ある時気がついたら夏用の軍服を着て走っていた。私の人生の記憶の中でも最も強烈な部分がそんなものを選び出していたらしい。
そこはどうやらそれまでに私が連れて行かれた場所の中でも一番低級な境涯らしく、波長は雑多で、いたたまれない気分にさせられる。実はそこへ到達するまでに私はどんどん深みへ沈み込んでいくのを感じて、辺りを見てもみすぼらしい家々が立ち並んでいて、全体が薄気味悪かった。
途中で二度も指導霊に呼び止められて、住民をよく観察するように言われた。見ると口汚く罵り合っている。そのうちの一人は地上で私を知っていた男であるが、私の身体を通過していった。その男がそのような境涯にいることは別に驚きではなかった。確かにそういう人間だったからである。私は彼の目に私の姿が見えないことを知って安心した。
下降の速度が少しずつ遅くなってきた。どうやらその境涯でも最も低い淵に近づきつつあるらしく、もはや誰の姿も見当たらない。そのうちすすけた倉庫のような家屋の前で指導霊に呼び止められた。そしてドアが開けられて私は否応無しに中へ入らされた。途端に私の身体は恐ろしい波長を受けて足を止めた。見ると多くの人影、多分百人ばかりの人間が、ただのそりのそりと歩き回っている。
着ているものは何とも呼びようのない、まるでクモの巣でもまぶしたような汚らわしい姿をしている。顔は沈み切った青白い色をしている。酷い光景ではあるが、私の身体に感じられる波長の方がもっと酷かった。
どの人間もうなだれ、辺りのことには何の関心も見せず、ただのそりのそりと歩き回るだけである。心の中に巣くう考えも姿も同じく絶望的である。『永遠にここでこうしているしかない。もう救われる望みはない』ーそう思っている。確かにその通りに思える。一縷の望みも見当たらない。彼らにとっては永遠の時の中で一千年が昨日であり、明日もまた一千年であるかに思える。
そこで受けた波長はかつてなく低いもので、やがて指導霊がそこから私を引き出してくれてほっとした。そこの人間は周りの人間のことには一切関心がない。ただ当てもなく歩き回るだけである。言うなれば、陰電気を帯びた分子のようなもので、互いに避け合って動いている・・・・と言えば理解し易い方もおられるであろう。
こうした数々の霊界旅行で明らかになってきたことは、地上時代の無知が霊界におけるそれ相当の境涯に位置づけているにすぎないということである。すなわち地上生活によって一定の波長の幽体が形成され、死後その波長に合った境涯へと自然に引きつけられて行くということで、そこに何一つ誤りはない。神の法則は絶対に公平である。自分で自分を裁いていく以上、誰に文句を言う資格があろうか。
神の特別の寵愛者もいないし特権階級もいない。地上で偉いと思われている人が必ずしも死後も偉いとは限らない。何事においても動機が優先される。これまでの人類の歴史において、一部の者が同胞の生涯を惨めなものにした精神的苦悶から肉体的拷問にいたるやり口や悪辣さの程度は、歴史をひもとけば一目瞭然であろう。それを見て我々人間はその罪悪性を責めたくなるが、高級霊は哀れみの情をもって眺める。
さて、その後、私は例によって一旦明るい境涯へ連れて行かれてから肉体へ戻った。その翌朝のことである。店を開ける前に荷をほどくのに忙しくしていると、突然、優しくではあるが強い力で椅子に腰掛けさせられた。そして膝に両肘を置き両手で頭をかかえる格好で、私はある人のことで悲しみの情を覚えた。それほど強烈にして深い情を覚えたのは私としては初めてのことで、涙が溢れ出るのを禁じ得なかった。
そのある人とは、ある国の独裁者だった。どうにか落ち着きを取り戻し、近くに高級霊の存在を感じて私は心の中で尋ねたー『一体なぜ今頃私はこれほどの哀れを感じなくてはいけないのですか』と。するとこういう答えが返ってきたー『貴殿が今行ってきたところは、その独裁者がいずれ赴くところです』と。
これは1937年のことで、その頃は戦争の脅威といえるほどのものは見当たらなかった。独裁者の為にこの種の情を覚えるのは、普通の私の人間性には似つかわしくないことは言うまでもない。まだ店を開ける前のことだったのは幸いだった。
私を包み込むようなその霊は明らかに高級界からの霊で、そういう運命を(そうとは知らずに)辿りつつある地上の一独裁者に対する愛と深い哀れみの情に、その日一日中私は色々と考えさせられた。活発に動き回っている私を圧倒するその偉大にして優しい力は、霊界旅行中は別として、かつて地上では体験したことがないたげに、驚きであった。
前の晩に見た最下層の霊達のあの絶望的状態は、霊的身体をもって体験する以外には味わえない、身の毛もよだつ程の、惨めなものだった。言葉ではとても表現できない。願わくばその霊達にもいつしか折り返し点が到来することを祈らずにはいられない。『永遠』では永すぎる。
そこはどうやらそれまでに私が連れて行かれた場所の中でも一番低級な境涯らしく、波長は雑多で、いたたまれない気分にさせられる。実はそこへ到達するまでに私はどんどん深みへ沈み込んでいくのを感じて、辺りを見てもみすぼらしい家々が立ち並んでいて、全体が薄気味悪かった。
途中で二度も指導霊に呼び止められて、住民をよく観察するように言われた。見ると口汚く罵り合っている。そのうちの一人は地上で私を知っていた男であるが、私の身体を通過していった。その男がそのような境涯にいることは別に驚きではなかった。確かにそういう人間だったからである。私は彼の目に私の姿が見えないことを知って安心した。
下降の速度が少しずつ遅くなってきた。どうやらその境涯でも最も低い淵に近づきつつあるらしく、もはや誰の姿も見当たらない。そのうちすすけた倉庫のような家屋の前で指導霊に呼び止められた。そしてドアが開けられて私は否応無しに中へ入らされた。途端に私の身体は恐ろしい波長を受けて足を止めた。見ると多くの人影、多分百人ばかりの人間が、ただのそりのそりと歩き回っている。
着ているものは何とも呼びようのない、まるでクモの巣でもまぶしたような汚らわしい姿をしている。顔は沈み切った青白い色をしている。酷い光景ではあるが、私の身体に感じられる波長の方がもっと酷かった。
どの人間もうなだれ、辺りのことには何の関心も見せず、ただのそりのそりと歩き回るだけである。心の中に巣くう考えも姿も同じく絶望的である。『永遠にここでこうしているしかない。もう救われる望みはない』ーそう思っている。確かにその通りに思える。一縷の望みも見当たらない。彼らにとっては永遠の時の中で一千年が昨日であり、明日もまた一千年であるかに思える。
そこで受けた波長はかつてなく低いもので、やがて指導霊がそこから私を引き出してくれてほっとした。そこの人間は周りの人間のことには一切関心がない。ただ当てもなく歩き回るだけである。言うなれば、陰電気を帯びた分子のようなもので、互いに避け合って動いている・・・・と言えば理解し易い方もおられるであろう。
こうした数々の霊界旅行で明らかになってきたことは、地上時代の無知が霊界におけるそれ相当の境涯に位置づけているにすぎないということである。すなわち地上生活によって一定の波長の幽体が形成され、死後その波長に合った境涯へと自然に引きつけられて行くということで、そこに何一つ誤りはない。神の法則は絶対に公平である。自分で自分を裁いていく以上、誰に文句を言う資格があろうか。
神の特別の寵愛者もいないし特権階級もいない。地上で偉いと思われている人が必ずしも死後も偉いとは限らない。何事においても動機が優先される。これまでの人類の歴史において、一部の者が同胞の生涯を惨めなものにした精神的苦悶から肉体的拷問にいたるやり口や悪辣さの程度は、歴史をひもとけば一目瞭然であろう。それを見て我々人間はその罪悪性を責めたくなるが、高級霊は哀れみの情をもって眺める。
さて、その後、私は例によって一旦明るい境涯へ連れて行かれてから肉体へ戻った。その翌朝のことである。店を開ける前に荷をほどくのに忙しくしていると、突然、優しくではあるが強い力で椅子に腰掛けさせられた。そして膝に両肘を置き両手で頭をかかえる格好で、私はある人のことで悲しみの情を覚えた。それほど強烈にして深い情を覚えたのは私としては初めてのことで、涙が溢れ出るのを禁じ得なかった。
そのある人とは、ある国の独裁者だった。どうにか落ち着きを取り戻し、近くに高級霊の存在を感じて私は心の中で尋ねたー『一体なぜ今頃私はこれほどの哀れを感じなくてはいけないのですか』と。するとこういう答えが返ってきたー『貴殿が今行ってきたところは、その独裁者がいずれ赴くところです』と。
これは1937年のことで、その頃は戦争の脅威といえるほどのものは見当たらなかった。独裁者の為にこの種の情を覚えるのは、普通の私の人間性には似つかわしくないことは言うまでもない。まだ店を開ける前のことだったのは幸いだった。
私を包み込むようなその霊は明らかに高級界からの霊で、そういう運命を(そうとは知らずに)辿りつつある地上の一独裁者に対する愛と深い哀れみの情に、その日一日中私は色々と考えさせられた。活発に動き回っている私を圧倒するその偉大にして優しい力は、霊界旅行中は別として、かつて地上では体験したことがないたげに、驚きであった。
前の晩に見た最下層の霊達のあの絶望的状態は、霊的身体をもって体験する以外には味わえない、身の毛もよだつ程の、惨めなものだった。言葉ではとても表現できない。願わくばその霊達にもいつしか折り返し点が到来することを祈らずにはいられない。『永遠』では永すぎる。