[人生は本当の自分を探すスピリチュアルな旅]より



 ●主観的心霊現象

 これは第三者にはその実体が分からず、本人のみが見たり聞いたりする現象のことで、次のようなものがある。

1 霊視・霊聴
 霊視は、言うまでもなく肉眼に映じないものが見える現象ないし能力のことで、それも次元の違いから二種類に分類することが出来る。
 一つは透視現象と呼ばれるもので、密閉した容器の内容物を見抜いたり、封書の中の文章を目隠しをしたまま読み取っとりする。これは五感の延長線上にある能力で、その場に存在しているが肉眼には映じないものが見える場合に限られる。譬えてみればX線やレントゲン線などと同じと思えばよい。
 これが、その場に存在せず、はるか彼方のものや、時には海を隔てた場所での出来事が見えたり分かったりする場合には、それを見せてくれる、或は教えてくれる何者かがいるものと判断される。その何者かは霊的存在すなわちスピリットであり、そういう場合は霊的次元での現象であることから、これを霊視現象と呼んでいる。
 その顕著な例として西洋でよく引き合いに出されるのが、スエーデンボルグが1759年にゴーテンベルグに滞在中に、三百マイルも離れたストックホルムでの大火を霊視して、その場に居合わせた十五人の人に語ったという話である。ドイツの哲学者カントもその中にいて、その事実を検証して真実であることを確認している。

 次に『霊聴』というのは、周りの人には何も聞こえないのに、その人だけが、あたかも肉耳で聞いたみたいに鮮明に『声』を聞く現象のことである。残念ながらこれには紹介するほどの顕著な体験話は、西洋にも日本にも見当たらない。しかし、私見によれば、案外この霊聴が日常生活の中で一番頻繁に起きているのではないかと思う。多分、それを人に話しても気のせいにされるに決まっている、との考えが先に立つのではなかろうか。

 こうした体験はあくまでも主観的であり、それを実証するものが結果となって現れないので、よくよく理解のある人にしか喋れないことになる。


2 幽体離脱(体外遊離)
 地上を見て回るだけのもの、つまり三次元世界に限られたものと、幽界や霊界といった高次元の世界を探訪して帰ってくるものとの、二種類に分けられる。
 三次元世界の見学だけで終わるものは肉体に宿っての旅行と同じで、感覚的に慣れていることばかりなので、肉体に戻ってからの回想に混乱が少ない。実を言うと我々は、特殊なケースを除いて、毎晩のように幽体離脱を体験しているのである。ただ、戻ってからその間の体験の記憶が脳に感応しないだけのことである。
 が、多分大半の方が体験しておられると思うが、旅行先などで「おや、ここは一度来たことがあるみたい」とか、「この場面はどこかで見たことがある」といった感じを抱かれたことがあるはずである。それは、夜の間に訪れて見ていた記憶が、何かのきっかけで脳に甦ってきたのである。
 それを『前世』と結びつけて大げさに説く人がいるが、前世のチャネリングなどというものは、現在の人類の進化の段階では、たとえ霊能者を自称する人でも不可能と思ってよい。
 なお、遊離している間は『玉の緒(たまのお)』([魂の緒]とも)で肉体と繋がっている。死とは脳死か心臓停止かが今医学会の論争の的になっているが、この『緒』が切れた時が本当の死である。まさに命の綱なので英語では『ライフコード』と呼ぶが、霊視すると銀色に輝いて見えるので『シルバーコード』と呼ぶ人もいる。
 これは半物質体で極めて柔軟性に富み、いくらでも延びる性質があるが、昼間の出来事などで精神的に緊張したり悩み事があったりすると、玉の緒が硬直して肉体から殆ど離脱出来なくなる。そこでウツラウツラとして熟睡出来なかったり、不眠症になったりする。
 さて、これが高次元世界への探訪となると、色々と複雑な問題が生じてくる。何しろ次元が異なる為に、それを脳という三次の意識中枢で回想する際に、どうしても歪みが生じる。
 であるから、幽体離脱の体験話や、最近話題になっている『臨死体験』なども、見えた通りがそのまま死後の世界の現実と思ってはならない。それはあくまで、その体験者の脳の独自の解釈なのである。人間の意識は常に脳という三次元の媒体を通過していることを忘れてはならない。
 もう一つ別の角度から説明すると、我々はよく『太陽は東から昇り西に沈む』という言い方をするが、これはあくまでも地上に足を置いた見方であって、太陽に足を置いて地球を眺めれば、地球の方が太陽の周りを回っている。『コペルニクス的転回』というのはここから出たわけであるが、だからといって地球上に住んでいる者にとっては、やはり太陽は東から昇って西に沈んでいるように見えるし、そう表現する以外に方法がない。それは一種の『錯覚』であるが、要はそれに囚われて実相を忘れてしまわないことである。
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3 霊言
 これは『霊が語る』現象のことで、太古に遡る程頻繁に行われていたはずである。ギリシャのデルフォイ(デルポイ)の神殿における『お告げ』は、世界史においても有名であるが、最近賑やかな話題を呼んでいる『魏志倭人伝』に出てくる邪馬台国の卑弥呼も、私は典型的な、しかもかなり高級な霊言霊媒だったと推察している。その道の専門家・安本美典氏の現代語訳を拝借するとー。

 [一女子をたてて王となす。名づけて卑弥呼という。鬼道につかえ、よく衆をまどわす。年はすでに長大であるが、夫婿(ふせい)はない。弟があって、たすけて国を治めている。王になっていらい(その姿を)見た者はいない・・・。]

 鬼道につかえてよく衆をまどわせたというのは、霊的現象を起こして民衆を唖然とさせた、という意味であろう。祭政一致の時代には『神が宿って語る人物』として敬われ、かつ畏れられた。それは同時に『清浄』を必要とするものという観念も付随し、男性を近づけず、人民にも滅多に姿を見せなかったことが、この引用文からも窺われる。
 しかし、霊界には神や菩薩ばかりがいるわけではない。地上界に極道や悪徳商人がいるように、地上界のことに関わりたがっている霊にも、無知な低級霊や邪悪な企みをもった者がいくらでもいる。しかも、霊媒的素質をもった人間は身分の上下や人格に関わりなく存在するから、民間でも、俗にいう『お告げ』を聞く集まりが毎晩のように行われていたはずである。
 そして、それはこの二十世紀の現代でも同じなのである。私の推察では、日本でも恐らく『万』の単位の数の屋根の下で、毎晩、何らかの形での『交霊』の催しが行われているものと見ている。が、その99%までが、些細な悩み事や商売上の運勢・吉凶についてのご託宣だったり、他界した肉親からの『生の声』だと言われて、そう信じて有り難がったり泣いて喜んだりしている程度のものばかりである。そこには魂を高揚させるものは欠片もない。
 時代と民族の壁を超えて世界に通用する霊言といえば、何といっても『シルバーバーチ』の霊言が筆頭にあげられるであろう。世界十数カ国語に翻訳されており、第二次大戦中、欧米の兵士の中にはこれを座右の書として、最前線でも肌身離さず持ち歩いた人が少なくなかったという。その品の良さ、叡智の輝き、重厚味は空前絶後といってよく、私も未だにこれを凌ぐものを見出せずにいる。
 ところが、そうこうしているに、最近日本でも『シルバーバーチと語ろう』などという宣伝文句で金儲けを企む者が現れ始めた。創作霊言を出す者がいるかと思えばモノマネ霊言で客集めをする者がいたりで、日本の心霊界も今や大道芸人時代の観を呈するに至った。用心が肝要である。

4 自動書記
 霊が『書く』現象のことで、これには三通りある。一つは無意識[入神(トランス)]状態になった霊媒の腕、ないしは、書く能力を司る脳の部位を操って書く場合。
 二つ目は通常意識の霊媒にインスピレーションを送って、それを受け取った霊媒が反射的に綴っていく場合。霊感書記と呼んでいる。この場合、我々が物を考えて書くという普段の行為と同じで、ただその『考え』が霊からのインスピレーションであるという点が異なるだけである。
 三つ目は、直接書記といって、鉛筆なりペンなりを用紙の上に置いておくだけで、いきなり綴られるもの。スレートライティングといって、二枚のスレート(石板)を合わせたものを霊媒が手に持っていると、カサカサという音がして、聞いてみると通信文が書かれているという現象も、この部類に属する。これには大変なエネルギーを要するらしく、長文の通信や内容が高度なものは得られていない。
 こうした現象のメカニズムを分析してみると、手段は色々あっても、所詮は霊が人間界に意志ないしは思想を伝えるというだけのことであって、霊言と同じであるばかりでなく、極端に言えば我々人間同士の手紙のやり取りや電話での対話と同じものなのである。
 となると、霊言のところで述べたように、綴られたものが果たして『霊』から伺わねばならない程のものなのかどうか、魂を高揚するものがあるかどうかが問題となってくる。霊からの通信に価値があるとすれば、それは唯一、ちょうどコペルニクスが地球から太陽へと視座を飛躍させたことによって、それまでの思索のもつれが一度に解けたように、チマチマした人生観に代わって、気宇壮大なる生命哲学を授けてくれることになる、と私は信じている。
 三十年余りにわたって日本はもとより世界の霊的文献を渉猟してきた私が、これこそは折紙をつけられるものを挙げるとすれば、霊言では何といっても『シルバーバーチの霊言』で、英国のサイキック・プレスから第一期十二巻、第二期五巻となって発行されていて、80年になんなんとする今でもロングセラーを続けている。
 自動書記では、インペレーターと名乗る2500年前の、旧約聖書時代の霊を中心とする複数の霊が、ステイントン・モーゼスという元キリスト教の牧師の手を使って綴った『霊訓』、それに、同じく元牧師のジョージ・オーエンを通して霊感書記で綴った『ベールの彼方の生活』全四巻が、内容の高尚さとスケールの大きさからいって、筆頭に挙げねばならないであろう。
 主観的な心霊能力にはこの他にサイコメトリといって、ある物体を手に持つだけでそれにまつわる事情、例えばその持ち主に関する情報とか遍歴のあとが、それこそ手に取るように分かる能力、それから水晶球を凝視することによって予知とか占いをする能力とかがあるが、メカニズムは霊視現象と同じなので、ここでは省く。
       
       
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