善人として生きたが、事故で亡くなった。生前は霊媒として知られていた。

 1861年2月1日、ボルドーにて。
ーあなたの死の状況について教えて頂けますか?
 「私は溺死しました」
ー死んでからのことを教えて頂けませんか?
 「自分を取り戻すまでに、大分時間がかかりました。でも、神の恩寵と、助けに来てくれた仲間達のお陰で、光に満たされていったのです。
 期待以上の素晴らしさでした。一切が物質とは関係ないのです。全てが、それまで眠っていた感覚を揺り起こします。目に見えず、手で触れられない世界です。
 想像出来ますか?あまりにも素晴らしい為に、あなた方の理解を絶しています。地上の言葉では説明不可能なのです。魂で感じないと分かりません。
 目覚めた時は、とても幸福でした。『地上の人生とは悪夢でしかなかった』ということがよく分かりました。
 その悪夢の中で、あなた方は悪臭ふんぷんたる独房に閉じ込められているのですよ。蛆虫が身を食い破って骨の随まで達しようとしており、しかも、あなたは燃え盛る火の上に吊るされていたわけです。カラカラに渇いた口は、空気を吸うことさえ出来ません。あなたの霊は恐怖に囚われており、周りを見ると、あなたをのみ込もうとする怪物ばかりです。
 想像し得る限りのおぞましいもの、恐ろしいものに囲まれていたのに、目を覚ましてみれば、なんと、うっとりするようなエデンにいるわけです。
 周りには、かつて愛した人々がいます。そして、幸福に輝く顔で、あなたに微笑みかけてくれるのです。辺りには、心地良い香りが漂い、命の水で、渇き切った喉を潤すことが出来ます。無限の空間の中に体は憩い、優しいそよ風が、甘い花の香りを運んできます。生まれたばかりの赤ん坊が母親の愛に包まれるように、あなたは神の愛に包まれます。そして、一体何が起こったのか、まだよく分かりません。
 さて、以上、死後に人間を待つ幸福感をあなたに説明しようと思ったのですが、どうやら、それは不可能なようです。ずっと狭い箱に閉じ込められてきた、目の見えない人に、無限の空間の広がりを理解させようとするようなものです。
 永遠の幸福を感じ取る為には、愛しなさい!
 というのも、愛だけが、それを感じ取らせてくれるからです。
 勿論、ここで『愛』といっているのは、エゴイズムの不在のことです」
ー霊界に還った直後から、もう幸福に満たされていたのですか?
 「いいえ。まず地上でつくった『借金』を返さなければなりませんでした。私は死後の世界を感じてはいましたが、無神論者だったからです。
 私は、神への無関心を償う必要があったのですが、神は大変慈悲深い方であり、私がなし得たごく僅かな善を評価してくださり、私が多くの苦しみを諦念と共に受け入れていたことを、とても高く買ってくださいました。
 神の正義の感覚は、とても人間には理解出来ません。地上で為し得たほんの僅かな善を、思いやりと愛とで非常に高く評価してくださり、あっという間に多くの悪を消してくださるのですから」
ーあなたの娘さんは、そちらでどうしていらっしゃいますか?(父親の死後、四、五年して、娘も亡くなった)
 「使命を帯びて再び地上に生まれ変わっております」
ー彼女は今、人間として幸福なのでしょうか?もし差し支えなければ、お教え願えますか?
 「そうですね、私には、あなたの気持ちが、まるで手に取るように分かりますよ。あなたが単なる好奇心から聞いているのではないことが、よく分かります。
 彼女は現在、人間としては幸福ではありません。むしろ、あらゆる地上の悲惨が彼女の身に及んでいると言ってよいでしょう。しかし、それにもかかわらず、彼女は、自らを手本として、偉大な徳を示さなければならないのです。
 私は彼女を見守り、助けるつもりでおります。彼女は、数多くの障害を、さほど苦しまずに克服してゆくでしょう。彼女は償いの為に生まれたのではなくて、使命を帯びて生まれたからです。ですから、彼女のことは心配しないでください。彼女のことを覚えていてくださってありがとう。感謝します」

 この時、霊媒は急に文字を書くことに困難を覚え始めた。どうも、通信の送り手が別の霊に替わったようである。そこで、次のように言った。

ーもし、苦しんでいる霊が今ここに来ているのでしたら、名前を教えてください。
 「不幸な女です」
ー名前を教えて頂けますか?
 「ヴァレリーです」
ーどういうわけで罰を受けているのか、教えて頂けますか?
 「嫌です」
ー過ちを後悔していますか?
 「そんなこと、分かっているでしょう?」
ー誰があなたをここに連れて来たのですか?
 「シドゥニエです」
ーどんな目的で?
 「私には、あなたの援助が必要なのです」
ー先程、字を書くのが困難になったのですが、あれはあなたのせいですか?
 「私が彼と入れ替わったからです」
ーあなたと彼の関係は?
 「彼が私をここに連れてきました」
ー我々と一緒に祈ってくれるように彼に言ってください。

 祈りの後で、シドゥニエが再び通信を送ってきた。

 「彼女の代わりにお礼を言います。よく理解してくださってありがとう。このことは決して忘れません。どうか、彼女のことを思ってあげてください」
ー霊として、あなたは多くの苦しむ霊の面倒を見ているのですか?
 「いいえ、そんなことはありません。でも、一人の霊人を立ち直らせると、すぐに次の霊人の世話をします。勿論、それ以前の霊人達も、ずっと見守るのですが」
ーそんなことをしていたら、何世紀も経った時、無数の霊人達を見守ることになりませんか?
 「立ち直った霊人達は、自ら浄化に励み、進歩を遂げていくのですよ。ですから、段々面倒を見る必要がなくなっていくのです。それに、日々、進歩していますから、向上するにつれ、我々の能力も増し、ますます強い浄化の光を放つようになるのです」

 未熟な霊には、善霊達が付いて助けているのである。これは善霊達の使命である。
 そうした仕事は、地上の人間には必ずしも期待されていない。しかし、それに協力することは大切なことである。というのも、そのことによって地上の人間も向上することが出来るからである。
 善霊との交信中に、例えば右の例のように、未発達霊が割り込んでくることが時々あるが、それが常によき意図によるものであるとは限らない。しかし、それでも、善霊はそれを許すことが多い。それは、ある場合には地上の人間への試練ともなるし、また、ある場合には未発達霊自身の向上にも繋がるからである。
 介入の欲求は、ある場合には、妄執と言える程のものになることがある。しかし、その欲求が強ければ強い程、彼らはそれだけ援助を必要としているということになる。したがって、それを拒否することは、よいことではない。
 彼らは、物乞いをしている哀れな人間と同じで、次のように言っているのである。
 「私は不幸な霊です。善霊が私を教育の為に送り込んだのです」
 もし彼らを救うことに成功すれば、それは彼らの苦しみを短縮し、彼らを立ち直らせたことになる。
 その仕事はしばしば苦痛に満ちたものとなるので、善霊とだけ交信し、よい内容のメッセージだけを受け取っている方が楽に決まっている。だが、自分の満足だけを求め、他者に善をなす機会を拒否するようでは、やがて善霊の守護を失うことになるのは明らかである。