現代の霊現象は、過去のあらゆる時代に起こった類似の現象への関心を高めた。その為に、ここしばらくは、歴史の検証が、かつてない程熱心に行われた。そこで確かめられたのは、「結果としての現象が類似している以上、原因も同一のはずだ」ということである。
 理性では説明がつかない、あらゆる異様な現象と同様、人々は、そうした霊現象を、超自然的な原因によるものであると考え、そこに、さらに迷信的な要素を付け加えて大げさなものとしていった。そこから数多くの伝説が生まれたわけだが、それらは、少量の真実と、多量の虚偽からなるものであった。
 悪魔に関する教義は、実に長い間、他の教義を圧してきたが、悪魔の力を過大視し過ぎた為に、いわば、神そのものを忘れさせる結果となった。その為、「人間の力を超える現象は、全て悪魔によるものだ」と考えられるようになったのである。
 あらゆる事柄が、サタンの仕業だと考えられた。あらゆるよきこと、有益な発見、さらに、人間を無知から解放し、狭い思考の枠組みから救い出した発見までもが、邪悪な存在の仕業と見なされてきたのである。
 霊的な現象は、今日では数多く見られるが、科学的な知見に基づき、理性の光のもとに、しっかりと観察された結果、それらが、目に見えない知性の介入によって引き起こされていることが明らかになった。そして、それらは、あくまで自然法則の限界の範囲内で起こりつつも、新たな力、今日まで知られることのなかった未知の法則を示すものであった。
 そこで、問題は、「そうした現象を引き起こす知性体が、一体いかなる次元に属しているのか」ということになる。
 霊界について、曖昧で型通りの考え方しか出来なかったとすれば、誤解も生じたであろう。しかし、今日では、厳密な観察と、実験に基づいた研究によって、霊の本性に光が投げかけられて、その起源と行く末、宇宙の中における役割と行動様式が明らかにされ、問題が、事実そのものによって解決された。
 すなわち、不可視の知性体とは、地上を去った人々の魂であることが明らかになったのである。
 また、数多くの善霊・悪霊が存在するが、それらは、当初から違う種類のものとして創造されたのではなく、元々同一に創られたものが、それぞれ、様々な進化のレベルにあるに過ぎないということが分かった。
 霊が占める階層により、また、その霊の、知的、道徳的な発達の程度に応じて、霊現象は、色々な様相を示し、時には正反対と思われるものもあるが、どの霊もー粗野な霊も、洗練された霊も、残忍な霊も、優美な霊もー全て、人類という家族の一員であることは間違いない。
 この点に関しても、他の場合と同じく、教会は、悪魔の仕業とする古い考えにしがみついている。つまり、「我々は、キリスト以来、変化していない原理に基づいている」というわけである。
 その後、人々の考え方も大きく変化しているのに、そのことを考慮に入れず、また、「神は、あまり智慧がないので、人間の知性の発達に応じて啓示のレベルを変えることなど、到底有り得ない」と考えているかのようである。「原始的な人々にも、文明人にも、全く同じ言葉遣いで語りかける」というわけである。
 人類が進化しているにもかかわらず、霊的な面に関しても、科学的な面に関しても、伝統的な宗教が、古いやり方にしがみついているとすれば、やがて、いつか、この地上は神を信じない人間ばかりになるであろう。