長年にわたる離脱体験の中で自分の幽体が霊界旅行から帰ってきて再び肉体に『入り込む』ところを私自身は見たことがない。が、両手が入り込むところは一度だけ見ている。
 第二次世界大戦の最中のことであるが、日曜日の真昼に私の店にいて離脱した。気がつくと明るい界で、ある儀式が執り行われるのを見ていた。実に奇麗な芝生の上に色鮮やかな衣装をした人が大勢集まっていた。
 その時いきなりバン、バン、という音がして、私は肉体に引き戻された。私はてっきり爆弾が破裂したと思っていたが、肉体に戻ってよく聞いてみると、店のすぐ側を貨物用トラックがエンジン不調でしきりに爆発音を出しているのだった。私は先ほどの儀式がぜひ見たかったので、そのままの姿勢で背後霊に『どうかもう一度連れて行ってください』と心の中で念じた。すると間もなく離脱して同じ場所に来ていた。
 再び明るい境涯での幸せそうな人々を見て、その体験の意味が分かり始めた。戦争で疲弊しきった、苦しみと悲しみと不安の地上世界から来てみて私は、地上人類に対する哀れみの情を強烈に感じた。同時に、言わば二つの世界の中間にいて、妙な孤独感を覚えた。つまり私はそこに見ている幸せそうな人々の仲間でもなければ、さりとて、地上の仲間にそういう素晴らしい世界の存在を知らしめることも容易には出来ない。私が霊界にいて寂しい気持ちを味わったのはその時が初めてで、しかもその寂しさはさらに増幅されることになった。
 というのは、指導霊が『今回をもって当分の間離脱は中止する。戦争の影響で危険になってきたからである。今回もこれにて帰る方がよい』と言い渡されたからである。これは私にとって大きな衝撃で、慰めと教訓の体験が中止されることに絶望感さえ感じた。指導霊が姿を現して私の側に立ったことにも意義があった。色彩鮮やかな衣装に身を包んだ背の高い霊で、その表情には私の落胆した心境を察しているのが窺えた。
 その時ほど霊界の環境の『実質性』と澄み切った美しさを印象深く感じたことはない。同時に、私には虚しさも禁じ得なかった。何か記念になるものを持ち帰れないものかと考えたりした。そんなものがあろうはずはない。しかも時は刻々と過ぎていく。私は思わずしゃがみ込んで両手で土をしっかりと掴んで、よしこれを持って帰ろうと決意した(その時さぞ指導霊は笑って見ていたことであろう!)。
 そうした決意をよそに、私の幽体は肉体へと戻され、やがて椅子の中で体重を感じた。続いて握りこぶしのまま腕が肘掛けの上で重さを感じ始め、やがてそのこぶしがほどかれて、まるで手袋の中に突っ込むように、すっぽりと肉体の手の中に入っていった。霊的なものから物的なものへの、この造作もない移行は実に自然で、私は霊界の土が落ちているはずだと思って足下へ目をやったほどだった。
 その夜、私は体外遊離が危険であることを実際に霊視させられた。爆撃を受けるのかと思っていたが、そうではなかった。長細い池があって、その中を金魚が一匹だけ泳いでいる。その両側の土手に網を手にした人相の好くない連中がその一匹を捕ろうとして待ち構えている。その金魚が自分だと直感した。
 結局戦争という低次元の混乱が霊界の低級界の霊の活躍を広げることになったのだと私は考えている。それに、意識的な旅行をしている時は『玉の緒』を通じての生命力の補給が普通より多く要求されるので、そこに危険性があるということのようである。
 私の霊界旅行の再開が許されるようになるまでには、それから少しの間があった。