明るい界層へ来ると霊体が低い界層にいた時より遥かに良い影響を受けるのが分かる。雰囲気にのどかさが増し、住民の生活ぶりに悠長さが見られる。考えることが常に明るく、また、丁度観光旅行や行楽へ行く時のような、全体に和気あいあいとした楽しい雰囲気がよく感知される。既に夢幻を求める段階を過ぎて、新たな驚異と興味の対象に胸躍らせて、霊としての真の喜びを味わい始めている。
 ある時はリゾート地へ連れて行かれたことがある。大勢の人が奇麗な浜辺に腰を下ろし、バンドの演奏も聞こえる。波乗りを楽しんでいる者もいれば、沖の方にはヨットも見える。そこは高級霊の監視のもとに、ありとあらゆる望みが叶えられるところらしく、地上でその楽しみを味わう機会のなかったものを満喫することが出来る。
 博物館や展示会も沢山あり、私は格別に興味をそそられた。品物はガラスケースに入れられておらず、全てのものがむきだしのまま展示されている。それもそのはずで、こちらでは朽ちたりホコリをかぶったりすることがないのである。自由に手にとって見ることが出来る。
 あるホールには、ありとあらゆる種類の器具、道具、機械類が納めてあった。その中には計器や私に理解の出来ないものが布で内張りをたケースの中に納められており、どうやらその種のものとしては特別のものらしく、大勢の人が見入っていた。そのホールの中央にはプレス機、ポンプ類、発電機等の大型の機械類が置いてあった。
 発明品の歴史を展示してある博物館で私は古いレコードに興味をもった。ワックスのシリンダーが輪切りにしてあり、サウンドトラック(音の出るミゾ)の深さが分かるようにしてある。驚いたのは、それに触れただけで内容が伝わってきたことである。その内容は、主人の入れ歯をくわえて逃げた犬の話を滑稽に物語ったもので、多分、まだ入れ歯そのものが珍しく、それを口にすることすら笑いを誘った時代のものであろう。
 こうした霊的身体による反射的なサイコメトリは実に不思議で、私が理解するところによれば、霊界の物体の多くはある程度まで地上の物体が対になっていて、同じバイブレーションと印象を留めているものと考えられる。
 ある時小さな図書館に案内された。そしてその中に入った途端、何とも言えない安らぎと静けさを感じた。分厚いカーペットが敷いてあり、その上に四つないし五つの肘掛け椅子が置いてあり、書棚には実に美しい装丁の書物が並べてあった。その側に近づくと『霊的真理』の内容から出る強烈な放射物を感じた。手に取ってみたかったが、既に二人の人が読書中だったので遠慮して引き下がった。
 模型の制作者は死後も同じ興味を持ち続けている。霊界では意念が素材であるから、その扱い方を会得した後は、地上にいた時より遥かに容易に仕事がはかどることであろう。ある模型制作者の仕事場を見せてもらったところ、たまたまブランコやメリーゴーラウンドなどの模型の展示会が催されていた。どれも私の手のひらに乗るほどの小さなものばかりであるが、全部本物と同じように動くのである。
 数人の少年が池で色んな種類のボートの模型で遊んでいるところを見かけたことがある。見事なものばかりで、あらゆる部品が完全な縮尺で再現されていた。その中に一つだけ奇妙なものが目についたので、よく見てみようと思って近づいて、うっかり水の中に入ってしまった。その瞬間に地上の癖で、ズボンを濡らしてしまったという観念が脳裏を走った。が、そのまま構わず近づいてそれが『中世』の型であることを確かめてから岸へ戻ってみると、靴もズボンも全く濡れていなかった。霊界の水をよく調べてみようと思いながら、つい忘れてしまう。水中に入った時に濡れたように感じたのは地上の先入観念のせいだと考えている。