナガワ』と呼ばれていましたが、健一と呼ばれることもありました。同じ齋藤という名字の人がいたので、名字で呼ばれることはあまりなかったな。
  そんで、バイトは、電気屋のチラシをポストに入れる単発のバイトを二日と、2学年の時に数ヶ月、ガソリンスタンドでバイトしました。時給700円でした。冬だったので寒かったです。
 そんで、修学旅行はカナダに行きました。別に、特に、そんなによいとは思いませんでした。ここでも一人っきりで行動する性質が表れて、みんなは左に行くのに、俺は一人で右に行こうとして、おいおい、どこに行くつもりだと、注意されました。また、自由行動の時に、夜の街を一人でブラブラ歩いていたら、黒人が寄ってきて、俺は腹が減っているとかで、ピザを奢りました。その後、俺がもっと上手いものを買ってきてやるから5000円よこせとか言うので、あげたら、それっきり帰ってきませんでした。外国は怖いですね。つーか、その頃の俺は、服装のセンスゼロで、作業服で街をブラブラ歩いたり、今から思えば、超恥ずかしいですね。
 
 んで、卒業間近になったので、どこかに就職する必要がありました。で、俺は地元の神奈川で色々と探したけどなくて、広島の森林組合の募集を見たので、そこに行ったら、超大勢応募してきていて、落ちました。その頃は林業はなかなか注目されていて、田舎で暮らそうブームみたいなものがあったと思います。ま、落ちたのは、それだけが理由でなくて、俺に真のやる気がなかったのがバレたからでしょう。
 そんで、最終的に、ある木材関連の中小企業に就職しました。そこには、もう一人、同級生が就職しました。いや、特にそこに絶対に就職したかったわけではない。とにかく、2年間学んでしまったのだから、とにかくどこかに就職しなければならないという思いから、そこに決めたのでした。そこの採用担当者は、「こんなに優秀な人をどうもありがとうございます」とか学校の就職担当者に言っていたけど、あんなのはただ、期末テストの数日前から勉強すればある程度の点数は取れるし、そんな勉強法だから、またすぐに忘却してしまうのでした。だから、結局、林業の専門学校に行った意味なし。だって、そこは給料はよくなかったし、中卒の人でも入れるし、外国人でも入れるし、神奈川の方がよっぽど好条件の仕事あるでしょ。俺、本当にバカだなあ。なんでわざわざ、岐阜県なんて行って、低条件の選択をしたのだろう。ま、体毛が原因だけどな。体毛が、俺の人生を大きく変えてしまったな。はぁ、体毛が薄ければなぁ。体毛なんて気にすることなく、恋人も出来ていただろうし、林業の専門学校なんて行くこともなかったろうになぁ。

それで、その就職先は複数の工場や森林現場の仕事場があったのだが、俺はとある街の木材加工工場に配属されました。そこは、独身者向けの寮があったので、そこに入寮しました。
 寮費は13000円くらいでしたが、途中から経営が苦しいからとか、隣の家族向けの社宅の家賃と比べて安すぎるという理由で、途中から24000円くらいになりました。でも、三食付きで風呂もついて、狭いながらも個室が与えられていたので、良心的だったと思います。が、当時の俺は、甘やかされたツケなのか、寮母さんに、ちょっと食事の量が多いので減らしてくれとか、あと大量に俺宛の郵便物が送られてきて、風呂掃除の時にあんたの郵便物の受け取りのせいで中断して出るはめになったとか、ちょくちょく衝突してしまい、結局、2ヶ月くらいで出て行くことになりました。
 まぁ、俺も岐阜県に住んでいるのに、名前が珍しいからとかいう理由でトマト銀行の口座を作ったりしていました。その郵便物を受け取った寮母さんが、なんで岡山県のトマト銀行の口座なんて作るんだ、向こうも迷惑しているよ、とか言われて、今ならまったく同感でその通りなのですが、俺はそういう変な部分が昔からあるのでした。その寮母さんとは、休日に近くのスーパーに一緒に買い物に行ったりしていたのです。仲はそんなに悪くはなかったのですが・・・。まぁ、寮母さんの愚痴を2時間くらい休日に聞いたり。まあ、悪い人ではないのですが、俺がわがまま言ったことと、その寮母さんの人生が色々あって少々ヒステリー気味になっていた、などの理由が重なり、衝突してしまいました。それで、近くのアパートを借りることにしました。

 でも、資金が足りませんでした。俺は弾きもしない、練習もしないギターを買ったり、祖母から専門学校の進学祝いで貰った30万円を、車で岐阜県に帰る途中にケーズ電機に寄り、そこでシャープの薄型テレビを27万円で買ったりしました。そんなの、今から思えば、画質は超悪いし、薄型テレビとはいえその頃のは分厚いし、画面も小さいし。でも、物欲を抑えられずに、買ってしまったのでした。とにかく、生存に関して不要な物を大量に買ってしまい、貯金し続けていればけっこうな額になったであろう金を、全部浪費してしまっていました。あと、進学の際に、母親の死んだ祖父が母親のために用意していた100万円を俺にくれて、それで新車のマツダのMTのデミオを買ったのですが、その維持費とかいろいろかかりました。自動車教習所の費用も親が出しました。とにかく、金銭面で甘やかされた環境で育ったものですから、我慢ということが出来ない性質だったのです。だから、貯金がなかったので、サラ金のアイフルに手を出してしまいました。

 その街の市役所の前には、二階建ての建物があり、焼き鳥屋以外は全部サラ金の無人契約機が入っていました。当時、アイフルが白いチワワをCMに起用し、大きなインパクトを与えていたので、色々なサラ金の中から、アイフルに決めました。入ったら本当に無人で、オドオドしながら進むと、声がしました。それで、給与明細とか、必要な書類とかを提示して、契約出来ました。最初は限度額50万円でした。
 それでアパートを借りました。二部屋の和室で、駐車場代無料で、35000円でした。それでも、俺は浪費癖が続いたのと、サラ金という金銭問題の補助手段を見つけて安易に物事を考えてしまったため、ベトナム戦争のように泥沼にはまり込み出しました。
 最初の頃は、恐る恐る借りては給与日に全額すぐに返していたのが、段々と気持ちが緩くなってしまい、終いにはサラ金と友達みたいな感覚になってしまいました。あの無人の機械は魔物だな。
 会社の給与は、月給175000円でしたが、色々引かれて、手取りは少なかった。で、会社の業績も悪くて、求人票にはボーナスは1年で月給3ヶ月分と書いてあったが、実際は夏55000円で、冬45000円であった。残業は、業績が悪いので、なるべくしない方針であった。だけど、俺が配属された部署は、赤字のくせに仕事量が多く、休日出勤もけっこうあり、休みは、月に四日くらいだったかな。なんか、俺の部署は、赤字だけど、お得意さんとの儲かる取引が他の部署であり、したがって、その顧客の機嫌を損ねないためにも、赤字続きでもその部署は存続させていたようだ。んで、その工場は100人くらい働いていたが、俺の部署は10人くらいで、主にフィリピン人やブラジル人がトンカントンカン叩いて製品を組み立てて、俺はその材料をフォークリフトで補充したり、出来た製品を運んだりしていた。
 
 でも、俺はフォークは下手で、積み上げた製品をドンガラガッシャンと崩してしまったり、動作が遅かったり、同僚の日系ブラジル人や日本人の先輩のフォーク操作に比べて格段にトロかったので、いつも超怒鳴られていました。マジで、怒鳴られました。直属の日本人のおじさんの上司に怒鳴られ、外国人の人達に遅いと怒鳴られ、積み込むトラックの運転手のオジさんに、「おいおい、今日、俺、○○まで行かなきゃならないんだよ。早くしろよ」と怒鳴られ・・・。
 でも、俺にあてがわれたフォークリフトは、年代物で、頻繁にシフトレバーがポロっと折れてしまうようなもので、ギアチェンジもミッションがガリガリと反発してなかなか入らなかった。いや、マジで。だって、俺だって、他のフォークリフトに乗れば、もっと上手に出来たのに。新たに買う余裕がなかったんだろうな。
 その頃は、会社では作業着で長袖長ズボンであり、プライベートでは、たまに一緒に専門学校からこの会社に就職した同級生と食事に行ったりする程度だったので、他人に肌を見せることはなかった。だから、しばらくは、体毛は生やしたままだった。というか、忙しかったし、借金のこととか、肉体的にヘトヘトになったり、あと一人暮らしなので、それにまつわる仕事も全部しないといけないので、そんな体毛を抜いている暇などなかった。だから、しばらく忘れていました。

 それで、借金ですが、段々と借金に対する恐怖心も無くなっていきました。いつの間にか、アイフルのATMに『限度額が100万円まで増やせます』という表示が毎回出るようになり、また、職場で働いている時にも、俺の携帯にアイフルから直接電話がかかってきて、限度額を増やすことを勧誘してきました。最初の頃は『おいおい、さすがに百万円まで増やしちまったら、どうしようもなくなるぞ』と思ったのですが、借入金が限度額一杯まで来ていたこともあり、とうとう、100万円まで増やしてしまいました。それと同時に、専門学校の研修旅行でカナダに行く前に作ったクレジットカードのセゾンカードが、いつの間にか限度額がショッピング100万円、キャッシング80万円までだったかな?いや、もうちょっと下かな?とにかく、いつの間にか、限度額が増えていました。
 それで、意味もなく、使いもしないのに、近くのミドリ電機とかギガスとかエイデンとか行って、高級なコピー機とか買ってしまい、いつの間にか、どんどん借金は増えていました。ただ、具体的にどんなものに大金を投じたのか、よく覚えていない。とにかく、不要なものに使った使途は、記憶に残らないものだ。
 そんで、仕事の方は相変わらずてんで駄目で、でも一生懸命働いていました。でも駄目だから、そのストレスとかかなぁ、今から思えば。だから休日に、ドカンと不要品を買ってしまったのかな。とにかく、借金残高はどんどんエベレストのように増えていきました。しかも、その頃は、今みたいに金利が18%でなくて、クレジットカードもサラ金も、グレーゾーン金利とかいうので29%くらい取られていたから、本当にもう、返すアテはなかった。けど、当時の俺は呑気だしバカだし将来を見通す能力なんてないから、借金を続けてしまっていた。

 あと、今思い出したけど、専門学校を卒業する直前に、本屋にフラッと寄ったんだ。そして、いつもは行かない自己啓発コーナーに行ったんだ。そこには速聴の本があって、速聴をすれば、あなたも天才になれるみたいなことが書かれていた。そこには、無料の本プレゼントのはがきが入っていた。無料ならラッキーと思い、軽い気持ちで投函しました。すると、速効で資料と本と契約書が配達された。そして、速効で電話がかかってきた。そんで、散々煽てられて、褒められて、気づけばコンビニから契約書のFAXを送っていた。そんで、俺は毎月、35600円を五年くらいかけて返済するローンに縛られた。最初の頃は少しやっていたが、すぐに飽きた。それはでっかいトランク二つにびっしりとCDが入っていて、速聴の機械が、カセット用とCD用とが二つ入っていた。お値段は、ローンなので総額215万円くらいだった。気づいた時には、クーリングオフは無理だったし、そもそもクーリングオフって何?みたいな感じでした。その時は、「まぁ、いいや」なんて呑気に構えていた。毎月35600円の返済が、どれほど重くのしかかるか、知る由もなかった。そのくらい、金に対して呑気だったのだ。俺は、本当にお金に甘く育てられたので、金銭感覚がおかしかった。親や祖父母は子供のため孫のためと大金を与えるのはいいが、相手が馬鹿だと、自滅してしまうから注意してください。

 そんなこんなで、とうとう仕事を始めてから1年1ヶ月目の五月、退社したいと本社の人に伝えました。はー、すべて、これ以前の決断がバカすぎるな。やはり失敗とは、その直前にのみ原因があるのではなく、それよりもはるか昔に原因があるのだろう。なんで俺は、わざわざ岐阜県まできて、こんなにボロボロになってしまったのだろうか。
 俺は、次の就職先なんて決まっていなかった。とにかく、もう精神状態がボロボロで、とてつもなく怒鳴られまくりで、おかしかった。俺の部署は人の出入りが激しくて、外国人達も、次々に近くの別会社に転職しちゃうし、俺に仕事を教えてくれた日本人の若い先輩も、俺がそこの部署に配属されてすぐに辞めちゃって別の会社の工場に転職しちゃったし。その先輩の後釜で入った日系ブラジル人の若者も、もっと条件の良い職場に転職しちゃうし。そんで、そこには、とうとう俺と、怒鳴ってばかりいる怖い上司しか、フォークリフト使いはいなくなりました。緩衝剤がなくなって、毎日毎日、直接怒鳴られ、嫌みを言われ、精神はどんどん追いつめられていきました。
 まあ、結局、俺が弱いんだが。しかし、弱いのは事実なので、仕方がない。逃げちゃ駄目だという人もいる。しかし、そのままそこに留まったせいで自殺しちゃう人も日本人には大勢いるのだから、逃げちゃ駄目だという方針も、時と場合によるな。ケースバイケースですね。

 俺はアテもないまま、とりあえず、暫くの間は借金で生活することにした。

 
 

無職になっても、相変わらず、危機感の無い私でした。リサイクルショップに行って買い物したり。
 いや、その頃の俺は、出会い系サイトもしていた。ある出会い系サイトに登録したら、怒濤のようにメールが来て、人生で初めてこんなにモテたと有頂天になってメールに返信しまくっていた。しかし、結局、いつも会えなかった。『近くの○○駅で会いましょう』というメールをもらって、ウキウキしながら車でその駅に向かっている途中に、メールが到着して、『ごめん、都合悪くなっちゃった』というメールが来て、引き返したり。車いすの若い女性からのメールとか来て、私を見捨てないでとか言われて、ついつい大金を投じたり、女子大生と名乗る人とか、看護婦してますとか、女性社長ですとか、とにかく何十通も、昼夜問わず届いた。それを、当時の俺は、本気で、相手は本物の女性とやりとりしているものと思っていたのだが、真実は違った。ま、今もそうだが、それはまったくのデタラメ、サクラばかりのサイトだったのだ。だって、俺は本物の会える出会い系サイトのハッピーメールとかやったことあるけれど、全然女性からメール来ないもの。だから、いかにそのサイトが偽者だらけかが、今は分かる。そして色々と後で調べたら、それらは、全員男が女のふりをして書いていたらしい。そりゃそうだよな。女社長がお金あげますとか、ありえないよな。アホすぎる。でも、そんなバカがいるから、世の中詐欺事件は減らないんだよね。俺みたいなバカがいるからな。そのサイトには、総額10万円くらい遣いました。それも無職だから借金だよね。しかも、数ヶ月後に、知らない男から電話がかかってきて、「未払いの出会い系サイトの料金を払え」なんてかかってくるし。多分、そういうバカには、そういう脅しをすれば、また金を搾り取れると思って、電話してきたんだろう。業者が、俺の登録時の個人情報を悪徳業者に流したんだろうな。「お前の家に行くからな」とか脅迫された。 もう、何回もかかってきたよ。「来るなら来てみろバカ、住所分からねえだろ」なんて言ったり、業者が怒鳴り続けている携帯電話をそのまま放置したりしてたけど。なんとかやり過ごした。一応、強気には出たけど、それでも本当に家に来るんじゃないだろうかと、内心ビクビクしていたよ。

 本当に怖いね。何が怖いって、世の中を何も知らないヒヨコの当時の俺が怖いよ。今の俺も、世の中のこと、そんなによく知らないけどさ。それでも、当時よりかは、いくらか賢くはなったけど。本当に、俺はこんなにバカなんだから、親も何も教えてくれないし、学校でも教育してくれないし・・・実際に自分で痛い目に遭わねば分からないってのは、とても損です。速聴の契約だったそうだし。金の賢い使い方を習得していれば、そんな事態には陥らなかった。けど、俺には誰も教えてくれなかった。

 あと、まともに仕事しようとせずに、俺は近くのおもちゃのお店に行ってスターウォーズやバットマンとかのアメコミのフィギュアを買ったり、ジャニーズの店に行って、ジャニーズのグッズを買って転売すれば儲かるかなとか考えて、実際に買い、ヤフーオークションで転売しようとした。でも、そんなので大きな利益が上がるはずもなく、むしろ送料とか含めると、大幅な赤字でした。その資金も全部借金でした。
 俺の前世って一体?ここまでバカだと、本当にもう、俺の前世はとんでもないバカだろ。きっと、呑気に振る舞えるような地位の世間知らずのお馬鹿さんだったか、ろくでなしの放蕩野郎だったのかもしれない。とにかく、俺の前世は世間知らずだな。前世で上手にやりくりしていれば、ここまで馬鹿な行動はすまいて。

 あと、えーと、ユサナという、アムウェイみたいなものに手を出してしまいました。その資金も全部借金です。ネット上で発見して、おっ、これはいいんじゃないか、と、アホな期待を寄せてしまい、無駄に行動力はあるので、早速申し込みました。
 その組織は、なんだか小太りの30代後半くらいの男性がリーダーで、その人を頂点として、けっこうツリーは出来上がっていました。13人くらいだったのでしょうか。そこでは、毎週、ヤフーのネットで会議が出来るシステムを使って、会議を開いていました。みんな頻繁に意見交換をしていましたが、俺はただ聞いているだけでした。そこでは、とてもポジティブな言葉が交わされており、みんなやる気になっていました。ちなみに、俺は、北海道在住の二十代後半くらいの男性の下につきました。その人とは頻繁にメールでやり取りしながら、「齋藤さん頑張りましょう!」とか言われて、最初の頃は一生懸命にネット上で勧誘活動していましたが、やがてすぐに無理だと思って、勧誘活動を止めてしまいました。活動方法は、主にヤフーオークションの情報ページに高いお金を払って上位に表示してもらい、そこ経由でユサナ会員になってもらう、という目論みでしたが、それを実行しても、一件も応募はありませんでした。他にもネット掲示板にも書き込みましたが、反応はありませんでした。リアルな知り合いがほとんどいないので、手詰まりで、終いには諦めました。
 一ヶ月で15000円くらい、ユサナのサプリメント代がかかっていました。毎月毎月、サプリが送られてきましたが、俺は全然飲んでいませんでした。もともと、そういうサプリなんかには無興味だったのです。あくまで、金持ちになれるという宣伝文句に乗ってしまっただけだったのです。
 それで・・・解約しようにも、俺は変に義理を感じてしまっていて、俺が辞めたら、このツリーの皆さんの利益がその分無くなってしまう・・・今まで色々と励ましてくれたのに、それでは申し訳ない。特に、北海道の○○さんには申し訳ないなんて思ってしまいました。ああ、だったら、無活動でも、せめて会員のままでいればいいかな・・・なんて、馬鹿な考えで、その後も、ダラダラと7ヶ月だか、1年だか、もう忘れちゃいましたが、そのくらい会員でいました。最終的には大量のサプリが、大きな段ボールに山積みになっていました。今から思えば、そんなこと、何の遠慮も不要、すぐに辞めちまえばいいんだ!と、今の俺なら決断出来ますが、当時の俺は、ナヨナヨしていて、とても無理でした。だって、北海道の○○さんは、このビジネスを主体で食っていくつもりとかで、その時に勤めていた会社に辞表を出したとか、ネット会議で言っていたし。それを聞いたリーダーは、それを賞賛したり・・・なんか、宗教ぽかったな。その北海道の○○さんは、他にもヤフーオークションに本から得た情報を、情報ページに出品したりして、本気でそういう方法で食っていくつもりだったらしい。今はどうなっているか知らんけど。とにかく、当時の俺は、どうしようもない世間知らずの優柔不断の馬鹿だった。

 ああ、あと、ペット保険の代理店というのも契約したな。一件ペット保険の契約が取れれば千円くらいの報酬が入るというものだ。それも、おもにヤフーオークションで活動したけど、一件も取れずに終了しました。あとには、大量のペット保険の契約書とパンフレットが残りました。捨てました。これも、二万円くらいの赤字でした。

 あと、なんだか、海外のクレジットカードが、国内でブラック査定受けた人でも手に入るという、全国救済組合なるものにも申し込んだぞ。それは、海外のクレジットカードが作りたいのならば、四万円だっけか。その申し込みの仲介の代理店になりたいのなら、二万円出せば、なれますよ。クレジットカード制作の申し込みでも代理店契約の申し込みでも、どちらでもいいから一件契約取れれば、一万円あなたの口座に振り込みますよ、というものだったと思います。その業者のホームページには、毎日毎日大金が振り込まれた証拠の預金通帳が映っていて、札束の写真が掲示してありました。俺は、これ以上クレジットカードを作るのはさすがにヤバいと思ったので避け、代理店ビジネスに申し込みました。んで、これもヤフーオークションの情報ページに出品しました。結果、三件くらい契約できました。けど、情報ページの上位表示の代金を三万円以上かけてしまったので、赤字でした。また、俺は人がいいから、代理店ビジネスをやる気で電話をかけてきた人が「この仕事、儲かりますかねえ?」なんて聞いてきたら、そこで絶対に儲かると言えばいいのに、馬鹿正直に「いやぁ〜、それは分かりませんねえ」なんて言ってしまいました。結果、お客の熱意もしぼんでしまい、みすみす契約してくれそうなお客を逃してしまったりしていました。俺は、俺に契約させた速聴の営業マンみたいに、神様レベルの営業トークは無理なのだった。
 でも、赤字を出したとはいえ、三万円ゲットしたのは事実なのだから、今度は手法を変えることにしました。ネットサーフィンしていたら、『泥棒市場』なるサイトに行き当たりました。そこは、なんだかとても怪しいサイトでした。窃盗品とか、怪しい情報とかが売買されていました。そこで、俺は全国多重債務者リストなるものを見つけ、それを買いました。値段は忘れましたが、数万円だったかな。それで、データの形で、メール添付で送られてきました。開いてみると、そこには沖縄から北海道まで何万人もの多重債務者の個人情報が載っていました。俺は、この人達に、この海外のクレジットカード情報を送れば、飛びついてくるのではないかと思い、大量に送ることにしました。なにせ、この海外のクレジットカードなるものは、限度額が最大で二百万円だったから、大いに助かるだろうと。もしかしたら、大儲けできるかもしれないと、期待した結果の行動でした。
 コピー機で案内書と契約書を大量にコピーして、それを封筒に入れました。そして、まずは北海道の人達の住所を書いて、まずは百通くらい出しました。数日後、郵便受けには、大量の宛先不明で返送されてきた封筒が何十も詰まっていました。こぼれる程に・・・。それが、次の日も次の日もだったかな。とにかく、返送率八割くらいで、あとの2割は届いたのかもしれないが、結局何の音沙汰もなしで、一件も振り込まれませんでした。今から思えば、酷いことをしてしまいましたね。そしてアホでした。
 それでも、もうこのビジネスしか一発逆転の方法はないと思って、今度は大量のパンフレットをコピーし、A4封筒に入れたものを50通くらい用意しました。そして、今度は直に人々にアピールしようと、変なでかい看板を作りました。1m×60cmくらいの、ピーマンとかトマトとかナスとかのアホな人形を自作して、その看板の中央には『闇金怖いよ〜』なんて文字を書きました。あと、もう一つくらい、変な看板を作りました。それで、電車に乗って、名古屋駅の高島屋の前の路上で、無許可で、メガホンで宣伝し始めました。「こちらは全国救済組合と申します・・・海外のクレジットカードが作れます」とか、超恥ずかしがりながら喋っていた。本当にもう、今から思えば、なんでこんなことをしたのか、分からん。憑依されていたのかしら?今、とても赤面しています。やっぱり、俺は普通じゃない。頭がおかしい、ギャーーー。みんな、クスクス、何あれ〜、馬鹿みたいとか、奇怪なものを見る目で見てきました。
 それでも、俺は契約が欲しかったので、一生懸命に宣伝していたら、一人の貧乏そうな男が興味を示してくれて、パンフレットを受け取ってくれました。あと、スーツを着たもう一人のサラリーマン風の男も受け取ってくれました。そうしたら、しばらくして、警備員がすっ飛んできて、止めてくださいと言われて、帰りました。後日、一万円振り込まれていましたが、それよりも、看板制作費用とか、遠征費用で、またもや赤字でした。はぁぁ・・本当に恥ずかしい。なんで『闇金怖いよ〜』なんて看板、作ったのだろうか。意味不明だ。きっと、闇金よりも、こっちで借りた方がマシですよ、というような訴えだったのかもしれない。これは自分自身のことだが、もう、憑依現象ということで勘弁してくれ。もう思い出したくないです。今ね、もう本当にね、俺って、普通じゃなくて、異常だなぁ〜と、パソコンの前で赤面しています。ま、普通の精神だったら、こんなサイト、作らないかもしれないけどな。
 う〜ん、もうそれっきり、全国救済組合のビジネスは終了しました。結局、四万円の報酬のために、10万円くらいの費用がかかったのかな・・・アハハ、馬鹿みたい。

 あとは、アイエンスという、クレジットカードの現金化の業者の代理店にも応募しました。それは無料だったかな。で、同じくヤフーオークションで高い費用をかけて宣伝しました。それで、数人が実際に応募してくれて、俺には1%が報酬として支払われる契約だったと思うので、6000円が振り込まれた時もありました。あとは2000円だったり。けど、それも結局、上位表示の宣伝費用がかかりすぎて、赤字でした。そんで、止めてしまいました。今から思えば、相手を自分と同じ借金地獄に招き入れるような真似をしてしまい、申し訳なく思いますが、当時の俺は、そんなことにまで思いは至りませんでした。
 
 あとは、絵が好きだったので、絵を描いて売ろうと、画材を買って、描いたり、工作をして売ろうと、名古屋のデパートのそういうお店に行って材料を買ったり。あと、木の板を買って、彫刻刀で彫刻を彫ったりしていた。また、単なるそっけない素焼きの植木鉢に、俺が画材で絵を描いたものをヤフーオークションで販売しました。けど、それらの入札は一件もありませんでした。石に絵を描いて売ろうと、河原に行ったり・・・。もうね、この文章を書いていて、一体どこまで馬鹿なのかと、悲しくなります。だから、俺よりもよっぽど高い人間力の一流企業勤めの人物が自殺するなんて、馬鹿げています。まぁ、そういう人は、プライドの固まりだろうから、少しでも落ちぶれると自殺したくなるのだろうか。とにかく、この時の俺は、銀河級の大バカ者でした。

 それで、次第に精神がおかしくなっていきました。一応、ハロワは一度行ったのかな。けど、岐阜県だし、田舎だったので、時給700円の漬け物工場の求人とかしかなかったな。しかも、その時点では、もう借金まみれで、アイフルの借金額は百万円満額まで近づいていたし、クレジットカードは、ショッピングの借入残高が80万円かな、キャッシングが70万円くらいかな。よく覚えていないけど、危機的状況でした。本当に、馬鹿の極みです。ああ、誰か、馬鹿な俺にお金のことをちゃんと教えてくれる人がいれば、こんなことにはならなかったのに。いや、それ以前に、神奈川県内で就職していれば、祖父母の家も近くだし、実家も近くだったろうから、こんな事態にはならなかっただろう。まったく、風邪の時も、誰も来てくれない。やはり日本は狭いとはいえ、それはアメリカやロシアと比べた時の話だ。岐阜県と神奈川県は離れすぎているよ。誰も助けてくれないし、助言してくれる人もいないし、相談に乗ってくれる人もいなかった。岐阜県は織田信長の領地で、神奈川県は北条一族の領地だったからな。やはり遠すぎる。これも、やはり、今思うと、体毛が濃かったことが原因です。体毛が濃かったが故に、逃げるように意味もなく岐阜県にまで来てしまい、挙げ句の果てに借金地獄に陥ってしまったのですから。本人が言っているんだから間違いない。

 それで、次第に精神状態もおかしくなって、絶望感が支配してきました。絵を描いていた画材には、『おしゃかさまはどこだ・・・おしゃかさまはどこだ・・・』なんて意味不明なことを絶望しながら殴り書きしたり。あと、ポルノサイトばかりを一日中みたり、殺人鬼の残虐行為を紹介しているサイトを見たり。そんな感じで、発狂しているような状態になってしまいました。街に出ても、もう絶望しかなくて、無関係のそこらへんを歩いている他人をぶっ殺したく思ったり。楽しそうにしている奴らを皆殺しにしたくなったり。勿論、実際に誰かに危害を加えたことは一度もなかったが、この時の俺は、それほど追い詰められていた。
 もともと、俺は優しい部分はある。家に訪問してきた世界中の恵まれない人達への寄付を募る業者に、名札を確認したりして疑いつつも一万円を生活費から工面して寄付したことが、専門学校時代にありました。また、それ以前にも、ユニセフに一万円寄付したこともあったり、募金の訴えを街中で見かけた時は、ほぼ必ず、募金していました。
 でも、そんな部分もあるのですが、反対側の、残虐な部分も持ち合わせているのです。それは、今でもそうです。今でも、邪悪な考えに浸ってしまう時も、正直あります。でも、とても優しい気持ち、慈悲深い気分になる時もあります。だから、この時は、残虐な部分ばかりが全面に出てきていました。やはり、人間、精神的に追い詰められた状況で、正気を保つのは至難の業です。まして、俺はもともと残虐な部分を持ち合わせていたし、合わせて殺人鬼の極悪な所行など閲覧していたのですから、なおさら邪悪な想念が増幅していったのでした。

 それで、近所のプロテスタントの教会のチラシが入っていたので、そこの牧師さんに相談に行ったりしましたが、特に何も変わりませんでした。エホバの証人も訪ねてきましたが、その時はお断りしました。そんな感じでした。
 
 その後、どういった経緯か忘れましたが、俺の窮状を電話で察した父親が岐阜まで来て、そのあと、もう帰ってこいということで、アパートを引き払い、神奈川県に帰ることになりました。ちなみに、借金のことは言っていませんでした。まぁ、色々と怒鳴られたように思いますが、もうこの頃は精神状態が正気ではなく、超鬱病みたいな感じだったので、よく記憶がありません。
 神奈川への帰還が決まったので、アパートを掃除し出しました。

 余談ですが、このちょっと前にNHKの契約担当者が家に来た時のことです。まだNHKとは契約していませんでした。俺がアンテナの具合が悪くてNHKの映りが悪いと言ったら、じゃあ確認しますということで、どかどかと家の中まで上がり込んできました。それで、本当にNHKだけ映りが悪いことを確認すると、その人は自分でアンテナだかテレビコードだか忘れたが、とにかく映りが悪いと思われる原因の部分の部品を買ってきて、俺にその部品代を請求し、NHKの契約をさせました。その後、その部品に交換しても、相変わらずNHKはザーザーと画質が悪く、ちゃんと映りませんでした。そのクソNHKの契約担当者が家の中に入ってきた時に言った言葉が、「足の踏み場もない」でした。そのくらい、散らかっていたのです。まぁ、精神状態が崩壊している時に、ちゃんと掃除する気持ちにはなれませんね。

 あと、このアパートは超壁が薄くて、隣の声が丸聞こえでした。それはこっちの物音も同じことです。ある日、隣の部屋の住民の友達の若い男が、酔っぱらいながら俺の部屋に押し掛けてきて、物音がうるさいとケンカ腰で言ってきました。その時、俺は、これ以上入ると不法侵入だぞ!と言ったりして応戦したら、隣の部屋から、「もういいよ、こっちに来い」などという声が聞こえて、その男は帰っていきました。その時、俺は横の流しにあった包丁をちらりと見ていて、本気でそいつを刺そうかなんて、ちらっと思ってしまいました。別の日に、俺がちょっと歌っていたら、隣の部屋から「うるさい!」と怒鳴られました。こっちだってお前の物音はウルせえよ、と思ったけど、何も言いませんでした。その部屋は、横に和室が二部屋じゃなくて、縦に二部屋だったから、どこにいても隣との物音の聞こえる距離は一定でした。しかも、角部屋じゃないので、両方から物音が聞こえるし。やっぱり、防音設備のちゃんとしていない賃貸は、角部屋にすべきですね。はー・・・。

 そんな感じでしたよ。

 んで、片付けの為、品物をどんどん捨てるものは捨てました。速聴のグッズも、速聴のカセットプレーヤーとCDプレーヤー以外のCDは、全部捨ててしまいました。プレーヤーに関しては、今後、英語とかの練習の時に、速度を早めて聴けば、より早く習得可能かなぁ、と思い、取っておいたのです。実際に、その後に英語の学習とかロシア語の学習に使ってみましたが、やはり語学自体に興味があまりなく、すぐに飽きてしまいました。やがて、そのプレーヤーも捨てました。
 脳波測定機みたいなのも捨てました。合計で数十分しか聴きませんでした。それで飽きました。そのくせ、まだローンの返済は1年ちょっとしか済んでおらず、もう不要になったモノのために、これから四年近く毎月35600円を返済し続けるのでした。まったく、岐阜県には何の良い思い出もない。ちなみに、それから数年後、ためしにヤフーオークションでその速聴の道具を検索してみたら、その機械が一万円とか数千円で投げ売りされていました。CDセットでも、数万円程度で中古で買えました。まったく、やはり世の中、助言してくれる師匠のような存在が、世の中を上手く渡っていくためには、必要不可欠ですね。アハハ。

 彫った木の板の彫刻や、リサイクルショップで買った汚い和室用の机などを車に積んで、私は不法投棄の為に夜の山へ出かけました。帰る日にちの関係で、それらは現地で出せないような日程だったのです。真っ暗な山道に車を停めて、まず板を森の中に捨てました。といっても、これは完全な木なので、やがて土に還る。次に、同じ場所ばかりではなんだし、そこは頻繁に車が往来していて、ヘッドライトが眩しく、そのせいでより罪悪感を感じたので、和室用の机は、別の場所に不法投棄することにしました。見知らぬ山道を進んで、迷子になりました。散々浪費していたくせに、一番必要だと思われるカーナビは買っていなかったのです。結局、こんなに大きなものの不法投棄はさすがに気が引けたので、そのまま帰ってきました。それで、翌日、リサイクルショップに売りにいったら、お金は払えないけど、無料なら引き取りますと言われ、手放しました。他にも、CDプレーヤーとか、売れそうなものは売り払いました。けど、まだまだたくさんモノはあって、往復で三回程、岐阜と神奈川を往来して、やっと完了しました。
 大家さんのところに行っても、二年契約なのに、なんで途中で解約するんですかと言われたり、とても気まずかった。けど、いくらかのお金は返してくれて、岐阜県にはさようならしました。

 ハァ・・・・なんで俺は、人生ボロボロになるために、何の縁もゆかりもなかった岐阜県なんぞに行って、破滅したのだろう。まぁ、実際に殺人事件とか起こした訳ではなかったが、本当に極度の鬱状態になり、殺人を考えたり、自殺を考えたりして、もう最悪でした。

 もう、二度と岐阜県には住みません。そんな感じで、俺の岐阜県での生活は終焉を迎えました。ちなみに、往復の費用は、祖父母が出してくれました。その時は、祖父母は俺の借金のことは何も知らずに、ただお小遣いとして、数万円くれたのでした。ま、その後も、借金のことは祖父母には言っていませんが。

 あ〜ぁ、なんなんだろう・・・・。マジで、俺の人生って・・・。書いてて、虚しくなります。楽しいこと、嬉しい思い出が、全然思い浮かびませんよ。これも全部、体毛が濃いせいだ。憎い体毛め!くそっ!!お前のせいで、俺は岐阜県なんぞに来てしまった。本当にもう、人生、下らないことで歯車が狂うことって、けっこうあるんじゃないかしら。恥ずかしいから、他人には言えないだけで、みんなけっこう、下らない理由で自殺しているんじゃないかしら。

 

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