初期の体験であるが、妻と田舎の散歩を楽しんだことがある。お互いにとても楽しい思いをし、同時にそれが極めて地上的色彩を帯びていたので印象に残った。非常に長距離を歩いたということがその一つであるが、もう一つは、地上的習慣から私が途中で紅茶を飲みたい気分になったことである。しかし私はそのことを口に出さずにおいた。ところが気がついてみると妻が茶店のある公園の方へ足を向けていた。その公園の中にバラの花に囲まれた大きな東屋があった。
 その東屋に入ってみると、中にもう一組のカップルが休んでいた。私達も一息入れていると、やがて目の前に一杯の紅茶が現れた。それはすぐに消えたが、それでも私には気分転換になった気がした。
 幻影ではあったが、格好が完全に整っており、私にはあたかも実際に飲み干した時の味と気分がしたように思えた。その体験で霊体が養分を摂取する方法はこれだなと思ったが、その考え方は間違っていた。私の場合は単に背後霊が私の紅茶を飲みたいという願望を満たし、妻との『外出』をそれで終わりにする為の演出だったのである。
 私の霊的身体は訪れる界の思念やバイブレーションに感応するが、感応しないものもある。ある界でマヨネーズを口にしてみたことがあるが、全く風味がなく、まるでチョークと水を混ぜたようなものに感じられた。
 また娘と散歩している時に飲料用の噴水を見つけて近づいてみた。するとすぐ側に氷の入ったグラスが置いてあったのでその氷に触ってみたが、冷たさは全く感じられなかった。多分その界の全ての感覚を味わうには、その界の住民とならねばならないのであろう。
 私自身はまだ離脱中に地上的な食事風景は見たことがないが、お茶を飲みながらの雑談の風景はよく見かける。精神的なくつろぎを味わうのであり、私自身、妻と共にそれを体験している。
 離脱中の体験をどこまで回想出来るかは背後霊にも必ずしも分かっていないと述べたことがあるが、ある時、ふと気がつくと妻と歩いているところだった。そして、我々二人の他に、妻が霊界で面倒を見ている二人の子供も一緒だった。
 実はその時に四人で、ロンドンでよく開かれる『理想的ホームの展示会』のようなものを見学に行っての帰りであったが、私はその会場の中での記憶がまったく無く、会場の建物を振り返った時に、ただ非常に明るくて興味深いものだったという印象だけが残っていた。
 どうやら、その時点で繊細なバイブレーションが働いているかいないかの違いであるように思える。きっと妻の方では私が展示会の全てを見て記憶してくれていると思っていたに相違ない。どうやら地上的意識のあるなしに関わらず、霊的身体の繊細なバイブレーションが働けば全てを回想出来るようである。
 その後で妻の意図を察して『どこかで喫茶店に入ってお茶でも飲もうか』と言うと、妻は『混んでると思うけど・・・』と言った。が、ともかく一軒の喫茶店に入ってテーブルに席を取ると、二人の子供のうちの一人が隣のテーブルにいる幼児と隣り合わせに座った。すると途端に幼児がはしゃぎ出して、ガタガタと音を立てて喜んでいる。私が内心『しまった。反対側に座ればよかった』と思うと、その瞬間その子供が立ち上がって私の思った席のところへ来た。これはテレパシーの作用だったと思われる。
 喫茶店を出た後、妻が私を一軒の家に案内した。その家の一室の壁に素晴らしいタペストリが飾ってあった。手で触ってみると 絹のような感触がした。すると妻が『それを手に入れられるのに苦労なさったのよ』と言った。どんな苦労なのか分からなかったが、その本人が見つめていたので聞く気になれなかった。
 同じ部屋に置いてあるサイドボードの上に何ともいえない色合いのピンクとブルーの花を生けた花瓶がいくつか置いてあった。花の名前は確認出来なかったが、水仙に似た形をしており、ほんの少し花弁を開きかけていて、その芯のところに黄金が被せてあり、あたかも本物の黄金で出来ているみたいな輝きを見せていた。
 同じく初期の頃の体験の中で妻と会った時、一緒に公園を歩いていると少し先を二人の女性が歩いていて、どうやら私達二人の噂をしていることが分かってきた。そして最後に一方が『そうなの。奥さんが地上のご主人と二人のお子さんの面倒を見てらっしゃるのよ』と言った。この二人は、霊界ではある人の噂をするとその思念がテレパシーで当人に伝わるということを知らないらしかった。
 先程も述べたように、体外旅行をしている間は地名や人名が思い出しにくい。英国西部のグロスターという都市に娘がいて、時折車で訪ねることがある。ある時体外旅行中に妻と話をしていると、四頭のポニーに引かれた小さな馬車が通りかかった。私は妻の方を向いて『あんなのでグロスターまで行ったら、ずいぶん時間がかかるだろうな』と言おうとしたが、グロスターという地名が出て来ない。
 咄嗟に私は南西部の地図を思い浮かべて妻が直感してくれればと思った。が、実際はもうそんな必要はなかった。妻には私が伝えようと思ったことは何でもすぐに伝わっており、それでこの時もごく普通に会話が進んだ。
 霊と霊との会話は実に素晴らしい。一々言葉を選ばなくてもいいので、伝えたいことがいくらでも伝えられる。極めて自然であり、自発的なので、言葉は滅多に使わなくて済む。もしも口で言うことと本心とを使い分けようと思えば、これは大変な精神的曲芸を必要とすることであろう。