動物は霊の世界へ来ても落ち着くべきところにすぐに落ち着かない。獲物を狙う本能はすぐには消えないからで、獲物を捕らえても無駄であることを繰り返し思い知らされるうちに徐々に消えていく。明らかに自然の摂理は『食う側』よりも『食われる側』に味方しているようである。が、本来の性質が獰猛な動物を見たことがない。
 ある時一頭の牛が子牛を連れて歩いているのを見かけた。子牛が極端に小さいので私はその母牛のお腹にいる間に母牛が屠殺されたものと直感した。そこへ一匹の犬が近づいてくると子牛が逃げ出し、犬が追いかけ始めた。ところが犬は足が速いはずのグレイハウンドなのに、子牛の方がどんどん引き離していった。霊の世界では地上的な『機能』よりも逃げようとする『意志』の方が霊的な力をより一層強く引き出すからである。結局子牛は大回りして母牛のところへ戻ってきた。私がその子牛を抱き上げると満足そうな顔で大人しく抱かれていた。私の同情心を感じ取って、大丈夫、という安心感を持ったらしい。
 またある時は霊界の友人の家にいた時、窓越しに庭を見ていると一匹のリスが大急ぎで木によじ登った。庭へ出てみると、そのリスは温室へ入ろうとして通りかかった小さな猿から逃げてきたらしい。私は猿が温室へ入らないようにしようとしたが、入ってしまったので大声で『こら、出ろ!』と言ったら、すぐに出て行った。するとその行き先に寝そべっていた三匹の猫がびっくりして一目散に小屋の屋根へ上がった。
 猿はその小屋とは別の小屋の周りをうろつき始めた。すると中でバタバタと暴れる音がするので、覗いてみると一羽の鶏が羽を広げて怯えていた。そのうち猿の行方が分からなくなったが、以上のことから私は、小さな猿は霊界でもしばらくの間は『小さい』ままであることを知った。また、リスも猫も鶏も、そうしてこの私も、猿というものがいたずら好きであるという観念を持ち続けていることを興味深く感じた。
 『温室』が出てきたが、勿論霊界に温室は全く不要である。が、その持ち主が、この主の植物は温室でなければダメ、という観念を抱いていれば、そこに温室が存在することになる。その友人の家の庭には兎が沢山いて、私の足の周りで遊ぶので踏みつけないように気をつけなければならないほどだったが、同じ庭に小さな熊もいたので私は兎は大丈夫なのかなと心配だったが、みんな愉快そうに戯れていた。
 霊界の海は地上の海と感じは変わらないが、川は太陽の反射がないので、泳いでいる魚がよく見える。金魚とかワカマスのように色彩の目立つものを私は見たことがある。小さな人工池で熱帯魚を見たこともあるが、色が実に生き生きとしていて、大きさも地上のものより大きいようである。
 私は犬を飼ったことがないが、霊界で印象深い体験をしたことがある。ある時土手に座っているところへ、やや大き目の犬がやって来て私の側に座った。その身体に手を置いた途端、人間に近い情愛と親しみが伝わってきた。芝生にしゃがんで兎と戯れていた時にも、可愛がってほしがる情愛に圧倒されたことがある。
 非常に明るく美しい境涯でそこの住民を見つめていた時に、エジプト人とおぼしき男性が通りかかった。容姿端麗で顔が輝いて見えた。その人が毛の長いグレイハウンドを連れていたが、鼻が短くて、私が見慣れているグレイハウンドとは違うように感じ、もしかしたらこれが原種なのかも知れないと思ったりした。