私には十年ほど前に他界した娘がいる。ある時その娘と一緒に素敵な草原を散歩していた。のどかな田園風景が広がり、そこここに羊がいて、花も咲き乱れている。娘が立ち止まってそのうちの一本を摘み取ったのを見るとクローバーだった。が、私の見慣れた赤や白ではなかった。柔らかく深いパステルの陰影があり、それが美しい虹のような印象を与え、近づくと、美しいものを見た時に湧き出る感動と違って、花そのものが与えてくれるある種の嬉しさを感じた。
 草原の一角に目をやると一頭の羊がしゃがみ込んで頭を上げ、視力のない目を大きく開けて虚空を見つめていた。完全に毛を刈り取られており、辺りに湿っぽい霜が漂っている。すぐ近くの草の上に白っぽいもの(刈り取られた毛)が輪になって横たわっている。そしてさらにそれを囲むように羊の群れが輪になってしゃがみ込んでいる。
 私はすぐに、これは死んで地上から運ばれてきた羊で、周りの羊は、羊の類魂を支配している守護霊が、その羊が目を覚ました時の慰め役としてそこへ連れて来たのだと直感した。その光景に私は何となく哀れさを感じた。死んだ原因を想像するからであろうが、私はその事実は知りたくない心境だった。
 娘は地上でも動物が大好きで、今その感情を存分に発揮できて幸せそうだった。いつだったか、霊媒をしている私の友人がその娘からの通信を受け取ってくれていた時に『パパは私がthe porcineと一緒にいるところを見たわね』と言った。
 私にはその意味がよく分からないので説明を求めると、霊媒が『お嬢さんは何も言おうとせず、ただ笑っていらっしゃいます』と言う。私はやむなく辞書を引いてみると、豚の一種であることが分かって得心がいった。確かに一度霊界で娘と会った時に子豚が一緒にいた。それが娘の脇を嬉しそうにチョコチョコ歩いていたのである。
 嬉しいことに動物にも平和と幸せの境涯がある。人間からのちょっとした情愛にすぐに反応してくれるのも嬉しいことである。これは愛に相関関係があるからで、以前にも説明したことがあるように、与えた愛は何倍にもなって自分に戻ってくるものである。反対に動物を虐待した者は、死後、一種の『自己検診』のようなものをさせられて、辛い思いをすることになる。地上生活での出来事は細大漏らさず魂に刻み込まれているので、絶対に逃れることは不可能なのである。そこから生まれる自己嫌悪感は実に強烈で、それが進歩を遅らせることになる。
 他界後間もなく娘は私に、地上の様々な国を訪れ、動物が受けている可哀想な恐ろしい取り扱いぶりを見て、身の毛がよだつ思いをさせられたと語っていた。
 そのことに関連して私の指導霊が『彼女は今では地上にいた時よりも人間に対する同情心が強くなっている。なぜ?それは人間及び動物に対する酷い扱いぶりを間のあたりにしたことで、慈悲の心が大きくかつ深くなったからです。強烈な体験を経て初めて本当の慈悲心が芽生えるものです。娘さんは大いに心を痛められ、そして大いなる教訓を学ばれた』と語ってくれた。
 私はよく『進歩』という言葉を使用するので、もしかしたら霊界というところがまるで受験勉強のように必死に向上進化を目指して頑張っているかの印象を与えるかもしれないが、実際はそうではない。私がこれまでに述べてきたかぎりの境涯においては『楽しさ』に溢れており、新しい驚異や自分に内在する能力を発見して、それを思いも寄らなかったお土産を頂いた時のように喜ぶということの中に進歩が得られていることを理解して頂きたい。
 例えば娘が他界後すぐ語ったところによると、あちらでも絵を描くには絵の具と鉛筆を使用するのが普通であるが、進歩してくると意念の操作によって色彩を直接カンバスに投射することが出来るようになるー今では自分もそれが出来るようになった、という。さらに最近では色彩光線を使用して子供を治療することを研究しているグループに加わっているという。霊体そのものに別に痛みはないのであるが、他界直後は地上の精神的習性の為に、死に際に受けた傷が残っている時があり、色彩光線がその治療に効果を発揮するという。