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当サイトは、死にたい人に自殺に関する霊的知識を与えて、自殺を止めさせる自殺防止サイトです。

自殺の霊的知識を知るっちゃ!

カテゴリ: ★『生きていく授業』

[生きていく授業]とは?

 ↓今すぐ[自殺してはならない理由]を知りたい方はこちら

 自殺の霊的知識

 自殺してはならない霊的な理由



 みなさん、こんにちは!自殺ダメ管理人の齋藤健一と申します。

 ここでは、みなさんに、[霊的知識]を教えたいと思います。

 このサイトに辿り着いたということは、自殺したがっている人である可能性が極めて高いのです。なぜならば、自殺志願者が検索しそうな用語でインターネットに網を張り、待ち構えていたからです。

 このサイトの目的は、自殺志願者に霊的知識を教えて、自殺を自主的に回避させることだからです。要は、ボランティアで自殺志願者を救う活動をしているということです。

 それで、[霊的知識]とは何か?と言えば、それは霊としての知識のことです。

 霊と言うと、途端に胡散臭く感じるかもしれません。しかし、私もあなたも、本来は霊的な存在なのです。人は死後にも生命があります。大抵の人は、死んだら無になる筈だと思い込んでいたり、死後にも生命はあるかもしれないが、分からないのでよく考えないで今まで生きてきた、という人が大半だと思います。

 そういった人達に、具体的な死後の知識を教えて、自主的に自殺を回避させるのが、このサイトの目的です。

 そして、それが[生きていく授業]というわけです。霊的知識を教えることにより、生きていく気力を湧き立たせる、という趣旨です。

 では、長々とした説明よりも、実際に読んだ方が話が早いので、どうぞ、ご覧ください。


[生きていく授業]目次

 生きる意味

 自殺したい

 死にたい

 消えたい



 なお、直接的に自殺の霊的知識を知りたい方は、こちらをご覧ください。

 自殺の霊的知識

 自殺してはならない霊的な理由


消えたい



消えたい人へ贈る、自殺しても消えない理由


 消えたい感情を抱いている人は、この現代社会では数多くいると思います。この[消えたい]というタイトルのページを見ているあなたも、実際に消えたい感情を持っている人かもしれません。

 しかし、消えたいといくら思っても、それは無理なことです。あなたがたとえ死んだとしても、あなたの意識は死後にも存続するからです。それは霊的知識で明らかとなっています。

 霊的知識とは何かと言いますと、ズバリ、死後の世界とか、霊に関する知識です。このようなことを現代日本で発言すれば、大抵の人は、胡散臭く思うと思います。しかし、本当に死後の世界はあるし、魂もあるし、死後にも意識はあるのです。人間、死ねば無になるのではなく、肉体を捨て去った後は、今度は霊体となって生き続けるのです。そういった基本的な知識さえ知らない無知な輩が大半な国が、この日本なのです。

 だから、みんな、簡単に消えたいと思うし、その感情のままに自殺してしまうのです。

 とにかく、霊的知識を知ってください。一度読んでください。そうすれば、私が嘘を言っているのか、本当のことを主張しているのかが、直感的に理解できると思います。そして、この[消えたい]ページでは、消えたいと思っても消えられない理由、実例を紹介しますが、もっと最速で自殺関連の霊的知識を知りたいという人は、下のリンク先をお読みください。

 自殺の霊的知識

 自殺してはならない霊的な理由


■あなたは、なぜ消えたいのか?

 そもそも、あなたはなぜ、そんなに自我を消し去りたいのでしょうか?消えたいということは、肉体の消滅のみならず、自分自身の意識体も消し去りたいという感情なのではないでしょうか?自我意識が消滅してしまえば、あなたの個性も消滅してしまうのですよ。

 そんなに自分が嫌いなのでしょうか?何があったかは知りませんが、とにかく、霊的な観点から見れば、けっして自我意識は消滅しないのです。

 借金問題でしょうか?今、直面している危機から自殺して消えたいということでしょうか?でも、残念ながら、消えたいと思って自殺を図って成功したとしても、それは肉体をまとって生きていくことから一時的に逃げ去っただけで、根本的な解決にはけっしてならないのです。むしろ、自殺で逃げ去った罪が加算されて、来世はより厳しい状況で生きていかねばならなくなるのです。だから、消えたいからと自殺することは、損得勘定から見ても、絶対に損しかないのです。


■消えたくて自殺したが、消えられなかった実例

 ここからは、実際にこの世から自我意識を消し去りたくて自殺した者が、その後、自殺霊となり、霊界で苦しんでいる様子を紹介していきます。

 参考資料は、アラン・カルデック著の[霊との対話]です。

 アラン・カルデックとは、19世紀のフランスで活躍した作家で、霊媒に憑依した数々の霊と対話した記録をまとめて出版した人です。この[霊との対話]では、善人や悪人、普通の人等、様々な境遇の霊との対話が収録されています。その中から、ここでは[消えたくて自殺したのだが、死後に虚無が無く、楽になれるどころか地獄の苦しみを味わい続けている霊]の話を紹介します。


●自殺した高学歴の無神論者の霊の苦しみ-J・D氏

 J・D氏は高い教育を受けていたが、骨の髄まで唯物主義が染み込んでおり、神も魂も全く信じていなかった。
 死後二年経ってから、義理の息子の依頼で、パリ霊実在主義協会において招霊された。

-招霊します・・・・。
 「ああ、苦しい!俺は神から見放された」
-あなたはその後を心配されているご家族からの依頼で、こうして招霊させて頂きましたが、こうして招霊することは、あなたに苦痛を与えることになったのでしょうか?
 「そうだ。辛い」
-あなたは、自ら死を選ばれたのですか?
 「その通りだ」

 この霊の書く文字は、恐ろしく乱れており(霊媒に憑依させて書かせているので)、大きく、不規則で、痙攣しており、ほとんど読み取りがたいものであった。最初は、怒りのあまり、鉛筆を折り、紙を破ったほどであった。

-落ち着いてください。我々は全員であなたのために祈りましょう。
 「なんだと?俺に神を信じさせるつもりなのか?」
-どうして自殺などしたのですか?
 「希望のない人生がほとほと嫌になったからだ」

 人生に希望が無くなった時、我々人間は自殺したくなる。あらゆる手段を講じて不幸から逃れようとするのである。
 だが、霊実在論を知れば、未来が開け、希望が戻ってくる。自殺はもはや選択肢の中には入らなくなる。そもそも、自殺によっては苦しみから逃れることは出来ず、かえって百倍も厳しい苦しみの中に落ち込むだけだということが分かるからである。そういうわけで、霊実在論によって自殺の危機から救われた人々の数は大変多い。
 科学或いは理性の名によって、「死ねばすべて終わりである」という“信仰”を蔓延させた者達の罪は大きいと言えよう。この絶望的な信仰によって、とれほど多くの悪と犯罪が引き起こされたことであろうか。この信仰を広めた者達は、自分自身の過ちに責任があるだけではなくて、その過った信仰が蔓延することによって生じたあらゆる悪に対しても責任が生じるのである。

-あなたは人生のもろもろの不幸から逃れようと思って自殺したわけですが、それで何か得るところはありましたか?生前よりも幸福になりましたか?
 「死んだ後に、どうして虚無が存在しないのだ?」
-どうぞ、可能なかぎり、あなたの今の状態を教えて下さい。
 「かつて否定していたことを全て信じなければならないために、酷く苦しんでいる。俺の魂は、まるで燃え盛る火の中に投げ込まれたみたいだ。本当に恐ろしい苦しみだ」
-どうして、生前、唯物主義者だったのですか?
 「それよりも以前の人生で、俺は意地の悪い人間だったのだ。そのために、今回の人生で、俺は一生の間、疑いに苛まれることになったのだ。そのために自殺した訳だが」

 このくだりを読むと、考えがたいへんよく整理できる。「霊界から生まれ変わって来たのだから、直感的に霊界があることが分かりそうなものなのに、それでも、なおかつ唯物主義者になるのは、なぜなのだろうか?」という疑問があるわけなのだが、その理由がここではっきりする。
 つまり、こういうことだ。
 前世からの傲慢さを引きずっている者、自らの過ちをしっかり悔い改めていない者には、まさしく、この直観が禁じられているということなのだ。彼等は、肉体生活の間、絶えず目の前に示されている、神の存在と死後の生命の存続を、直観によってではなく、彼等自身の理性によって把握しなければならないのである。
 しかし、思い上がりが激しいために、自分を超える存在を認めることが出来ず、再び傲慢の罪を犯すことになる。そして、酷く苦しむわけだが、その苦しみは、彼等が傲慢さを捨て去って、摂理の前にひざまずくまで続くのである。

-水中に沈んで、いよいよ死にそうになった時、一体自分はどうなると思いましたか?その瞬間に、どんなことを考えましたか?
 「何も考えなかった。何しろ、死後は虚無だと思っていたからな。あとになって、まだまだこれから苦しむのだということを知った」
-今では、「神も魂も、あの世もある」ということが分かったのではありませんか?
 「ああ!あまりにも苦しくて、そういったことはよく分からない!」
-お兄さんにはもう会いましたか?
 「いや、会っていない」
-どうしてでしょう?
 「どうして苦しみを足し合わせる必要があるのだ?兄も俺も今は不幸なのだぞ。再会するのは、幸福になってからでよい・・・・・。ああ、何ということだ!」
-あなたのそばにお兄さんを呼んでさしあげましょうか?
 「とんでもない!」
-どうして呼んでほしくないのですか?
 「兄も幸福ではないからだ」
-お兄さんを見るのが怖いのですね。辛くなることはないと思いますよ。
 「いや、結構だ。もっと後にしてくれ」
-ご両親に何か言いたいことはありますか?
 「『俺のために祈ってくれ』と伝えてほしい」
-あなたが生前属していた団体には、生前のあなたと同じような考えをしている人々が多いようですが、彼等に何か伝えたいことはありますか?
 「ああ、なんと不幸な人達だろう!彼等があの世を信じられるようになるといいのだが。それが、俺が望む最大のことだ。今俺がどうなっているかを彼等が知ることが出来れば、きっと考えも変わるだろうと思う」

 J・D氏の兄。J・D氏と同じ考え方をしていたが、自殺したわけではなかった。不幸ではあったが、弟よりも落ち着いていた。文字もはっきりしており、読み易かった。

-招霊します・・・。
 「我々の苦しんでいる姿が、あなた方にとって教訓になりますように。そして、あなた方が、あの世の存在を確信しますように。あの世では、我々は、過ち、そして不信仰の償いをします」
-先ほど我々が招霊していたあなたの弟さんと会いましたか?
 「いいえ。弟は、私を避けているようですので」

 「霊界には、物質的な障害物も、隠れる場所もないのに、どうして霊は他の霊から姿を隠せるのだろうか」と不思議に思うかもしれない。
 霊界では、すべてが相対的であり、そこに住む者の、エーテル体の性質によって現実が決まってくるのである。高級霊のみが、無限の知覚能力を持っている。低級霊の知覚能力は限定されており、彼等にとっては、エーテル体で出来た障害物は、実際の障害物のような作用をするのである。霊達は、意思によって、自らのエーテル体に働きかけることが出来、その結果、他の霊からの身を隠すことも可能なのである。
 しかし、親が子供を見守るように、全ての霊を見守っておられる神は、それぞれの霊の心境に応じて、その能力を自由に使わせたり、限定したりされる。そして、状況に応じて、それがその霊への罰にも、報いにもなるのである。

-あなたは弟さんよりも落ち着いているようですね。あなたがどのように苦しんでおられるのか、詳しく教えて頂けますか?
 「地上においても、あなた方が自分の過ちを認めざるをえなくなった時、思い上がりや慢心のゆえに苦しむことはありませんか?『あなたは間違っている』とはっきり指摘してくる人の前で、身を低くしなければならない時、反発を感じるのではないですか?
 一生の間、『死後には何も存在しない』と思い続けてきた人間、しかも、『誰が何と言おうと絶対に自分が正しい』と思っていた人間が、『死後にも命がある』と知った時、どのように驚愕し、また苦しむと思いますか?
 突然、輝かしい真理の前に投げ出され、自分が無であると感じるのです。恥ずかしくて消え入りたくなります。しかも、その恥ずかしさに、かくも善で、かくも寛大な神の存在を、かくも長い間忘れ果てていたことに対する後悔が付け加わるのです。これは実に耐え難い苦しみです。安らぎどころではありません。平安どころではありません。そして、恩寵、すなわち神の愛がその身に及ぶまでは、決して心安らぐことがないのです。
 霊体全体が傲慢の衣にぴったり包まれているので、それを完全に脱ぐまでには、恐ろしい程の時間がかかります。あなた方のお祈りがなければ、到底この傲慢の衣を脱ぐことは出来ません」
-我々があなたの弟さんと話している間に、ここにいらっしゃる、ある方が、弟さんのために祈ってくださいました。その祈りには効果はあったのでしょうか?
 「仮に、弟が、今のお祈りを拒んだとしても、その効果が失われる訳ではありません。そのお祈りの効果は生き続けます。そして、弟が、受け入れる用意が出来た時に、それは神聖なる万能薬として必ず弟を癒すことになるでしょう」

 ここには、また別種の懲罰が見られた。すべての無神論者が同じような懲罰を受けるわけではない。この霊にとっては、生前、自分が否定してきた真理を認めることが必要だったのである。未だに神を否定し続けている他の霊に比べれば、この霊の心境はかなり進んでいると言えよう。自分が間違っていたと認めることが出来るのだから、大分謙虚になってきていると考えられる。
 おそらく、次の転生では、多分生まれつき信仰を持った人間となることであろう。

 この二人の霊人の招霊を我々に依頼した人に、招霊の結果得られたメッセージを送ったところ、次のような返事を頂いた。

 私の義父と叔父の招霊によって、私達にどれほど素晴らしい贈り物がもたらされたか、とてもあなた方には想像出来ないでしょう。私達はあの二人が義父と叔父であることを完全に認めることが出来ました。
 義父の文字は、生前のそれと驚くほど似ておりました。特に、私達と過ごした最後の数ヶ月の間、義父の字は、ぐちゃぐちゃでほとんど読み取れないくらいだったのです。今回のメッセージの中にも、生前とよく似た特徴的な縦の線、署名、ある種の文字などがありました。また、語り口、表現の仕方、文体などは、さらに似ており、我々はみんなで驚嘆したものです。完全に生前と同じだったからです。
 違っていたのは、生前、義父があれほど否定していた神、魂、永遠について、異なる考え方をし始めていた点だけでした。したがって、あれが義父であることに間違いはありません。
 私達は霊実在主義の理論をさらに確信するようになりました。神に栄光あれ!霊実在論のおかげで、地上にいる者も、霊界にいる者も、これまで以上の進化が望めます。
 叔父についても、無神論者から、神を信ずる者になっているという違いはありますが、性格、話しぶり、言葉遣いの癖に至るまで、あれは完全に叔父であります。特に、[万能薬]という言葉が我々を驚かせました。あの言葉は、叔父が、生前、誰に対しても、繰り返し使っていた言葉なのです。
 私は、あの二つのメッセージを何人かの人に見せましたが、どの人も、その迫真性に打たれていました。
 しかし、私の両親も含め、神を信じていない人々は、もっと決定的な証拠が欲しいようでした。例えば、義父が埋葬された場所や、『具体的にどこで、どのようにして溺れ死んだか』ということについての情報などです。それを霊人達にはっきり言ってもらいたかったと言うのです。
 再び義父を招霊して、ぜひとも、以下の質問をしてください。
 ① どこで、どのようにして自殺したのか?
 ② どれくらいの期間、発見されずにいたのか?
 ③ 遺体はどこで発見されたのか?
 ④ どこに埋葬されたのか?
 ⑤ どのようにして埋葬されたのか?
 どうか、疑いを捨てきれない人々のために、以上の質問にはっきりと答えてもらってください。その効果は計り知れないものがあると確信しております。
 このお手紙が、明日の金曜日にあなた方の所に届くように投函いたします。明日は、あなた方が交霊会を催す日であることを知っておりますので・・・・・」

 この手紙を引用したのは、親族によって二人の霊人の身元確認がしっかりなされたことを知ってもらうためである。
 また、次に、この手紙に対する私からの返信の一部を引用する。霊界通信がどのようなものであるのかをまだよく知らない人々のために、少しでも参考になれば、との思いからである。

 「お義父様に対して、もう一度聞いてみてほしいということであなたが書かれた質問は、『神を信じない人々を説得するため』という確かな意図に基づいていることはよく分かりました。というのも、そこには、疑いの気持や単なる好奇心は全く見られなかったからです。
 しかしながら、もしあなたが、霊実在主義についてもっと深くご存知であれば、そうした質問が無益であるということを、多分理解されていたでありましょう。
 まず最初に言いたいのは、あなたはお義父様に対して『はっきりした答えを言ってもらいたい』と思っていらっしゃいますが、我々には霊を強制することは出来ない、ということです。霊達は、自分が望む時に、自分が望むやり方で、自分に出来る範囲でしか、答えてくれません。彼等は、生前以上に自由意志を行為しますし、生前以上に精神的な強制から逃れる術を知っているのです。
 最もよい身元確認の証拠は、彼等が、自らの意志で、自発的に与えてくれたものなのです。或いは、自然の成り行きから彼等が与えてくれたものです。それらをこちらの意思で引き出そうとしても、まず上手くいったためしがありません。
 あなたのお義父様は、あなたにとっては疑問の余地のないやり方で身元証明をされました。したがって、お義父様にとってはどうでもよい人々の単なる好奇心を満たすことは、当然、無用のこととして拒否なさるでしょう。
 こうした場合にはよくあることですが、お義父様も、他の霊にならって、きっと次のように言われるはずです。
 『自分達が既に知っていることを私に聞いてどうするつもりかね?』
 それに、現在、彼が身を置いている混乱と苦悩の状態からして、この種のことを詮索されるのは、大変辛いことだと思います。それは、口も利けない程苦しんでいる病人に、自分のこれまでの人生について細々と喋るように要求するのと同じことだからです。明らかに思いやりに欠けた行為だと言わざるを得ません。
 という訳で、あなたがお望みのことは、おそらく期待外れとなるでしょう。
 身元確認のためのああした証拠は、自発的に与えられたからこそ、そして何者にも強制されなかったからこそ、大きな価値を持っているのです。
 疑い深い人々があれだけの証拠を見ても納得しないのだとしたら、件の質問に対する答えを見たところで、それ以上に納得するということはないでしょう。おそらく、彼等は、あなたと我々が共謀して書いたに違いないと言うはずです。世の中には、どのような証拠を見ても納得しない人々がいるのです。仮に、彼等が自分自身の目でお義父様の霊視を見たとしても、おそらく、『単なる幻覚だ』と言うに違いありません。
 招霊を、あなたのお手紙が届いた日に直ちに行ってほしいとのあなたの要望に関して、さらに一言付け加えさせて頂きますが、招霊は、そんなに簡単に意のままに行えるものではありません。霊達がいつも招霊に応じるとは限らないのです。
 そのためには、『彼等にとってそれが可能である』、或いは『彼等がそれを望んでいる』ということが必要なのです。しかも、彼等にぱったり合った霊媒がいる必要もあります。また、その霊媒がちょうどその時間に空いていなければなりません。さらに、交霊会の出席者が霊に対して共感を抱いている必要もあります。そうした条件が全て揃わない限り、しかるべき招霊は出来ないのです。
 以上、どうかご理解くださいますようお願い申し上げます」



自殺しても、あなたの意識は消えないよ!


 ★消えたい人への詳しい解説

 どうだったでしょうか?疑い深い人は、この話を、単なる作り話である、と断罪するかもしれません。まさしくそれこそ、柔軟性の無い、この話の中に出てくる疑り深い人々のようなものです。

 しかし、私としては、他人を騙して利益を得る目論見などありません。その証拠に、何も相手の個人情報を取得する術などありません。だから、嘘を書き連ねても、意味が無いのです。

 私は純粋に、自殺志願者を自殺の危機から救いたい気持ちで、このような霊的な自殺防止活動を、インターネットで行っています。インターネットが無い時代ならば、どこで誰が消えたい気持ちを抱いて、いつ自殺するかなんて分かる筈もなく、接触も不可能でした。しかし現代は、インターネットという文明の利器があります。これは革新的なシステムであり、相手が日本全国、いや、世界中どこにいても、その者に訴えることが可能なのです。

 どうか、消えたいと思っている自殺志願者であるあなたにも、霊的知識の素晴らしさを知って頂きたい。勿論、このページの文章を読んだだけでは納得しないことでしょう。しかしあとは、あなたが積極的に、自ら進んで霊的知識を学習していってください。そうすれば、徐々に、霊に関する疑問も雲散霧消し、やがて死後の生命に関する疑問は、確信へと変わるでしょう。

 とにかく、この話の中の、死後の生命を信じずに、消えたい一心から自殺してしまった愚かな男のようにはならないでください。この話は外国人の話ですが、日本人でも、自殺すれば同様の苦しみに襲われます。死ねば無になるのではないのです。消えたいと思って自殺しても、消えられないのです。

 あなたが自殺する前に、この霊的な自殺防止サイトに出会えたことは、単なる偶然ではなく、神の御導きだと思います。だからこそ、このサイトに出会った後で、自殺などけっしてしないでください。霊的知識を知った後で、なおかつ自殺するというのは、霊的知識を知る前に自殺したケースよりも悪質であり、神による罰も、より一層重たいものとなってしまうのですから。

 とにかく、他の自殺の霊的知識を今すぐ学習してください。

 自殺の霊的知識

 自殺してはならない霊的な理由

死にたい



死にたいあなたへ贈る、死にたくても死んではならない理由


 死にたい人が、このページを今、読んでいると思われます。詳しいことは一つ前の[自殺したい]に書きました。まあ、このページは、要約すれば、死にたい人に、死んではダメな霊的な理由を教えて、自殺を回避させるという趣旨なのであります。

 という訳で、死後にも生命はある、という根本的な事実を、是非、死にたいと思っているばかりのあなたにも知って頂きたい。面倒な説明なしに、今すぐ直接知りたいという方は、下のリンク先をお読みください。


 自殺の霊的知識

 自殺してはならない霊的な理由


■なぜ死にたいと思うのですか?

 今まで歩んできた人生というのは、人それぞれです。そして今現在、死にたいと思っている理由も、人それぞれでしょう。若くして死にたいと思っている人もおれば、老いてから苦境に立たされて、今、死にたいとばかり思っている人もいるでしょう。

 死にたい理由は、様々でしょう。中年の人がリストラを宣告されて、首吊り自殺や飛び降り自殺で死にたいと思っているのかもしれません。衝動的に鉄道へ飛び込み自殺をするなんてことは、毎日、関東圏のみでも、数件は発生しています。ほぼ毎日、自殺による人身事故は発生しているのです。また、工場の裏手で首を吊って死亡する人とかもいます。

 老年期に入り、金もない、身寄りもない、体も若い時分のように自由には動かない、もうしんどい、死にたい・・・と思っている老人も多数いるでしょう。また、若くして死にたいと思うに至った子供も多数いるでしょう。子供の自殺なんて、年中無休で報道されていますから。苛めが原因かもしれないし、失恋かもしれないし、とにかく衝動的に自殺するケースが後を絶ちません。

 各個人で、死にたいほどの苦しみを背負っているのは理解できます。死にたい理由の内容は知らずとも、その人自身にとっては、死にたいほどの苦しみなのですね。でも、その老若男女の自殺志願者達は、根本的な知識が欠けています。

 それは、[人間が死んだら、どうなるか?]という知識です。別に、遺産がどうのとか、この世に残されたその人の痕跡の後片付けの話ではありません。そうではなしに、死にたい人が自殺で死んだ後の、その人の魂の境遇のことです。果たして、そこまで思いが至っているのでしょうか?

 多分、というか確実に、死にたい人というのは、死後の世界のことなど眼中にはない筈です。とにかく[死ねば楽になれる]とか[死ねば無になるから、今耐えている苦しみから解放される筈だ]という、根本的に間違った思想に染まっているのです。

 つまり、死にたい人というのは、死後の世界の知識を何も所有していないのです。自殺で死ねば、どれだけの悲惨が待っているかということを知識として生前に知っておれば、けっして自ら死のうとはしない筈なのです。死にたいとは思わないでしょう。または、たとえ死にたいと思うようなことが再度発生したとしても、けっして本気で自殺行為は起こさないでしょう。なぜなら、自殺というのは大罪であり、自殺行為で死ねば、死後にその人自身の魂は辛い目に遭うということを確信しているからです。

 地雷を踏むというのは、そこに地雷があるということを認識せずに地雷原に入り込むから、地雷を踏むのですよね。そこに地雷があるのを認識しているにもかかわらず、地雷を踏んで激痛を体感したいという変わり者など、果たしているでしょうか?それと同様に、死にたい人も、自殺すればとんでもなく悲惨な境遇に陥るということを生前に分かっておれば、いくら死にたいと思っていたとしても、自殺を実行することはなくなります。

 では、肝心の[死にたいと思っても自殺してはならない霊的な理由]というのは、つまりどういうことなのでしょうか?


■死にたいと思っても死んではならない理由とは?

 さて、では面倒な説明なしに、いきなり[死にたいと思っても死んではならない理由]の説明に入りたいと思います。

 それには、アラン・カルデック著の[霊の書]の文章を用いて説明するのが適切かと思います。アラン・カルデックとは、19世紀のフランス人で、霊媒に憑依した様々な境遇の霊と対話し、その記録をまとめた人です。そしてこの[霊の書]とは、その中から、高級霊(死後の世界での偉い地位にある霊)の語った崇高な内容をまとめた書物です。ここでは、その中から、自殺に関連する箇所を抜粋して紹介します。


●自殺の結果

問・自殺の結果は、本人の霊の上に、どのように及びますか?

答え・その結果は、個々の場合によって違う。と申すのは、罰が、どのような経過で自殺に至ったか、その状況に応じて色々違ってくるからである。先ず、自殺者全員が等しく受ける罰は、失望落胆これである。他は、それぞれの事情で異なる。自殺者の中のある者達は、死後すぐに誤りの償いをさせられる。他の者達は、償いをするとしても、自分が放り捨てた人生よりも、更に辛い新しい人生で、やり直しをさせられるだろう。

(注解)自殺の結果は個々の場合ですべて違っている、という上記の解答は、観察によって確かめられている。ただし、その中の幾つか、突然に生命を失ったものの場合は、暴力で生命を奪われたものと同じ結果を示している。右の場合の特色は、霊肉を繋ぐ紐が丈夫で切れにくい、切断の瞬間、非常な抵抗を示すことである。これに対し、自然な死の場合は、生命の紐は徐々に弱まり、生命はすっかり燃え尽きる前に、千切れていくのである。暴力的に生命を失った場合の結果の第一は、一般に死後に味わう精神的混乱の期間が永びくこと。第二に、自分は未だ地上で生きているという錯覚を、当分の間持ち続けるということである。霊肉間にある引力のために、自殺者の幾つかの場合、まだ肉体の中にあるような意識をもち、自分は死んだ筈なのに死んでいないので、激しい苦悩と恐怖を経験する。これは本人が自分で縮めた生命の期間ほども続くものである。自殺の結果がすべてこうだとは限らない、しかし、自分で生命を縮めた者は、勇気と忍耐を欠いたことの結果から逃れる訳にはいかぬ。いつかは、何らかの方法で自己の誤りを償わされることになる。実は、ひどく不幸な地上生活を送った霊達が、次のように言っている。自分達はその前世で自殺したということ、それで自ら志願して新しい試練を引き受け、甘んじてこれを耐えたのだということ。ある場合は、自殺したが現世との何かの引っ掛かりが出来ていて、幸福な国を目指しても、道は閉ざされ、徒にもがいているということである。またある場合は、ただ唯あるのは無益な事をしたことの悔恨、それから受取るのは失望ばかり、こういうことである。
 宗教、道徳、及び全哲学体系は、自殺は自然法に反するものとして非難する。その根本原理は、人間には自分の意志で生命を縮める権利はないということである。しかし、なぜ我々にその権利がないのか。なぜ我々は自分の苦しみに終止符をうつ自由をもたないのか。この点、心霊主義は自殺の実例によって、下記のように主張できる。自殺は道徳違反として、間違いであるだけでなく、得るものは何一つなく、更に償いまでしなければならないのであると。この心霊主義の教えは、単に理論にとどまらず、我々の前に展開される事実なのである。

 ★死にたい人への詳しい解説

 自殺という手段は、日本人の場合、自分の命なのだから、自分で好き勝手に捨て去ってもよい、と考えている節がある。対外的には、[自殺はダメです]とカッコつけても、その理由をハッキリと述べられる日本人は少ない。また、宗教の禁忌項目としても、イスラム教やキリスト教では自殺は明確に駄目と規定されているが、神道と仏教では、前者に比べて、それほど自殺は駄目であるという一般的な概念がない。

 しかし、自殺は霊的に見て大罪なのだ。その結果は、悲惨なものとなる。生命というのは勝手に生まれて勝手に死んでいくものではない。神が与えて、神がよしとする時に失われるものであるから、自らの判断で勝手に地上生活の生命を切り上げてはならないのである。


●愛する者を失い自殺

問・愛する者を失った悲しみに耐えきれず、来世で一緒になる期待をもって自殺する者は、望みどおり目的が遂げられますか?

答え・自殺しても、その結果は、期待とは逆になる。愛する人に会えるどころか、この悲しい誤りを犯したために、長期にわたり、目指す相手からは切り離されたままになる。神は、この心根の卑怯、神慮を信じぬ神へ向けられた軽侮、この行為に対しては、いかにも一人よがりの本人の願いに、お応えになる筈はないのである。本人は悲しみの時を短くしようとしたばかりに、却って大きくなった悲しみによって、己が愚行の償いをさせられるのである。かねてよりの望みが叶えられることはないのである。


 ★死にたい人への詳しい解説

 よく後追い自殺なんてする人がいます。しかし、日本の世間の大多数は、霊的知識が無知なので、[あの世で愛する人と一緒になれたね]とか、[天国で○○さんと一緒にずっと幸せに暮らしてね]とか、勝手なことを言う。しかし、現実は違う。後追い自殺をすれば、自殺をしてまで会おうとした愛する者に会えないばかりか、自分自身も、生前に味わった喪失感以上の苦しみを長期間にわたり味わうこととなる。

 霊的知識を知らないということは、平気で恐ろしい愚行を犯す可能性が高い、ということなのだ。


●苦しみの短縮

問・自殺で自分の苦しみを短くしようと、死の淵へ身をさらす者の場合、間違っていますか?

答え・神の定められた死の時を待たないのは、常に誤りである。それに、自分の生命の終りの時が今来ていると、誰に分かるだろうか。自分で最後の時と思っていても、どんな救いの手が現れないとも分からないではないか。

-自殺は、普通の状況では、悪い事は当然のことです。しかし、もう死ぬことが分かり切っていて、ほんのちょっとその時間を早めるだけ、という場合がありますが。

答え・この場合、神の御意思のままに従う、その気持が常に欠けているのである。

-この場合、自殺したら、その結果はどうでしょうか?

答え・他の場合と同様である。自殺した状況に応じて罪の重さが定まり、罪の重さに応じて罪の償いがある。


 ★死にたい人への詳しい解説

 死にたいから自殺する、という人は、もしもその時点で自殺で死ななかったとしたら、とは考えないのだろうか?例えば、借金で苦しんで死にたいから自殺したケースを考えてみよう。その場合、自己破産すればいいだけではないのか?そうすればチャラになるのではないか?物事はごく単純なのではないか?なのに、死にたい死にたいとばかり言って、鬱になって死ぬことばかり考えているから、実際に自殺してしまうのだろう。

 その時点で[もしも死ななければ]という、もう一つの未来もあった筈だ。なぜなら、自分で死ななければ、生きていくという選択肢しかなかったからだ。勿論、自殺せずとも、近日中に他人に殺されたり、事故死したかもしれない。けど、その場合は、自殺した場合とは霊的に見て別の結果が待っていることとなる。

 だから、物事はわりかし単純なのではないか?自殺で死ななければ、とりあえず生きていく未来があった、ということだ。よく、他人の助けを受けるのは恥だという観念で思考が凝り固まった人が、誰にも助けを求めずに、自宅でひっそりと餓死や病死したというニュースを見るが、その人も、役所に積極的に支援を求めていれば、違った未来があったはずだ。要は、心の持ちようだと思うよ。頑固な思考も結構だが、やはり[死にたくても自殺しないこと]が最重要だということだ。


●恐ろしい激情

問・自分で、それが死を早めると分かっている、恐ろしい激情に落ち込んでいる者、しかし、それが習慣になって自分でもどう仕様もなくなっている者、彼は自殺をしているのでしょうか?

答え・彼は精神的に自殺している。この場合は、三重の罪があるという事が、お分かりだろうか。一つは意思の固さが欠けている、二つには獣のようになっている、三つには神を忘れている罪。

-このような者は、絶望で自殺する者より、なにがしか罪が大きいのでしょうか?

答え・この者の罪の方が大きい。と言うのは、自分はまさに自殺といえる道を歩いている事を、反省してみる時間があったのだから。時のはずみで自殺する者がある。この場合、狂気といえなくもないある程度の戸惑いがある事がある。だが、質問の彼は狂人よりずっと罪が重い。なぜかというと、罪の報いである罰は、その犯行をする際の本人の意識がどうだったか、これと常に関係があるからである。


 ★死にたい人への詳しい解説

 突発的に自殺をする者も大罪を犯すことになるが、長期間、長考した後に自殺を選択した者は、もっと大きな罪がある、ということだ。なぜなら、その間、じっくりと思慮する時間があったからだ。これも、唯物主義者や無神論者は、神などいないし、死後は無になると思い込んでいるので、平気で自分の命を軽視する傾向がある。勿論、人生が健康でビジネスも順風満帆に進んでいる時は楽しさや幸せの効用で死にたいなどとは思わないでしょう。しかし一転、人生に暗雲が立ち込めて、やがて暴風雨のような悲惨な状況下になれば、何にも[生きる]ということに対する信念がないので、割と簡単に自ら死を選択する傾向が強い。

 しかし、それは間違いだ。あなたは幸運だ。死にたいからと自殺する前に、この霊的な自殺防止サイトに辿り着けたのだから。中身をよく読んでくださいな。


●早く楽になる為の自殺

問・早く楽になりたいと願って、自殺する者について、どうお考えですか?

答え・これも愚か者の行為である。かような者には、人に役立つ事をさせなさい。そうすればもっと確実に楽に幸せになれる。この者は自殺によって、幸せな国に入る時を遅らすことになる。と申すのは、彼は地上へ逆戻りすることを請い求めることになろう。愚行で切断された人生をやり直すために。善人の聖域は愚行によっては決して開かれることはない、たとえその動機が何であっても。


 ★死にたい人への詳しい解説

 この世の苦しみから一刻も早く逃れたい一心で自殺する人が大半でしょう。未来に何かしら希望があれば、人は死にたいと思っても、なかなか自殺を実行しないものです。しかし、未来に何も希望が見い出せなければ、途端に自殺する確率はグンと上昇してしまうでしょう。それは、何の信念もないからです。つまり、生きる意味を知らないので、生きる意志が、砂上の楼閣の如く脆いのです。だから、愛する者が死んでしまえば、あるいは財産がスッカラカンになってしまえば、割と簡単に死を選択してしまう傾向があるのです。

 そして死にたい者が自殺を実行してしまえば、その愚行の罪滅ぼし、そして前回の人生で中断された目標のやり直しをしに、再びこの地上に、今度は前回よりも更に苦しい立場に身を置いて暮らすはめになることは確実なのです。だから、死にたいからと言って、自殺することは損得勘定の点から見ても、確実に損ばかりなのです。


●恥辱を避ける自殺

問・子供や家族へ恥辱が及ぶのを避ける為、自殺をしたとすれば、これは許されますか?

答え・そのような手段に頼ることは間違っている。しかし、本人がこれが一番良い方法と考えた末での決行なら、神は本人の意図に目を止められる。と申すのは、これが本人が自分に課した罪の償いであるから。彼の誤った行為は、その動機によって情状酌量されるが、それでも罪は罪である。もし、世間から偏見や中傷や陰口が取り払えるなら、自殺はこれ以上増えないだろう。

(注解)悪事をして両目が潰れるのを逃れる為、自殺する者は、神の評価よりも人間の評価に重きを置いている。と言うのは、償いのため現世で自殺をした、その罪の償いの手段のため、不法行為の罪の重荷はそっくり背負ったままで、あの世へ行く破目になるのだから。神は人間より冷酷ではない、神は心から悔いる者を許し給う。我々が過ちを努力して償おうとすれば、これを斟酌して下さる。しかし、自殺をしても何一つ償いとはならない。


 ★死にたい人への詳しい解説

 自殺は常にダメなのである。この前、自作した鹿避けの電気柵により、遊びに来ていた子供や大人が感電して複数人が死ぬという痛ましい事故が発生した。その電気柵を設置した老齢の男性は、その後、自殺してしまった。自責の念に耐えられないので自殺してしまったらしい。また、自分が死ぬことにより、その老人の家族がこれ以上、世間から白い眼で見られるのを防いだとも考えられる。

 日本社会は、犯罪や不祥事を犯した本人が自殺で死ねば、それで責任を取ったことになる、という馬鹿げた考え方が蔓延しているからな。凶悪犯であれ、自殺をすれば、それでもう被害者とはお相子で、罪の償いは終了、みたいな目で見る人が多い。だから、追い詰められた人達は、犯罪者か普通の人かは問わず、容易に自殺を選択するのだ。

 しかし、そんなことで自殺したとしても、自殺するに至った責任は何も消化されずに残ったままである。つまり、カルマとして残り続ける。そしてそれは、来世で返済せねばならないのだ。更に、自殺したという大罪のカルマも発生するので、実は踏んだり蹴ったりなのだ。だから、今回の人生で、自殺に逃げずに、生きて償うという方向性が、一番最短距離でカルマを消化できる道なので、賢明なのだ。


●不法行為の自殺

問・絶望による自殺と同様に、不法行為の恥辱から逃れるための自殺も、非難に値しますか?

答え・不法行為が、自殺によって拭い去られるものではない。それどころか、初めの不法にもう一つの誤りを付け加えることになる。誤りをあえて犯す勇気があったのなら、その不法行為の結末を見届ける勇気があって然るべきである。神は唯一の審判者であり、不法を犯した諸般の事情を考慮して、その不法の罪一等を減じられることもあるのである。


 ★死にたい人への詳しい解説

 自分で犯罪行為を犯しておいて、それが遂に世間に露見するとなったら、その人のそれまで築き上げてきた社会的地位が全部瓦解し、自分も刑務所に長期間服役させられてしまう・・・・そういった状況になるのが確実だとして、その暗い未来から逃れたいが為に、自殺を選択する権力者や犯罪者は多い。

 実際の事例として、以前、自民党の現役農林水産大臣であった松岡大臣は、議員宿舎で首を吊って自殺した。事務所費や光熱水費の偽装、不正な献金問題等があったらしい。それでマスコミに追い詰められて、とうとう自殺してしまったのが真相のようだ。

 自殺したということは、やはり不法行為を働いていたのだろう。しかし、その罪が露見した結果、その罪を堂々と償うという勇気は一切無かったようだ。人生を大きな馬力で切り開く力はあったから、大臣まで上り詰められたのだろう。しかし、それとは真逆の事態の、転落する人生を受け入れる勇気は無かったのだ。だから、彼は自殺に逃げたのだ。

 死人に口無しなので、反論したくても、出来ないのだ。だからこそ、ちゃんと罪の償いは[生きて]せねばならないのだ。自殺すれば全ての罪がチャラになる、世間からの冷たい視線も、同情の視線に変わる筈、だと勘違いしている人が多すぎる。霊的な観点からは、自殺することは、不法行為を犯したカルマは一切解消されずに、更にそこに自殺したという大罪のカルマが加わるだけだ。それが来世にズドンと加重され、来世は何らかの厳しい条件で生きていかねばならなくなるのだ。


●絶望の挙句の自殺

問・自殺する者は、逆境と闘い、絶望の挙句自殺したのだと、こう考えることは出来ませんか?

答え・そういう自暴自棄が自殺なのである。だが、自殺に追い込んだ人物、すなわち、もしかしたら自殺させずにすんだ人物は、自殺した本人より罪が重い。従って、本人は寛大に裁かれよう。とは申しても、彼に何の罪とがないわけではない。もし、彼が堅実さと忍耐に欠けていたのなら、困難を乗り切るため知恵を奮ってベストを尽くさなかったのなら。それにまた、もっと罪のある場合がある。プライドが邪魔をして知恵を働かさなかったとか、肉体労働で生計をたてるのを恥としたとか、社会的地位をおとすくらいなら飢えた方がましだと、そういう考え方をしたのだったら。逆境にめげずこれを耐え、つまらぬ利己的な悪意の批判を物ともせぬ、そういう姿勢の中にこそ、百層倍の高貴さと真実の威厳があるのではなかろうか。つまらぬ悪意の陰口を叩く者共は、少しも困ってない人には善意を示しても、本当に困っている人には手も差し出さない、そういう手合なのだ。こういう輩のあれこれの為に、生命を断つなどは二重に馬鹿げている、死んだからといって、彼等は鼻も引っかけない、そういう事を見ればね。


 ★死にたい人への詳しい解説

  これは、苛めで自殺するケースにピッタリと当てはまることかもしれない。苛められて絶望し、電車に飛び込み自殺する、あるいは首吊り自殺する。こういったケースは一か月に一度は必ず報道される程度の頻度で発生している。勿論、話題にもならない子供の自殺も多数発生している。

 このケースでは、勿論苛めた加害者の子供が一番悪いのは明白だ。本人達は、まだ子供だということで、少年法でも守られるし、世間からの視線も大人に比べて緩やかなものだろう。しかし、これは、同様のことを大人がすれば、重罪で確実に懲役刑になるような案件なのだ。それが、子供というだけで、少年院に少し入る程度で済むのだから、加害少年に過保護過ぎると言われても仕方があるまい。本人達は「糞ムカつくアイツが死んで清々したわ、アハハ!」などと思っているかもしれない。しかし、神の視点からすれば、そいつらには、物凄いマイナスのカルマが加算され、将来的に必ず跳ね返ってくることとなっているのだ。だから、結局は、加害者は大損だということだ。しかし、そのカルマの理論は明確に科学では証明できないので、呑気にしているだけだ。

 しかし、苛められて自殺した被害者の子供に関しても、何の罪もない訳ではない。やはり自殺は大罪なのだ。本人は自殺が、自分が今味わっている苦境から脱出する唯一の手段だと思い込んでいたのかもしれぬ。しかし、そうではない。けっして、自殺が唯一の解決手段だ、なんてことはない。むしろ、最悪な手段なのだ。なぜなら、自殺をしても、何も解決したことにはならないのだから。本人が自殺霊となり苦しむのみだから。

 だから、積極的に助けを求めねばならない。学校の先生が使えないのならば、警察とか、警察がダメなら役所とか、その他、子供向けの電話相談とか、児童相談所とか。私はよく知らないが、とにかく片っ端から使えそうなところは利用せねばならない。そして、[逃げる]ということも、全然卑怯ではないのだ。[生きる]ということから自殺で逃げることは卑怯だが、生きていく上で、一時的にその辛い事態から逃げることは、別に生きる為の手段として、全然卑怯ではない。徳川家康とか、織田信長とか、マッカーサーとかも、人生のピンチの時は、とっとと逃げているぞ。で、その後、体勢を立て直して、挽回するのだ。だから、一時的に逃げるのは、全然OKなのだ。

 これは、過労自殺にも言える。なんで、生きていく為に仕事をしているのに、仕事が原因で自殺を選択するのか?矛盾しているではないか?生きていく為の金を稼ぐのが仕事なのに、その仕事のせいで自殺するとは、これいかに?しかも、そういったブラックな職場は大抵、低賃金なので、他にいくらでも同額以上の給与を稼げる職場はあるのだ。

 また、オフィス勤務のホワイトカラーが、不景気でリストラに遭い、もう他のホワイトカラーの職場に就職する当てがない・・・だから自殺します・・・というのもダメだ。それならば、低賃金のブルーカラー、つまり肉体労働者になればいいのに。でも、今更、肉体労働なんて恥ずかしくて出来るか!みたいな考えで、自殺してしまう者もいる。でも、それは間違いだ。別に何も恥ずべきことではない。

 テレビとか世間では、そういった人を見下す傾向もある。しかし、世間なんて、無視すればいい。自分の人生なんだから。仕方がない時は、仕方がないのだ。肉体労働者を見下すような者達は、中年の人が正社員の職が決まらずに、仕方なくバイトで一時的に糊口をしのぐ姿を嘲笑するような奴らは、クソ野郎なのだから。そんな人間のクズ共は無視しなければならない。そんなバカ共の視線や嫌味を一々気にしていたら、生きていけないよ。ある程度は精神を図太くせねば、この社会福祉政策が細い日本国では生きていけないよ。ここは福祉先進国のデンマークではないのだから。


●自殺に追い込んだ者の責任

問・人を自殺に追い込んだ者達には、その責任はないでしょうか?

答え・ある。しかもその罪は甚だ重い。何故なら、これは殺人である。彼等はその責任を負わねばならぬ。


 ★死にたい人への詳しい解説

 人の作った法律は欠陥だらけです。包丁で直接刺し殺せば、正当防衛でない限りは、確実に懲役刑なのに、相手をネチネチ苛めて攻撃して自殺に追い込んだ場合は、それよりもはるかに軽い罪で済むか、無罪で済むという。

 しかし、神の視点からは違います。人間が許しても、神の視点からは、ちゃんと罰を受けるに値する犯罪となります。だから、その責任は必ず、将来、その者の人生に、カルマとして降りかかるでしょう。たとえ今回の人生の内に降りかからずとも、死んで霊界に行ってから、確実に責任は取らされます。だから、相手を自殺に追い込むような暴言など、控えましょう。


●自殺に逃げ道を求める者

問・ この世の苦しみや失望から、自殺に逃げ道を求める者達を、どうお考えですか?

答え・彼等は人生の些細な苦悩を耐える勇気を欠いた、弱虫である。神は勇敢に耐える者には手を貸し給う、勇気も強さも持ち合わさぬ者達には力を貸し給わぬ。人生の艱難辛苦は試練であり、罪の償いである。黙って耐え忍ぶ者は幸いである。彼等に返って来るものは大きい。他方、自分の幸福を偶然や運に期待する者は、不幸である。偶然や運は、彼等の言い草ではないが、一寸の間は按配が良い。だが時が経てば、その言葉の虚しさが、一層手厳しく思い知らされるだけ。


 ★死にたい人への詳しい解説

 つまり、自殺は駄目なのです。要は、考え方を少し転換すれば、生き易くなるのではなかろうか?人間は最高峰の他人と比較する癖がある。俺だって、未成年でサッカーの世界でスーパースターとして活躍しているような奴を羨ましいと思うことはある。なんでただ球蹴りが上手なだけで偉人扱いなのか、本当に不思議なのですが、今の世の中は、サッカーボールの扱いが上手な奴は大金が稼げて偉人ということになっているようです、この人間社会では。だから、性格が最悪でも、サッカーボールの扱いさえ上手ならば、偉人なんだってさ。

 しかし、そんな奴らと比較しても仕方がない。俺の人生は俺の人生なのだから。俺の人生の課題は、今ズバリ、自分が生きている人生の中にあるのだから。俺も色々と辛いことだらけだよ。でも、生きることは義務なので、生きているのだ。自分を制御できずに散財してしまうけど、それでも生きていくしかない。理想はあくまで理想であり、現実は今、この瞬間なのだから。だから、俺は今後も、俺の人生が辛くても、とりあえず生きていくから。


●厭世自殺

問・ 厭世自殺をする人達、これはどう考えたらよろしいですか?

答え・愚か者よ!なぜ世に役立つ仕事をしようとしないのか?そうすれば、人生とは一向に退屈なものにはならぬだろうに。


 ★死にたい人への詳しい解説

 厭世自殺、つまり、この世で生きることが嫌になって自殺することですね。特に何も理由がなくとも、もういいや、みたいな感じで、自殺を選択するバカもいます。けども、それも当然、大罪です。

 そんな人は、私のように、人の役に立つ仕事をしてみてはどうでしょうか?私も、今、こうして無償で自宅のパソコンで、文章を入力しています。これも、見ず知らずの、赤の他人の自殺志願者を救おうという目的からしているのです。別に、金が儲かるわけでも、何らかの現世的な見返りがあるわけでもないのです。でも、人の役に立つというのは、実に誇らしいことです。もしも、現時点の私が、今までの人生で何も人様の役に立ったことがなかったとしたら、そして霊的知識も知らなかったとしたら、厭世自殺を遂げてしまっていたかもしれません。

 でも、自殺は駄目です。なぜなら、生きる事は義務だから。


●自殺と自由意志

問・自殺は常に自由意志から出るのですか?

答え・自殺をする狂人は、自分のしていることが自分に分かっていない、ということである。

 ★死にたい人への詳しい解説

 まさしく、この通りです。自殺者は、自殺するということがどれほどの大きな間違いなのか、全く理解していなかった。だから、死にたい死にたいと言って自殺してしまった。そして、今、自殺霊として苦しんでいる、という訳です。

 あなたは幸運です。今、こうして自殺する前に、霊的知識に触れられているのですから。


●自分の命を絶つ権利

問・人間には自分の命を絶つ権利がありますか?

答え・いや、その権利は神にのみある。我意によって自殺する者は、彼を地上に送った神の命に背くものである。


 ★死にたい人への詳しい解説

 よく日本人は、自分の命は自分のものなのだから、自殺で命を絶つのも自分の自由の範疇だ!と主張する人がいます。しかし、それは間違いです。自分の命は自分のものではありません。あくまで、神が与えた命なのですから、自然に寿命を全うするまでは、生きるべきです。

 勿論、必ず老衰で死ぬというわけではありません。末期癌とかの病気で死ぬかもしれないし、交通事故で死ぬかもしれないし、誰かに殺されるかもしれない。しかし、自殺で死ぬのとは違い、それらは自分の意志で死ぬわけではないのだから、いいのです。

 とにかく、自殺で死ぬということは、霊的知識の観点からして、100%の間違いなのですから、人生の最期まで生き抜くべきです。誰かの助けを得てもね。


■死にたいと思っても死ぬなよ!

死にたくても、死んではならないぞ!

 とにかく、これまで様々な[死にたいと思っても自殺してはならない霊的な理由]を紹介してきました。しかし、これらはあくまでも、霊的知識全体のほんの僅かな量でしかありません。より理解を深めるには、各々で積極的に、自主的に霊的知識を学習していく他はありません。

 とりあえず、死にたいあなたは、[自殺の霊的知識]に限って、全て読破することをお勧めします。その後、[自殺の霊的知識]以外の霊的知識にも手を広げるべきだと思います。

 最後に、死にたいと思っても、絶対に自殺はしてはならないよ!


必読↓
 自殺してはならない霊的な理由

 

自殺したい


自殺したいあなたへ贈る、自殺してはならない理由

 自殺したい人が、このページを見ていると思います。また、自殺したい訳ではなくとも、一応、このページで説明する自殺防止の為の霊的知識は、あなたの今後の人生にとてつもなく有用なので、ぜひ、最後まで読んでください。

 なお、直接的に自殺の霊的知識を今すぐ知りたい方は、下のリンク先をお先にお読みください。

 自殺の霊的知識

 自殺してはならない霊的な理由

■あなたは、なぜ自殺したいのか?

 あなたは現時点で、自殺したいと思っている。その理由は皆、様々でしょう。それまで辿ってきた人生の足跡も皆、バラバラなのだから、具体的な自殺したいと思うに至った原因というのも、また個々人でバラバラでしょう。

 しかし、そんな自殺したい皆さんにも、共通して断言できることがあります。それは、[自殺してはならない]ということです。

 では、なぜ私は、こうも強い口調で、自殺したいあなたに対して、[自殺してはならない]と断言するのでしょうか?

 単なる道徳心から?慈悲心から?ヒーローになりたいとか、そういった心境から、心の弱っている人を救いたい一心から、そのように主張しているのでしょうか?

 事実は違います。私は、私の勝手な想像で、自殺したいあなたに[自殺してはならない]と主張しているのではありません。私は確信があるのです。

 その確信とは、[霊的知識に基づいた知識により、自殺したら大変なことになる]ということです。そう、実は死後の世界というのは既に判明していますし、自殺者の死後の様子もちゃんと分かっております。だから、自殺したいあなたが、無知なまま自殺し、あえて泥沼に自らはまり込む真似はするな!と忠告しているのです。

 では、その霊的知識とは何なのでしょうか?それは、まずは実際の霊的知識の文章を読んでみてください。そうすることが、霊的知識を理解する最短の道なのですから。なので、自殺に関する霊的知識を、これから紹介していきたいと思います。


■なぜ自殺したい意志を実行し、自殺してはならないのか?

 では、ここから具体的な、自殺に関する霊的知識を、自殺したいあなたに一つ一つ教えていきたいと思います。

 なお、これらの文章は、私の書いた[自殺の霊的知識]に掲載されていますので、まとめて自殺の霊的知識を読みたい方は、[自殺の霊的知識]を一通り一気にお読みください。きっと、自殺したいあなたのお役に立つと思います。


 まず、自殺したいあなたは、そもそも、今、生きている状態の肉体を殺したい訳ですよね?では、その後は一体、どうなると思っていたのですか?肉体が火葬され滅び、完全な『無』となり、自分の意識も消滅すると考えていましたか?

 でも、実際は違います。人間の体というのは、この世に生きている間は肉体という、細胞の塊をまとっています。そして、死ねばその肉体は当然消失します。しかし、肉体が消滅しても、その後は霊体という体でもって、生き続けるのです。この霊体というのは、肉体のように病気になることも、老いることも、眠ることもありません。障害も消え去ります。まあ、こういったことはごく基本的な霊的知識なのですが、その基本的な霊的知識でさえ、自殺したいあなたは知らないでしょう。なので、具体的な自殺の霊的知識以外の霊的知識に関しては、当サイトの他の箇所を読んで、どんどん新たな霊的知識を吸収していってください。初心者向けとしては、[霊の書]あたりが適切かと思います。

 では、ここから、具体的な[自殺の霊的知識]を紹介していきたいと思います。

 まずは、[シルバーバーチの霊訓]より、自殺したいあなたに即効性のある霊的知識を幾つか紹介していきます。[シルバーバーチの霊訓]とは、20世紀、英国のモーリス・バーバネルという霊媒に専属で憑依し、数々の珠玉の名言を残したシルバーバーチという、死後の世界の高い地位にある霊の語った話をまとめた書物のことです。今回はその中から、自殺したい人に直接効く霊的知識を紹介したいと思います。

 [死ぬということはどういうことか](シルバーバーチの霊訓より)


 -死後の生命なんか欲しくないと、本心からそう思っている人がいます。そういう人達にどう説かれますか。

 地上なんかに二度と生まれたくないと本心から思っている霊がいますよ。しかしそれは、いかんともし難いことなのです。自然の摂理との縁を切ることは出来ません。あなたがどう思うかに関係なく摂理は働きます。開け行く大自然のパノラマが人間の小さな欲求や願望、或いは反抗にもお構いなく展開して行く姿をご覧になれます。

-と言うことは、私達は地上へ来たくなくても無理矢理来させられるということでしょうか。私はその点は自由な選択が許されると思っていました。

 必ずしも強制されるわけではありません。地上からこちらへ来るのにも自由選択が許されるように、こちらから地上へ行くのにも選択の余地が与えられています。是非とも為さねばならない仕事があることを自覚して地上へ誕生する霊がいます。行きたくはないけど、どうしてもしなければならない用事があるので止むを得ず誕生する霊もいます。或いは償わねばならない業(カルマ)があって誕生して来る場合もあります。

-自殺をすることまで計画されていることがあるというのは本当でしょうか。

 とんでもありません!計画というのは母胎に宿る以前に霊自身によって立てられるのです。

-自殺行為によって学べる教訓は何一つ無いということでしょうか。

 あるわけがありません!生命は宇宙の大霊が授けるのです。それを縮める権利は人間にはありません。


 ★自殺したい人への詳しい解説

 自殺したい人は、死後には生命などないと考えている、または、そもそも死後にも意識は存続するのか?ということすら、全く考えていない。自殺志願者が考えていることは、つまり直ぐにでも死んで、肉体をまとって味わっているその苦しみから一刻も早く解放されたい、ということだ。

 しかし、実際は、死後にも意識は存続する。肉体は滅んでも、今度は霊体で存続し続けることとなる。そして、自殺をすることなど、生まれる前に立てた計画にはけっして含まれてはいないのだ。生まれる前にも、当然、霊界で、霊体として生活しており、意識はあった。その時に、地上に肉体をまとって人生を生きる上で、大体の人生の目標というか、行程を定める。

 しかし、その時に、自殺で人生を終了させることなど、誰も想定していないのだ。だから、自殺で死を選択するというのは、想定外のことなのだ。この世に人の魂が生まれてくる目的は、様々な人生を経験して、魂を豊かにすること、発展させること。だけど、自殺というのは、強制的に人生を終了させる愚行なので、当然、途中放棄した責任と苦しみが、死後にその者の魂、つまり霊体に降りかかってくる、というわけだ。


■後追い自殺について

 次に、シルバーバーチの霊訓から、[自殺について]の項目を紹介します。

 同じく主人を失い、失意のあまり自殺まで考えた婦人が次のような質問を寄せ、それがシルバーバーチに読んで聞かされた。

-自らの行為によってそちらの世界へ行くことは許されることでしょうか。例えば最愛の伴侶を奪われた人の場合です。

 「許されません。あくまでも摂理に従って寿命を完(まっと)うしなければなりません。神の摂理は常にその働きが完璧だからです。完全な愛によって、つまり全存在に宿り全存在を通じて働いている神の意志によって支配されているからです。その摂理の働きに干渉する権利は誰にもありません。もし干渉して与えられた寿命を自らの手で切り上げるようなことをすれば、それに対する代償を支払わされます。
 例えば林檎を熟さない内にもぎ取れば、林檎の美味しさは味わえません。それと同じで、霊的に熟さない内に無理矢理に次の世界へ行くようなことをすると、(地上での悲しく苦しい期間よりも)永い期間に亘って辛い体験を支払わされることになります。おまけに、折角一緒になりたいと思った愛する人にも会えないことにもなります。その摂理に背いた行為が一種の溝を拵えるからです」
 このシルバーバーチの回答がサイキック・ニューズ紙に掲載されたのを読んでその婦人が次のような礼状を寄せて来た。
 「質問にお答くださったことへの私の感謝の気持をシルバーバーチ霊にお伝え頂けるものかどうか存じませんが、もしお伝え頂けるのでしたら、〝後に残された者〟の質問にこんなに明快にそしてこんなに早く回答してくださったことに対する私の感謝の気持をお伝えください。そして、こうもお伝えください-お言葉に大変失望致しましたが、お訓えを信じ神からのお呼びの声が掛かるまで、力の限り〝生き続ける〟覚悟を決めました、と」


 ★自殺したい人への詳しい解説

 この文章は、シルバーバーチの霊訓の、ある文章からの抜粋です。いわゆる[後追い自殺]というやつです。愛する主人を失って、とてつもない喪失感から、自身も自殺で死んで、あの世で主人と再会しよう、という考えだったらしいです。

 これは、以前、テレビでも同様のケースがありました。とある男性芸能人が死に、その妻が喪失感から、自殺で後を追うことを考えた、と独白していました。しかしこれは、とてつもない罪なのです。よく、このような話は美談として、美化されます。いわく[愛をまっとうした]だの、[死ぬほどの純愛]だの・・・。しかし、霊的知識の観点から眺めれば、とんでもない間違いなのです。

 この後追い自殺の悲劇の実際の事例が、アラン・カルデック著の[霊との対話]に掲載されています。

 アラン・カルデックとは、19世紀のフランス人で、霊媒に憑依した様々な霊と対話して、霊界研究をした第一人者でした。ラテン世界で高い人気があります。そのカルデックが善悪、そして普通の霊と、様々な霊達と対話した記録をまとめたのが、この[霊との対話]です。

 この[霊との対話]の中で、後追い自殺をした霊の、死後の世界での悲惨な境遇の話が掲載されていたので、ここに紹介します。

 
 息子の後追い自殺をした母親 (霊との対話より)

 1865年3月のこと、パリ近郊の小さな街に、ある仲買人が住んでいた。家には、21歳になる重病の息子がいた。この息子は、いよいよ最後が来たことを悟り、母親を呼んで、かろうじて最後のキスをした。
 母親は、涙にくれながら、次のように言った。
 「さあ、逝きなさい、わが息子よ。お母さんより先に逝くのです。でも、私もすぐに後を追いますからね」
 そして、手で顔を覆うと、部屋から駆け出した。
 そこに居合わせた人々は、この胸ふたがれるシーンを目撃し、母親の言葉を、こういう時によく見られる苦悩の表現とのみ受け止めた。時間が経てば、こうした苦悩も和らぐものである。
 ところが、ついに息子が亡くなった時、母親の姿が見当たらないので、家中を捜したところ、屋根裏部屋で、この母親が首を吊って自殺しているのが見つかった。こうして、二人の葬式が同時に行われることになったわけである。
 死後、数日してから、この息子の霊を招霊して、色々と聞いてみた。

-あなたが亡くなったことを悲しんで、お母さんが自殺されたのですが、そのことはご存知ですか?

 「はい、知っています。母が、あのようにして、ひどい最後を遂げなければ、私は完全に幸福になっていたのですが。
 ああ、可哀想なお母さん!あんなに優れた人だったのに。お母さんは、ほんの一時の別れに耐えられず、愛する息子と一緒にいられるようにと、ああした道を選んだのですが、そのことが、かえって息子から遠く離れてしまう結果を招いたのです。
 もし、お母さんが、素直に神様の意志に従い、与えられた試練と償いを前にして、慎ましく、罪を悔いて、運命を甘受していたとすれば、魂の浄化が進み、息子とも、すぐに会うことが出来たのですが、あのようにしたことで、この再会が無限に遅れてしまったのです。
 ああ、お母さんのために祈ってください・・・・。
 そして、この話を聞いて心を打たれた、世のお母さん方に、決して、このようなまねをしないように、どうか言ってあげてください。
 私を喜びとし、誇りとしていた母が、どうか、他のお母さん方よりも息子を愛していたとは思わないで下さい。そうではないのです。母は、他のお母さん方以上に、私、つまり息子を愛していたということではなくて、勇気と諦念を欠いていたということにすぎないのです。
 どうか、この話を聞いているお母さん方、よくよく知っておいて下さい。あなた方のお子さんが最後の苦しみを経て亡くなったとしても、決して彼等がいなくなってしまったというわけではなく、キリストと同じように、それはゴルゴダの丘の頂上に上ったということであり、そこから、永遠の栄光に向けて、さらに昇っていくことになっているのです」

 母親の霊の招霊
-招霊します・・・・。
 「ああ、息子の姿が見たい!どうか、息子を返してください!ああ、なんて酷い人達なんでしょう。あの人達は、私から息子を奪い去って光の中に連れて行き、私のことは、こうして闇の中に置き去りにする・・・・。ああ、息子を返してください、息子を返して!あの子は私のものなのです!
 だって、母性愛とは、そういうものでしょう?9ヶ月もの間、おなかに宿し、自分の肉から出来た肉を乳で育み、自分の血を与えて大きくしたのです。よちよち歩きを見守り、『ママ』という優しい言葉の響きを教え、『神様』という単語がようやく発音できるようにしてあげたのです。そして、活動的で、知性にあふれ、誠実で、正しく、親への愛に満ちた若者に育てたのです。
 ところが、ああ!すべての期待を実現し、いよいよ、これから輝かしい未来に向って船出しようという瞬間に、その息子を失う!こんなむごいことがあるでしょうか?
 神様は公平ではありません!そんな神様は、私達母親の神様ではありません!だって、息子を失った母親の絶望と苦しみをちっとも理解してくださらないのですから。
 いつまでも一緒にいようと思って、自ら命を絶ったというのに、またその息子を私から奪い取るなんて!
 ああ、息子よ、どこにいるの?私の息子!ここにいらっしゃい!あなたに会いたい!」
-かわいそうに。苦しみにご同情申し上げます。でも、息子さんに会おうと思ってあなたがとった手段は、間違っていたのですよ。自殺は神の目から見たら、どんな場合でも罪なのです。神の法を犯した者は、必ず、全員、罰を受けるということを、知っておくべきでした。あなたの息子さんに会えないということが、あなたにとっての罰なのです。
 「いいえ!神様は人間とは違うはずです。私が地獄に堕ちるなんておかしいわ!愛し合った者達は、永遠に一緒にいられるはずですもの。
 ああ、私は間違っていたのかしら・・・・?いいえ、こんなことをなさるなんて、神様は公平でも善でもない。だって、私の、この苦しみと、息子に対する、この愛の深さを理解なさらないのだもの。
 ああ、息子を返して!永遠に息子を失うなんて、絶対に嫌!哀れみを、神様、哀れみをください!」
-どうか、心を鎮めてください。いいですか、もし、息子さんに再び会うための方法があるとしても、それは決して、今あなたがしているように、神様を冒涜することによってではないはずですよ。そんなことをしたら、神様は、ますますあなたに対して厳しくなさるに違いありません。
 「息子を連れて行った人達は、もう私が息子に会うことは出来ないと言いました。多分、息子は天国に連れて行かれたのだと思います。
 でも、私は、一体どうして地獄にいるの?ここは、母親達の地獄なのかしら?確かにそうだわ。それが、とてもよく分かる」
-あなたの息子さんは永久にいなくなったのではありません。きっとまた会えますよ。でも、そのためには、神様のご意思に素直に従う必要があるのです。今のように反抗していたのでは、いつまでも息子さんに会えるようにはなりません。
 いいですか、よく聞いてください。神様は、無限によい方ですが、また、無限に公正な方なのです。神様は、ゆえなくして人間を罰するようなことはありません。
 あなたが地上において大きな苦しみを与えられたのには、それなりの理由があったのです。息子さんの死によって、あなたは諦念というものを学ぶ必要があったのです。地上において、あなたはその試練に負けましたが、こうして、死後もまた、その試練に負けました。神様が、反抗的な子供をかわいいと思うでしょうか?
 神様は、決して、情け容赦のない方ではないのです。神様は、罪を犯した者が悔い改めさえすれば、必ず、それを受け入れて下さるのです。
 もし、あなたが、神様がお与えになった、息子さんとの一時的な別れという試練を、黙って、謹んで受け、神様が地上からあなたを引き上げてくださるのを辛抱強く待っていたとすれば、あなたは、今あなたがいる霊界という世界に還った時、両手を広げてあなたを迎えに来る息子さんと、直ちに会えたはずなのです。しばらくの不在の期間の後、あなたは、光り輝く息子さんと、喜びと共に再会できたはずなのです。
 あなたがしたこと、そして、未だにし続けていることは、あなたと息子さんとの間に壁をつくるだけなのですよ。
 息子さんは、無限の空間の彼方にいなくなってしまったのではありません。そうではなくて、息子さんは、あなたが想像するのよりも、ずっと近くにいるのです。厚い壁があるために、あなたの目には息子さんが見えないだけなのです。
 息子さんは、あなたを見、今も変わらずに、あなたのことを愛しています。そして、あなたが神様を信頼しないために、今のような状況に陥っていることを、たいへん悲しく思っているのです。
 息子さんは、あなたの前に姿を現すことが許される瞬間を心待ちにしています。その瞬間を早めるのも、遅くするのも、すべて、あなたの心の持ち方一つにかかっているのですよ。
 さあ、私と一緒に神様に祈りましょう。
 「神様、あなたの公正さと善意を疑った私を、どうぞお許しください。あなたが私を罰したのは、私がそれに相当したからです。どうか、私の悔い改めをお認めください。私は、神様のご意思に素直に従います」
 「ああ、希望の光が射してきました!なんて素晴らしい光でしょう。まるで闇夜に射す一条の光のようです。ありがとうございました。これからは、ちゃんと神様にお祈りします。それでは、さようなら」

 この霊は、自殺のあと、「まだ自分が生きている」という幻想にとらわれることはなかった。自分がどこにいるかが、しっかりと分かっていた。
 それに対して、別のケースにおいては、「霊になった自分が、まだ肉体に繋ぎ止められている」という幻想それ自体が罰となる場合がある。
 この女性は、霊界に行った息子を追いかける為に自殺を図った。だが、彼女は息子に再会することは出来ず、自分がその世界で罰を受けているということを自覚する必要があった。彼女にとって、「もう自分が肉体的な存在ではない」という事実、そして「自分は地獄にいる」という事実を知ることが罰となったのである。
 このように、それぞれの過ちは、必ず、そのあとに続く状況によって罰せられるのだが、その罰のあり方は、罪に応じた個別的なものとなる。画一的、普遍的な基準がある訳ではないのである。



 ★自殺したい人への詳しい解説

自殺したいと思っても、自殺してはならないぞ!

 このように、愛する者、つまり恋人や、夫や妻、そして親友や親、息子、娘が先に死んだからといって、自分自身も後追い自殺などすれば、この後追い自殺をしたせいで地獄で苦しんでいる愚かな母親とまったく同じ境遇に置かれることとなります。だから、絶対に後追い自殺するべきてはないよ。



 さて、これまで、僅かではありますが、自殺に関する霊的知識を数か所、紹介してきました。しかし、これらはあくまで、霊的知識という大海の中の、ほんの僅かな水でしかありません。このページは、あくまで、[自殺したら、その自殺者の霊は死後に悲惨な目に遭う]ということ、そして[霊的知識の観点から、自殺はいけないこと]だという基本的な事実を紹介したまでです。それ以外の項目は、あくまであなた自身で自主的に閲覧し、学習していってください。

 とりあえず、まずは自殺の霊的知識に関する文章を全部読んでください。そして、それ以降は、当サイト[自殺サイト 自殺方法 自殺ダメ]内に書かれている、多数の霊的知識を読んで、更に学習していってください。多数の霊的知識、つまりこの世に生きる意味を知っていくことが、あなたが自殺せずに寿命を全うする為の最大の方法なのですから。

 自殺の霊的知識

 自殺してはならない霊的な理由


生きる意味

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■あなたは本物の生きる意味をご存知ですか?



 生きる意味をご存じでしょうか?現実には、何も知らないで生きている人が大半だと思われます。

 人が生まれて、そして死んでいく。これはごく当たり前の出来事です。どんな権力者も、どんな金持ちも、この自然法則に抗うことは不可能です。これは必然なのです。

 しかし、この必然の事実があるにも関わらず、多くの日本人は、[]というものを直視しようとしません。

 以前、66歳で余命半年と告げられた人が酷く落ち込んでいる様子がテレビに映されていました。その人も、それまでの長い人生において、生きる事ばかりに目を向けていたから、現実的な死の問題、避けては通れない絶対的な死の現実味に直面した時に、うろたえるばかりなのです。ちゃんと健康体で生きていた時に、事前に[死]についての勉強をしてこなかったツケと言えます。

 ここでは、本物の生きる意味を知らない皆さんに、霊的知識に基づく、無知な人達からすれば革新的な生きる意味を授けたいと思います。

 霊的知識とは、スピリチュアリズムに基づく知識です。霊的知識の霊とは、文字通り、目に見えない霊のことです。大半の皆さんは霊と聞くと、途端に胡散臭く感じることでしょう。しかし、生きる意味とは概念であり、目には見えません。そして人間の身体は、実は肉体のみではなく、肉体とそっくりな霊体というものが内部に重なり合うようにして存在します。実は死とは、肉体が滅びるだけであり、その霊体は存続し続けるのです。

 勿論、意識も生前の本人の意識そのものです。そして、そういった目に見えない知識のことを霊的知識と言うのであり、その霊的知識をこの世に普及させる霊界からの働きかけのことをスピリチュアリズムと総称しています。なので、これから解説する生きる意味についての知識とは、本物の霊界からの働きかけによりもたらされた高尚な知識なのです。


■本物の生きる意味とは何か?



 ここでは、スピリチュアリズムで最も有名な書物である[シルバーバーチの霊訓]から、シルバーバーチの言葉を引用して紹介したいと思います。シルバーバーチとは、霊媒に憑依して話した、あの世の高尚な霊のことです。シルバーバーチについて


 『なぜ生まれてきたのか』より引用


 地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。何も知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するにはこういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がって来ないだけの話です。
 あなたがた地上の人間にとっての大きな問題点は、やむを得ないことかもしれませんが、人生というものを間違った視点から観ていることです。つまり、あまりにもこの世的・物質的観点からのみ人生を考えていることです。人生には確かに地上的な要素がありますが、同時に霊的なものであり、永遠に続くものなのです。その永遠なるものを地上的視野だけで眺めてはいけません。それでは十分な判断は出来ません。神の子には、一人の例外もなく、善悪ともに『埋め合わせ』の原理が働くのですが、地上生活のみで判断しようとすると全ての要素を考慮することが出来なくなります。
 人生には目的があります。しかしその目的は、それに携わる人間が操り人形でしかないほど融通性のないものではありません。笛に踊らされる人形ではないのです。人間の一人ひとりに分霊が宿っており、一人ひとりが無限の創造活動に参加できるのです。つまりあなた方には個的存在としての責任と同時に、ある限度内の自由意志が与えられているのです。自由意志といっても、大自然の法則の働きを阻止することが出来るという意味ではありません。ある限られた範囲内での選択の権利が与えられているということです。運命全体としての枠組みは出来ております。しかしその枠組みの中で、あなた方が計画した予定表(ブループリント)に従いながらどれだけの潜在的神性を発揮するかは、あなたの努力次第だということです。


 つまり、要約すれば、生まれる前[霊界]にいた時は、地上において、こういう人生を送ろうという決意を抱いて生まれてきた。しかし、生まれた後は、霊界の記憶が消されているので、そもそもの目的を忘却している。しかし生きている内に、その目的に向かって歩みだすだろう、というようなことです。

 だから、本当は各人各様の生きる意味があるのです。しかし、この世に生まれてしまえば、毎日の生活費だの、税金の支払いだの、物欲だの性欲だの、旅行だのあれこれ色々忙しいし・・・というので、霊的な意識が消灯寸前にまで消えかかってしまっている人が大半である、ということです。それは年齢を重ねても同様で、80代、90代の老人達であれ、生きる意味を見出している老人は少数派でしょう。そこまでの年齢を重ねようとも、本物の生きる意味に触れられなければ、一生生きる意味など知らずに死んでいくこととなるのです。


■この世で悲嘆を経験するのはなぜか?



 では、なぜこの世で多くの人が悲嘆を経験することとなるのでしょうか?なぜ、一生の間、大半の人において、辛いことが付きまとうのでしょうか?その答えが、以下の文章から読み解けます。


 『なぜ生まれてきたのか』より引用


 もしかしたら、そのブループリントさえ自覚できないかもしれません。でも魂は神性を宿すが故に常に活動を求め、自己表現を求めて波のようにうねります。時にはそれが悲嘆、無念、苦悩、病苦という形をとり、無気力状態のあなたにカツを入れ、目を覚まさせることになります。もしも神があなたに創造活動へ参加させ、そうすることによって潜在的神性を開発させることを望まないのであれば、あなたがこの世に生を享けた意味は無いことになりましょう。そこに『埋め合わせの原理』が働いていることを理解しなくてはいけません。つまり創造活動に貢献する仕事に携わりつつ潜在能力を開発していく生活の中で、あなたの人間的発達が促進されていくという仕組みです。
 つまり二重の仕組みになっているわけです。進歩の誘発は内と外の両側から行われるのです。魂の奥には物質界のいかなるエネルギーよりも大きい威力が秘められています。宇宙の大霊の一部だからです。それが無ければ生命は存在しません。なぜなら生命は霊そのものだからです。物質はカゲに過ぎません。霊という実在の殻に過ぎません。この二重のエネルギーをどこまで活用できるかは、その魂の悟りの程度にかかっています。

 

 つまり、要約すれば、人が数々の失望、悲嘆に暮れる経験をするということは、魂の奥深くに眠る神性を呼び覚まして、本来の生きる意味に目覚めるように促す目的があるということ。だって、想像してみてください。生まれてから一度も何の困難も経験せず、面倒なことは全て召使がしてくれて、金を儲ける苦労もしない、何の気苦労もない生活を送った人の人間性は、とても薄っぺらいと思いませんか?そんな人生で、果たして人間性が磨かれるのでしょうか?私は不可能だと思います。神性を開発するには、数々の困難にぶつかる必要があるのです。


■霊とは何か?



 これまで、人間は肉体のみの存在ではない、死後にも生命があり、それはすなわち、霊体である、そして死後にも生前の精神と全く同様の精神で霊界で暮らすこととなる[地縛霊は別。彼らは地上に留まっている存在]、ということを述べてきました。

 では、そもそも、その[霊]とは一体何なのでしょうか?ここで紹介したいと思います。


 『なぜ生まれてきたのか』より引用


 霊は生命そのものであり、生命は霊そのものです。霊の無いところに生命はありません。物質は殻に過ぎません。霊という実在によって投影されたカゲに過ぎません。物質それ自体には存在はないのです。あなたが存在し、呼吸し、動き、考え、判断し、反省し、要約し、決断し、勘案し、熟考することが出来るのは、あなたが霊であるからこそです。霊があなたの身体を動かしているのです。霊が離れたら最後、その身体は崩壊して元の土塊に戻ってしまいます。物質を崇拝する人間は間違った偶像を拝していることになります。そこに実在がないからです。物質は一時的な存在に過ぎません。
 霊はすべての存在物を形成する基本的素材であるが故に永続性があります。人間という形体によって表現されている生命力は、小鳥、動物、魚類、樹木、草花、果実、野菜等に表現されているものと同じ生命力なのです。いかなる形体にせよ、生命のあるところには必ず霊が働いております。



 つまり、霊とは、生命には必須の要素なのです。石には霊は存在しません。なぜなら、石は物質であり、生命体ではないからです。逆に言えば、蟻でも、蟻の霊が宿っているから、活動できるのです。

 そして、よく仏教の話として、荒唐無稽な輪廻転生説があります。つまり、ある人の前世はバッタで、今回は人で、来世は亀に生まれて、その次は鹿に生まれて・・・・というように、色んな生命体に生まれ変わるという考えです。しかし、まともな理性を備えた人物ならば、そんな話が嘘だと直感的に分かりませんか?そのサイクルに何の意味があるのでしょうか?

 折角、人として生まれて、艱難辛苦を経験して魂のレベルアップを図っても、来世はゴキブリに生まれたのならば、何の意味もないことになりませんか?別にゴキブリのような超下等生物ではなくとも、シロクマに生まれようが同様です。なんで人としての人生の次が、シロクマなのでしょうか?それでは人の人生で学んだ数々の試練・経験から得た知恵や悟りは何の意味もないこととなります。なぜなら、シロクマはただ食って繁殖するだけだからです。

 よって、直感的にも、理性的にも、仏教が提唱する輪廻転生説は捏造であると分かるはずです。どうか、古い教えだからといって、盲信するのは止めましょう。昔の人は、地球が丸いとか、地球が太陽の周りを回っているという基本的な知識もなかった人達なのですから。そんな人達が想像で考え出した捏造をいつまでも信じ続けるのは、この21世紀の人間としてふさわしくありませんよ。

 又、クローン人間を作り、その人が普通の人間と同様に暮らし始めたとしても、それはやはり[霊]が宿っているからです。クローン人間といっても、それはクローンのモデルとなった人の霊とはまた別の霊が宿った結果です。だから、Aという人物から100人のクローン人間を作り出しても、それはAとは別の100体の霊が宿った形となるのです。霊は個であり、分裂して複数の人間に同時に宿ることは不可能だからです。同じ時間において、一人の霊は一人の肉体にしか宿れません。

 下等な生命体から知的生命体まで、全ての活動する生命体は、動物も植物も、全て霊が宿っているからこそ、活動可能なのです。そしてそれぞれの生命の魂は、類魂があります。つまり、ウサギはウサギの類魂、人は人の類魂、ネズミはネズミの類魂というふうに。だから、前世が人で、来世はネズミに生まれ変わるなんてことは、有り得ません。そういった知識も、霊的知識を学習していけば、自然に身に付きます。


■神とは何か?



 さて、神とは何でしょうか?そもそも、生きる意味を考えるにあたり、唯物主義というのは癌です。なぜならば、神がいないのならば、この世の生きる意味もなくなり、どうしても刹那的な思考になりがちだからです。自身の人生が安定している時はそれでもよいのでしょう。しかし、突然交通事故や病気で自身が重度の障害者になってしまったり、財産が根こそぎ奪われたり、愛する人が死んだりすれば、無神論者の精神は、神を信ずる者よりも、容易に崩壊するでしょう。

 だから、唯物主義、無神論に基づいて生きる意味を考察すれば、泥沼にはまります。そこには答えがないからです。創造主のいない世界でいくら生きる意味を模索したところで、繁殖する為とか、財産を形成する為とか、虚しさが伴う回答しか導き出せないでしょう。だから、生きる意味とは、神の存在なしには絶対に語れないのです。

 それでは、神についての項目を少し引用してみます。


 『なぜ生まれてきたのか』より引用


 自覚の程度、意識の程度には様々な段階があります。霊の表現形態は無限だからです。無限なるものに制限を加えるわけには参りません。その生命の背後の力をあなた方は『神』と呼び、私は『大霊』と呼びます。それは全ての霊の極致であり源泉であり頂上であるからです。いかなる形態を取ろうと、創造者たるその大霊の表現であることに変わりありません。(シルバーバーチはこの『大霊』の他に『白色大霊』という呼び方もします。白色とは実は無色透明を意味しているのですが、やはり『神』という言い方もよくしますので、本書では特殊な場合を除いてこの『神』に統一しました)


 よく人は、神のことを、人間のような存在として想像しがちです。ゼウスとか、ポセイドンとか、昔の人は人間の形をした超人的な力を持った存在を神として想像しました。しかし、本当の神というのは、人間のような姿形ではありません。むしろ[固体]ではないのです。宇宙のどこかにいるとか、そういった観念は捨て去ってください。本物の神というのは、この大宇宙や、死後の世界までを含めた全ての空間、そして、その空間を支配する法則のことなのです。当然、私達も神の一部ということになります。

 だから、神とは、天国の王宮に住む人のような存在ではなく、姿形はないのです。まず、固体という概念を捨て去ってください。それらの知識も、霊的知識を学習していくにつれて、身に付いていきます。参考までに[神とは]をお読みください。


■人生の目的とは何か?



 人生の目的とは、一体何なのでしょうか?鉄道マニアならば、好きな車両を撮影したり、車両部品をコレクションしたりすることが人生の目的かもしれません。また、アイドルの追っかけをしている人の人生の目的は、好きなアイドルを一生懸命に応援するのが目的かもしれません。でも、そういった個人限定の人生の目的は、各個人で異なります。鉄道マニアにとっての人生の目的は、アイドルの追っかけ人の人生の目的とは被りません。鉄道マニアにとってはアイドルの追っかけなんてどうでもいいことだし、その逆もしかりです。

 ここでは、全ての人に共通する、普遍的な人生の目的について解説していきたいと思います。


 『なぜ生まれてきたのか』より引用


 人生の目的は至って単純です。霊の世界から物質の世界へ来て、再び霊の世界へ戻った時にあなたを待ち受けている仕事と楽しみを享受する資格を身につけるために、様々な体験を積むということです。そのための道具としての身体をこの地上で授けてもらうというわけです。この地上があなたにとって死後の生活に備える絶好の教訓を与えてくれる場所なのです。その教訓を学ばずに終われば、地上生活は無駄になり、次の段階へ進む資格が得られないことになります。このことは地上だけでなく、私どもの霊の世界でも同じことです。


 日本人は一応、仏教徒と神道の信者が大半ということにはなっています。しかし、仏教といっても、葬儀関連のイベントの時に坊さんの世話になるだけで、常日頃から仏教の書物を熱心に読書しているわけではありません。大半の日本人が一生の内に、殆ど仏教の教えが書かれた本など本気で読まずに死んでいくのです。そして神道に関しては、長文としての教義は存在しません。だから、神道からは具体的な生きる目的は教われないでしょう。

 しかし、スピリチュアリズムは、人生の目的を明確に説明しています。それは生きる意味でもあります。それは前述の文章の通り、死後の世界に帰還した後、霊界での仕事をこなせるようにレベルアップする為です。霊界の仕事といっても、この世の仕事のように、雑務とかはないのですけど。まあ、そういったことは、参考までに[霊界の様子]をお読みください。幽体離脱して霊界を旅して回った男の話が読めます。


■カルマはあるのか?



 世の中は理不尽です。悪さで散々金儲けをしている犯罪者が贅沢な暮らしを何十年も続けている反面、真面目で善行を積んでいる生活をしていても極貧状態の人はいます。よく[悪いことをすれば必ずその分の罰はかえってくる]と言います。いわゆるカルマというやつです。でも、現実社会を見渡しても、散々悪さをしている者でも、生きている間は贅沢な暮らしを続けている者も多数います。なので、現実社会だけを見れば、カルマなんてない、と思えるでしょう。善因善果、悪因悪果、つまり善い行いをすれば将来善いことが自分にかえってきて、逆に悪いことをすれば将来悪いことが自分にかえってくる、という考えは、嘘のように感じられることでしょう。

 しかし、本当にカルマはあります。人間が作った会社の帳簿は誤魔化すことは出来ても、神の帳簿は一切誤魔化すことは不可能なのです。この世での人間の一挙手一投足まで、神は全て知っており、どんな些細な悪事、善事も見逃されることはないのです。その事実を、これから紹介したいと思います。


 『なぜ生まれてきたのか』より引用


 毛を刈り取られたばかりの羊は冷たい風に当たらないようにしてやるものです。神の帳簿は一銭の間違いもなく収支が相償うようになっております。つまり人間の行為の一つ一つについて、その賞と罰とが正確に与えられます。これを別の言い方をすれば、原因があれば必ずそれ相当の結果があるということです。いかなる苦難にもそれ相当の償いがあり、体験を積めばそれ相当の教訓が身に付きます。片方無くして他方は有り得ません。体験もせずにどうして教訓が得られましょう。そして教訓から学んだ時から、その教訓を生かす義務が生じます。何も知らずに犯した罪よりも、悪いと知りつつ犯した罪の方が重いに決まっています。
 あなた方は内部に完全性を秘めそれを発揮せんとしている未完の存在です。地上生活においては物質と霊との間がしっくりいかず常に葛藤が続いている以上、あなた方は当然のことながら罪を犯すことになります。私はこれを『過ち』と呼ぶ方を好みます。もし過ちを犯さなくなったら、地上にも私どもの世界にも誰一人存在しなくなります。あなた方が地上という世界に来たのは、霊的な力と物質的な力との作用と反作用の中においてこそ内部の神性が発揮されていくからです。
 光を有り難いと思うのは陰と暗闇を体験すればこそです。晴天を有り難いと思うのは嵐を体験すればこそです。物事の成就を誇りに思えるのは困難があればこそです。平和が有り難く思えるのは闘争があればこそです。このように人生は対照の中において悟っていくものです。もしも辿る道が単調であれば開発は無いでしょう。様々な環境の衝突の中にこそ内部の霊性が形成され成熟していくのです。
 時として人生が不公平に思えることがあります。ある人は苦労も苦痛も心配もない人生を送り、ある人は光を求めながら生涯を暗闇の中を生きているように思えることがあります。しかしその観方は事実の反面しか見ておりません。まだまだ未知の要素があることに気づいておりません。私はあなた方に較べれば遥かに長い年月を生き、宇宙の摂理の働き具合を遥かに多く見てきましたが、私はその摂理に絶対的敬意を表します。なぜなら、神の摂理がその通りに働かなかった例を一つとして知らないからです。こちらへ来た人間が『自分は両方の世界を体験したが、私は不公平な扱いを受けている』などと言えるような不当な扱いを受けている例を私は一つも知りません。神は絶対に誤りを犯しません。もしも誤りを犯すことがあったら宇宙は明日という日もおぼつかないことになります。あなた方が誕生する遥か以前から地球は存在し、あなた方が去った後も延々と存在し続けます。何億年の昔、まだ地上に何一つ生物が存在しなかった時から太陽は地球を照らし続け、人間が誰一人居ない時からエネルギーをふんだんに放射し続け、そのおかげで石炭その他の、太陽エネルギーの貯蔵物を燃料とすることが出来ているのです。なんと悠長な教訓でしょう。



 ということです。皆さんは、霊的な観点からこの世の物事を眺めてみれば、きっと違った視点に立てると思います。その事実は、実際に死んであの世に行った者達の、霊界での暮らしぶりを眺めれば、理解できると思います。それは、[霊との対話]に多数掲載されています。この話を読めば、たとえ地上で悪事を働きつつ贅沢三昧な暮らしをした者であっても、ちゃんとカルマの償いは発生している、ということが理解できるでしょう。

 だから、生きる意味とは、霊的知識を学習しなければ、けっして理解できないのです。唯物論のみで考えてみても、無駄なのです。アリストテレスの時代から既に何千年も経過していますが、まともな、皆を納得させられるだけの説得力のある解答など、誰も提出できていないのです。


■生きる意味について、最後の言葉



 さて、ここまで、私なりに霊的知識の初心者の皆さんに容易に理解してもらえるように、平易な文体で解説してきたつもりです。しかし、勿論上記の言葉のみで、あなたが真に納得するはずなどとは思ってはいません。結局のところ、あなた自身で、これから本物の生きる意味を学習していかねばならないのです。

 しかし、生きる意味を模索する必要はありません。模索というのは、暗中模索の通り、どうしてよいのか分からないという状態です。しかし、あなたは今、この霊的知識を豊富に掲載した、本物の生きる意味を提供してくれるサイトに辿り着いています。だから、あなたがこれからやるべきことは、このサイト内の他の霊的知識を自主的に学習していくことです。そうすることにより、生きる意味に対する、より深い理解が得られる筈です。

 どうか、あなたが本物の生きる意味に気付き、今後の人生の生き方に生かせますように。

 まず手始めに、こちらをお読みになるのがよろしいかと思います。これらの文章は、初心者でも容易に理解可能かと思います。

 シルバーバーチの霊訓

 霊の書

 霊との対話


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 自殺防止サイト [自殺ダメ]管理人 齋藤健一


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