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自殺の霊的知識を知るっちゃ!

カテゴリ: ★『死にたい人へ教える霊的知識』

『死にたい人へ教える霊的知識』目次

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 初心者向けの霊的知識を[霊の書]より、一部を紹介します。

 [霊の書]とは、19世紀に、フランス人のアラン・カルデックという人物が、霊媒に憑依した高級霊(死後の世界で高い地位にある霊)と対話した記録をまとめた書物です。ここでは、その中から、初心者にも分かり易い箇所、基本的な部分を紹介したいと思います。

 その他の霊的知識に関しては、[霊の書]の他の部分を読むか、[シルバーバーチの霊訓]等の、その他の霊的知識を学習してください。

[1]地上誕生の目的
 
[2]

[3]

[4]霊魂の諸段階

[5]第三段階-未完成の霊魂

[6]第二段階-善霊

[7]第一段階-清浄霊

[8]霊魂の進歩

[9]試練の選択

[10]前生の記憶を失うこと

[11]睡眠と夢

[12]守護霊・守護天使

[13]運命

[14]幸福と不幸

[15]地上の悲しみ

[16]罪の償いと改悛

 
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 ここでは、アラン・カルデック著の[霊の書]より、初心者向けの霊的知識を紹介していきます。なぜ数ある霊的書物の中で霊の書]なのかと言えば、簡潔に述べられていて、理解し易いからです。初心者が長文を読むのはハードルが高いと思ったからです。なので、まずは簡潔な短文でご理解ください。そして霊的知識に、より興味を持たれたら、当サイト内の他の[霊の書]の項目や、他の[シルバーバーチの霊訓]等の霊的知識の項目を存分にお読みください。


アラン・カルデック

霊の書]の[来世の喜びと悲しみ]より



罪の償いと改悛


○悔い改めは地上生活中に起こりますか、死後霊界に入ってから起こりますか。
「それは死後である。だが、諸君が善悪のけじめさえはっきり分かれば、地上生活中にも起こるであろう」

○死後霊界に入ってから悔い改めた結果は、どうなりますか。
「浄化の為の、再生の願望である。霊は自分の不完全さに気付く、これが幸福を奪っていたことを。そこで、霊は新しい人生を希求する、そこで自分の欠陥の償いをする為に」

○地上生活中に悔い改めたら、どうなりますか。
「自分の過ちを償う時間があれば、地上生活中でも進歩をみる。良心の声で自分を責めつけたり、自分の欠陥を目の当たりに見る時は、人は常に進歩を見る」

○悪い本能が強すぎて、改悛できないという人はいませんか。
「既述のように、進歩は絶え間なく行われることに違いはない。今生で悪い本能ばかりの持ち主である者は、いつかの人生では善の本能の持ち主になっていよう。彼が繰り返し再生するのは、この目的を達せんが為である。全ての者、必ずや進歩を見、必ずやゴールに到達するもの。しかし、ある者の進歩は早く、他の者の進歩は遅い、それは本人の希求する力に応じている。今、善の本能のみを持つ者は、既に浄化を遂げている者、彼等は以前の人生において、悪の本能の所有者だったかもしれなかったから」

○生涯自分の罪を認めず、道を踏み違えた者は、死ねば必ずその罪を認めることになりますか。
「左様、必ずそうなる。その時激しく苦しもう。どんな悪をしたかを感じ、自分のせいでそうなった事が分かるから。だが、即座に改悛するとは限らない。強情にも、苦しみながらも、なお悪に耽る霊達がいる。だが、遅かれ早かれ、道を間違っていたことが分かり、これが分かると次いで改悛が来る。高級霊の努力があって、彼等は目を開く」

○悪い事はしないが、やる気のない霊というのがいますか。
「世の中の為になる事は何もせず、じっとしている霊達がいる。そんな場合、本人がじっとしている分だけ、本人は苦しむのである。と言うのは、どんな状態、どんな環境にあっても、進歩に繋がらねば空しいし、その状況下で、本人が舐める苦しみによって、進歩は得られるものだからである」
-彼等は自分の苦しみを、早く切り上げようとは願わないのですか。
「確かにその願いを彼等は持ってはいる。だが、苦痛を和らげるに足るエネルギーが不足しているのである。諸君等の周囲には、働くよりは餓死した方がマシだと思っている連中が沢山いないかね」

○霊には、自分で人を傷つければ、痛めつけたその結果が目に見えます。それ故、自分の堕落だとか、進歩の遅れはそっちのけに、人間を邪道に引き入れる悪事をする霊がいます。これはいかがですか。
「こんな事をするのは、改悛の遅れた霊共である。改悛しても、後になって、更に未発達の他の霊に、邪道へ引き戻されてしまう霊がある」

○私共は時折、自分の為に捧げられた祈りに、深く心を打たれている霊を見ることがあります。ところが、明らかにもっと進歩しているような霊が、祈りに冷淡でこれを頑として受け入れないことがあります。これはいかがですか。
「祈りは悔い改めた霊の場合には効果がある。思い上がって、神に反抗的で、悪行を続け、堕落の淵に沈んで行く、そういう霊には、祈りは無効である。少しでも改悛の情が兆せば、初めて効果が現れる」
〔注解〕人間は死んだからといって、すぐ変わってしまうわけではない。この事実から目を逸らしてはいけない。本人の生涯が良くなかったのは、本人が未熟だったからそうだったので、死ねば直ぐその人間が完全になるわけではない。学習、反省、苦しみを経て目が開かれるまでは、依然、行いも考え方も間違っており、偏見がある。

○罪の償いが行われるのは、地上生活中ですか、死後霊界に入ってからですか。
「地上生活中は、本人の受ける試練の形で、償われる。霊の世界にあっては、低い霊にありがちの精神的苦痛、これにより償われる」

○地上生活に誠心誠意悔悟すれば、それで十分に、生活の誤りを消し去り、本人に神の愛が回復できるのではありませんか。
「改悛によって、霊の改善には役立つが、犯した悪行の償いはなされねばならない」
-もしそうだとしますと、もし本人の霊が[償いの行為は必ずする訳だから、改悛の必要はない]と、こう言ったら、その結果はどうなりますか。
「本人が悪い考えを重ねていけば、その償いは長引き、苦痛も大きくなろう」

○私共は現世において、自分の誤りを償うことが出来ますか。
「出来る。その誤りを償うことによってである。しかし、ほんの少しを失うだけで償えるとか、不用なものを、自分の死後に贈ることで、償えると思ってはならぬ。神は、格好だけの償い、胸の中だけの償い、労を伴わない償いを評価なさらない。自分の為にその懊悩がどんなに深かろうと、他者の為に失う小指一本にも及ばない、悪行を吹き消すには」
「悪は善によってのみ償われる。償いの行為が、人間の名誉や利害に現実に影響を与えねば、価値はない」
「死んだ後になって、本人が不正入手した富を返却したとて、どうして本人の名誉回復になろうか。本人は既に利益を得た後の祭り、本人にとって富は無用」
「他人に犯した過ちが消えていなければ、少々贅沢を止めるとか、下らぬ楽しみを控えるくらいで、何の為になろう」
「人の前では自分の誇りを大事にしておいて、神の前でへりくだっても、実際、何の益になろう」

○自分の財産を、自分の死後、有効に利用するよう保証しておくことは、評価していいのではありませんか。
「その行為に益はないと申せば、正しくはあるまい。何もせぬよりはマシなのである。難を申せば、死後贈与するそれだけのことなら、それは気前が良いと申すより、利己的動機からそうすることが多い。本人は何も失わずに、善行をする名誉を持ちたいというわけである。生時に、自己を犠牲にして善を行う者には、二つの利点がある。一つ、自己を犠牲にする功、もう一つ、自分が原因を作った幸福を目にする喜び。だが、利己心がこう囁く『お前が人に物を与えれば、その分だけ、お前の楽しみを削っているのだぞ』と。この利己心の声の方が、無私や愛の囁きより、普通はずっと説得力がある。だから、人は、自分の持っている物は、自分の立場を守る為に必要なものだと、こう自分に言い聞かせて保有し続ける。与える喜びを知らない者は、憐れである。彼は最も純粋にして最大の喜びの一つを、持っていないからである。神は人間に、不安で危険な、富という試練を与え給うた。だが、奉仕がもたらす幸福を、その見返りとして、彼の手の届く所に、この世においても置き給うたのである」

○死の直前になって、自分の悪事を認めたが、償いをする時間のない者はどうなりますか。この場合、改悛だけで十分でしょうか。
「改悛は本人の立ち直りを促進するものとなろう。だが、それで彼が放免されるわけではない。彼には来世がないというのだろうか。その来世は、彼に対して閉ざされることはないのである」



管理人の解説

 つまり、改悛せねば、いつまで経っても、苦しみ続ける、ということだ。そして、罪の償いも遅々として進まぬ、ということだ。まあ、強情を張っても、損ばかりである、ということだ。

 私も、今回の人生で数々の過ちを犯した。けど、他者に損害を与えるような形の過ちというのは、犯してはいないつもりだ。勿論、神の目からしたら、色々と発生しているかもしれぬが。しかし自分の目からすれば、私が陥った過ちというのは、自分が損する形式の過ちばかりだ。つまり、性欲を満たす為に風俗に行きまくって借金を抱えるとか、そういうふうに、自分が損することばかりだ。なので、他者に損害を与えるような形ではない。その点は良かった。

 まあ、平気で他人の人生をぶっ壊すようなことをする者が、人助けの霊的自殺防止サイトを制作する訳がないよな。だって、こんな人助けのサイトをいくら一生懸命に制作したって、金が儲かる訳でもなし、恋人が出来る訳でもなし、現世利益のみの視点から眺めれば、全く損ばかりなのだから。

 でも、他者に損害を与えるようなことはしていないし、人助けにはなっているしで、まあ、いいか。結婚も子育ても、このサイト制作が終了すれば、出来るからな。それまでは、自己犠牲で頑張ります。


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アラン・カルデック

霊の書]の[来世の喜びと悲しみ]より



地上の悲しみ


○霊が再生して、自分の罪の償いをする場合は、物質上の災厄は受けないのですか。その場合、その者の死後、精神上の苦しみだけを経験する。こうでしょうか。
「魂が再生すれば、物質生活の悩みで苦しめられるというのが事実である。だが、その物質的災厄を受けているのは、肉体の方だけである」
「諸君等は、人が死ぬと、苦しみから解放されたと言うが、それは必ずしも真実ではない。霊として、もはや肉体的な苦しみはないだろう。しかし、自分が犯した罪に対して、肉体の苦しみ以上に、もっと辛い精神的苦痛が待っているかもしれぬ。また更に再生すれば、より一層の不幸を味わうかもしれない。前生で富を利己の為に乱用した者は、自分のパンを乞わねばならなくなり、貧窮のありとあらゆる苦しみを味わう者となろう。高慢だった者はあらゆる屈辱を耐える者となろう。権威を悪用して、部下を軽んじ冷酷に取り扱った者は、自分よりもっと酷い主人に仕えねばならなくなろう。人生の艱難辛苦は、今生で犯した過誤の結果でなければ、それは前生で犯した誤りの償いである。現世の生涯が終る日、諸君はこのことを理解するだろう。何でも欲望が思い通りに叶えられて、現世の生活が自分で幸福だと思っている者は、自己改善の為の努力をしない。そんな束の間の幸福は、この世においてさえ、それ以上の試練を受けて帳消しにされてしまう。さもなくば、生まれ変わって再生した時には、確実に帳消しにされてしまう」

○私達の現世の苦労は、今、今生で自分が犯した過誤の罰でしょうか。
「そうではない。前にも申したが、それは、前生で犯した過誤の償いの為に、神が本人に課したか、又は、本人が再生前の霊の時代に、自分で選択したか、どちらかの試練である。何故かと申すと、神法違反、特に正義の法違反の場合は、罰せられずに済むということはないのである。もし今生で償わない時は、必ず次の再生で償わされるのである。諸君の目から見て立派な人が、苦しんでいるのをよく見ることがあるが、あれはこの理由による。彼等は前生での過ちを、今生で償わされているのである」

○地球よりも濃厚鈍重ではない世界に魂が再生するのは、これは良い報いなのですか。
「それは、魂が一層浄化された結果である。と申すのは、霊はその浄化に応じて、高級の進歩した世界に再生する。そうして遂に、一切の物質的なものを脱し、あらゆる汚点を清めつくした暁には、神の御前に、完全浄化した霊達の永遠の至福の中に入って行く」
〔注解〕我々の地球より物質性の少ない世界では、住人達の求めるものは、物的要素が薄いし、従って肉体的苦痛もそれ程ではなくなっている。もはや其処では、住人達は低俗な世界でのような、互いを敵視する悪感情を抱かない。憎悪にしろ嫉妬にしろ、そのような動機が存在しないので、彼等は専ら正義と愛と奉仕の法を実践しているからである。彼等には、羨望、高慢、利己心などなく、それらから生じる現世の苦労や不安など、悩みの種は存在しない。

○地上生活を通じて進歩向上に努めた霊は、また同じ地上に再生できますか。
「できる。本人が自分の使命を完遂していなかったならば、もう一度再生を求めることになろう。だがこの場合は、もはや罪の償いではないのである」

○悪い事はしないにしても、物的影響は何一つ払い捨ててもいない人間は、どうなりますか。
「彼は完成へ向っての進歩を全くしていない訳だから、前生と同じような次の人生をまたやり直すことになる。彼はストップしたままである。償いの苦を先へ引き伸ばしているわけである」

○波風もなく平穏に人生を送る人達がいます。彼等は自分の為には何もすることがないので、心を煩わすことが何もない訳です。このような幸運は、前生で罪を償わねばならぬような事を何もしていなかった、そういうことですか。
「諸君はそのような人物を沢山知っているかな?もし知っていると思うなら、それは誤解である。そんな一生は外見が穏やかに見えるだけである。霊本人がそのような人生を選んだということかもしれない。だが、本人は死に際して、こんな一生は自分の進歩の為に何にもならなかったことに気付き、ブラブラと過ごした時間を後悔することになろう。活動があってこそ、霊は初めて知識を得、進歩が獲得できる、この事をよく心得られよ。眠り呆けている霊は、いささかも進歩しないのである。(地上の例で申せば)働かねばならない者が、何もする気もなく、ぶらりと外へ出たり、寝床に入ったりする、そのような者に等しい。よくよく心して貰いたいことは次の事、自分の怠け心で作った無益な時間は、必ず自分で償いをせねばならぬこと、その無益さは必ずや未来の幸福に致命傷となる、この事である。どれ程の幸福が得られるか、それはどれ程善を行ったか、互いにその合計に比例する。それ故に、未来の不幸の総計は、人が犯した悪の総計に、本人が人を不幸にさせたその数に、必ずや釣り合っている」

○進んで悪意を持つわけではないのに、その不機嫌さ故に、周りの人々を不幸にする人がいます。その人の結果はどうなりますか。
「そういう者達は、はっきり言って良いとは申せぬ。このような者は、自分の為に不幸になった人々を見せ付けられ、これによって悪の償いをすることになる。これが彼等には、絶え間の無い叱責となろう。更に生まれ変わった時には、自分が他者を苦しめる原因となったことで、今度は自分が苦しめられることになろう」



管理人の解説

 つまり、この地上で味わう悲しみの多くは、前世で作った己自身の罪の償いである、という場合が殆どなのだ。

 考えてもみたまえ、戦争の時に、散々極悪なことをした兵士など、大勢いる。その者達は、戦時中ということで、平時ならば極悪な罪に問われる罪状でも、罪に問われることはなかった。だから、一般人を何人虐殺しても、人間の法律的には罪に問われなかったのである。

 ただ、それはあくまでも人間側の論理である。不完全な人間に対して、神は完全な存在である。だから、神の公正な裁きからは、逃れられないのだ。

 なので、前世の罪に関しては、もう既に過去のことであり、今更、どうすることも出来ない。今、私達に出来ることは、なるべく善行を積み、徳を積み重ねる事、そして新たな悪事をせぬ事、これしかない。最悪なのは、今回の人生で、更に悪事を重ねることだ。詐欺師などは、人を騙して得したと思っているのだろう。しかし、それは最悪な結果が、将来的に、自分自身に降りかかってくるということを、彼らは知らないだけだ。

 麻薬組織のボスが、大金を築き上げたとしても、それは数多くの人々を麻薬漬けの不幸のどん底に落とした結果、得られた富なのだから、それは後々、必ずや神により、裁かれることとなる。ただ、唯物主義者は、そんなことは知らないので、平気で悪事をこなすのだ。なにせ、死ねば無になると思い込んでいるので、ならば生きている内に散々悪いことをしてでも、金を稼ぐ、利益を得るのだ!という考えで凝り固まっているからな。

 しかし、そんな彼らに待っているのは、将来、つまり死後の世界、そして来世再生した後の地獄のような暮らしなのである。

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霊の書]の[地上の喜びと悲しみ]より



幸福と不幸


○地上で、人間が完全な幸福を味わうことは可能でしょうか。
「できない。と申すのは、地上での生命は、人間の試練の為、又は罪の償いの為、そのいずれかの為に与えられているから。だが、運命を好転さすのも、地上で出来る限りの幸福になるのも、本人いかんにかかっている」


○人類が変革された暁には、人間の地上生活は幸福なものになろうと、想像しております。しかしですね、個々の人間の場合、自分である程度の幸福にはなれないものでしょうか。
「人間は自分自身の不幸を生み出す職人、これはよくある事だ。もし、人間が神法に従いさえすれば、それ程の悲しみを受けることはなく、また、地上生活の檻の中にあっても、全ての幸福を確保するものである」
〔注解〕来世の実在を確信する者は、現世の生命を、単に旅人の一夜の宿りと思っている。それで、今の苦しみは未来の新しい幸福を開く束の間のものと、また、今しっかりやれば未来は一層よいものになると、心に慰めを持つことが出来る。現世でも、我々は現世の法に背くことで罰を受ける、その法違反及び不節制の結果の苦しみという形で。いわゆる病気もその源を探れば、道からの脱線の結果であることが分かる。この脱線で道を誤り、歩一歩と苦しみの深みへ入って入ったのである。


○地上の幸福は人によって違います。ある人には幸福であることが、他の人には不幸でもありましょう。しかしですね、人類すべてに共通な幸福の基準がありましょうか。
「肉体について申せば、生活に必要な資を持つこと。精神について言えば、良心と来世への確信である」


○その立場が違えば、ある人には余分な物が、他の者には不可欠な物と、そういう事はありませんか。またその逆の場合も。
「それはある。諸君等の物質的な観念、偏見、野心、その他馬鹿げた考え方、これらは物事の真実が分かればなくなっていくものではあるが、これがある間はそれに応じ、質問のような事がある。成る程、数千の収入のある人が何百かに減ったら、自分を全く不運と思うだろう。何となれば、彼はもはや世間では問題にされず、地位も保てず、馬も馬車も従僕も置けず、趣味も欲望も充たせなくなるから。彼は生活に欠くべからざる物を失ったと思うだろう。だが、彼は本当に哀れむべき存在だろうか?その傍で、多くの人が飢えと寒さで死にかけている、寝るに枕する場所もない多数の人々がいる。賢い者は、自分より下の者と比較し、決して上の者とは比較しない、それが自分を無限へ向って高めることでなければ」


○本人の行為とはかかわりなく、身に降りかかる災難があります。これは最も正直な人にも降りかかります。これから身を守る方法はありませんか。
「もし、諸君が進歩していれば、これら災難にぶつぶつ言うこともなかろう。だが、諸君が必要な努力さえすれば、未来が幸福になるという希望で、常に心は慰められていよう」


○神は何故、そんな価値があるとも見えぬ人達に、富を与えたりなさるのですか。
「現在にしか目の向かない者にとっては、富は恵のように見える。だが、心得られよ、富は貧困よりももっと危険な試練であることが多い」


○文明は新しい必要を生み出すことによって、新たな苦悩の源になりませんか。
「地上の不幸は、諸君が自分の手で創り出した人為的な欠乏によるものである。自らの欲望を抑制し、自分より富む者を羨望の目を持たずに見ることの出来る者は、地上の数多の失望を味わわずに済む者である。最大の富者とは、最も欲しがらない者である」
「諸君等は、恵まれた富者達の楽しみを見ては、これを羨む。しかし、彼等の多くを待ち受けているものを、諸君は知っているか。もし、彼等がその富を自分の為だけに使い、利己的であるなら、恐るべき逆転が彼等の前途にある。彼等を羨むことをするな、彼等は哀れむべき者達である。神は時折、悪人に繁栄を許し給う、しかしその栄えは羨むべきものではない。何となれば、やがてその者は涙と歯軋りで、それを償う者となろう。もし正直者が不幸に苦しむことがあったら、それは試練である。その者が勇敢にそれを耐えれば、豊かな収穫を刈り取る者となろう。イエスの言葉を思い出されよ、[苦しむ者は幸いである、その人は慰めを受けるであろう]」


○物が有り余っていれば必ず幸福だとは言えません。しかし、生活必需品に関しては別です。それを欠くことは、本当に不幸なことではないでしょうか。
「生活に健康に必要な物が欠けている時、人間はまことに不幸である。その窮乏が自分の誤りで起こったのなら、自分を責めねばならぬ。しかし、それが他者の過誤なら、その原因を作った者に重い責任がかかる」


○私共の素質の違いは、明らかに神が私共に固有の職業を与えておられることと存じます。この世の諸悪は、私共がその職業に従事していないことから起こっているのではないでしょうか。
「その通り、両親は貪欲とか見栄から、子供が本来進むべき道とは別の方向へ押し進める。だが、彼等はこの誤導の結果の責任を取らされることになろう」
-では、あなたは、例えば、名士の子息に靴直しの才があれば、靴直しにするよう勧められますか。
「馬鹿げたこと、また極端に走ってはいけない。文明には必要というものがある。名士の息子が、なぜ靴直しにならねばならないのか、もし彼に何かもっと重要な事が出来るとするならば。何かそんな事で彼はもっと役に立ち得るのだ、本人の能力の器に従うなら、常識の線を逸脱しなくても。例えば、本人が良い法律家に向いていなければ、良い技術者とか機械技師などになれるのだ」
〔注解〕人が天性と違った職業に就くと、失敗と絶望の原因になることが多い。本人に、就いた職業の素質がなければ、どこまでも悲運が付きまとうことになる。こうして一つの職業に失敗すれば、自尊心が邪悪になって、別の低い職業に道を見出すことは出来ない。その為、屈辱に甘んじるくらいならばと、自殺に走ってしまう気持に駆られることが多い。もし、完全な精神教育によって、馬鹿げた誤りなどという偏見を超越しておれたら、本人が生活の手段を得損なうことはなかっただろう。

○周りはみんな豊かなのに、お金がない為、餓死するより外に道のないという人達がいます。こんな場合、本人達はどうすればいいのですか。彼等は餓死の道を選ぶべきなのですか。
「餓死しようなどという考えを持ってはならぬ。誇りが邪魔をして仕事と欠乏の間に立ち塞がらなければ、人は必ず食べていける道が見出せる。[正直にさえやれば、どんな職業も恥ずかしい職業はない]、こういう言葉がある。だがこれは、自分に向ってよりも、他者に対して言う時に使われる、格言の一つだが」

○野放しの偏見がもし無ければ、仮にその地位は低くても、人は必ず生きていけるだけの仕事が何か見つかる筈である。この事は明白なことです。しかし、そういう偏見がない、あるいは拘らない人達の中にも、病気の為、又は万止むを得ぬ事情の為、生きるに事欠くという人達はいないでしょうか。
「キリストの教えを基に社会が作られていれば、飢えの為死ぬ者は一人もいないだろう」
〔注解〕英知と深慮で社会が組織されていれば、本人の過誤以外で、食べるに事欠くということはあり得ない。しかし、人間の過誤は、本人が置かれている環境の結果であることが多い。人間が十分に進歩を遂げ、神法を実践するようになれば、人間一人一人の本質が良くなるだけでなく、正義と愛の基盤に立った社会関係が組織されることになろう。

○私共の世界には、富裕な者より、苦しむ者の方が多いのではありませんか。
「あなた方の中、一人として完全な幸福という者はいない。世間が富裕と思うものの中には、恐るべき不幸が隠されている。苦しみは何処にでもある。しかし、あなたの質問の意味を斟酌して、次のように答えておこう。諸君等の言う苦しむ階級が地上に満ち充ちている、その理由は、地上が罪の償いの場所だということである。諸君等が地上を美徳と善霊の逗留地と変えた暁には、不幸は地を払うであろう。その時、すべてのそこに住む者にとり、地上は楽園と化すであろう」

○この世では、邪悪な者が善良な者を支配することが多いのですが、これはどうしてですか。
「それは善良な者の弱さの結果である。邪悪な者は陰謀を企てるし、また大胆であるが、善良な者は臆病であることが多い。もし善良な者が邪悪な者にうち勝とうと決意すれば、善良な者はこれが出来るのである」

○人は自分の世俗の災厄を生み出す職人です。人間はまた、自分の精神的な苦痛を生み出す職人でもありませんか。
「そちらの方が多い。と申すのは、世俗の災厄は本人の行為と関係のないことが割にある。ところが精神の苦痛とは、傷つけられた誇り、挫かれた野望、貪欲、嫉み、あらゆる激情、このような魂の苦悶、かようなものなのである」
「羨望と嫉妬、この二つの苦悩の種を知らない者は幸いである。羨望と嫉妬があるところ、静穏も安らぎもない。この二つの奴隷となる者は、その目の前に、切願、憎しみ、怒りの対象が、幻のように立ちはだかり、眠りの中までもつきまとう。羨む者、嫉妬する者は、常に熱に浮かされている者である。これが望ましい状態だろうか。お分かりかな、この激情によって人は自分で地獄を作っている、地上はまさに彼等の地獄である」
〔注解〕次の言葉をみれば、これら激越な感情がよく分かる。「のぼせ上がってる」「死ぬほど羨ましい」「悪意に満ち充ちている」「嫉妬に狂う」等々。随分と露骨な表現だが、大抵の場合、こういう悪感情にはこれと決まった相手がないのである。例えば、人の立身出世を羨む人、何事によらず目立った事には何でも嫉妬する人、こういう手合いがいるものである。それが自分に何の関係のない場合でも、自分がそういう成功が収められない、唯それだけの理由でそうなのである。他人が自分より優れていると、侮辱を受けたように思うのである。凡人の嫉妬は、常に、出来るなら他人を自分のレベルまで引き下ろそうとすることである。
 人生の不幸の多くは、人間が世俗時の事に余りにも重きを置き過ぎる結果である。その悩みの多くは、自惚れ、挫かれた野望、貪欲、そういうものである。もし志を大きく狭い世事から一歩踏み出すなら、人間の思考を無限へ向って高めるなら、世の浮き沈みは何程の事でもなくなるだろう。子供が壊れた玩具に泣き喚くようなもので、他愛も無いことに思えよう。
 高慢と物欲を満たすことに幸福を求める人は、これが満たされないと不幸に感ずる。他方、贅沢な生活を求めない人は、よそ目には不幸に見えても、本人は幸福なのである。
 我々が今話しているのは、文明人についてである。未開人は、必要なものがずっと少ないから、羨望については同じ刺激を受けることはない。物の見方が全く異なっている。文明国では、自分の不幸をあれこれ詮索したり、論じ立てたりするので、辛さが殊更酷く思われたりする。だが、慰める方法を力の範囲で、色々論及分析もしたりする訳である。このような慰めはキリスト教によって、人間にもたらされる。これは人間に希望の未来を約束する。更には、心霊主義、これが人間にこの来世への確信を与えてくれるのである。




管理人の解説

 まあ、ノーベル平和賞を受賞したマザーテレサやアルベルト・シュバイツァーのように、何も欲しがらない人、人助けの資金以外は何も欲しがらない、自分の為には何も欲しがらない人にとり、羨望や嫉妬というのは無縁なのである。だから、羨望や嫉妬から来る精神的な苦しみに身を悶えさせられる必要もない訳だ。

 羨望や嫉妬、他者との比較、これが暴走すれば、実際に殺人や凶悪犯罪にまで発展する。だから、頻繁にテレビでセレブ特集などして、金持ちの者達の暮らしぶりを放送して、スタジオにいるゲスト達が羨ましがっているが、そんなのも、別に羨む必要はないのである。その金持ちが、偽善の為ではなく、本心から社会に自分の富をかなり還元しているのならば、その金持ちは死後にも責められはせぬだろう。しかし、大部分の金持ちというのは、自分の為のみに金を使い果たすのだ。または自分の為だけに貯め込むのだ。赤の他人の貧民のことなど、どうでもよい、というのが本音なのだ。当然、そういった者達は死後に、苦しむ羽目になる。そして来世は勿論、貧困の中で苦しむこととなる。

 だから、無闇に他者の生活を羨む必要はないのである。自動車も、ピッカピカの高級車じゃなくても、中古の日本車の大衆車で十分なのである。


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アラン・カルデック

霊の書]の[自由の法]より



運命


○人生には運命(それは定義通りの普通の意味ですが)がありますか。即ち、予め定められている人生の出来事のことです。もしあるなら、自由意志はどうなりますか。
「運命があるとすれば、再生の時に、それぞれの霊がこれこれの試練を担おうと決意をした、その結果があるだけである。この試練を選ぶことによって、彼は自分の為の一種の運命をつくる。その運命なるものは、彼が自分をそこに置きたいと選択をしたその状況、その当然の結果である。今ここで話しているのは、肉体的試練についてだけである。と申すのは、精神的試練や誘惑ということについては、善悪いずれを選ぶか、それに従うか拒否するか、これには選択の自由を霊が残しておくのが通例であるからである。善霊は、尻込みをする人を見れば、やって来て助けてやる。しかし、本人の意志の働きを犯すところまではしない。これに反して悪霊は-つまり未発達霊は、あれこれつべこべと不安を吹き込んでは、本人を悩ませ脅かす。しかし、そうではあっても、本人の霊がどんな選択をするか、その意志の自由は残されている」

○中には、自分の行為とは関係なしに、運命に翻弄されるように見える人がいます。この場合、この不幸は宿命の結果なのでしょうか。
「それは、本人が霊界で自ら選択した為に、受けることになった試練であろう。諸君等は自分達の失敗に過ぎない結果を、運命としてしまうことがよくある。しっかり目を開いて見なさい、そうすれば諸君等の不幸の大部分は慰めを得よう」

○一難去ってまた一難、彼等はそういう人達です。彼等が死を免れることは不可能だったように思えます。こういう場合にも宿命はないのですか。
「宿命などは存在しない、宿命という言葉通りの意味では、あるのは死の時、これである。その時が来れば、どんな形であれ、死が顔を見せれば、人はそれを避けることは出来ない」
-もしそうなら、どんな危険が身に迫っても、死の時が来ていなければ、我々は死ぬことはない、こうですね。
「そうだ、人は死ぬことはないだろう-このような例を諸君は沢山もっていよう。しかし、その時が来ていれば、人は何をもってもそれを避けえない。神は諸君の一人一人がどのようにして現世を終るかを、予め知っておいでになる。諸君の霊もこれを知っていることが多い。何となれば、諸君が自分の人生を選択する時に、それは示されるのであるから」

○死の時は避けられないとすると、危険を察知して注意しても無駄である、こうなりますか。
「いや、このような用心は、本人に迫る危険を本人が避けるようにと、与えられる暗示なのである。これは早すぎる死を避けるよう、本人に対して神慮が用いられる一つの方法なのである」

○実際に結果は及ばないのに、危険が身を脅かす、このような摂理の目的は一体何ですか。
「あなたの人生が危険にさらされている時、悪から身を転じて善に赴く為、あなた自身が望んだ警告である。危険から逃れる時、また自ら招いた危険になお心が高ぶっている間、人は真剣に考える、善霊から受ける暗示の程度に応じつつではあるが、どう自らの人生を改善していくべきかについて。悪霊が立ち去ると、人はこうすれば危険は避けられるのだと思い、心に喜びを持ち再び心の自在な活動の場を取り戻す。自ら招いた危険によって、神は諸君に思い出させる。自分の弱さを、人生の脆さを。諸君が免れた危険の原因や性質をよく調べてみるなら、諸君は多くの場合それが、自分の犯した過失や自分が逃げた責任の罰であったことに、気付くであろう。神はこのようにして人が自分の心を覗くようにと、自己改善の業を怠らないようにと、警告を与え給う」

○地上生活でどんな死に方をするか、これを予め知っていますか。
「霊は、自分が自分の人生を選んだこと、そこである一定の死に方をすること、これを知っている。また霊は、その危険を避ける為に自分がせねばならぬ努力を予見している。更に霊は知っている、もし神のお許しがあれば、自分はそれを免れるということを」

○未だ死ぬ時ではないという確信をもって、雄々しく闘っている人々がいます。こういう確信には何か根拠がありますか。
「人は最後の時の予感を持つことがよくある。同様に、未だ死ぬ時ではないという予感を持つ。こういう予感は守護霊の為せる業である。守護霊は本人に逝く時の準備をさせておこうと思うわけで、また、特にその必要がある時、勇気を持つようにさせたいと、こう望むわけである」

○死の予感を持つ人は、持たない人よりも怖れが少ないのは、どうしてですか。
「死を怖れるのは人間であって、霊ではない。死の予感を持つ人は、人間としてよりも霊として、それについて考える。で、彼はこう悟る、これは自分にとり救いであると。こうして静かに死の時を待つ」

○定められた死の時が来たら、死は避けられないものなら、我々の人生航路で起こる出来事は、どう転んでも同じ事なのですか。
「出来事について我々は余り諸君に警告を発しない。また我々が指示を下して出来事を回避させることも少ない。我々は物質上の問題に余り興味をもたない。諸君が選んだ人生にとって、この事は殆ど重要ではないから。真実の唯一の運命とは、人がこの世に出現する時間と、去っていく時間、そこにある」
-人生の中で間違いなく起こる出来事、霊の方でもこれを変更しない。そのような出来事がありますか。
「ある。諸君が受肉以前に、自分の人生の選択をした時、諸君はその出来事を予見している。しかしだからといって、人生に起こる出来事が、文字を書くように書かれていると、思ってはいけない。一つの出来事は、諸君が自由意志で行為したことの結果であることが多い。だから、もし諸君が行為しなかったら、その事件は起きていなかったであろう。もし指を火傷するとする、こんな事は前もって定められていたのではない、本人の不注意のなせる下らぬ災難、物理的法則の結果である。神により予定されているものは、大きな悲しみ、深甚な重要な事件、本人の精神状態に影響を及ぼす出来事、これである。何となれば、それが本人の浄化と教化に効用をもつからである」

○意志と努力で、人はもしかしたら起こる筈だった事件を、起こらずに済ますことが可能ですか。また、この逆もあり得ますか。
「自分の選択した人生と、この事が矛盾せぬなら、それは可能。更に、善を為す為に、これこそ人生の唯一の目的であり、そうあるべき善を行う為に、人は悪を避けてもよい、なかんずく、大きな悪の元になりそうな事を妨害してよろしい」

○殺人者は、自分の人生選択の時、殺人者となることを知っていましたか。
「いや。本人は次のように知っていた。闘いの人生を選択することで、人を殺す危険を招くと。しかし、本人は自分が実際にそうするかしないかは知らなかった。と言うのは、その罪を犯す前の殺人者の心中には、大体間違いなく、解放状態があるから。解放状態にある本人は、それを犯す自由、犯さぬ自由、いずれかである。前もって霊が殺人することを知っていれば、罪を犯す宿命を持たされることになる。誰一人、罪を犯す宿命を負わされてはいない。どんな罪も、その他の行為と同じく、自由意志と決意の結果である」
「諸君はどうも二つの事を、それも余りにも、混同しがちである-物質生活の出来事と、精神生活の行為とを。もし、一種の運命があるとすれば、それは物質生活の出来事でのみ起こるのである。その原因は諸君の行為の手の届かぬ彼方、諸君の意志から独立している。精神生活の行為はどうかというと、こちらは人間自身から発する行為である。それも常に本人の選択の自由の結果として生まれて来る行為、これである。従って、このような行為の中に、運命のようなものはない」

○何をやっても上手くいかない人がいます。する事なす事に悪邪霊がまといついているようです。これは宿命とでも言いますか、そうではないでしょうか。
「宿命と呼びたければ、確かに宿命である。但し、それは本人が受肉以前に自分で選択した人生の結果である。と申すのは、彼等は失意の人生を送ることによって、忍従や辛抱を学びたいと望んだのだったから。しかし、この運命が絶対だと思ってはいけない。これは、自分で道を誤った結果、自分の知力や資質を上手く使わない結果であることが多いのだから。泳ぎを知らないで川を横切ろうとする者は、絶交の溺死の危険に立っているわけである。同じ事が、人生の大部分の出来事についても言える。自分の能力に叶った物事だけを手がける人は、概ね成功を勝ち取る。失敗の因となるものは、人間の自惚れや野心、これらは人間を正しい道から逸らしてしまう。又、自己満足の野望に過ぎないものを、天職と思い違いをさせてしまう。このような者は失敗する、それは本人の欠陥によるものである。しかるに、自分を責める代わりに、彼は自分の星を呪う」

○社会慣習の為に、余儀なく別の道を辿ることがよくあるのではありませんか。自分の職業選択が周囲の人の意見で左右されることもよくあるのではありませんか。他人の判断をわりに重視する気持の為に、自由意志の修練の障害となる、そんなことはありませんか。
「社会慣習は神ではなく、人間によって作られるもの。人がこれに従うのは、そうすることが相応しくあるからだ。またそれ故に、本人は自由意志でそれに従っているわけ、但し、それから離れたければ、離れられる場合だが。だから、ぶつくさ言うこともあるまい。人々が責めるべきは社会慣習ではなくて、自分のプライドである。このプライドの為に、人は自分の権威を傷つけるよりはと、餓死を選ぶ。自分の意見を犠牲にしたって、誰も感謝はしない。神様は彼等の空しい犠牲をよくご存知であるが」

○運の良くない人がいるかと思えば、何をやっても上手くいく、運の良い人もいます。一体何からこうなるのですか。
「多くの場合、本人が事をどう処理するか。そのやり方である。しかし、試練の種類にもよりけりである。人は成功すると成功に酔ってしまう。そして自分の運を信じ切って、最後はどんでん返しを食う。もし思慮分別があったら、食う筈のなかったどんでん返しを」

○意志や知性も関係なしに、思わぬ幸運が転がり込むことがあります。例えばサイコロ賭博のような場合、あれは何ですか。
「それは霊達の仕業である。人間として得た勝利が、霊としては失敗であることが多い。こういう僥倖(ぎょうこう)は本人の虚栄心や欲心の試練である」

○では、私共の物質上の運命をつくる、いわゆる運は自由意志の結果ですか。
「諸君は自らその試練を選択したのである。その試練が厳しく、また諸君がそれをよく耐えれば、いっそう諸君は高く向上しよう。人生をぬくぬくと利己的快楽に淫身をやつして生きる者は、進歩が停滞する臆病者である。この故に、今不幸な多数は、幸福である者達よりも、地上ではずっと偉大な者達である。何となれば、霊というものは一般に、自分に最も有効な試練を、選択するものであるから。霊達の目には、諸君等の壮麗さとか享楽の虚しさが、はっきり見えている。それだけでなく、最高に幸福な人生とは、必ずやある程度、波風のあるもの、ある程度悩み事もあるもの。ただ悲しみだけがなければ」

○良い星の下に生まれる、という言葉は、どこから出て来るのですか。
「星と人間の運命とを結び付けた、古い迷信-一部の者達が愚かにも、そのまま真理と鵜呑みにしている天象図、それから出ている」




管理人の解説

 [運命]という言葉を、霊的知識の無い人々は、あたかも、予め固定された回避不能な定めのように用いる。しかし、どうやら、生まれる時と、死ぬ時以外は、柔軟性があるらしい。とはいえ、大体の人生の道筋は、生まれる前に、霊界で定めてきたらしい。

 だから、今回の私の人生において、私が生まれる前の霊界で絶対に想定していなかったプロ野球のスーパースターになる、なんてことは無いし、不可能なのだ。もしも生まれてから、プロ野球のスーパースターになる予定だったのならば、もっと強靭な、運動神経抜群な体に生まれねば、それを達成することは不可能だから。華奢な体、才能のない体では、どんなに努力しても、プロ野球選手にすらなれない。まして、プロ野球のスーパースターには絶対になれないのだ。

 私も、こうして霊的知識普及の為の自殺防止サイトを今、制作しているのだが、こういうサイトを作るという決意も、別に二十歳の頃から持っていたわけではない。むしろ、若い頃など、霊的知識さえ知らなかったのだ。それが、失意のどん底を経験して、それから長い年月をかけて、色々あって、キリスト教の勉強をした後、キリスト教は間違いだと気付き、その後、家族で旅行した先の旅館の休憩室に設置してあった、誰でも閲覧可能なパソコンのインターネットでシルバーバーチの霊訓に出会い、そこから霊的知識の勉強をかなりして、今に至る、という訳だ。

 しかし、すんなり、今のサイトを制作出来た訳ではない。このサイトの前にも、別の霊的な自殺防止サイトを制作していたが、訳あって削除した。今は二代目を制作中なのだ。そしてこの二代目の霊的自殺防止サイトは、一代目と比較すれば、ずっと改良されている。

 私の今回の人生の目的は、インターネットにおいて霊的な自殺防止サイトを制作し、多数の自殺志願者を救うというものだと思われる。なぜならば、今、使命感に駆られて頑張って制作しているからだ。しかし、ここまで来るのに、実に紆余曲折があった。

 だから、私が今しているように、自殺防止サイトを制作するように導かれてきたのは、運命といってよいと思う。なぜならば、今生の使命を果たす為に、そのように導かれてきたように感じるからだ。

 しかし、今現在、私が性風俗で散財した結果、クレジットカードで莫大な借金を負っていることは、運命ではないだろう。それは、私が単に性欲に負けて、お金の管理が出来なかった結果だ。なので、現時点において、クレジットカードの借金がゼロという今も、可能性としてはあった訳だ。ただ、私は、実際には性欲に勝てなかったので、こんな借金まみれになってしまった。

 まあ、仕方がない。これからも生きていくしかない。ただ、自殺防止サイトを完成させるというのは、人生における使命なので、これだけは何としてでもやり遂げねばならない。だから、頑張る。

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