予言者イエスが田舎村のナザレからやって来たように、未知の世界に関する驚異的事実が、イングランド南東の一角フォレスト・ヒルにあるスピリチュアリスト教会からThe People社に送られてきた。

 差出人はその教会の牧師ポター氏で、末尾に住所と電話番号が記してあり、青の十字架と教会の絵が描かれてあった。ここでその全文を紹介し、さらにそれに関連した意外な事実も紹介しておきたい。


 編集長殿


 貴紙に掲載されたノースクリフ卿からの通信に関連したことでお耳に入れたいことがございます。この霊は過去二年間に何度も我々の交霊会に出現しており、つい先週も出たばかりです。パウエル博士と一緒に出ることが多いです。二人とも他界して二、三日後に出現しております。

 我々の教会誌に掲載した通信を幾つかお送りしました。『ハームズワース』と名乗っていますが、ノースクリフと呼ばれていたと言っております。公表していない通信も沢山あります。

                                       敬具

                                      J・W・ポター


 追伸ー私達のサークルは週二回の割合で交霊会を催しており、今夜で215回目となります。多くの牧師、主教、医師、著名人が出席しており、また米国、カナダ、オーストラリア、南アフリカ等々の諸外国からの参加者も少なくありません。皆霊的真理を知りたいとの高尚な動機を持った人達ばかりで、物理的心霊現象の類は禁じております。

 霊媒は私の息子で、まだ十七歳の若さで霊媒能力を発揮しましたので、ノースクリフという名前は知りませんでしたし、その他、パウエル博士以外の出現霊の誰一人として知った人はいません。スパージョン(牧師)、グラッドストーン(政治家)、ラスキン(画家)その他、私が個人的に知っていた人が出現して、私のよく知る声と話し方で語っております。


 そして同じ封筒の中にSpiritual Truth(霊的真理)というタイトルの教区誌から切り取られた二つの記事が同封されていた。そのタイトルの下には次のような内容説明がある。


 『霊的進歩と理解と調査と討議と反省と証言の為の無所属の心霊誌』


 その切り取りにはノースクリフに関連した記事が二つあった。一つは1923年3月21日付けで、ただ「ノースクリフ」とあるだけだった。要するにノースクリフからのメッセージということで、いつものように、いつもの交霊会で、いつもの霊媒を通して得られたもので、編集者にとっては何の変哲もない記事だったのであろう。

 しかし、私にとっては、人生でこれほどドラマチックな記事はない。墓地に埋められたはずの大先輩から送られてきたメッセージである。しかも一年半も前に交霊会に出てきて喋っている。その事実を私は全く知らずにいたのである。ともかくもそのメッセージを紹介してみよう。


    「ノースクリフ」


 ここに紹介するのはノースクリフと名乗る霊が本教会における交霊会で語った最近の霊言である。我々としては『当人』であることの真実性を疑う理由は何もない。その霊が、交霊会を主催する高級霊(指導霊)の許しを得て語り、我々はそれに一切の手を加えずに掲載する。読者がそれを真実のものとして受け入れようが拒否しようが、それは自由である。我々としては、霊界から送られたものをそのまま地上界に届けるだけである。ノースクリフと名乗る霊からの通信は他にも幾つかあるが、これは本人が「死」の過程で経験したことを是非とも伝えたいとの要望にこたえて語ってもらったもので、十二人を超える霊的経験豊かな出席者の前で、深いトランス状態の青年霊媒を通して得られたものである。


 私は説明しようのない風変わりな家屋で目を覚ましました。部屋の壁は一面の花盛りで、ありとあらゆる種類の花が咲いています。屋根はあるにはあるのですが、なぜか突き抜けて空が見えるのです。やがて意識がはっきりしてきて、それと同時に幸福感が湧いてきました。無上の喜びを感じ始めました。

 地上生活につきものの制約が何もないように思えました。立ち上がって外へ出ました。すると地上では想像もつかないような風采の男に出会いました。ひどく派手な色彩のローブを纏っていて、私はこれが天使なのかと思いながら近づいて、地上でやり慣れた形の挨拶をしました。するとその人は私の肩に手を置いて、じっと私の目を見つめるのです。それでやっと気がつきました。地上で親しくしていたエリス・パウエルで、今夜ここへ案内してくれたのも彼です。

 彼と会うなんて思ってもみなかったことですし、ただただ驚くばかりでした。私は彼の手を握り、再会を喜び合いました。彼は死後の世界の素晴らしさについて語ってから、私の肩を抱えるようにして歩道を通り、丘を登って行きました。辺り一面が緑に輝き、小鳥がさえずり、花が咲き乱れ、動物も見かけました。

 丘の頂上に登ってから振り向くと、下の方に聖堂が目に入りました。言葉では説明しようのない荘厳なもので、それを見ながらパウエルが、あそこでいつかまた会うことになっていると述べました。

 その後も多くの新しい体験をしました。私の想像力を超えたことばかりでした。こちらにも青空があるのです。大陽も見えております。が、嫌なものがないのです。全てが良いものばかりです。中でも心を打たれたのは湖の美しさです。その水は「いのちの水」だと教わりました。水そのものが生き物なのです。その湖のほとりに立って辺りを見回すと、かつて味わったことのない安らぎを覚えます。

 魂の目が開かれたのでしょう。もう一度地上界に生れ出たら、どんなにか価値ある生活が送れるだろうと思います。天国は物的なものから生まれるのではありません。地上界へ霊的真理をもたらさねばならないという声をよく聞きます。が、人間が魂の目を開いて真理を語りさえすれば、霊界から働きかける必要はないのです。

 そろそろ行かねばなりません。また参ります。おやすみ、皆さん。


 社の者みんながこれを読んだ。繰り返し読んだ。間違いなく二十回は読み返したであろう。そして私はこう言ったー

「おいおい、考えてみろよ。ボスは天国へ行っても記事を送ってくれたよ。だが、なぜここへ寄越さずにフォレスト・ヒルなんかに送るんだよ。ポターなんて我々が全く知らない人間じゃないか。そんな奴になぜ自分の人生の最大の物語を話すのかな。それも、二年近くも前のことだよ」

 悲しいかな、その頃の私はスピリチュアリズムというものについて、その名前しか知らなかった。霊界から通信が殆ど毎時間ー大げさではなく世界中のどこかで一時間に一回の割でー地上界へ届けられていることなど、思いもよらなかった。

 さらにまた、そんなことをうっかり口にすると嘲笑の的にされるので、その真実性を確信している人でも、なるべくなら口外することを控え、理解している人達の間だけでヒソヒソと語り合っていること、出版するとしても、出来るだけ控え目な形にしていることも知らずに、我々ジャーナリストこそ世論をリードする知性派の最先端のつもりでいながら、その実、肝心なことは何一つ知らずにいたのである。

 同封されていたもう一つの記事はSpiritual Truthの1923年6月6日付けからの切り抜きで、長文であるが全文を紹介する。


 「ノースクリフとSpiritual Truth」


 1923年5月3日木曜日の夜の交霊会で最初に出現した霊について、司会者「審神者(さにわ)」が「初めての方のようです」と述べたが、いよいよ霊媒の口をついて出た言葉は「前に一度出たことがあります。ノースクリフです」だった。我々も挨拶し[列席者が口々に「ようこそ」と述べるー訳者]、その後の霊界での進歩について質問するとー


 地上界でいう進歩とはいささか異なるようです。[進歩]という用語に新たな解釈を施さねばならないことを知りました。というのは、全ての魂が常に進歩しており、誰一人として進歩を停止することはないからです。各自の人生における一つ一つの行為が、[永遠の旅]という名の梯子の一つ一つの段であることを学びました。高次元の世界から見下ろしている高級霊の視点からすれば[退歩]というものは有り得ないことに理解がいったのです。

 高い界にいる者と低い界にいる者とを比較する限りでは、それぞれの視点での認識の仕方から、進歩しているとか退歩したといった表現になりますが、神の目から見れば退歩するということはなく、全ての者が進歩しているのです。次元の高い界の霊も低い界の霊も、それぞれの次元で魂を磨くことを目標としているのです。自分で自分の家をこしらえているようなものです。単なる動物的存在だった魂の霊性を発達させているのです。上昇するのも下降するのも、私には同じことのように思えます。見ていて楽しいものです。

 私はその後もずっとあなた方の出版物「スピリチュアル・トゥルース」に関わっています。私が編集室にいるところを何人かの人が霊視したというのは事実です。確かにあなた方の傍にいました。
 死後、地上で私が始めた出版事業にこちらから影響力を行使しようと思ったことがありましたが、上手く行かないことが分りました。悲しいかな、アレではダメです。根本から大改革が必要です。基本理念を改めないといけません。
 が、現在の私には、最早手が届きません。考えてもごらんなさい。若くして私が創業し、何十年もかけて育て上げ、現在の地歩を固めたのです。それを全て地上に置き去りにしてきたのです。全てを失ったと言っても良いでしょう。
 考えても見てください。自分の人生を自分一人の手で建ち上げたのです。自分の進むべき道を若くして方向づけて、その道をまっしぐらに進みました。朝も昼も晩も休みなく働き、社内で寝起きする毎日でした。そういう仕事から離れることは悪魔に誘われるような気がしたものです。そして死・・・・
 同じ会社にいるのに何一つ手出しが出来ません。何の影響力も行使出来ません。社員に命令しても知らん顔をしています。それまでやってきた仕事が全く出来ません。言わば迷える霊となってしまいました。そこへ、皆さんが出しておられる教区誌の仕事が与えられました。生前の新聞の編集に比べればチャチなものですが、私に欠けていたものを埋めてくれることになりました。これだ、自分の魂はこれを求めていたのだ、と思いました。それまではまり込んでいた轍(わだち)から少しずつ脱け出ていきました。
 これからの皆さんのお仕事の成功を祈っております。再びこの場に出させて頂いて嬉しく思います。私の理解はまだまだ皆さんには及びませんが、今の私の霊眼に映じる限りでは、皆さんの想像も及ばない程の成功が待ち受けております。その実現を期待しております。

 以上の記事を私は一気に読んだ。その後も何回も読み返し、これまでに五十回は読んだであろう。それまで私は、そこに述べられていることが本当の死後の世界からのメッセージであるとは信じなかった。が、あのボスが別の次元から戻ってきて必死に我々生前の仲間達に語りかけている様子を想像してみた。そしてロンドンの一角のくすんだ印刷室で素人臭いやり方で編集・発行に取り組んでいる作業員に付きっきりで助言している様子を思い浮かべると、地上の大規模な新聞社で指揮していたボスとの違いに同情を禁じ得なかった。
 ところが社にはその後も「ボスからの通信はもうないのか」という問い合わせが次々と来ていた。初めの内は我々は小馬鹿にして、まともに取り合わなかった。が、その内、時折、「本当に有り得ないのだろうか」という疑念が湧くようになった。そして私はポター氏に電話で話をしてみる気になった。新聞人は相手構わず電話を掛けまくる癖がある。私も、どうせ髭もじゃのご老体だろうくらいにしか想像していなかった。ところが実際の耳で聞いた声から判断する限りでは、率直で、妙に謙虚で、どこか崇高な存在に話しかけている感じがした。
 その時の話の内容は記録しなかったが、最初の手紙が届いてから一週間後の九月二十九日に、そのポター氏からもう一通の手紙が届いた。