死後の世界について多くの本を読まれた方なら、界と界との境界が山脈だったり地面に掘られた穴を通って行ったりする話を読まれたことがあるであろう。実は私もその両方のケースを実際に見ている。特に後者の場合は奇妙である。
 まず前者のケースであるが、1938年頃のこと、霊界の空港へ連れて行かれたことがある。飛行士は若者ばかりで、みな陽気な連中だった。ちょうどその時は近くの山脈を超えてみせると言った若い飛行士をからかっているところで、他の連中もそれを試みてどうしても出来なかったのである。いよいよその若者が乗り込み離陸した。そして山脈の頂上のところまで行って急にスピードが落ち、やむなく戻って来た。一旦戻ってからもう一度試みたが、やはりダメで、戻ってくると仲間から一段と大きな声で笑われていた。
 私はその飛行機の中を点検してみたが、どうみても地上の飛行機の操作ではなく、霊界でこしらえたものだった。プロペラが地上では役に立たないほど小さく出来ていることからもそれが分かった。
 次に後者のケースであるが、ある日の旅行中に1914年に始まった第一次大戦中に知り合った兵士と出会った。私はその兵士をもっとましな境涯へ連れて行ってやろうと思って説得し、一緒に歩いて行った。しばらく行くと景色がだんだん良くなってきた。私にはそう思えた。ところが突然その男が走って引き返し始めた。私は後を追ったが、彼は半狂乱状態で走りまくって、最後は大きな穴に飛び込んでそれきり姿が見えなくなった。穴は直径が五メートル近くあった。
 私は彼とはよく知り合った仲だったので、その様子に少なからず驚いた。霊界通信によると界層は玉ねぎのようにいくつもの層をなして地球を取り囲んでいると述べているのがあるが、その時の体験で私は、少なくとも下層界ではそうなっていることを確証づけられたように思える。
 さらに次の例のように、二つの次元の異なる界、すなわち波長の違う界層が重なり合っていて、しかもお互いに見えていないというケースもある。
 初期の頃のことであるが、離脱してひとまず事務所のようなところへ案内され、そこで指導霊だけが中へ入って指示を受けている間、外で待たされるということが度々なので、私もいい加減その場所と波長にうんざりし始めていた。そんな時にまた同じ場所へ連れて行かれたので、つい心の中で『ちぇっ、またここか!』とつぶやいた。すると一瞬のうちに場面が一変し、退屈な風景から明るく楽しい田園風景の中に立っていた。その変わりようは驚異的だった。指導霊の私への支配力が増し、私の波長がその楽しい場所の波長に高められていたのであるが、私の身体は少しも動いていなかった。
 どうやら背後霊は私がその霊界の『待合所』にうんざりしているのを察してくれたようで、それ以来、下層界へ行くことはあっても、その待合所へ連れて行かれたことは一度もない。