遺像というのは地上の旅人が死と共に捨てる殻のことで、マントに譬えられないこともない。捨てたといっても殻そのものはそのまま残っているので、必要となれば拾い上げてもう一度纏うことが出来る。
 世にいう幽霊話ーどこかの館で、ある決まった時期に限って、或はいつとはなしに、また何の意味も目的もなく幽霊が出没するといった話は、昔から種の尽きることがない。もしもそういう場面に出くわしたら、こう思えばよいーもしかしたら王党派(キャバリア)か議会派(ラウンドヘッド)[訳者注ーキャバリアとラウンドヘッドは英国の十七世紀の内乱でチャールズ一世を支持した者と議会を支持した者の呼び名で、双方の多くが戦死し斬種された英国史上最も長期の内乱]の誰かが残したマントか仮面だろう。それとも、頭巾付きの外衣を着た修道士か敬虔な修道女か、もしかしたら生涯を畜殺業者で終えた者か自分自身が殺された者かが、魂の奥に憤りと憎しみを抱いたまま変装して出て来たのかもしれない、と。
 その遺像を再び活性化するのは、その憤りや憎しみの感情である。背後にその種の怨念や観念があって、それがその遺像と結びつくからこそ意味もなく歩き回るのである。そういうものが無い限り動き出すことはない。つまり、宇宙の遠き彼方に地上時代に惨い死に方をした者、殉教した敬虔な修道士や修道女などの霊がいて、ふと当時のことを思い出した時などに、その強烈な念が遺像に感応して一時的に生気を与えるというわけである。
 従ってここで銘記して頂きたいのは、そのマントのかつての持ち主自身が戻って来てもう一度それを纏い、地上の舞台で下手な芝居を演じているのではないということである。そういうものではない。無意味な、薄気味悪い行動をしている幽霊は、死に際して脱ぎ捨てたマントがかつての持ち主の思念に刺激されて、たまたま霊視力の発達した人間の目に映じたに過ぎないのである。
 もとより何事にも必ず例外というものがあるので、従って幽霊現象の全てが一つのルールで片付けられるとは思っていない。が、一般に幽霊が出たという場合、それは強烈な記憶の糸に引かれた地上時代の一念が、死に際して残した遺像を媒体として他愛もない現象を起こしているに過ぎないことが多いことは、間違いない事実である。