ブリュッセルの産業博物館の館長であったジョベール氏は、オート・マルヌ県のベッセイで生まれた。1861年10月27日、ブリュッセルで突然の脳卒中に襲われて亡くなった。享年69歳。

 「こんばんは。あなた方が私を招霊しようとしてくれていることを承知の上で、このように自分から降りてきました。暫くの間、この霊媒を通じてコンタクトしようと努力していましたが、今ようやくこうしてコンタクトが可能となりました。
 魂が肉体から分離した時の印象を語りましょう。まず、それまで感じたことのない動揺を感じました。私の誕生の時、青春時代、壮年時代、そうした時代の記憶が突然全て甦ってきたのです。私は、『信仰によって啓示された、私の還るべき場所に還りたい』という気持ちで一杯でした。すると、徐々に記憶が静まってきました。私は自由になり、遺体が横たわっているのを見ました。
 ああ、肉体の重みから自由になることの何という嬉しさ!空間を自由に動き回れるというのは本当に心躍る経験です。とはいっても、一気に、神に選ばれし者になったわけではありません。私には、まだまだ課題が残っており、学ぶべきことがあるのですから。
 間もなく、あなた方のことを思い出しました。地上という流刑地にある兄弟諸君よ、私の同情を、そして私の祝福を受け取ってください。
 私がどのような霊人達に迎えられ、どのような印象を持ったかを知りたいのではありませんか?地上にいた時に私が招霊し、お互いに協力し合って仕事をした霊人達は、全て友人としてやってきてくれました。壮麗な輝きを感じましたが、地上の言葉では、到底その輝きを伝えることが出来ません。霊界通信で知ったことを確認し、誤った認識は改めようとしました。そして、地上においてもそうであったように、霊界においても、真理の騎士たらんとしているのです」
ーあなたは、地上におられる間に、「地上を去った後で必ず招霊してくれるように」と私達に頼んでくださいました。今、その約束を果たさせて頂いているわけですが、それは単にあなたの願いを聞き届ける為だけではありません。それだけではなくて、あなたへの心からの感謝をお伝えする為であり、また、あなたから貴重な知識を教えて頂いて、私達の向上の糧にする為でもあります。
 というのも、今あなたがいらっしゃる霊界についての正確な情報を、与えてくださることが出来る立場にあなたはおられるからです。ですから、私達の質問にお答え頂ければ誠に幸せに存じます。
 「現時点で最も大切なのは、あなた方の向上です。
 私への感謝の思いに関して言えば、私にはそれが見えます。私は、こちらへ来てから随分進歩したので、『耳で言葉を聞くだけ』という地上の制約を脱しており、思いを直接知ることが出来るようになったのです」
ー事態をはっきりさせる為にお聞きするのですが、現在、この部屋のどの辺にいらっしゃいますか?また、我々がそのお姿を拝見出来るとすれば、どのようなお姿をしていらっしゃるのでしょうか?
 「霊媒のすぐ側にいます。もし、私を見るとすれば、テーブルの側の椅子に座っている姿が見えることでしょう。というのも、通常、人間には、霊の姿は人間的な姿として見えることになっているからです」
ー我々があなたの姿を見ることが出来るようになるのは可能なのでしょうか?もし不可能だとすれば、何が問題なのでしょうか?
 「あなた方の個人的な能力の問題です。霊視の利く霊媒であれば簡単に見えるはずですから」
ーその席は、生前、交霊会のたびにあなたが座っておられた席で、あなたの為に、我々が確保しておいた席です。ですから、生前のあなたを知っている人々は、そこに座っておられるお姿を想像することが出来ます。物質的な肉体を持ってそこにいらっしゃらなくとも、幽体を纏ってそこにいらっしゃるわけですね。肉体の目では見えませんが、精神の目では見ることが出来ます。
 声を発してコミュニケーション出来なくても、霊媒の手を通して文字を書くことでコミュニケーションが成立します。あなたの死によって、我々との交流が断絶したわけではなく、かつてと同じく、今でも容易に、そして完全に対話を交わすことが出来るのです。
 以上のように考えてよろしいでしょうか。
 「結構です。それは既に随分前から分かっていることです。私は、今後、この場所に、あなた方が知らずにいても、座っていることになるでしょう。というのも、私はあなた方と共に生きるつもりだからです」

 「私はあなた方と共に生きるつもりだからです」という最後の言葉に注意を喚起しておきたい。というのも、現在の状況では、これは単なる比喩ではなくて、一つの現実だからである。
 霊実在論が、霊の本質に関して教えてくれるところによれば、霊は、単に思いにおいて我々と一緒にいられるだけでなく、現実に、幽体を纏った姿で、はっきり個性を持った個人として、我々の側にいることが出来るのだ。つまり、霊は、死んだ後も、もしそれを望むのであれば、生前と同様に我々の間にいることが出来るのである。しかも、いつでも好きな時にやってきて、好きな時に立ち去ることが出来る。
 というわけで、我々の側には、我々に無関心な、或は、我々と愛情で結びついている、実に沢山の目に見えないお客さん達がいるのである。特に後者に関しては、確かに「我々と共に生きている」ということが言える。つまり、我々を助け、インスピレーションを与え、守ってくれているのである。

ー少し前までは、あなたは肉体を纏ってその場所に座っておられたわけです。現在、霊になってそこにおられて、どんな感じがしますか?何か変化が生じているでしょうか?
 「特に変わった点はありません。『肉体を離れて霊になった為に、全てがはっきりと分かるようになり、曖昧なところが全くなくなった』という点が、違うといえば違う点でしょうか」
ー今回の人生よりも前の人生を思い出すことは出来ますか?それらと比べて、今回の人生には、何か変わった点があるでしょうか?
 「そうですね。過去世を思い出すことは可能です。そして、過去世に比べて自分が随分進化した、ということを感じます。過去世がはっきり見え、過去世に同化することが出来るのですが、過去世においては、混乱に満ちた人生を送り、地上世界に特有の恨みという感情を抱いたことが多かったようです」
ー今回の人生のすぐ一つ前の人生、つまりジョベール氏の時よりも一つ前の人生を思い出すことは出来ますか?
 「出来ます。私はその時、機械工をしておりました。大変貧乏でありながら、自分の技量を完成させたいと望んでおりました。そして、今回の人生において、つまりジョベールの人生を通して、その哀れな機械工の夢を果たしました。私の頭の中に蒔いた種から芽を出させてくださった善なる神に、心から感謝したいと思います」
ー他の場所では招霊に応じましたか?
 「まだほんの少ししか招霊には応じておりません。多くの場所で、ある霊人が私に代わり、私の名前を使って通信しました。私は、まだ自分では直接に通信出来なかった為、彼の側に控えていたのです。
 死んで間もないので、まだ地上の影響に左右されます。つまり、まだ新米なので、通信が可能となる為には、地上の人々との完全な共感が必要となる、ということなのです。もう少しすれば自由に通信出来るようになるでしょう。今のところ、繰り返しになりますが、自分で直接、自由に通信することは出来ません。
 多少、名を知られた人間が死ぬと、あちこちで呼ばれるので、他の多くの霊人達が、暫くその代わりを努めます。私の場合も同じことが起こりました。肉体から解放された直後には、通信することはなかなか難しかったのです」
ーここにいる、あなた以外の霊人達の姿は見えますか?
 「特にラザロとエラストがはっきり見えます。それから、少し遠くに[真実の霊]が空中に浮かんでいるのが見えます。さらに、数多くの友人達がひしめき合って、あなた方を優しく取り囲んでいるのが見えます。あなた方は本当に幸せ者ですよ」
ー生前、あなたは、「四つの天体が一つにくっついて地球が生まれた」とする説を支持していましたが、今でもこの説を信じていますか?
 「あれは誤りでした。新たな地質学的発見によって、『地球それ自体が変動を経て徐々に形成された』ということが証明されています。他の惑星と同様、地球もそれ自体の生命を持っているのです。『いくつもの天体を一つにまとめる』というような作業は必要なかったのです」
ーあなたは、さらに、「人間は、無限に長い間、強硬症(一定の姿勢を長時間とり続ける症状)の状態にあり続けることが出来る。そして、実はその状態で他の天体から地球に運ばれてきた」という説を支持していましたが、この点に関してはいかがでしょうか?
 「私の空想癖が生み出した錯誤にすぎません。強硬症が、ある程度、持続することは事実ですが、無限に続くことはあり得ません。東方的な空想が生み出した大げさな伝説です。友よ、私は、地上時代に数多く錯誤を犯しており、それらを反省して随分苦しみました。そのことをよく覚えておいてください。
 私は地上で数多くのことを学びました。素直に申し上げて、私の知性は多くの学問を素早く学ぶことの出来るものでした。しかし、『地上生活で得たもののうち、本当に価値があったのは、素晴らしいものへの愛と、純朴なものへの愛だけだった』ということを、ここで強調しておきたいと思います。
 いわゆる純粋に知的な問題には、今は興味がありません。私の周りに展開する、目も眩まんばかりの美しい景観、溜め息が出る程素晴らしい出来事に囲まれて、どうして純粋に知的な問題に関心を持つことなど出来るでしょうか。
 霊実在論の仲間の絆は、あなた方の想像以上に強いのですよ。私が、ひとたび去った地上にこうして降りてくるのは、この絆があるからです。嬉しくやって来るというよりも、むしろ、解放されたことに対する深い感謝の念と共にやって来る、と言った方がよいかもしれません」

 協会は、1862年2月より、リヨンの工員達からの寄付の受付を開始した。メンバー一人当たりの寄付は五十フランであったが、そのうちの二十五フランは本人名義、残り二十五フランはジョベール氏名義となった。このことに関して、ジョベール氏が以下のような意見を寄せてくれた。

 「霊実在論を同じく奉ずる兄弟達が私を覚えていてくれたことに対して、心から嬉しく思い、感謝するものです。寛大な心で寄付をしてくださったことに感謝しています。それは、もし私がまだ地上にいれば、私がしていたはずの寄付でした。今私が住んでいる霊界では、お金は、必要とされない為に存在しません。したがって、地上で寄付をする為には、友情に溢れた財布から出して頂くしかなかったのです。
 善良な工員諸君、あなた方は、熱心に、種から育ったブドウの苗を育てています。慈善という言葉がどれほどの意味を持っているかを、本当に知って頂きたいものです。額の多少に関係なく、施しは同情と博愛の印であり、実に尊いものなのです。
 諸君は、人類の福祉を目指す大道の中にあります。どうか、神のお力により、諸君がその道を踏み外しませんように。そして、諸君がさらに幸福になりますように。霊界の友人達が諸君を支援していますので、必ず勝利出来るはずです。
 私はこちらで霊的な生き方を本格的に開始しました。次々とやってきていた交霊会へのお誘いも少なくなり、落ち着いた、平和な生活が始まったのです。流行は霊界にも及びます。ジョベールの人気が終わり、次の霊人が寵児になるにつれ、私は忘却の中に入っていくのです。
 ただし、智慧を得る為に真剣に学ぼうとしている友よ、今度はあなた方が私を招霊してくださる番です。今まであまりにも表面的にしか扱われなかった問題を、一緒に深めようではありませんか。いまや、あなた方のジョベールは完全に変容を遂げ、有用な情報をお届け出来るようになりました。そして、私はあなた方にとって有用でありたいと、心から望んでいるのです」
 
 こうして友人達を安心させた後で、ジョベール氏は、社会変革を押し進める霊人達の活発な動きに参加した。そして、やがて再び地上に生まれ変わって、地上の人間達と一緒に、より直接的な仕事をするつもりでいる。
 この時以来、氏は、しばしばパリ霊実在主義協会を訪れ、比較し得るものがない程優れた霊示を数多く降ろしてくれた。それは、独創性と機知に溢れたものであり、その点で、生前の氏の特徴を全く失っていなかったので、霊示にサインがなされる前から、我々にはそれが氏からのものであることがはっきりと分かるのだった。